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6.演劇

ー/ー




 男は額の布を押さえながらこちらを見て微笑んだ。

「夕方から観劇なの。かの有名な〈グラス・ホッパー座〉のね。それまでに終わる用事?」

 ミルドレッドが〈グラス・ホッパー座〉の部分を強調して自慢げに言うと、男は「そうだと思った」と言ってまた笑った。

「もちろんさ。心配しなくていい。どころか、これから行く場所を聞いたらお嬢さん、びっくりすると思うよ」

 お嬢さんという呼び方にミルドレッドはふと、ユージーンのことを思い出す。ユージーンを含めた従者たちは、こういったお忍びの場ではミルドレッドのことをお嬢様と呼ぶ。

「お嬢さん、はやめてくれる? 好きな呼び方じゃないわ」
「じゃあ何と呼べばいい?」

 もっともな返しに、ミルドレッドは口ごもる。

「…… ミリー」
「それじゃあミリー嬢だ」

 結局お嬢さんになってしまった。でも、まあ聖都なら似たような風体の人物も、貴族の出入りも多いし、外套のフードを被ってさえいれば大丈夫だろう。

「あなたは? 手紙に書いてあったのがあなたの名前なの?」
「ああ。みんなフランって呼ぶよ」

 フランはにやりと笑いながら答えた。



 連れていかれたのは劇団の所有するような小屋だった。といっても〈山猫一座〉が使っていたものとは規模がまるで違う。客席の数は〈山猫一座〉の何倍もある。ミルドレッドは周囲を見回して言った。

「ここって……」

 客席の隅にある幕を持ち上げながらフランは口を開く。

「これから準備して最後の予行練習だからさ、見てってよ」

 そう言われて入った舞台裏には何人ものよく見知った顔がある。

「なんだ新人、遅れたうえに女を連れてやってくるなんていいご身分だな」

 皮肉っぽく言いながら奥から出てきたのは、繊細な演技と甘く整った顔が女性に人気の役者ギルバートだ。

「いいご身分なのはあなたもじゃないの、ギル。ここにいるほとんどの団員はいわゆる『いい身分』の人たちだと思うけど?」

 質素なドレスに身をまといつつも歴然たる美しさを溢れさせているのはその美しさと幅広い演技が魅力の役者モニカ。
 どちらも〈グラス・ホッパー座〉の看板役者だ。
 ここは〈グラス・ホッパー座〉の小屋だ。
 気づいた瞬間、ミルドレッドの両足からぶわりと熱いなにかが駆け上がった。同時に、「なんてことをしてくれたんだ」という思いでフランを振り返る。〈グラス・ホッパー座〉は何度も城に来ているし、ミルドレッドと直接会ってもいる。顔をまともに見られたらすぐにばれてしまう。〈グラス・ホッパー座〉は主に上・中流貴族の次男や三男で構成された劇団なので、こんな場所に出入りしていることが噂となった暁には収集できなくなることは確実だ。
 好きな劇団の役者がそんなことをするとはミルドレッドだって到底思いたくないが、噂とは人から人へと伝わるごとにある程度ねじ曲がってしまうものである。
 十分気をつけなければと気を引き締めるミルドレッドのそばで、ギルバートがふんと鼻を鳴らした。

「別に構わないけどね、俺たちの邪魔だけはしないでくれよ、お嬢さん」
「…… ええ、もちろん。気をつけるわ」

 応援している人々の邪魔をする気など毛頭ないので、客席の隅にでも戻ることにする。ミルドレッドが言うと、モニカが不思議そうな顔で首をかしげる。

「なんだかあなたの声、どこかで……」
「え?」

 なかば呟くように口に出された言葉がうまく聞き取れず、ミルドレッドは反射で振り返る。すると狭い通路に積み上げられた荷物にミルドレッドの肩がぶつかり、不安定だった荷物が頭上で傾いた。フランがとっさにミルドレッドを引き寄せ、その反動でフードが外れる。

「―― ミルドレッド姫?」

 しまった、と思った時には遅かった。
 ギルバートと、モニカと、そしてフラン。三人がミルドレッドを見ていた。三人しか見ていなかったのがせめてもの幸いかもしれない。
 倒れそうになっている荷物を両手で押さえながら自身を見つめるギルバートの視線に耐えられずに、ミルドレッドは口を開く。

「ち―― 違うの。いえ、なにが違うと聞かれると困るのだけど……」

 ギルバートは荷物を押さえた体勢のまま茫然としていた。そして

「俺打ち首ですか?」

とようやくそれだけ言った。

「残念ね。淋しくなるわ」

 モニカが無感情に別れの言葉を口にすると、ギルバートの顔からいよいよ血の気が引いた。ミルドレッドは必死に頭を回転させた。失敗なんてできない。

「…… 今年」

 ミルドレッドはゆっくりと話し出した。嘘でもなんでも、でっち上げるのだ。

「祭事に招待する劇団からこの一座が外されたでしょう。それで私、どうしてもお詫びがしたくて、ここへ来たの」

 本物の役者からしたら芝居であることなど一瞬でわかってしまうかもしれない。ミルドレッドは内心どきどきしていた。するとギルバートが、いまだに血の気の引いた顔のまま口を開いた。

「それは…… たいそうお気にかけていただいて、恐縮です。ただ、こちらもそういった時勢は心得ていますので、これを機に様々な題材を演じてみようと団員一同気を引き締めております」
「そう……! よかったわ」

 どうやら誤魔化せたらしい。ミルドレッドは安堵に微笑んだ。

「〈グラス・ホッパー座〉は私のお気に入りだから、せめて興行だけでも観に来られたらと思って―― 来るならせっかくだから今日のお詫びもしたいと思って、さっきフランに無理を言って入れてもらったのよ。準備で忙しい時に、悪いとは思ったのだけれど」
「悪いだなんてそんな」

 なんとか成功だ。ミルドレッドは内心ほくそ笑む。

「少しだけ練習を見学させていただいてもいいかしら?」
「ええ、もちろん」

 モニカに促されて客席の一番端に腰かける。上演演目は最新の『月夜に嘆く』だ。ミルドレッドもまだ一度しか観ていない。
 ギルバートは主役の男の役だ。幼い頃に悪者にさらわれた彼、カストルが悪の手から脱出する場面から舞台は始まる。

『さあ、一歩踏み出すのよ、カストル』

 モニカが頭頂部で束ねた髪をなびかせて言う。

『なにを怖がるのよ。こんな狭くて暗いところで一生を終えるより怖いことなんてあるかしら? 私にはわからないわ』

 暗い地下で同じように悪に囚われていた女性ミラが、外の世界を知らずに怯えるカストルを説得する場面だ。ミラに説得されて、カストルは彼女とふたり、地下を飛び出す。仲間との出会いや別れを繰り返しながらカストルは、母国にたどりつく。

 場面が変わると、フランが現われた。彼は弟王子の役だった。以前観た時は弟王子は別の役者がやっていたはずだがと思い舞台を見渡すと、前に弟王子をやっていた彼は弟王子に仕える兵士の役になっていた。彼の演じる弟王子が個人的にかなり気に入っていただけに、ミルドレッドは役者の変更には不安を覚える。が、それは杞憂だったとすぐに思い知ることになる。

『あなたには、あなたにだけはわからない……! 僕のほしいものすべてを、すべてを、―― すべてを持っているあなたにだけは!』

 前の彼の豪胆な迫力ある演技も良かったが、なかなかどうしてフランの演技も悪くない。全体的に繊細で、妙な生々しさというか、説得力がある。自身に似たような経験があるんだろうか?

『あなたは勝手だ、あまりにも……。今までずっと城にいなかったくせに、僕の苦労も知らないで、僕の大切なものを取り上げようとなさる……』

「…………」

 ミルドレッドはユージーンのことを思い出していた。幼い頃にホッジズ団長に紹介されて仲良くするようになった。ベンジャミンにかかりきりだった両親のぶんもユージーンが遊んでくれていたように思う。そこではたと思い至る。
 ―― 次男のユージーンです。
 ホッジズはそう言った気がする。



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 男は額の布を押さえながらこちらを見て微笑んだ。
「夕方から観劇なの。かの有名な〈グラス・ホッパー座〉のね。それまでに終わる用事?」
 ミルドレッドが〈グラス・ホッパー座〉の部分を強調して自慢げに言うと、男は「そうだと思った」と言ってまた笑った。
「もちろんさ。心配しなくていい。どころか、これから行く場所を聞いたらお嬢さん、びっくりすると思うよ」
 お嬢さんという呼び方にミルドレッドはふと、ユージーンのことを思い出す。ユージーンを含めた従者たちは、こういったお忍びの場ではミルドレッドのことをお嬢様と呼ぶ。
「お嬢さん、はやめてくれる? 好きな呼び方じゃないわ」
「じゃあ何と呼べばいい?」
 もっともな返しに、ミルドレッドは口ごもる。
「…… ミリー」
「それじゃあミリー嬢だ」
 結局お嬢さんになってしまった。でも、まあ聖都なら似たような風体の人物も、貴族の出入りも多いし、外套のフードを被ってさえいれば大丈夫だろう。
「あなたは? 手紙に書いてあったのがあなたの名前なの?」
「ああ。みんなフランって呼ぶよ」
 フランはにやりと笑いながら答えた。
 連れていかれたのは劇団の所有するような小屋だった。といっても〈山猫一座〉が使っていたものとは規模がまるで違う。客席の数は〈山猫一座〉の何倍もある。ミルドレッドは周囲を見回して言った。
「ここって……」
 客席の隅にある幕を持ち上げながらフランは口を開く。
「これから準備して最後の予行練習だからさ、見てってよ」
 そう言われて入った舞台裏には何人ものよく見知った顔がある。
「なんだ新人、遅れたうえに女を連れてやってくるなんていいご身分だな」
 皮肉っぽく言いながら奥から出てきたのは、繊細な演技と甘く整った顔が女性に人気の役者ギルバートだ。
「いいご身分なのはあなたもじゃないの、ギル。ここにいるほとんどの団員はいわゆる『いい身分』の人たちだと思うけど?」
 質素なドレスに身をまといつつも歴然たる美しさを溢れさせているのはその美しさと幅広い演技が魅力の役者モニカ。
 どちらも〈グラス・ホッパー座〉の看板役者だ。
 ここは〈グラス・ホッパー座〉の小屋だ。
 気づいた瞬間、ミルドレッドの両足からぶわりと熱いなにかが駆け上がった。同時に、「なんてことをしてくれたんだ」という思いでフランを振り返る。〈グラス・ホッパー座〉は何度も城に来ているし、ミルドレッドと直接会ってもいる。顔をまともに見られたらすぐにばれてしまう。〈グラス・ホッパー座〉は主に上・中流貴族の次男や三男で構成された劇団なので、こんな場所に出入りしていることが噂となった暁には収集できなくなることは確実だ。
 好きな劇団の役者がそんなことをするとはミルドレッドだって到底思いたくないが、噂とは人から人へと伝わるごとにある程度ねじ曲がってしまうものである。
 十分気をつけなければと気を引き締めるミルドレッドのそばで、ギルバートがふんと鼻を鳴らした。
「別に構わないけどね、俺たちの邪魔だけはしないでくれよ、お嬢さん」
「…… ええ、もちろん。気をつけるわ」
 応援している人々の邪魔をする気など毛頭ないので、客席の隅にでも戻ることにする。ミルドレッドが言うと、モニカが不思議そうな顔で首をかしげる。
「なんだかあなたの声、どこかで……」
「え?」
 なかば呟くように口に出された言葉がうまく聞き取れず、ミルドレッドは反射で振り返る。すると狭い通路に積み上げられた荷物にミルドレッドの肩がぶつかり、不安定だった荷物が頭上で傾いた。フランがとっさにミルドレッドを引き寄せ、その反動でフードが外れる。
「―― ミルドレッド姫?」
 しまった、と思った時には遅かった。
 ギルバートと、モニカと、そしてフラン。三人がミルドレッドを見ていた。三人しか見ていなかったのがせめてもの幸いかもしれない。
 倒れそうになっている荷物を両手で押さえながら自身を見つめるギルバートの視線に耐えられずに、ミルドレッドは口を開く。
「ち―― 違うの。いえ、なにが違うと聞かれると困るのだけど……」
 ギルバートは荷物を押さえた体勢のまま茫然としていた。そして
「俺打ち首ですか?」
とようやくそれだけ言った。
「残念ね。淋しくなるわ」
 モニカが無感情に別れの言葉を口にすると、ギルバートの顔からいよいよ血の気が引いた。ミルドレッドは必死に頭を回転させた。失敗なんてできない。
「…… 今年」
 ミルドレッドはゆっくりと話し出した。嘘でもなんでも、でっち上げるのだ。
「祭事に招待する劇団からこの一座が外されたでしょう。それで私、どうしてもお詫びがしたくて、ここへ来たの」
 本物の役者からしたら芝居であることなど一瞬でわかってしまうかもしれない。ミルドレッドは内心どきどきしていた。するとギルバートが、いまだに血の気の引いた顔のまま口を開いた。
「それは…… たいそうお気にかけていただいて、恐縮です。ただ、こちらもそういった時勢は心得ていますので、これを機に様々な題材を演じてみようと団員一同気を引き締めております」
「そう……! よかったわ」
 どうやら誤魔化せたらしい。ミルドレッドは安堵に微笑んだ。
「〈グラス・ホッパー座〉は私のお気に入りだから、せめて興行だけでも観に来られたらと思って―― 来るならせっかくだから今日のお詫びもしたいと思って、さっきフランに無理を言って入れてもらったのよ。準備で忙しい時に、悪いとは思ったのだけれど」
「悪いだなんてそんな」
 なんとか成功だ。ミルドレッドは内心ほくそ笑む。
「少しだけ練習を見学させていただいてもいいかしら?」
「ええ、もちろん」
 モニカに促されて客席の一番端に腰かける。上演演目は最新の『月夜に嘆く』だ。ミルドレッドもまだ一度しか観ていない。
 ギルバートは主役の男の役だ。幼い頃に悪者にさらわれた彼、カストルが悪の手から脱出する場面から舞台は始まる。
『さあ、一歩踏み出すのよ、カストル』
 モニカが頭頂部で束ねた髪をなびかせて言う。
『なにを怖がるのよ。こんな狭くて暗いところで一生を終えるより怖いことなんてあるかしら? 私にはわからないわ』
 暗い地下で同じように悪に囚われていた女性ミラが、外の世界を知らずに怯えるカストルを説得する場面だ。ミラに説得されて、カストルは彼女とふたり、地下を飛び出す。仲間との出会いや別れを繰り返しながらカストルは、母国にたどりつく。
 場面が変わると、フランが現われた。彼は弟王子の役だった。以前観た時は弟王子は別の役者がやっていたはずだがと思い舞台を見渡すと、前に弟王子をやっていた彼は弟王子に仕える兵士の役になっていた。彼の演じる弟王子が個人的にかなり気に入っていただけに、ミルドレッドは役者の変更には不安を覚える。が、それは杞憂だったとすぐに思い知ることになる。
『あなたには、あなたにだけはわからない……! 僕のほしいものすべてを、すべてを、―― すべてを持っているあなたにだけは!』
 前の彼の豪胆な迫力ある演技も良かったが、なかなかどうしてフランの演技も悪くない。全体的に繊細で、妙な生々しさというか、説得力がある。自身に似たような経験があるんだろうか?
『あなたは勝手だ、あまりにも……。今までずっと城にいなかったくせに、僕の苦労も知らないで、僕の大切なものを取り上げようとなさる……』
「…………」
 ミルドレッドはユージーンのことを思い出していた。幼い頃にホッジズ団長に紹介されて仲良くするようになった。ベンジャミンにかかりきりだった両親のぶんもユージーンが遊んでくれていたように思う。そこではたと思い至る。
 ―― 次男のユージーンです。
 ホッジズはそう言った気がする。