第6話
ー/ー 卒業式の前日、志保は一人で体育館の準備をした。
紅白の幕を張り、椅子を並べ、演台に白い布をかけた。在校生席は作らなかった。来賓席と、保護者席と、卒業生席、ただ一脚。その椅子を中央に置いたとき、志保はしばらくそこから離れられなかった。
体育館はひんやりしていた。窓から差し込む午後の光が、埃をゆっくりと浮かび上がらせていた。
この体育館で、何人の子どもたちが卒業していったのだろう。
鈍色のセンサーは、壁の隅の目立たない場所に埋め込まれていた。志保は改めてそれを探した。あった。床に近い壁の角、換気口の横に、小さな灰色のプレートが付いていた。普段は気にしないのに、今日は妙に目に入る。
卒業式のたびに、ここで何かが積み重なってきた。
緊張。喜び。寂しさ。期待。そして別れ。名前も知らない子どもたちが、この同じ床の上に立って、それぞれの春を迎えた。その感情が、形にならないまま、壁の中に層を重ねている。
今日の準備も、明日の式も、すべてここに残るのだろう。
志保はしゃがんで、センサーのプレートに触れた。冷たかった。ただの金属板だった。でも、その奥に、たくさんの春が詰まっているとしたら。
立ち上がって、体育館の中央に一人で立った。
椅子の列が、ただまっすぐに並んでいた。明日、この席に陽向が座る。六年間の最後の朝、この床の上に立つ。そのことを思うと、胸の奥が静かに痛んだ。
「ありがとう」
志保は口にした。誰に言ったのかは、自分でもわからなかった。この体育館に、かもしれない。この壁の中に眠っている、たくさんの春に、かもしれない。
体育館はしんと静まり返ったまま、窓の外で風が一度だけ、枯れた草を揺らした。
その夜、志保は夢を見た。
夢の中で、体育館は満員だった。ステージの上に立って見下ろすと、在校生席も保護者席も来賓席も、すべての椅子に誰かが座っている。でも顔がよく見えない。光の加減か、それとも夢の性質か、みんな少し霞んでいた。
そのなかに、陽向がいた。陽向だけははっきりと見えた。中央の席に座って、背筋を伸ばして、まっすぐ前を見ていた。
志保が名前を呼ぼうとしたとき、目が覚めた。
カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいた。
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