189. 空の向こう側

ー/ー



「へっ!? か、神に連なる……?」

 レスター三世は言葉を失った。

 【神に連なる者】――その言葉の重さは、一国の王である彼にも十分に理解できた。

 もしそれが真実ならば、次元が違う。たとえ自分がレスタリア王国の頂点に立つ者だとしても、その威光が届くかどうかすら怪しいのだ。

 だが、それ以上に衝撃を受けていたのは、傍らの枢機卿だった。

 グロリアス聖王国は、神を信仰することで成り立っている国である。国民は神殿に通い、祈りを捧げ、神官たちの言葉に耳を傾ける。その頂点に立つ枢機卿もまた、民に神を崇拝させることに日々心を砕いてきた。

 しかし――神は呼びかけども応えず、祈りを捧げても奇跡は起こらない。

 正直なところ、彼にとって神とは、ただのシンボルでしかなくなっていた。民を統治するための便利な道具であり、それ以上でも、それ以下でもない。神の存在を説きながら、心のどこかでは「そんなものはいない」と冷笑していた。だからこそ、枢機卿という地位に就いても、良心の呵責など感じなかったのである。

 だが、今――目の前に【神に連なる者】がおられる。

 それは自分の人生も、聖王国の根底も、すべてを揺るがされる事態だった。もし神が実在するならば、自分がこれまでやってきたことは何だったのか。神の名を騙り、民を欺き、贅沢な暮らしを享受してきた――その罪は、いったいどれほどの重さになるのだろうか。

「ちょ、ちょっと……! ぜ、ぜひお話を……!」

 枢機卿は身を乗り出し、しわだらけの手をレヴィアの方に伸ばした。その目には狂信的な光が宿っている。いや、それは狂信というよりも、溺れる者が藁をも掴むような、切迫した必死さだった。もし神に連なる者と言葉を交わすことができれば、自分の罪も許されるかもしれない。そんな都合の良い希望に、枢機卿は縋りついていたのだ。

「あー、我は誰とも話さんよ」

 レヴィアは振り返ると、不愉快そうに緋色の瞳をギラリと光らせた。その視線には、虫けらを見るような冷たさが宿っている。

「お主と話したって、何のメリットもないからな! これ以上話しかけたら追い出すぞ!」

「メ、メリット……く、くぅぅぅ……」

 枢機卿は顔をしかめ、がっくりと肩を落とした。神に連なる者から「メリットがない」と一蹴されてしまったのだ。その事実は、彼の心に深い傷を残した。

 ――神にとって、神への信仰を推進してきた我々など、その程度の存在なのか。

 ――だとしたら、今まで自分がやってきたことは、いったい何だったのだ?

 枢機卿の瞳から光が消えていく。それは、信仰を失った者の虚ろな目だった。いや、彼はもともと信仰など持っていなかったのかもしれない。ただ、「神がいるならば、布教してる自分は評価されるだろう」という曖昧な可能性に縋っていたのだ。しかし今、その可能性は完全に打ち砕かれた。神は確かに存在する――しかし、自分のことなど歯牙にもかけていないのだと。

 やがて甲高いエンジン音が響き渡り、シャトルが少しずつ高度を上げ始めた。


               ◇


 窓の外の景色が、ゆっくりと下がっていく。

 レスター三世は、その光景を呆然と見つめていた。自分が六十年間暮らしてきた王宮が、威厳と権力の象徴だったあの城が、みるみるうちに小さくなっていく。石造りの堅牢な城壁も、美しく手入れされた庭園も、すべてがまるで子供の積み木のように縮んでいった。

「そいじゃ、しっかり席に座っとけよ!」

 レヴィアがグイッと操縦(かん)を引っ張った直後、凄まじいGが一行を襲った。

「にょほぉぉぉ……!」

「ぐぉぉぉぉ……!」

 悲鳴とも呻きともつかない声が船内に響き渡る。レスター三世はシートに押し付けられながら、必死で意識を保とうとした。体が潰されるような圧力に、視界が歪み、血が頭に昇り、呼吸すらままならない。こんな経験は生まれて初めてだった。

 一気に加速しながら上空高くすっ飛んでいくシャトルは、次の瞬間、ドォン! という衝撃音と共に何かの壁を突き破った。音速の壁を超えた瞬間の衝撃波だったが、この世界の人間にはそんな現象など想像すらできない。

 何とか窓の外を見ると、王都があっという間に小さなおもちゃのようになっていた。城が米粒ほどの大きさになり、街が一枚の絵のように平たくなり、やがて王都全体が手のひらに収まるほどの大きさになった。

「ま、まさか……」

 レスター三世は、自分の生きてきた世界の小ささに唖然とした。もう何十年もあの狭い世界で王として君臨してきたのだ。自分こそが世界の中心だと信じ、自分の言葉が最も重いと思い込み、家臣たちの追従に悦に入っていた。しかし空から見れば、あれほど立派だった王宮も、ただの小さな点に過ぎなかったのである。

 ――自分の人生は、いったい何だったのだろう?

 その問いがレスター三世の胸に重くのしかかり、彼は渋い顔をしてうつむいた。答えは出なかった。いや、答えを出すのが怖かったのかもしれない。


               ◇


 やがて雲を抜けると、白い絨毯のような雲海が眼下に広がった。

 まるで天国への道を歩いているかのような、幻想的な光景である。しかしシャトルはさらに上昇を続け、それに伴って青空がどんどんと暗くなっていった。鮮やかな青が紺色に変わり、紺色が藍色に沈み、そして気がつけば、窓の外は真っ暗になってしまっていた。

「な、なんだ、これは……」

 レスター三世は窓に顔を押し付けるようにして外を見た。よく見れば、漆黒の闇の中に星が輝いている。真昼だというのに、満天の星空が広がっているのだ。しかし不思議なことに、反対側の窓からは眩しいほどの日差しが差し込んでいる。片側は夜で、片側は昼――そんな矛盾した光景が、同時に存在していた。

 ――一体、ここはどこなのだ。まさか、死後の世界なのだろうか。

 レスター三世は茫然とした。青空の上が真っ暗だったのだ。六十年間、毎日見上げてきた空の、その向こう側がこんな世界だったなんて、彼は全く知らなかった。いや、知ろうともしなかったのだ。地上の政務や権力争いで精一杯で、頭上に広がる無限の宇宙のことなど、考えたこともなかった。

 その事実に、レスター三世は打ちのめされた。自分がいかに狭い世界で生きてきたか、いかに傲慢だったか、この短い飛行の間に思い知らされてしまったのである。王としての威厳も、六十年の経験も、この漆黒の虚空の前では何の意味も持たなかった。彼はただ、窓の外に広がる星々を眺めながら、言葉もなく打ちひしがれていた。



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 レスター三世は言葉を失った。
 【神に連なる者】――その言葉の重さは、一国の王である彼にも十分に理解できた。
 もしそれが真実ならば、次元が違う。たとえ自分がレスタリア王国の頂点に立つ者だとしても、その威光が届くかどうかすら怪しいのだ。
 だが、それ以上に衝撃を受けていたのは、傍らの枢機卿だった。
 グロリアス聖王国は、神を信仰することで成り立っている国である。国民は神殿に通い、祈りを捧げ、神官たちの言葉に耳を傾ける。その頂点に立つ枢機卿もまた、民に神を崇拝させることに日々心を砕いてきた。
 しかし――神は呼びかけども応えず、祈りを捧げても奇跡は起こらない。
 正直なところ、彼にとって神とは、ただのシンボルでしかなくなっていた。民を統治するための便利な道具であり、それ以上でも、それ以下でもない。神の存在を説きながら、心のどこかでは「そんなものはいない」と冷笑していた。だからこそ、枢機卿という地位に就いても、良心の呵責など感じなかったのである。
 だが、今――目の前に【神に連なる者】がおられる。
 それは自分の人生も、聖王国の根底も、すべてを揺るがされる事態だった。もし神が実在するならば、自分がこれまでやってきたことは何だったのか。神の名を騙り、民を欺き、贅沢な暮らしを享受してきた――その罪は、いったいどれほどの重さになるのだろうか。
「ちょ、ちょっと……! ぜ、ぜひお話を……!」
 枢機卿は身を乗り出し、しわだらけの手をレヴィアの方に伸ばした。その目には狂信的な光が宿っている。いや、それは狂信というよりも、溺れる者が藁をも掴むような、切迫した必死さだった。もし神に連なる者と言葉を交わすことができれば、自分の罪も許されるかもしれない。そんな都合の良い希望に、枢機卿は縋りついていたのだ。
「あー、我は誰とも話さんよ」
 レヴィアは振り返ると、不愉快そうに緋色の瞳をギラリと光らせた。その視線には、虫けらを見るような冷たさが宿っている。
「お主と話したって、何のメリットもないからな! これ以上話しかけたら追い出すぞ!」
「メ、メリット……く、くぅぅぅ……」
 枢機卿は顔をしかめ、がっくりと肩を落とした。神に連なる者から「メリットがない」と一蹴されてしまったのだ。その事実は、彼の心に深い傷を残した。
 ――神にとって、神への信仰を推進してきた我々など、その程度の存在なのか。
 ――だとしたら、今まで自分がやってきたことは、いったい何だったのだ?
 枢機卿の瞳から光が消えていく。それは、信仰を失った者の虚ろな目だった。いや、彼はもともと信仰など持っていなかったのかもしれない。ただ、「神がいるならば、布教してる自分は評価されるだろう」という曖昧な可能性に縋っていたのだ。しかし今、その可能性は完全に打ち砕かれた。神は確かに存在する――しかし、自分のことなど歯牙にもかけていないのだと。
 やがて甲高いエンジン音が響き渡り、シャトルが少しずつ高度を上げ始めた。
               ◇
 窓の外の景色が、ゆっくりと下がっていく。
 レスター三世は、その光景を呆然と見つめていた。自分が六十年間暮らしてきた王宮が、威厳と権力の象徴だったあの城が、みるみるうちに小さくなっていく。石造りの堅牢な城壁も、美しく手入れされた庭園も、すべてがまるで子供の積み木のように縮んでいった。
「そいじゃ、しっかり席に座っとけよ!」
 レヴィアがグイッと操縦|桿《かん》を引っ張った直後、凄まじいGが一行を襲った。
「にょほぉぉぉ……!」
「ぐぉぉぉぉ……!」
 悲鳴とも呻きともつかない声が船内に響き渡る。レスター三世はシートに押し付けられながら、必死で意識を保とうとした。体が潰されるような圧力に、視界が歪み、血が頭に昇り、呼吸すらままならない。こんな経験は生まれて初めてだった。
 一気に加速しながら上空高くすっ飛んでいくシャトルは、次の瞬間、ドォン! という衝撃音と共に何かの壁を突き破った。音速の壁を超えた瞬間の衝撃波だったが、この世界の人間にはそんな現象など想像すらできない。
 何とか窓の外を見ると、王都があっという間に小さなおもちゃのようになっていた。城が米粒ほどの大きさになり、街が一枚の絵のように平たくなり、やがて王都全体が手のひらに収まるほどの大きさになった。
「ま、まさか……」
 レスター三世は、自分の生きてきた世界の小ささに唖然とした。もう何十年もあの狭い世界で王として君臨してきたのだ。自分こそが世界の中心だと信じ、自分の言葉が最も重いと思い込み、家臣たちの追従に悦に入っていた。しかし空から見れば、あれほど立派だった王宮も、ただの小さな点に過ぎなかったのである。
 ――自分の人生は、いったい何だったのだろう?
 その問いがレスター三世の胸に重くのしかかり、彼は渋い顔をしてうつむいた。答えは出なかった。いや、答えを出すのが怖かったのかもしれない。
               ◇
 やがて雲を抜けると、白い絨毯のような雲海が眼下に広がった。
 まるで天国への道を歩いているかのような、幻想的な光景である。しかしシャトルはさらに上昇を続け、それに伴って青空がどんどんと暗くなっていった。鮮やかな青が紺色に変わり、紺色が藍色に沈み、そして気がつけば、窓の外は真っ暗になってしまっていた。
「な、なんだ、これは……」
 レスター三世は窓に顔を押し付けるようにして外を見た。よく見れば、漆黒の闇の中に星が輝いている。真昼だというのに、満天の星空が広がっているのだ。しかし不思議なことに、反対側の窓からは眩しいほどの日差しが差し込んでいる。片側は夜で、片側は昼――そんな矛盾した光景が、同時に存在していた。
 ――一体、ここはどこなのだ。まさか、死後の世界なのだろうか。
 レスター三世は茫然とした。青空の上が真っ暗だったのだ。六十年間、毎日見上げてきた空の、その向こう側がこんな世界だったなんて、彼は全く知らなかった。いや、知ろうともしなかったのだ。地上の政務や権力争いで精一杯で、頭上に広がる無限の宇宙のことなど、考えたこともなかった。
 その事実に、レスター三世は打ちのめされた。自分がいかに狭い世界で生きてきたか、いかに傲慢だったか、この短い飛行の間に思い知らされてしまったのである。王としての威厳も、六十年の経験も、この漆黒の虚空の前では何の意味も持たなかった。彼はただ、窓の外に広がる星々を眺めながら、言葉もなく打ちひしがれていた。