188. 崩れる常識

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 ミーシャは優雅な所作でタラップを降りると、深々と一礼した。

 その金髪が、朝日を受けて黄金色に輝く。

「大アルカナ王国より、お迎えに上がりました」

 その声は、春の風のように柔らかく響いた。

「こっ……これに、乗っていく……のか?」

 レスター三世は、声が裏返りながら冷や汗を垂らした。

 六十年以上生きてきて、未だかつて空飛ぶ乗り物などに乗ったことがない。

 いや、そもそも空飛ぶ乗り物が存在すること自体、今この瞬間まで知らなかったのだ。

「さぁ、国王レオンがお待ちでございます。どうぞ……」

 ミーシャは、うやうやしくタラップを指し示した。

 その微笑みは完璧で、一点の曇りもない。

「くっ……」

 レスター三世は、隣の枢機卿と目を合わせた。

 二人の視線には、同じ困惑が浮かんでいる。

 ――こんな、聞いたこともない魔道の飛行物体に乗っていいのか?

 ――そもそもこれは本当に安全なのか?

 判断がつかなかった。

 いや、正直に言えば――怖いのだ。

 六十年の人生で築き上げてきた常識が、目の前で音を立てて崩れていくようだった。

「大丈夫でございますわ。落ちたりはいたしませんので」

 ミーシャは、二人の動揺を見透かしたように、にっこりと微笑んだ。

 その笑顔には、どこか挑発的な色が混じっているようにも見えた。

 ――ああ、この娘は分かっているのだ。我々が怯えていることを。

 ――そして、それを楽しんでいる。

 田舎者の馬車を嗤ってやろうと気楽に待ち構えていたら、とんでもないものがやってきてしまった。

 立場が、完全に逆転していた。

 得体の知れないものには乗れない、などと言ってしまえば、嗤われるのは自分たちの方だ。それだけは、絶対に避けなければならない。

 王としての矜持(きょうじ)が、それを許さなかった。

 たとえ心臓が口から飛び出しそうなほど恐ろしくても、乗る以外ない。

 レスター三世は、ギリッと奥歯を噛み締めた。

「……よしっ! 案内せよ!」

 覚悟を決めて、一歩を踏み出す。

 その額には、玉のような冷や汗が浮かんでいた。


               ◇


 純白の機体に近づくにつれ、レスター三世の心臓の鼓動は速くなるばかりだった。

 ドクン、ドクン、ドクン――。

 ――これは、いったい何でできているのだ?

 金属のようで、金属ではない。

 滑らかで、継ぎ目がなく、まるで巨大な真珠を削り出したかのような質感。

 恐る恐る手を伸ばし、指先で触れてみる。

 ほのかに温かい。

 まるで――生きているかのように。

 タラップを一段一段登りながら、彼は周囲を見回した。

 鋭く張り出した翼の、未来的なフォルム。

 流線型の機首は、まるで猛禽類の(くちばし)のように鋭い。

 そして、エンジンから湧き上がる熱気が、陽炎のように揺らめいている。

 その熱波が頬を撫で、レスター三世は思わず顔を(しか)めた。

 どう見ても魔道具などではない。

 魔力など、みじんも感じないのだ。

 むしろ機械仕掛けに近いようではあるが――そんなものが空を飛ぶ理屈が分からない。

 歯車と蒸気で動く機械なら知っている。

 しかし、そんなもので空を飛べるとは到底思えなかった。

 人間の技術で、こんなことが可能なのか? それも冒険者たちが作った、貧民たちの国で。

 信じられなかった。

 信じたくなかった。

 しかし、目の前の現実は、彼の常識を根底から覆していた。

 六十年かけて築き上げてきた世界観が、ガラガラと音を立てて崩れていく。


      ◇


 機体の中に足を踏み入れた瞬間――。

 レスター三世は、息を呑んだ。

「なんと……」

 そこは、まるで宮殿の一室のようだった。

 いや、宮殿以上かもしれない。

 重厚な革張りのシート。

 深い飴色に輝く、高級なマホガニーのインテリア。

 柔らかな照明が、室内を温かく、そして優しく照らしている。

 どこからともなく、心地よい音楽が流れていた。

 弦楽器の調べ。

 聴いたことのない旋律だが、心の奥深くに染み入るような美しさがある。

 そして何より外の灼熱が嘘のように、ひんやりとした空気が肌に心地いい。

「こちらにどうぞ」

 ミーシャは、優雅な仕草で席を勧めた。

 レスター三世が恐る恐る腰を下ろすと、シートが彼の体型に合わせてゆっくりと沈み込んだ。

 ――な、なんだ、この座り心地は。

 まるで雲の上に座っているかのようだ。

 王宮の玉座よりも、遥かに快適である。

 その贅沢さに、レスター三世は言葉を失った。

「全員乗ったか?」

 不意に、ぶっきらぼうな声が響いた。

 コクピットの方を見ると、金髪の少女がいた。

 面倒くさそうに頭上のスイッチをパチパチと入れている。

「あと一方(ひとかた)ですー!」

 ミーシャが声を張り上げた。

「は? 誰じゃ、あの子供は?」

 レスター三世は訝しげにミーシャに聞いた。

 どう見ても、十歳かそこらの少女にしか見えない。

 そんな子供が、この得体の知れない飛行物体を操縦するというのか?

「こ、子供じゃないです! 神に連なる者……もう数千年も生きておられます」

 ミーシャの声が、どこか畏れを含んで震えた。



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 ミーシャは優雅な所作でタラップを降りると、深々と一礼した。
 その金髪が、朝日を受けて黄金色に輝く。
「大アルカナ王国より、お迎えに上がりました」
 その声は、春の風のように柔らかく響いた。
「こっ……これに、乗っていく……のか?」
 レスター三世は、声が裏返りながら冷や汗を垂らした。
 六十年以上生きてきて、未だかつて空飛ぶ乗り物などに乗ったことがない。
 いや、そもそも空飛ぶ乗り物が存在すること自体、今この瞬間まで知らなかったのだ。
「さぁ、国王レオンがお待ちでございます。どうぞ……」
 ミーシャは、うやうやしくタラップを指し示した。
 その微笑みは完璧で、一点の曇りもない。
「くっ……」
 レスター三世は、隣の枢機卿と目を合わせた。
 二人の視線には、同じ困惑が浮かんでいる。
 ――こんな、聞いたこともない魔道の飛行物体に乗っていいのか?
 ――そもそもこれは本当に安全なのか?
 判断がつかなかった。
 いや、正直に言えば――怖いのだ。
 六十年の人生で築き上げてきた常識が、目の前で音を立てて崩れていくようだった。
「大丈夫でございますわ。落ちたりはいたしませんので」
 ミーシャは、二人の動揺を見透かしたように、にっこりと微笑んだ。
 その笑顔には、どこか挑発的な色が混じっているようにも見えた。
 ――ああ、この娘は分かっているのだ。我々が怯えていることを。
 ――そして、それを楽しんでいる。
 田舎者の馬車を嗤ってやろうと気楽に待ち構えていたら、とんでもないものがやってきてしまった。
 立場が、完全に逆転していた。
 得体の知れないものには乗れない、などと言ってしまえば、嗤われるのは自分たちの方だ。それだけは、絶対に避けなければならない。
 王としての|矜持《きょうじ》が、それを許さなかった。
 たとえ心臓が口から飛び出しそうなほど恐ろしくても、乗る以外ない。
 レスター三世は、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「……よしっ! 案内せよ!」
 覚悟を決めて、一歩を踏み出す。
 その額には、玉のような冷や汗が浮かんでいた。
               ◇
 純白の機体に近づくにつれ、レスター三世の心臓の鼓動は速くなるばかりだった。
 ドクン、ドクン、ドクン――。
 ――これは、いったい何でできているのだ?
 金属のようで、金属ではない。
 滑らかで、継ぎ目がなく、まるで巨大な真珠を削り出したかのような質感。
 恐る恐る手を伸ばし、指先で触れてみる。
 ほのかに温かい。
 まるで――生きているかのように。
 タラップを一段一段登りながら、彼は周囲を見回した。
 鋭く張り出した翼の、未来的なフォルム。
 流線型の機首は、まるで猛禽類の|嘴《くちばし》のように鋭い。
 そして、エンジンから湧き上がる熱気が、陽炎のように揺らめいている。
 その熱波が頬を撫で、レスター三世は思わず顔を|顰《しか》めた。
 どう見ても魔道具などではない。
 魔力など、みじんも感じないのだ。
 むしろ機械仕掛けに近いようではあるが――そんなものが空を飛ぶ理屈が分からない。
 歯車と蒸気で動く機械なら知っている。
 しかし、そんなもので空を飛べるとは到底思えなかった。
 人間の技術で、こんなことが可能なのか? それも冒険者たちが作った、貧民たちの国で。
 信じられなかった。
 信じたくなかった。
 しかし、目の前の現実は、彼の常識を根底から覆していた。
 六十年かけて築き上げてきた世界観が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
      ◇
 機体の中に足を踏み入れた瞬間――。
 レスター三世は、息を呑んだ。
「なんと……」
 そこは、まるで宮殿の一室のようだった。
 いや、宮殿以上かもしれない。
 重厚な革張りのシート。
 深い飴色に輝く、高級なマホガニーのインテリア。
 柔らかな照明が、室内を温かく、そして優しく照らしている。
 どこからともなく、心地よい音楽が流れていた。
 弦楽器の調べ。
 聴いたことのない旋律だが、心の奥深くに染み入るような美しさがある。
 そして何より外の灼熱が嘘のように、ひんやりとした空気が肌に心地いい。
「こちらにどうぞ」
 ミーシャは、優雅な仕草で席を勧めた。
 レスター三世が恐る恐る腰を下ろすと、シートが彼の体型に合わせてゆっくりと沈み込んだ。
 ――な、なんだ、この座り心地は。
 まるで雲の上に座っているかのようだ。
 王宮の玉座よりも、遥かに快適である。
 その贅沢さに、レスター三世は言葉を失った。
「全員乗ったか?」
 不意に、ぶっきらぼうな声が響いた。
 コクピットの方を見ると、金髪の少女がいた。
 面倒くさそうに頭上のスイッチをパチパチと入れている。
「あと|一方《ひとかた》ですー!」
 ミーシャが声を張り上げた。
「は? 誰じゃ、あの子供は?」
 レスター三世は訝しげにミーシャに聞いた。
 どう見ても、十歳かそこらの少女にしか見えない。
 そんな子供が、この得体の知れない飛行物体を操縦するというのか?
「こ、子供じゃないです! 神に連なる者……もう数千年も生きておられます」
 ミーシャの声が、どこか畏れを含んで震えた。