絶望から光へ
ー/ー サッカーは冬でも試合がある。本場の欧州でもそれは常識。プロならば吹雪いても、アホみたいに積もらなければ試合は開催される。寒さは一切関係ない。この冬という季節はプロだけでなく、高校生と大学生の全国大会もある。どっちも夏より冬の方が注目度も重要度も大きい。プロアマ混合の天皇杯決勝もこの時期。だから、サッカーはウインタースポーツだと言う人も珍しくはない。
俺、東野幸太郎は佐賀ストーンズ所属のプロサッカー選手。JSリーグ一部のリーグ最終節を戦っている。ストーンズの順位は勝ち点差二の二位。勝てば優勝の可能性があるが、首位のヴァンクルーズ神戸が引き分け以上なら二位が確定してしまう。
俺達の相手は降格圏内の十八位のエスペリオン宮城だ。一方のヴァンクルーズは十九位の越谷イロンデルと戦う。両チームとも引き分け以下なら即降格。誰もが負けられない、天国か地獄を決める大一番だ。前半終了時点ではゼロ対ゼロ。ヴァンクルーズはイロンデルにゼロ対一でリードされている。このままじゃヴァンクルーズ優勝が決まってしまう。
後半も三十分が過ぎた。残りは十五分とアディショナルタイムのみ。異常な寒さと、フルシーズンやってきた疲れで脚が重い。今の俺は地面を這いつくばる死にかけの虫だ。ボールがピッチ外に出たのを確認してから、膝に手をつく。荒れた息を整えよう。大袈裟に深呼吸をする。
スタンドを見上げればチームカラーの青とピンクのストーンズのフラッグが、吹雪を切り裂くように振られている。空席は見当たらないし、チャントも耳にしっかり届く。めちゃくちゃ寒いのに来てくれてありがたい。頭には薄らと雪が積もっているのに誰も振り払わずに、ずっと飛んで跳ねて大声を張っている。極寒に負けないくらい熱い人達だ。だから俺は寒さを感じないんだろう。この熱いサポーター達に報いなきゃいけない。大変な仕事だな、サッカー選手は。
俺、今体力限界だけど直樹さんの言うこと、もっと早く聞いてたら今こんなに苦しくなかったのかな。直樹さんはこんな時どうやって脚動かしてたのか教えて欲しいっす。どうやってサポーターの声に応えてたのか。俺は天を見上げた。そうっすよね。『苦しい時こそ、強く動かせ、身体全てを意識しろ』っすよね。俺はピッチに目を戻し、ひたすらに身体全部を動かした。
二年前の話だ。俺はサッカーを始めた頃からミッドフィルダーをやっていて、小六でフル代表入り待ったなしと言われる程評価されてた選手だった。高校は学校のチームに所属して一年から活躍。三年時にはユースも交えた高円宮杯と選手権のどちらも制し、優秀選手にも選ばれた。中学で既に色んなチームから声を掛けられたが、ストーンズを選んだ。他のチーム倍くらい給料高いのにと言う人もいたが、ストーンズは海外移籍しやすい。しかも若手起用も積極的な育成型クラブ。戦術もテクニックが武器の自分にピッタリ。ここで早いうちから試合に出て活躍して、それで海外に行けばすぐに取り返せるし、ブランドがつけばそれ以上にもらえるはず。そう考えていた。けど、それは蜂蜜よりも甘い考えだった。
相手を闘牛士のようにいなそうにも、寄せが早すぎて何もさせてもらえない。ドリブルもディフェンスも、身体を当てられたら簡単に弾き飛ばされる。高校サッカーのスターは、プロでは練習用のカラーコーンでしかなく、公式戦にはほとんど出られなかった。入団後三年間ずっとその状態で、俺の評価は地の底にまで落ちた。高校がピークの超早熟だったとか、消えた終わった天才だとか言われたい放題。心は荒んでいった。
直樹さんは移籍でこのチームに来た三十八歳の選手だった。メインはセンターバックで、他のポジションも満遍なくできる。背も高く、パワー、スピード、テクニックにサッカーIQも十分。世代別を含めても代表経験はないが、どのチームでもほぼ全試合に出ている。"替えの効かない男”と呼ばれ、前年の活躍が評価されての移籍。当時は間違いなく俺よりも格上の選手だった。
「おい! なにちんたら走っとんのじゃ! ちゃんと走らんか!」
その年の二月の沖縄キャンプで直樹さんにはじめてかけられた言葉がこれだった。普通は直樹さんレベルの選手に言われたら平謝りしてちゃんとするが、俺は反発して殴り合い寸前の喧嘩になった。
『世代別にもなれなかったザコに言われたくねえ』
高校時代の栄光でぶくぶく太ったプライドが邪魔をしていた。以降も練習態度と食生活とかを口酸っぱく指摘されたが、全部無視した。
五月のある日の夕方。試合後にも関わらず、練習場で一対一をやろうと誘われた。直樹さんはフル出場した試合の後。俺はアップしかしてなくて疲れてない。しかも身体はいい具合に暖まっている。条件では俺が超有利。どう見積もっても勝てるはずの勝負だったが、俺は全く抜けなかった。それどころか、センターバックがメインの直樹さんのドリブルすら止められなかった。
「選手権で凄かったのは俺も知っとる。とんでもねえプレー連発してたし、今でも偉大な選手になれる才能を十二分に感じる。でも、今のお前さんは疲れたロートルにさえ勝てない。ぴっかぴかの才能が錆びれて泣いとる。今やり直して真剣に取り組まんと、お前さんのサッカー人生は遅くとも来年には終わる。けど、俺の言うこと聞けばちゃんと輝けるし、海外のビッグクラブも夢じゃない。チンケなプライドと、過去の栄光に縋るより俺に縋ってみんか?」
失敗だらけの現実とこの言葉で、俺は直樹さんの言う事を聞く事にした。食事はファストフード中心から野菜と肉を中心に。もちろん直樹さんが信頼してる栄養士さんの指導に従って。トレーニングも筋トレ、体幹・自重トレーニング、ダッシュなどを多くした。今までボールしか使わなかった練習を一変させた。最初はできない事だらけだった。直樹さんが軽々と上げる重さすら持ち上げられないし、ダッシュやランニングの目標タイムも切れない。でも、直樹さんは冷静な意見は言うが怒鳴ったり否定したりはしなかった。できることが増えれば、ようできとる、よう頑張ったと褒めてくれた。試合に挑むメンタルも教えてくれたし、メンタルコーチも紹介してくれた。直樹さんは普段からサッカーの事をずっと考えていた。移動中も次の対戦相手の動画を見て分析してるし、時々家にお邪魔しても自分に気づかずに筋トレかランニングマシンで走ってる。食事もレシピをただ作るだけじゃなくて素材から拘っている。ここまでやるからどこに行っても活躍できるに決まってるんだと、自分は直樹さんを尊敬し始めた。それから、普段の私生活もサッカーの要素を強くして、直樹さんと同じくらい考えるようにして行った。もっとも『お前さんは天才だからそこまでせんでいい。趣味やプライベートも大事にせい』とやんわり注意はされたけど。
ここまで本気で取り組んだら少しずつ、フィジカルとメンタルが変わっていった。紅白戦や普段の練習でもアピールができて、シーズン終盤にリーグ戦に五試合スタメンで出場。ターンオーバー役でしかなかったカップ戦の重要な試合でもスタメンで起用された。リーグ・カップ戦合わせて四ゴール四アシストと、これ以上ない結果を残せた。直樹さんも活躍する度に自分の事のように喜んでくれた。サッカーは自分の為にするものが俺の哲学。けど、本気で自分の心が嬉しいと思えていたんだ。
この活躍なら、来年からはもっとイケる。直樹さんと一緒にもっと活躍して、シャーレを掲げる事もできるはず! 直樹さんが一度も味わった事のない優勝と透明なあのシャーレを絶対に掲げさせたい。そう思ってたけど、直樹さんはシーズン終了後に突然引退を表明した。俺にも選手の誰にも何も言わずにスパイクを脱いごうとした。最近体調が悪いって言ってトレーニング量を減らしてたり、休んでたりしてたけど、プレーはまだまだ一線級。それに『優勝したい』『お前さんと一緒にもっと出たいねえ』って言ってたのに突然引退するなんて許せないっ。怒った俺は練習用のグラウンドに直樹さんを呼び出した。なんとか説得して引退を撤回してもらう為だ。夕方頃に直樹さんが来た。
「実家が商売やってて今すぐに後継が必要らしい。年齢も年齢だから、俺のサッカー人生はここまでだ」
直樹さんはさっぱりとした顔とかっちりとしたスーツ姿で俺に言った。生活の全てをサッカーに捧げる直樹さんがこんな顔で言うのだから、俺如きじゃ決意は覆せないと一瞬で理解してしまった。
「しばらく勉強で連絡できん、だけど、お前さんのプレーだけは絶対に見る。活躍、楽しみにしてるぞ。俺の分までピッチを駆け抜けてくれ。お前さんのプレーでサポーターを沸かせて、シャーレを見せてやってくれ」
闘志に満ち溢れた厳つい顔の直樹さんが、あの時から消えそうな声と険しさが微塵もない柔らかい顔になっていた事を今でも覚えている。八十過ぎた近所の優しいおじいちゃんのように感じた。あの日も今日と同じくらい雪が降っていた。
直樹さん引退後の翌シーズンはレギュラーにはなれた。直樹さんの言ってたメニューは完璧にしたし、食生活もメンタルトレーニングも続けた。けど、物足りない。悪くはないけど、前年終盤見せた圧倒的なパフォーマンスからは程遠い。一瞬だけだったねと、心無い野次もわかりやすく聞こえてきた。フロントも俺だけじゃ優勝は無理と判断して、同じポジションで同じスタイルの選手を完全移籍で獲得した。俺は直樹さんがいないとダメなのか……。そんな悶々とした気持ちでシーズンを終えた。
年末。見知らぬ番号からの電話が鳴る。嫌な予感が……。出たくない。出たくなかったけど、出てしまった。当たらない方がいい予感だった。直樹さんは重い病気で引退して現状では助からない。いつ死んでもおかしくないと。電話が終わると、雨の中俺は走り出していた。どこに行く目的もなく。びしょ濡れになりながら、ただ闇雲に街頭の薄明かりを頼りに。どうすればいい、どうしたらいいかわからない。直樹さん居ないとダメなのに……。でも、こんな俺を見たら直樹さん絶対に悲しむ。でもどうすれば……。
――優勝するしかない。俺がシャーレを掲げた姿を直樹さんに見せるんだ。それなら直樹さんも報われるし、感謝も伝えられる。それしかない! 覚悟を決めた俺は再び走り出した。それからは猛練習に励んだ。昔直樹さんが言ってたある言葉を思い出して。
『俺だけを盲信すんな。上手くいかなくない時が長くなったら、必ず疑って試行錯誤する。それが大事じゃ』
だから他の選手とも話すようにした。今まであまり話さなかった他の選手とも、言語、ポジション、敵味方問わずに。監督やコーチにも迷えば積極的に聞いて、いいと思ったものを取り入れていった。合わなければ戻して調整もした。副産物にはなるけど、他のポジションの人や監督達が考えている事がよくわかるようになった。やって欲しい事がわかって孤立しがちと言われてた俺が、戦術の意図を理解して連携出来るようになった。さらにその思考をドリブルやパスを仕掛ける時にも活かした。意図を読めば、動きが手に取るように理解できた。そのお陰で仕掛けが上手く行く事が段々増えてきた。
改革を進めた冬が終わりシーズンが始まった。開幕戦はベンチだったけど、後半三十分から出て二ゴールをあげた。この活躍以降はずっとスタメンに定着し、前節までに十二得点九アシストの大活躍。サッカーを知らない人には伝わりにくい数字だけど、わかる人に高く評価されるようになってきた。この活躍で来年はフル代表にと言う話もちらほら聞こえてくる。だけど、今はどうでもいい。チームの優勝が今の自分の大目標。シャーレを掲げる姿を見せられなければ意味がない。そう心に言い聞かせて気を引き締めてきた。俺の活躍とチーム全体の好調もあって、最終節を残して歴代最高の二位につけて、優勝が見えてきた。
「直樹さん! 来週決めますんで見といて下さいね!」
テレビ電話で俺がそう言うと、直樹さんは優しく微笑んだ。
「そうだな。決めてこいよ……幸太郎」
いつもはお前さんだったのに、今日初めて下の名前で呼んでくれた。
「な、直樹さん。なんで俺の名前を……?」
「――なんとなく、だな。俺は現役最後に幸太郎に会えてよかった。あの時の幸太郎はダメダメだった。けど、眩い才能の光に俺は魅了されて、教えたくなったんだ。今の幸太郎は凄く眩しいよ。あの時よりもずっと。最期に見れてよかった」
直樹さんの儚い微笑みが消えるような蝋燭の火に感じた。病室の白の壁紙が余計にそう感じさせてしまう。
「ちょ、直樹さんっ。まだ死ぬんじゃないでしょ?!」
「……それもそうだな。また観れると思うから、今度はシャーレと一緒に見せておくれよ」
また、火が強くなったように感じた。まだ大丈夫だろう。直樹さんは俺がシャーレを掲げる姿をきっと観てくれる。そう強く願った。
絶対に優勝してやる。
そんな青の炎を燃やす想いで臨んでいた試合前。トイレから帰っている時に、番記者さんの話が聞こえてしまった。
「藤井さん、今朝亡くなったらしい」
耳を疑う言葉に、全身の力が抜けた。一週間前、元気だったじゃん。『シャーレ見せてくれ』って笑顔で言ってくれたし、昨日もSIGN (サイン)のチャットで『決めて来い』って励まされたのに……。『最期に見れてよかった』と言ってくれた時の表情が頭から離れない。
「早朝に容態が急変してあっという間って。『幸太郎ありがとう』が最後の言葉だったって……。病室でもずっと試合見てて、東野が活躍したら滅茶苦茶喜んでたらしい……。選手にもだけど、特に東野には秘密に。藤井(ふじい)さんの事だから……な」
「わかってる。俺に触るなみたいな雰囲気あったのに、藤井さんにだけはベッタリだったもん。直樹さん直樹さんって言ってさ。師弟ってより……ごめん。無理」
「俺も、もう」
大人二人が人目もはばからずに泣きながら、肩を支え合って近くの部屋を後にしていた。自分は見つからないように隠れていたが、脚に力が入ってなかったと思う。そこから試合開始までは何も覚えていない。ふらふらした足取りだったのか、ちゃんと歩いていたのか。いや、そもそもあそこから動けたのかどうかすらわからない。何もわからない。周りがどんな顔で今日の戦術だったのかもまるで頭にない。
ピィイイイイイイ!
ホイッスルが鳴った瞬間にハッと意識が戻った。バックパスのトラップをしれっとミスってしまう。今日は相手の寄せが一段と厳しい。降格がかかるから当たり前だが、それ以上にシーズンの疲れとか直樹さんの事とかでより速く見えた。結果何度もボールをロストした。前にボールが運べない。しんどい。きつい。今はサッカーをしたくない。いち早く直樹さんのとこに。
サッカーはどうでも……。でも、今行って直樹さん喜ぶのか? シャーレ持ってない、試合をサボった俺を見て直樹さんどう思う? 怒る? いや、悲しむ。俺の事を眩しいって言った、シャーレと一緒に見せてくれて言った直樹さんに何も持ってなくてサボってきた俺を見せるのか?
ダメだ! 嫌だ! ちゃんと頑張って輝いてる姿を直樹さんに見せたいんだ! 魂はまだこっちにいるはず。今日勝って優勝すれば絶対に見てくれるっ。今日勝つしかない!
気持ちも身体も重い。でも、やらないと。やらなきゃ、見せたい物見せられない。壊れてもうサッカーができなくなってもいい。この勝利だけは譲れない!
「うあおおおおおおおおおっ‼︎‼︎」
声を出して身体を鼓舞して、なんとか動かす。必死に走って、チャンスを作るがゴールネットは揺れない。時間が悪戯に消えていく。
残り五分。攻めたいのに押し込まれている状況。ディフェンスは得意じゃないけど、この時間で失点したら終わり。だから、自分も守備をしている。自陣左サイドでの攻防。エスペリオンの二十八番がボールを持っている。ドリブルでの縦への突破と正確で速いクロスに定評がある。一対一の状況。首を振って状況確認。マークはしっかりしているし、カバーも足りてる。カットインはない。縦突破のはず。横を向いて、俺達のゴール側にじりじりとボールを動かしている。今すぐにでも奪いたい。けど、飛びついたら交わされる。『一対一はドリブラーに後出しされたら負けじゃ』って直樹さんも言ってただろ。だから焦るなと自分に言い聞かせる。間合いを取るが、少し遠い? けど、直樹さんはこの位置でやってたから大丈夫なはず。いや、違う。センターバックの谷田(たにだ)さんから先々週の練習で言われた。
『ナオさんより身体小さいんだから、その間合いじゃ君には遠すぎるよ。もっと近づこうか』って冷静な声で。確かに自分の脚の長さじゃ届かない。間合いを詰めよう。あの時谷田さんからついでに教わった腰を落としつつ上体をできるかぎり上げ、細かいステップを刻みながらじわじわ寄せて仕掛けのタイミングを待つ。慌てるな。ドリブラーは自分から向かってくる奴は怖くない。鴨にならずに、仕掛けさせろ。細かなステップを続けて焦らす。仕掛けた、今だっ。加速し始めた瞬間を狙って一気に寄せる。あの姿勢と予備動作のお陰で素早く動けるし、相手もしっかり見れる。そこに直樹さんが言ってた『仕掛けた時が隙じゃからそこにアタックする』って言う教えを組み合わせただけで守りやすい。ボールは奪えないけど、ゴールまでは運べてない。ただ前に進んでいるだけ。苦し紛れに左脚でクロスを上げようとしてきた。ここも直樹さんが教えてくれた『ブロックは相手に近い脚』で対応する。ボールはゴールラインを割ってコーナーに。本当は取れればよかったけど、悪化させるよりはいい。コーナーの守備に就こう。守って前にボールを運んで点を取れるようにしよう。意気揚々とゴール前に行くと、もう一人のセンターバックでキャプテンの藤原(ふじわら)さんに止められた。
「幸太郎っ。川田(かわだ)さんと前に残ってろ」
ドスの効いた低い声が耳に響いた。藤原さんは滝のような汗を流して息を切らしている。この時間ずっと動いてたのがよくわかる。だから、藤原さんに無理はさせたくない。
「えっ⁈ そしたら守りが薄く――」
自分も守備に就こうとして意見を言おうとしたら、口を抑えられて遮られた。
「どアホ。点が取れんと終いやっ。ゴール前は死ぬ気で守っからを点とって来い!」
珍しく方言を出しつつも、藤原さんは笑っていた。
「あざっす。点取ってきますんで、ボールお願いします」
軽く会釈してゴール前から離れる。
「幸太郎に絶対繋ぐぞ! 身体張ってゴールを意地でも守っぞ!」
藤原さんのいつも以上に激しい檄がゴール前に飛ぶ。残った九人は叫ぶように答えていた。
コーナーからゴール前に上がったクロスをキーパーの森(もり)さんがジャンピングキャッチ。相手は攻めに人数割いていて、ディフェンスは少ないが時間は残り二分。次のチャンスはない。自分へのマークがないどフリーから点が取れなきゃプロ失格。絶対に取ってやる。
「森さん! こっち!」
森さんからの正確で殺人的な速さのフィードでボールが来る。トラップは、流して前に。まだ相手が戻りきれていない。このままドリブルで前に進める方が確実だ。大きくボールを動かしてドリブルをする。さっきまで重かったはずの身体が軽い。今の俺は羽根がちゃんと生えている。サッカー人生の全てを賭けて、無人の右サイドを爆走する。今少しだけ、時が止まっているように感じた。
オフェンスに参加していた相手ディフェンダーが懸命に戻るがまだ追いつきそうもない。そっちは無視。残っていたディフェンダーの四十七番こっちに来る。逆サイドにパスを出すべきか。いや。今のスピードで出しても精度が落ちる。ドリブルで抜く方が確実だ。相手を見る。腰が浮いてるし寄せたのはいいもののずっと後ろに下がってる。表情は焦ってるってのが一目でわかる。こう言う相手はやりやすい。直樹さんなら絶対に腰を落として闘志むき出しで立ち向かってきた。物足りない。未成年で出てるからいい選手だけど、まだ俺は止められない。このレベルを抜けないようじゃ直樹さんに顔向けできない。脚を出してきたから、右に切り返すふりをする。グッと相手の左足が沈む。想像通りの反応ありがとよっ。俺は前に行くから黙ってみてな若造。すぐさま高速で左に切り返すと、四十七番はついていけない。糸のない人形のように倒れ勝負あり。壁のいない道を進むのみだ。首を振って状況確認。残ってたもう一人の相手ディフェンダーは逆サイドの川田さんのマークについてた。
こっちに来るか? いや、あいつは脚が遅いから間に合わない。中途半端に対応してパス出されたらどフリー。それで失点しようもんなら目も当てられない。戦犯待ったなしだし、自分の手で降格なんてさせたくない。ドリブルで進んでヨシだ。そのまま前に運ぶ。丁度雪が吹雪いて視界が狭くなるが関係ない。愚直にボールを前に前に動かすのみ。
楽々とペナルティエリア付近の右サイド側に侵入する。焦った相手キーパーが一か八かで飛び出してのセービング。デカい身体でコースはほぼ消されている。並の選手なら点が取れない。でも、俺なら点を生み出せる。そんな確信が身体中を駆け巡っていた。
伸ばした両腕のボール一個分の隙間にボールを通し、俺は左へ避る。敵は自分だけ。でも、今の俺が自分に負ける程柔じゃない。ボールに追いつき軽く触れて流し込む。無人になったゴールにグラウンダーの優しいシュートが吸い込まれる。その軌跡は白銀のピッチにくっきりと残っていた。
直樹さん……ありがとう直樹さん。
ゴール後のパフォーマンスはいつもはピッチ裏に走る。だけど今日は膝をついて天を見上げ、右手を高々と突き上げた。
『よう決めたっ。それでこそ俺の誇りだ幸太郎!』
元気だった頃の生命力に溢れすぎた熱苦しい直樹さんの声が自分には聞こえてきた。泣きそうだったけど我慢した。まだ全て終わってないから。仲間に揉みくちゃにされている間にホイッスルが高々と鳴り響く。俺達は勝利で終わった。やる事はやった。勝負の土俵には上がれたから後は祈るだけ。今だけ祈祷師に転職しておこう。そう考えた。
直樹さん。あの後結果待ってたんですけど、めっちゃ怖かったっす。ヴァンクルーズの武本(たけもと)のゴール前ドフリーでのボレーシュートを見た時は心臓止まりかけましたよー。でもギリギリでキーパーが弾いて試合が終わってゼロ対一でイロンデルが勝ってくれた。それでウチの逆転で優勝が決まったんっす。イロンデルはうち以上に奇跡的な逆転残留を決めたみたいで、すこぶる喜んでましたよ。あそこは毎年やっててすごくないですか?
ストーンズも谷田さん、藤原さん、川田さんとみんな喜んでたんですけど、俺だけ決まった瞬間泣いちゃって、しばらく立ち上がれなくて……。恥ずかしい姿晒したけどみんな優しかったなあ。事情が事情だったから、みんなわかってくれてたらしいっす。それでシーズンMVPにもなれたんすよ? すごいでしょ? あの日直樹さんが俺の目を醒ましてくれたお陰っすよ。
それより、これが直樹さんの見たかったシャーレっすよ。この重くてデカいのを持ってこれたのも直樹さんが居たから。本当は生きてた時にちゃんと見せたかったんで、そこだけが心残りっすね……。
あと、直樹さんが時々言ってた趣味とかはまだ見つからないっす。直樹さんが言ってた意味は今ならわかりますよ。サッカーだけだと、プレーができなくなった時に他に何もないからもぬけになっちゃう。だから、それ以外の道も見つけろって事っすよね? けど、俺はサッカーばっかやってきたんで世の中の流行りと言うか……色々知らないことだらけっす。だから、それも少しずつ意識してみるっす。藤原さんとか川田さんが競馬場に連れてってくださったんでその辺っすかね。血統やらコースやらフォーメーションやら意味が全くわかんないっすけど。他は、谷田さんの料理とかもありっすかね。手が不器用で包丁の握り方もよくわかってないっすけど。まあその辺はぼちぼちやってきます。
あと……俺、来年も同じくらい活躍できたら欧州に行きます。夢だったし、直樹さんもそのくらい出来るって言ってたから、今度はそこを目指します。ゆくゆくは欧州のチャンピオンズリーグのシャーレもちゃんと見せます。絶対に叶えてもっと大きいもん見せて、欧州からでも直樹さんに届くくらい届ける輝いてみせるん楽しみにしててください! 見守っていて下さい!
直樹さん。ありがとうございました‼︎
わがままを言って持ってきたシャーレを、直樹さんの眠る墓前に飾った。空高く掲げたあの日と同じように、雪がシャーレに降り積もっていた。
俺、東野幸太郎は佐賀ストーンズ所属のプロサッカー選手。JSリーグ一部のリーグ最終節を戦っている。ストーンズの順位は勝ち点差二の二位。勝てば優勝の可能性があるが、首位のヴァンクルーズ神戸が引き分け以上なら二位が確定してしまう。
俺達の相手は降格圏内の十八位のエスペリオン宮城だ。一方のヴァンクルーズは十九位の越谷イロンデルと戦う。両チームとも引き分け以下なら即降格。誰もが負けられない、天国か地獄を決める大一番だ。前半終了時点ではゼロ対ゼロ。ヴァンクルーズはイロンデルにゼロ対一でリードされている。このままじゃヴァンクルーズ優勝が決まってしまう。
後半も三十分が過ぎた。残りは十五分とアディショナルタイムのみ。異常な寒さと、フルシーズンやってきた疲れで脚が重い。今の俺は地面を這いつくばる死にかけの虫だ。ボールがピッチ外に出たのを確認してから、膝に手をつく。荒れた息を整えよう。大袈裟に深呼吸をする。
スタンドを見上げればチームカラーの青とピンクのストーンズのフラッグが、吹雪を切り裂くように振られている。空席は見当たらないし、チャントも耳にしっかり届く。めちゃくちゃ寒いのに来てくれてありがたい。頭には薄らと雪が積もっているのに誰も振り払わずに、ずっと飛んで跳ねて大声を張っている。極寒に負けないくらい熱い人達だ。だから俺は寒さを感じないんだろう。この熱いサポーター達に報いなきゃいけない。大変な仕事だな、サッカー選手は。
俺、今体力限界だけど直樹さんの言うこと、もっと早く聞いてたら今こんなに苦しくなかったのかな。直樹さんはこんな時どうやって脚動かしてたのか教えて欲しいっす。どうやってサポーターの声に応えてたのか。俺は天を見上げた。そうっすよね。『苦しい時こそ、強く動かせ、身体全てを意識しろ』っすよね。俺はピッチに目を戻し、ひたすらに身体全部を動かした。
二年前の話だ。俺はサッカーを始めた頃からミッドフィルダーをやっていて、小六でフル代表入り待ったなしと言われる程評価されてた選手だった。高校は学校のチームに所属して一年から活躍。三年時にはユースも交えた高円宮杯と選手権のどちらも制し、優秀選手にも選ばれた。中学で既に色んなチームから声を掛けられたが、ストーンズを選んだ。他のチーム倍くらい給料高いのにと言う人もいたが、ストーンズは海外移籍しやすい。しかも若手起用も積極的な育成型クラブ。戦術もテクニックが武器の自分にピッタリ。ここで早いうちから試合に出て活躍して、それで海外に行けばすぐに取り返せるし、ブランドがつけばそれ以上にもらえるはず。そう考えていた。けど、それは蜂蜜よりも甘い考えだった。
相手を闘牛士のようにいなそうにも、寄せが早すぎて何もさせてもらえない。ドリブルもディフェンスも、身体を当てられたら簡単に弾き飛ばされる。高校サッカーのスターは、プロでは練習用のカラーコーンでしかなく、公式戦にはほとんど出られなかった。入団後三年間ずっとその状態で、俺の評価は地の底にまで落ちた。高校がピークの超早熟だったとか、消えた終わった天才だとか言われたい放題。心は荒んでいった。
直樹さんは移籍でこのチームに来た三十八歳の選手だった。メインはセンターバックで、他のポジションも満遍なくできる。背も高く、パワー、スピード、テクニックにサッカーIQも十分。世代別を含めても代表経験はないが、どのチームでもほぼ全試合に出ている。"替えの効かない男”と呼ばれ、前年の活躍が評価されての移籍。当時は間違いなく俺よりも格上の選手だった。
「おい! なにちんたら走っとんのじゃ! ちゃんと走らんか!」
その年の二月の沖縄キャンプで直樹さんにはじめてかけられた言葉がこれだった。普通は直樹さんレベルの選手に言われたら平謝りしてちゃんとするが、俺は反発して殴り合い寸前の喧嘩になった。
『世代別にもなれなかったザコに言われたくねえ』
高校時代の栄光でぶくぶく太ったプライドが邪魔をしていた。以降も練習態度と食生活とかを口酸っぱく指摘されたが、全部無視した。
五月のある日の夕方。試合後にも関わらず、練習場で一対一をやろうと誘われた。直樹さんはフル出場した試合の後。俺はアップしかしてなくて疲れてない。しかも身体はいい具合に暖まっている。条件では俺が超有利。どう見積もっても勝てるはずの勝負だったが、俺は全く抜けなかった。それどころか、センターバックがメインの直樹さんのドリブルすら止められなかった。
「選手権で凄かったのは俺も知っとる。とんでもねえプレー連発してたし、今でも偉大な選手になれる才能を十二分に感じる。でも、今のお前さんは疲れたロートルにさえ勝てない。ぴっかぴかの才能が錆びれて泣いとる。今やり直して真剣に取り組まんと、お前さんのサッカー人生は遅くとも来年には終わる。けど、俺の言うこと聞けばちゃんと輝けるし、海外のビッグクラブも夢じゃない。チンケなプライドと、過去の栄光に縋るより俺に縋ってみんか?」
失敗だらけの現実とこの言葉で、俺は直樹さんの言う事を聞く事にした。食事はファストフード中心から野菜と肉を中心に。もちろん直樹さんが信頼してる栄養士さんの指導に従って。トレーニングも筋トレ、体幹・自重トレーニング、ダッシュなどを多くした。今までボールしか使わなかった練習を一変させた。最初はできない事だらけだった。直樹さんが軽々と上げる重さすら持ち上げられないし、ダッシュやランニングの目標タイムも切れない。でも、直樹さんは冷静な意見は言うが怒鳴ったり否定したりはしなかった。できることが増えれば、ようできとる、よう頑張ったと褒めてくれた。試合に挑むメンタルも教えてくれたし、メンタルコーチも紹介してくれた。直樹さんは普段からサッカーの事をずっと考えていた。移動中も次の対戦相手の動画を見て分析してるし、時々家にお邪魔しても自分に気づかずに筋トレかランニングマシンで走ってる。食事もレシピをただ作るだけじゃなくて素材から拘っている。ここまでやるからどこに行っても活躍できるに決まってるんだと、自分は直樹さんを尊敬し始めた。それから、普段の私生活もサッカーの要素を強くして、直樹さんと同じくらい考えるようにして行った。もっとも『お前さんは天才だからそこまでせんでいい。趣味やプライベートも大事にせい』とやんわり注意はされたけど。
ここまで本気で取り組んだら少しずつ、フィジカルとメンタルが変わっていった。紅白戦や普段の練習でもアピールができて、シーズン終盤にリーグ戦に五試合スタメンで出場。ターンオーバー役でしかなかったカップ戦の重要な試合でもスタメンで起用された。リーグ・カップ戦合わせて四ゴール四アシストと、これ以上ない結果を残せた。直樹さんも活躍する度に自分の事のように喜んでくれた。サッカーは自分の為にするものが俺の哲学。けど、本気で自分の心が嬉しいと思えていたんだ。
この活躍なら、来年からはもっとイケる。直樹さんと一緒にもっと活躍して、シャーレを掲げる事もできるはず! 直樹さんが一度も味わった事のない優勝と透明なあのシャーレを絶対に掲げさせたい。そう思ってたけど、直樹さんはシーズン終了後に突然引退を表明した。俺にも選手の誰にも何も言わずにスパイクを脱いごうとした。最近体調が悪いって言ってトレーニング量を減らしてたり、休んでたりしてたけど、プレーはまだまだ一線級。それに『優勝したい』『お前さんと一緒にもっと出たいねえ』って言ってたのに突然引退するなんて許せないっ。怒った俺は練習用のグラウンドに直樹さんを呼び出した。なんとか説得して引退を撤回してもらう為だ。夕方頃に直樹さんが来た。
「実家が商売やってて今すぐに後継が必要らしい。年齢も年齢だから、俺のサッカー人生はここまでだ」
直樹さんはさっぱりとした顔とかっちりとしたスーツ姿で俺に言った。生活の全てをサッカーに捧げる直樹さんがこんな顔で言うのだから、俺如きじゃ決意は覆せないと一瞬で理解してしまった。
「しばらく勉強で連絡できん、だけど、お前さんのプレーだけは絶対に見る。活躍、楽しみにしてるぞ。俺の分までピッチを駆け抜けてくれ。お前さんのプレーでサポーターを沸かせて、シャーレを見せてやってくれ」
闘志に満ち溢れた厳つい顔の直樹さんが、あの時から消えそうな声と険しさが微塵もない柔らかい顔になっていた事を今でも覚えている。八十過ぎた近所の優しいおじいちゃんのように感じた。あの日も今日と同じくらい雪が降っていた。
直樹さん引退後の翌シーズンはレギュラーにはなれた。直樹さんの言ってたメニューは完璧にしたし、食生活もメンタルトレーニングも続けた。けど、物足りない。悪くはないけど、前年終盤見せた圧倒的なパフォーマンスからは程遠い。一瞬だけだったねと、心無い野次もわかりやすく聞こえてきた。フロントも俺だけじゃ優勝は無理と判断して、同じポジションで同じスタイルの選手を完全移籍で獲得した。俺は直樹さんがいないとダメなのか……。そんな悶々とした気持ちでシーズンを終えた。
年末。見知らぬ番号からの電話が鳴る。嫌な予感が……。出たくない。出たくなかったけど、出てしまった。当たらない方がいい予感だった。直樹さんは重い病気で引退して現状では助からない。いつ死んでもおかしくないと。電話が終わると、雨の中俺は走り出していた。どこに行く目的もなく。びしょ濡れになりながら、ただ闇雲に街頭の薄明かりを頼りに。どうすればいい、どうしたらいいかわからない。直樹さん居ないとダメなのに……。でも、こんな俺を見たら直樹さん絶対に悲しむ。でもどうすれば……。
――優勝するしかない。俺がシャーレを掲げた姿を直樹さんに見せるんだ。それなら直樹さんも報われるし、感謝も伝えられる。それしかない! 覚悟を決めた俺は再び走り出した。それからは猛練習に励んだ。昔直樹さんが言ってたある言葉を思い出して。
『俺だけを盲信すんな。上手くいかなくない時が長くなったら、必ず疑って試行錯誤する。それが大事じゃ』
だから他の選手とも話すようにした。今まであまり話さなかった他の選手とも、言語、ポジション、敵味方問わずに。監督やコーチにも迷えば積極的に聞いて、いいと思ったものを取り入れていった。合わなければ戻して調整もした。副産物にはなるけど、他のポジションの人や監督達が考えている事がよくわかるようになった。やって欲しい事がわかって孤立しがちと言われてた俺が、戦術の意図を理解して連携出来るようになった。さらにその思考をドリブルやパスを仕掛ける時にも活かした。意図を読めば、動きが手に取るように理解できた。そのお陰で仕掛けが上手く行く事が段々増えてきた。
改革を進めた冬が終わりシーズンが始まった。開幕戦はベンチだったけど、後半三十分から出て二ゴールをあげた。この活躍以降はずっとスタメンに定着し、前節までに十二得点九アシストの大活躍。サッカーを知らない人には伝わりにくい数字だけど、わかる人に高く評価されるようになってきた。この活躍で来年はフル代表にと言う話もちらほら聞こえてくる。だけど、今はどうでもいい。チームの優勝が今の自分の大目標。シャーレを掲げる姿を見せられなければ意味がない。そう心に言い聞かせて気を引き締めてきた。俺の活躍とチーム全体の好調もあって、最終節を残して歴代最高の二位につけて、優勝が見えてきた。
「直樹さん! 来週決めますんで見といて下さいね!」
テレビ電話で俺がそう言うと、直樹さんは優しく微笑んだ。
「そうだな。決めてこいよ……幸太郎」
いつもはお前さんだったのに、今日初めて下の名前で呼んでくれた。
「な、直樹さん。なんで俺の名前を……?」
「――なんとなく、だな。俺は現役最後に幸太郎に会えてよかった。あの時の幸太郎はダメダメだった。けど、眩い才能の光に俺は魅了されて、教えたくなったんだ。今の幸太郎は凄く眩しいよ。あの時よりもずっと。最期に見れてよかった」
直樹さんの儚い微笑みが消えるような蝋燭の火に感じた。病室の白の壁紙が余計にそう感じさせてしまう。
「ちょ、直樹さんっ。まだ死ぬんじゃないでしょ?!」
「……それもそうだな。また観れると思うから、今度はシャーレと一緒に見せておくれよ」
また、火が強くなったように感じた。まだ大丈夫だろう。直樹さんは俺がシャーレを掲げる姿をきっと観てくれる。そう強く願った。
絶対に優勝してやる。
そんな青の炎を燃やす想いで臨んでいた試合前。トイレから帰っている時に、番記者さんの話が聞こえてしまった。
「藤井さん、今朝亡くなったらしい」
耳を疑う言葉に、全身の力が抜けた。一週間前、元気だったじゃん。『シャーレ見せてくれ』って笑顔で言ってくれたし、昨日もSIGN (サイン)のチャットで『決めて来い』って励まされたのに……。『最期に見れてよかった』と言ってくれた時の表情が頭から離れない。
「早朝に容態が急変してあっという間って。『幸太郎ありがとう』が最後の言葉だったって……。病室でもずっと試合見てて、東野が活躍したら滅茶苦茶喜んでたらしい……。選手にもだけど、特に東野には秘密に。藤井(ふじい)さんの事だから……な」
「わかってる。俺に触るなみたいな雰囲気あったのに、藤井さんにだけはベッタリだったもん。直樹さん直樹さんって言ってさ。師弟ってより……ごめん。無理」
「俺も、もう」
大人二人が人目もはばからずに泣きながら、肩を支え合って近くの部屋を後にしていた。自分は見つからないように隠れていたが、脚に力が入ってなかったと思う。そこから試合開始までは何も覚えていない。ふらふらした足取りだったのか、ちゃんと歩いていたのか。いや、そもそもあそこから動けたのかどうかすらわからない。何もわからない。周りがどんな顔で今日の戦術だったのかもまるで頭にない。
ピィイイイイイイ!
ホイッスルが鳴った瞬間にハッと意識が戻った。バックパスのトラップをしれっとミスってしまう。今日は相手の寄せが一段と厳しい。降格がかかるから当たり前だが、それ以上にシーズンの疲れとか直樹さんの事とかでより速く見えた。結果何度もボールをロストした。前にボールが運べない。しんどい。きつい。今はサッカーをしたくない。いち早く直樹さんのとこに。
サッカーはどうでも……。でも、今行って直樹さん喜ぶのか? シャーレ持ってない、試合をサボった俺を見て直樹さんどう思う? 怒る? いや、悲しむ。俺の事を眩しいって言った、シャーレと一緒に見せてくれて言った直樹さんに何も持ってなくてサボってきた俺を見せるのか?
ダメだ! 嫌だ! ちゃんと頑張って輝いてる姿を直樹さんに見せたいんだ! 魂はまだこっちにいるはず。今日勝って優勝すれば絶対に見てくれるっ。今日勝つしかない!
気持ちも身体も重い。でも、やらないと。やらなきゃ、見せたい物見せられない。壊れてもうサッカーができなくなってもいい。この勝利だけは譲れない!
「うあおおおおおおおおおっ‼︎‼︎」
声を出して身体を鼓舞して、なんとか動かす。必死に走って、チャンスを作るがゴールネットは揺れない。時間が悪戯に消えていく。
残り五分。攻めたいのに押し込まれている状況。ディフェンスは得意じゃないけど、この時間で失点したら終わり。だから、自分も守備をしている。自陣左サイドでの攻防。エスペリオンの二十八番がボールを持っている。ドリブルでの縦への突破と正確で速いクロスに定評がある。一対一の状況。首を振って状況確認。マークはしっかりしているし、カバーも足りてる。カットインはない。縦突破のはず。横を向いて、俺達のゴール側にじりじりとボールを動かしている。今すぐにでも奪いたい。けど、飛びついたら交わされる。『一対一はドリブラーに後出しされたら負けじゃ』って直樹さんも言ってただろ。だから焦るなと自分に言い聞かせる。間合いを取るが、少し遠い? けど、直樹さんはこの位置でやってたから大丈夫なはず。いや、違う。センターバックの谷田(たにだ)さんから先々週の練習で言われた。
『ナオさんより身体小さいんだから、その間合いじゃ君には遠すぎるよ。もっと近づこうか』って冷静な声で。確かに自分の脚の長さじゃ届かない。間合いを詰めよう。あの時谷田さんからついでに教わった腰を落としつつ上体をできるかぎり上げ、細かいステップを刻みながらじわじわ寄せて仕掛けのタイミングを待つ。慌てるな。ドリブラーは自分から向かってくる奴は怖くない。鴨にならずに、仕掛けさせろ。細かなステップを続けて焦らす。仕掛けた、今だっ。加速し始めた瞬間を狙って一気に寄せる。あの姿勢と予備動作のお陰で素早く動けるし、相手もしっかり見れる。そこに直樹さんが言ってた『仕掛けた時が隙じゃからそこにアタックする』って言う教えを組み合わせただけで守りやすい。ボールは奪えないけど、ゴールまでは運べてない。ただ前に進んでいるだけ。苦し紛れに左脚でクロスを上げようとしてきた。ここも直樹さんが教えてくれた『ブロックは相手に近い脚』で対応する。ボールはゴールラインを割ってコーナーに。本当は取れればよかったけど、悪化させるよりはいい。コーナーの守備に就こう。守って前にボールを運んで点を取れるようにしよう。意気揚々とゴール前に行くと、もう一人のセンターバックでキャプテンの藤原(ふじわら)さんに止められた。
「幸太郎っ。川田(かわだ)さんと前に残ってろ」
ドスの効いた低い声が耳に響いた。藤原さんは滝のような汗を流して息を切らしている。この時間ずっと動いてたのがよくわかる。だから、藤原さんに無理はさせたくない。
「えっ⁈ そしたら守りが薄く――」
自分も守備に就こうとして意見を言おうとしたら、口を抑えられて遮られた。
「どアホ。点が取れんと終いやっ。ゴール前は死ぬ気で守っからを点とって来い!」
珍しく方言を出しつつも、藤原さんは笑っていた。
「あざっす。点取ってきますんで、ボールお願いします」
軽く会釈してゴール前から離れる。
「幸太郎に絶対繋ぐぞ! 身体張ってゴールを意地でも守っぞ!」
藤原さんのいつも以上に激しい檄がゴール前に飛ぶ。残った九人は叫ぶように答えていた。
コーナーからゴール前に上がったクロスをキーパーの森(もり)さんがジャンピングキャッチ。相手は攻めに人数割いていて、ディフェンスは少ないが時間は残り二分。次のチャンスはない。自分へのマークがないどフリーから点が取れなきゃプロ失格。絶対に取ってやる。
「森さん! こっち!」
森さんからの正確で殺人的な速さのフィードでボールが来る。トラップは、流して前に。まだ相手が戻りきれていない。このままドリブルで前に進める方が確実だ。大きくボールを動かしてドリブルをする。さっきまで重かったはずの身体が軽い。今の俺は羽根がちゃんと生えている。サッカー人生の全てを賭けて、無人の右サイドを爆走する。今少しだけ、時が止まっているように感じた。
オフェンスに参加していた相手ディフェンダーが懸命に戻るがまだ追いつきそうもない。そっちは無視。残っていたディフェンダーの四十七番こっちに来る。逆サイドにパスを出すべきか。いや。今のスピードで出しても精度が落ちる。ドリブルで抜く方が確実だ。相手を見る。腰が浮いてるし寄せたのはいいもののずっと後ろに下がってる。表情は焦ってるってのが一目でわかる。こう言う相手はやりやすい。直樹さんなら絶対に腰を落として闘志むき出しで立ち向かってきた。物足りない。未成年で出てるからいい選手だけど、まだ俺は止められない。このレベルを抜けないようじゃ直樹さんに顔向けできない。脚を出してきたから、右に切り返すふりをする。グッと相手の左足が沈む。想像通りの反応ありがとよっ。俺は前に行くから黙ってみてな若造。すぐさま高速で左に切り返すと、四十七番はついていけない。糸のない人形のように倒れ勝負あり。壁のいない道を進むのみだ。首を振って状況確認。残ってたもう一人の相手ディフェンダーは逆サイドの川田さんのマークについてた。
こっちに来るか? いや、あいつは脚が遅いから間に合わない。中途半端に対応してパス出されたらどフリー。それで失点しようもんなら目も当てられない。戦犯待ったなしだし、自分の手で降格なんてさせたくない。ドリブルで進んでヨシだ。そのまま前に運ぶ。丁度雪が吹雪いて視界が狭くなるが関係ない。愚直にボールを前に前に動かすのみ。
楽々とペナルティエリア付近の右サイド側に侵入する。焦った相手キーパーが一か八かで飛び出してのセービング。デカい身体でコースはほぼ消されている。並の選手なら点が取れない。でも、俺なら点を生み出せる。そんな確信が身体中を駆け巡っていた。
伸ばした両腕のボール一個分の隙間にボールを通し、俺は左へ避る。敵は自分だけ。でも、今の俺が自分に負ける程柔じゃない。ボールに追いつき軽く触れて流し込む。無人になったゴールにグラウンダーの優しいシュートが吸い込まれる。その軌跡は白銀のピッチにくっきりと残っていた。
直樹さん……ありがとう直樹さん。
ゴール後のパフォーマンスはいつもはピッチ裏に走る。だけど今日は膝をついて天を見上げ、右手を高々と突き上げた。
『よう決めたっ。それでこそ俺の誇りだ幸太郎!』
元気だった頃の生命力に溢れすぎた熱苦しい直樹さんの声が自分には聞こえてきた。泣きそうだったけど我慢した。まだ全て終わってないから。仲間に揉みくちゃにされている間にホイッスルが高々と鳴り響く。俺達は勝利で終わった。やる事はやった。勝負の土俵には上がれたから後は祈るだけ。今だけ祈祷師に転職しておこう。そう考えた。
直樹さん。あの後結果待ってたんですけど、めっちゃ怖かったっす。ヴァンクルーズの武本(たけもと)のゴール前ドフリーでのボレーシュートを見た時は心臓止まりかけましたよー。でもギリギリでキーパーが弾いて試合が終わってゼロ対一でイロンデルが勝ってくれた。それでウチの逆転で優勝が決まったんっす。イロンデルはうち以上に奇跡的な逆転残留を決めたみたいで、すこぶる喜んでましたよ。あそこは毎年やっててすごくないですか?
ストーンズも谷田さん、藤原さん、川田さんとみんな喜んでたんですけど、俺だけ決まった瞬間泣いちゃって、しばらく立ち上がれなくて……。恥ずかしい姿晒したけどみんな優しかったなあ。事情が事情だったから、みんなわかってくれてたらしいっす。それでシーズンMVPにもなれたんすよ? すごいでしょ? あの日直樹さんが俺の目を醒ましてくれたお陰っすよ。
それより、これが直樹さんの見たかったシャーレっすよ。この重くてデカいのを持ってこれたのも直樹さんが居たから。本当は生きてた時にちゃんと見せたかったんで、そこだけが心残りっすね……。
あと、直樹さんが時々言ってた趣味とかはまだ見つからないっす。直樹さんが言ってた意味は今ならわかりますよ。サッカーだけだと、プレーができなくなった時に他に何もないからもぬけになっちゃう。だから、それ以外の道も見つけろって事っすよね? けど、俺はサッカーばっかやってきたんで世の中の流行りと言うか……色々知らないことだらけっす。だから、それも少しずつ意識してみるっす。藤原さんとか川田さんが競馬場に連れてってくださったんでその辺っすかね。血統やらコースやらフォーメーションやら意味が全くわかんないっすけど。他は、谷田さんの料理とかもありっすかね。手が不器用で包丁の握り方もよくわかってないっすけど。まあその辺はぼちぼちやってきます。
あと……俺、来年も同じくらい活躍できたら欧州に行きます。夢だったし、直樹さんもそのくらい出来るって言ってたから、今度はそこを目指します。ゆくゆくは欧州のチャンピオンズリーグのシャーレもちゃんと見せます。絶対に叶えてもっと大きいもん見せて、欧州からでも直樹さんに届くくらい届ける輝いてみせるん楽しみにしててください! 見守っていて下さい!
直樹さん。ありがとうございました‼︎
わがままを言って持ってきたシャーレを、直樹さんの眠る墓前に飾った。空高く掲げたあの日と同じように、雪がシャーレに降り積もっていた。
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