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午睡の夢

ー/ー



 久々に昼寝で悪夢に起こされた。

 夢の中でも、私は自室で眠っていた。
 視点が俯瞰になることもなかったので、私はそれが夢とは気づいていなかった。

 今思えば、やけに部屋が明るくて、障子窓は朝のような濁りなき光を、真っ白な漆喰壁を仲介させて広げていた。それが妙とも、この時の私は思わなかった。

 夢の中、私は掛け布団にくるまっていた。
 今日は少し冷えていたから、薄いものも含めて4枚が、私と外界とを隔てていた。

 瞼を閉じているのか、開いているのかは分からなかった。今思い返しても、まるで瞼というものそのものが、その概念が失われていたように、私は寝ながらも部屋の中を見るでもなく見ていた。

 気配がした。知らない足音なら当然警戒しただろうに、私はなぜかその足音を無警戒に耳にしていた。
 まるで雑踏の色々の音をぼんやりと耳にしているような、雨音を聴くでもなく聞いているような、そんな“あって当然”のものが聞こえているという感覚だったと思う。

 誰かの気配は、そのまま部屋へと入って来た。なんの躊躇いもなく、それこそ家族か恋人かという無警戒さで。
 だから、私は何の反応もできなかった。

 その侵入者は、私のすぐ近くまで歩み寄った。そして、掛け布団に包まる私を揺すり起こすでもなく、不思議と掛け布団そのものを、一枚ずつ上手に剥がしていった。

 乱暴さはなく、妙に親しみと慈しみすら感じる、それは乱暴とか乱雑とは縁のない所作だったと思う。まるで一枚ずつが羽のように浮かぶように、一切の刺激もなく、ただこの身を包む重さが消えてゆく。

 そうして、軽くなった身体を包む最後の一枚が残った。
少し肌寒さを感じ、私は頑なにその一枚を捕まえて、顔までも覆っていたと思う。
 だから、私はこの時点でいまだに、その侵入者が誰であるかを把握していなかった。

 ふと、まだ小さかった頃の妹が、私に遊んで欲しくなるとこうした起こし方をしたことを思い出した。だから、何となくその何者かは女性である気がしていた。

 その何者かは、嫌がる私の徹底した防御体制に方針を転換したのか、はたまた元よりそうするつもりであったのか、浮かべたはずの掛け布団を、また優しく、ふわりと、一枚ずつ丁寧に掛けてくれた。

 安心感をもたらす適度な重みと、懐かしい温もりが帰ってくる。そうしてまどろみを強くしたとき、なんとその人物は再び掛け直した掛け布団を順に剥いでいった。

 夢の中の私も、流石に籠城をやめにして、ぼんやりした頭のままに顔を部屋の空気に晒して…………その黒い女と対面した。

 見下ろされている。顔が近い。座っているのか、しゃがんでいるのか。
 黒い、ワンピースだったと思う。
 黒く長い髪が、私の顔の輪郭をなぞるように垂れ落ちていたのがくすぐったかった。

 女の顔だけが、真っ黒に影になって見えなかった。背後に太陽があるでもないのに、ともかく私を見下ろす女は、見えているはずなの誰であるかをまるで詳らかにしなかった。

 白い腕が、私の頭の両脇から生えて、女のこれまた白い肩へ接続し、そのシルエットだけの上体を支えていた。両手をついているということらしい。

 なにか、顔にパラパラと落ちてくるものを感じる。
 それは、いつか入った露天風呂の記憶を想起させた。雪の降りしきる夜。他に誰もいない中、貸切状態で空を見上げたあの夜、顔にチクチク感じた冷たいカケラ。雪の結晶もあれば、湯気の熱に溶かされて水滴となって降ったものもあった。

 次いで思い出されたのは、陸上部での一場面だった。前を走る誰かの背中。一定を保つ“ザ”という地を踏む音と、“シュ”という砂土を後ろへ蹴り上げる音。
 “ハッ”という吐息に、その度に身体がわずかに浮遊する。内臓だけが慣性にしたがって地へと落ちたがるのが、私という箱の底にぶつかり、遅れて腹中で跳ね上がる。

 顔には前を走る誰かの跳ねた土が、これも痒みと痛みを伴って降りかかる。

 だが、そのどの感触とも違う“パラパラ”に、私は曝されていた。
 今思い返すと、河川敷を自転車で走るときに感じる、羽虫の群れを突っ切るような感触だった。きっと間違いなく、本当にそっくりそのままだった。

 顔が痒くなり、私は腕に力を入れて、そうして身体が動かないことを知った。
 ようやく不吉さを感じ、私はより一層に力を込めようと身を捩るが、痺れを自覚できた以外に、何らの成果も得られなかった。

 それでも、我ながら冷静だったと思う。
 私は懸命に、ゆっくりと、深く呼吸をして酸素を身体に巡らせようと努めた。

 何度かそうしても、これといった効果を得られないことに気づくや、今度は声を出そうとした。

 喉の奥からカラカラに乾いているらしく、ひどくしゃがれた声だった。

「ぁ……ぇ」

 それしか出なかった。
 乾いた舌が、上顎にへばりついていた。
 今思うとこの声は、きっと私自身の寝言であったのだろう。

 徐々に苦しくなり、視界が端から暗くなって来る。
 死ぬのだと思って、私は何か幽霊とか妖怪とか、何かそうした不条理な存在を招いてしまったのだと観念し、死を受け入れて————目が覚めた。

 部屋はすっかり暗くなっていた。
 外はすっかり夜だった。

 汗に塗れていることを自覚し、私は読書机の上から水を取り、コップも使わず飲み干した。

 ついさっきのことである。


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 夢の中でも、私は自室で眠っていた。
 視点が俯瞰になることもなかったので、私はそれが夢とは気づいていなかった。
 今思えば、やけに部屋が明るくて、障子窓は朝のような濁りなき光を、真っ白な漆喰壁を仲介させて広げていた。それが妙とも、この時の私は思わなかった。
 夢の中、私は掛け布団にくるまっていた。
 今日は少し冷えていたから、薄いものも含めて4枚が、私と外界とを隔てていた。
 瞼を閉じているのか、開いているのかは分からなかった。今思い返しても、まるで瞼というものそのものが、その概念が失われていたように、私は寝ながらも部屋の中を見るでもなく見ていた。
 気配がした。知らない足音なら当然警戒しただろうに、私はなぜかその足音を無警戒に耳にしていた。
 まるで雑踏の色々の音をぼんやりと耳にしているような、雨音を聴くでもなく聞いているような、そんな“あって当然”のものが聞こえているという感覚だったと思う。
 誰かの気配は、そのまま部屋へと入って来た。なんの躊躇いもなく、それこそ家族か恋人かという無警戒さで。
 だから、私は何の反応もできなかった。
 その侵入者は、私のすぐ近くまで歩み寄った。そして、掛け布団に包まる私を揺すり起こすでもなく、不思議と掛け布団そのものを、一枚ずつ上手に剥がしていった。
 乱暴さはなく、妙に親しみと慈しみすら感じる、それは乱暴とか乱雑とは縁のない所作だったと思う。まるで一枚ずつが羽のように浮かぶように、一切の刺激もなく、ただこの身を包む重さが消えてゆく。
 そうして、軽くなった身体を包む最後の一枚が残った。
少し肌寒さを感じ、私は頑なにその一枚を捕まえて、顔までも覆っていたと思う。
 だから、私はこの時点でいまだに、その侵入者が誰であるかを把握していなかった。
 ふと、まだ小さかった頃の妹が、私に遊んで欲しくなるとこうした起こし方をしたことを思い出した。だから、何となくその何者かは女性である気がしていた。
 その何者かは、嫌がる私の徹底した防御体制に方針を転換したのか、はたまた元よりそうするつもりであったのか、浮かべたはずの掛け布団を、また優しく、ふわりと、一枚ずつ丁寧に掛けてくれた。
 安心感をもたらす適度な重みと、懐かしい温もりが帰ってくる。そうしてまどろみを強くしたとき、なんとその人物は再び掛け直した掛け布団を順に剥いでいった。
 夢の中の私も、流石に籠城をやめにして、ぼんやりした頭のままに顔を部屋の空気に晒して…………その黒い女と対面した。
 見下ろされている。顔が近い。座っているのか、しゃがんでいるのか。
 黒い、ワンピースだったと思う。
 黒く長い髪が、私の顔の輪郭をなぞるように垂れ落ちていたのがくすぐったかった。
 女の顔だけが、真っ黒に影になって見えなかった。背後に太陽があるでもないのに、ともかく私を見下ろす女は、見えているはずなの誰であるかをまるで詳らかにしなかった。
 白い腕が、私の頭の両脇から生えて、女のこれまた白い肩へ接続し、そのシルエットだけの上体を支えていた。両手をついているということらしい。
 なにか、顔にパラパラと落ちてくるものを感じる。
 それは、いつか入った露天風呂の記憶を想起させた。雪の降りしきる夜。他に誰もいない中、貸切状態で空を見上げたあの夜、顔にチクチク感じた冷たいカケラ。雪の結晶もあれば、湯気の熱に溶かされて水滴となって降ったものもあった。
 次いで思い出されたのは、陸上部での一場面だった。前を走る誰かの背中。一定を保つ“ザ”という地を踏む音と、“シュ”という砂土を後ろへ蹴り上げる音。
 “ハッ”という吐息に、その度に身体がわずかに浮遊する。内臓だけが慣性にしたがって地へと落ちたがるのが、私という箱の底にぶつかり、遅れて腹中で跳ね上がる。
 顔には前を走る誰かの跳ねた土が、これも痒みと痛みを伴って降りかかる。
 だが、そのどの感触とも違う“パラパラ”に、私は曝されていた。
 今思い返すと、河川敷を自転車で走るときに感じる、羽虫の群れを突っ切るような感触だった。きっと間違いなく、本当にそっくりそのままだった。
 顔が痒くなり、私は腕に力を入れて、そうして身体が動かないことを知った。
 ようやく不吉さを感じ、私はより一層に力を込めようと身を捩るが、痺れを自覚できた以外に、何らの成果も得られなかった。
 それでも、我ながら冷静だったと思う。
 私は懸命に、ゆっくりと、深く呼吸をして酸素を身体に巡らせようと努めた。
 何度かそうしても、これといった効果を得られないことに気づくや、今度は声を出そうとした。
 喉の奥からカラカラに乾いているらしく、ひどくしゃがれた声だった。
「ぁ……ぇ」
 それしか出なかった。
 乾いた舌が、上顎にへばりついていた。
 今思うとこの声は、きっと私自身の寝言であったのだろう。
 徐々に苦しくなり、視界が端から暗くなって来る。
 死ぬのだと思って、私は何か幽霊とか妖怪とか、何かそうした不条理な存在を招いてしまったのだと観念し、死を受け入れて————目が覚めた。
 部屋はすっかり暗くなっていた。
 外はすっかり夜だった。
 汗に塗れていることを自覚し、私は読書机の上から水を取り、コップも使わず飲み干した。
 ついさっきのことである。