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4.アドリブ

ー/ー



 再度尋ねてくるケイトに、ミルドレッドは冷や汗が止まらない。何か適当な名前をでっち上げねばと思うがこんな時に限って何も出てこない。と、後ろから誰かがミルドレッドの肩をがしりとつかんだ。ユージーンだ。ミルドレッドはわけもなくほっとした。

「ミリー。ミリーお嬢様とおっしゃいます。私は側近のユージーン。―― どうか身分に関しては詮索なさいませんよう」
「ミリーとユージーン、良い名前ね。もちろん詮索なんて野暮なことしないわ」

 ミリーはミルドレッドの愛称だ。ユージーンの言葉にケイトは笑いながら返した。団員がミルドレッドに合うよう衣装に簡易的な処置を施している間に、ミルドレッドとユージーンは一旦広場に戻る。

「さっきは助かったわ」

 ミルドレッドが礼を言うが、ユージーンはむっつりとした顔を崩さない。

「納得はしていません。このままあなたをむりやり馬車に乗せることだって考えています」
「それをはっきり私に向かって言ってしまうのがユージーンだわ」

 姫に指摘され、ユージーンはぱっと頬を染めた。どうやら無自覚だったらしい。ミルドレッドはその反応に微笑みながら口を開いた。

「さっきここで、私とそう変わらない歳の子たちがいたでしょう」

 彼女が見るのは狭く暗い路地だ。

「文字が読めないけれど、劇なら本と違って字を読む必要がないって、だから楽しいって、そういう話をしていたわ。今日やっと休みがもらえたから観に行くんだって」

 ユージーンは黙り込む。

「字を読めない苦労なんて私にはまったく想像もつかないけれど、物語に出会うよろこびなら誰よりもよくわかるわ」

 ミルドレッドはそのまま、馬丁やほかの従者たちを説得しに向かった。ベンジャミン王子のような知識も、まして先ほどのユージーンのような順序だてて話す要領の良さも、何ひとつなかったが、彼女は不思議な説得力を持ってユージーンを含めた全員を納得させてしまった。
 小屋に戻るともうすでにほとんどの準備が終わっていた。

「緊張する」
「大丈夫、何かあればみんながフォローするわ」

 落ち着かない様子でこぼすミルドレッドに、ケイトが木箱に乗ったまま言う。
 少ない費用で必死にやりくりして作られたであろう衣装を身にまとったミルドレッドは、良くも悪くも一国一城の姫君には見えない。

「変じゃない? ユージーン」
「ええ。…… よくお似合いです」

 正直に言うと、従者たちを説得するミルドレッドは父王エイドリアンに似ていた。あの堂々とした声や立ち居振る舞いは、庶民には到底出しえないものだ。彼女は生まれながらにして王なのだ。それは隠すことはできない。ユージーンは急に不安になった。

「もうすぐよ」

 幕とも言えないようなぼろの薄布の向こうからは、劇団員たちが劇の台詞を交わしているのが聞こえる。ケイトの声に、無意識にかミルドレッドがユージーンの服の袖をつまんでいた。彼女はユージーンと目が合うと、彼女らしくない誤魔化すような笑みを浮かべた。

「私なんだか、ことの大きさに今ごろ気がついたみたい」

 ミルドレッドの指先はかすかに震えていた。ユージーンは彼女を落ち着かせようと、あえていつもの小言を言うときのような渋い顔を作る。

「もう遅いですよ。というか姫様、もっと大勢の前に立ったことだってたくさんおありになるじゃありませんか」
「それとはわけが違うわよ」

 姫という部分だけ声をひそめつつ軽口で返せば、ミルドレッドは言った。

「いつもは顔を知ってる貴族連中しかいないし、それにこんなふうになにか見せることなんてなかったもの」

 まあそうか。しっかりと自分の緊張の原因を説明してくるミルドレッドにユージーンが納得しているうちに、ケイトが「この長台詞のあとよ」と再び予告してくる。こわばる姫の肩に、ユージーンがそっと手を置く。

「…… 大丈夫。ここには俺たちもいるし、舞台には団員がいます。何かあっても―― 何があっても、必ず俺が、見ていますから」

 何かもっと気の利いたことが言えればよかったが、あいにく舞台の上ではできることが何もない。それでもミルドレッドは安心したのか、ケイトの声に従って舞台の上へと出て行った。
 ほんの数歩しか歩く広さのない、小さな舞台だ。ミルドレッドは、ユージーンのたったひとりの姫はそこに立っている。薄暗い小屋に、オレンジ色の灯りが鈍く光って彼女を照らしていた。ミルドレッドが右へ左へと動くたび、彼女のまとう衣装が証明の光をうけてきらきらとひらめいた。
 劇は進む。話は千年ほど前の大陸が舞台だ。辺鄙な村に生まれた男が、夢に現れた仮面の女に導かれるまま世界を歩き、旅をし、やがて世界を救い国を建てる。よくある建国物語だ。

「あなたはいったい誰なのですか」

 男レグルスを演じるのは座長のハンスだ。座長というだけあって演技がうまく、声もいい。

「わたくしはわたくし以外の何者でもない。けれどこの世に存在する何かではない。あなたにこの意味がわかるかしら」

 謎の女性の不思議な雰囲気を、ケイトは見事に表現していた。先ほどの話し声とはまるで違う。

「わたくしは誰かではあるけれど、きっと誰でもない。レグルス、あなたをよく知る者」

 謎の女はレグルスの前に時折現れては助言だったり、あるいは不思議な言葉を残して去っていく。彼女の正体は最後まで解き明かされないまま、観客に判断をゆだねる形で物語は終わる。

「出番だわ」

 手早く着替えを終えたケイトが長いドレスの下に負傷した足を隠しながら立ち上がった。このあと、魔物にさらわれた姫がレグルスに救われる場面がある。姫は無論、仮面を被ってはいないので代役で済ますわけにはいかない。器用に自分で結い上げた髪にドレス、作り物の冠を身につけてはいるがこちらも良い意味で姫には見えない。

「お気をつけて」

 ユージーンが言うと、ケイトはにっこり微笑んだ。

「ありがとう。おかげでかなり痛みは引いたわ」

 ケイトが舞台に上がっていく。
 謎の女性を演じていた時とはまたすっかり変わって、姫君らしい、淑やかな声だ。

「綺麗ね、ケイト」

 反対側の袖からこちらへ回ってきたらしいミルドレッドがユージーンの傍までやってきて言った。出番がもう終わったからか、彼女は舞台へ上がる前よりも晴れやかな顔をしている。

「お疲れ様でした」
「まだ終わってないわよ」

 口では言いつつも、ミルドレッドはほとんど安心しきった様子だ。ユージーンも、彼らの巧みな演技を見て安心しつつある。
 その時だった。
 不自然な場所で、ケイトの話す台詞が止まった。ふたりは舞台を振り返る。魔物から助けてもらった姫が、レグルスに駆け寄る場面のはずだった。ケイトがこぶしをにぎりしめ、蒼い顔で舞台に立っていた。足の痛みに耐えているのだと気づいてすぐに、幕を一度下ろすべきかとミルドレッドとユージーンがそろって袖にいる団員を振り返ったその瞬間、ハンスが―― レグルスが動き出した。

「ああ、姫、おかわいそうに」



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次のエピソードへ進む 5.喧嘩


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 再度尋ねてくるケイトに、ミルドレッドは冷や汗が止まらない。何か適当な名前をでっち上げねばと思うがこんな時に限って何も出てこない。と、後ろから誰かがミルドレッドの肩をがしりとつかんだ。ユージーンだ。ミルドレッドはわけもなくほっとした。
「ミリー。ミリーお嬢様とおっしゃいます。私は側近のユージーン。―― どうか身分に関しては詮索なさいませんよう」
「ミリーとユージーン、良い名前ね。もちろん詮索なんて野暮なことしないわ」
 ミリーはミルドレッドの愛称だ。ユージーンの言葉にケイトは笑いながら返した。団員がミルドレッドに合うよう衣装に簡易的な処置を施している間に、ミルドレッドとユージーンは一旦広場に戻る。
「さっきは助かったわ」
 ミルドレッドが礼を言うが、ユージーンはむっつりとした顔を崩さない。
「納得はしていません。このままあなたをむりやり馬車に乗せることだって考えています」
「それをはっきり私に向かって言ってしまうのがユージーンだわ」
 姫に指摘され、ユージーンはぱっと頬を染めた。どうやら無自覚だったらしい。ミルドレッドはその反応に微笑みながら口を開いた。
「さっきここで、私とそう変わらない歳の子たちがいたでしょう」
 彼女が見るのは狭く暗い路地だ。
「文字が読めないけれど、劇なら本と違って字を読む必要がないって、だから楽しいって、そういう話をしていたわ。今日やっと休みがもらえたから観に行くんだって」
 ユージーンは黙り込む。
「字を読めない苦労なんて私にはまったく想像もつかないけれど、物語に出会うよろこびなら誰よりもよくわかるわ」
 ミルドレッドはそのまま、馬丁やほかの従者たちを説得しに向かった。ベンジャミン王子のような知識も、まして先ほどのユージーンのような順序だてて話す要領の良さも、何ひとつなかったが、彼女は不思議な説得力を持ってユージーンを含めた全員を納得させてしまった。
 小屋に戻るともうすでにほとんどの準備が終わっていた。
「緊張する」
「大丈夫、何かあればみんながフォローするわ」
 落ち着かない様子でこぼすミルドレッドに、ケイトが木箱に乗ったまま言う。
 少ない費用で必死にやりくりして作られたであろう衣装を身にまとったミルドレッドは、良くも悪くも一国一城の姫君には見えない。
「変じゃない? ユージーン」
「ええ。…… よくお似合いです」
 正直に言うと、従者たちを説得するミルドレッドは父王エイドリアンに似ていた。あの堂々とした声や立ち居振る舞いは、庶民には到底出しえないものだ。彼女は生まれながらにして王なのだ。それは隠すことはできない。ユージーンは急に不安になった。
「もうすぐよ」
 幕とも言えないようなぼろの薄布の向こうからは、劇団員たちが劇の台詞を交わしているのが聞こえる。ケイトの声に、無意識にかミルドレッドがユージーンの服の袖をつまんでいた。彼女はユージーンと目が合うと、彼女らしくない誤魔化すような笑みを浮かべた。
「私なんだか、ことの大きさに今ごろ気がついたみたい」
 ミルドレッドの指先はかすかに震えていた。ユージーンは彼女を落ち着かせようと、あえていつもの小言を言うときのような渋い顔を作る。
「もう遅いですよ。というか姫様、もっと大勢の前に立ったことだってたくさんおありになるじゃありませんか」
「それとはわけが違うわよ」
 姫という部分だけ声をひそめつつ軽口で返せば、ミルドレッドは言った。
「いつもは顔を知ってる貴族連中しかいないし、それにこんなふうになにか見せることなんてなかったもの」
 まあそうか。しっかりと自分の緊張の原因を説明してくるミルドレッドにユージーンが納得しているうちに、ケイトが「この長台詞のあとよ」と再び予告してくる。こわばる姫の肩に、ユージーンがそっと手を置く。
「…… 大丈夫。ここには俺たちもいるし、舞台には団員がいます。何かあっても―― 何があっても、必ず俺が、見ていますから」
 何かもっと気の利いたことが言えればよかったが、あいにく舞台の上ではできることが何もない。それでもミルドレッドは安心したのか、ケイトの声に従って舞台の上へと出て行った。
 ほんの数歩しか歩く広さのない、小さな舞台だ。ミルドレッドは、ユージーンのたったひとりの姫はそこに立っている。薄暗い小屋に、オレンジ色の灯りが鈍く光って彼女を照らしていた。ミルドレッドが右へ左へと動くたび、彼女のまとう衣装が証明の光をうけてきらきらとひらめいた。
 劇は進む。話は千年ほど前の大陸が舞台だ。辺鄙な村に生まれた男が、夢に現れた仮面の女に導かれるまま世界を歩き、旅をし、やがて世界を救い国を建てる。よくある建国物語だ。
「あなたはいったい誰なのですか」
 男レグルスを演じるのは座長のハンスだ。座長というだけあって演技がうまく、声もいい。
「わたくしはわたくし以外の何者でもない。けれどこの世に存在する何かではない。あなたにこの意味がわかるかしら」
 謎の女性の不思議な雰囲気を、ケイトは見事に表現していた。先ほどの話し声とはまるで違う。
「わたくしは誰かではあるけれど、きっと誰でもない。レグルス、あなたをよく知る者」
 謎の女はレグルスの前に時折現れては助言だったり、あるいは不思議な言葉を残して去っていく。彼女の正体は最後まで解き明かされないまま、観客に判断をゆだねる形で物語は終わる。
「出番だわ」
 手早く着替えを終えたケイトが長いドレスの下に負傷した足を隠しながら立ち上がった。このあと、魔物にさらわれた姫がレグルスに救われる場面がある。姫は無論、仮面を被ってはいないので代役で済ますわけにはいかない。器用に自分で結い上げた髪にドレス、作り物の冠を身につけてはいるがこちらも良い意味で姫には見えない。
「お気をつけて」
 ユージーンが言うと、ケイトはにっこり微笑んだ。
「ありがとう。おかげでかなり痛みは引いたわ」
 ケイトが舞台に上がっていく。
 謎の女性を演じていた時とはまたすっかり変わって、姫君らしい、淑やかな声だ。
「綺麗ね、ケイト」
 反対側の袖からこちらへ回ってきたらしいミルドレッドがユージーンの傍までやってきて言った。出番がもう終わったからか、彼女は舞台へ上がる前よりも晴れやかな顔をしている。
「お疲れ様でした」
「まだ終わってないわよ」
 口では言いつつも、ミルドレッドはほとんど安心しきった様子だ。ユージーンも、彼らの巧みな演技を見て安心しつつある。
 その時だった。
 不自然な場所で、ケイトの話す台詞が止まった。ふたりは舞台を振り返る。魔物から助けてもらった姫が、レグルスに駆け寄る場面のはずだった。ケイトがこぶしをにぎりしめ、蒼い顔で舞台に立っていた。足の痛みに耐えているのだと気づいてすぐに、幕を一度下ろすべきかとミルドレッドとユージーンがそろって袖にいる団員を振り返ったその瞬間、ハンスが―― レグルスが動き出した。
「ああ、姫、おかわいそうに」