3.代役
ー/ー空は青く、澄んでいた。
「いい天気ね」
大神殿までの道のりは長く遠い。馬を休ませるために立ち寄った町の広場で、ミルドレッドは空を見上げながら言った。
結局父の問いかけの理由はわからなかった。分かる前に呼び出されて、大神殿の礼拝に参加してくるように言われて、今に至る。―― 正確には、礼拝に参加するついでに街に立ち寄って〈グラス・ホッパー座〉の劇を観てくるとよいという話だった。
「どうかした?」
大好きな劇団の公演を観覧する許可を貰ったにもかかわらず、落ち着いた様子でいるミルドレッドを見つめていると本人から首を傾げられ、ユージーンはあわてて首を振った。
「あまり嬉しそうではないなと思いまして」
「嬉しいわよ、そりゃあ」
広場の噴水では子どもたちが水を掛け合って遊んでいる。ミルドレッドもおそらく、今よりずっと幼い頃に同じように遊んだこともあろうが、全く覚えていない。
「でもね、今回真面目にしっかり…… いえそれ以上の結果を出して大神官を感心させることができたら―― というかむしろ、私はそこに賭けているのよ」
「というと?」
ユージーンが首を傾げると、ミルドレッドはじれったそうに言った。
「わからない? 今回上手くいったら次があるかもしれないじゃないの。次の次もね」
ミルドレッドの説明を受けてユージーンはなるほどと呟いた。
「さすがです」
「でしょう? だからはしゃぐのは後よ」
ミルドレッドが得意げに言ったときだった。
女性の悲鳴のようなものが聞こえて、二人は振り返る。やせ型の男が何かを小脇に抱えて広場へ走ってくる。
「ひったくりよ! 誰かそいつを捕まえて!」
ミルドレッドは即座にユージーンを見上げ、彼は同時に頷き走り出した。
「あなた、大丈夫?」
駆け寄ってみると、女性は足を少し痛めているようだった。後ろからついてきた侍従に彼女の手当てをさせていると、ほどなくしてユージーンが戻ってくる。
「犯人は自警団に引き渡しました。奪われたのはこれで間違いないですか」
「ええ、本当にありがとう」
少しだけ息を切らしながら帰ってきたユージーンが彼女に差し出したのは、明らかに偽物の宝石がはめ込まれたネックレスだ。本物と偽った売買をしなければ違法ではないし、本物に手が届かない層にはよく親しまれていると聞く。
「…… 何か、大切なもの?」
ミルドレッドが尋ねると彼女はほっとしたようにネックレスを胸に押し当てた。
「劇の小道具なの。小さい劇団で、もちろんこの宝石はまがい物ですけど、でも少ない稼ぎから劇団の皆で工面してようやく買ったものだから、戻ってきて本当に良かった」
喜ぶ女性を尻目にユージーンは侍従が応急処置をした女性の足を見た。あまり芳しくない様子なのを確認すると、女性に問いかける。
「ちなみにあなたは何か役を?」
「ええ、一応主役よ」
女性は立ち上がると、ユージーンに向かって微笑んだ。
「もしかして心配してくれてるの? 平気よ、主役とはいってもそんなに大きな立ち回りはないし、何よりすごく小さい小屋なのよ。よかったら、あとで観にきてくれたら嬉しいわ」
そう言うと女性は片脚を引きずりながら歩き出した。ミルドレッドは急いで彼女に寄り添い、腕を取る。
「送るわ」
「ありがとう。でもそんなに痛くないから平気よ」
ユージーンや侍従が時間がないという顔をしていたが見ないふりをする。小屋の前まで行くと彼女は「どうもありがとう」と再び礼を言った。
「名前をまだ言ってなかったわね。私、ケイトっていうの。〈山猫(ワイルド・キャット)一座〉の劇団員よ。このあとの劇、観て行ってくれる?」
ミルドレッドは背後からの視線に耐えながらごめんなさい、と謝った。
「私たち、先を急ぐのよ。予定があるの。また今度観に来させてもらうわ」
ケイトは食い下がることなく、残念ね、と口にして小屋の中へと身をひるがえす。
「それじゃ――」
「ケイト!」
突然よろめいた姿にミルドレッドが声を上げ、同時にユージーンがとっさの勢いで手を伸ばす。が、彼女はあえなくそばの木箱にもたれるようにして尻もちをついた。その様子に、中にいた他の劇団員たちも駆けつけてくる。
「どうした?」
心配そうな顔の男に、ユージーンは先ほどあった出来事を説明する。団員たちが顔を見合わせるなか、ケイトが「大丈夫よ」と声を上げる。
「まだ時間があるし、それまで安静にしていれば」
彼女の足首は直視するのをためらうほど赤く腫れている。手拭いを水で濡らしてきた団員が、ケイトの患部にそれをあてながら渋い顔をする。
「出られるわ」
もう一度ケイトが言うが、座長らしき男は首を振る。
「今日は中止にするしか……」
「嫌! 絶対に嫌!」
ケイトは必死に抗議する。けれど、患部の腫れは見たとおりだ。
「代役はいないんですか」
「うちは人数が少なくて、女の劇団は彼女だけなんだ。それに、皆ほかの役がある」
ユージーンの問いかけに、団員の男が肩を落とした。ふと、ケイトがじっとミルドレッドを見つめた。するとそれに気付いたように団員たちもミルドレッドを見つめる。頭から爪先まで舐めるように姫を見る集団に、思わずユージーンは前に出る。
「ねえ――」
「だめです」
切り出された文句にユージーンは瞬時に反応した。
「ひ…… うちのお嬢様はこれから大切な用があって、もう時間がないのです」
いいかげん広場に戻って馬車に乗らないと、主日の礼拝には間に合わない。そうなれば次の外出機会もなくなり、ユージーンもこうして彼女の供をすることがかなわなくなってしまうのだ。それだけは絶対に避けたいと思うユージーンに、ケイトは悲しそうな顔を見せる。
「さっきの広場でやる短い劇なのよ。台詞は全部私が袖から言うから声を出す必要はないし、仮面を被っている役だから顔は見えないわ。ね、恥ずかしいこともないでしょう?」
恥ずかしいとかそういう問題ではない。
「申し訳ありませんが……」
「私、やるわ」
ユージーンが再び断ろうとした時、ミルドレッドは言った。
「引き受けるわ、代役」
言葉が発されると同時に、団員が沸く。
「ちょっと……!」
同時にユージーンが抗議の声を出す。ミルドレッドはそれに動じずに彼を真っ直ぐ見返した。
「ほかの皆には私からちゃんと説明するわ」
有無を言わせない調子できっぱりと言ったあと、それから王女は団員らに向き直る。
「でも本当に、さっきの条件はすべて守ってくれないと困るわ。顔も声も、私だとわかると少し面倒なことになると思うの」
もちろんよ、とケイトは片足立ちになってミルドレッドの手を取った。
「出てくれるだけで助かるわ。よろしくね、ええと…… ごめんなさい、まだ名前を聞いていなかったわね」
「な……」
名前だと?
ミルドレッドは頭が真っ白になった。そのままミルドレッドを名乗るのはさすがにまずい。辺境の村とかならまだしも国中を巡る彼らが王女の名を知らない可能性は低い。ミルドレッドは困り果ててユージーンを見るが彼も蒼い顔でこちらを見ていた。
「私たち、あなたのことなんて呼んだらいいかしら」
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