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第5話:出戻りとお風呂

ー/ー



5話_表紙

「如月さん……なんで」

 顔を上げると、体が半分濡れた状態で如月さんがこちらに向けて傘を差しだしていた。

「いいから立てよ。アタシが濡れるだろ」

 ……もう、濡れてるよ。


* * *


「ったく。こんなことだろうと思ったよ。アタシの期待を裏切ってくれよ。少しは」

「ずび、ませ、ん……」

 グサグサ、チクチク。
 恥ずかしい思いと惨めな気持ち。だけどそれら二つを上回るくらいの、助かったという安堵の気持ち。
 本当は、こんなこと思っちゃいけないんだろう。

「……はぁ。お前、それまた貧乏神だの言われるぞ」

「じゅびばぜん……。本当に……じゅびばぜん……っ!!」

 俺は渡された可愛らしいタオルを涙と鼻水で濡らしながら、相合傘で歩いていた。

「その様子じゃ、どうせ決まらなかったんだろ」

「うぐ……ばび。だめでした」

 如月さんが頭をガシガシ搔きながら嘆息交じりにいう。

「……雪華が、お前のこと心配してたぞ」

「うぇ……?」

「アイツさ。最初からお前を雇うつもりだったんだよ。そういうやつなんだ、アイツは。どうしようもないくらいに優しくて、どうにもならないくらいに慈悲深い。それこそ誰にでも。……もちろん、アタシにもお前にも、な」

「如月さんも……ですか?」

 如月さんは何も言わない。

 そんな女神のような女性が、果たしてこの世にいるのだろうか。
 いや、実際に居る。俺は昨日、その目で見ている。
 裏表もない、無邪気に笑う女神を。

「だのにお前ときたら、カッコつけて威勢よく出ていったと思ったら――このザマだよ」

 如月さんは俺の方をチラリと見て、腐敗しはじめたゴミを見るような目で言った。

「ぅ…。うぇえ……」

「……ちっ。あーうるせえうるせえ! 泣くな、男なら」

「ごめんなさい……」

「あたしに謝るんじゃなくて、戻ったら雪華に謝るんだな」

「はい…。ごめんなさい……」

 雨は、さっきまでの勢いはもうなく、空気を湿らす程度だった。


「――あ。そうだ」

「え……なんですか……?」

 俺は如月さんの唐突な目線に戸惑う。

「その弁当箱の包み。それ、あたしのお気に入りなんだ。あとでちゃんと返せよな。――真宮」


* * *


 店につくなり俺は、如月さんに『まずはその恰好をどうにかしろ』と、風呂に入ってくるように勧められた。

「え――でも、如月さんも濡れてるじゃないですか」

「あ? ……ああ、アタシは後でいい」

 そう言って、如月さんは肩口を軽く払う。

「でも…」

 如月さんは深くため息をついて、言い捨てた。

「だから、お前のそういうところだって言ってんだよ。アタシはお前と雪華が話してる間に、ゆっくり入るから気にするな」

 いまの俺では、何も言い返せなかった。
 シッシッと手で追い払われ、俺は教えてもらった通りに進んで、お風呂場へと向かった。

 ここで、なぜ喫茶店に風呂があるのか。などと言う、凡愚で凡庸な問いについては公園にいる野良猫の餌にでもしておくといい。
 きっと、食われもしないだろう。

―――ギィイ

 夜の静かな店に、扉の開閉音が、鈍い金切り音として響いた。
 暖かい光と、湧きたての温かい風呂の温度が扉越しにも感じるようだった。

 しかし、もうお風呂の用意が出来ているとは、流石如月さんと言ったところか。用意周到とはまさにこのことだ。
 浴槽にお湯を貯めながら入るという、若干肌寒い時間を過ごさなくて済む。

 俺は脱衣所で早々と衣服を脱ぎ去り、浴室の扉に手を掛け、勢いよく開いた。

「―――あ。さっちゃんおかえりぃ。遅かっ――……ぇ」

「え」

 青髪の女神と俺の視線が重なる。
 頭が真っ白になった。

 しかし、俺はなんとか、如月さんに言われた使命を思い出した。

 『あたしに謝るんじゃなくて、戻ったら雪華に謝るんだな』


「ご、ごめんなさぃ……」


 夜の静かな店に、少女の悲鳴が、高い金切り音として響いていた。



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「如月さん……なんで」
 顔を上げると、体が半分濡れた状態で如月さんがこちらに向けて傘を差しだしていた。
「いいから立てよ。アタシが濡れるだろ」
 ……もう、濡れてるよ。
* * *
「ったく。こんなことだろうと思ったよ。アタシの期待を裏切ってくれよ。少しは」
「ずび、ませ、ん……」
 グサグサ、チクチク。
 恥ずかしい思いと惨めな気持ち。だけどそれら二つを上回るくらいの、助かったという安堵の気持ち。
 本当は、こんなこと思っちゃいけないんだろう。
「……はぁ。お前、それまた貧乏神だの言われるぞ」
「じゅびばぜん……。本当に……じゅびばぜん……っ!!」
 俺は渡された可愛らしいタオルを涙と鼻水で濡らしながら、相合傘で歩いていた。
「その様子じゃ、どうせ決まらなかったんだろ」
「うぐ……ばび。だめでした」
 如月さんが頭をガシガシ搔きながら嘆息交じりにいう。
「……雪華が、お前のこと心配してたぞ」
「うぇ……?」
「アイツさ。最初からお前を雇うつもりだったんだよ。そういうやつなんだ、アイツは。どうしようもないくらいに優しくて、どうにもならないくらいに慈悲深い。それこそ誰にでも。……もちろん、アタシにもお前にも、な」
「如月さんも……ですか?」
 如月さんは何も言わない。
 そんな女神のような女性が、果たしてこの世にいるのだろうか。
 いや、実際に居る。俺は昨日、その目で見ている。
 裏表もない、無邪気に笑う女神を。
「だのにお前ときたら、カッコつけて威勢よく出ていったと思ったら――このザマだよ」
 如月さんは俺の方をチラリと見て、腐敗しはじめたゴミを見るような目で言った。
「ぅ…。うぇえ……」
「……ちっ。あーうるせえうるせえ! 泣くな、男なら」
「ごめんなさい……」
「あたしに謝るんじゃなくて、戻ったら雪華に謝るんだな」
「はい…。ごめんなさい……」
 雨は、さっきまでの勢いはもうなく、空気を湿らす程度だった。
「――あ。そうだ」
「え……なんですか……?」
 俺は如月さんの唐突な目線に戸惑う。
「その弁当箱の包み。それ、あたしのお気に入りなんだ。あとでちゃんと返せよな。――真宮」
* * *
 店につくなり俺は、如月さんに『まずはその恰好をどうにかしろ』と、風呂に入ってくるように勧められた。
「え――でも、如月さんも濡れてるじゃないですか」
「あ? ……ああ、アタシは後でいい」
 そう言って、如月さんは肩口を軽く払う。
「でも…」
 如月さんは深くため息をついて、言い捨てた。
「だから、お前のそういうところだって言ってんだよ。アタシはお前と雪華が話してる間に、ゆっくり入るから気にするな」
 いまの俺では、何も言い返せなかった。
 シッシッと手で追い払われ、俺は教えてもらった通りに進んで、お風呂場へと向かった。
 ここで、なぜ喫茶店に風呂があるのか。などと言う、凡愚で凡庸な問いについては公園にいる野良猫の餌にでもしておくといい。
 きっと、食われもしないだろう。
―――ギィイ
 夜の静かな店に、扉の開閉音が、鈍い金切り音として響いた。
 暖かい光と、湧きたての温かい風呂の温度が扉越しにも感じるようだった。
 しかし、もうお風呂の用意が出来ているとは、流石如月さんと言ったところか。用意周到とはまさにこのことだ。
 浴槽にお湯を貯めながら入るという、若干肌寒い時間を過ごさなくて済む。
 俺は脱衣所で早々と衣服を脱ぎ去り、浴室の扉に手を掛け、勢いよく開いた。
「―――あ。さっちゃんおかえりぃ。遅かっ――……ぇ」
「え」
 青髪の女神と俺の視線が重なる。
 頭が真っ白になった。
 しかし、俺はなんとか、如月さんに言われた使命を思い出した。
 『あたしに謝るんじゃなくて、戻ったら雪華に謝るんだな』
「ご、ごめんなさぃ……」
 夜の静かな店に、少女の悲鳴が、高い金切り音として響いていた。