2.幼馴染
ー/ー模造刀など、稽古道具の手入れをしたりそれを片したりというのは、下っ端騎士の役目だ。ユージーン・ホッジズは騎士団長の息子で、ミルドレッドのことを幼い頃から知る人物の一人である。
「ベンジャミン王子に聞いたらすぐにわかるんじゃないですか、そういったことは」
「もうとっくに聞いたわよ。でも追い出されちゃったの」
訓練場の隅に丸まっている王女の顔は、立てた膝に埋められていてユージーンからはよく見えない。
「私、きっとまた間の悪い時に言ったんだわ。それか、ベンの機嫌が悪くなるようなことを」
この姫は時々、腹違いの弟のこととなるとひどく繊細になることがある。ユージーンは少しだけ呆れつつ模造刀の手入れに使っていた手拭いを丁寧に折りたたんだ。
「謝りに行かれますか?」
「さっき一度謝ったわ。それに今は勉強しているから、邪魔をしたくないの」
「姫様は勉強なさらないのですか?」
「ああ! もう神殿にでも行こうかしら」
ユージーンの問いかけに聞こえないふりをするかのように大きな声で言ってミルドレッドは立ち上がる。
「おまえも来るでしょう、ユージーン」
「見ての通り仕事中なのですが」
「区切りがついてからでいいわよ。騎士団長にはあとで私が言っておくから」
この上なく面倒くさそうだから永遠に区切りなどつけたくないなと思うユージーンの内心を無視して、ミルドレッドは彼の仕事の区切りを待ってから城下にある神殿へと向かった。
神殿といっても、用があるのは礼拝堂ではない。
「こんにちは、神殿長」
礼拝堂の奥の奥、神殿が所有する図書館に入るとミルドレッドはまず神殿長に声をかけた。
「戯曲『月夜に嘆く』の原典がたしかあったわよね? 借りていってもいいかしら」
「もちろんです、姫様」
こちらへどうぞ、と導かれ神殿長についてミルドレッドが神殿内を歩くと、何人もの神官がいちいち立ち止まって挨拶してくる。そのすべてにミルドレッドが律儀に答えるので、それもまた神官らが彼女を慕う理由だろう。ベンジャミンがどうというわけではないが、比較するとやはりミルドレッドの方が親しみやすい。
王に示された問いかけを覚えているのかいないのか、ミルドレッドがこの上なくわくわくとした表情で本を開くのを少し離れた場所から見つめながら、ユージーンは神殿長へ簡単にことのいきさつを説明した。神殿長は「ああ、なるほど」と頷いて、
「ユージーン、あなたも何か読みますか?」
と尋ねた。ユージーンは
「いえ、自分は……」
と断りながら、再び主人に視線を戻した。そして、ためらいがちに口を開く。
「…… 陛下がいずれ、姫様を大神殿にお入れになるというのは本当なのでしょうか」
つとめて周囲に聞こえないよう声の調子を落として問うと、神殿長は
「姫様がご自身でお決めになることですよ」
ときっぱり返した。ユージーンは「そう…… そうですよね」と呟く。
「不安ですか?」
「いいえ。…… ただ、そうであるなら神殿騎士になる道を探さねばならないなと―― もちろん、姫様にお許しを頂けたらの話ですが」
ミルドレッドを横目で見ながら、自信なさげに首をすくめぼそぼそと言うユージーンへ、神殿長はにこりと微笑んでみせる。
「がんばってください、皆があなたを応援していますよ」
「……? はい、恐れ入ります」
彼の言う意味がよくわからず、ユージーンはとりあえず礼を言った。
「ミルドレッドさまがおかわいそうじゃありませんか」
王妃フェリシアは王エイドリアンよりも三つ歳上だ。第六王子だったエイドリアンが地方の領主だった頃、当時の妻―― ミルドレッドの母と最も親しかったのが彼女である。
「何か言いましたか?」
エイドリアンは目を通していた書類から顔を上げて言った。
「ですから、ミルドレッド姫がおかわいそうですと」
「何が?」
修飾語に欠けた妻の言葉にエイドリアンが首をひねると、フェリシアはじれったそうに言った。
「侍従長から聞きましたわ。姫の大好きな劇団を祭事の招待から外したそうじゃありませんか」
「…… その話はいったいどこから?」
夫に尋ねられ、妻は少し考えるそぶりを見せる。
「侍従長は侍従頭のメアリに聞いたそうですわ。メアリは城下に用事で出た際に門番の騎士に聞いたと。その騎士は昼頃門を出たというランドル神官長にで、ランドル神官長はたしか、昼間礼拝堂にいた神官に…… ええと、その神官の名前はなんだったかしら……」
「なるほど、わかりました、もう結構」
エイドリアンは一旦書類を閉じ、ため息を吐きながら目元を押さえた。ミルドレッドはベンジャミンと違ってじっとしていられず、煮詰まると特に城内を歩き回る癖がある。それも城内の侍従や騎士、神官に話しかけながら。本人の明るさもあって、城内の者はだれもかれもミルドレッドが好きだった。
しかしミルドレッドの母親は貴族ではない。そのことが近頃のエイドリアンの最大の悩みであり、国内の貴族たちが次の王にベンジャミンを推すたったひとつの要因である。
生まれを考慮せずとも、ベンジャミンは優秀だ。しかし、己が民の後押しで王にまで成り上がった身であるだけに、エイドリアンには民の心の大切さはよくわかっている。
六男だった自分が王にまでなれたのはひとえに領主として民の生活に触れたからだ。
神の血を引く王家をたたえ、唯一無二の存在として崇めるだけの時代は終わった。
「…… それで、皆あの劇団を入れてやれとでも言っているんですか」
「城中、姫がかわいそうだという話でもちきりですわ」
ミルドレッドが答えを持ってくるのを待っている暇はないかもしれない。この話が城下にまで広まる前にどうにかせねば。
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