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最終回

ー/ー



「だから途中をすっ飛ばしていきなり結論に行くなっ、おまえはっ」
「私だっていろいろ考えるんですよ。あと2週間で配属されるでしょう?」
「あ? 所属国が決まったのか?」
「はい。グルネア首長国のイスキアという町です」
「あー、でかい町じゃん。よかったな。
 で?」
「はい。やっぱり、こういったことはそのときになったらどうにかなる、で済むものでもないと思いますし……なんといってもこれは、私にも操主にも、一生の問題ですから……どうにかして、妥協点を見つけないと……」

 ……聞いてないな、てめえはよ。相談下手か?

「そんな深刻ぶることないない。考えすぎだって。も少し気楽になりな」

 へっ、と慰めを半分放棄したようにあらぬ方向を向き、適当な声で返す。
 そんな白悧を見て、紫蘭ははあっと大きく息を吐き出した。

「ああ、私もあなたの半分くらい楽天的になれたらいいんですけど……」
「半分でいいのか?」
「それ以上あっても無駄です」

 ドきっぱり答える。
 それも別の考えのほうに気を取られて、無意識でのように何気に言い流すものだから始末が悪い。

 ああそうですか。

 慰めようとした自分がばかをみた、と立ち上がり、上着を脱ぐ。白悧も戻ってきたばかりだったのだ。部屋着に着替えようと、そのまま机に向けて放ろうとしたときだ。
 目ざとく紫蘭が口を挟んだ。

「それをどうするつもりです? 白悧」
「どう、って――」
「そうやって結局出しっ放しにして、片付けるのはいつも私なんですからね! ちゃんとその手でワードローブにしまいなさいっ」
「……おまえ、ほんとに口うるさいな」

 今さらのようにまじまじと言う白悧に、紫蘭は朝の出来事を思い出してカッと頬を赤らめた。

「だ、だれがそうさせるんですかっ! これほど口を酸っぱくして言い続けて、いまだにそれでしょう!
 そうだ! きっと私がこうなったのもあなたのせいなんだ! 私はもう少し寛容であったはずです!
 あなたがそんなにだらしがないから、なのにそのせいで私がきらわれるなんて……あなたが一番悪い!」
「おいおい……」

 どういう論理だそれは。

「ああ、私がいなくなったらこの部屋、一体どうなるのか……今度同室になる方が可哀相です! 甘やかしてきた私も悪いと思われたらどうしてくれるんですか!
 あと2週間であなたも考えをあらためて、その悪癖を直しなさいっ!」

 プッと吹き出し。とんだ言いがかりだ、と笑って上着をぶつけてくる白悧につっかかってゆく。それはもはや2人にとって、いつものじゃれ合いだった。

 上着を頭からかぶせて視界を奪い、笑って上から寝台に押しつけようとする白悧のおふざけを、顔を真っ赤にした紫蘭が必死にはねのけようとしている。

 その、傍目にはほほ笑ましい光景を、じっと戸口で見ているランスに気付いたのはどちらが先か……案外同時だったかもしれない。
 紫蘭の目とかち合った直後、ランスはふいと行ってしまった。

◆◆◆

「操主?」

 操主が、訪ねて来てくれた!

 初めての歩み寄りに歓喜し、突き飛ばした白悧が寝台から落ちるのもかまわずにあとを追う。

「操主!」

 ずっと、きらわれていると思って落ちこんでいた、その相手が向こうから自分の元へやって来てくれたのだ。
 きらいな者をわざわざ訪ねてくるわけがない。ということは、まだきらわれてなかったんだ!

 先までの暗い気分などすっかり消え失せ、有頂天になる。
 だから、気付かなかったのだ。

 じっと自分たちを見ていた目にこもっていた苛立ち、その意味に、紫蘭はまるで気付いていなかった。



「待って……待ってください、操主!」

 最終リキュラム開始の鐘の音も鳴り終え、人通りの絶えた渡り廊下でやっとつかまえる。何気に腕を取ろうとした、その手はしかし次の瞬間、乱暴に打ち払われた。

「さわるな!」

 そんな、強い殺気のこもった拒絶の言葉が花とともにたたきつけられた。

「操主……?」

 とげで傷ついた頬に手をあてる。
 痛みよりも驚きで目を見開き、目の前、俯いてしまった顔をおそるおそる下からのぞきこんだ。
 どうやら怒っているらしい。でも、何に?

「あの……、何か、私にご用でしたか……?」

 分からないと首を傾げ、とにかくもう一度、だらりと垂れた彼の手に手を伸ばす。
 自分へと近付く、その手が触れる直前。もう堪えられないといった様子でランスはまたもやそれを払った。先よりも強い力で。

「うるさい! 俺にかまうな!」

 ぐっと見据える。その目にありありと浮かんだ怒りに圧倒されて。
 とまどい、おびえる心から、紫蘭はかける言葉を失った。

「いいか! 俺は俺だ、俺の好きなようにする! それにいちいち文句つけてくるな! たかが感応したくらいで勝手をするな!
 俺は……俺は、今までだって1人でちゃんとやってこれたんだ! 今さらおまえに何かしてもらうことなんかないし、同情されるいわれはないんだ!
 ……っ……。
 そんなに俺と組むのが不安で、不満があるなら、我慢して合わせようとなんかしないで、別のやつと組めばいいだろうがっ!」

 ぎゅっと目をつぶり、頭ごなしにたたきつける。しかし口走った言葉に、瞬間赤面したのはランスの方だった。

(さっき、何を口走った? 俺は)

 俺は――――。

「……操主?」

 怒鳴りつけられ、思わず竦ませていた首をそろそろと元に戻す。
 ランスは紫蘭どころじゃないといった様子で、口元に手をやって俯き、目を見開いていた。

 ……動揺している?

「あの……、どうかなさったんですか? 操主?」

 それが自分にでなく、自身に対してのように見えて、(いぶか)しむ。
 紫蘭の呼びかけにはっと現実に立ち返ったランスは、そろそろと伸ばされた手から逃げるようにぱっと後ろへ飛び退くと、踵を返して再び早足で歩き始めた。

「操主、あの、どうかしたんですか?」
「宮母さまに、申し出る」
「……えっ? 何をです?」
「……っ。
 この感応は、なかったことにしてくれって言うんだよ!」

 今の自分の発言をどう取ったのか、何も分かってないんじゃないかと疑いたくなるほどなんとも間抜けな返しに、ぴしゃり言い返す。

「最初からそうしてりゃよかったんだ」

 そうしたらこんなばかなこと、起きずにすんだのに。
 そうだ、そもそも参加しなけりゃよかったんだ。
 べつに、どうしても退魔師になりたかったわけじゃない。幼いころは親父のあとを継いで庭師になるんだと思っていたんだ。今からだって、まだ遅くない。
 俺が退魔師にならなけりゃ、こいつだって我慢してまで俺と組まずにすむし。

 俺とこの先うまくやろうなんて、したくもない努力なんか、しないですむんだ。

「ま、待ってください操主!」

 制止の声などまるきり無視してそのまま駆け出そうとしたランスの背を見たとき。止めたい一心で紫蘭は反射的、目の前でひるがえった上着をつかんだ。

「うわっ!」

 当然ながら、すっ転ぶ。

「あっ、あぁあぁあ……す、すみませんっ、操主っ」

 頭を打つことは避けられたものの、大理石の床でしたたかに尻と背を打ち、傷のある所を打ったあまりの痛みに無言で耐えるランスを見て、紫蘭は顔面真っ青になる。

「大丈夫ですか!? 医療室へ行きますかっ!?」

 あわててとなりに座りこんだ紫蘭を横目に見て、ランスは奥歯を噛みしめた。

「なんで止めんだよ……ほうっとけよ。どうしてするんだよ、ちくしょお……」

 ああもう。痛みのせいにしてしまおう。

 熱くなった目許を手首でこする。

 背中や尻や、傷の痛みのせいだ、これは。痛いから、こんなになるんだ。

 そう思い込むことにして。ランスは立てた膝に額を押しつけ、涙がにじむのを赦した。

「おまえを好きなやつはいくらだっているし、かまってほしいやつらだっていっぱいいるじゃないか。
 そいつらといろよ、俺に気ぃ使わなくていいんだよ。感応したからって、べつに、一緒にいることなんか、ないんだ。無理して、わざわざいなくたって……」

 そうつぶやきながら、ランスはぐちゃぐちゃになりすぎて、自分でもよく分からなくなってしまった思いを吐き出した。
 滅茶苦茶だ。それは自分でも分かる。

「……え?」

 案の定、分かっていない様子で紫蘭は訊き返してきた。

「あ、あの……、また、私が何か余計なことをしてしまったんでしょうか……?」
「いい。分かってるんだ、俺だって。ほんとは。ばかじゃないんだから。退魔師なんて、全然ガラじゃないって。
 試験にパスしたのも、おまえと感応したのだって、ほかのやつらの言うとおり、何かの間違いさ。俺なんか……。
 いいんだ、べつに。退魔師になれなくったって。ほんとは、分かってた。ちくしょお……」

 ぐい、と目をこすって、紫蘭に気付かれる前に涙を飛ばす。

 何度、こんな所おさらばだと抜け出したか知れない。だけど、そうして戻りたい所もなかった。
 家に戻れば脱走したことがすぐに王都に知れて、罰を受け、連れ戻される。そうなったら母や妹に迷惑をかけることになる。……今も無事に生きてくれていたらの話だが。

 戻りたい場所も、行きたい場所もない。だから、戻らなくてはいけない場所に、いつも戻るしかなかった。
 嫌われ者、乱暴者、はみ出し者、問題児と、彼を見る者たちの元へ。

 それでも、なぜここに居続けたのか。うるさい規則だらけのこんな窮屈な場所で、特になりたいと思っているわけでもない退魔師の訓練なんかしてたのか。最終実技試験で金鎖を得ようとしたのか。
 そして魔導杖を手に、感応式へと臨んだのか。


 一対として感応する、運命の相手。
 生涯をともにする半身。


 ……俺にだけじゃないことで、こんな、腹立てるなんて。
 動揺して逃げ出すとか……こんなの、ばかなガキそのものじゃないか。

「? 操主は、ばかではありませんけれど……?」

 いまだに言われている意味がよく分からないことにあせりながらもとにかく答える。
 愛想笑いを浮かべているとしか見えない、そんな紫蘭を横目にランスはすっくと立ち上がった。

「いいから。おまえは悪くない。式に出た俺が悪い。
 これから執務室へ行って宮母さまにかけあって、何とかしてもらう。できなきゃ、退魔師にならないって言って魔導杖を返せばいいんだ。簡単さ。
 俺が死ぬまでせいぜい長くて40年。それっくらい我慢できるだろ? 案外もっと短いかもしれないし。それから別のやつと組め」

 紫蘭は驚きに目を(みは)った。

「そ、んな! だって、せっかく試験に合格したのに! そ、それに、もう配属先も決まってるんですよ!」

 そんなこと、退魔師を辞めると決めたランスには知ったことじゃない。

「たしかに伝えたぞ。じゃあな」

 ほほ笑む。
 初めて笑顔を見せて、去ろうとする。

 向けられた背に、たまらず、紫蘭はまた袖を強く引いていた。

「ぅわっっ」
 下からの予期せぬ力にバランスを崩して再び転ぶ。

「……おまえなあっ!!」
「何か、お気に障ったんでしょうか?」

 ガーっと牙をむいたランスの鼻先までずいっと近付き、真剣な顔で言う。

「もしかして、私がお気に召しませんか?
 そりゃ、私はまだたった250年しかたっていない未熟者ですが、でも魅魎を断つ力はちゃんとありますし、それに、20年ほど感応してませんから、癖もあんまり残ってないと思うんですけど……。
 ――あっ!
 もしかしてつきまとったからですか? 勝手に部屋に入ったり片付けたり、手当てしたりしてうるさくしたからですかっ?
 でも、あの、操主の汚れへの無関心さはちょっとひどいと思いますし、そりゃ、私も多少神経質かなとは思いますけど、でも、やっぱり配属される前に少しは直しておいたほうがいいんじゃないかと」

 そういう衛生面への無頓着さがいつか役に立つことがあるかもしれませんが、でもとりあえず私たちが配属される場所は大きな町で、公共の管理も行き届いてて……そこで一生暮らすことになるかもしれないわけですし。
 誤解されるなんて、悔しいじゃないですか。操主はとっても優しくて、いい人なのに。

 などなど。
 真剣な目をして、しどろもどろで言ってくる。その言葉は全然要領を得ているとは思えなかったが、その姿を前に話すことを聞いているうち、知らず、ランスは口元をほころばせていた。

 何が嬉しいのか。全然誉め言葉になってないし、それこそフォローにもなってない。むしろけなされているというのに、一体何が。

「操主?」
「優しくなんかない、俺は」

 あんなに怒鳴りつけた直後にこれは、ちょっと現金すぎるんじゃないかと罰の悪い思いでふいとそむけた横顔に、紫蘭は笑顔で即答した。

「優しいですよ。ちょっと分かりにくいかもしれませんけど。操主は優しい人です。
 朝のことだって。本当は、何もかも推察されていたんでしょう? でも本当のことを言ったら、彼が道化になってしまうから。彼のために、決闘も受けて、堪えて無言を貫かれたんですよね。白悧にあんなことまで言われたのに……。
 それに、もう6年も前になりますけど、覚えていらっしゃいますか? 操主、南の庭でけんかして、花壇を壊されましたよね。あのあとだれかが花壇を整えて、折れた若木に添え木をしてくれていたんですが、あれ、操主でしょう? 近くに別の若木の苗を植えてくれていたのも。
 あいにくあのときの花は枯れてしまいましたが、若木のほうはしっかり根付いて健在ですよ」

 出立する前に1度、一緒に見に行きましょう――その言葉と向けられた笑顔にランスはどう返せばいいのか分からず、視線をさまわせたあと、下に落とした。

「……知らないからな」

 床に散った花を見ながら、そう切り出す。

「勝手に俺のこと知った気になって、誤解してても、もう知らないぞ。まだ2日で、あと30年もあるのに。あのときやめとけばよかったって、あとになって言っても聞かないからな。
 俺は、先に言ったぞ。好きにするって」

 言って、顔を上げる。変わらず瞳はきついが、今までとは違う眼差しの中の柔らかさに、ようやく彼が何を言わんとしているのかを理解できて、満足気に紫蘭は微笑を返す。

「いいですよ。私も好きにさせてもらいますからね。言っておきますが、私は口うるさいってよく言われてるんです」
「知ってる」
「じゃあ大丈夫ですね。知った上で、そうおっしゃってくださるんですから。
 さあ、まず手を見せてください。包帯が緩んで、傷が開いたようですよ」

 広い世の中、いろいろなものがあるが、そのどれもに当たりはずれがあるという。それからいえば、これは間違いなくどちらにとってもはずれなんだろう。
 きっと何度も自分たちは衝突するに決まっている。この口うるさい魔断に対して両手で耳をふさぐ自分の姿が目に見えるようだ。とても相性がいいとは言えない。
 でも、それもいいかもしれない。当たりが最良なんて、自分が言ったわけじゃない。はずれのほうがいいことだってあるだろう。

 べつに、いつも1番がほしいわけじゃない。

 金に縁どられた、まるで猫のような明るい紫の瞳を見ながらふとそんなことを考える。
 またひねくれた考えだ。これもきっと一生直らないなと内心で笑いつつ、とりあえず、ランスは黙って腕を差しだした。




『魔断の剣8 猫の瞳を見つめたら 了』


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「私だっていろいろ考えるんですよ。あと2週間で配属されるでしょう?」
「あ? 所属国が決まったのか?」
「はい。グルネア首長国のイスキアという町です」
「あー、でかい町じゃん。よかったな。
 で?」
「はい。やっぱり、こういったことはそのときになったらどうにかなる、で済むものでもないと思いますし……なんといってもこれは、私にも操主にも、一生の問題ですから……どうにかして、妥協点を見つけないと……」
 ……聞いてないな、てめえはよ。相談下手か?
「そんな深刻ぶることないない。考えすぎだって。も少し気楽になりな」
 へっ、と慰めを半分放棄したようにあらぬ方向を向き、適当な声で返す。
 そんな白悧を見て、紫蘭ははあっと大きく息を吐き出した。
「ああ、私もあなたの半分くらい楽天的になれたらいいんですけど……」
「半分でいいのか?」
「それ以上あっても無駄です」
 ドきっぱり答える。
 それも別の考えのほうに気を取られて、無意識でのように何気に言い流すものだから始末が悪い。
 ああそうですか。
 慰めようとした自分がばかをみた、と立ち上がり、上着を脱ぐ。白悧も戻ってきたばかりだったのだ。部屋着に着替えようと、そのまま机に向けて放ろうとしたときだ。
 目ざとく紫蘭が口を挟んだ。
「それをどうするつもりです? 白悧」
「どう、って――」
「そうやって結局出しっ放しにして、片付けるのはいつも私なんですからね! ちゃんとその手でワードローブにしまいなさいっ」
「……おまえ、ほんとに口うるさいな」
 今さらのようにまじまじと言う白悧に、紫蘭は朝の出来事を思い出してカッと頬を赤らめた。
「だ、だれがそうさせるんですかっ! これほど口を酸っぱくして言い続けて、いまだにそれでしょう!
 そうだ! きっと私がこうなったのもあなたのせいなんだ! 私はもう少し寛容であったはずです!
 あなたがそんなにだらしがないから、なのにそのせいで私がきらわれるなんて……あなたが一番悪い!」
「おいおい……」
 どういう論理だそれは。
「ああ、私がいなくなったらこの部屋、一体どうなるのか……今度同室になる方が可哀相です! 甘やかしてきた私も悪いと思われたらどうしてくれるんですか!
 あと2週間であなたも考えをあらためて、その悪癖を直しなさいっ!」
 プッと吹き出し。とんだ言いがかりだ、と笑って上着をぶつけてくる白悧につっかかってゆく。それはもはや2人にとって、いつものじゃれ合いだった。
 上着を頭からかぶせて視界を奪い、笑って上から寝台に押しつけようとする白悧のおふざけを、顔を真っ赤にした紫蘭が必死にはねのけようとしている。
 その、傍目にはほほ笑ましい光景を、じっと戸口で見ているランスに気付いたのはどちらが先か……案外同時だったかもしれない。
 紫蘭の目とかち合った直後、ランスはふいと行ってしまった。
◆◆◆
「操主?」
 操主が、訪ねて来てくれた!
 初めての歩み寄りに歓喜し、突き飛ばした白悧が寝台から落ちるのもかまわずにあとを追う。
「操主!」
 ずっと、きらわれていると思って落ちこんでいた、その相手が向こうから自分の元へやって来てくれたのだ。
 きらいな者をわざわざ訪ねてくるわけがない。ということは、まだきらわれてなかったんだ!
 先までの暗い気分などすっかり消え失せ、有頂天になる。
 だから、気付かなかったのだ。
 じっと自分たちを見ていた目にこもっていた苛立ち、その意味に、紫蘭はまるで気付いていなかった。
「待って……待ってください、操主!」
 最終リキュラム開始の鐘の音も鳴り終え、人通りの絶えた渡り廊下でやっとつかまえる。何気に腕を取ろうとした、その手はしかし次の瞬間、乱暴に打ち払われた。
「さわるな!」
 そんな、強い殺気のこもった拒絶の言葉が花とともにたたきつけられた。
「操主……?」
 とげで傷ついた頬に手をあてる。
 痛みよりも驚きで目を見開き、目の前、俯いてしまった顔をおそるおそる下からのぞきこんだ。
 どうやら怒っているらしい。でも、何に?
「あの……、何か、私にご用でしたか……?」
 分からないと首を傾げ、とにかくもう一度、だらりと垂れた彼の手に手を伸ばす。
 自分へと近付く、その手が触れる直前。もう堪えられないといった様子でランスはまたもやそれを払った。先よりも強い力で。
「うるさい! 俺にかまうな!」
 ぐっと見据える。その目にありありと浮かんだ怒りに圧倒されて。
 とまどい、おびえる心から、紫蘭はかける言葉を失った。
「いいか! 俺は俺だ、俺の好きなようにする! それにいちいち文句つけてくるな! たかが感応したくらいで勝手をするな!
 俺は……俺は、今までだって1人でちゃんとやってこれたんだ! 今さらおまえに何かしてもらうことなんかないし、同情されるいわれはないんだ!
 ……っ……。
 そんなに俺と組むのが不安で、不満があるなら、我慢して合わせようとなんかしないで、別のやつと組めばいいだろうがっ!」
 ぎゅっと目をつぶり、頭ごなしにたたきつける。しかし口走った言葉に、瞬間赤面したのはランスの方だった。
(さっき、何を口走った? 俺は)
 俺は――――。
「……操主?」
 怒鳴りつけられ、思わず竦ませていた首をそろそろと元に戻す。
 ランスは紫蘭どころじゃないといった様子で、口元に手をやって俯き、目を見開いていた。
 ……動揺している?
「あの……、どうかなさったんですか? 操主?」
 それが自分にでなく、自身に対してのように見えて、|訝《いぶか》しむ。
 紫蘭の呼びかけにはっと現実に立ち返ったランスは、そろそろと伸ばされた手から逃げるようにぱっと後ろへ飛び退くと、踵を返して再び早足で歩き始めた。
「操主、あの、どうかしたんですか?」
「宮母さまに、申し出る」
「……えっ? 何をです?」
「……っ。
 この感応は、なかったことにしてくれって言うんだよ!」
 今の自分の発言をどう取ったのか、何も分かってないんじゃないかと疑いたくなるほどなんとも間抜けな返しに、ぴしゃり言い返す。
「最初からそうしてりゃよかったんだ」
 そうしたらこんなばかなこと、起きずにすんだのに。
 そうだ、そもそも参加しなけりゃよかったんだ。
 べつに、どうしても退魔師になりたかったわけじゃない。幼いころは親父のあとを継いで庭師になるんだと思っていたんだ。今からだって、まだ遅くない。
 俺が退魔師にならなけりゃ、こいつだって我慢してまで俺と組まずにすむし。
 俺とこの先うまくやろうなんて、したくもない努力なんか、しないですむんだ。
「ま、待ってください操主!」
 制止の声などまるきり無視してそのまま駆け出そうとしたランスの背を見たとき。止めたい一心で紫蘭は反射的、目の前でひるがえった上着をつかんだ。
「うわっ!」
 当然ながら、すっ転ぶ。
「あっ、あぁあぁあ……す、すみませんっ、操主っ」
 頭を打つことは避けられたものの、大理石の床でしたたかに尻と背を打ち、傷のある所を打ったあまりの痛みに無言で耐えるランスを見て、紫蘭は顔面真っ青になる。
「大丈夫ですか!? 医療室へ行きますかっ!?」
 あわててとなりに座りこんだ紫蘭を横目に見て、ランスは奥歯を噛みしめた。
「なんで止めんだよ……ほうっとけよ。どうしてするんだよ、ちくしょお……」
 ああもう。痛みのせいにしてしまおう。
 熱くなった目許を手首でこする。
 背中や尻や、傷の痛みのせいだ、これは。痛いから、こんなになるんだ。
 そう思い込むことにして。ランスは立てた膝に額を押しつけ、涙がにじむのを赦した。
「おまえを好きなやつはいくらだっているし、かまってほしいやつらだっていっぱいいるじゃないか。
 そいつらといろよ、俺に気ぃ使わなくていいんだよ。感応したからって、べつに、一緒にいることなんか、ないんだ。無理して、わざわざいなくたって……」
 そうつぶやきながら、ランスはぐちゃぐちゃになりすぎて、自分でもよく分からなくなってしまった思いを吐き出した。
 滅茶苦茶だ。それは自分でも分かる。
「……え?」
 案の定、分かっていない様子で紫蘭は訊き返してきた。
「あ、あの……、また、私が何か余計なことをしてしまったんでしょうか……?」
「いい。分かってるんだ、俺だって。ほんとは。ばかじゃないんだから。退魔師なんて、全然ガラじゃないって。
 試験にパスしたのも、おまえと感応したのだって、ほかのやつらの言うとおり、何かの間違いさ。俺なんか……。
 いいんだ、べつに。退魔師になれなくったって。ほんとは、分かってた。ちくしょお……」
 ぐい、と目をこすって、紫蘭に気付かれる前に涙を飛ばす。
 何度、こんな所おさらばだと抜け出したか知れない。だけど、そうして戻りたい所もなかった。
 家に戻れば脱走したことがすぐに王都に知れて、罰を受け、連れ戻される。そうなったら母や妹に迷惑をかけることになる。……今も無事に生きてくれていたらの話だが。
 戻りたい場所も、行きたい場所もない。だから、戻らなくてはいけない場所に、いつも戻るしかなかった。
 嫌われ者、乱暴者、はみ出し者、問題児と、彼を見る者たちの元へ。
 それでも、なぜここに居続けたのか。うるさい規則だらけのこんな窮屈な場所で、特になりたいと思っているわけでもない退魔師の訓練なんかしてたのか。最終実技試験で金鎖を得ようとしたのか。
 そして魔導杖を手に、感応式へと臨んだのか。
 一対として感応する、運命の相手。
 生涯をともにする半身。
 ……俺にだけじゃないことで、こんな、腹立てるなんて。
 動揺して逃げ出すとか……こんなの、ばかなガキそのものじゃないか。
「? 操主は、ばかではありませんけれど……?」
 いまだに言われている意味がよく分からないことにあせりながらもとにかく答える。
 愛想笑いを浮かべているとしか見えない、そんな紫蘭を横目にランスはすっくと立ち上がった。
「いいから。おまえは悪くない。式に出た俺が悪い。
 これから執務室へ行って宮母さまにかけあって、何とかしてもらう。できなきゃ、退魔師にならないって言って魔導杖を返せばいいんだ。簡単さ。
 俺が死ぬまでせいぜい長くて40年。それっくらい我慢できるだろ? 案外もっと短いかもしれないし。それから別のやつと組め」
 紫蘭は驚きに目を|瞠《みは》った。
「そ、んな! だって、せっかく試験に合格したのに! そ、それに、もう配属先も決まってるんですよ!」
 そんなこと、退魔師を辞めると決めたランスには知ったことじゃない。
「たしかに伝えたぞ。じゃあな」
 ほほ笑む。
 初めて笑顔を見せて、去ろうとする。
 向けられた背に、たまらず、紫蘭はまた袖を強く引いていた。
「ぅわっっ」
 下からの予期せぬ力にバランスを崩して再び転ぶ。
「……おまえなあっ!!」
「何か、お気に障ったんでしょうか?」
 ガーっと牙をむいたランスの鼻先までずいっと近付き、真剣な顔で言う。
「もしかして、私がお気に召しませんか?
 そりゃ、私はまだたった250年しかたっていない未熟者ですが、でも魅魎を断つ力はちゃんとありますし、それに、20年ほど感応してませんから、癖もあんまり残ってないと思うんですけど……。
 ――あっ!
 もしかしてつきまとったからですか? 勝手に部屋に入ったり片付けたり、手当てしたりしてうるさくしたからですかっ?
 でも、あの、操主の汚れへの無関心さはちょっとひどいと思いますし、そりゃ、私も多少神経質かなとは思いますけど、でも、やっぱり配属される前に少しは直しておいたほうがいいんじゃないかと」
 そういう衛生面への無頓着さがいつか役に立つことがあるかもしれませんが、でもとりあえず私たちが配属される場所は大きな町で、公共の管理も行き届いてて……そこで一生暮らすことになるかもしれないわけですし。
 誤解されるなんて、悔しいじゃないですか。操主はとっても優しくて、いい人なのに。
 などなど。
 真剣な目をして、しどろもどろで言ってくる。その言葉は全然要領を得ているとは思えなかったが、その姿を前に話すことを聞いているうち、知らず、ランスは口元をほころばせていた。
 何が嬉しいのか。全然誉め言葉になってないし、それこそフォローにもなってない。むしろけなされているというのに、一体何が。
「操主?」
「優しくなんかない、俺は」
 あんなに怒鳴りつけた直後にこれは、ちょっと現金すぎるんじゃないかと罰の悪い思いでふいとそむけた横顔に、紫蘭は笑顔で即答した。
「優しいですよ。ちょっと分かりにくいかもしれませんけど。操主は優しい人です。
 朝のことだって。本当は、何もかも推察されていたんでしょう? でも本当のことを言ったら、彼が道化になってしまうから。彼のために、決闘も受けて、堪えて無言を貫かれたんですよね。白悧にあんなことまで言われたのに……。
 それに、もう6年も前になりますけど、覚えていらっしゃいますか? 操主、南の庭でけんかして、花壇を壊されましたよね。あのあとだれかが花壇を整えて、折れた若木に添え木をしてくれていたんですが、あれ、操主でしょう? 近くに別の若木の苗を植えてくれていたのも。
 あいにくあのときの花は枯れてしまいましたが、若木のほうはしっかり根付いて健在ですよ」
 出立する前に1度、一緒に見に行きましょう――その言葉と向けられた笑顔にランスはどう返せばいいのか分からず、視線をさまわせたあと、下に落とした。
「……知らないからな」
 床に散った花を見ながら、そう切り出す。
「勝手に俺のこと知った気になって、誤解してても、もう知らないぞ。まだ2日で、あと30年もあるのに。あのときやめとけばよかったって、あとになって言っても聞かないからな。
 俺は、先に言ったぞ。好きにするって」
 言って、顔を上げる。変わらず瞳はきついが、今までとは違う眼差しの中の柔らかさに、ようやく彼が何を言わんとしているのかを理解できて、満足気に紫蘭は微笑を返す。
「いいですよ。私も好きにさせてもらいますからね。言っておきますが、私は口うるさいってよく言われてるんです」
「知ってる」
「じゃあ大丈夫ですね。知った上で、そうおっしゃってくださるんですから。
 さあ、まず手を見せてください。包帯が緩んで、傷が開いたようですよ」
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 きっと何度も自分たちは衝突するに決まっている。この口うるさい魔断に対して両手で耳をふさぐ自分の姿が目に見えるようだ。とても相性がいいとは言えない。
 でも、それもいいかもしれない。当たりが最良なんて、自分が言ったわけじゃない。はずれのほうがいいことだってあるだろう。
 べつに、いつも1番がほしいわけじゃない。
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『魔断の剣8 猫の瞳を見つめたら 了』