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第18話:オーバー・ドライブ

ー/ー



 巨大な真鍮の扉が開き、その先に広がっていたのは、もはや「部屋」ですらなかった。

 天井の見えない巨大な縦穴。壁面を覆い尽くすのは、星の数ほどの真空管と、休むことなく熱い蒸気を吐き出し続ける無数の歯車。ビルの外壁すらも、この「器官」の一部に過ぎない。ヘリオス本社ビルそのものが、一柱の神を維持するための巨大な「延命装置」だったのだ。

 その中心、虚空に浮かぶ透明な培養槽の中に、それはあった。

 無数の電極と真鍮のチューブを血管のように繋がれ、淡い緑色の液体に浸された、巨大な「人間の脳」。

 そして、その脳を核(コア)として構築された、全高10メートルを超える漆黒の機械躯体。4つの巨大なマニピュレーターと、蒸気と電磁力を等価に操る6つの排気翼を持つ、機械の神――ヘリオスCEOの真の姿が、そこに鎮座していた。

「……来たか。我が不肖の息子よ」

 スピーカーから発せられる音声ではない。ビル全体の振動そのものが、重厚な言葉となってシグナとカイルの鼓動を揺らした。機械神の単眼センサーが、冷徹な赤色を放って二人を見下ろす。

 シグナはカイルの前に出た。背中のシャーシからは、ヴィクター戦でパージされた2本の上腕があった場所から、未だに火花と黒煙が立ち昇っている。残された2本の下腕も、装甲が剥げ、歪んでいた。

「シグナ、無理をするな……。視覚センサーを閉じろ!」

 カイルが叫ぶが、一歩遅かった。シグナの多重レンズに、CEOの体から溢れ出す天文学的な量の演算情報が逆流し始める。

「……っ、あ、あぁ……!!」

 世界のすべてを「数字」で支配しようとする暴力的な情報の奔流。シグナの義眼はエラーを吐き出して火花を散らした。

「カイルよ。お前は私の最高傑作だ。その脳の一部を時計仕掛けにまで高めたのは、いつかこの玉座を継がせるため」

 機械神が巨大な腕を、カイルへと慈しむように差し出した。

「私の理想を壊す気か。全人類の意識をこのシステムに統合し、不確かな感情を数式へ変換すれば、真の平和が手に入る。お前もこのシステムの一部になれば、二度と演算ミスに怯えることもない。……さあ、戻ってこい。神の右座へ」

 カイルは、シグナを庇いながら、剥き出しの瞳で父を睨み返した。

「……断るよ、親父。……100パーセントの確率で、僕は君を否定する。……人間の価値は、計算の『正解』にあるんじゃない。……間違えながら、迷いながら進む、その不格好な『歩み』にあるんだ!」

 CEOの単眼が、不快な音を立てて収束した。

「……ならば、その『不条理』の末路を見せてやろう」

 機械神の視線が、2本の腕を失い、膝をつくシグナへと向けられる。

「シグナ。お前が信頼を寄せるその男……カイル・ヘリオスの裏切りを知っているか? お前の設計図には、あやつ自身が意図的に仕込んだ『破滅コード』が含まれている。戦えば戦うほど、お前の脳を焼き切るように設計されているのだ。カイルはお前を愛してなどいない。最初から、使い捨ての防弾板(デコイ)としてしか見ていなかったのだ」

 静寂が、空間を支配した。シグナはゆっくりと、煤と血に汚れたカイルの横顔を見つめた。

「……カイル。あんたなら、本当にそんなことやりかねないわね」

 シグナの微かな呟き。カイルはハッとしたように目を見開き、そしてこれまでにないほど必死に、強く首を振った。

「……お~い、それはさすがに心外だな! そんな効率の悪い計算はもう捨てたよ。今の僕の『解』には、君の生存以外の変数は存在しない。親父……君の読みは、100パーセント間違っている!」

 カイルの力強い否定に、シグナはふっと口角を上げた。

「……そう。なら、信じてあげるわ。……CEO。あんたの言うことが真実でも嘘でも、私には関係ない。これまでの逃避行で、この男からもらった言葉も温もりも……私の魂が、本物だって知っているから」

 シグナの背中から、猛烈な過熱蒸気が噴き出した。

「カイルの演算が私を使い捨てるって言うなら……私は、あんたのその最悪な『計算』を、私の意志でぶち壊してあげる! 私はあんたの道具じゃない。あんたを救うために、ここに立っているのよ!」
「……いいえ、ご主人様。……演算結果、更新」

 ハルの真空管が、これまでにない青白い光を帯びて咆哮した。

『破滅コードは……カイル様によって書き換えられています! それは、絶望の淵で、最後の一撃を放つための『オーバーロード・パス』です! カイル様は……ご主人様に、未来を託していたんです!』





「……フッ、……ハハハ! 隠し通すつもりだったんだけどな。ハル、お前は相変わらず空気が読めないな!」
「いえいえ、お褒めの言葉ありがとうございます!!」

 ハルの返答に苦笑いしながら、カイルが、シグナの背中に手を添え、自分の神経端子を強引に彼女のシャーシへと連結させた。

「シグナ。……これが、僕の人生最後の、最高の、そして唯一の『計算外』だ。二人で、この親父の作った『正解』を貫こうじゃないか」
「……ええ。地獄の果てまで、付き合ってあげる!」
「行くよ、シグナ! 脳が溶けるまで、僕に付き合ってもらう! ……【ファイナル・オーバー・ドライブ】、発動!!」

 カイルの全身の血管が浮き上がり、彼の「時計仕掛けの脳」が、限界を超えた演算負荷で真っ赤に発光した。その全エネルギーが、シグナの義体へと流れ込む。
 
 ――ズドォォォォォォン!!

 シグナの背中で、パージされた2本の上腕があった場所から、青白い光の奔流が溢れ出した。

 それは単なる「腕」の形を超えていた。高密度のプラズマが複雑な幾何学模様を描き、まるで天を舞う天使の羽のように、左右へと大きく広がっていく。実体を持たない、純粋なエネルギーの翼。その輝きは、汚泥と蒸気にまみれたこの世界で、唯一無二の神々しさを放っていた。

「……あ……」

 カイルは、眼前に広がるその光景に、演算を忘れて一瞬だけ見惚れた。

「……綺麗だ。……僕の計算したどんな最適解よりも……ずっと」
『ご主人様、すごいです! 美しい……本物の天使みたいです!』

 ハルが感極まったような合成音声で叫ぶ。

「――行くわよ!!」

 シグナの視界は血に染まり、神経系は消失していくような激痛に襲われる。だが、彼女の体はかつてないほど軽く、鋭く、自由だった。

 シグナは重力制御を無効化し、空へと跳ねた。プラズマの翼を羽ばたかせ、10メートルの機械神へと肉薄する。
 機械神が放つ電磁弾、物理的なマニピュレーターの猛攻、すべてをシグナは「演算」の先にある「直感」で、光を置き去りにする速度で回避していく。

 機械神の装甲が、シグナのプラズマの翼が振り下ろされるたび、紙のように切り裂かれる。

「馬鹿な……。数式が、……私の秩序が、……たった一人の少女に、書き換えられていくというのか!?」

「――愛を計算できないシステムなんて、……今すぐゴミ箱に捨てなさい!!」

 シグナは、機械神の胸部、巨大な「脳」が格納された防護コアへと突進した。
 残された2本の鋼鉄腕と、2本のプラズマの翼を一点に集中させ、螺旋を描くような最大出力の回転をかける。

 【Form ∞:星屑の崩壊(スターダスト・ブレイク)】。

 ドォォォォォォォォォン!!

 シグナの四腕が、CEOの核を真っ向から貫いた。

 凄まじい衝撃波が本社ビル全体を突き抜け、夜の街「ラット・ポート」を白昼のような光が包み込む。
 培養槽が粉砕され、システムに依存していた機械神の巨躯が、ガラガラと音を立てて崩落していく。


 光の中で、シグナは見た。

 砕け散る脳の断片の中から、一瞬だけ、カイルと同じ寂しげな瞳をした「人間としての父」の顔が微笑んだのを。

 本社ビルの機能が停止し、世界中の「ゆりかご」の火が消える。

 崩落する残骸の中、シグナは意識を失ったカイルを、残された最後の一本の物理的な腕で強く、強く抱きしめていた。プラズマの翼はゆっくりと粒子となって消えていく。

 計算は終わった。
 これより先は、誰にも予測できない、……二人だけの、不格好で美しい明日だ。

『――ご主人様。……お疲れ様です。……夜明けですよ』

 ハルの穏やかな声と共に、崩れた天井から、本物の朝日の光が二人の上に降り注いだ。




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 巨大な真鍮の扉が開き、その先に広がっていたのは、もはや「部屋」ですらなかった。
 天井の見えない巨大な縦穴。壁面を覆い尽くすのは、星の数ほどの真空管と、休むことなく熱い蒸気を吐き出し続ける無数の歯車。ビルの外壁すらも、この「器官」の一部に過ぎない。ヘリオス本社ビルそのものが、一柱の神を維持するための巨大な「延命装置」だったのだ。
 その中心、虚空に浮かぶ透明な培養槽の中に、それはあった。
 無数の電極と真鍮のチューブを血管のように繋がれ、淡い緑色の液体に浸された、巨大な「人間の脳」。
 そして、その脳を核(コア)として構築された、全高10メートルを超える漆黒の機械躯体。4つの巨大なマニピュレーターと、蒸気と電磁力を等価に操る6つの排気翼を持つ、機械の神――ヘリオスCEOの真の姿が、そこに鎮座していた。
「……来たか。我が不肖の息子よ」
 スピーカーから発せられる音声ではない。ビル全体の振動そのものが、重厚な言葉となってシグナとカイルの鼓動を揺らした。機械神の単眼センサーが、冷徹な赤色を放って二人を見下ろす。
 シグナはカイルの前に出た。背中のシャーシからは、ヴィクター戦でパージされた2本の上腕があった場所から、未だに火花と黒煙が立ち昇っている。残された2本の下腕も、装甲が剥げ、歪んでいた。
「シグナ、無理をするな……。視覚センサーを閉じろ!」
 カイルが叫ぶが、一歩遅かった。シグナの多重レンズに、CEOの体から溢れ出す天文学的な量の演算情報が逆流し始める。
「……っ、あ、あぁ……!!」
 世界のすべてを「数字」で支配しようとする暴力的な情報の奔流。シグナの義眼はエラーを吐き出して火花を散らした。
「カイルよ。お前は私の最高傑作だ。その脳の一部を時計仕掛けにまで高めたのは、いつかこの玉座を継がせるため」
 機械神が巨大な腕を、カイルへと慈しむように差し出した。
「私の理想を壊す気か。全人類の意識をこのシステムに統合し、不確かな感情を数式へ変換すれば、真の平和が手に入る。お前もこのシステムの一部になれば、二度と演算ミスに怯えることもない。……さあ、戻ってこい。神の右座へ」
 カイルは、シグナを庇いながら、剥き出しの瞳で父を睨み返した。
「……断るよ、親父。……100パーセントの確率で、僕は君を否定する。……人間の価値は、計算の『正解』にあるんじゃない。……間違えながら、迷いながら進む、その不格好な『歩み』にあるんだ!」
 CEOの単眼が、不快な音を立てて収束した。
「……ならば、その『不条理』の末路を見せてやろう」
 機械神の視線が、2本の腕を失い、膝をつくシグナへと向けられる。
「シグナ。お前が信頼を寄せるその男……カイル・ヘリオスの裏切りを知っているか? お前の設計図には、あやつ自身が意図的に仕込んだ『破滅コード』が含まれている。戦えば戦うほど、お前の脳を焼き切るように設計されているのだ。カイルはお前を愛してなどいない。最初から、使い捨ての防弾板(デコイ)としてしか見ていなかったのだ」
 静寂が、空間を支配した。シグナはゆっくりと、煤と血に汚れたカイルの横顔を見つめた。
「……カイル。あんたなら、本当にそんなことやりかねないわね」
 シグナの微かな呟き。カイルはハッとしたように目を見開き、そしてこれまでにないほど必死に、強く首を振った。
「……お~い、それはさすがに心外だな! そんな効率の悪い計算はもう捨てたよ。今の僕の『解』には、君の生存以外の変数は存在しない。親父……君の読みは、100パーセント間違っている!」
 カイルの力強い否定に、シグナはふっと口角を上げた。
「……そう。なら、信じてあげるわ。……CEO。あんたの言うことが真実でも嘘でも、私には関係ない。これまでの逃避行で、この男からもらった言葉も温もりも……私の魂が、本物だって知っているから」
 シグナの背中から、猛烈な過熱蒸気が噴き出した。
「カイルの演算が私を使い捨てるって言うなら……私は、あんたのその最悪な『計算』を、私の意志でぶち壊してあげる! 私はあんたの道具じゃない。あんたを救うために、ここに立っているのよ!」
「……いいえ、ご主人様。……演算結果、更新」
 ハルの真空管が、これまでにない青白い光を帯びて咆哮した。
『破滅コードは……カイル様によって書き換えられています! それは、絶望の淵で、最後の一撃を放つための『オーバーロード・パス』です! カイル様は……ご主人様に、未来を託していたんです!』
「……フッ、……ハハハ! 隠し通すつもりだったんだけどな。ハル、お前は相変わらず空気が読めないな!」
「いえいえ、お褒めの言葉ありがとうございます!!」
 ハルの返答に苦笑いしながら、カイルが、シグナの背中に手を添え、自分の神経端子を強引に彼女のシャーシへと連結させた。
「シグナ。……これが、僕の人生最後の、最高の、そして唯一の『計算外』だ。二人で、この親父の作った『正解』を貫こうじゃないか」
「……ええ。地獄の果てまで、付き合ってあげる!」
「行くよ、シグナ! 脳が溶けるまで、僕に付き合ってもらう! ……【ファイナル・オーバー・ドライブ】、発動!!」
 カイルの全身の血管が浮き上がり、彼の「時計仕掛けの脳」が、限界を超えた演算負荷で真っ赤に発光した。その全エネルギーが、シグナの義体へと流れ込む。
 ――ズドォォォォォォン!!
 シグナの背中で、パージされた2本の上腕があった場所から、青白い光の奔流が溢れ出した。
 それは単なる「腕」の形を超えていた。高密度のプラズマが複雑な幾何学模様を描き、まるで天を舞う天使の羽のように、左右へと大きく広がっていく。実体を持たない、純粋なエネルギーの翼。その輝きは、汚泥と蒸気にまみれたこの世界で、唯一無二の神々しさを放っていた。
「……あ……」
 カイルは、眼前に広がるその光景に、演算を忘れて一瞬だけ見惚れた。
「……綺麗だ。……僕の計算したどんな最適解よりも……ずっと」
『ご主人様、すごいです! 美しい……本物の天使みたいです!』
 ハルが感極まったような合成音声で叫ぶ。
「――行くわよ!!」
 シグナの視界は血に染まり、神経系は消失していくような激痛に襲われる。だが、彼女の体はかつてないほど軽く、鋭く、自由だった。
 シグナは重力制御を無効化し、空へと跳ねた。プラズマの翼を羽ばたかせ、10メートルの機械神へと肉薄する。
 機械神が放つ電磁弾、物理的なマニピュレーターの猛攻、すべてをシグナは「演算」の先にある「直感」で、光を置き去りにする速度で回避していく。
 機械神の装甲が、シグナのプラズマの翼が振り下ろされるたび、紙のように切り裂かれる。
「馬鹿な……。数式が、……私の秩序が、……たった一人の少女に、書き換えられていくというのか!?」
「――愛を計算できないシステムなんて、……今すぐゴミ箱に捨てなさい!!」
 シグナは、機械神の胸部、巨大な「脳」が格納された防護コアへと突進した。
 残された2本の鋼鉄腕と、2本のプラズマの翼を一点に集中させ、螺旋を描くような最大出力の回転をかける。
 【Form ∞:星屑の崩壊(スターダスト・ブレイク)】。
 ドォォォォォォォォォン!!
 シグナの四腕が、CEOの核を真っ向から貫いた。
 凄まじい衝撃波が本社ビル全体を突き抜け、夜の街「ラット・ポート」を白昼のような光が包み込む。
 培養槽が粉砕され、システムに依存していた機械神の巨躯が、ガラガラと音を立てて崩落していく。
 光の中で、シグナは見た。
 砕け散る脳の断片の中から、一瞬だけ、カイルと同じ寂しげな瞳をした「人間としての父」の顔が微笑んだのを。
 本社ビルの機能が停止し、世界中の「ゆりかご」の火が消える。
 崩落する残骸の中、シグナは意識を失ったカイルを、残された最後の一本の物理的な腕で強く、強く抱きしめていた。プラズマの翼はゆっくりと粒子となって消えていく。
 計算は終わった。
 これより先は、誰にも予測できない、……二人だけの、不格好で美しい明日だ。
『――ご主人様。……お疲れ様です。……夜明けですよ』
 ハルの穏やかな声と共に、崩れた天井から、本物の朝日の光が二人の上に降り注いだ。