第17話:折れない槍と死神の矜持
ー/ー ヘリオス本社地下最深部。通称『時計仕掛けの心臓』。
見上げるほど巨大な真鍮製の円盤が壁一面で噛み合い、低周波のうなりが空気を震わせている。その中心に鎮座する、高さ5メートルを超える漆黒の扉こそが、全ての真実が眠る「聖域」への入り口だった。
「……ハッキング開始。セキュリティー層は全部で12層。……シグナ、僕がこの鍵をこじ開けるまで、180秒だ」
カイルは扉の制御パネルに端末を直結させ、剥き出しの瞳に激しい演算の閃光を宿した。
「……わかった。1秒も、あいつを近づかせない」
シグナは4本の機械腕を静かに展開し、ヴィクターを見据えた。
ヴィクターは、それまで纏っていた静かな威圧感を、一瞬にして「殺意」へと変貌させた。
彼が手にする『テレスコピック・スチームランス』の排気弁が開き、凄まじい高圧蒸気が噴き出す。その熱気だけで、周囲の白磁の壁がピキピキと音を立てて亀裂を走らせる。
「……シグナ。これまでは騎士として若様を守る立場ゆえ、手加減をしてきたと言ったら、君は怒るかな」
ヴィクターが一歩踏み出した。その動作だけで、地下空間の空気が物理的な質量を持って押し寄せる。
「ここから先は、ヘリオスの忠実な番犬として、そして一人の武人として君を完膚なきまでに破壊する。……準備はいいか、死神」
ヴィクターの槍が、音速を超えて突き出された。
――ガギィィィィィィィン!!
シグナは下腕のブレードを交差させて受け止めたが、その衝撃はこれまでの騎士たちとは比較にならなかった。足元の石畳が砕け、シグナの体は後方へと数メートル押し込まれる。
「……っ! 重い……!」
「驚くのは早いぞ!」
ヴィクターの槍身が1瞬で収縮し、次の瞬間にはシグナの喉元へと別の軌道で伸長する。槍がまるで生き物のようにしなり、最短距離で彼女の駆動核を狙い撃つ。
シグナは上腕を使い、空中で姿勢を制御。ガラの最終調整によって跳ね上がったレスポンスをフルに活用し、ヴィクターの刺突を紙一重でかわし続ける。火花が散り、オイルが焼ける匂いが充満する。
「ハル、残りの時間は!?」
『140秒! ですが、ヴィクターの出力がさらに上昇しています! 計算外です、彼自身の義体もオーバークロックを開始しました!』
◇◆◇◆◇
ヴィクターの攻撃は、もはや「点」の連続ではなく、逃げ場のない「面」の暴力へと変わっていた。
伸縮する槍を振り回し、遠心力を乗せた打撃がシグナの装甲を何度も叩く。シグナの右肩のシャーシが軋み、警告音が脳内に響く。
「どうした、死神! 君の力はそんなものか! 若様が選んだ『答え』が、ただの量産品の意地だと言うのか!」
ヴィクターの咆哮。彼は槍を床に突き立て、蒸気を逆噴射させてシグナの頭上へと跳躍した。
【秘奥:天墜の杭(スカイ・パイル)】。
シグナの脳内で、カイルの残したログが火花を散らす。
(……あいつなら、ここでどう計算する? ……いいえ、計算なんていらない。私は、あいつの隣に立つために、この腕を手に入れたんじゃない!)
シグナの瞳から迷いが消えた。
彼女は4本の腕をバラバラの方向に展開し、一つ一つのピストンの鼓動を、ヴィクターの槍の「微動」に同期させた。これはガラのチューン、カイルの演算、そしてシグナの「野生」が融合した、新たな領域。
シグナは、降下してくるヴィクターの槍を、自ら迎え撃った。
上腕の2本で槍の側面を叩き、軌道をわずかに逸らす。同時に、下腕のブレードをヴィクターの重厚な装甲の「継ぎ目」へと、ミリ単位の精度で突き刺した。
「な……!? 空中で、我が槍の芯を捉えただと!?」
ヴィクターの驚愕。シグナはそのままヴィクターの体を引き寄せ、義足の全出力を込めた膝蹴りを叩き込んだ。
ドォォォォン!!
ヴィクターの巨体が壁へと叩きつけられた。しかし、彼は笑っていた。
「……素晴らしい。……君はもう、ただの傭兵ではない。自らの意志で戦場を支配する、真の戦士だ」
「……あと、60秒よ、ヴィクター。あんたの槍を、今ここで折ってあげる!」
シグナの4本の腕が、黄金色の蒸気を排気し、極限の赤熱状態へと移行した。
◇◆◇◆◇
カイルの背後で、扉のセキュリティーランプが11枚目まで緑色に変わった。
「……あと、30秒! シグナ、最後だ!」
「若様! 残念ですが、扉が開く前にこの少女を破壊させていただきます!」
ヴィクターが槍を腰に溜め、全身のボイラーを臨界まで過熱させた。槍の穂先がプラズマのような青白い光を帯び、空気が電気を帯びてパチパチとはぜる。
【最終奥義:銀河の貫通(ギャラクシー・バースト)】。
対するシグナは、静かに自らの背中のシャーシへ意識を集中させた。
「ハル、このままじゃ勝ちきれないわ。お願い、2本の上腕を強制パージ(緊急分離)!」
『なっ……!? ご主人様、それは腕の半分を捨てることに――』
「黙って! やって!!」
シグナの背中で、ガチィィンという重厚な解除音が響いた。
彼女の象徴であった4本の腕のうち、上腕の2本が火花と共に基部から切り離される。シグナは宙に舞う上腕のハンド部分を、残された下腕の2本で力強く掴み取った。
腕を分離したことで、ボイラーの安全リミッターが物理的に消失する。シグナは自らのフレームが溶解するのを厭わず、ボイラー内の全蒸気圧を、残った下腕を介して「切り離された上腕」へと強引に流し込んだ。
連結された4本の腕のエネルギーが、今、1本の巨大な「杭」へと集約される。
【Form 0:終焉の楔(フィナーレ・ウェッジ)】。
それは、もはや武器ですらない。自らの身体を燃料に変え、ただ「突き通す」ためだけに特化した、命の重さを宿した白熱の楔だった。
ヴィクターの瞳が、その捨て身の覚悟を捉えて輝いた。
「……それでいい。自らを縛る形を捨て、ただ一撃に魂を乗せる。その不格好で美しい矜持こそ、私が求めていた答えだ! 来い、シグナ!!」
二人の影が、地下空間の中央で激突した。
バキィィィィィィィィィン!!
音も、光も、理屈も消えた。
凄まじい衝撃波が吹き荒れ、地下の配管が次々と破裂して、真っ白な蒸気が辺りを包み込む。
霧の向こう側。
ヴィクターの長槍は、シグナが2本の下腕で突き立てた「上腕の残骸」によって、その根元から粉々に叩き折られていた。シグナのシャーシからは黒煙が立ち昇り、残された下腕も熱で赤黒く変色している。だが、彼女はヴィクターの胸元に、折れた槍の破片ごと楔を深く打ち込んでいた。
「……見事だ。……我が誇りまでも、その細い腕で折られるとはな」
ヴィクターは折れた槍を捨て、満足げな笑みを浮かべて膝をついた。彼の駆動核は停止し、バイザーの光がゆっくりと消えていく。
「行きなさい、死神……。いや、……一人の、気高き天使よ。その覚悟こそが、……若様の未来を……」
ヴィクターが沈黙すると同時に、背後の巨大な扉が、3分間の死闘の終わりを告げる重厚な音を立てて開き始めた。
ゴォォォォォォン……。
「……ハァ、ハァ……。3分、ぴったりね」
シグナは肩で息をしながら、カイルへと歩み寄った。彼女の背中には、もう半分の腕しかない。火花を散らす不完全な姿。けれど、その足取りはかつてないほど確かなものだった。
開かれた扉の向こう側。そこには、ヘリオスの栄華の源であり、同時に全ての悲劇の始まりである場所――「本物の銀のゆりかご」が、淡い光の中に姿を現していた。
「……行こう、シグナ。……君を人間に戻し、僕の過去を終わらせるために」
カイルはシグナの、熱を帯びた鋼鉄の手を、優しく、だが力強く握った。
最強の槍は折れた。
残るは、この巨大な時計仕掛けの支配者、CEOとの最終対峙。
物語は、ついに真実の頂点へと到達する。
『――ご主人様。心拍数、正常。……演算、完了。……勝利です!』
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