第16話:聖域への門(後編)
ー/ー ヘリオス本社『クロックワーク・タワー』の内部は、外の喧騒が嘘のような、冷徹な秩序に支配されていた。
磨き上げられた白磁の床には、天井の巨大な真鍮製シャンデリアから放たれる白熱灯の光が反射し、壁面に埋め込まれた無数の歯車が、世界の時間を刻むように静かに、だが力強く回転している。
ロビーを突き抜け、地下へと続く巨大な螺旋階段を、シグナとカイルは駆け抜けていた。
「12時方向、防衛ドローン16機! 迎撃システム、起動済みだ!」
カイルが手に持ったポータブル端末を叩きながら叫ぶ。
「ハル、演算(計算)はいらないわ。……今の私は、数字よりも速い!」
シグナの瞳が青白く発光する。彼女は4本の腕を翼のように広げ、加速する。
――シュパァァァン!!
迫り来るドローン群を、シグナは文字通り「一閃」の下に斬り伏せた。カイルの予測データを見るまでもない。彼女の義体は、ガラの最終調整とリミッター解除によって、物理的な限界を超えた「神速」の領域に達していた。4本の腕が描く銀色の軌跡が、ドローンを火花散る鉄屑へと変えていく。
「お見事。……さて、次は僕の番だ」
カイルは走りながら、不気味なほど正確に指先を躍らせた。
「そこの3番ゲートを僕ら専用の最短ルートに書き換えたよ。代わりに、背後の4番ゲートを物理ロック。追いかけてくる騎士たちのナビゲーションは、外壁側のメンテナンス通路へ偽装済みだ。あそこの迷路を抜けるには、数分は遠回りすることになるはずさ」
「……相変わらず、準備がいいわね」
シグナが呆れたように言うと、カイルは眼鏡のない瞳を細めて、いっそ愉しげに笑った。
「ああ、それだけじゃ退屈だと思ってね。残ったドローンたちの認識コードも書き換えておいたよ。これからは『騎士(アイアン・ヴェール)』を最優先の排除対象として認識するはずだ。味方の弾幕に踊る彼らの姿、見たかったな」
「……あんた、本当にえげつないわね。味方同士で殺し合わせるなんて……。あんたが一番ヤバいわよ」
「それは、愛の褒め言葉かな!?」
「ば、バカ言ってんじゃないわよっ!?」
二人とハルは、すでに抵抗のない通路を、ひたすら進んでいる。
「さて、もうすぐだ……」
カイルは表情を変えない。彼の眼鏡は粉砕されていたが、その剥き出しの瞳は、これまでにないほど鮮明に「自由」というゴールを捉えていた。
◇◆◇◆◇
地下最深部、通称『聖域』へと続く巨大な黒鉄の扉。
そこへ辿り着く直前、カイルが仕掛けた「迷路」と「味方のドローン」を力尽くで突破したのか、背後の扉が凄まじい轟音と共に吹き飛んだ。
「逃がさねえって言っただろ、失敗作(ドローン)!! お前も、その横のクソッタレな眼鏡野郎も……細切れにしてやる!!」
現れたのは、もはや騎士の面影を失い、復讐の鬼と化した4騎士だった。
全身を包帯で巻き、ドローンの自爆攻撃を浴びたのか装甲が黒焦げになったラチェット。右腕をランチャーと一体化させ、血眼になってシグナを睨んでいる。
優雅さを捨て、折れた振動剣を逆手に持ち、オイルと返り血に塗れたロゼ。
片目を潰され、味方のドローンの銃撃によって片足を引きずりながらも、熱線を帯びた狙撃銃を構えるミネルヴァ。
大盾の半分を失い、駆動核を剥き出しにして、味方の防衛システムからの攻撃をすべて背中で受け止めてきたバスティオン。
「……また、あんたたちなの。もう、ボロボロじゃない」
シグナが低く告げる。だが、ラチェットが狂気じみた笑みを浮かべて一歩前に出た。
「ボロボロだとぉ!? 誰のせいだと思ってるんだよ! お父様に捨てられる前に、お前たちを道連れにしてやる!!」
「美学も、矜持も……すべて泥に塗れたわ」
ロゼが折れた剣を震わせ、憎悪を剥き出しにする。
「でも、あなたのその不細工な腕を引きちぎるまでは、私は踊り続ける!」
「ボクの計算じゃ……君たちはここで死ぬはずなんだ」
ミネルヴァが震える手で銃口を固定する。
「エラーは排除しなければならない。ボクの……ボクの存在価値を証明するために!」
「我が命は……閣下の盾なり」
バスティオンが過熱した駆動核から火花を散らし、地を這うような声で唸った。
「たとえこの体が砕けようとも、ここより先は……一歩たりとも通さぬ!」
4人の騎士が、文字通り「捨て身」の合体攻撃を仕掛けてきた。
ロゼが残された全神経を加速させ、シグナの視界を撹乱する残像となって舞う。バスティオンが自らの駆動核を暴走させ、周囲の重力を数倍に跳ね上げる。その重圧の中で、ミネルヴァが死角から、弾丸ではなく「熱線」の斉射を放つ。さらにラチェットが、自爆覚悟で背負った全ディスクを一度に射出した。
「……っ! 重い……。ハル、出力最大(フルパワー)!」
シグナは4本の腕を床に突き立て、重力に抗う。だが、彼女の進化は彼らの絶望を上回っていた。
シグナは重力フィールドを力尽くで踏み破り、最短距離でラチェットの懐へと飛び込んだ。
「なっ……速すぎ……!? お前、本当に……人間じゃないのか!?」
ラチェットが驚愕に目を見開く。その瞳に映るシグナの動きは、もはやフレームレートを無視したバグのようだった。
「――いいえ、私は人間よ!!」
シグナの咆哮。彼女は上腕の2本でラチェットのディスクを握り潰し、下腕のブレードを彼のアクチュエーターの継ぎ目に深く突き刺した。
「あんたたちも『捨てられたくない』と怯えるその心こそ、人間である証拠じゃないの!」
シグナはラチェットを突破口として、そのままロゼの剣を受け流し、バスティオンの剥き出しの駆動核を蹴り抜いた。4騎士の連携が、シグナという「個」の進化によって一瞬で瓦解する。驚愕に目を見開いたまま崩れゆく騎士たちの姿を、シグナの冷徹な、だが熱い瞳が捉えていた。
「シグナ、1秒だけ、僕を信じて止まってくれ」
カイルが端末のエンターキーを強く叩いた。
「……チェックメイトだ」
その瞬間、地下ホールの天井に配置されていた真鍮製の消火システムが爆発した。
噴き出したのは導電性の高い液体消火剤。4騎士の足元が青い液体に浸された瞬間、カイルがビル内の高電圧トラップを逆利用し、床全体に数万ボルトの電流を流し込んだ。
「アァァァァァァ!!」
凄まじい放電。4人の騎士たちは、自らの高性能すぎる義体を介して全身を電撃に焼かれ、一瞬にして戦闘不能へと追い込まれた。
煙を上げる4人の騎士の惨状を見て、シグナはわずかに足を止めた。
「……カイル。あいつら、殺しちゃったの?」
シグナに彼らを殺す意志はない。ただ、自らの自由のために道を拓きたかっただけだ。
カイルは足を止めることなく、涼しい顔で答えた。
「……その辺は計算済みさ。命を奪うには電圧が足りないし、液体消火剤には絶縁成分も含まれている。……30分は動けないだろうけど、死にはしないよ。貴重なサンプルをここで無駄にするほど、僕は非効率じゃない」
「……そう。ならいいわ」
シグナは安堵したように息を吐き、再び前を向いた。
「……ごめんね。君たちの忠誠心は、この『システム』の一部として計算済みだったんだ」
カイルは冷たく言い放ち、倒れ伏すラチェットたちの横を通り過ぎた。
◇◆◇◆◇
地下最深部へのエレベーター。
重厚な真鍮の扉が開き、2人が降り立った場所は、見渡す限りの蒸気配管が血管のように這い回る、巨大な空洞だった。その中心、最後の一枚の扉の前に、彼は立っていた。
アイアン・ヴェール団長、ヴィクター。
彼は新しい長槍を携え、赤いマントを蒸気の風にたなびかせていた。その姿に、もはや組織への忠誠心はない。あるのは、一人の騎士としての、清廉なまでの闘志だけだ。
「……お見事です、若様。……シグナ。よくぞここまで辿り着いた」
ヴィクターは槍を水平に構え、その先端を2人に向けた。
「ここを通れば、もう戻る道はありません。若様、貴方はこれまでの地位も、名前も、すべてを捨てることになる。……それでも、行かれるのですか?」
カイルは不敵に笑った。眼鏡のない、その剥き出しの瞳で、団長を真っ直ぐに見据える。
「戻るつもりなんて、最初からないよ、ヴィクター。……僕は、数式で書かれた未来なんていらない。……シグナと一緒に、計算外の明日を掴みに行くんだ」
「……計算外、ですか。良き答えだ」
ヴィクターが槍を振るう。シュ, コンという重厚な駆動音とともに、槍身が青白い蒸気を排気する。
「では、一人の騎士として、貴方たちの『覚悟』を試させていただく。……全力で来い、死神!」
シグナは4本の腕を、これまでで最も鋭く展開した。
「……カイル。あんたは扉のロックを。……この槍は、私が折ってあげる」
「ああ。……3分だ、シグナ。3分で、僕が地獄の鍵を開けてみせる」
最強の槍と、4腕の死神。
二人の「覚悟」が激突する、真の最終決戦が今、幕を開ける。
『――ご主人様。心拍数、安定。……演算、不要。……行きましょう!!』
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