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第14話:星屑の残滓(ざんし)

ー/ー



 要塞列車の崩落という未曾有の崩壊劇から数時間。

 荒野の夜は、すべてを拒絶するように冷たく、静かだった。

 ブラスト・ヘヴン号は追っ手の目を逃れ、巨大な岩陰の窪みにその巨躯を潜めていた。エンジンの余熱が混じった排気音が、かすかに夜の闇に溶けていく。その傍らで、小さな焚き火が爆ぜる音だけが、この孤独な世界で唯一の生命の鼓動のように響いていた。

 焚き火のオレンジ色の光が、シグナの白磁のような横顔を揺らしている。

 彼女の四本の腕は、今、背中のシャーシから解放され、メンテナンス台の上でガラの入念な処置を受けていた。右下腕の欠損部には、新しい真鍮の骨格が仮止めされ、細かな配線が火花を散らしながら繋ぎ直されていく。

 シグナの隣では、カイルが深く眠りについていた。強制接続による脳への過負荷は深刻で、彼の額には苦悶の汗が滲んでいたが、ガラの懸命な応急処置により、その呼吸はようやく穏やかなものに変わっていた。

 シグナは、ふと、隣で眠る男の右手に視線を落とした。

 いつもは冷徹な演算を操り、人を食ったような笑みを浮かべるカイル。その手は、驚くほど細く、連日酷使されたせいか、彼女と同じように微かな震えを抱えていた。

 シグナは、自分の「生身」の左手――数少ない、人間として残された指先で、そっと彼の熱を帯びた手を握った。鋼鉄の義肢ではない、柔らかく、けれど確かな脈動。

「……計算外、ね」

 シグナが自嘲気味に呟いたその時、カイルの指が微かに動き、彼女の手を握り返した。

「……ああ、……確かに。……僕の演算に、君のその温もりは……入っていなかったよ」

 カイルがゆっくりと目を開けた。多重レンズの眼鏡は外され、剥き出しになったその瞳は、いつになく澄んでいた。

「カイル……起きたのね」
「ああ……。シグナ、すまない。僕の養父――ヘリオスのCEOが目指しているのは、完璧な秩序だ。全人類の意識を機械化し、サーバーで一元管理することで、争いも無駄もない世界を作ろうとしている。……でも、それはただの死の平穏だ。……それを阻止するには、システムの論理を凌駕する『独立した意志』が必要だった。……それが、君なんだ、シグナ」

 カイルは夜空を見上げ、続けた。

「君の意志は、誰にも予測できない。だからこそ、……僕は君を愛して、いや, 利用してでも、この世界を守りたかったんだ」

◇◆◇◆◇

 焚き火の煙が空へ昇っていく。カイルは重い口を開き、物語の核心へと踏み込んだ。

「……シグナ。君がずっと探していた『本物の銀のゆりかご』の場所が、ようやく分かった。……要塞列車で拘束されている間、あいつらが僕の脳をスキャンしようとした隙を突いて、逆にヘリオスの中枢サーバーへハッキングを仕掛けたんだ」
「……そんな状態でハッキングなんて。あんた、本当に死ぬ気だったのね」
「ハッ、あそこのセキュリティはガバガバでね。……おかげで面白いことが分かった。本物のゆりかごは、あの荒野の施設じゃない。……ヘリオス本社、その地下最深部に隠されている『聖域』に保管されている」

「本社の……地下?」
「ああ。そこは……僕が幼い頃、初めて君と出会った場所だ」

 その言葉が、シグナの脳内で激しい電気信号の嵐を引き起こした。
 ズキン、と頭を割るような激痛が走る。視界が白濁し、煤けた霧の向こう側から、断片的な幼い日の情景が溢れ出してきた。

 ――真っ白な部屋。四本の不格好な腕を無理やり付けられ、泣き叫んでいた自分。

 そこへ、青白い顔をした小さな男の子がやってきた。彼は怯えながらも、私の冷たい鋼鉄の手ではなく、生身の、小さな指先をぎゅっと握ってくれたのだ。

『泣かないで。僕が、いつか必ず君をここから救い出す。外の光を見せてあげる……』

 その少年の瞳。今のカイルと同じ、絶望の中に一筋の光を宿した、あの瞳。

「……あ、……カイル……」

 シグナの目から、熱い雫がこぼれ落ちた。鋼鉄の頬を伝い、カイルの手に落ちる。
 ずっと自分を縛っていた「資産番号497」という呪い。けれど、あの時からずっと、彼はこの番号を「名前」として呼び続けてくれていたのだ。

「……思い出したのね。……遅くなって、ごめん。……約束を、守りに来たよ」

 カイルはシグナの涙を、自らの指で優しく拭った。その星空の下で、二人の運命はようやく、ただ一つの真実へと収束した。

◇◆◇◆◇

 打算や契約、負い目。そんな濁った感情で始まった関係。

 けれど、今この焚き火を囲む三人の間には、血の繋がりを超えた、本当の「家族」のような絆が静かに、だが強固に結ばれていた。

 ……はずだった。

『――ピッ! 警告です。周囲の空間における糖度が、当機の許容数値を600パーセント超過しました』

 背後でメンテナンス台の上に置かれていたハルが、唐突に真空管をチカチカと不気味なピンク色に明滅させながら立ち上がった。

『ご主人様、およびカイル様。現在の心拍数、体温、および瞳孔の開き具合から算出した結果、現在の状況は専門用語で「激甘(スーパー・スウィート)」に分類されます。当機はサービスとして、この歴史的な和解シーンに最適なバックグラウンドミュージックを再生する準備があります。なお、著作権はヘリオス社に帰属しますが、今は無礼講です』

「ハ、ハル!? ちょっと、あんた何を……!」

 シグナが慌ててカイルの手を離し、顔を真っ赤にして立ち上がる。しかし、ハルは止まらない。ゼンマイを全開で巻き上げ、どこから取り出したのか真鍮製の小型蓄音機のようなパーツを頭部から展開した。

『再生を開始します。楽曲タイトルは「錆びた心にオイルを注いで〜愛の歯車は止まらない〜」。さあ、カイル様、今です! シグナ様の右頬への接触角をプラス十五度修正し、そのまま――』
「う、うるさい! だ、黙りなさい!! 演算器をバラバラにするわよ!」

 シグナは下腕の一本を高速で振り下ろした。しかし、ハルはこれまでの戦闘データを学習していたのか、器用に「空中回線回避(エア・ドッジ)」を披露し、焚き火の向こう側へ着地する。

『おや、照れ隠しの物理攻撃ですか。実に古風な反応です。カイル様、ログの記録は続行しております。宣戦布告ビデオのタイトルは「CEOへの挨拶代わり:息子が嫁を連れて帰ります(物理)」でよろしいですか?』
「……ハッ、ハハハ! いいね、ハル。そのタイトルなら、親父の血圧を二十パーセントは確実に上げられる」

 カイルが腹を抱えて笑い出す。

「笑い事じゃないわよカイル! 嫁って何よ、嫁って!!」

 シグナの四本の腕が、怒りと羞恥でプロペラのように回転し始める。

「あんたもよハル! 今すぐ初期化して、ただのコーヒー沸かし機に変えてあげるわ!」
「まあまあ、いいじゃないか。賑やかで」

 少し離れた場所で、焚き火を見つめていたガラが、ふっと電子タバコの煙を吐き出して笑った。

「ケッ、アタシのレンチが熱で溶けちまうかと思ったけど、これなら心配なさそうだ。いいかい、シグナ。あんたが本当に心の底から笑えるその日まで、アタシのレンチは絶対に止まらない。……あんたがどんなに壊れても、このアホなハルと一緒に、何度だって直してやるよ」
「ガラまで……もう、みんな嫌い!」

 シグナはそう叫びながらも、その瞳からは涙ではなく、温かな光が溢れていた。

 ふと見上げれば、荒野の空は、言葉を失うほどの美しさに包まれていた。

 スチームパンクの煤煙に支配された世界にあって、この高原の峠だけは、かつて数百年前に存在したであろう、本物の星空を映し出していた。漆黒のベロアをぶちまけたような銀河の奔流。それは冷たい無機質な瞬きでありながら、今、シグナの目には、希望そのもののように輝いて見えた。

「……綺麗ね」
「ああ。……明日、あそこへ行こう。……今度は、本物の光の下へ」

 夜明けの気配が、地平線の向こう側に薄く藍色の線を引き始めていた。
 ブラスト・ヘヴン号のメインボイラーが、静かに、だが力強く再始動の鼓動を刻み始める。

 目的地は一つ。雲を突き抜け、傲慢な黄金の蒸気を吐き出す『ヘリオス・タワー』。

 家族の絆と、少しばかり騒がしい笑い声を胸に、死神の逆襲は、いよいよ最後の火蓋を切る。




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 要塞列車の崩落という未曾有の崩壊劇から数時間。
 荒野の夜は、すべてを拒絶するように冷たく、静かだった。
 ブラスト・ヘヴン号は追っ手の目を逃れ、巨大な岩陰の窪みにその巨躯を潜めていた。エンジンの余熱が混じった排気音が、かすかに夜の闇に溶けていく。その傍らで、小さな焚き火が爆ぜる音だけが、この孤独な世界で唯一の生命の鼓動のように響いていた。
 焚き火のオレンジ色の光が、シグナの白磁のような横顔を揺らしている。
 彼女の四本の腕は、今、背中のシャーシから解放され、メンテナンス台の上でガラの入念な処置を受けていた。右下腕の欠損部には、新しい真鍮の骨格が仮止めされ、細かな配線が火花を散らしながら繋ぎ直されていく。
 シグナの隣では、カイルが深く眠りについていた。強制接続による脳への過負荷は深刻で、彼の額には苦悶の汗が滲んでいたが、ガラの懸命な応急処置により、その呼吸はようやく穏やかなものに変わっていた。
 シグナは、ふと、隣で眠る男の右手に視線を落とした。
 いつもは冷徹な演算を操り、人を食ったような笑みを浮かべるカイル。その手は、驚くほど細く、連日酷使されたせいか、彼女と同じように微かな震えを抱えていた。
 シグナは、自分の「生身」の左手――数少ない、人間として残された指先で、そっと彼の熱を帯びた手を握った。鋼鉄の義肢ではない、柔らかく、けれど確かな脈動。
「……計算外、ね」
 シグナが自嘲気味に呟いたその時、カイルの指が微かに動き、彼女の手を握り返した。
「……ああ、……確かに。……僕の演算に、君のその温もりは……入っていなかったよ」
 カイルがゆっくりと目を開けた。多重レンズの眼鏡は外され、剥き出しになったその瞳は、いつになく澄んでいた。
「カイル……起きたのね」
「ああ……。シグナ、すまない。僕の養父――ヘリオスのCEOが目指しているのは、完璧な秩序だ。全人類の意識を機械化し、サーバーで一元管理することで、争いも無駄もない世界を作ろうとしている。……でも、それはただの死の平穏だ。……それを阻止するには、システムの論理を凌駕する『独立した意志』が必要だった。……それが、君なんだ、シグナ」
 カイルは夜空を見上げ、続けた。
「君の意志は、誰にも予測できない。だからこそ、……僕は君を愛して、いや, 利用してでも、この世界を守りたかったんだ」
◇◆◇◆◇
 焚き火の煙が空へ昇っていく。カイルは重い口を開き、物語の核心へと踏み込んだ。
「……シグナ。君がずっと探していた『本物の銀のゆりかご』の場所が、ようやく分かった。……要塞列車で拘束されている間、あいつらが僕の脳をスキャンしようとした隙を突いて、逆にヘリオスの中枢サーバーへハッキングを仕掛けたんだ」
「……そんな状態でハッキングなんて。あんた、本当に死ぬ気だったのね」
「ハッ、あそこのセキュリティはガバガバでね。……おかげで面白いことが分かった。本物のゆりかごは、あの荒野の施設じゃない。……ヘリオス本社、その地下最深部に隠されている『聖域』に保管されている」
「本社の……地下?」
「ああ。そこは……僕が幼い頃、初めて君と出会った場所だ」
 その言葉が、シグナの脳内で激しい電気信号の嵐を引き起こした。
 ズキン、と頭を割るような激痛が走る。視界が白濁し、煤けた霧の向こう側から、断片的な幼い日の情景が溢れ出してきた。
 ――真っ白な部屋。四本の不格好な腕を無理やり付けられ、泣き叫んでいた自分。
 そこへ、青白い顔をした小さな男の子がやってきた。彼は怯えながらも、私の冷たい鋼鉄の手ではなく、生身の、小さな指先をぎゅっと握ってくれたのだ。
『泣かないで。僕が、いつか必ず君をここから救い出す。外の光を見せてあげる……』
 その少年の瞳。今のカイルと同じ、絶望の中に一筋の光を宿した、あの瞳。
「……あ、……カイル……」
 シグナの目から、熱い雫がこぼれ落ちた。鋼鉄の頬を伝い、カイルの手に落ちる。
 ずっと自分を縛っていた「資産番号497」という呪い。けれど、あの時からずっと、彼はこの番号を「名前」として呼び続けてくれていたのだ。
「……思い出したのね。……遅くなって、ごめん。……約束を、守りに来たよ」
 カイルはシグナの涙を、自らの指で優しく拭った。その星空の下で、二人の運命はようやく、ただ一つの真実へと収束した。
◇◆◇◆◇
 打算や契約、負い目。そんな濁った感情で始まった関係。
 けれど、今この焚き火を囲む三人の間には、血の繋がりを超えた、本当の「家族」のような絆が静かに、だが強固に結ばれていた。
 ……はずだった。
『――ピッ! 警告です。周囲の空間における糖度が、当機の許容数値を600パーセント超過しました』
 背後でメンテナンス台の上に置かれていたハルが、唐突に真空管をチカチカと不気味なピンク色に明滅させながら立ち上がった。
『ご主人様、およびカイル様。現在の心拍数、体温、および瞳孔の開き具合から算出した結果、現在の状況は専門用語で「激甘(スーパー・スウィート)」に分類されます。当機はサービスとして、この歴史的な和解シーンに最適なバックグラウンドミュージックを再生する準備があります。なお、著作権はヘリオス社に帰属しますが、今は無礼講です』
「ハ、ハル!? ちょっと、あんた何を……!」
 シグナが慌ててカイルの手を離し、顔を真っ赤にして立ち上がる。しかし、ハルは止まらない。ゼンマイを全開で巻き上げ、どこから取り出したのか真鍮製の小型蓄音機のようなパーツを頭部から展開した。
『再生を開始します。楽曲タイトルは「錆びた心にオイルを注いで〜愛の歯車は止まらない〜」。さあ、カイル様、今です! シグナ様の右頬への接触角をプラス十五度修正し、そのまま――』
「う、うるさい! だ、黙りなさい!! 演算器をバラバラにするわよ!」
 シグナは下腕の一本を高速で振り下ろした。しかし、ハルはこれまでの戦闘データを学習していたのか、器用に「空中回線回避(エア・ドッジ)」を披露し、焚き火の向こう側へ着地する。
『おや、照れ隠しの物理攻撃ですか。実に古風な反応です。カイル様、ログの記録は続行しております。宣戦布告ビデオのタイトルは「CEOへの挨拶代わり:息子が嫁を連れて帰ります(物理)」でよろしいですか?』
「……ハッ、ハハハ! いいね、ハル。そのタイトルなら、親父の血圧を二十パーセントは確実に上げられる」
 カイルが腹を抱えて笑い出す。
「笑い事じゃないわよカイル! 嫁って何よ、嫁って!!」
 シグナの四本の腕が、怒りと羞恥でプロペラのように回転し始める。
「あんたもよハル! 今すぐ初期化して、ただのコーヒー沸かし機に変えてあげるわ!」
「まあまあ、いいじゃないか。賑やかで」
 少し離れた場所で、焚き火を見つめていたガラが、ふっと電子タバコの煙を吐き出して笑った。
「ケッ、アタシのレンチが熱で溶けちまうかと思ったけど、これなら心配なさそうだ。いいかい、シグナ。あんたが本当に心の底から笑えるその日まで、アタシのレンチは絶対に止まらない。……あんたがどんなに壊れても、このアホなハルと一緒に、何度だって直してやるよ」
「ガラまで……もう、みんな嫌い!」
 シグナはそう叫びながらも、その瞳からは涙ではなく、温かな光が溢れていた。
 ふと見上げれば、荒野の空は、言葉を失うほどの美しさに包まれていた。
 スチームパンクの煤煙に支配された世界にあって、この高原の峠だけは、かつて数百年前に存在したであろう、本物の星空を映し出していた。漆黒のベロアをぶちまけたような銀河の奔流。それは冷たい無機質な瞬きでありながら、今、シグナの目には、希望そのもののように輝いて見えた。
「……綺麗ね」
「ああ。……明日、あそこへ行こう。……今度は、本物の光の下へ」
 夜明けの気配が、地平線の向こう側に薄く藍色の線を引き始めていた。
 ブラスト・ヘヴン号のメインボイラーが、静かに、だが力強く再始動の鼓動を刻み始める。
 目的地は一つ。雲を突き抜け、傲慢な黄金の蒸気を吐き出す『ヘリオス・タワー』。
 家族の絆と、少しばかり騒がしい笑い声を胸に、死神の逆襲は、いよいよ最後の火蓋を切る。