第13話:要塞列車の崩落
ー/ー 世界が激しく傾ぎ、鋼鉄の巨獣が断末魔の叫びを上げた。
要塞列車『ベヒモス』の深部で起こった蒸気爆発は、連結部の強固なボルトを飴細工のように引き千切り、後続の車両を次々と脱線させていた。通路の真鍮配管からは、行き場を失った過熱蒸気がヒィィィィィンと耳を劈く高音を立てて噴き出し、視界を真っ白に染め上げている。
「カイル、しっかりして! まだ死なせないわよ!」
シグナは、拷問によって意識が朦朧としているカイルを背負い、四本の腕のうち上腕の二本を「固定帯」代わりにして彼の体を自分の背に強く括り付けていた。残る下腕の二本で、崩れ落ちる天井の瓦礫を払い、揺れる床にブレードを突き立ててバランスを保つ。
「……ハッ、……手荒な、……お迎えだね。……でも、悪くない……」
カイルはシグナの耳元で弱々しく笑い、血の混じた息を吐いた。彼の体温は低く、精密な時計仕掛けの演算器が内蔵された脳は、過負荷によって異常な熱を発している。
「ハル! 最短の脱出ルートを! この車両、あと三分も持たないわ!」
『了解! ですがご主人様、前方、第一甲板出口に……最強の「壁」が立ち塞がっています。いえ、「壁」ではありません。……「槍」です!』
蒸気の帳を切り裂き、その男は悠然と、しかしどこか焦燥を孕んだ威圧感で立っていた。
白銀の重甲冑に、返り血を浴びたような深紅のマント。手には、伸縮機構を内蔵した巨大な長槍『テレスコピック・スチームランス』。
アイアン・ヴェール団長、ヴィクター。
「若様。……および資産番号497(シグナ)。これ以上の遊戯は、この列車と共に終わりです」
ヴィクターの声は重く響いたが、周囲の床はすでに四十五度近く傾いている。彼は槍を水平に構え、蒸気バルブを開放した。シュ, コンという重厚な駆動音と共に、槍身が三メートル以上にまで伸長する。
「ヴィクター……! どきなさい、あんたまで壊したくない!」
「壊す? ……我々には、もうその時間すら残されていないようだ」
衝突は、一撃一撃が文字通り命懸けだった。
ヴィクターの突きは、もはや「点」の連続だった。伸縮する槍は物理法則をあざ笑うように、シグナの間合いの外から彼女の駆動核を的確に狙い撃つ。
シグナは下腕で必死に応戦するが、カイルを庇いながらの動きは鈍い。一本、また一本と、ガラの施した美しい装甲が、ヴィクターの非情な一突きによって削り取られていく。
「……っ、あぁ!」
シグナの右下腕の肘関節に槍が突き刺さり、真鍮の歯車が火花と共に飛散した。
「無駄です。君の腕は未完成だ。若様を連れてここを脱するには、その程度の出力では……」
シグナは血を吐きながら床に膝をついた。背負っているカイルの重みが、今は絶望的な足枷となっていた。
「……シグナ。……僕の、神経を使って」
背後で、カイルが力なく、だが熱を帯びた声で囁いた。
「……何……何を言っているの?」
「……僕の脳の演算領域を、……ハル経由で君の義体に直結させる。……二人の感覚を、一つに溶かすんだ。……カオス・レゾナンス……。君の「野生」に、僕の「論理」を捧げるよ」
『……危険です! 成功率は計測不能。お二人の脳が、機械の熱で焼き切れる可能性があります!』
ハルが絶脳の警告を上げる。だが、シグナは震える声で答えた。
「……やって。……このまま死ぬより、あいつと一緒に狂う方がマシよ!」
カイルが最後の手元のスイッチを叩いた。強制接続コードが、シグナの首筋とカイルの側頭部を繋ぐ。
――ドクン!
シグナの視界が爆ぜた。
脳髄に直接流れ込む、カイルの痛み、彼の熱、転送される無数の数式と確率の奔流。
赤と青のノイズが世界を塗り替え、ヴィクターの槍の動きが、もはや物理現象ではなく「波」として捉えられるようになる。どこを突き、どこで蒸気を吐き出し、どこに重心を移動させるか……。すべてが、数秒先の未来として網膜に投影された。
「……見える。あんたの……死角が!」
シグナの四本の腕が、神速を超えた。
ヴィクターの必殺の刺突を、最小限の動きですり抜け、逆にその間合いへと踏み込む。
残された三本の腕を互いに連結させ、伸びきった槍の銃身を、鋼鉄の「檻」で正面から掴み取った。
「な……槍を、素手で……!? 馬鹿な!」
「これで……終わりよ!」
シグナは全身の蒸気圧を右腕一点に集中させた。ガラのチューンが限界を超えて鳴動し、槍身を強引に圧し折る。
――バキィィィィィィィィィン!!
騎士団最強の誇りであったスチームランスが半ばから粉々に砕け散った。ヴィクターは衝撃に目を見開いたが、直後、足元の床が崩壊し、猛烈な爆発が二人を分かつ。
「……計算外だ。これほどの同期率を見せるとは」
ヴィクターは折れた槍の残骸を捨て、背後の闇――意識を失い転がっているラチェットとミネルヴァの方を振り返った。
列車の屋根は剥がれ、周囲は炎と噴き出すオイルで地獄のような様相を呈している。
「これ以上は無益。私は、私の騎士たちを回収せねばならぬ。……497。今の君たちならば、この先にある『真実』に対峙する権利がある。……生き延びるがいい、若様と共に!」
ヴィクターはシグナを一瞥すると、猛火が迫る中、意識不明の部下二人を力強く抱え上げた。彼はそのまま、崩落の衝撃でねじ曲がった車両の奥――生存が危ぶまれるほどの爆炎の中へと迷わず姿を消した。それは部下を見捨てぬ騎士の誇りと、自らの運命を受け入れた男の背中だった。
だが、シグナたちに感慨に浸る猶予はなかった。
列車はついに断崖の鉄橋を突き破り、虚空へと躍り出た。
重力から解放された一瞬、シグナの脳裏にはヴィクターの「生き延びろ」という言葉が、カイルの心拍と共に激しく響いていた。
(……死なない。絶対に、あいつと一緒に生き残ってやる!)
シグナはカイルを抱え直し、窓を突き破って荒野の空へと全力で跳ねた。
眼下には、深い谷底。落下速度が加速し、肺から空気が搾り取られる。それでも彼女は、四本の腕を最大限に展開し、空気の渦を必死に掴もうとしていた。
その時、闇を切り裂く暴力的なまでの黄色いライトが、谷底から彼女たちの瞳を射抜いた。
ズォォォォォォン!!
地響きのような咆哮。
断崖の絶壁を、六輪の巨大なタイヤが火花を散らしながら駆け上がってくる。煤けた黄色い装甲板、過熱蒸気を噴き上げる巨大ボイラー。
『ブラスト・ヘヴン号』だ。
「イチャつくのは空の上じゃなくて、アタシの車の中でしな!!」
ガラの拡声器を通した怒声が響く。
牽引車の後部ハッチが全開になり、そこには巨大な防護ネットが展開されていた。
「さすが、ガラ。最高のタイミングね!!」
シグナは四本の腕をパラシュートのように広げ、空気抵抗を利用してカイルと共に、その「救いの手」の中へと飛び込んだ。
重厚なハッチが閉まると同時に、背後で巨大な爆発音が響いた。
要塞列車『ベヒモス』が谷底で大破炎上し、その衝撃がブラスト・ヘヴン号の装甲を揺らす。
車内には、沈黙と、熱いグリスの匂い、そして二人の荒い呼吸だけが残された。
シグナはカイルを床に下ろし、自らも力尽きたように倒れ込んだ。
接続コードが外れ、共有されていた感覚がゆっくりと解けていく。
「……助かった、のね」
「……ああ。……100パーセントの確率で、僕たちの勝ちだ」
カイルは震える手で、シグナの頬に触れた。シグナもまた、鋼鉄の腕ではなく、生身の、華奢な指先で彼の手を握り返した。
打算や契約、負い目で始まった関係が、本当の「家族」のような、揺るぎない絆に変わった瞬間だった。
地平線の彼方には、ヘリオス本社を象徴する巨大な黒い影が、二人を嘲笑うようにそびえ立っている。
カイルを奪い返し、過去の呪縛を振り払うための「逃避行」は、今この瞬間をもって終わりを告げた。
次なる道は、自分たちを「モノ」として扱った世界、その中枢への正面突破――。
シグナとカイル、そしてガラの物語は、すべての因縁を断ち切るための「最終章」へと加速していく。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
作者の他の作品
この作者の他作品はありません。
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。