第12話:裏切りの演算
ー/ー 要塞列車『ベヒモス』の屋根の上は、暴風と鉄の匂いが渦巻く処刑場と化していた。
時速100キロ。重厚な金属の震動が足裏から脳髄を揺らす中、シグナは前後を完全に塞がれていた。前方、数100メートル先の先頭車両の天窓からはミネルヴァの電磁加速砲(レールガン)が青白い銃口を向け、目前の屋根の上ではラチェットが「ソー・ランチャー・改」の丸鋸を甲高く回転させていた。
「逃げ場なんてねえって言ったろ、お姉さん! オレ様の新しい『おもちゃ』は、その不細工な腕を一本ずつ根元から引き抜くまで止まんねえんだよ!」
ラチェットの傲慢な叫びと共に、三枚の『ハイパー・ディスク』が射出された。
その刹那、前方のミネルヴァからも青白い電光が放たれる。
「……Fire」
だが、その二つの攻撃はシグナを捉える前に、互いの軌道を乱し合った。ラチェットが放ったディスクの回転が気流を乱し、ミネルヴァの精密な弾道計算を数センチだけ狂わせたのだ。
「おい、ラチェット! 射線を塞がないで。ボクの計算にノイズが混じるだろう」
「あぁ!? 知るかよミネルヴァ! オレ様が近くでバラバラにすりゃ済む話だろ! ボヤボヤしてんのはどっちだよ!」
挟み撃ちという絶好の機会でありながら、二人の間には協力の「き」の字もなかった。アイアン・ヴェールの第五騎士と第四騎士。幼さゆえの功名心と、数学的合理性を重んじる冷徹さ。その決定的な不協和音が、シグナに生存の余地を与えていた。
「……変数を確認。……だけど、無駄だよ。あんたたちは、自分のことしか見えてない」
シグナはカイルの眼鏡を指先で押し上げた。ガラの最終調整によって跳ね上がった義鋼体のレスポンスが、シグナに敵の「言い争い」が生み出すわずかな停滞を見逃させなかった。
「おいで! 二人まとめて、相手をしてあげる!」
シグナは上腕の二本を杭のように列車の屋根に突き立て、全身の蒸気圧を瞬間的に開放した。
ドォォォォン!!
時速百キロの走行風と爆発的な排気。その反動を利用し、シグナは物理法則を無視した低空跳躍でラチェットの懐へと肉薄した。
「なっ、速い……!? おい、ミネルヴァ、撃てよ!」
「言われなくても! ……くっ、ラチェット、動かないで! 君が邪魔で狙えない!」
ミネルヴァの放った磁気加速弾が、シグナを避けて列車の装甲に直撃し、巨大な火花を散らす。その衝撃が、ベヒモスの中心部にある「磁気圧力制御弁」を激しく揺さぶった。
「まずはあんたからよ、生意気なガキ!」
シグナの四本の腕が、阿修羅のごとき猛攻を開始した。
下腕の一本がラチェットのランチャーを掴み、逆方向へ力任せにひねり上げる。真鍮の歯車が砕け散る不快な音が響く。
「がっ……、オレ様の、オレ様の最高傑作が……!」
シグナは怯むラチェットを蹴り飛ばし、そのままハッチを強引に破壊して列車内部へと滑り込んだ。
「逃がすかよ!」
「……追い詰めよう、ラチェット。内部なら逃げ場はない」
二人は今度こそ獲物を仕留めるべく、シグナを追って狭い通路へと飛び込んだ。
◇◆◇◆◇
列車内部は、真鍮の配管が剥き出しになった蒸気風呂のような熱気。
赤い非常灯が明滅する中、シグナはカイルの残り香――石炭の微かな香りと、彼がいつも使っていた高級なギアオイルの匂い――を必死に追った。
だが、車両を繋ぐ防壁扉の前で、再びミネルヴァとラチェットが立ち塞がった。ミネルヴァはレールガンを、ラチェットは予備の振動ナイフを構え、今度は狭い通路という「逃げ場のない戦場」を利用する構えだ。
「……ねえ、シグナ。君は、自分が何のためにここまで来たと思っているの?」
ミネルヴァの冷徹な声が、蒸気に満ちた通路に響く。
「愛? 絆? そんな演算の中に存在しない不確定要素を信じているの? カイル様が君をスラムから連れ出した本当の理由、教えてあげようか」
「そうだぜ、お姉さん!」
ラチェットが歪んだ笑みを浮かべて追随する。
「お兄様はお父様……CEOと最初から裏で取引をしていたんだ。君という『四腕の完成体』を実戦でテストし、その極限状態のデータを父への手土産にすることで、自分の地位を確固たるものにする。……あんたはただの、テスト用のモルモットなんだよ!」
二人の言葉が、鋭いメスのようにシグナの心臓を抉る。
実験施設で感じた、カイルの「たちが悪い合理性」への疑念が、毒のように全身を駆け巡る。カイルなら、やりかねない。目的のためにすべてを駒として扱うあの男なら、自分さえも「演算」の材料にしていたのではないか。
「嘘よ……あいつは、私の記憶を盗み出してくれた……!」
「あはは、滑稽だね。その記憶だって、君をより『戦わせる』ためのスパイスに過ぎない。君は、手のひらで踊らされていた、ただの人形なんだよ」
ミネルヴァがバイザーを冷たく光らせ、ラチェットが嘲笑いながら一歩踏み出す。シグナの視界が揺れた。背中の四本の腕が、困惑したようにカチ、カチと不規則な音を立てる。
(私は……また、裏切られていたの? あの優しさも、あの『勲章だ』という言葉も……すべて、数値を引き出すための芝居だったっていうの?)
「――隙あり」
ミネルヴァの指が引き金を引いた。迷いが生じた一瞬、磁気加速弾がシグナの右肩を貫いた。
「……っ、あぁぁぁ!!」
凄まじい衝撃。シグナは通路の壁に叩きつけられ、ひしゃげた配管から噴き出した熱い蒸気が彼女を覆った。
「トドメはオレ様に譲れよ、ミネルヴァ!」
ラチェットが振動ナイフを振りかぶり、シグナの駆動核へ向かって跳躍した。
『ご主人様……! 聴いてはなりません! ミネルヴァの言葉はノイズです!』
ハルがシグナの肩の上で、必死に真空管を明滅させて叫んでいた。
「ハル……、でも……カイルなら……私は、ただの道具だったの……?」
『……いいえ。私は見つけました。カイル様が、私の中に隠していた「演算外」の領域を。……今、強引にクラックします! 聴いてください、これが彼の真実です!』
ハルのボディから激しい放電が起こり、シグナの眼鏡のスピーカーから、ノイズ混じりのカイルの「生の声」が再生された。
それは、深夜の工房で一人、誰にも聞かせるつもりなく呟いた音声ログだった。
『……ハァ、……シグナ。……君の記憶を盗み出すために、僕は多くの嘘を重ねた。父も、騎士団も、……そして君自身も、欺き続けてきた。……でも、計算が合わないんだ。……君のデータなんて、本当はどうでもいい。……僕はただ、……君の笑った顔を、もう一度計算したかった。……いや、計算なんてしなくていい。……ただ、見ていたかったんだ。……あの日、ゆりかごで約束した……外の光を、君と一緒に……見たいだけなんだ』
シグナの瞳に、青白い火が灯った。
肩の傷から漏れ出す蒸気が、彼女の怒りと共に激しく噴き上がる。
「ありがと、ハル。最高のタイミングだったわ! ……あんたたちの嘘には、もう騙されない、ミネルヴァ。……ラチェット、あんたもよ」
「いえいえ、ご主人様の本気をサポートできて、至上の喜びです!」
シグナはゆっくりと立ち上がった。四本の腕が、猛獣が牙を剥くように最大出力の駆動音を奏でる。迫り来るラチェットのナイフを、一本の手で軽々と掴み取り、そのまま彼の体をミネルヴァへと投げつけた。
「な、なにっ……!?」
「計算なんて、クソくらえよ!」
シグナは爆発的な加速で踏み込んだ。
絡まり合った二人に向かって、四本の腕を一本に連結させ、全蒸気圧を込めた衝撃を叩き込む。
「ガラのチューンを、舐めないで!」
――ドォォォォン!!
衝撃波でラチェットとミネルヴァは通路の奥へと吹き飛び、分厚い隔壁に激突して意識を失った。ラチェットのナイフは砕け、ミネルヴァのバイザーは虚しく転がった。
シグナは足を止めることなく、最深部の独房車両へと向かった。
重厚な鋼鉄の扉。彼女は腕を赤熱させ、ブレードを差し込んで根元から扉を溶解・破壊した。
ガシャァァァン!!
扉が床に転がり、立ち込める蒸気の向こう側に、一人の男がいた。
カイル・ヘリオス。
彼は磁気拘束の鎖に繋がれ、拷問によってボロボロになった革コートを纏い、力なく座り込んでいた。
シグナの足音に、カイルはゆっくりと顔を上げた。
「……ハッ、……お姫様。……来るのが、三分……遅いよ」
いつもの、憎たらしいほど不敵な笑み。
「……バカ。死ねばよかったのに」
シグナはそう言いながら、四本の腕を収め、自らの華奢な二本の腕で、ボロボロになったカイルを力いっぱい抱きしめた。
「……迎えに、来たわよ。……依頼人」
カイルはシグナの肩に顔を埋め、小さく、満足げに息を吐いた。
けれども、安堵の時間はない。ベヒモスが巨大な悲鳴を上げた。
先ほどの乱戦で損傷していた磁気圧力制御弁がついに臨界を突破。車両の連結部で蒸気爆発が起こり、時速百キロの鋼鉄の巨体はレールを外れ、荒野の断崖へと滑り出した。
緊急アラートの赤い光が明滅し、地響きのような咆哮と共に、要塞列車の崩落が始まった。
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