第9話:量産される絶望
ー/ー 重厚な油圧ハッチが開き、その奥から溢れ出してきたのは、心臓を直接撫でるような不快な駆動音の合唱だった。
カチ、カチ、カチャカチャ……。
それはシグナが聞き慣れた、自分の背中の四本の腕が奏でる油圧ピストンの往復音に酷似していた。だが、決定的な違いがあった。その音には、生物としての微かな揺らぎも、躊躇いも一切ない。ただ冷徹に、プログラムされたリズムを刻むだけの「死のメトロノーム」だ。
「……何、これ」
施設の最深部、広大なドーム状のドックにシグナは立ち尽くしていた。
暗がりからガス灯の光に照らされて姿を現したのは、十体を超える無機質なオートマタの群れ。それらすべてが、シグナと全く同じ「四本の鋼鉄腕(クアッド・アーム)」を背負っていた。
しかし、その頭部にあるのは人間の顔ではなく、無機質な単眼のセンサーのみ。剥き出しの真鍮配管、荒々しく打たれたリベット、オイルの滲んだ不完全な装甲。それは、シグナという「完成体」に至る過程で生み出された、名もなき失敗作の成れ果て――『クアッド・ドローン』の群れだった。
「ねえ、ガラ……説明してよ」
シグナの声は、かつてないほど震えていた。彼女は横に立つガラの肩を、鋼鉄の指先で強く掴んだ。指先から伝わる振動が、彼女の動揺を物語っている。
「あんたが言った『贖罪』って、こういうことなの? あんた、こんな化け物を……私の『兄弟』を、ここでどれだけ組み立てたのよ!」
ガラは苦渋に満ちた表情で視線を逸らし、噛んでいた電子タバコを床に投げ捨てた。
「……アタシが関わっていたのは、この施設の基礎設計までだ。だが、この惨状を見ればわかる。ヘリオスは、アタシが去った後もラインを止めなかった。……シグナ、悪いが今はこれを壊すことだけを考えな。過去を清算するのは、生きてここを出てからだ!」
ガラの言葉が終わるより早く、ドローンたちが一斉に赤色のセンサーを点灯させた。
シグナは反射的に四本の腕を展開したが、身体が鉛のように重い。
「……ハル、解析。あいつら、私と同じ動きをしてくるの?」
『ご主人様、注意してください。彼らの義手は、ご主人様の駆動ロジックを簡略化したものです。個々の出力は低いですが、ネットワークで同期されています。……ご主人様が動けば動くほど、彼らはそのパターンを学習し、最適な殺害ルートを構築します』
シグナは地を蹴り、一番近いドローンへとダブルブレードを叩きつけた。
だが、ドローンの四腕は、まるで鏡合わせのようにシグナの刃を受け流した。金属の擦れる音が、脳内にこびりついて離れない。
(やめて。同じ音を立てないで。……私を、そんな目で見ないで!)
目の前のドローンから火花が散る。その内部、剥き出しになった真鍮歯車の配置、配線の色彩……それは、シグナ自身の義手の内側と全く同じ構造だった。
自分が唯一無二の存在だと思っていた誇りが、砂の城のように崩れていく。
戦うほどに、自分が「意志を持つ人間」ではなく、ただの「成功した量産品」であることを突きつけられる。シグナの鋭い斬撃は次第に精彩を欠き、ドローンたちの無機質な包囲網に飲み込まれていった。
「――終わりだ。資産番号497(シグナ)。絶望するには早い。お前もまた、この整然たる秩序の一部に過ぎぬのだから」
重厚な足音と共に、ドームの奥から漆黒の巨躯が歩み寄る。
数日前、荒野で再起不能にしたはずの『壁』、バスティオンだった。その装甲にはまだ焦げ跡が残っているが、盾から放たれる偏向フィールドの輝きは以前よりも増し、不気味な重圧を撒き散らしている。
「バスティオン……!? もう直ったっていうの!?」
「我は壁。ヘリオスの資材がある限り、何度でも修復される。……若様、ヴィクター団長が道を譲ったのは、貴方をここへ導くため。我が主――CEOは、逃げ出した資産の『自主的な返却』を待っておられるのだ」
バスティオンが巨大な盾を床に叩きつけると、ドーム全体の重力が一変した。
凄まじい「磁気圧力」が、戦意を喪失しかけていたシグナを白磁の床に縫い付ける。
「……っ! 演算が……追いつかない!?」
カイルが悲鳴のような声を上げた。
真鍮の多重レンズ眼鏡に表示されるのは、赤色の「ERROR」の文字。この施設そのものが、カイルの外部接続を妨害する強力な磁気ジャミング装置と化している。
「……罠だったわけだ。ヴィクターの言った『対峙する資格』ってのは、僕たちがこの『ゴミ処理場』で回収されるに値するかどうか、という判定だったんだよ」
カイルは自嘲気味に笑い、鼻から一筋の鮮血を流した。強制的な演算オーバーロードによる脳への負荷だ。
「シグナ、戦っちゃダメだ! ドローンたちの四腕は、君の動きに同調して最適化される! 動けば動くほど、君自身を殺す刃になるんだ!」
カイルの警告を待たず、シグナの四腕は力なく垂れ下がった。
自分と同じ腕。自分と同じ音。自分と同じ、血の通わない機械の残火。
シグナの視界が恐怖で白濁する。思い出そうとするたびに脳を焼く頭痛が臨界点を超え、彼女はもはや、目の前のドローンと自分を区別することさえできなくなっていた。
「――終わりだ。資産番号497、および次期CEO候補カイル・ヘリオスの身柄を確保する」
バスティオンが巨大なメイスを振り上げた。目標は、戦意を喪失したシグナの背中――蒸気ボイラーが収まる駆動核。
「……させるかよ」
その瞬間、シグナの前にカイルが飛び出した。
戦闘能力のないはずの男が、重力フィールドを這いずり、彼女を庇うように両腕を広げる。
「カイル……!?」
「……シグナ。君は、量産品なんかじゃない。……僕が選んだ、僕だけの『答え』だ」
カイルは顔を歪めながら自分の眼鏡を外し、震える手でそれをシグナの手に押し付けた。
「これを持っていけ。僕の演算ログ……君の『すべて』がそこにある」
カイルは懐から一つの発信機を取り出し、そのスイッチを叩いた。
「バスティオン! 僕が自発的に投降コードを送信した! ……代わりに、彼女とガラを逃がせ。ヘリオスの法において、CEO候補の安全は、失敗作(ドローン)の回収よりも優先されるはずだ!」
「若様……正気か」
「僕の演算に狂いはない。……シグナ、逃げろ。君が自由でいる限り、僕の勝ちだ」
バスティオンの盾が発光し、カイルを拘束する光の鎖が伸びる。
シグナは叫ぼうとしたが、背後から駆け寄ったガラに強引に肩を担がれた。
「シグナ、行くよ! あのバカの賭けを台無しにする気かい!」
「待って……カイル! カイル!!」
施設内に緊急移送用の輸送機の爆音が響き渡る。
シグナが最後に見たカイルは、敵に引きずり回されながらも、口元にいつもの不敵な笑みを浮かべていた。その瞳は、最後までシグナの「未来」だけを見つめていた。
――必ず、迎えに行く。
声にならない誓いを、シグナは奪われたカイルの眼鏡に、涙と共に刻み込んだ。
逃避行は今、最悪の別離と共に、血塗られた第2章の幕を開けたのだった。
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