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第8話:告発の残り香

ー/ー



 巨大な白いドーム――『銀のゆりかご』の内部は、外の荒野が嘘のような静寂と、鼻を突く消毒液の臭いに満ちていた。

 天井に這う無数の真鍮製配管からは、微かに漏れる蒸気が白い尾を引き、無影灯の鈍い光が白磁の床を無機質に照らしている。そこには塵一つ落ちておらず、かえってそれが、ここが「生きた人間」のための場所ではないことを強調していた。

「……おかしい」

 カイルが真鍮の多重レンズ眼鏡を何度もカチャカチャと回し、セピア色の投影データを凝視する。その額には、珍しく焦燥の汗が滲んでいた。

「配置が違う。僕が盗み出した設計図では、この区画には中央管理室があるはずだ。なのに、ここにあるのは……」

 カイルが指し示した先には、等間隔に並んだ巨大な円筒形のカプセルが、地平線の先まで続いていた。
 カプセルの内部は薄濁った培養液で満たされ、そこから無数の真鍮製チューブが壁の奥へと伸びている。それはまるで、巨大な工場の「製品ライン」そのものだった。

「……見たことがあるわ。この景色を、私は知っている」

 シグナが、震える指先でカプセルの冷たいガラスに触れた。
 その瞬間、後頭部を焼かれるような激痛が走り、視界が白濁する。脳裏に、かつての断片がフラッシュバックする。

『……っ、あ……。ここ……知ってる。この、目に刺さるような冷たい光。……隣のカプセルに、誰かがいた。泣き叫ぶ声。……そして、冷徹な機械が私の腕を、基部から無理やり――』
「シグナ、それ以上はダメだ! 思考を演算に同期させるな!」

 カイルが彼女の肩を掴んで引き戻した。

 だが、その横を通り過ぎたガラが、重い足取りで一基のカプセルの前に立ち、電子タバコを深く吸い込んだ。紫煙が無機質な空間に広がる。

「無駄だよ、お坊ちゃん。あんたがどれだけ『天才』だろうが、ヘリオスの本質を読み違えてる。……ここは『聖域』なんかじゃない。ただの、規格化された廃棄物処理場さ」

 ガラは吐き出した煙を眺めながら、自嘲気味に鼻を鳴らした。

「あんたの持っていたデータは本物だろうよ。だが、それは『この施設』のものじゃない。ヘリオスにとって、この手の実験場は一つじゃないんだ。……世界中に、同じ間取り、同じ設備、同じ『苗床』が掃いて捨てるほどある。だから、どこを調べても、どこへ辿り着いても、同じ絶望にぶち当たるようにできてるんだよ」

 ガラの声は、今まで聞いたことがないほど掠れていた。彼女はカプセルの表面に刻まれた、掠れたシリアルナンバーを忌々しげに睨みつける。

「……ガラ。あんた、なんでそんなこと知ってるの」

 シグナの問いに、ガラは電子タバコを噛み、視線を逸らした。

「……働いてたからだよ。ヘリオスの『主席整備士』? ケッ、聞こえはいいが、実態はただの肉体改造の現場監督さ。……シグナ、あんたのような子供を、一日に何人も『組み立てて』いたんだよ。アタシの手は、油(オイル)より血で汚れてるんだ」

 静寂が、重く三人を包み込んだ。シグナは衝撃のあまり、言葉を失ってガラを見つめた。
 彼女にとって、ガラはスラムで唯一、自分を「モノ」としてではなく「人間」として扱ってくれる恩人だった。そのガラの口から出たのは、自分の悪夢そのものを構築していた側の告白だった。

「あんたが……私を、作ったの……?」
「あんたそのものを作ったのは、アタシじゃないかもしれない。だが、同じラインで同じ悲鳴を聞きながら、アタシはレンチを回し続けた。……シグナ。アタシがあんたの腕に執着して、ずっと付き纏ってたのは、あんたが可愛いからじゃない。……贖罪(しょくざい)だよ」

 ガラは初めてシグナの目を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、隠しきれない後悔と痛みが澱のように沈んでいる。

「あんたのその四本の腕……ヘリオスの試作機の中でも最悪の欠陥品だ。神経への負荷、排熱の脆弱性。アタシはそれを知っていながら、当時は改良案を握り潰した連中に何も言えなかった。……だから、せめてあんただけは、アタシが作った最高級のパーツで、このクソッタレな運命をぶち壊してほしかったんだ」

 シグナは自分の鋼鉄の掌を見つめた。指先を動かすたび、微かに鳴る真鍮のギア音。この腕に込められた、ガラの歪んだ、けれど真摯な祈り。
 ふと、シグナの視線が、傍らで沈黙を守るカイルへと向いた。

「……カイル。あんたは、知っていたのね」

 カイルは眼鏡を指先で直し、静かに頷いた。

「当然だろう。ヘリオスを去った天才整備士の行方を追う過程で、彼女がどんなプロジェクトに関わっていたか。……そして、彼女がなぜスラムに隠れ住み、特定の個体のメンテナンスを無償で続けているのか。調べればすぐに出る『事実』だ」

 カイルの声は、どこまでも平坦で冷徹だった。

「君の生存確率を最大化するためには、世界最高の技術者が必要だった。そして、その技術者が君に対して生涯消えない『負い目』を感じているなら、これ以上のパートナーはいない。……計算上の、必然さ」
「……あんた、本当にたちが悪いわね」

 シグナは、心の底から吐き捨てるように言った。

 この男は、自分を助けるためにガラを仲間に引き入れたのではない。ガラの「罪悪感」という弱みを計算に入れ、それを自分を守るための燃料として利用したのだ。

「ああ、自覚はあるよ。……でも、結果として君は今、こうして動いている。ガラの最高の整備(あがない)を受けてね」
「……ケッ、お坊ちゃんの言う通りだよ、シグナ。アタシは最初から、この嫌な目をしたガキに見透かされてたのさ」

 ガラは再び大型のスパナを力強く握り直した。

「だがね、シグナ。動機が何だろうが、アタシが死ぬまであんたの腕を守るって決めたのは、アタシ自身の意志だ。……そこだけは信じていい」
「……ええ。わかってる」

 シグナは、まだ熱を帯びた頭痛に耐えながら、四本の腕を背後のシャーシから静かに展開した。蒸気の排気が床のタイルに白い霧を描く。

 カイルの計算高さに嫌悪を抱きつつも、その「悪意」に近い合理性がなければ、自分は今頃、このカプセルの一つで屑鉄になっていたであろうことも理解していた。

「……行きましょう。ここが偽物の『ゆりかご』なら……全部壊して、本物の答えを見つけるだけよ」
「……ハル。周辺警戒を。これ以上、僕の計算から外れるのは御免だ。……ここから先は、僕たちの『家系図』には載っていない地獄だ」
『承知いたしました。……カイル様、ご安心を。私の真空管が焼き切れるまで、ご主人様を守るサポートは継続いたします』

 カイルはシグナの隣に並び、二人は奥へと続く巨大なハッチの前に立った。
 逃避行は今、自分たちの過去という最も暗い深淵へと踏み込んだ。ハッチが重厚な油圧音と共に開き、ヘリオスの真実が、牙を剥いて待ち構えている。





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 巨大な白いドーム――『銀のゆりかご』の内部は、外の荒野が嘘のような静寂と、鼻を突く消毒液の臭いに満ちていた。
 天井に這う無数の真鍮製配管からは、微かに漏れる蒸気が白い尾を引き、無影灯の鈍い光が白磁の床を無機質に照らしている。そこには塵一つ落ちておらず、かえってそれが、ここが「生きた人間」のための場所ではないことを強調していた。
「……おかしい」
 カイルが真鍮の多重レンズ眼鏡を何度もカチャカチャと回し、セピア色の投影データを凝視する。その額には、珍しく焦燥の汗が滲んでいた。
「配置が違う。僕が盗み出した設計図では、この区画には中央管理室があるはずだ。なのに、ここにあるのは……」
 カイルが指し示した先には、等間隔に並んだ巨大な円筒形のカプセルが、地平線の先まで続いていた。
 カプセルの内部は薄濁った培養液で満たされ、そこから無数の真鍮製チューブが壁の奥へと伸びている。それはまるで、巨大な工場の「製品ライン」そのものだった。
「……見たことがあるわ。この景色を、私は知っている」
 シグナが、震える指先でカプセルの冷たいガラスに触れた。
 その瞬間、後頭部を焼かれるような激痛が走り、視界が白濁する。脳裏に、かつての断片がフラッシュバックする。
『……っ、あ……。ここ……知ってる。この、目に刺さるような冷たい光。……隣のカプセルに、誰かがいた。泣き叫ぶ声。……そして、冷徹な機械が私の腕を、基部から無理やり――』
「シグナ、それ以上はダメだ! 思考を演算に同期させるな!」
 カイルが彼女の肩を掴んで引き戻した。
 だが、その横を通り過ぎたガラが、重い足取りで一基のカプセルの前に立ち、電子タバコを深く吸い込んだ。紫煙が無機質な空間に広がる。
「無駄だよ、お坊ちゃん。あんたがどれだけ『天才』だろうが、ヘリオスの本質を読み違えてる。……ここは『聖域』なんかじゃない。ただの、規格化された廃棄物処理場さ」
 ガラは吐き出した煙を眺めながら、自嘲気味に鼻を鳴らした。
「あんたの持っていたデータは本物だろうよ。だが、それは『この施設』のものじゃない。ヘリオスにとって、この手の実験場は一つじゃないんだ。……世界中に、同じ間取り、同じ設備、同じ『苗床』が掃いて捨てるほどある。だから、どこを調べても、どこへ辿り着いても、同じ絶望にぶち当たるようにできてるんだよ」
 ガラの声は、今まで聞いたことがないほど掠れていた。彼女はカプセルの表面に刻まれた、掠れたシリアルナンバーを忌々しげに睨みつける。
「……ガラ。あんた、なんでそんなこと知ってるの」
 シグナの問いに、ガラは電子タバコを噛み、視線を逸らした。
「……働いてたからだよ。ヘリオスの『主席整備士』? ケッ、聞こえはいいが、実態はただの肉体改造の現場監督さ。……シグナ、あんたのような子供を、一日に何人も『組み立てて』いたんだよ。アタシの手は、油(オイル)より血で汚れてるんだ」
 静寂が、重く三人を包み込んだ。シグナは衝撃のあまり、言葉を失ってガラを見つめた。
 彼女にとって、ガラはスラムで唯一、自分を「モノ」としてではなく「人間」として扱ってくれる恩人だった。そのガラの口から出たのは、自分の悪夢そのものを構築していた側の告白だった。
「あんたが……私を、作ったの……?」
「あんたそのものを作ったのは、アタシじゃないかもしれない。だが、同じラインで同じ悲鳴を聞きながら、アタシはレンチを回し続けた。……シグナ。アタシがあんたの腕に執着して、ずっと付き纏ってたのは、あんたが可愛いからじゃない。……贖罪(しょくざい)だよ」
 ガラは初めてシグナの目を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、隠しきれない後悔と痛みが澱のように沈んでいる。
「あんたのその四本の腕……ヘリオスの試作機の中でも最悪の欠陥品だ。神経への負荷、排熱の脆弱性。アタシはそれを知っていながら、当時は改良案を握り潰した連中に何も言えなかった。……だから、せめてあんただけは、アタシが作った最高級のパーツで、このクソッタレな運命をぶち壊してほしかったんだ」
 シグナは自分の鋼鉄の掌を見つめた。指先を動かすたび、微かに鳴る真鍮のギア音。この腕に込められた、ガラの歪んだ、けれど真摯な祈り。
 ふと、シグナの視線が、傍らで沈黙を守るカイルへと向いた。
「……カイル。あんたは、知っていたのね」
 カイルは眼鏡を指先で直し、静かに頷いた。
「当然だろう。ヘリオスを去った天才整備士の行方を追う過程で、彼女がどんなプロジェクトに関わっていたか。……そして、彼女がなぜスラムに隠れ住み、特定の個体のメンテナンスを無償で続けているのか。調べればすぐに出る『事実』だ」
 カイルの声は、どこまでも平坦で冷徹だった。
「君の生存確率を最大化するためには、世界最高の技術者が必要だった。そして、その技術者が君に対して生涯消えない『負い目』を感じているなら、これ以上のパートナーはいない。……計算上の、必然さ」
「……あんた、本当にたちが悪いわね」
 シグナは、心の底から吐き捨てるように言った。
 この男は、自分を助けるためにガラを仲間に引き入れたのではない。ガラの「罪悪感」という弱みを計算に入れ、それを自分を守るための燃料として利用したのだ。
「ああ、自覚はあるよ。……でも、結果として君は今、こうして動いている。ガラの最高の整備(あがない)を受けてね」
「……ケッ、お坊ちゃんの言う通りだよ、シグナ。アタシは最初から、この嫌な目をしたガキに見透かされてたのさ」
 ガラは再び大型のスパナを力強く握り直した。
「だがね、シグナ。動機が何だろうが、アタシが死ぬまであんたの腕を守るって決めたのは、アタシ自身の意志だ。……そこだけは信じていい」
「……ええ。わかってる」
 シグナは、まだ熱を帯びた頭痛に耐えながら、四本の腕を背後のシャーシから静かに展開した。蒸気の排気が床のタイルに白い霧を描く。
 カイルの計算高さに嫌悪を抱きつつも、その「悪意」に近い合理性がなければ、自分は今頃、このカプセルの一つで屑鉄になっていたであろうことも理解していた。
「……行きましょう。ここが偽物の『ゆりかご』なら……全部壊して、本物の答えを見つけるだけよ」
「……ハル。周辺警戒を。これ以上、僕の計算から外れるのは御免だ。……ここから先は、僕たちの『家系図』には載っていない地獄だ」
『承知いたしました。……カイル様、ご安心を。私の真空管が焼き切れるまで、ご主人様を守るサポートは継続いたします』
 カイルはシグナの隣に並び、二人は奥へと続く巨大なハッチの前に立った。
 逃避行は今、自分たちの過去という最も暗い深淵へと踏み込んだ。ハッチが重厚な油圧音と共に開き、ヘリオスの真実が、牙を剥いて待ち構えている。