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第4話:歯車の遊戯(ロゼ)

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 たどり着いたガラの「セカンドハウス」は、街外れの泥濁(どろにご)った運河沿いに佇む、打ち捨てられた時計塔だった。

 かつては街全体に時を告げていたであろうその巨大な石造りの塔は、今や錆びついた巨大な歯車が沈黙を守る、機械の墓場と化している。酸性雨に晒された外壁は黒ずみ、剥き出しの鉄骨が肋骨のように天を突いていた。

「……ひどい有様。ここがセカンドハウス?」

 シグナが屋根の大穴から差し込む煤けた雨を避けながら問うと、ガラは不機嫌そうに電子タバコを噛み潰した。

「外見で判断しなさんなよ、嬢ちゃん。ここはヘリオスの監視網から外れた唯一の『空白地帯』さ。地下にはアタシがコツコツ集めた最高級のグリスと、予備の駆動パーツが眠ってるんだ」

 ガラが床の特定の石を蹴ると、重厚な油圧音とともに隠し階段が現れた。
 地下に広がる工房は、地上の荒廃とは対照的に、手入れの行き届いた旋盤や溶接機が並ぶ、技術者の聖域だった。石炭ボイラーの熱気とオイルの匂いがシグナの肺を満たす。

「さて、お坊ちゃん。約束通り、この子のメンテナンスを再開するよ。あんたはそこで大人しく、その計算高い頭脳でも冷やしてな」
 カイルは時計塔のメインシャフトに寄りかかり、多重レンズの眼鏡をカチャカチャと弄りながら、社内から盗み出した「ゴースト・キー」の解析を進めていた。

「もちろん。彼女を最高の状態に仕上げてくれ。……ただ、少し急いだ方がいいかもしれない」
「あぁ?」
「さっきのラチェット君の撤退。あれは単なる敗北じゃない。僕たちの位置を特定するための『マーキング』だった。確率的に見て、次の刺客が来るまで、あと十分といったところかな」

 シグナの背中のシャーシが、警告のようにキィと鳴った。

「10分あれば十分さ! 仕上げるからな、シグナ。とっとと台に乗りな!」

 ガラの指示に従い、シグナは油圧式のメンテナンス台に横たわる。ガラは戦闘で傷ついた上腕のアクチュエーターを交換し、熱を帯びた配管に新鮮な潤滑液を流し込んでいく。

 シグナは、剥き出しになった自分の「四本の腕」を、どこか冷めた目で見つめていた。リベット打ちの装甲、露出したピストン、そして所々に刻まれた鈍い戦闘の傷跡。

「……ガラ。この腕、やっぱり……不気味?」

 ふいに漏れた言葉。ラチェットに「バラバラにしてあげる」と無邪気に笑われた記憶が、胸の奥で重く沈んでいる。

「馬鹿なこと言いなよ。機械に美醜なんてない。あるのは機能美だけさ」

 ガラはぶっきらぼうに答えたが、その視線はどこか悲しげに揺れていた。



 その静寂を、溜息混じりの優雅な声が切り裂いた。

「全く……あのチビ、派手に大口を叩いておきながら、結局私(わたし)に後始末を押し付けるなんて。教育がなっていないわね、ヴィクター隊長も」

 時計塔の螺旋階段の上、巨大な歯車の陰から一人の女性が姿を現した。
 踊り子のような露出の多い衣装を纏い、その上に薄い真鍮の装甲を配置した、優雅かつ凶悪な姿。腰には二本の振動剣(ビブロサーベル)を携えている。

『アイアン・ヴェール』遊撃担当、ロゼ。
 彼女はシグナの四本腕を、吐き捨てるように見下ろした。

「そんなジメジメした地下で、油まみれになっているのがお似合いよ。蜘蛛の分際で、カイル様に付きまとうなんて身の程を知りなさい。不細工な上に美学の欠片もないわね」
「……ロゼか。思ったより早かったね」

 カイルがロゼを見上げると同時に、シグナの瞳に、冷たい怒りの炎が宿る。
 反射的にメンテナンス台から飛び降り、四本腕を扇状に展開した。だが、ガラの調整は完了していない。右下腕の出力が安定せず、ギアが噛み合う不快な音が響く。

「シグナ、落ち着け。彼女の挑発に乗るな。ロゼ……君の美学は、相変わらず表面的なものだね」

 カイルが静かに眼鏡を直す。レンズの奥で微細な歯車が回り、敵の動態予測を算出し始めた。

「シグナ、一形式(フォーム・ワン)だ。ただし、まともに斬り合おうとするな。彼女のステップは、気流と円運動を利用している。君が思っている以上に『速い』ぞ」
「……やれるわ」

 シグナは下腕の連結ブレードを分離させ、上腕の予備刃と合わせて四刀流の構えをとった。

 【Form 1:アラクネの牙】。

「ふふ、やってみなさいな。その不細工な腕ごと、バラバラにしてあげるわ!」


 激突は一瞬だった。
 シグナの攻撃は、蒸気ピストンの爆発的な力に任せた、鋭い「直線」の連撃。
 四本の腕を交互に、あるいは同時に突き出し、ロゼの死角を最短距離で狙い撃つ。その一撃一撃は重く、空気を切り裂く衝撃波を伴っていた。

 対するロゼの動きは、水面に描かれる波紋のような「曲線」。

「遅いわよ、蜘蛛! そんな太い鉄の塊を振り回して、私に触れられると思っているの?」

 ロゼは身を翻し、遠心力を利用して円を描きながら、シグナの刺突を羽毛のようなステップですり抜けていく。高周波振動を起こすサーベルが、シグナの装甲をかすめるたびに火花が散り、キィィィィィン! という不快な高音が塔内に反響した。

「どうしたの? 真っ直ぐすぎるのよ、あなたの攻撃は。まるで猪ね」

 ロゼの嘲笑とともに、二本のサーベルが円弧を描いてシグナの死角から襲いかかる。

 シグナは上腕を交差させ、最短の軌道でそれを「点」として迎え撃つ。火花がシグナの鼻先で散り、焼けたオイルの匂いが鼻を突く。
 直線的な力が強ければ強いほど、ロゼはその勢いを受け流し、より速く、より美しく円舞を加速させていく。

「……くっ!」
「あら、受け止めるのは上手いのね。でも、防戦一方じゃ私の『舞』は止まらないわよ?」

 至近距離での鍔迫り合い。シグナはそのまま短刀でロゼの剣を力ずくで封じ込め、その隙間に下腕の長刀を潜り込ませた。
 最短距離の直線で、ロゼの脇腹を突き上げる。

「これなら……!」
「甘いわ!」

 ロゼはシグナの腕を支点にするように、ふわりと身を翻した。重力を無視した旋回。
 シグナの放った長刀の勢いをそのまま利用し、ロゼはさらに鋭く円を描いてシグナの背後へと滑り込む。

「腕を4本も持っておきながら、自分の動きに振り回されているわ。醜い上に不器用なんて、救いようがないわね」

 背後からの斬撃。シグナは下腕の1本を強引に後方へ回し、盾にするように長刀の腹で受ける。
 重い衝撃。シグナはさらに踏み込み、無理やり距離を詰めてロゼを懐に捉えようとした。

 直線的な力が強ければ強いほど、ロゼはその勢いを受け流し、より速く、より美しく円舞を加速させていく。

 地下工房の狭い空間が、6本の刃が描く幾何学的な光跡で埋め尽くされる。
 シグナの生み出す無数の直線の檻。それをロゼが円を描くステップで軽やかに踏み越えていく。


「シグナ、今の同期率では彼女の円舞は捉えられない! 十時の方向にあるメインバルブを、今の熱量で撃て!」

 カイルの鋭い指示。

 シグナはロゼへの攻撃を一時的に捨て、上腕のマウント銃を天井の蒸気パイプへと向けた。
 高圧弾がバルブを貫いた瞬間、凄まじい過熱蒸気が噴出した。

「なっ……またこんな子供騙しを!」
「子供騙しかどうか、試してみるかい?」

 カイルの声とともに、ハルがスモークディスチャージャーを作動。
 視界が完全にゼロになる中、ロゼの熱源探知を、カイルが送信したジャミング信号が狂わせる。

 工房内が一瞬にして真っ白な霧に包まれる。ロゼの精密な視覚センサーが、蒸気の熱量でホワイトアウトした。

「ハル、シグナに敵の座標を直結。演算データを脳内へ流し込め!」
「了解! 座標転送、今です!」

 視界がゼロになる中、シグナの瞳が青白く発光した。
 視覚に頼らず、カイルから共有された座標データが、ロゼの「熱」と「振動」を浮き彫りにする。
 ロゼの円運動が、一瞬だけ戸惑いで止まった。
 その瞬間、シグナは四本の腕を一点に集中させ、全ピストンを解放。死角から最大出力の直線攻撃を放った。

「――っ!?」

 ロゼは咄嗟にサーベルを交差させて防いだが、四腕の全重力と加速を乗せた一撃を支えきれず、一本の剣が甲高い音を立てて半ばから折れ飛んだ。

「……わ、私の剣が、折れるなんて……!」
「次はその首を折る。……消えなさい」

 シグナの冷徹な宣告に、ロゼは屈辱で顔を赤く染めた。
 霧が晴れ始め、カイルが冷静に次弾の予測を立てているのを見ると、彼女は舌打ちをして跳躍した。

「今日は……あのお坊ちゃんに免じて見逃してあげるわ。でも覚えておきなさい、醜い蜘蛛。次の戦いでは、その腕を根元から引き抜いてあげるから!」
 ロゼは時計塔の天窓から闇夜へと消えていった。

 静寂が戻った地下工房で、シグナは力なく四本腕を収めた。ガチ、ガチ、という歯車の噛み合う音が、今の彼女には酷く空虚に聞こえた。

「……シグナ、こっちへ」

 カイルが歩み寄り、シグナの頬に刻まれた小さな傷にそっと指先で触れた。

「醜いなんて、嘘だ」

 カイルはシグナの瞳を真っ直ぐに見つめて、囁いた。

「その腕も、その傷も……君が誰かを守り、生き抜いてきた証だ。僕にとっては、どんな宝石よりも価値がある勲章だよ」
「……バカ」

 シグナはそう呟き、カイルの手を振り払った。
 だが、ハルが冷酷に「ご主人様、心拍数が通常時の130パーセントを記録しています。冷却が必要ですか?」と報告するのを、止めることはできなかった。

「……ハル、黙って」

「承知いたしました。……カイル様、追加の報酬を。ご主人様の顔が、ヒートテールより赤くなって――」

 ガシャッ、という鈍い衝撃音が地下に響いた。
 シグナの下腕が、空中に浮くハルのボディを正確に捉え、そのまま床へと叩き落としたのだ。

「あうっ!? ご主人様、精密機器への暴力は禁止事項に――」
「うるさい!!」

 シグナは顔を赤らめたまま、巨大な歯車の陰へと隠れた。
 カイルという歯車に噛み合わされ、彼女の止まっていた時間が、少しずつ動き始めていた。




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次のエピソードへ進む 第5話:狙撃手の視線(ミネルヴァ)


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 かつては街全体に時を告げていたであろうその巨大な石造りの塔は、今や錆びついた巨大な歯車が沈黙を守る、機械の墓場と化している。酸性雨に晒された外壁は黒ずみ、剥き出しの鉄骨が肋骨のように天を突いていた。
「……ひどい有様。ここがセカンドハウス?」
 シグナが屋根の大穴から差し込む煤けた雨を避けながら問うと、ガラは不機嫌そうに電子タバコを噛み潰した。
「外見で判断しなさんなよ、嬢ちゃん。ここはヘリオスの監視網から外れた唯一の『空白地帯』さ。地下にはアタシがコツコツ集めた最高級のグリスと、予備の駆動パーツが眠ってるんだ」
 ガラが床の特定の石を蹴ると、重厚な油圧音とともに隠し階段が現れた。
 地下に広がる工房は、地上の荒廃とは対照的に、手入れの行き届いた旋盤や溶接機が並ぶ、技術者の聖域だった。石炭ボイラーの熱気とオイルの匂いがシグナの肺を満たす。
「さて、お坊ちゃん。約束通り、この子のメンテナンスを再開するよ。あんたはそこで大人しく、その計算高い頭脳でも冷やしてな」
 カイルは時計塔のメインシャフトに寄りかかり、多重レンズの眼鏡をカチャカチャと弄りながら、社内から盗み出した「ゴースト・キー」の解析を進めていた。
「もちろん。彼女を最高の状態に仕上げてくれ。……ただ、少し急いだ方がいいかもしれない」
「あぁ?」
「さっきのラチェット君の撤退。あれは単なる敗北じゃない。僕たちの位置を特定するための『マーキング』だった。確率的に見て、次の刺客が来るまで、あと十分といったところかな」
 シグナの背中のシャーシが、警告のようにキィと鳴った。
「10分あれば十分さ! 仕上げるからな、シグナ。とっとと台に乗りな!」
 ガラの指示に従い、シグナは油圧式のメンテナンス台に横たわる。ガラは戦闘で傷ついた上腕のアクチュエーターを交換し、熱を帯びた配管に新鮮な潤滑液を流し込んでいく。
 シグナは、剥き出しになった自分の「四本の腕」を、どこか冷めた目で見つめていた。リベット打ちの装甲、露出したピストン、そして所々に刻まれた鈍い戦闘の傷跡。
「……ガラ。この腕、やっぱり……不気味?」
 ふいに漏れた言葉。ラチェットに「バラバラにしてあげる」と無邪気に笑われた記憶が、胸の奥で重く沈んでいる。
「馬鹿なこと言いなよ。機械に美醜なんてない。あるのは機能美だけさ」
 ガラはぶっきらぼうに答えたが、その視線はどこか悲しげに揺れていた。
 その静寂を、溜息混じりの優雅な声が切り裂いた。
「全く……あのチビ、派手に大口を叩いておきながら、結局私(わたし)に後始末を押し付けるなんて。教育がなっていないわね、ヴィクター隊長も」
 時計塔の螺旋階段の上、巨大な歯車の陰から一人の女性が姿を現した。
 踊り子のような露出の多い衣装を纏い、その上に薄い真鍮の装甲を配置した、優雅かつ凶悪な姿。腰には二本の振動剣(ビブロサーベル)を携えている。
『アイアン・ヴェール』遊撃担当、ロゼ。
 彼女はシグナの四本腕を、吐き捨てるように見下ろした。
「そんなジメジメした地下で、油まみれになっているのがお似合いよ。蜘蛛の分際で、カイル様に付きまとうなんて身の程を知りなさい。不細工な上に美学の欠片もないわね」
「……ロゼか。思ったより早かったね」
 カイルがロゼを見上げると同時に、シグナの瞳に、冷たい怒りの炎が宿る。
 反射的にメンテナンス台から飛び降り、四本腕を扇状に展開した。だが、ガラの調整は完了していない。右下腕の出力が安定せず、ギアが噛み合う不快な音が響く。
「シグナ、落ち着け。彼女の挑発に乗るな。ロゼ……君の美学は、相変わらず表面的なものだね」
 カイルが静かに眼鏡を直す。レンズの奥で微細な歯車が回り、敵の動態予測を算出し始めた。
「シグナ、一形式(フォーム・ワン)だ。ただし、まともに斬り合おうとするな。彼女のステップは、気流と円運動を利用している。君が思っている以上に『速い』ぞ」
「……やれるわ」
 シグナは下腕の連結ブレードを分離させ、上腕の予備刃と合わせて四刀流の構えをとった。
 【Form 1:アラクネの牙】。
「ふふ、やってみなさいな。その不細工な腕ごと、バラバラにしてあげるわ!」
 激突は一瞬だった。
 シグナの攻撃は、蒸気ピストンの爆発的な力に任せた、鋭い「直線」の連撃。
 四本の腕を交互に、あるいは同時に突き出し、ロゼの死角を最短距離で狙い撃つ。その一撃一撃は重く、空気を切り裂く衝撃波を伴っていた。
 対するロゼの動きは、水面に描かれる波紋のような「曲線」。
「遅いわよ、蜘蛛! そんな太い鉄の塊を振り回して、私に触れられると思っているの?」
 ロゼは身を翻し、遠心力を利用して円を描きながら、シグナの刺突を羽毛のようなステップですり抜けていく。高周波振動を起こすサーベルが、シグナの装甲をかすめるたびに火花が散り、キィィィィィン! という不快な高音が塔内に反響した。
「どうしたの? 真っ直ぐすぎるのよ、あなたの攻撃は。まるで猪ね」
 ロゼの嘲笑とともに、二本のサーベルが円弧を描いてシグナの死角から襲いかかる。
 シグナは上腕を交差させ、最短の軌道でそれを「点」として迎え撃つ。火花がシグナの鼻先で散り、焼けたオイルの匂いが鼻を突く。
 直線的な力が強ければ強いほど、ロゼはその勢いを受け流し、より速く、より美しく円舞を加速させていく。
「……くっ!」
「あら、受け止めるのは上手いのね。でも、防戦一方じゃ私の『舞』は止まらないわよ?」
 至近距離での鍔迫り合い。シグナはそのまま短刀でロゼの剣を力ずくで封じ込め、その隙間に下腕の長刀を潜り込ませた。
 最短距離の直線で、ロゼの脇腹を突き上げる。
「これなら……!」
「甘いわ!」
 ロゼはシグナの腕を支点にするように、ふわりと身を翻した。重力を無視した旋回。
 シグナの放った長刀の勢いをそのまま利用し、ロゼはさらに鋭く円を描いてシグナの背後へと滑り込む。
「腕を4本も持っておきながら、自分の動きに振り回されているわ。醜い上に不器用なんて、救いようがないわね」
 背後からの斬撃。シグナは下腕の1本を強引に後方へ回し、盾にするように長刀の腹で受ける。
 重い衝撃。シグナはさらに踏み込み、無理やり距離を詰めてロゼを懐に捉えようとした。
 直線的な力が強ければ強いほど、ロゼはその勢いを受け流し、より速く、より美しく円舞を加速させていく。
 地下工房の狭い空間が、6本の刃が描く幾何学的な光跡で埋め尽くされる。
 シグナの生み出す無数の直線の檻。それをロゼが円を描くステップで軽やかに踏み越えていく。
「シグナ、今の同期率では彼女の円舞は捉えられない! 十時の方向にあるメインバルブを、今の熱量で撃て!」
 カイルの鋭い指示。
 シグナはロゼへの攻撃を一時的に捨て、上腕のマウント銃を天井の蒸気パイプへと向けた。
 高圧弾がバルブを貫いた瞬間、凄まじい過熱蒸気が噴出した。
「なっ……またこんな子供騙しを!」
「子供騙しかどうか、試してみるかい?」
 カイルの声とともに、ハルがスモークディスチャージャーを作動。
 視界が完全にゼロになる中、ロゼの熱源探知を、カイルが送信したジャミング信号が狂わせる。
 工房内が一瞬にして真っ白な霧に包まれる。ロゼの精密な視覚センサーが、蒸気の熱量でホワイトアウトした。
「ハル、シグナに敵の座標を直結。演算データを脳内へ流し込め!」
「了解! 座標転送、今です!」
 視界がゼロになる中、シグナの瞳が青白く発光した。
 視覚に頼らず、カイルから共有された座標データが、ロゼの「熱」と「振動」を浮き彫りにする。
 ロゼの円運動が、一瞬だけ戸惑いで止まった。
 その瞬間、シグナは四本の腕を一点に集中させ、全ピストンを解放。死角から最大出力の直線攻撃を放った。
「――っ!?」
 ロゼは咄嗟にサーベルを交差させて防いだが、四腕の全重力と加速を乗せた一撃を支えきれず、一本の剣が甲高い音を立てて半ばから折れ飛んだ。
「……わ、私の剣が、折れるなんて……!」
「次はその首を折る。……消えなさい」
 シグナの冷徹な宣告に、ロゼは屈辱で顔を赤く染めた。
 霧が晴れ始め、カイルが冷静に次弾の予測を立てているのを見ると、彼女は舌打ちをして跳躍した。
「今日は……あのお坊ちゃんに免じて見逃してあげるわ。でも覚えておきなさい、醜い蜘蛛。次の戦いでは、その腕を根元から引き抜いてあげるから!」
 ロゼは時計塔の天窓から闇夜へと消えていった。
 静寂が戻った地下工房で、シグナは力なく四本腕を収めた。ガチ、ガチ、という歯車の噛み合う音が、今の彼女には酷く空虚に聞こえた。
「……シグナ、こっちへ」
 カイルが歩み寄り、シグナの頬に刻まれた小さな傷にそっと指先で触れた。
「醜いなんて、嘘だ」
 カイルはシグナの瞳を真っ直ぐに見つめて、囁いた。
「その腕も、その傷も……君が誰かを守り、生き抜いてきた証だ。僕にとっては、どんな宝石よりも価値がある勲章だよ」
「……バカ」
 シグナはそう呟き、カイルの手を振り払った。
 だが、ハルが冷酷に「ご主人様、心拍数が通常時の130パーセントを記録しています。冷却が必要ですか?」と報告するのを、止めることはできなかった。
「……ハル、黙って」
「承知いたしました。……カイル様、追加の報酬を。ご主人様の顔が、ヒートテールより赤くなって――」
 ガシャッ、という鈍い衝撃音が地下に響いた。
 シグナの下腕が、空中に浮くハルのボディを正確に捉え、そのまま床へと叩き落としたのだ。
「あうっ!? ご主人様、精密機器への暴力は禁止事項に――」
「うるさい!!」
 シグナは顔を赤らめたまま、巨大な歯車の陰へと隠れた。
 カイルという歯車に噛み合わされ、彼女の止まっていた時間が、少しずつ動き始めていた。