第4話:沖縄そば

ー/ー



「ねえ、蒼」

 朝から畳に寝転がったまま動かないナビが、天井を見上げながら言った。

「ナビね、やーさん…」

ナビがお腹をさすると同時にお腹の音がなった。

「お腹空いたのか……昨日あんなことがあって、その第一声がそれか」
「腹は減る。神様でも減る」
「お前は神様じゃない」
「神様の力を借りてる。ほぼ同じ」
「全然違うと思うよ……」

 蒼はため息をついてスマホを置いた。冷蔵庫を開ける。卵が二個。調味料だけが妙に充実している棚。一人暮らしの限界がそこにあった。

「買い物行くしかないな」

 ナビがばね仕掛けのように起き上がった。

「行く!」
「いや、お前は休んで——」
「すば(そば)が食べたい!」

 断言だった。交渉の余地がない顔だった。

 近所の大型スーパーに着くと、少し大きめなビーチサンダルと蒼の一番大きめなパーカーをワンピース風にダボダボに着たナビは入口で一瞬止まった。自動ドアが開くたびに少し驚く。まだ慣れていないだろうと蒼は指摘しないことにしていた。

「すば、すば」

 ナビがスーパーの黄色いカゴを持って先を歩く。蒼が後を追う。
 数百年前の人間が蛍光灯の下を歩いている。それだけでも十分おかしい光景だったが、蒼が気にしていたのは別のことだった。ナビの霊力は強い。石から出たばかりで戻りきっていないとは言え、普通の人間とは比べものにならない。こういう場所に来て、何かに気づかれないか。気配を嗅ぎつけたマジムンが、人混みの中から来ないか右後ろを確認した。左後ろも確認したが何もいなかった。でも確認せずにはいられなかった。
 精肉コーナーで、ナビが豚の三枚肉の前で立ち止まった。

「これ!」
「豚バラの塊?ああ煮付けのラフテー用のやつだな。ちゃんと時間かけて煮ないといけないぞ」
「知ってる。ちゃんと煮ないといけんさー」
「料理はどこで覚えたんだ、石の中から?」
「違うさー」

 蒼は何も言えなくなった。何十年か何百年か分からないが、彼女はずっとそこから人々の暮らしを見ていたのだろうか。台所の風景も家族の声も匂いだけは届かないまま。

「……そばって昔から食べてたのか?」

 蒼の問いにナビは少し遠い目をした。

「王様のご飯だった。私がノロだった頃、年に一度だけ。御嶽での祭祀の後に振る舞われてた」
「へえ」
「出汁はカチュー(鰹節)と豚から出汁を取って、ゆっくり煮て。あの頃は今みたいに誰でも食べられるものじゃなかった。特別な日の、特別な食べ物」

 彼女の声が少し柔らかくなった。マジムンと戦う時でも、現代に戸惑っている時でも、怒っている時でもない、ただの少女みたいな声。

「だから好きなのか」
「だから好き」

 そんな久し振りに沖縄そばを食べるなら…ちゃんと作ろうかとも蒼は思ったが、流石の空腹に負けた2人は取り敢えず三枚肉は出来合いの煮付けに決めた。

 製麺コーナーで、ナビが茹で麺と乾麺の前で真剣に悩み始めた。三分くらい動かなかった。

「どっちでもいいんじゃないか」
「全然よくない!」
「……何が違うの」
「……感じが違う」
「感じ?」
「食べれば分かる」

 結局オーソドックスな形の茹で麺を選んだ。その隣の肌色の細長いかまぼこを見て「これも」と言った。

「かまぼこは沖縄そばに入れるのか?」
「入れる入れる!入れんと!」
「俺が知ってる沖縄そばと仕様が違う気がするんだが」
「そー?まーさん(美味しい)よー!」

 それ以上何も言えなかった。

 レジに向かう途中、ナビが青ネギの束を手に取った。蒼のかごにそっと入れる。

「ナビはネギ好きだったっけ?」
「蒼が好きでしょ」
「……なんで知ってる」
「ネギをじーっと見てたから」

 また、その言葉。
蒼は少し黙ってから「そうだったかもな」と言った。ナビは何も言わずに歩き出した。

* * *

 アパートへの帰り道、夕方の風が海の方から来ていた。ナビがカゴを(結局蒼が持ったが)の代わりにビニール袋を両手に持って少し先を歩いていた。

「なあ、ナビ」
「なに」
「昔食べた沖縄そば、今のと比べて同じと思うか?」

ナビはしばらく黙って歩いた。

「違うと思う」
「やっぱりそうか、昔の方が——」
「今の方がまーさん(美味しい)さぁ」

 蒼が少し驚いて顔を見ると、ナビは前を向いたまま続けた。

「昔は年に一度だった。今はいつでも食べられる。それだけでもう、まーさん」

 蒼はナビの横顔を見た。
王国時代の人間が、スーパーのロゴが入ったレジ袋を両手に提げて歩いている。それが今の蒼の日常だった。おかしい、と思う。でも何がおかしいのか上手く言えなかった。
正確には——おかしいのに、おかしくない感じがした。
 ナビはずっとそこにいたのだ、と蒼は思った。石の中から人々の暮らしを見ていた。台所の風景を、家族の声を、匂いだけ届かないまま、見ていた。そういう時間の重さを持っている人が、今「いつでも食べられる」と言って笑っている。
それが、なぜか蒼には切なかった。
切ない、という言葉が正しいかどうかも分からなかった。ただ、自分が何かを大切にしなければいけない気がした。何を、とはまだ言えなかった。
 帰ってから二人で濃縮出汁を使いスープを温めた。鰹出汁の匂いが湯気と一緒に広がった。ナビが鍋をのぞきこんで「まだ?」「まだ?」と言い続けた。蒼が洗い物をしながら横目で見ていた。
なんだかんだ出来上がりの沖縄そばを、ナビは一口食べて黙った。

「どうだ?」
「まーさぬよ!」

 それだけ言ってまた食べた。小さい子がご飯を食べる様子と似ているなと何処かしら思った。
微笑ましいナビの隣で蒼も沖縄そばをすすった。簡易的ではあったが悪くなかった。というか初めて作った割にはかなりうまかった。

「ノロ時代に食べたやつより本当にうまいのか」
「うん!うんっ!」
「なんで」

 ナビは麺をすすりながら少し考えてから言った。

「あの頃は一人で食べてたから。こうして蒼と食べてる方が何杯も美味しいさぁ」
ナビはそう笑った。
 蒼はその言葉を、箸を持ったまま受け取って笑みを返した。
何か言おうとした。言えなかった。
ナビはまだ麺をすすっていたがもう麺を見ていて、二杯目を要求する準備をしていた。石の中で何百年も待ち続けた人間が、今「二杯目も食べたい」という顔で次を待っていた。
 蒼はその姿に何も言わなかったが、代わりに鍋の火を少し弱めた。まだ食べるから冷めないようにと。
それだけだった。でも、それだけのことが、今夜の蒼にはできることの全部だった。


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沖縄用語 その2・沖縄そば
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沖縄を代表するソウルフードで、本土の「そば」とは別物。
小麦粉100%で作られた太めの麺を使い、豚骨と鰹節をベースにしたあっさりしたスープが特徴です。

発祥については諸説ありますが、中国にある「琉球交流史」に、1534年に琉球王の四十九日供養に「粉湯(中国語で、汁そばの意味)」を献上したとあるのが原形。庶民の食べ物としての「そば」が紹介されたのは琉球処分後の明治後期のことで、県民食として大々的に普及して現在のような形態となったのは戦後、県外にもその存在が知られるようになったのは沖縄復帰以降のこと。

本島北部や南部で豚骨と鰹だしの配合が違うのも面白い。
※作者曰く、沖縄そばが美味しい=ぜんざいが美味しい店な確率が高いとか高くないとか。



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次のエピソードへ進む 第5話  火の神です。見習いですが


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「ねえ、蒼」
 朝から畳に寝転がったまま動かないナビが、天井を見上げながら言った。
「ナビね、やーさん…」
ナビがお腹をさすると同時にお腹の音がなった。
「お腹空いたのか……昨日あんなことがあって、その第一声がそれか」
「腹は減る。神様でも減る」
「お前は神様じゃない」
「神様の力を借りてる。ほぼ同じ」
「全然違うと思うよ……」
 蒼はため息をついてスマホを置いた。冷蔵庫を開ける。卵が二個。調味料だけが妙に充実している棚。一人暮らしの限界がそこにあった。
「買い物行くしかないな」
 ナビがばね仕掛けのように起き上がった。
「行く!」
「いや、お前は休んで——」
「すば(そば)が食べたい!」
 断言だった。交渉の余地がない顔だった。
 近所の大型スーパーに着くと、少し大きめなビーチサンダルと蒼の一番大きめなパーカーをワンピース風にダボダボに着たナビは入口で一瞬止まった。自動ドアが開くたびに少し驚く。まだ慣れていないだろうと蒼は指摘しないことにしていた。
「すば、すば」
 ナビがスーパーの黄色いカゴを持って先を歩く。蒼が後を追う。
 数百年前の人間が蛍光灯の下を歩いている。それだけでも十分おかしい光景だったが、蒼が気にしていたのは別のことだった。ナビの霊力は強い。石から出たばかりで戻りきっていないとは言え、普通の人間とは比べものにならない。こういう場所に来て、何かに気づかれないか。気配を嗅ぎつけたマジムンが、人混みの中から来ないか右後ろを確認した。左後ろも確認したが何もいなかった。でも確認せずにはいられなかった。
 精肉コーナーで、ナビが豚の三枚肉の前で立ち止まった。
「これ!」
「豚バラの塊?ああ煮付けのラフテー用のやつだな。ちゃんと時間かけて煮ないといけないぞ」
「知ってる。ちゃんと煮ないといけんさー」
「料理はどこで覚えたんだ、石の中から?」
「違うさー」
 蒼は何も言えなくなった。何十年か何百年か分からないが、彼女はずっとそこから人々の暮らしを見ていたのだろうか。台所の風景も家族の声も匂いだけは届かないまま。
「……そばって昔から食べてたのか?」
 蒼の問いにナビは少し遠い目をした。
「王様のご飯だった。私がノロだった頃、年に一度だけ。御嶽での祭祀の後に振る舞われてた」
「へえ」
「出汁はカチュー(鰹節)と豚から出汁を取って、ゆっくり煮て。あの頃は今みたいに誰でも食べられるものじゃなかった。特別な日の、特別な食べ物」
 彼女の声が少し柔らかくなった。マジムンと戦う時でも、現代に戸惑っている時でも、怒っている時でもない、ただの少女みたいな声。
「だから好きなのか」
「だから好き」
 そんな久し振りに沖縄そばを食べるなら…ちゃんと作ろうかとも蒼は思ったが、流石の空腹に負けた2人は取り敢えず三枚肉は出来合いの煮付けに決めた。
 製麺コーナーで、ナビが茹で麺と乾麺の前で真剣に悩み始めた。三分くらい動かなかった。
「どっちでもいいんじゃないか」
「全然よくない!」
「……何が違うの」
「……感じが違う」
「感じ?」
「食べれば分かる」
 結局オーソドックスな形の茹で麺を選んだ。その隣の肌色の細長いかまぼこを見て「これも」と言った。
「かまぼこは沖縄そばに入れるのか?」
「入れる入れる!入れんと!」
「俺が知ってる沖縄そばと仕様が違う気がするんだが」
「そー?まーさん(美味しい)よー!」
 それ以上何も言えなかった。
 レジに向かう途中、ナビが青ネギの束を手に取った。蒼のかごにそっと入れる。
「ナビはネギ好きだったっけ?」
「蒼が好きでしょ」
「……なんで知ってる」
「ネギをじーっと見てたから」
 また、その言葉。
蒼は少し黙ってから「そうだったかもな」と言った。ナビは何も言わずに歩き出した。
* * *
 アパートへの帰り道、夕方の風が海の方から来ていた。ナビがカゴを(結局蒼が持ったが)の代わりにビニール袋を両手に持って少し先を歩いていた。
「なあ、ナビ」
「なに」
「昔食べた沖縄そば、今のと比べて同じと思うか?」
ナビはしばらく黙って歩いた。
「違うと思う」
「やっぱりそうか、昔の方が——」
「今の方がまーさん(美味しい)さぁ」
 蒼が少し驚いて顔を見ると、ナビは前を向いたまま続けた。
「昔は年に一度だった。今はいつでも食べられる。それだけでもう、まーさん」
 蒼はナビの横顔を見た。
王国時代の人間が、スーパーのロゴが入ったレジ袋を両手に提げて歩いている。それが今の蒼の日常だった。おかしい、と思う。でも何がおかしいのか上手く言えなかった。
正確には——おかしいのに、おかしくない感じがした。
 ナビはずっとそこにいたのだ、と蒼は思った。石の中から人々の暮らしを見ていた。台所の風景を、家族の声を、匂いだけ届かないまま、見ていた。そういう時間の重さを持っている人が、今「いつでも食べられる」と言って笑っている。
それが、なぜか蒼には切なかった。
切ない、という言葉が正しいかどうかも分からなかった。ただ、自分が何かを大切にしなければいけない気がした。何を、とはまだ言えなかった。
 帰ってから二人で濃縮出汁を使いスープを温めた。鰹出汁の匂いが湯気と一緒に広がった。ナビが鍋をのぞきこんで「まだ?」「まだ?」と言い続けた。蒼が洗い物をしながら横目で見ていた。
なんだかんだ出来上がりの沖縄そばを、ナビは一口食べて黙った。
「どうだ?」
「まーさぬよ!」
 それだけ言ってまた食べた。小さい子がご飯を食べる様子と似ているなと何処かしら思った。
微笑ましいナビの隣で蒼も沖縄そばをすすった。簡易的ではあったが悪くなかった。というか初めて作った割にはかなりうまかった。
「ノロ時代に食べたやつより本当にうまいのか」
「うん!うんっ!」
「なんで」
 ナビは麺をすすりながら少し考えてから言った。
「あの頃は一人で食べてたから。こうして蒼と食べてる方が何杯も美味しいさぁ」
ナビはそう笑った。
 蒼はその言葉を、箸を持ったまま受け取って笑みを返した。
何か言おうとした。言えなかった。
ナビはまだ麺をすすっていたがもう麺を見ていて、二杯目を要求する準備をしていた。石の中で何百年も待ち続けた人間が、今「二杯目も食べたい」という顔で次を待っていた。
 蒼はその姿に何も言わなかったが、代わりに鍋の火を少し弱めた。まだ食べるから冷めないようにと。
それだけだった。でも、それだけのことが、今夜の蒼にはできることの全部だった。
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沖縄用語 その2・沖縄そば
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沖縄を代表するソウルフードで、本土の「そば」とは別物。
小麦粉100%で作られた太めの麺を使い、豚骨と鰹節をベースにしたあっさりしたスープが特徴です。
発祥については諸説ありますが、中国にある「琉球交流史」に、1534年に琉球王の四十九日供養に「粉湯(中国語で、汁そばの意味)」を献上したとあるのが原形。庶民の食べ物としての「そば」が紹介されたのは琉球処分後の明治後期のことで、県民食として大々的に普及して現在のような形態となったのは戦後、県外にもその存在が知られるようになったのは沖縄復帰以降のこと。
本島北部や南部で豚骨と鰹だしの配合が違うのも面白い。
※作者曰く、沖縄そばが美味しい=ぜんざいが美味しい店な確率が高いとか高くないとか。