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第11話 謎の存在

ー/ー



「数日前にパドフ大森林にミストベリーの採集と、サリアンオークの枝と実を拾うって依頼があってな。駆け出し連中に探索も兼ねて採集依頼を受けてもらったんだがよ……」
 
 イヴリンとヴィンセントに対して冒険者組合王国西方支部長ガルド・ボルターは慎重に言葉を重ねる。
 
 元々冒険者としてそれなりの年数を過ごし、引退後に実力と経験を見込まれて支部長になった。とはいえ王国の繁栄を支えるイヴリンと、その忠実な僕であり王国でも五指に入る実力派であるヴィンセントを前にして、その威圧感ともいうべき空気にガルドは静かに冷や汗をかく。
 
「依頼を受けた二日後になって走って組合に駆け込んできた。依頼の途中放棄だ」
「何が理由で放棄を?」
 
 ヴィンセントの刺すような鋭い視線と問いかけにガルドが呆気に取られた表情を浮かべて言葉を詰まらせる。ガルドの記憶にあるヴィンセントといえば誰からも親しまれ、常に礼儀正しい穏やかな優男、という印象だった。だからこそ鋭い視線を向けられたことに対して驚いたとともに珍しいものを見たな、と面映ゆい気持ちになったのだった。
 
 しかし何も話さないのではイヴリンの邸宅を訪れた意味がなくなる。ガルドは一度大きく深呼吸をして咳払いの後に言葉を続けた。
 
「大森林の奥地でそれまで見たこともねぇ魔物の痕跡を発見したんだと。それに何度か大森林には入ってるが空気が異様だったって話でな」
 
 そこまで話したガルドはコリンが差し出したハーブティーをゆっくりと口に運ぶ。イヴリンが邸宅で手ずから育てているハーブを使ったそれは飲んだ者にリラックス効果をもたらす。温かなそのハーブティーを飲んだガルドはひとつ大きく息を吐きだして、続けた。
 
「大森林の空気が異様だった、ってのはその前に大森林に探索に入った冒険者の何人からかも報告があった。魔物の冬支度の準備のせいかと思ってたが、どうにもそうじゃないらしい」
「というと?」
 
 ガルドと同じハーブティーを口にしていたイヴリンが一仕事を終えて隣に腰掛けたコリンを撫でながら問いかける。
 
「ちょうど高ランクの冒険者が別の依頼から戻ってきていたタイミングだったからな。そいつに指名依頼を出して大森林の調査に出てもらってたのが今朝方帰還した。やはりそいつも異様な空気を感じたらしい」
「その異様な空気というものについてはその冒険者の方からは具体的なお話はありましたか?」
「魔物の数が少なすぎるんだとよ。あまりにも静かすぎるってな。だが妙な威圧感だけはひしひしと感じると」
「……兵らが報告してきた内容と似通っていますね」
 
 ヴィンセントがイヴリンに目配せをして、それにイヴリンが答えるように頷いた。
 
「見たことのない魔物の痕跡とは一体どういうもので?」
「こいつだ」
 
 ヴィンセントに答えるようにガルドが懐に忍ばせていた包みを開く。包まれていたのは獣の体毛と思しき濃い茶色の毛束。
 
「──っ……!」
 
 ガルドが差し出した毛束を見たイヴリンが僅かに息を呑むと同時にソファに浅く腰掛けていたコリンが毛束から逃げるようにイヴリンにしがみついた。目を大きく見開き、視線は毛束に向けられている。
 コリンの頭の中に警鐘が鳴り響き、背筋にぞわぞわとした感覚が走る。あれは、「歪んでいる」。言葉ではうまく説明ができないけれど、直感的にそう感じた。
 突然のコリンの行動にヴィンセントもガルドも目を白黒させて体を硬直させた。応接室に物音ひとつ響かない時間が訪れる。
 
「……こちら、確認しても?」
「お、おう。そうしてほしくて持ってきたからな」
 
 自身にしがみついているコリンの頭や背を優しく撫でながらイヴリンがそろりと毛束に手を伸ばす。手に取った毛束はかさかさに乾いていて、強く引っ張れば千切れてしまうのではないかと思うほど。そのせいかごわごわとしたような手触りで、飢えた野良犬や野良猫を思わせるようなものだった。
 
 その毛束を調べようとイヴリンが眼鏡をずらす。
 
 イヴリンの目はマナを視る。裸眼ではほとんど視力を持たず、物質をマナの塊としてしか認識できない。物を見えるように、そしてマナが「視えすぎない」ように補助するための眼鏡。それを外すということは物質ではなくてそれを構成しているマナを視るということ。
 
 コリンは毛束のマナを観察し始めたイヴリンの邪魔をしないようにとしがみついていた体を離すが、言いようのない居心地の悪さを感じているのか、イヴリンのローブのゆったりとした袖をほんの少しだけ掴んでいた。
 
「……これが痕跡と?この毛色の魔物であれば大森林にいてもおかしくないのでは?」
 
 イヴリンとコリンの反応に驚きつつも、眼前の毛束が毛足の長いものであるということしかわからずにヴィンセントは訝しげな表情をガルドに向ける。その視線に気を悪くしたようなガルドが大きくため息を吐き出した。
 
「人の話は最後まで聞くもんだぜ。この毛の近くにいくつもの大きな爪痕があったとも報告があった。爪痕は今朝戻ってきた奴にも確認してもらったが、上位種かあるいはそれに近い奴のものだってぇ話だ。仮にこの毛の持ち主と爪痕を付けた奴が同一であったとしたらこんな毛色の魔物も知らねぇと」
「しかし、この体毛の持ち主がその爪の持ち主に狩られたということも考えられますが」
「この長さと毛色の組み合わせの魔物は大森林にはいねぇ。何回も何回も組合の事務方と過去の魔物の討伐記録と生態記録を洗った。外からの流入の可能性が高い」
 
 ヴィンセントの推論を打ち消すようにガルドが腕を組んで椅子の背もたれにもたれかかる。きっぱりと断言する様子にヴィンセントは手で口元を覆い、思考を巡らせた。
 
 外からの流入。であれば元々そこに生息していた魔物たちの生息域の移動には一定の説明がつく。だが仮に群れでの流入であれば大森林に探索に入った冒険者やヴィンセントの私兵の誰かしらのうちの一人は目撃してもいいのではないかというようにも考えられる。だがそれすらも報告されないということは単独の個体である可能性も考えられる。そして単独の個体だった場合、元々の魔物の生息域そのものに影響を及ぼすということは。
 偵察から戻った冒険者の言うように、通常の魔物ではなくその更に上の区分に分類される類の魔物。
 
「……どう思われますか、イヴリン様」
 
 ヴィンセントは毛束を調べているイヴリンに視線を向ける。イヴリンはちょうど毛束をテーブルに置き、眼鏡をかけ直しているところだった。
 普段は柔和な表情を浮かべ続けているイヴリンの固い表情にヴィンセントの中で嫌な予感が現実のものになろうとしている事を察する。それはガルドも同じようで、身を乗り出すようにイヴリンに体を向けた。
 
「……どうだった、魔女さん」
「……すぐに大森林に向かいます」
 
 イヴリンのその言葉にヴィンセントもガルドも言葉を失う。
 
「コリン、備蓄倉庫からポーションと……あとは魔石も。結界が刻まれているものがいいかな。念の為魔晶石の予備も」
「は、はい。ご主人様」
「お、お待ち下さいイヴリン様!一体この魔物は……」
 
 イヴリンの命を受けたコリンがいそいそと応接室を後にするのを見たヴィンセントが慌てて腰を浮かせる。イヴリンは確かに直接大森林に確認に行くとは言っていたが、すぐに出立するというのはヴィンセントの予想を超えていた。そしてそれはこの体毛の持ち主が放置してはいけない存在だということを如実に表していて。
 だが、次のイヴリンの言葉は予想だにしないものだった。
 
「──この魔物が何であるかはこの毛だけでは分かりませんでした」
「で、では我々がその魔物を確認してからでも……!」
「いいえ、駄目です」
 
 イヴリンの言葉の真意がわからずにヴィンセントとガルドは顔を見合わせる。魔物の正体は判然としていないが、それでも魔女が直接出向かなければならない。
 ヴィンセントの背中に冷たい汗が流れる。
 
 上位種どころか、幻獣種の可能性もあるというのか。
 
 ごくりと生唾を飲み込む音がいやに大きく聞こえた。


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 イヴリンとヴィンセントに対して冒険者組合王国西方支部長ガルド・ボルターは慎重に言葉を重ねる。
 元々冒険者としてそれなりの年数を過ごし、引退後に実力と経験を見込まれて支部長になった。とはいえ王国の繁栄を支えるイヴリンと、その忠実な僕であり王国でも五指に入る実力派であるヴィンセントを前にして、その威圧感ともいうべき空気にガルドは静かに冷や汗をかく。
「依頼を受けた二日後になって走って組合に駆け込んできた。依頼の途中放棄だ」
「何が理由で放棄を?」
 ヴィンセントの刺すような鋭い視線と問いかけにガルドが呆気に取られた表情を浮かべて言葉を詰まらせる。ガルドの記憶にあるヴィンセントといえば誰からも親しまれ、常に礼儀正しい穏やかな優男、という印象だった。だからこそ鋭い視線を向けられたことに対して驚いたとともに珍しいものを見たな、と面映ゆい気持ちになったのだった。
 しかし何も話さないのではイヴリンの邸宅を訪れた意味がなくなる。ガルドは一度大きく深呼吸をして咳払いの後に言葉を続けた。
「大森林の奥地でそれまで見たこともねぇ魔物の痕跡を発見したんだと。それに何度か大森林には入ってるが空気が異様だったって話でな」
 そこまで話したガルドはコリンが差し出したハーブティーをゆっくりと口に運ぶ。イヴリンが邸宅で手ずから育てているハーブを使ったそれは飲んだ者にリラックス効果をもたらす。温かなそのハーブティーを飲んだガルドはひとつ大きく息を吐きだして、続けた。
「大森林の空気が異様だった、ってのはその前に大森林に探索に入った冒険者の何人からかも報告があった。魔物の冬支度の準備のせいかと思ってたが、どうにもそうじゃないらしい」
「というと?」
 ガルドと同じハーブティーを口にしていたイヴリンが一仕事を終えて隣に腰掛けたコリンを撫でながら問いかける。
「ちょうど高ランクの冒険者が別の依頼から戻ってきていたタイミングだったからな。そいつに指名依頼を出して大森林の調査に出てもらってたのが今朝方帰還した。やはりそいつも異様な空気を感じたらしい」
「その異様な空気というものについてはその冒険者の方からは具体的なお話はありましたか?」
「魔物の数が少なすぎるんだとよ。あまりにも静かすぎるってな。だが妙な威圧感だけはひしひしと感じると」
「……兵らが報告してきた内容と似通っていますね」
 ヴィンセントがイヴリンに目配せをして、それにイヴリンが答えるように頷いた。
「見たことのない魔物の痕跡とは一体どういうもので?」
「こいつだ」
 ヴィンセントに答えるようにガルドが懐に忍ばせていた包みを開く。包まれていたのは獣の体毛と思しき濃い茶色の毛束。
「──っ……!」
 ガルドが差し出した毛束を見たイヴリンが僅かに息を呑むと同時にソファに浅く腰掛けていたコリンが毛束から逃げるようにイヴリンにしがみついた。目を大きく見開き、視線は毛束に向けられている。
 コリンの頭の中に警鐘が鳴り響き、背筋にぞわぞわとした感覚が走る。あれは、「歪んでいる」。言葉ではうまく説明ができないけれど、直感的にそう感じた。
 突然のコリンの行動にヴィンセントもガルドも目を白黒させて体を硬直させた。応接室に物音ひとつ響かない時間が訪れる。
「……こちら、確認しても?」
「お、おう。そうしてほしくて持ってきたからな」
 自身にしがみついているコリンの頭や背を優しく撫でながらイヴリンがそろりと毛束に手を伸ばす。手に取った毛束はかさかさに乾いていて、強く引っ張れば千切れてしまうのではないかと思うほど。そのせいかごわごわとしたような手触りで、飢えた野良犬や野良猫を思わせるようなものだった。
 その毛束を調べようとイヴリンが眼鏡をずらす。
 イヴリンの目はマナを視る。裸眼ではほとんど視力を持たず、物質をマナの塊としてしか認識できない。物を見えるように、そしてマナが「視えすぎない」ように補助するための眼鏡。それを外すということは物質ではなくてそれを構成しているマナを視るということ。
 コリンは毛束のマナを観察し始めたイヴリンの邪魔をしないようにとしがみついていた体を離すが、言いようのない居心地の悪さを感じているのか、イヴリンのローブのゆったりとした袖をほんの少しだけ掴んでいた。
「……これが痕跡と?この毛色の魔物であれば大森林にいてもおかしくないのでは?」
 イヴリンとコリンの反応に驚きつつも、眼前の毛束が毛足の長いものであるということしかわからずにヴィンセントは訝しげな表情をガルドに向ける。その視線に気を悪くしたようなガルドが大きくため息を吐き出した。
「人の話は最後まで聞くもんだぜ。この毛の近くにいくつもの大きな爪痕があったとも報告があった。爪痕は今朝戻ってきた奴にも確認してもらったが、上位種かあるいはそれに近い奴のものだってぇ話だ。仮にこの毛の持ち主と爪痕を付けた奴が同一であったとしたらこんな毛色の魔物も知らねぇと」
「しかし、この体毛の持ち主がその爪の持ち主に狩られたということも考えられますが」
「この長さと毛色の組み合わせの魔物は大森林にはいねぇ。何回も何回も組合の事務方と過去の魔物の討伐記録と生態記録を洗った。外からの流入の可能性が高い」
 ヴィンセントの推論を打ち消すようにガルドが腕を組んで椅子の背もたれにもたれかかる。きっぱりと断言する様子にヴィンセントは手で口元を覆い、思考を巡らせた。
 外からの流入。であれば元々そこに生息していた魔物たちの生息域の移動には一定の説明がつく。だが仮に群れでの流入であれば大森林に探索に入った冒険者やヴィンセントの私兵の誰かしらのうちの一人は目撃してもいいのではないかというようにも考えられる。だがそれすらも報告されないということは単独の個体である可能性も考えられる。そして単独の個体だった場合、元々の魔物の生息域そのものに影響を及ぼすということは。
 偵察から戻った冒険者の言うように、通常の魔物ではなくその更に上の区分に分類される類の魔物。
「……どう思われますか、イヴリン様」
 ヴィンセントは毛束を調べているイヴリンに視線を向ける。イヴリンはちょうど毛束をテーブルに置き、眼鏡をかけ直しているところだった。
 普段は柔和な表情を浮かべ続けているイヴリンの固い表情にヴィンセントの中で嫌な予感が現実のものになろうとしている事を察する。それはガルドも同じようで、身を乗り出すようにイヴリンに体を向けた。
「……どうだった、魔女さん」
「……すぐに大森林に向かいます」
 イヴリンのその言葉にヴィンセントもガルドも言葉を失う。
「コリン、備蓄倉庫からポーションと……あとは魔石も。結界が刻まれているものがいいかな。念の為魔晶石の予備も」
「は、はい。ご主人様」
「お、お待ち下さいイヴリン様!一体この魔物は……」
 イヴリンの命を受けたコリンがいそいそと応接室を後にするのを見たヴィンセントが慌てて腰を浮かせる。イヴリンは確かに直接大森林に確認に行くとは言っていたが、すぐに出立するというのはヴィンセントの予想を超えていた。そしてそれはこの体毛の持ち主が放置してはいけない存在だということを如実に表していて。
 だが、次のイヴリンの言葉は予想だにしないものだった。
「──この魔物が何であるかはこの毛だけでは分かりませんでした」
「で、では我々がその魔物を確認してからでも……!」
「いいえ、駄目です」
 イヴリンの言葉の真意がわからずにヴィンセントとガルドは顔を見合わせる。魔物の正体は判然としていないが、それでも魔女が直接出向かなければならない。
 ヴィンセントの背中に冷たい汗が流れる。
 上位種どころか、幻獣種の可能性もあるというのか。
 ごくりと生唾を飲み込む音がいやに大きく聞こえた。