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第9話 西の辺境伯

ー/ー



「……ふむ」
 
 ルウシャの中で二番目に大きな邸宅。その邸宅の中の一室で数枚の紙をぱらぱらとめくる一人の男がいた。
 
 白く柔らかな生地のシャツの上に黒地を基調とした厚手のジャケット。ジャケットの襟には細い鎖の金のブローチがあしらわれ、留め具には緑色の菱形の石が埋め込まれている。暗い赤紫の紙を緩く一つにまとめて胸の前に流している青年は、手にした紙に記されている文面を改めてしっかり読み込もうと革張りの上等な椅子に深く腰掛け直す。
 
 手にした紙には尋問報告書、と題されている。
 
 内容は数日前に発生した大地の魔女の付き人の誘拐および暴行、さらには大地の魔女への傷害未遂を企てた実行犯らへの尋問で得られた自白内容をまとめたもの。
 その報告書に並んでいる単語を目で追い、頭痛がしてきたところでこめかみを揉む。

 住民達が仕事で慌ただしかった時間とはいえ、堂々と行われた人拐い。しかもその目的は王国の繁栄を支える魔女を害するため。下手人は捕らえられたが、拐われた本人である付き人──コリンは暴行を受けていた。
 
 そこまで読んで、青年──アルドゥイン王国西方辺境伯ヴィンセント・バルトロメオの眉間に深い皺が刻まれる。
 
 自白内容には信じがたいことが多々書かれていた。
 
 持ち込んでいた武器に塗布していた毒物は自然界に存在する猛毒を更に濃縮したもので、大型の魔物であっても少量で死に至らしめるほどのもの。
 その武器をコリンに持たせて解放したうえでイヴリンを傷つけるように画策していたこと。
 コリンを暴力によって従わせようとしたこと。
 毒がイヴリンを蝕んだ時点で殺せると算段をつけていたこと。
 
「──なんとも、お粗末なものだな」
 
 は、と小馬鹿にしたような笑いが漏れ出た。
 
「自然界の猛毒を濃縮した毒でイヴリン様を?たかがナイフに塗った程度の量で?コリン君を暴力で従わせて?コリン君がそれに従ってイヴリン様を害したところでイヴリン様を殺める?」
 
 そこまで一息につらつらぶつぶつと呟いて、大きく息を吸い込む。
 
「──まっっっっっったくもってイヴリン様の理解が足りていない!!!!!!」
 
 握った拳をテーブルに振り下ろして叫んだその声は邸宅中に響き渡る。が、その声に動揺する使用人や警備の兵士は一人としていなかった。
 いつものこと。そんな空気を纏わせたまま紅茶の支度をする執事。
 旦那様は相変わらずねぇ。そう言ってくすくすと笑うメイド達。
 やってるやってる。とけらけらと笑う訓練中の兵士達。
 いつも通り。そう、この邸宅ではいつも通りのことなのだ。

 *
 
 ヴィンセント・バルトロメオは若いながらも極めて優秀な軍人貴族だ。近隣諸国との小競り合いが続く王国の北方地域において、老練な指揮官や歴戦の兵士達が舌を巻くほどの武功を上げた。本人の武芸に関する技術が高いこともさることながら、指揮官としての状況判断能力にも秀でており、戦地ではそれはそれは重宝されていた。
 それほどの武功を上げているのであればいくら若いとはいえ、さぞ傷だらけで熊のような大男かと思えばおよそ軍人とは思えないほどに整った容姿、洗練された所作は王都の貴族子女から絶大な人気を誇っていた。しかしいずれは北方を護る魔女の力となり、ともに戦うだろうと王都では噂されていたし、実際に北の辺境伯に婿入りの話も出ていたという。
 
 そのヴィンセントが現在は西の辺境伯としてルウシャに居を構えている。それはなぜか。
 
「お待ちしていました。バルトロメオ辺境伯」
「お約束の時間よりわずかに遅れてしまい大変申し訳ございません、イヴリン様」
 
 他ならぬ、彼の目の前で穏やかに微笑む魔女に文字通り全てを捧げたからだった。

 *
 
「コリン君、体はもう?」
「はい、大丈夫です。でもご主人様が念のためにと長時間動き回るのはまだ……」
 
 客間に入ってきたコリンはヴィンセントの問いに答えながらイヴリンとヴィンセントの分のハーブティーを淹れ、バターをたっぷりと使って焼いた焼き菓子も皿に用意する。
 一仕事を終えたコリンがイヴリンに手招きをされ、イヴリンの隣に腰掛けるとイヴリンはその小さな体を抱き寄せてよしよしと頭を撫でた。
 
「怪我のことはイヴリン様から伺っていたけれど……傷があったとは全く分からないね」
 
 ヴィンセントはじっとコリンの左頬に視線を向ける。血色の良い、傷ひとつない肌だ。
 
 コリンがゴーレムであることをヴィンセントは知っているが、イヴリンからコリンの怪我を聞いた時には心中穏やかではなかった。コリンの無垢さはヴィンセントも知るところであったし、コリンが他者からの暴力によって恐怖を学んでしまうことを危惧していた。
 ヴィンセントはイヴリンに対して絶対の忠誠を誓っているが、その使い魔であり世話係でもあるコリンにも敬意を払い、そしてその成長を陰ながら見守っていたのだった。
 
「──イヴリン様。こちら、先日のコリン君の誘拐に関わる報告をまとめたものです」
 
 ひとつ咳払いをしてヴィンセントは屋敷から持参した報告書を手渡した。
 数枚の紙を受け取ったイヴリンはそれらをぱらぱらとめくり、ざっくりと目を通す。イヴリンの蜂蜜色の瞳が左右に動いていたが、ある一点でその動きをぴたりと止めた。
 
「……ふふ、ドロセアねぇ……」
 
 その言葉にコリンが驚いてイヴリンを見上げる。
 
「……そのようです。それもただ乳液を塗りつけるだけではなく、花弁も根も煮詰めて成分を濃縮したと」
「ご、ご主人様……」
 
 コリンの戸惑ったような声が応接室に響くが、イヴリンはコリンの頭を撫でて視線を合わせて微笑んだ。
 
 ドロセア。王国では栽培が禁止されている毒花。美しい薄紫の大ぶりな花を咲かせるが、花弁、花粉、茎、乳液、根全てに人体への強い毒性を持つ。
 強力な神経毒であり、誤って摂取してしまえば身体の自由が即座に利かなくなる。過剰摂取した場合には呼吸困難や意識喪失を招き死に至るとされる。
 その成分を更に濃縮したもの。
 明確にイヴリンへと向けられた、強い殺意。
 
 ──消えてほしいんだとよ。この国からも、世界からも。
 
 自身を殴りつけた男の言葉が響いて、コリンはイヴリンのローブの袖をぎゅう、と握った。
 
「大丈夫だよ、コリン。ドロセアの毒を濃縮したものが使用されていたとは思っていなかったけれど……コリンが体を張って守ってくれたからね」
 
 視線を落として俯いていたコリンの肩を抱いてイヴリンは微笑む。コリンの丸い頭に頬擦りをして、穏やかに目を閉じた。
 
 羨ましい。ヴィンセントは思わず出そうになる言葉を寸でのところで飲み込み、目の前に腰掛ける二人に務めて穏やかな表情を浮かべていた。
 
「──ところで、バルトロメオ辺境伯。今日いらしたのはこの報告書を私に持ってくるためだけではないでしょう?」
 
 コリンの頭に頬擦りをしたまま、イヴリンがヴィンセントに蜂蜜色の瞳を向けた。


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「……ふむ」
 ルウシャの中で二番目に大きな邸宅。その邸宅の中の一室で数枚の紙をぱらぱらとめくる一人の男がいた。
 白く柔らかな生地のシャツの上に黒地を基調とした厚手のジャケット。ジャケットの襟には細い鎖の金のブローチがあしらわれ、留め具には緑色の菱形の石が埋め込まれている。暗い赤紫の紙を緩く一つにまとめて胸の前に流している青年は、手にした紙に記されている文面を改めてしっかり読み込もうと革張りの上等な椅子に深く腰掛け直す。
 手にした紙には尋問報告書、と題されている。
 内容は数日前に発生した大地の魔女の付き人の誘拐および暴行、さらには大地の魔女への傷害未遂を企てた実行犯らへの尋問で得られた自白内容をまとめたもの。
 その報告書に並んでいる単語を目で追い、頭痛がしてきたところでこめかみを揉む。
 住民達が仕事で慌ただしかった時間とはいえ、堂々と行われた人拐い。しかもその目的は王国の繁栄を支える魔女を害するため。下手人は捕らえられたが、拐われた本人である付き人──コリンは暴行を受けていた。
 そこまで読んで、青年──アルドゥイン王国西方辺境伯ヴィンセント・バルトロメオの眉間に深い皺が刻まれる。
 自白内容には信じがたいことが多々書かれていた。
 持ち込んでいた武器に塗布していた毒物は自然界に存在する猛毒を更に濃縮したもので、大型の魔物であっても少量で死に至らしめるほどのもの。
 その武器をコリンに持たせて解放したうえでイヴリンを傷つけるように画策していたこと。
 コリンを暴力によって従わせようとしたこと。
 毒がイヴリンを蝕んだ時点で殺せると算段をつけていたこと。
「──なんとも、お粗末なものだな」
 は、と小馬鹿にしたような笑いが漏れ出た。
「自然界の猛毒を濃縮した毒でイヴリン様を?たかがナイフに塗った程度の量で?コリン君を暴力で従わせて?コリン君がそれに従ってイヴリン様を害したところでイヴリン様を殺める?」
 そこまで一息につらつらぶつぶつと呟いて、大きく息を吸い込む。
「──まっっっっっったくもってイヴリン様の理解が足りていない!!!!!!」
 握った拳をテーブルに振り下ろして叫んだその声は邸宅中に響き渡る。が、その声に動揺する使用人や警備の兵士は一人としていなかった。
 いつものこと。そんな空気を纏わせたまま紅茶の支度をする執事。
 旦那様は相変わらずねぇ。そう言ってくすくすと笑うメイド達。
 やってるやってる。とけらけらと笑う訓練中の兵士達。
 いつも通り。そう、この邸宅ではいつも通りのことなのだ。
 *
 ヴィンセント・バルトロメオは若いながらも極めて優秀な軍人貴族だ。近隣諸国との小競り合いが続く王国の北方地域において、老練な指揮官や歴戦の兵士達が舌を巻くほどの武功を上げた。本人の武芸に関する技術が高いこともさることながら、指揮官としての状況判断能力にも秀でており、戦地ではそれはそれは重宝されていた。
 それほどの武功を上げているのであればいくら若いとはいえ、さぞ傷だらけで熊のような大男かと思えばおよそ軍人とは思えないほどに整った容姿、洗練された所作は王都の貴族子女から絶大な人気を誇っていた。しかしいずれは北方を護る魔女の力となり、ともに戦うだろうと王都では噂されていたし、実際に北の辺境伯に婿入りの話も出ていたという。
 そのヴィンセントが現在は西の辺境伯としてルウシャに居を構えている。それはなぜか。
「お待ちしていました。バルトロメオ辺境伯」
「お約束の時間よりわずかに遅れてしまい大変申し訳ございません、イヴリン様」
 他ならぬ、彼の目の前で穏やかに微笑む魔女に文字通り全てを捧げたからだった。
 *
「コリン君、体はもう?」
「はい、大丈夫です。でもご主人様が念のためにと長時間動き回るのはまだ……」
 客間に入ってきたコリンはヴィンセントの問いに答えながらイヴリンとヴィンセントの分のハーブティーを淹れ、バターをたっぷりと使って焼いた焼き菓子も皿に用意する。
 一仕事を終えたコリンがイヴリンに手招きをされ、イヴリンの隣に腰掛けるとイヴリンはその小さな体を抱き寄せてよしよしと頭を撫でた。
「怪我のことはイヴリン様から伺っていたけれど……傷があったとは全く分からないね」
 ヴィンセントはじっとコリンの左頬に視線を向ける。血色の良い、傷ひとつない肌だ。
 コリンがゴーレムであることをヴィンセントは知っているが、イヴリンからコリンの怪我を聞いた時には心中穏やかではなかった。コリンの無垢さはヴィンセントも知るところであったし、コリンが他者からの暴力によって恐怖を学んでしまうことを危惧していた。
 ヴィンセントはイヴリンに対して絶対の忠誠を誓っているが、その使い魔であり世話係でもあるコリンにも敬意を払い、そしてその成長を陰ながら見守っていたのだった。
「──イヴリン様。こちら、先日のコリン君の誘拐に関わる報告をまとめたものです」
 ひとつ咳払いをしてヴィンセントは屋敷から持参した報告書を手渡した。
 数枚の紙を受け取ったイヴリンはそれらをぱらぱらとめくり、ざっくりと目を通す。イヴリンの蜂蜜色の瞳が左右に動いていたが、ある一点でその動きをぴたりと止めた。
「……ふふ、ドロセアねぇ……」
 その言葉にコリンが驚いてイヴリンを見上げる。
「……そのようです。それもただ乳液を塗りつけるだけではなく、花弁も根も煮詰めて成分を濃縮したと」
「ご、ご主人様……」
 コリンの戸惑ったような声が応接室に響くが、イヴリンはコリンの頭を撫でて視線を合わせて微笑んだ。
 ドロセア。王国では栽培が禁止されている毒花。美しい薄紫の大ぶりな花を咲かせるが、花弁、花粉、茎、乳液、根全てに人体への強い毒性を持つ。
 強力な神経毒であり、誤って摂取してしまえば身体の自由が即座に利かなくなる。過剰摂取した場合には呼吸困難や意識喪失を招き死に至るとされる。
 その成分を更に濃縮したもの。
 明確にイヴリンへと向けられた、強い殺意。
 ──消えてほしいんだとよ。この国からも、世界からも。
 自身を殴りつけた男の言葉が響いて、コリンはイヴリンのローブの袖をぎゅう、と握った。
「大丈夫だよ、コリン。ドロセアの毒を濃縮したものが使用されていたとは思っていなかったけれど……コリンが体を張って守ってくれたからね」
 視線を落として俯いていたコリンの肩を抱いてイヴリンは微笑む。コリンの丸い頭に頬擦りをして、穏やかに目を閉じた。
 羨ましい。ヴィンセントは思わず出そうになる言葉を寸でのところで飲み込み、目の前に腰掛ける二人に務めて穏やかな表情を浮かべていた。
「──ところで、バルトロメオ辺境伯。今日いらしたのはこの報告書を私に持ってくるためだけではないでしょう?」
 コリンの頭に頬擦りをしたまま、イヴリンがヴィンセントに蜂蜜色の瞳を向けた。