第6話 虜囚
ー/ー 体が動かない。動かせない。腕も手首も足首も、目の荒い縄でがっちりと縛られている。
何があったんだっけ。
未だに靄のかかっている頭でコリンは自身に起こった出来事を遡る。
今日は買い出しに街まで繰り出した。ふかふかで大きなパンを買って、朝採れたばかりの葉野菜を買って、新鮮な生肉をおすすめしてもらったからそれも買って。帰り道に旅商人の露店で本を何冊か見繕って、崩れそうな荷物を長椅子に下ろして──。
「……ぼく、路地裏で……」
かすれた声が漏れた。
影になっていた路地裏から石が転がってきて、猫か何かがいるのかと覗き込んだら誰かに捕まって。抵抗しようとしたけど、人が二人いた。声も出せなくて、お腹を蹴られたか殴られたか……。どちらかは覚えてないけれど、とにかくそこで記憶が途切れているから気絶してしまったんだろう。
自由になる首を動かして、コリンは辺りを見回す。窓もついておらず明かりもないために薄暗いけれど、それでも見えるのはところどころ隙間のある板張りの壁。そこから入り込む冷たい隙間風。かび臭い床板の臭いに混じって土の匂いが部屋に充満している。壁の隙間から明かりが入り込んでこないということはもう完全に日が落ちているということに他ならなくてコリンはどれほど気絶していたのかと思考を巡らせた。
早く帰って、ご主人様にご飯を作らないと。
心配をかけて、ごめんなさいって言わないと。
そのためには、まずはこの縄を切らないと。
そこまで考えたコリンが手首や足首に力を入れようとしたその瞬間。板張りの壁の向こうに人の気配が訪れた。どうやら明かりを持っているのか、壁の隙間から揺らめく暖色の明かりが入り込んでくる。ややあって明かりの位置が移動してコリンが横たわっている正面の壁に備え付けられていた扉が耳障りな蝶番の音を響かせて開かれた。
明かりを手に入ってきたのは三人の男。全員が動きやすそうな黒色の衣服に身を包んでいて、同じく黒色の布で鼻や口を覆っている。がっしりとした体つきの男を先頭に、細身の男が二人その後ろについている。
「おう、起きていたか。死んでたらマズかったからな。ありがてぇ」
がっしりとした体つきの男が手にしたランプでコリンを照らしながら嗤う。男がコリンに向けて顎をくい、と向けると背後についていた男のうちの一人がコリンの髪を掴んで乱暴に起こして座らせた。
「声も出さねぇのか。それともビビって出せねぇのか?」
近付いてきた男がコリンの髪を鷲掴んで、茜色の瞳を覗き込む。恐怖の浮かんでいないコリンの顔を見て、男は吐き捨てる。
「このガキ、気味わりぃな。本当にこいつか?」
「間違いありません。先日アレと街を歩いていました」
ふん、と鼻を鳴らして男はコリンに顔を近付ける。
「急に拐って悪かったなぁ。だがよ、お前のご主人サマにはちっとばかし大人しくしといてほしくてよ。そのために協力してくんねぇか」
「……協力……」
ぽろりと零れたコリンの言葉に、男はにやにやとした笑みを浮かべているのが口布越しにも分かる。
わしゃわしゃとコリンの頭を乱雑に撫で回し、ごつごつとした分厚い両手がコリンの薄い肩に乗せられて、無遠慮に力が込められる。
「消えてほしいんだとよ。この国からも、世界からも」
その言葉に、胸のあたりが締め付けられるような感覚がコリンを襲う。一瞬強張ったコリンの表情に気付かないままに男は続けた。
「魔女ってのは厄介なもんだって聞いてるからよ。俺らも直接相手したくはねぇんだよな」
その言葉とともに、扉の近くに控えていたもう一人の細身の男が鞘に収められているナイフをコリンの足元に放り投げる。
「ここから帰してやるよ。その代わり、このナイフをご主人サマに突き立ててくんねぇか。痛い思いはしたくねぇだろ?」
みし、と音が鳴るほどコリンの肩に力が込められる。コリンの表情は一切変わらない。
「……魔女は、そんなことでは死ねません。ぼくが、ご主人様を傷つけることもありえません」
にやにやと笑っていた男の表情が一変する。
「ぼくを痛めつけるのは勝手ですけど、そんなことでぼくを従わせようとしても無駄です」
ち、と短い舌打ちが室内に響いた直後男が思い切りコリンの頬を殴り飛ばす。そのままコリンの小さな体が吹き飛び、手足の自由を奪われたコリンはなすすべもなく壁に叩きつけられるか、というところでコリンの体が柔らかく受け止められた。
「な……!」
コリンの体を柔らかく受け止めていたのは網状に絡まった蔦。それがコリンの体を護るように包み込む。
突然のことに驚いていた男達のうちの一人、入口の傍に立っていた細身の男がコリンと同じかそれ以上の勢いで吹き飛び、壁に叩きつけられた。脆くなっていた板張りの壁は大きな穴を開けており、もうもうと埃が舞う。扉の蝶番が衝撃で外れ、室内に向かって扉が倒れた。
倒れた扉の先に現れたのは、緩く揺らめく白地のローブと新緑の髪。金縁の眼鏡が月明かりを受けて冷たく輝いていた。
「ご……ご主人様……」
イヴリンの姿を確認したコリンの全身から力がふっと抜ける。この場にそぐわない微笑みを浮かべたイヴリンが左手でなにかを手繰り寄せるような動作をする。すると蔦が意思を持っているかのようにコリンの体をそっとイヴリンの元へと運び、体を拘束していた縄も引きちぎった。
「コリン。探したよ」
「す、すみません……」
「殴られてしまったんだね。可哀想に。すぐに帰って治療しようね」
コリンの頬を撫でながらにこ、と瞼を閉じて笑うイヴリンにコリンはこの後の男たちの行く末について思いを馳せた。
イヴリンは常に目を細めて柔らかく笑うが、こうして満面の笑みを浮かべているときはその殆どが好意的な感情から来るものではないことを知っている。
「テメェ……!」
先程コリンの足元に放り投げられたナイフを鞘から抜いた男がイヴリンに向かって猛然と走りかかる。イヴリンの眼前に迫っている男の体格と比較しても大分小さなナイフは月明かりによってその刀身が濡れていることをコリンの目ははっきりと捉えた。
毒。そうコリンが判断するのは一瞬のこと。
いくら魔女が頑強な体であっても、敵の眼前で身動きが取れなくなってしまえば待っているのは確実な死。しかもこの場にはナイフを持った男の他にももう一人いる。その男だってどんな武器を持っているか、この暗がりでは判断できない。
そんな状況下でイヴリンを負傷させるわけにはいかない。どんな成分の毒が塗られているのかだってわからないのだから。
コリンの判断はたったひとつだった。
「ご主人様……!」
突進してくる男と、イヴリンの間に体を滑り込ませる。その直後に、コリンの腹部に鈍い衝撃が走った。
何があったんだっけ。
未だに靄のかかっている頭でコリンは自身に起こった出来事を遡る。
今日は買い出しに街まで繰り出した。ふかふかで大きなパンを買って、朝採れたばかりの葉野菜を買って、新鮮な生肉をおすすめしてもらったからそれも買って。帰り道に旅商人の露店で本を何冊か見繕って、崩れそうな荷物を長椅子に下ろして──。
「……ぼく、路地裏で……」
かすれた声が漏れた。
影になっていた路地裏から石が転がってきて、猫か何かがいるのかと覗き込んだら誰かに捕まって。抵抗しようとしたけど、人が二人いた。声も出せなくて、お腹を蹴られたか殴られたか……。どちらかは覚えてないけれど、とにかくそこで記憶が途切れているから気絶してしまったんだろう。
自由になる首を動かして、コリンは辺りを見回す。窓もついておらず明かりもないために薄暗いけれど、それでも見えるのはところどころ隙間のある板張りの壁。そこから入り込む冷たい隙間風。かび臭い床板の臭いに混じって土の匂いが部屋に充満している。壁の隙間から明かりが入り込んでこないということはもう完全に日が落ちているということに他ならなくてコリンはどれほど気絶していたのかと思考を巡らせた。
早く帰って、ご主人様にご飯を作らないと。
心配をかけて、ごめんなさいって言わないと。
そのためには、まずはこの縄を切らないと。
そこまで考えたコリンが手首や足首に力を入れようとしたその瞬間。板張りの壁の向こうに人の気配が訪れた。どうやら明かりを持っているのか、壁の隙間から揺らめく暖色の明かりが入り込んでくる。ややあって明かりの位置が移動してコリンが横たわっている正面の壁に備え付けられていた扉が耳障りな蝶番の音を響かせて開かれた。
明かりを手に入ってきたのは三人の男。全員が動きやすそうな黒色の衣服に身を包んでいて、同じく黒色の布で鼻や口を覆っている。がっしりとした体つきの男を先頭に、細身の男が二人その後ろについている。
「おう、起きていたか。死んでたらマズかったからな。ありがてぇ」
がっしりとした体つきの男が手にしたランプでコリンを照らしながら嗤う。男がコリンに向けて顎をくい、と向けると背後についていた男のうちの一人がコリンの髪を掴んで乱暴に起こして座らせた。
「声も出さねぇのか。それともビビって出せねぇのか?」
近付いてきた男がコリンの髪を鷲掴んで、茜色の瞳を覗き込む。恐怖の浮かんでいないコリンの顔を見て、男は吐き捨てる。
「このガキ、気味わりぃな。本当にこいつか?」
「間違いありません。先日アレと街を歩いていました」
ふん、と鼻を鳴らして男はコリンに顔を近付ける。
「急に拐って悪かったなぁ。だがよ、お前のご主人サマにはちっとばかし大人しくしといてほしくてよ。そのために協力してくんねぇか」
「……協力……」
ぽろりと零れたコリンの言葉に、男はにやにやとした笑みを浮かべているのが口布越しにも分かる。
わしゃわしゃとコリンの頭を乱雑に撫で回し、ごつごつとした分厚い両手がコリンの薄い肩に乗せられて、無遠慮に力が込められる。
「消えてほしいんだとよ。この国からも、世界からも」
その言葉に、胸のあたりが締め付けられるような感覚がコリンを襲う。一瞬強張ったコリンの表情に気付かないままに男は続けた。
「魔女ってのは厄介なもんだって聞いてるからよ。俺らも直接相手したくはねぇんだよな」
その言葉とともに、扉の近くに控えていたもう一人の細身の男が鞘に収められているナイフをコリンの足元に放り投げる。
「ここから帰してやるよ。その代わり、このナイフをご主人サマに突き立ててくんねぇか。痛い思いはしたくねぇだろ?」
みし、と音が鳴るほどコリンの肩に力が込められる。コリンの表情は一切変わらない。
「……魔女は、そんなことでは死ねません。ぼくが、ご主人様を傷つけることもありえません」
にやにやと笑っていた男の表情が一変する。
「ぼくを痛めつけるのは勝手ですけど、そんなことでぼくを従わせようとしても無駄です」
ち、と短い舌打ちが室内に響いた直後男が思い切りコリンの頬を殴り飛ばす。そのままコリンの小さな体が吹き飛び、手足の自由を奪われたコリンはなすすべもなく壁に叩きつけられるか、というところでコリンの体が柔らかく受け止められた。
「な……!」
コリンの体を柔らかく受け止めていたのは網状に絡まった蔦。それがコリンの体を護るように包み込む。
突然のことに驚いていた男達のうちの一人、入口の傍に立っていた細身の男がコリンと同じかそれ以上の勢いで吹き飛び、壁に叩きつけられた。脆くなっていた板張りの壁は大きな穴を開けており、もうもうと埃が舞う。扉の蝶番が衝撃で外れ、室内に向かって扉が倒れた。
倒れた扉の先に現れたのは、緩く揺らめく白地のローブと新緑の髪。金縁の眼鏡が月明かりを受けて冷たく輝いていた。
「ご……ご主人様……」
イヴリンの姿を確認したコリンの全身から力がふっと抜ける。この場にそぐわない微笑みを浮かべたイヴリンが左手でなにかを手繰り寄せるような動作をする。すると蔦が意思を持っているかのようにコリンの体をそっとイヴリンの元へと運び、体を拘束していた縄も引きちぎった。
「コリン。探したよ」
「す、すみません……」
「殴られてしまったんだね。可哀想に。すぐに帰って治療しようね」
コリンの頬を撫でながらにこ、と瞼を閉じて笑うイヴリンにコリンはこの後の男たちの行く末について思いを馳せた。
イヴリンは常に目を細めて柔らかく笑うが、こうして満面の笑みを浮かべているときはその殆どが好意的な感情から来るものではないことを知っている。
「テメェ……!」
先程コリンの足元に放り投げられたナイフを鞘から抜いた男がイヴリンに向かって猛然と走りかかる。イヴリンの眼前に迫っている男の体格と比較しても大分小さなナイフは月明かりによってその刀身が濡れていることをコリンの目ははっきりと捉えた。
毒。そうコリンが判断するのは一瞬のこと。
いくら魔女が頑強な体であっても、敵の眼前で身動きが取れなくなってしまえば待っているのは確実な死。しかもこの場にはナイフを持った男の他にももう一人いる。その男だってどんな武器を持っているか、この暗がりでは判断できない。
そんな状況下でイヴリンを負傷させるわけにはいかない。どんな成分の毒が塗られているのかだってわからないのだから。
コリンの判断はたったひとつだった。
「ご主人様……!」
突進してくる男と、イヴリンの間に体を滑り込ませる。その直後に、コリンの腹部に鈍い衝撃が走った。
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