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第9話 ダンディーとは何か選手権の夜

ー/ー



月見橋交差点の夜は、たいてい静かに始まる。
 信号が変わる電子音、コンビニの自動ドア、遠くを走るタクシーの重いタイヤ音。そんな日常の断片が混ざり合って、この街特有の、湿り気を帯びた夜の空気がゆっくりと出来上がっていく。
 その交差点から一本入った細い路地に、赤いランプを灯す店がある。――Red Light Bar。


カウンター八席だけの、小さな、けれど今夜はすでに沸騰したような熱を帯びた店だ。
「結論から言おう」
 ゴウちゃんが、使い古されたコースターを指で叩いた。
「ダンディーとは、すなわち『歩き方』だ。これに尽きる」 「また始まったよ」とタケさんが溜息をつく。
「いや、それは興味深い視点ですね」マウスが眼鏡を押し上げる。
「確かに。歩き方には、その人間の隠しきれない人格が滲み出るものです」
 特等席で神様が琥珀色のグラスを揺らし、深く頷いた。
「どんな歩き方なんすか、ゴウさんの思うダンディーって」  りょうちんが身を乗り出すと、ゴウちゃんは待ってましたとばかりに立ち上がった。
「見ていろ。こうだ」
ゴウちゃんはカウンターの前を、舞台俳優のように往復し始めた。  背筋をこれでもかと伸ばし、顎を不自然なほど上げ、スローモーションのような速度で一歩一歩を踏みしめる。
「……何だそれ。スロー再生の映画か?」とタケさん。
「ハリウッド歩きだ。大物感が出るだろ」
ちょうどその時、カランとベルが鳴った。
「こんばんはー」
 ミルクちゃんが入ってきて、目の前で奇妙な歩行を繰り返すゴウちゃんを見て、即座に足を止めた。
「……何これ。リハビリ?」
「ただいま」
 続いて入ってきたマユ姐も、ゴウちゃんを一瞥して吐き捨てた。 「気持ち悪いわね。何かの儀式?」
「ダンディーだよ!」
「違うわ。それはただの『変な人』よ」
「では、私の論理的アプローチをお見せしましょう」
 今度はマウスが立ち上がった。「ダンディーとは『重心』です」  マウスの実演は、極端に膝を曲げ、腰を落としたまま摺り足で進むというものだった。
「……猿よ、それ」とミルクちゃん。
「山から下りてきたばかりのボス猿ね」とマユ姐。
「……安定感は抜群です」とマウスは真顔で言い張る。
「じゃあ、僕もやっていいっすか! 若者流・軽やかダンディー!」
 りょうちんがぴょんぴょんと、スキップに近い足取りでカウンター前を跳ね回る。
「うるさいダンディーね。落ち着きなさいよ」
「……本物をお見せしましょうか」
 神様が静かに立ち上がった。全員の視線が集中する。
 神様は背筋をスッと伸ばし、無駄な動きを一切排除し、静寂を纏うようにゆっくりと歩いた。顎の角度、視線の位置、すべてが完璧な黄金比だ。
「「「「「おお……」」」」」
 全員が思わず頷いた。「これは文句なしのダンディーだ」
「完成形だな」
その時、再びドアが開いた。
 現れたのは、若い男女のカップル。
 どこかぎこちなく、互いの距離を測りかねているような、初々しくも気まずい空気を纏っていた。
「OKセクシー、OKダンディー。……いらっしゃい」
 タケさんが迎え入れる。
「あ、どうも」
「ここ……でいいの?」
「雰囲気いいって聞いたから……」
 二人が席に着く。その背後で、常連客たちが瞬時に「観察モード」に切り替わった。
「アプリの初デートね、あれは」とミルクちゃんが小声で囁く。 「確定ね。男の靴の磨き方が必死すぎるもの」とマユ姐。
「興味深い観察対象です」とマウス。
「やめろお前ら」とタケさんが釘を刺すが、無駄だった。
「タカリの匂いがするわね、あの女」
「ヤリモク臭がするわよ、あの男」
「……見守りましょう。それもまた人生です」神様が慈愛に満ちた目で二人を見る。
男がメニューを開き、少し顔を強張らせた。
「……結構、いいお値段しますね」
「でも、すごく美味しそう」と女。
「今日は俺が出すよ」
「えー、本当ですか? 嬉しい」
 マユ姐が隣のミルクちゃんを肘で突く。「ほら、始まった」
そこへ、お決まりの鼻歌が聞こえてきた。
「バックシティ~~♪」
「OKダンディー、工藤ちゃん。……今日はな、お前の出番だ」  タケさんの言葉に、工藤ちゃんは帽子を脱ぎ、カップルの背中を鋭く射抜いた。
「……事件の匂いがするな」
「「「「「する」」」」」
 今夜に限って、全員の声が綺麗に揃った。
「よし、分析を開始しましょう」とマウス。
「彼が今夜、ホテルに誘う確率は八十五パーセントです」と神様。 「彼女は最終的にタクシー代をもらって逃げるわよ、私の予想では」とミルクちゃん。
「俺は、会計の土壇場で男がビビって割り勘を提案する方に一票だ」とゴウちゃん。
「俺、尾行してきましょうか?」
「「「「「やめろ」」」」」
その時、男が意を決したように切り出した。
「……この後、どうします?」
 店内が、水を打ったように静まり返った。常連たちは全員、酒を飲むふりをして耳をダンボにしている。
「……どうしましょうか」と女。
「もう一軒、行きませんか?」
「……詰めが甘いわね」とミルクちゃんが小声で断じる。
「弱いわ」「慎重すぎ」
「でも、終電がそろそろ……」
「じゃあ、タクシーで送りましょうか。俺、出すから」
 ミルクちゃんが噴き出すのを必死に堪えた。
「……キター!」
「統計通りの展開です」とマウス。
その時、タケさんがカウンター越しに、不意に男へ声をかけた。 「……ダンディー」
 男が驚いて振り向く。
「え、あ、はい?」
「あんた、本当の『歩き方』を知ってるか?」
 店内が静まる。
「ダンディーは歩き方だ。胸を張れ」とゴウちゃん。
「重心ですよ、重心」とマウス。
「軽やかさも大事っすよ!」とりょうちん。
「……静かに、気高くあることです」と神様。
「孤独を恐れるな」と工藤ちゃん。
「……バカね、あんたたち」とミルクちゃん。
「まず、誠実であることよ。女はそこを見てるの」とマユ姐。
矢継ぎ早に投げかけられる「大人たちの助言」に、男はポカンと固まった。
 だが、隣に座っていた女が、堪えきれずに吹き出した。
「あはは! このお店、本当に面白いですね!」
「……そうでもない。かなりバカな店だ」とタケさん。
「でも、ちょっとだけ優しいのよ」とマユ姐が微笑む。
女の笑い声に釣られ、男も緊張が解けたように笑った。
「……そうですね。じゃあ、今日は『誠実ダンディー』で行きます」

そして彼は、女に向かって真っ直ぐに言った。
「今日は、ここで解散にしましょう。次は、もっと余裕を持って誘わせてください」
 女は少しだけ驚いた表情を見せた後、今日一番の明るい笑顔で頷いた。
「……いいですね、それ。楽しみにしてます」
二人は清々しい様子で会計を済ませ、店を出て行った。
 ドアが閉まり、再び赤いランプの下に静寂が戻る。
 タケさんが、呆れたように常連たちを見渡した。
「……お前ら、営業妨害だぞ」
「教育よ、若者への」とミルクちゃん。
「社会貢献と言ってもらいたいわね」とマユ姐。
「ダンディーの普及活動です」とゴウちゃん。
「……ふっ、事件は解決したようだな」工藤ちゃんがニヒルに笑う。
「「「「「違う」」」」」
月見橋の夜は、外では相変わらず静かに流れている。
 けれど今夜もまた、Red
Light Barの扉の内側では、馬鹿馬鹿しくて愛おしい「余計なお世話」が、琥珀色の酒と一緒に夜を彩っていた。
 そして今夜もまた――何かが起こっていた。

――この店の夜は、まだ終わらない。
(続きは22時)


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次のエピソードへ進む 第10話 タケさん、雑誌に載る夜


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月見橋交差点の夜は、たいてい静かに始まる。
 信号が変わる電子音、コンビニの自動ドア、遠くを走るタクシーの重いタイヤ音。そんな日常の断片が混ざり合って、この街特有の、湿り気を帯びた夜の空気がゆっくりと出来上がっていく。
 その交差点から一本入った細い路地に、赤いランプを灯す店がある。――Red Light Bar。
カウンター八席だけの、小さな、けれど今夜はすでに沸騰したような熱を帯びた店だ。
「結論から言おう」
 ゴウちゃんが、使い古されたコースターを指で叩いた。
「ダンディーとは、すなわち『歩き方』だ。これに尽きる」 「また始まったよ」とタケさんが溜息をつく。
「いや、それは興味深い視点ですね」マウスが眼鏡を押し上げる。
「確かに。歩き方には、その人間の隠しきれない人格が滲み出るものです」
 特等席で神様が琥珀色のグラスを揺らし、深く頷いた。
「どんな歩き方なんすか、ゴウさんの思うダンディーって」  りょうちんが身を乗り出すと、ゴウちゃんは待ってましたとばかりに立ち上がった。
「見ていろ。こうだ」
ゴウちゃんはカウンターの前を、舞台俳優のように往復し始めた。  背筋をこれでもかと伸ばし、顎を不自然なほど上げ、スローモーションのような速度で一歩一歩を踏みしめる。
「……何だそれ。スロー再生の映画か?」とタケさん。
「ハリウッド歩きだ。大物感が出るだろ」
ちょうどその時、カランとベルが鳴った。
「こんばんはー」
 ミルクちゃんが入ってきて、目の前で奇妙な歩行を繰り返すゴウちゃんを見て、即座に足を止めた。
「……何これ。リハビリ?」
「ただいま」
 続いて入ってきたマユ姐も、ゴウちゃんを一瞥して吐き捨てた。 「気持ち悪いわね。何かの儀式?」
「ダンディーだよ!」
「違うわ。それはただの『変な人』よ」
「では、私の論理的アプローチをお見せしましょう」
 今度はマウスが立ち上がった。「ダンディーとは『重心』です」  マウスの実演は、極端に膝を曲げ、腰を落としたまま摺り足で進むというものだった。
「……猿よ、それ」とミルクちゃん。
「山から下りてきたばかりのボス猿ね」とマユ姐。
「……安定感は抜群です」とマウスは真顔で言い張る。
「じゃあ、僕もやっていいっすか! 若者流・軽やかダンディー!」
 りょうちんがぴょんぴょんと、スキップに近い足取りでカウンター前を跳ね回る。
「うるさいダンディーね。落ち着きなさいよ」
「……本物をお見せしましょうか」
 神様が静かに立ち上がった。全員の視線が集中する。
 神様は背筋をスッと伸ばし、無駄な動きを一切排除し、静寂を纏うようにゆっくりと歩いた。顎の角度、視線の位置、すべてが完璧な黄金比だ。
「「「「「おお……」」」」」
 全員が思わず頷いた。「これは文句なしのダンディーだ」
「完成形だな」
その時、再びドアが開いた。
 現れたのは、若い男女のカップル。
 どこかぎこちなく、互いの距離を測りかねているような、初々しくも気まずい空気を纏っていた。
「OKセクシー、OKダンディー。……いらっしゃい」
 タケさんが迎え入れる。
「あ、どうも」
「ここ……でいいの?」
「雰囲気いいって聞いたから……」
 二人が席に着く。その背後で、常連客たちが瞬時に「観察モード」に切り替わった。
「アプリの初デートね、あれは」とミルクちゃんが小声で囁く。 「確定ね。男の靴の磨き方が必死すぎるもの」とマユ姐。
「興味深い観察対象です」とマウス。
「やめろお前ら」とタケさんが釘を刺すが、無駄だった。
「タカリの匂いがするわね、あの女」
「ヤリモク臭がするわよ、あの男」
「……見守りましょう。それもまた人生です」神様が慈愛に満ちた目で二人を見る。
男がメニューを開き、少し顔を強張らせた。
「……結構、いいお値段しますね」
「でも、すごく美味しそう」と女。
「今日は俺が出すよ」
「えー、本当ですか? 嬉しい」
 マユ姐が隣のミルクちゃんを肘で突く。「ほら、始まった」
そこへ、お決まりの鼻歌が聞こえてきた。
「バックシティ~~♪」
「OKダンディー、工藤ちゃん。……今日はな、お前の出番だ」  タケさんの言葉に、工藤ちゃんは帽子を脱ぎ、カップルの背中を鋭く射抜いた。
「……事件の匂いがするな」
「「「「「する」」」」」
 今夜に限って、全員の声が綺麗に揃った。
「よし、分析を開始しましょう」とマウス。
「彼が今夜、ホテルに誘う確率は八十五パーセントです」と神様。 「彼女は最終的にタクシー代をもらって逃げるわよ、私の予想では」とミルクちゃん。
「俺は、会計の土壇場で男がビビって割り勘を提案する方に一票だ」とゴウちゃん。
「俺、尾行してきましょうか?」
「「「「「やめろ」」」」」
その時、男が意を決したように切り出した。
「……この後、どうします?」
 店内が、水を打ったように静まり返った。常連たちは全員、酒を飲むふりをして耳をダンボにしている。
「……どうしましょうか」と女。
「もう一軒、行きませんか?」
「……詰めが甘いわね」とミルクちゃんが小声で断じる。
「弱いわ」「慎重すぎ」
「でも、終電がそろそろ……」
「じゃあ、タクシーで送りましょうか。俺、出すから」
 ミルクちゃんが噴き出すのを必死に堪えた。
「……キター!」
「統計通りの展開です」とマウス。
その時、タケさんがカウンター越しに、不意に男へ声をかけた。 「……ダンディー」
 男が驚いて振り向く。
「え、あ、はい?」
「あんた、本当の『歩き方』を知ってるか?」
 店内が静まる。
「ダンディーは歩き方だ。胸を張れ」とゴウちゃん。
「重心ですよ、重心」とマウス。
「軽やかさも大事っすよ!」とりょうちん。
「……静かに、気高くあることです」と神様。
「孤独を恐れるな」と工藤ちゃん。
「……バカね、あんたたち」とミルクちゃん。
「まず、誠実であることよ。女はそこを見てるの」とマユ姐。
矢継ぎ早に投げかけられる「大人たちの助言」に、男はポカンと固まった。
 だが、隣に座っていた女が、堪えきれずに吹き出した。
「あはは! このお店、本当に面白いですね!」
「……そうでもない。かなりバカな店だ」とタケさん。
「でも、ちょっとだけ優しいのよ」とマユ姐が微笑む。
女の笑い声に釣られ、男も緊張が解けたように笑った。
「……そうですね。じゃあ、今日は『誠実ダンディー』で行きます」
そして彼は、女に向かって真っ直ぐに言った。
「今日は、ここで解散にしましょう。次は、もっと余裕を持って誘わせてください」
 女は少しだけ驚いた表情を見せた後、今日一番の明るい笑顔で頷いた。
「……いいですね、それ。楽しみにしてます」
二人は清々しい様子で会計を済ませ、店を出て行った。
 ドアが閉まり、再び赤いランプの下に静寂が戻る。
 タケさんが、呆れたように常連たちを見渡した。
「……お前ら、営業妨害だぞ」
「教育よ、若者への」とミルクちゃん。
「社会貢献と言ってもらいたいわね」とマユ姐。
「ダンディーの普及活動です」とゴウちゃん。
「……ふっ、事件は解決したようだな」工藤ちゃんがニヒルに笑う。
「「「「「違う」」」」」
月見橋の夜は、外では相変わらず静かに流れている。
 けれど今夜もまた、Red
Light Barの扉の内側では、馬鹿馬鹿しくて愛おしい「余計なお世話」が、琥珀色の酒と一緒に夜を彩っていた。
 そして今夜もまた――何かが起こっていた。
――この店の夜は、まだ終わらない。
(続きは22時)