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八話 "ごめんなさい"のフルーツキャンディ

ー/ー



「パウンドケーキとレモネード、一つずつください」
「はい!ありがとうございます、二点で五百円です」
 時刻は午後二時。はれぞらマルシェの賑わいはピークを迎えていた。開始直後は客足がまばらだった「今日のお菓子屋さん」も、おやつを求める人々でそこそこの売れ行きをみせている。
「お待たせしました!千円お預かりしましたので…五百円のお返しです。ありがとうございます」
 アルバイトで培った接客スキルを生かし、キョウはスムーズに業務をこなしていく。笑顔も立ち振る舞いも、釣り銭の計算もお手の物だ。慣れた手つきでレモネードをカップに注ぐキョウ。しかし彼の意識は、店先で度々上がる小さな歓声に向けられていた。
「あ、ワンちゃんだ〜!」
「本当だ、かわいいね〜」
 視線の先には、子供たちに囲まれた、風船を配る狼の()()()()の姿があった。
「いらっしゃい!風船どうぞー!っておい、引っ張るな!」
 ふわふわの身体を触られ、服や尻尾を引っ張られ、写真を撮られ……初めは一挙一動がぎこちなかったルグも、緊張する暇もないほどもみくちゃになり、子供の相手に追われている。初出店でありながらキョウたちの店がここまで多くの人に興味を持ってもらえるのも、彼の着ぐるみ作戦のおかげだ。獣人であることがバレて騒ぎにならないか不安だったが、今のところ大きなトラブルは起こっていない。少しかわいそうではあるが、彼にはもうしばらく客寄せマスコットとして頑張ってもらおう。

 ――

「はあ、疲れた……」
「お疲れ様。大丈夫?」
 客足が落ち着いた頃。ようやくグリーティングから解放されたルグが、ぐったりと椅子に腰掛ける。用意していた風船の束も、店先のウェルカムボードにくくりつけられるほど少なくなっていた。
「平気平気、オレがやるって決めたんだから。それよりザラメ、オレたちのお菓子、安すぎねぇか?」
「え、そう?」
「だって、パウンドケーキが一個二百円で、レモネードが三百円だろ?あっちの店は一個五百円で、そっちの店も、一個七百円って書いてあるぜ。もっと高くてもよかったんじゃねぇか」
 そう言って、ルグは周辺のブースをあちこち指差す。確かに、数軒隣のフライドポテトも、向かい側のアイスクリームもかなり強気な価格設定だが、客足が途切れることはない。おそらくここ以外でも出店経験があり、このような場で商売をすることに慣れているのだろう。
「まあ、僕らは初めてだからさ。お店のことを知ってもらえればそれでいいかなって。売れ残っても困るし」
「まさかとは思うけどよ……赤字ってやつじゃねぇよな?」
 さすがは狼獣人、鼻が利く。痛いところを突かれ、キョウは目を逸らした。材料費、キッチンとキッチンカーのレンタル料、出店料、包装費と装飾費……見切り発車とどんぶり勘定の時点で薄々気づいてはいたが、仮に完売したとしても、利益はおろか諸々の出費を賄えるかどうかさえ怪しい。
「うーん…計算は苦手だからさ。とりあえず、全部売れたらなんとかなるなんじゃないかな」
「おい、そんなんで大丈夫なのかよ……」
 やや呆れ気味で、服をパタパタと扇ぐルグ。無意識に開いた彼の口から、はぁはぁと荒い息が漏れる。先ほどは平気だと語っていたが、オープンしてからもう随分時間が経った。真夏の太陽の下、ただでさえ全身が毛に覆われているのに、その上からスウェットも重ねているとなれば、かなりの蒸し暑さだろう。
「ルグ、ちょっと休憩してくる?」
「え、でも」
「今ちょうどお客さんも少ないし。ほら、水分とって、涼んでおいでよ」
 キョウは氷をたっぷり入れたカップにレモネードをなみなみ注いで、ルグに差し出した。乾き切った彼の喉が、目の前のオアシスを求めてごくりと喉を鳴らす。
「…ありがとな。じゃあ、遠慮なく」
 ルグは汗を吸ったエプロンと上着を脱ぎ捨て、レモネードを一気に飲み干した。火照った体に、冷たく爽やかな風が吹き抜けていく。
「そうだ、他のお店も見てきていいか?」
 レモネードをおかわりしながら、ルグは尋ねる。彼もまだ十五歳の子供だ。このような賑やかな場所でうずうずしてしまうのも無理はない。
「せっかくの機会だぜ?ちょっとだけ!すぐ戻ってくるから!」
「わかった。あまりはしゃぎすぎないようにね。何か気になるものがあったら、買ってもいいよ」
 マルシェの会場より外には出ないように、と念を押し、キョウは再び空になったカップと引替えにお小遣いを渡してやる。
「了解!せっかくだから、チラシも配ってくる!じゃ、行ってきまーす!」
 半袖シャツの上からエプロンを着け直すと、ルグはチラシを手に取って駆け出した。
「行ってらっしゃい」
 その背中に微笑ましさを覚えながら、キョウは彼を送り出した。
 
――
 
「おいしいお菓子とレモネード、いかがですかー」
 ルグはチラシの束を抱えながら、マルシェを練り歩く。上着を脱ぎ捨てて冬毛から夏毛仕様になったものの、人々に自身の正体がバレる様子はなさそうだ。宣伝にも熱が入る。
「ん?」
 視界の端、公園の事務所の辺りで、小さな人影が見えた。
「今、誰か……」
 近づいて回り込んでみるが、そこには誰もいない。首を傾げたその時。
「わんわん…」
「ふぎゃっ!」
 背後からの声とともに電流が走り、全身の毛が逆立つ。振り返ると、そこにはルグの尻尾を撫でる少女の姿があった。
「ふわふわ…」
「おい、尻尾触るな!」
 青空に映える、フリルが付いた白のワンピースを纏った少女。お気に入りのぬいぐるみを抱きしめるかのようなその姿に、彼女を振り解くこともできずルグはされるがままだ。
「わんわん、あそぼ」
「わんわんじゃねえ!オレは忙しいんだよ。お前、パパとママは?」
「ん……」
 ルグからの問いかけに答えず、少女はもじもじとする。
「……もしかして、迷子か?」
「迷子じゃないもん!」
 迷子という言葉に噛み付く少女。
「ほら、ちょうどここが事務所みたいだし、中で待ってたら迎えに来てくれるだろ」
「やだ!わんわんとあそぶんだもん!だから、ひとりじゃないもん…」
 少女は首を横に振り、尻尾を再びぎゅっと抱きしめる。
「マジかよ……」
 こうなってしまった子供には、もうお手上げだ。休憩戻りが大幅に遅くなることを悟り、ルグは小さく溜息をついた。
 
 ――
 
 事務所から離れた、マルシェ会場の外れ。遊び疲れた二人は木陰のベンチに座り、涼をとっていた。
「あー楽しかった!わんわんも楽しかった?」
「……おう」
 先ほどまでは頭上で輝いていた太陽もわずかに傾き始めている。ぬるい夏の風が、汗ばんだ肌を優しく撫でていく。
「……あのね」
 蝉の声が降り注ぐ中、少女はぽつりと言葉を溢した。
「ママとパパ、あたしのこと、放っておいてくれなかったの。ひとりでお店見たかったのに、まだ小さいからダメって」
「なんで、一人になりたかったんだ?」
「それは……内緒」
「……そうか」
 何か言いたくない事情があるのだろう。ルグは無理に聞き出そうとせず、少女の隣で流れる雲を眺める。
「それで、喧嘩したのか」
「……あたし、悪くないもん」
 強がる様子を見せる少女の姿に、ルグは過去の自分を重ね合わせる。
「……喧嘩しても、ひとりになっても、いいことばっかじゃねぇぞ」
 脳裏に、あの日のことが浮かぶ。頬の傷跡を、手で確かめる。
「でも……でも、ママとパパの方が悪いもん!ぜったい、そうだもん…!だからあたしも、ママとパパなんか、大っ嫌い……!」
 肩を震わせて訴える少女。握られたワンピースの裾にはしわができ、まん丸の瞳からはぽろぽろと涙が溢れ出す。
「ちょ、おい、泣くなよ!」
 突然のことに、ルグは慌てて彼女を泣き止ませる術を探す。その時、エプロンのポケットに突っ込んだ指先に、丸いものが触れた。
「おい」
「え……?」
 少女の前に差し出された、黒灰色の手のひら。そこには、小さな包み紙が乗せられていた。マルシェを物色中、縁日ブースで遊んだ際の参加賞。ルビーやトパーズ、エメラルドのように輝く、色とりどりのフルーツキャンディだ。
「これやるから。もう泣くな」
 少女はぴり、と包みを破いて、小さな宝石をひとつ口に含む。
「……いちごの味」
 少女の顔に明るさが戻り、ルグは安堵する。
「あまくて、おいしい」
「お、よかったな。好きなのか?いちご」
「うん。あたしね、いつもパンにイチゴのジャムを塗って食べるの。ママの手作りなんだよ!」
「手作りか、いいな」
「えへへ、いいでしょ?ママのジャムすっごく美味しいんだよ!あたしもパパも大好きなの!朝ごはんのときもみんなで……あっ」
 両親のことを誇らしげに話す少女は、何かに気づいたようにふっと言葉を止める。イチゴの甘い香りが、彼女の心を少しずつ解いていく。
「なあ」
 ルグは、照れくさそうに俯いてしまった少女に話しかける。
「ごめんなさいって、なかなか言えねぇよな。……ちょっと勇気がいるし、言い出しにくいし」
「うん」
「でも、お前も…ママとパパも、みんながみんなのこと嫌いって思ってるままの方が…嫌だろ」
「……うん」
「見つかったら、ちゃんとごめんなさいって言おうな」
「…わかった」
 少女は頷くと、小さな手を握り、立てた小指をルグに差し出す。
「……やくそく」
 それを真似るようにして、ルグも小指を交わした。
「おう、約束な」
 
「見つけた!」
 指切りを終えた時、遠くから聞こえた、少女を呼ぶ声。
「ママ、パパ!」
 少女はベンチから立ち上がると、再会を待ち侘びた両親の元へ駆け寄る。
「どこに行ってたの!?こんなところで何してるのよ!」 
 母親はようやく見つけた少女の肩を掴むなり、その場に膝をついて激しく揺さぶった。叱責に身を縮めながらも、少女は膨らんだワンピースのポケットから、小さなアクセサリーを二つ取り出した。
「これ…」
 母親はそれを受け取り、手のひらに乗せる。
「プレゼント、あげたかったの。ほんとは、もっとかわいいのを買いたかったけど…」
 少女がルグと遊んでいた時に、せっせと集めた植物や花を編んで作ったブレスレット。差し出された不恰好なツルとシロツメクサの輪っかをしばらく眺めた後、母親ははっと顔を上げる。
「もしかして…このためだったの?」
 こくりと頷く少女。そしてルグの方を見てから、彼女は二人で交わした約束を果たすべく、口を開いた。
「ママ、パパ、ごめんなさい」
 先ほどまでの強がりも、後悔も、全て包み込んで。ただ大好きな両親に、言葉を届ける。
「いなくなっちゃえなんて言って、ごめんなさい」
 少女の目から、我慢していた涙がぽろぽろと落ちていく。
「嫌いって言って、ごめんなざいぃぃ…」
 その言葉を、溢れた雫を受け止めるように、両親は少女を優しく抱きしめた。
「もういいの。ママこそ、ごめんね。あなたの気持ち、気づいてあげられなかった」
「パパもごめんな。プレゼント、大事にするよ」
 蝉時雨の中、少女の泣き声が響く。甘酸っぱいイチゴの香りが夏の風と混ざって、空に溶けていった。
 
――

「ありがとうございました。娘の面倒を見てくださって」
「もう、何とお礼を言ったらいいか」
「あ、いや、そんな…」
 両親から深々と頭を下げられ、ルグは決まりが悪そうに頭の後ろをポリポリと掻く。
「そうだ!オレたち、あっちでお菓子屋さん出してて。って、今日はもう終わりだけど…ネットショップもあるんで、よかったら」
「本当に、ありがとうございました。よし、じゃあ帰ろっか」
「うん!」
 チラシを受け取った両親は、もう一度ルグに頭を下げると、少女の手を取って歩き出した。その影がだんだん小さくなって、見えなくなる寸前。
「わんわん!ありがとー!」
 振り返った少女が大きく手を振り、ルグに呼びかける。
「なっ……!だからオレは……!」
 狼獣人のプライドを最後まで傷つけられたルグだったが、やれやれと首を振り、その背中を見送った。両手を繋ぎ、夕日を受けてきらきらと輝く家族の姿。急に物寂しさに襲われ、彼はポケットに残っていた黄色いキャンディの包みを破って口に放り投げた。
「うえっ、酸っぱ!」
 かなり酸味の効いたレモンのフレーバーが舌を刺し、思わず顔をしかめる。その拍子に、頬の傷跡が引きつるように疼いた。
「……なんだよ」
 触れた傷の感触とは裏腹に脳裏をよぎるのは、見送った少女の混じり気のない笑顔と、幸せそうな家族の温もり。
「……全部、甘いんじゃないのかよ」
 吐き捨てるように呟いて、ルグは飴玉を噛み砕く。口に広がる酸味と僅かに感じる甘みの結晶が、喉の奥へ消えていった。

「もうこんな時間だ……ザラメ、心配してるだろうな…早く戻らないと」
 気づけばマルシェも終盤に差し掛かっていた。日は沈みかけていて、すれ違う人も少なくなり、自然と早足になる。
「ザラメ、ただいま!悪い、遅くなった」
 呼びかけるも、返事はない。キョウからのお叱りを受けることを悟ったルグは、尻尾を内向きにしながら言い訳を並べる。
「これには深い訳があって、さっき会場で、迷子の子が、いて……」
 ここまでの苦労を語ろうとしたルグは、足を止め、口を噤んだ。夕日を受けてオレンジに染まるキッチンカー。その前に、二人の女性が立っている。一人はキョウよりも年上、もう一人はキョウと同じくらいの年齢だろうか。愕然とした様子のキョウ。その視線は帰ってきたルグではなく、彼女たちに向けられていた。
「母さん…それに、ミゾレも…」
 呟かれたキョウの一言。再び居合わせることとなった再会の場面。だが、それは先ほどの家族のように感動を誘うものではないことを、ルグは察知する。括り付けられたままの風船が、よどんだ風に煽られてゆらゆらと揺れていた。
 
 ――
 
 キッチンカーを返却し、キョウとルグは帰路についた。当初の予定だった公共交通機関ではなく、軽自動車の後部座席に並びながら。
「どうぞ。少し片付けてくるから、座って待ってて」
 車を降りたキョウは、鍵を開けて二人を自宅へ招き入れる。
「お邪魔します」
 リビングの隅にカバンを置き、席に着く一同。いつもは二つの空席ができるテーブルも、今日は満席だ。キョウが片付けから戻ってくるが、そのままキッチンに向かい、お茶の準備を始めた。お湯が沸くのを待つ間、リビングに重い空気が流れる。
「あの」
 沈黙を破ったのは、若い女性だった。
「私、ミゾレといいます。キョウくんとは高校が同じで、知り合いというか……。それで、あなたは……」
 ミゾレと名乗った女性は、ちらちらとルグの方を見る。
「あ、えっと、オレ、ルグです。信じてもらえねぇだろうけど、狼で…色々あって、ザラメの家に住ませてもらってて…」
 彼女たちにとって自身が異分子であることは、本人が最も理解していた。キョウと暮らしている経緯を含め、簡単な自己紹介をする。
「ルグくん、それにキョウくんも……突然押しかけてごめんなさい」
 キョウからの返事はない。その代わりに、三人の前に湯呑みが置かれ、ことんと音を立てる。
「粗茶です。来てくれて申し訳ないんだけど、洗濯だけしてきていいかな。ごゆっくり」
「あ、えっと…オレも手伝う!」
 そのまま目も合わさず、リビングを後にするキョウ。いたたまれなくなったルグは、二人に軽く会釈をして、彼を追いかけた。

「ザラメ…?」
 溜まっていた洗濯物とルグの抜け殻を、淡々と洗濯機の中へ放り込むキョウ。ルグは恐る恐る彼に声をかける。
「その、あの二人って…」
「高校の時の友達と、僕の……母さんだよ」
 スイッチが押され、軽快なスタート音とともに洗濯槽がぐるぐる回り出す。聞きたいことが次々と喉から飛び出そうになるのを、ルグは慌てて飲み込んだ。そんな彼を見透かすかのように、キョウは続ける。
「ルグは知らなくてもいいよ」
 目を合わせようとせず、今度は洗面所を掃除し始めたキョウ。シャワーに切り替わった水道の音が、洗面所を満たしていく。
「これは、僕の問題だから」
 そう言ってまた、キョウは微笑む。一緒にクッキーの型抜きをしたあの時と同じように。だが、細められた彼の目の一瞬の揺らぎを、ルグは見逃さなかった。
「知らなくてもいい訳ない!」
 ルグは少し声を荒らげて、キョウに詰め寄る。
「ザラメ、初めてクッキー作った時、オレに言ってくれただろ。仲良くなれて嬉しかったって…もっとオレのこと知りたいって」
 キョウと出会ってから数ヶ月。衝突することもあった。だが日々を重ねるうちに、家主と居候の関係も、お菓子屋さんと味見係の関係も超えて、キョウの存在はルグにとって大きなものになっていたのだ。だが、時折見せるキョウの穏やかな表情が、どこか諦めも孕んだようなその微笑みが、ずっと引っかかっていた。
「だから、オレも知りたいんだ。ザラメのこと…ザラメの、昔のこと」
 キョウは手を止め、スポンジを置いて顔を上げた。洗面所の鏡に、自分の顔が映る。ずらした視線の先、見慣れた狼獣人と目が合った。彼の大きく澄んだ瞳が、こちらを見ている。そこには、これから告げられるであろう全てを受け止めようとする覚悟が宿っていた。キョウは目を閉じて、深く息を吐く。
「……わかった。全部話すよ」
 ルグの方へ向き直ると、キョウはゆっくりと重い口を開いた。


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次のエピソードへ進む 九話(上) ”コハク“とキョウ


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「あ、ワンちゃんだ〜!」
「本当だ、かわいいね〜」
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「いらっしゃい!風船どうぞー!っておい、引っ張るな!」
 ふわふわの身体を触られ、服や尻尾を引っ張られ、写真を撮られ……初めは一挙一動がぎこちなかったルグも、緊張する暇もないほどもみくちゃになり、子供の相手に追われている。初出店でありながらキョウたちの店がここまで多くの人に興味を持ってもらえるのも、彼の着ぐるみ作戦のおかげだ。獣人であることがバレて騒ぎにならないか不安だったが、今のところ大きなトラブルは起こっていない。少しかわいそうではあるが、彼にはもうしばらく客寄せマスコットとして頑張ってもらおう。
 ――
「はあ、疲れた……」
「お疲れ様。大丈夫?」
 客足が落ち着いた頃。ようやくグリーティングから解放されたルグが、ぐったりと椅子に腰掛ける。用意していた風船の束も、店先のウェルカムボードにくくりつけられるほど少なくなっていた。
「平気平気、オレがやるって決めたんだから。それよりザラメ、オレたちのお菓子、安すぎねぇか?」
「え、そう?」
「だって、パウンドケーキが一個二百円で、レモネードが三百円だろ?あっちの店は一個五百円で、そっちの店も、一個七百円って書いてあるぜ。もっと高くてもよかったんじゃねぇか」
 そう言って、ルグは周辺のブースをあちこち指差す。確かに、数軒隣のフライドポテトも、向かい側のアイスクリームもかなり強気な価格設定だが、客足が途切れることはない。おそらくここ以外でも出店経験があり、このような場で商売をすることに慣れているのだろう。
「まあ、僕らは初めてだからさ。お店のことを知ってもらえればそれでいいかなって。売れ残っても困るし」
「まさかとは思うけどよ……赤字ってやつじゃねぇよな?」
 さすがは狼獣人、鼻が利く。痛いところを突かれ、キョウは目を逸らした。材料費、キッチンとキッチンカーのレンタル料、出店料、包装費と装飾費……見切り発車とどんぶり勘定の時点で薄々気づいてはいたが、仮に完売したとしても、利益はおろか諸々の出費を賄えるかどうかさえ怪しい。
「うーん…計算は苦手だからさ。とりあえず、全部売れたらなんとかなるなんじゃないかな」
「おい、そんなんで大丈夫なのかよ……」
 やや呆れ気味で、服をパタパタと扇ぐルグ。無意識に開いた彼の口から、はぁはぁと荒い息が漏れる。先ほどは平気だと語っていたが、オープンしてからもう随分時間が経った。真夏の太陽の下、ただでさえ全身が毛に覆われているのに、その上からスウェットも重ねているとなれば、かなりの蒸し暑さだろう。
「ルグ、ちょっと休憩してくる?」
「え、でも」
「今ちょうどお客さんも少ないし。ほら、水分とって、涼んでおいでよ」
 キョウは氷をたっぷり入れたカップにレモネードをなみなみ注いで、ルグに差し出した。乾き切った彼の喉が、目の前のオアシスを求めてごくりと喉を鳴らす。
「…ありがとな。じゃあ、遠慮なく」
 ルグは汗を吸ったエプロンと上着を脱ぎ捨て、レモネードを一気に飲み干した。火照った体に、冷たく爽やかな風が吹き抜けていく。
「そうだ、他のお店も見てきていいか?」
 レモネードをおかわりしながら、ルグは尋ねる。彼もまだ十五歳の子供だ。このような賑やかな場所でうずうずしてしまうのも無理はない。
「せっかくの機会だぜ?ちょっとだけ!すぐ戻ってくるから!」
「わかった。あまりはしゃぎすぎないようにね。何か気になるものがあったら、買ってもいいよ」
 マルシェの会場より外には出ないように、と念を押し、キョウは再び空になったカップと引替えにお小遣いを渡してやる。
「了解!せっかくだから、チラシも配ってくる!じゃ、行ってきまーす!」
 半袖シャツの上からエプロンを着け直すと、ルグはチラシを手に取って駆け出した。
「行ってらっしゃい」
 その背中に微笑ましさを覚えながら、キョウは彼を送り出した。
――
「おいしいお菓子とレモネード、いかがですかー」
 ルグはチラシの束を抱えながら、マルシェを練り歩く。上着を脱ぎ捨てて冬毛から夏毛仕様になったものの、人々に自身の正体がバレる様子はなさそうだ。宣伝にも熱が入る。
「ん?」
 視界の端、公園の事務所の辺りで、小さな人影が見えた。
「今、誰か……」
 近づいて回り込んでみるが、そこには誰もいない。首を傾げたその時。
「わんわん…」
「ふぎゃっ!」
 背後からの声とともに電流が走り、全身の毛が逆立つ。振り返ると、そこにはルグの尻尾を撫でる少女の姿があった。
「ふわふわ…」
「おい、尻尾触るな!」
 青空に映える、フリルが付いた白のワンピースを纏った少女。お気に入りのぬいぐるみを抱きしめるかのようなその姿に、彼女を振り解くこともできずルグはされるがままだ。
「わんわん、あそぼ」
「わんわんじゃねえ!オレは忙しいんだよ。お前、パパとママは?」
「ん……」
 ルグからの問いかけに答えず、少女はもじもじとする。
「……もしかして、迷子か?」
「迷子じゃないもん!」
 迷子という言葉に噛み付く少女。
「ほら、ちょうどここが事務所みたいだし、中で待ってたら迎えに来てくれるだろ」
「やだ!わんわんとあそぶんだもん!だから、ひとりじゃないもん…」
 少女は首を横に振り、尻尾を再びぎゅっと抱きしめる。
「マジかよ……」
 こうなってしまった子供には、もうお手上げだ。休憩戻りが大幅に遅くなることを悟り、ルグは小さく溜息をついた。
 ――
 事務所から離れた、マルシェ会場の外れ。遊び疲れた二人は木陰のベンチに座り、涼をとっていた。
「あー楽しかった!わんわんも楽しかった?」
「……おう」
 先ほどまでは頭上で輝いていた太陽もわずかに傾き始めている。ぬるい夏の風が、汗ばんだ肌を優しく撫でていく。
「……あのね」
 蝉の声が降り注ぐ中、少女はぽつりと言葉を溢した。
「ママとパパ、あたしのこと、放っておいてくれなかったの。ひとりでお店見たかったのに、まだ小さいからダメって」
「なんで、一人になりたかったんだ?」
「それは……内緒」
「……そうか」
 何か言いたくない事情があるのだろう。ルグは無理に聞き出そうとせず、少女の隣で流れる雲を眺める。
「それで、喧嘩したのか」
「……あたし、悪くないもん」
 強がる様子を見せる少女の姿に、ルグは過去の自分を重ね合わせる。
「……喧嘩しても、ひとりになっても、いいことばっかじゃねぇぞ」
 脳裏に、あの日のことが浮かぶ。頬の傷跡を、手で確かめる。
「でも……でも、ママとパパの方が悪いもん!ぜったい、そうだもん…!だからあたしも、ママとパパなんか、大っ嫌い……!」
 肩を震わせて訴える少女。握られたワンピースの裾にはしわができ、まん丸の瞳からはぽろぽろと涙が溢れ出す。
「ちょ、おい、泣くなよ!」
 突然のことに、ルグは慌てて彼女を泣き止ませる術を探す。その時、エプロンのポケットに突っ込んだ指先に、丸いものが触れた。
「おい」
「え……?」
 少女の前に差し出された、黒灰色の手のひら。そこには、小さな包み紙が乗せられていた。マルシェを物色中、縁日ブースで遊んだ際の参加賞。ルビーやトパーズ、エメラルドのように輝く、色とりどりのフルーツキャンディだ。
「これやるから。もう泣くな」
 少女はぴり、と包みを破いて、小さな宝石をひとつ口に含む。
「……いちごの味」
 少女の顔に明るさが戻り、ルグは安堵する。
「あまくて、おいしい」
「お、よかったな。好きなのか?いちご」
「うん。あたしね、いつもパンにイチゴのジャムを塗って食べるの。ママの手作りなんだよ!」
「手作りか、いいな」
「えへへ、いいでしょ?ママのジャムすっごく美味しいんだよ!あたしもパパも大好きなの!朝ごはんのときもみんなで……あっ」
 両親のことを誇らしげに話す少女は、何かに気づいたようにふっと言葉を止める。イチゴの甘い香りが、彼女の心を少しずつ解いていく。
「なあ」
 ルグは、照れくさそうに俯いてしまった少女に話しかける。
「ごめんなさいって、なかなか言えねぇよな。……ちょっと勇気がいるし、言い出しにくいし」
「うん」
「でも、お前も…ママとパパも、みんながみんなのこと嫌いって思ってるままの方が…嫌だろ」
「……うん」
「見つかったら、ちゃんとごめんなさいって言おうな」
「…わかった」
 少女は頷くと、小さな手を握り、立てた小指をルグに差し出す。
「……やくそく」
 それを真似るようにして、ルグも小指を交わした。
「おう、約束な」
「見つけた!」
 指切りを終えた時、遠くから聞こえた、少女を呼ぶ声。
「ママ、パパ!」
 少女はベンチから立ち上がると、再会を待ち侘びた両親の元へ駆け寄る。
「どこに行ってたの!?こんなところで何してるのよ!」 
 母親はようやく見つけた少女の肩を掴むなり、その場に膝をついて激しく揺さぶった。叱責に身を縮めながらも、少女は膨らんだワンピースのポケットから、小さなアクセサリーを二つ取り出した。
「これ…」
 母親はそれを受け取り、手のひらに乗せる。
「プレゼント、あげたかったの。ほんとは、もっとかわいいのを買いたかったけど…」
 少女がルグと遊んでいた時に、せっせと集めた植物や花を編んで作ったブレスレット。差し出された不恰好なツルとシロツメクサの輪っかをしばらく眺めた後、母親ははっと顔を上げる。
「もしかして…このためだったの?」
 こくりと頷く少女。そしてルグの方を見てから、彼女は二人で交わした約束を果たすべく、口を開いた。
「ママ、パパ、ごめんなさい」
 先ほどまでの強がりも、後悔も、全て包み込んで。ただ大好きな両親に、言葉を届ける。
「いなくなっちゃえなんて言って、ごめんなさい」
 少女の目から、我慢していた涙がぽろぽろと落ちていく。
「嫌いって言って、ごめんなざいぃぃ…」
 その言葉を、溢れた雫を受け止めるように、両親は少女を優しく抱きしめた。
「もういいの。ママこそ、ごめんね。あなたの気持ち、気づいてあげられなかった」
「パパもごめんな。プレゼント、大事にするよ」
 蝉時雨の中、少女の泣き声が響く。甘酸っぱいイチゴの香りが夏の風と混ざって、空に溶けていった。
――
「ありがとうございました。娘の面倒を見てくださって」
「もう、何とお礼を言ったらいいか」
「あ、いや、そんな…」
 両親から深々と頭を下げられ、ルグは決まりが悪そうに頭の後ろをポリポリと掻く。
「そうだ!オレたち、あっちでお菓子屋さん出してて。って、今日はもう終わりだけど…ネットショップもあるんで、よかったら」
「本当に、ありがとうございました。よし、じゃあ帰ろっか」
「うん!」
 チラシを受け取った両親は、もう一度ルグに頭を下げると、少女の手を取って歩き出した。その影がだんだん小さくなって、見えなくなる寸前。
「わんわん!ありがとー!」
 振り返った少女が大きく手を振り、ルグに呼びかける。
「なっ……!だからオレは……!」
 狼獣人のプライドを最後まで傷つけられたルグだったが、やれやれと首を振り、その背中を見送った。両手を繋ぎ、夕日を受けてきらきらと輝く家族の姿。急に物寂しさに襲われ、彼はポケットに残っていた黄色いキャンディの包みを破って口に放り投げた。
「うえっ、酸っぱ!」
 かなり酸味の効いたレモンのフレーバーが舌を刺し、思わず顔をしかめる。その拍子に、頬の傷跡が引きつるように疼いた。
「……なんだよ」
 触れた傷の感触とは裏腹に脳裏をよぎるのは、見送った少女の混じり気のない笑顔と、幸せそうな家族の温もり。
「……全部、甘いんじゃないのかよ」
 吐き捨てるように呟いて、ルグは飴玉を噛み砕く。口に広がる酸味と僅かに感じる甘みの結晶が、喉の奥へ消えていった。
「もうこんな時間だ……ザラメ、心配してるだろうな…早く戻らないと」
 気づけばマルシェも終盤に差し掛かっていた。日は沈みかけていて、すれ違う人も少なくなり、自然と早足になる。
「ザラメ、ただいま!悪い、遅くなった」
 呼びかけるも、返事はない。キョウからのお叱りを受けることを悟ったルグは、尻尾を内向きにしながら言い訳を並べる。
「これには深い訳があって、さっき会場で、迷子の子が、いて……」
 ここまでの苦労を語ろうとしたルグは、足を止め、口を噤んだ。夕日を受けてオレンジに染まるキッチンカー。その前に、二人の女性が立っている。一人はキョウよりも年上、もう一人はキョウと同じくらいの年齢だろうか。愕然とした様子のキョウ。その視線は帰ってきたルグではなく、彼女たちに向けられていた。
「母さん…それに、ミゾレも…」
 呟かれたキョウの一言。再び居合わせることとなった再会の場面。だが、それは先ほどの家族のように感動を誘うものではないことを、ルグは察知する。括り付けられたままの風船が、よどんだ風に煽られてゆらゆらと揺れていた。
 ――
 キッチンカーを返却し、キョウとルグは帰路についた。当初の予定だった公共交通機関ではなく、軽自動車の後部座席に並びながら。
「どうぞ。少し片付けてくるから、座って待ってて」
 車を降りたキョウは、鍵を開けて二人を自宅へ招き入れる。
「お邪魔します」
 リビングの隅にカバンを置き、席に着く一同。いつもは二つの空席ができるテーブルも、今日は満席だ。キョウが片付けから戻ってくるが、そのままキッチンに向かい、お茶の準備を始めた。お湯が沸くのを待つ間、リビングに重い空気が流れる。
「あの」
 沈黙を破ったのは、若い女性だった。
「私、ミゾレといいます。キョウくんとは高校が同じで、知り合いというか……。それで、あなたは……」
 ミゾレと名乗った女性は、ちらちらとルグの方を見る。
「あ、えっと、オレ、ルグです。信じてもらえねぇだろうけど、狼で…色々あって、ザラメの家に住ませてもらってて…」
 彼女たちにとって自身が異分子であることは、本人が最も理解していた。キョウと暮らしている経緯を含め、簡単な自己紹介をする。
「ルグくん、それにキョウくんも……突然押しかけてごめんなさい」
 キョウからの返事はない。その代わりに、三人の前に湯呑みが置かれ、ことんと音を立てる。
「粗茶です。来てくれて申し訳ないんだけど、洗濯だけしてきていいかな。ごゆっくり」
「あ、えっと…オレも手伝う!」
 そのまま目も合わさず、リビングを後にするキョウ。いたたまれなくなったルグは、二人に軽く会釈をして、彼を追いかけた。
「ザラメ…?」
 溜まっていた洗濯物とルグの抜け殻を、淡々と洗濯機の中へ放り込むキョウ。ルグは恐る恐る彼に声をかける。
「その、あの二人って…」
「高校の時の友達と、僕の……母さんだよ」
 スイッチが押され、軽快なスタート音とともに洗濯槽がぐるぐる回り出す。聞きたいことが次々と喉から飛び出そうになるのを、ルグは慌てて飲み込んだ。そんな彼を見透かすかのように、キョウは続ける。
「ルグは知らなくてもいいよ」
 目を合わせようとせず、今度は洗面所を掃除し始めたキョウ。シャワーに切り替わった水道の音が、洗面所を満たしていく。
「これは、僕の問題だから」
 そう言ってまた、キョウは微笑む。一緒にクッキーの型抜きをしたあの時と同じように。だが、細められた彼の目の一瞬の揺らぎを、ルグは見逃さなかった。
「知らなくてもいい訳ない!」
 ルグは少し声を荒らげて、キョウに詰め寄る。
「ザラメ、初めてクッキー作った時、オレに言ってくれただろ。仲良くなれて嬉しかったって…もっとオレのこと知りたいって」
 キョウと出会ってから数ヶ月。衝突することもあった。だが日々を重ねるうちに、家主と居候の関係も、お菓子屋さんと味見係の関係も超えて、キョウの存在はルグにとって大きなものになっていたのだ。だが、時折見せるキョウの穏やかな表情が、どこか諦めも孕んだようなその微笑みが、ずっと引っかかっていた。
「だから、オレも知りたいんだ。ザラメのこと…ザラメの、昔のこと」
 キョウは手を止め、スポンジを置いて顔を上げた。洗面所の鏡に、自分の顔が映る。ずらした視線の先、見慣れた狼獣人と目が合った。彼の大きく澄んだ瞳が、こちらを見ている。そこには、これから告げられるであろう全てを受け止めようとする覚悟が宿っていた。キョウは目を閉じて、深く息を吐く。
「……わかった。全部話すよ」
 ルグの方へ向き直ると、キョウはゆっくりと重い口を開いた。