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七話 "やってみよう"のパウンドケーキ

ー/ー



 七月中旬。梅雨明けを迎えた昼下がり、リビングから覗く窓の外には青空が広がっている。鼻歌交じりに家事をしていたキョウは、廊下からバタバタと近づく足音にその手を止めた。
「ザラメ!」
「ルグ。どうしたのそんなに慌てて」
「これ!」
 ルグの手に握られた端末には、地域の情報サイトのイベント案内が表示されていた。
「“はれぞらマルシェ”…?」
 ”はれぞらマルシェ“。隣町の総合公園で定期的に開催され、有志による食品や雑貨の販売が行われているようだ。次の開催は夏休みの八月。ホームページに掲載された過去の写真からは、多くの人で賑わう会場の様子が伺える。
「野菜の直売に、軽食、ハンドメイド雑貨……へえ、こんなのあったんだ。行ってみようか」
「おう!オレたちも出そうぜ、お菓子屋さん!」
「……ん?」
「え?」
 一抹の行き違いを感じ、キョウは聞き返す。
「今、なんて言った?」
「だから、オレたちも出そうぜ!お菓子のお店!」
 鼻息を荒げてきらきらとその目を輝かせるルグ。想定外の提案に、キョウは狼狽えてしまう。
「いや、そんな急に言われても…!」
「だって、あんまり売れてねぇんだろ、ネットショップ」
 ルグが指差した先には、七月のカレンダー。注文無しを意味するバツ印は、もう折り返しに差し掛かろうとしていた。
「それは……そうだけど」
 キョウは画面に表示された出店者募集の文字に目を移す。これまでネットショップでしか展開してこなかった自身のお菓子。イベントに出店するとなれば、それだけ多くの人の目に留まり、『今日のお菓子屋さん』の知名度アップや、新たな顧客の獲得につながるだろう。しかし、非対面のネットショップのみだったキョウにとって、対面の店頭販売は未知の挑戦だった。
「お店を出せば、みんながザラメのお菓子を知ってくれるかもって……ネットも売れるようになったら、ザラメが喜ぶかなって思って」
 先月の一件以来、二人は互いに一定の信頼を寄せるようになった。雨降って地固まるとはまさにこのことだ。これまでバラエティ番組の賑やかな音声だけが響いていたリビングでは、他愛もない会話が交わされるようになり、食事以外の場面でも集まって過ごすことが増えた。共に軒下の掃除をしたり、家の周辺を散歩したりと、家の中に限定されていたルグの行動範囲も広がりつつある。
「でも……」
 本当にうまくいくのか。準備は間に合うのか。自分のお菓子が、人々に通用するのか。キョウの中で膨らんでいくのは、マイナスな感情だった。
「なんとかなるって!オレも手伝うし!やってみようぜ、な!」
 大きなルグの瞳に、自身の顔が映る。不安は拭いきれない。でも、今が次のステップに進むチャンスなのかもしれない。
「……わかった」
「よし、決まりだな!」
 にっと笑ったルグは、ペンを手に取ると、壁にかけられたカレンダーに近づいていく。バツだらけのカレンダーに、大きな丸印がつけられた。

――
 
 マルシェ当日まで残り二週間。出店の申し込みを済ませた二人は、バスを乗り継いで、とあるビルの一室を訪れていた。受付で受け取った鍵を使い、ドアを開ける。
「ここだよ」
「おぉ…」
 目に飛び込んできたのは、広々とした銀色の作業台にピカピカのシンク、壁に沿ってずらりと並んだ業務用オーブンや冷蔵庫。
「ここがレンタルキッチン。ネットショップで注文が入った分のお菓子は、いつもここで作ってるんだ」
 初めて見る設備の数々。キョウの家とは違う景色に、ルグは胸躍らせる。
「でも、なんで家で作らないんだ?」
「誰かにあげたり、試作したりするだけならいいけど…お金をもらってるわけだし、知らない誰かの口に入るものだから、ちゃんと整った環境でやらなきゃね」
 自身に言い聞かせるように呟きながら、キョウはいつもよりも倍の時間をかけて入念に手を洗う。
「じゃあ早速、試作してみようか」
「よしきた!オレも手伝うぜ!何すればいい?」
 エプロンを付けて張り切っている。
「あ〜、そのこと、なんだけど……とりあえず、今回は横で見ててほしい…かな」
「え」
 丸焦げのホットケーキを生み出して以来、ルグは時間を見つけてはお菓子作りの練習に励んでいた。だが…お世辞にも上達したとはいえない。もちろん自分たちで食べるだけなら構わないし、手伝ってほしいのは山々だが、販売するとなれば話は別だ。
「そ、その代わり!ルグにやってほしいことがあるんだ」
「なんだよ」
 すっかり拗ねてしまったルグ。そっぽを向いて表情は見えないが、先ほどまで元気に往復していた彼の尻尾は、力なく垂れてしまっている。
「きっと当日は暑いから、飲み物も売りたいんだ」
 爽やかな柑橘の香りが、ルグの鼻をくすぐる。
「あの時僕に作ってくれたレモネード、出してみない?」
 振り返った先には、鮮やかなレモンと、赤ペンで修正が加えられた薄茶色のレシピノートが置かれていた。
「…いいのか!?」
「もちろん。だから今回は僕がお菓子担当で、ルグがドリンク担当。飾りつけやメニュー表は二人で一緒に作る…でどうかな」
「オレが、ドリンク担当……よーし、任せろ!世界で一番のレモネード、作ってやるぜ!」
 やる気を取り戻したルグは、ずり落ちたエプロンを整えると、レモンを手に取り水道で洗い始める。その様子に安堵しつつ、キョウも試作に取り掛かった。
 
――
 
 まずは室温に戻したバターを練り、やわらかくする。白っぽくなってきたら、米油を加えて混ぜ合わせる。
「油も?全部バターにしないのか?」
 レモンを絞りながら、ルグは横からボウルを覗き込む。
「バターだけの方が香りもいいし、しっとりするんだけど……夏場だから、植物油と合わせた方が軽い感じになるかなって」
 砂糖、卵を加えて混ぜ、続いて粉類を合わせる。
「よし、これで基本の生地は完成かな」
「おっ、焼くのか?」
「このままでもいいけど、せっかくだから……」
 キョウは出来上がった生地を複数のボウルに取り分けると、用意しておいたトレーに手を伸ばした。ドライフルーツ、ナッツ、チョコレート…形も色も違う様々な食材を、自由に合わせていく。
「そんなに混ぜて、ぐちゃぐちゃにならないのか?」
「大丈夫。ちゃんと美味しくなるから。そっちはどう?」
「いい感じだぜ!ほら!」
 待ってましたと言わんばかりに、ルグはキョウにバットを差し出した。一定の厚みにスライスされたレモンからは、彼の日頃の努力がうかがえる。
「なあ、これも乗せて焼いてみようぜ!」
「確かに…さっぱりするかも。いいね」
「だろ?」
 ドライフルーツを混ぜたもの、ココアパウダーを加えてナッツを散らしたもの、ルグの提案で生地の上にレモンを乗せたもの…。焼き型を軽く作業台に打ちつけて余分な空気を抜いたら、大容量かつ高火力の業務用オーブンに入れて、一気に焼き上げる。
「でっけー…」
「あんまり近づくと火傷するよ」
 普段見ることのない光景に、ルグも興味津々だ。使った器具を軽く片付け、包装のための資材を選定するうちに、いつもと違う焼き上がりの音が二人を呼ぶ。開いたオーブンからは、山型に膨らんだ生地が顔を覗かせた。
 
 レンタルキッチンに色とりどりの香りが広がる。パウンドケーキの出来上がりだ。

――
 
「なあ」
 作業台の端。切り分けられたパウンドケーキは、まだほんのり温かい。
「もう食べていいか?」
 お皿に鼻先を近づけたまま、ルグは尋ねる。
「いいよ。洗い物だけ済ませちゃうから、先に食べてて」
「じゃあ、お先に…いただきまーす」
 ひょいとつまみ上げられたパウンドケーキが、大きく開いたルグの口に放り込まれる。しっとりとしつつも軽さを残した口当たりの生地に、ドライフルーツのねっとりとした食感と甘酸っぱさが重なる。
「うまぁ……」
 焼きたての美味しさに、ルグは次々と皿に手を伸ばす。
「冷めたらラッピングもしてみようか……って、全部食べないでね」
「わかってるって。あ、そういえばどうだ?オレのレモネード」
「……うん。丁度いい甘酸っぱさだと思う」
 レシピを書き換えて改良を施したレモネード。生姜は控えめにし、その分シロップで甘さをプラスした。幅広い層の人々がやってくる夏休み期間のマルシェにぴったりだろう。
「これもマルシェに出すのか?」
 ルグの指す先には、茶色の紙型に入ったケーキが並べられていた。縦長のパウンドケーキとは違い、こんもりと丸くきのこのように膨らんだ生地が可愛らしい。
「うーん、まだ決まったわけじゃないけど……ちょっと材料が余ったから作ってみたんだ」
「へ〜……」
 ルグはまた、皿の上の山々を見やる。
「…食べていいよ」
「よっしゃ!」
 キョウからの"よし"の合図で、ルグはカップケーキに頭からかぶりついた。空気をたっぷりと含んだ生地は、雲のように軽い。あっという間に平らげ、皿には型紙だけが残った。
「ごちそうさま!」
「相変わらずの食べっぷりだね…」
「同じ材料でも、こんなに違うんだな」
「混ぜ方ひとつでも変わるからね。何回も作ったことがあるから、これはレシピも覚えてるんだ」
「レシピを見ずに作れるなんて…ザラメはやっぱり天才だな!」
「…うん、ありがとう。あっ、そろそろ時間だね。片付けなきゃ」
 レンタルキッチンの退出時刻が迫り、キョウは撤収作業に取り掛かる。
「もうそんな時間か。よし、お菓子もオレのレモネードもうまくいったし、……これでマルシェもバッチリだな!」
「そうだね。また当日の朝に作りに来よう」
「おう!」
 試作を終え、出店の実感が湧いた二人。マルシェの足音は、すぐそこまで近づいていた。
 
――

 マルシェ当日。パステルカラーの車からひょいと飛び降りたルグは、青空の下、大きく伸びをする。
「着いた〜!」
「キッチンカー、借りれてよかったね」
 失念していた会場への足は、キッチンカーの一日レンタルという形で解決に至った。ペーパードライバーであれ、免許を持っていなければ今頃どうなっていただろう、とキョウは胸を撫で下ろす。
「じゃあ、僕は受付を済ませてくるから、ルグも準備して待ってて」
「おう、任せろ!」
 キョウは荷物を解き、入口付近のテントへ向かう。まだ開始までは時間があるが、会場となる公園は既に多くの人で賑わっていた。“今日のお菓子屋さん”が新たな一歩を踏み出したこと。自分が販売するお菓子が直接誰かの手に渡ること。出店者と記された名札の重みに、押さえつけていた不安がまた膨らみ始める。
「……大丈夫。きっと大丈夫だ」
 繰り返し言い聞かせながら、受付を後にする。
「ザラメー!準備できたぞー!」
 カラフルな飾り付けが施され、華やかなブースに変貌を遂げたキッチンカー。ウェルカムボードの隣で手を振るルグの姿に、キョウは違和感を覚える。
「ルグ、その格好……」
 先ほどまで半袖シャツ一枚だったはずの彼の上半身は、季節外れのスウェットに包まれている。顔と体の境界を隠すようなオーバーサイズの服にお下がりのエプロンを重ね、右手には風船の束が握られていた。その姿は、さながら遊園地の着ぐるみのようだ。
「じゃーん!どうだ?カンペキだろ?」
「どうしたの急に、暑くないの!?」
「暑い!けど、イベントにはこういうのがいるんだろ?テレビで見たぜ!」
 やけに荷物が多かったのはこのためかと、キョウは行きの車中を思い出す。
「その風船、配るの?」
「もちろん!」
 風になびくカラフルな風船は、人々の注目を浴びること間違いなしだろう。彼が本物の狼だとバレてしまわないか心配だが、彼のアイデアの行方を見届けることにする。
「お待たせしましたー!はれぞらマルシェ、ただいまから開催いたしまーす!」
 スタッフの一声で、開始を心待ちにしていた人々が続々と広場へやってきた。
「よし!頑張ろうな、ザラメ!」
「うん、頑張ろうね」
「今日のお菓子屋さん」初の出張販売が、幕を開けた。
 
――

「ミゾレさん。休憩しなくても大丈夫?公園までもう少しかかるけれど」
 流れるFMラジオをBGMにして、ガラガラの国道を走る一台の軽自動車。ハンドルを握る女性は、前を向いたまま助手席に問いかける。
「大丈夫です、ありがとうございます。こちらこそすみません。私が言い出したことなのに、車にまで乗せていただいて」
「いいのよ…気にしないで。同じ場所に向かうんだもの」
 ミゾレと呼ばれた助手席の女性は、窓の外に目を向けた。連なる田畑と住宅、時折現れるコンビニエンスストア。カメラアプリを起動し、田舎という言葉がぴったりののどかな風景を収めてみる。
「それにしても、よく見つけたわね。ネットショップを出してたなんて。本当にあの子なのかしら」
「はい。きっと……いや、絶対そうです」
 画面をスワイプして、ブラウザからマルシェのホームページを開くミゾレ。マルシェの出店者情報に並んだ見覚えのある店名を、指でなぞる。
「キョウくん……」
 呼び慣れたその名前を、彼女は確かめるように呟いた。
 


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「ザラメ!」
「ルグ。どうしたのそんなに慌てて」
「これ!」
 ルグの手に握られた端末には、地域の情報サイトのイベント案内が表示されていた。
「“はれぞらマルシェ”…?」
 ”はれぞらマルシェ“。隣町の総合公園で定期的に開催され、有志による食品や雑貨の販売が行われているようだ。次の開催は夏休みの八月。ホームページに掲載された過去の写真からは、多くの人で賑わう会場の様子が伺える。
「野菜の直売に、軽食、ハンドメイド雑貨……へえ、こんなのあったんだ。行ってみようか」
「おう!オレたちも出そうぜ、お菓子屋さん!」
「……ん?」
「え?」
 一抹の行き違いを感じ、キョウは聞き返す。
「今、なんて言った?」
「だから、オレたちも出そうぜ!お菓子のお店!」
 鼻息を荒げてきらきらとその目を輝かせるルグ。想定外の提案に、キョウは狼狽えてしまう。
「いや、そんな急に言われても…!」
「だって、あんまり売れてねぇんだろ、ネットショップ」
 ルグが指差した先には、七月のカレンダー。注文無しを意味するバツ印は、もう折り返しに差し掛かろうとしていた。
「それは……そうだけど」
 キョウは画面に表示された出店者募集の文字に目を移す。これまでネットショップでしか展開してこなかった自身のお菓子。イベントに出店するとなれば、それだけ多くの人の目に留まり、『今日のお菓子屋さん』の知名度アップや、新たな顧客の獲得につながるだろう。しかし、非対面のネットショップのみだったキョウにとって、対面の店頭販売は未知の挑戦だった。
「お店を出せば、みんながザラメのお菓子を知ってくれるかもって……ネットも売れるようになったら、ザラメが喜ぶかなって思って」
 先月の一件以来、二人は互いに一定の信頼を寄せるようになった。雨降って地固まるとはまさにこのことだ。これまでバラエティ番組の賑やかな音声だけが響いていたリビングでは、他愛もない会話が交わされるようになり、食事以外の場面でも集まって過ごすことが増えた。共に軒下の掃除をしたり、家の周辺を散歩したりと、家の中に限定されていたルグの行動範囲も広がりつつある。
「でも……」
 本当にうまくいくのか。準備は間に合うのか。自分のお菓子が、人々に通用するのか。キョウの中で膨らんでいくのは、マイナスな感情だった。
「なんとかなるって!オレも手伝うし!やってみようぜ、な!」
 大きなルグの瞳に、自身の顔が映る。不安は拭いきれない。でも、今が次のステップに進むチャンスなのかもしれない。
「……わかった」
「よし、決まりだな!」
 にっと笑ったルグは、ペンを手に取ると、壁にかけられたカレンダーに近づいていく。バツだらけのカレンダーに、大きな丸印がつけられた。
――
 マルシェ当日まで残り二週間。出店の申し込みを済ませた二人は、バスを乗り継いで、とあるビルの一室を訪れていた。受付で受け取った鍵を使い、ドアを開ける。
「ここだよ」
「おぉ…」
 目に飛び込んできたのは、広々とした銀色の作業台にピカピカのシンク、壁に沿ってずらりと並んだ業務用オーブンや冷蔵庫。
「ここがレンタルキッチン。ネットショップで注文が入った分のお菓子は、いつもここで作ってるんだ」
 初めて見る設備の数々。キョウの家とは違う景色に、ルグは胸躍らせる。
「でも、なんで家で作らないんだ?」
「誰かにあげたり、試作したりするだけならいいけど…お金をもらってるわけだし、知らない誰かの口に入るものだから、ちゃんと整った環境でやらなきゃね」
 自身に言い聞かせるように呟きながら、キョウはいつもよりも倍の時間をかけて入念に手を洗う。
「じゃあ早速、試作してみようか」
「よしきた!オレも手伝うぜ!何すればいい?」
 エプロンを付けて張り切っている。
「あ〜、そのこと、なんだけど……とりあえず、今回は横で見ててほしい…かな」
「え」
 丸焦げのホットケーキを生み出して以来、ルグは時間を見つけてはお菓子作りの練習に励んでいた。だが…お世辞にも上達したとはいえない。もちろん自分たちで食べるだけなら構わないし、手伝ってほしいのは山々だが、販売するとなれば話は別だ。
「そ、その代わり!ルグにやってほしいことがあるんだ」
「なんだよ」
 すっかり拗ねてしまったルグ。そっぽを向いて表情は見えないが、先ほどまで元気に往復していた彼の尻尾は、力なく垂れてしまっている。
「きっと当日は暑いから、飲み物も売りたいんだ」
 爽やかな柑橘の香りが、ルグの鼻をくすぐる。
「あの時僕に作ってくれたレモネード、出してみない?」
 振り返った先には、鮮やかなレモンと、赤ペンで修正が加えられた薄茶色のレシピノートが置かれていた。
「…いいのか!?」
「もちろん。だから今回は僕がお菓子担当で、ルグがドリンク担当。飾りつけやメニュー表は二人で一緒に作る…でどうかな」
「オレが、ドリンク担当……よーし、任せろ!世界で一番のレモネード、作ってやるぜ!」
 やる気を取り戻したルグは、ずり落ちたエプロンを整えると、レモンを手に取り水道で洗い始める。その様子に安堵しつつ、キョウも試作に取り掛かった。
――
 まずは室温に戻したバターを練り、やわらかくする。白っぽくなってきたら、米油を加えて混ぜ合わせる。
「油も?全部バターにしないのか?」
 レモンを絞りながら、ルグは横からボウルを覗き込む。
「バターだけの方が香りもいいし、しっとりするんだけど……夏場だから、植物油と合わせた方が軽い感じになるかなって」
 砂糖、卵を加えて混ぜ、続いて粉類を合わせる。
「よし、これで基本の生地は完成かな」
「おっ、焼くのか?」
「このままでもいいけど、せっかくだから……」
 キョウは出来上がった生地を複数のボウルに取り分けると、用意しておいたトレーに手を伸ばした。ドライフルーツ、ナッツ、チョコレート…形も色も違う様々な食材を、自由に合わせていく。
「そんなに混ぜて、ぐちゃぐちゃにならないのか?」
「大丈夫。ちゃんと美味しくなるから。そっちはどう?」
「いい感じだぜ!ほら!」
 待ってましたと言わんばかりに、ルグはキョウにバットを差し出した。一定の厚みにスライスされたレモンからは、彼の日頃の努力がうかがえる。
「なあ、これも乗せて焼いてみようぜ!」
「確かに…さっぱりするかも。いいね」
「だろ?」
 ドライフルーツを混ぜたもの、ココアパウダーを加えてナッツを散らしたもの、ルグの提案で生地の上にレモンを乗せたもの…。焼き型を軽く作業台に打ちつけて余分な空気を抜いたら、大容量かつ高火力の業務用オーブンに入れて、一気に焼き上げる。
「でっけー…」
「あんまり近づくと火傷するよ」
 普段見ることのない光景に、ルグも興味津々だ。使った器具を軽く片付け、包装のための資材を選定するうちに、いつもと違う焼き上がりの音が二人を呼ぶ。開いたオーブンからは、山型に膨らんだ生地が顔を覗かせた。
 レンタルキッチンに色とりどりの香りが広がる。パウンドケーキの出来上がりだ。
――
「なあ」
 作業台の端。切り分けられたパウンドケーキは、まだほんのり温かい。
「もう食べていいか?」
 お皿に鼻先を近づけたまま、ルグは尋ねる。
「いいよ。洗い物だけ済ませちゃうから、先に食べてて」
「じゃあ、お先に…いただきまーす」
 ひょいとつまみ上げられたパウンドケーキが、大きく開いたルグの口に放り込まれる。しっとりとしつつも軽さを残した口当たりの生地に、ドライフルーツのねっとりとした食感と甘酸っぱさが重なる。
「うまぁ……」
 焼きたての美味しさに、ルグは次々と皿に手を伸ばす。
「冷めたらラッピングもしてみようか……って、全部食べないでね」
「わかってるって。あ、そういえばどうだ?オレのレモネード」
「……うん。丁度いい甘酸っぱさだと思う」
 レシピを書き換えて改良を施したレモネード。生姜は控えめにし、その分シロップで甘さをプラスした。幅広い層の人々がやってくる夏休み期間のマルシェにぴったりだろう。
「これもマルシェに出すのか?」
 ルグの指す先には、茶色の紙型に入ったケーキが並べられていた。縦長のパウンドケーキとは違い、こんもりと丸くきのこのように膨らんだ生地が可愛らしい。
「うーん、まだ決まったわけじゃないけど……ちょっと材料が余ったから作ってみたんだ」
「へ〜……」
 ルグはまた、皿の上の山々を見やる。
「…食べていいよ」
「よっしゃ!」
 キョウからの"よし"の合図で、ルグはカップケーキに頭からかぶりついた。空気をたっぷりと含んだ生地は、雲のように軽い。あっという間に平らげ、皿には型紙だけが残った。
「ごちそうさま!」
「相変わらずの食べっぷりだね…」
「同じ材料でも、こんなに違うんだな」
「混ぜ方ひとつでも変わるからね。何回も作ったことがあるから、これはレシピも覚えてるんだ」
「レシピを見ずに作れるなんて…ザラメはやっぱり天才だな!」
「…うん、ありがとう。あっ、そろそろ時間だね。片付けなきゃ」
 レンタルキッチンの退出時刻が迫り、キョウは撤収作業に取り掛かる。
「もうそんな時間か。よし、お菓子もオレのレモネードもうまくいったし、……これでマルシェもバッチリだな!」
「そうだね。また当日の朝に作りに来よう」
「おう!」
 試作を終え、出店の実感が湧いた二人。マルシェの足音は、すぐそこまで近づいていた。
――
 マルシェ当日。パステルカラーの車からひょいと飛び降りたルグは、青空の下、大きく伸びをする。
「着いた〜!」
「キッチンカー、借りれてよかったね」
 失念していた会場への足は、キッチンカーの一日レンタルという形で解決に至った。ペーパードライバーであれ、免許を持っていなければ今頃どうなっていただろう、とキョウは胸を撫で下ろす。
「じゃあ、僕は受付を済ませてくるから、ルグも準備して待ってて」
「おう、任せろ!」
 キョウは荷物を解き、入口付近のテントへ向かう。まだ開始までは時間があるが、会場となる公園は既に多くの人で賑わっていた。“今日のお菓子屋さん”が新たな一歩を踏み出したこと。自分が販売するお菓子が直接誰かの手に渡ること。出店者と記された名札の重みに、押さえつけていた不安がまた膨らみ始める。
「……大丈夫。きっと大丈夫だ」
 繰り返し言い聞かせながら、受付を後にする。
「ザラメー!準備できたぞー!」
 カラフルな飾り付けが施され、華やかなブースに変貌を遂げたキッチンカー。ウェルカムボードの隣で手を振るルグの姿に、キョウは違和感を覚える。
「ルグ、その格好……」
 先ほどまで半袖シャツ一枚だったはずの彼の上半身は、季節外れのスウェットに包まれている。顔と体の境界を隠すようなオーバーサイズの服にお下がりのエプロンを重ね、右手には風船の束が握られていた。その姿は、さながら遊園地の着ぐるみのようだ。
「じゃーん!どうだ?カンペキだろ?」
「どうしたの急に、暑くないの!?」
「暑い!けど、イベントにはこういうのがいるんだろ?テレビで見たぜ!」
 やけに荷物が多かったのはこのためかと、キョウは行きの車中を思い出す。
「その風船、配るの?」
「もちろん!」
 風になびくカラフルな風船は、人々の注目を浴びること間違いなしだろう。彼が本物の狼だとバレてしまわないか心配だが、彼のアイデアの行方を見届けることにする。
「お待たせしましたー!はれぞらマルシェ、ただいまから開催いたしまーす!」
 スタッフの一声で、開始を心待ちにしていた人々が続々と広場へやってきた。
「よし!頑張ろうな、ザラメ!」
「うん、頑張ろうね」
「今日のお菓子屋さん」初の出張販売が、幕を開けた。
――
「ミゾレさん。休憩しなくても大丈夫?公園までもう少しかかるけれど」
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「いいのよ…気にしないで。同じ場所に向かうんだもの」
 ミゾレと呼ばれた助手席の女性は、窓の外に目を向けた。連なる田畑と住宅、時折現れるコンビニエンスストア。カメラアプリを起動し、田舎という言葉がぴったりののどかな風景を収めてみる。
「それにしても、よく見つけたわね。ネットショップを出してたなんて。本当にあの子なのかしら」
「はい。きっと……いや、絶対そうです」
 画面をスワイプして、ブラウザからマルシェのホームページを開くミゾレ。マルシェの出店者情報に並んだ見覚えのある店名を、指でなぞる。
「キョウくん……」
 呼び慣れたその名前を、彼女は確かめるように呟いた。