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#3 「まあ、いいか」

ー/ー



春一(はるかず)! 起きてるの!?」


 母さんの声と、ゴンゴンゴン、とドアノックの音が同時に不快に響く。


「んあぁ~……起きてるよぉ~……」
「だったら早く下りて来なさい。今日は入学式でしょ? 遅刻なんてしたら一年間の恥よ」
「まだ慌てるような時間じゃないだろ……」


 目は覚めていたが、朝の肌寒さが、僕を温かい布団の外に出ることを許さなかった。


 誰だって温かい布団の中に引き篭もっていたい、心地良い微睡(まどろ)みに浸っていたい。
 そんな欲求を誰が責められるだろうか。


 とは言え、しかし時計の針は進む。
 いつまでも停滞は許されない。


「…………ん?」


 はて、何だろう。
 母と交わした今のやり取りに、何やら憶えがある気がする。


 その奇妙な感覚に急かされるように、むっくりと身を起こし、カーテンを全開にした。


 春の朝は、どこか嘘臭い。
 まるで何かを誤魔化すかのように。


 新年度の空はやけに澄み切っていて、前の季節を無かったことにするみたいに明るい。
 差し込む光が、机の上の真新しい学生証を照らしていた。


 体に馴染まないブレザーに袖を通し、ぎこちない手付きでネクタイを締め、進学を機に買って貰った腕時計を嵌めて、鏡で出来栄えを確かめる。


 必要な物を通学カバンに詰め、部屋を出る前に日捲りカレンダーの方を見ると──


「……あれ?」


 それが示す日付は──【3月31日】。


「捲った、よな? 昨日……」


 朝起きて、部屋を出る時にカレンダーを捲るのが僕の日課。
 今日はつい先程起きたばかりで、今まさに部屋を出ようとする所。


 先程の母とのやり取りへの既視感。
 捲って後ろへ追い遣ったはずの【3月31日】のカレンダーが元に戻っている違和感。


 これは、ひょっとすると──


「……夢か」


 どうやら布団の中で、僕は一足早いエイプリル・フールを迎えていたようだ。


 そう結論付けて【3月】と【31日】のカレンダーを捲り、その下に隠れていた【4月】と【1日】のカードを前に表示させた。


「お早う、爺ちゃん」
「おお、お早う」


 階段を下りると、食卓には既に朝食が並んでいた。
 トーストと目玉焼き、それにサラダとヨーグルト。


「夢と、同じ……?」


 夢の中の今日でも、全く同じメニューが出て来た。
 口へ運んでみると、当たり前と言えば当たり前だが、既視感のある味がした。
 別に嫌いなメニューではなく、同じ味なのに、二度目だと分かってしまうだけで少し味気無い。


〈アメリカのニューマン大統領は、日本時間の昨日二十時にイギリスを訪問、ブラウン首相と会談し──〉


 夢の中でも流れていたニュース映像。
 新聞を見ても、やはり夢で見たのと一言一句同じ記事、天気予報、テレビの番組表が掲載されている。


「入学式だっていうのに暗い顔だな」


 向かい合って朝食を共にする祖父が言った。


「そ、そう?」
「人は第一印象で大体が決まる。愛想良くしないと人が逃げていく。人が逃げるということは運が逃げるということだ」
「あ……うん、気を付けるよ」


 母だけでなく、祖父との会話も全く同じ。
 こういうものを、デジャヴ、と言えばいいのだろうか。


 鏡で顔を見直して、いざ出発。


「行ってきます」


 朝の空気が僕をやや冷たく出迎える。


 通学路自体は中学時代と共通なので、慣れた道をのんびり歩く。
 そして僕の予想通りなら、もうすぐそこから──


「ようハルイチ!」


 やはり、である。
 夢で見た通り、そこの曲がり角から、自転車に乗った三人組が現れた。


「……や、やあ、お早う」


 照沢雄人(てるさわゆうと)海野大吾(うんのだいご)浜田敦(はまだあつし)
 僕と共に、仲良し四人組で評判だった幼馴染みだ。


「雄人たちは……今日は始業式なんだっけ?」
「ああ。まだ授業は始まらないけど、在校生との交流だとかで、ちょっと忙しくなるらしい」
「部活動の勧誘や体験入部も今日からだってさ」
「勿論、俺たちはバスケ部一択だけどな」


 ここは夢とは会話が異なる。
 そうなるよう、僕が台詞を変えたのだ。
 台詞が変われば、それに対する受け答えも当然変わる。


「──っと、急いでるんだった。じゃあな」
「また今度一緒に遊ぼうな」
「ハルイチも頑張れよ」


 別れの挨拶を告げて、三人はペダルを漕ぎ出す。


「……うん、また」


 駅の方角へ去る三つの背中を見送りながら、僕は確信した。


「正夢──予知夢、って奴で間違い無さそうだな。何もかもそのままだ……」


 未来に起きる出来事を、夢という形で予知する。
 僕が今朝見たのは恐らくそれだ。


 だが、それにしてもあまりにも正確過ぎる。
 僕が抱いていた予知夢のイメージは、もっとこう大雑把で、曖昧さが残って様々な解釈の余地が生じるものだったのだが、人物たちの台詞の一言一句に至るまで寸分違わず見通してしまえると、うっすらとした気味の悪さすら覚えてしまう。


 まるで、何もかもが決められた台本通りに進行する、大掛かりな演劇の中にでも放り込まれたような心地だ。


「まあ、いいか」


 そう思ったはずなのに、何かが引っ掛かったような違和感が胸の奥に残っていた。


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次のエピソードへ進む #4 「あれ……?」


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「|春一《はるかず》! 起きてるの!?」
 母さんの声と、ゴンゴンゴン、とドアノックの音が同時に不快に響く。
「んあぁ~……起きてるよぉ~……」
「だったら早く下りて来なさい。今日は入学式でしょ? 遅刻なんてしたら一年間の恥よ」
「まだ慌てるような時間じゃないだろ……」
 目は覚めていたが、朝の肌寒さが、僕を温かい布団の外に出ることを許さなかった。
 誰だって温かい布団の中に引き篭もっていたい、心地良い|微睡《まどろ》みに浸っていたい。
 そんな欲求を誰が責められるだろうか。
 とは言え、しかし時計の針は進む。
 いつまでも停滞は許されない。
「…………ん?」
 はて、何だろう。
 母と交わした今のやり取りに、何やら憶えがある気がする。
 その奇妙な感覚に急かされるように、むっくりと身を起こし、カーテンを全開にした。
 春の朝は、どこか嘘臭い。
 まるで何かを誤魔化すかのように。
 新年度の空はやけに澄み切っていて、前の季節を無かったことにするみたいに明るい。
 差し込む光が、机の上の真新しい学生証を照らしていた。
 体に馴染まないブレザーに袖を通し、ぎこちない手付きでネクタイを締め、進学を機に買って貰った腕時計を嵌めて、鏡で出来栄えを確かめる。
 必要な物を通学カバンに詰め、部屋を出る前に日捲りカレンダーの方を見ると──
「……あれ?」
 それが示す日付は──【3月31日】。
「捲った、よな? 昨日……」
 朝起きて、部屋を出る時にカレンダーを捲るのが僕の日課。
 今日はつい先程起きたばかりで、今まさに部屋を出ようとする所。
 先程の母とのやり取りへの既視感。
 捲って後ろへ追い遣ったはずの【3月31日】のカレンダーが元に戻っている違和感。
 これは、ひょっとすると──
「……夢か」
 どうやら布団の中で、僕は一足早いエイプリル・フールを迎えていたようだ。
 そう結論付けて【3月】と【31日】のカレンダーを捲り、その下に隠れていた【4月】と【1日】のカードを前に表示させた。
「お早う、爺ちゃん」
「おお、お早う」
 階段を下りると、食卓には既に朝食が並んでいた。
 トーストと目玉焼き、それにサラダとヨーグルト。
「夢と、同じ……?」
 夢の中の今日でも、全く同じメニューが出て来た。
 口へ運んでみると、当たり前と言えば当たり前だが、既視感のある味がした。
 別に嫌いなメニューではなく、同じ味なのに、二度目だと分かってしまうだけで少し味気無い。
〈アメリカのニューマン大統領は、日本時間の昨日二十時にイギリスを訪問、ブラウン首相と会談し──〉
 夢の中でも流れていたニュース映像。
 新聞を見ても、やはり夢で見たのと一言一句同じ記事、天気予報、テレビの番組表が掲載されている。
「入学式だっていうのに暗い顔だな」
 向かい合って朝食を共にする祖父が言った。
「そ、そう?」
「人は第一印象で大体が決まる。愛想良くしないと人が逃げていく。人が逃げるということは運が逃げるということだ」
「あ……うん、気を付けるよ」
 母だけでなく、祖父との会話も全く同じ。
 こういうものを、デジャヴ、と言えばいいのだろうか。
 鏡で顔を見直して、いざ出発。
「行ってきます」
 朝の空気が僕をやや冷たく出迎える。
 通学路自体は中学時代と共通なので、慣れた道をのんびり歩く。
 そして僕の予想通りなら、もうすぐそこから──
「ようハルイチ!」
 やはり、である。
 夢で見た通り、そこの曲がり角から、自転車に乗った三人組が現れた。
「……や、やあ、お早う」
 |照沢雄人《てるさわゆうと》、|海野大吾《うんのだいご》、|浜田敦《はまだあつし》。
 僕と共に、仲良し四人組で評判だった幼馴染みだ。
「雄人たちは……今日は始業式なんだっけ?」
「ああ。まだ授業は始まらないけど、在校生との交流だとかで、ちょっと忙しくなるらしい」
「部活動の勧誘や体験入部も今日からだってさ」
「勿論、俺たちはバスケ部一択だけどな」
 ここは夢とは会話が異なる。
 そうなるよう、僕が台詞を変えたのだ。
 台詞が変われば、それに対する受け答えも当然変わる。
「──っと、急いでるんだった。じゃあな」
「また今度一緒に遊ぼうな」
「ハルイチも頑張れよ」
 別れの挨拶を告げて、三人はペダルを漕ぎ出す。
「……うん、また」
 駅の方角へ去る三つの背中を見送りながら、僕は確信した。
「正夢──予知夢、って奴で間違い無さそうだな。何もかもそのままだ……」
 未来に起きる出来事を、夢という形で予知する。
 僕が今朝見たのは恐らくそれだ。
 だが、それにしてもあまりにも正確過ぎる。
 僕が抱いていた予知夢のイメージは、もっとこう大雑把で、曖昧さが残って様々な解釈の余地が生じるものだったのだが、人物たちの台詞の一言一句に至るまで寸分違わず見通してしまえると、うっすらとした気味の悪さすら覚えてしまう。
 まるで、何もかもが決められた台本通りに進行する、大掛かりな演劇の中にでも放り込まれたような心地だ。
「まあ、いいか」
 そう思ったはずなのに、何かが引っ掛かったような違和感が胸の奥に残っていた。