16_ユミル洞窟(5)
ー/ー(――――さて、どうしようかな……。)
モナは狙い通り1対1の状況を作ることには成功したものの、いざトロールと向かい合ってみると大見得を切った割には勝算などというものが少しもないことに改めて気が付いた。
それもその筈で、トロールは決して賢くはないものの恵まれた体格から放たれる重い一撃や圧倒的な体力で1人前の冒険者や兵士、時には軍隊ひとつ葬り去ることさえも可能なモンスターなのだ。少なくとも生活魔法しか使えない上に人並みの体力しか有していない自分が、よりにもよって洞窟の最奥という限られたスペースで勝利することなど到底不可能な相手なのだ。つまりは奇跡でも起きない限り、生きては帰れないのは確実だった。
――故にモナは最早笑うしかない状況に甘んじて、大いに口元を緩ませる。
けれどモナが浮かべる笑みは、決して自暴自棄になってしまった上でのやけっぱちのそれではない。ルチアとルチルが逃げる時間を作るために、出来る限りの抵抗を尽くすことへの宣誓だった。
加えて敢えて場にそぐわない感情を引き出すことで、混乱と緊張と恐怖とでガチガチに凍ってしまった思考を普段の冷静で理性的なものへと引き戻すための、言わば一種の儀式ですらあった。
そしてさらに言うのならば、モナには負けたところとて悔いなどというものはそれほどなかった。寧ろようやく両親のところにいけるとさえ思っていた。なんやかんやで流されるがままに今日まで生きてしまった罪を、やっと精算出来るという安心感さえあった。つまりはこの勝負自体が、モナにとってはどう転んでも価値あるものだったのだ。
「グゥ、ウウゥ……!」
「…………分かってるって。」
トロールが咆哮を上げる。声というよりかは最早ただの音に近しいそれに、モナは嫌でも身体が震える。腹の底から込み上げてくる恐怖に、生物の本能を実感する。それでも下卑た笑みを浮かべるトロールを目前にしても尚、変わらずニヒルに笑いながら相手を睨みつけるのはつい逃げ出したくなる臆病な自分を奮い立たせるためだった。1歩も怯まないためだった。
「グァ……アァアアァァアーーー!!」
「――【縫い付ける魔法】!!」
モナはトロールの腕力と体力を、トロールはただの人間でない――もとい少しは甚振り甲斐のありそうなモナを警戒し、睨み合うこと数秒の後。先に動いたのはこの緊迫した状況に痺れを切らしたトロールだった。
トロールは徐に咆哮と共に走り出すとモナの背ほどはある長い両手を出鱈目に振り回しては壁を殴り、周囲に散らばったオークの死体を吹き飛ばし、とにかく力任せにこちら目掛けて突っ込んでくる。モナは舞い上がる土埃と、踏み付けられる度にぐちゃりと不快な音を立てては無意識ながらに自身の視界と聴力と意識を奪おうとする肉塊とをなんとか頭から追い出すと、脳天目掛けて振り下ろされるトロールの両拳とその頭とを縫い付けた。
「グゥ……グゥガァァアアアァーーー!!」
(………よし。この隙に……!)
頭上高く振り上げた拳と後頭部とを縫い付けられたトロールは獲物を前にして身体が思うように動かないことに驚いたのか、酷く狼狽えた様子で藻掻く。それから非常に興奮した様子で、とにかく拘束を解こうとがむしゃらに振りかざした拳が、頭が、肘が、どこにぶつかろうとも気にならないといった様子でひたすらに暴れ狂う。それは宛ら頭上で手錠をかけられた人間がどうにもならないことを知りながらもどうにかならないかと、もしくは万が一の可能性を求めて足掻く様とよく似ていた。
モナは狙い通り、初めてまともに【縫い付ける魔法】を食らったトロールが興奮と混乱とで正常な思考と行動とが選択出来なくなっている隙に、素早くその脇を駆け抜けると最奥の小部屋まで退避する。そして背中を壁に押し付けると、まずは大きく深呼吸をして自分を落ち着かせることに専念した。
最も、突き当たりにて背中を壁に預けるのが悪手なことは、一般人であるモナなりになんとなく理解していた。それでも敢えてその手段を選んだのには、2つほど明確な理由があった。
1つはトロールとのリーチの差が故だった。巨人種に分類されるトロールはその種別の通り、人間を遥かに上回る体格をしている。実際に真正面から睨み合ったトロールの腕の長さは、優にモナの背丈を超えていた。その腕が振り子の如く大きく揺れては助走を付けながら自身の脳天目指して振り下ろされるのだ。想像を絶する迫力と恐怖に、モナは死んでもいいとは思っているものの、出来ればこの死に方だけはごめん被りたいと思ってしまったのだ。だからこそ少しでも距離を取るために、モナは奥の奥に退避した上で背中と岩壁をぺたりとくっつけた。
次いで2つ目の理由としては、先程モナ自身がトロールを誘導して作り上げた土砂の山にあった。この土砂の山のお陰でその場から動けそうにないルチアをトロールの脅威から遠ざけることに成功したものの、それは裏を返せばモナには逃げ道がなくなってしまったということだった。つまりは前に進もうが後ろに進もうが突き当たり、壁なのだ。であればモナがルチアとその愛犬のために、少しでも彼女らとトロールとの距離を広げようとするのはごく自然の行動だった。
(ここから一発逆転出来る何かとかないかなあ……。)
――とはいえ、それらを加味した上でのこの行動は、結果としてはこれ以上の逃げ場を無くしたことを示唆していた。故にモナはどうにか足掻けないかと、トロールが動揺と興奮のあまり我を失っている間に屍の山を軽く漁る。けれどオークという低級モンスターで出来た山からは、幾ら漁ろうともトロールに対抗出来そうな物が発掘されることはなかった。
が、モナはガッカリするわけでもなければ寧ろそれはそうだよな、と妙に納得していた。逆にトロールに対抗出来る手段を持つ何かがあればユミル洞窟のオークの群れが絶滅ないし壊滅することはなかったのだから、モナは却って諦めがついた。
「ガァアアアァァァアアァ――!!」
その時だった。ようやく【縫い付ける魔法】の効果時間が切れた、もとい力ずくでモナが縒り合わせた魔力の糸を引きちぎることに成功したトロールが、興奮と怒りに任せてモナ目掛けて突進してきた。
「が、は……ッ――!」
――こちらに来る、と認識した時には既に遅かった。
モナの眼前には身体が反応するよりも先に、トロールの拳があった。それも余裕で人の顔の大きさを超えるほどの、正しく巨大と称するに相応しい拳があったのだ。そしてその拳を知覚するとほぼ同時に、凄まじいスピードが拳に込められていたパワーに乗算され、モナの身体には今まで味わったことのない衝撃が走った。
次いで耳に届いた岩石に亀裂が入った時特有の、硬質を感じる重低音にモナはああ、自分はトロールの放った渾身のスイングに壁まで吹っ飛ばされたんだと悟った。そしてそれを悟るや否や、途端に全身に重く鈍くのしかかるように掛かっていた負荷が骨や内臓に伝播されるのを感じた。
モナは殆ど反射的に咳き込むと、唾液と血液とが混じり合った液体を吐き捨てる。口の中が切れたのか、それとも内臓が損傷を受けたことで込み上げてきた血液なのかは見ただけでは分からない。ただ口の中のものを吐き出すという何気ない動作にも関わらず、腹の奥が抉れるような痛みが走った。
(あー……、これ、内臓と肋骨やられたかもなぁ……。)
モナは痛みの中、どうにかして冷静であろうと自身の置かれた状況を分析する。恐らくトロールがモナの予想以上のパワーとスピードを発揮するに至った理由は、ルチアを気遣って1体1になるまでトロール本体に魔法を当てなかったことに起因するだろう。
つまりはトロールにとってはただの人間、つまりは遊びで狩る対象だと思っていた相手が想像以上に脅威になり得る技能を有していたから、全力で潰しに掛かってきたわけだ。慎重なのが却って裏目に出てしまったなあ、とモナは血を吐きながら苦笑する。
……正直なところ、モナは今すぐ戦闘の意思がないことをアピールし、ひと思いに楽にして貰いたいくらいには全身が痛んでいた。吐いても吐いてもすぐに口の中に血は溜まるし、その度に新鮮な鉄の味がするのは極めて不快だった。
だというのに、それでもボディに反して軽傷なことに甘んじて、細い腕と脚でなんとか立ち上がっては変わらず相手を睨み付けてしまうのだから、本当に自分はどうしようもないくらいに生き汚いなとモナは笑ってしまう。
(…………ああ、)
あんなに生きることに執着なんてなかったはずなのに、寧ろようやく両親のところに行く理由が出来たと安堵さえしたはずなのに。だというのに、何故か目前に『死』というものが具体的な悪意と形とを持って迫ってきた時、モナはどういうわけだか「生きたい」と強く願ってしまった。
――両親のところに行きたいと願う気持ちが、嘘だったわけじゃない。
――自分のような最低な人間の犯した罪は、死を以て償われるべきだとも思う。
――――でも、そんな感情とは反対に、死ぬのが怖いと思うのもまた、紛れもない真実だ。
「…………ごめん。お父さん、お母さん。」
そうやって口にした謝罪が、何に対してのものなのかはモナ自身分からない。両親を見殺しにして助かっておきながら常々死にたいと考えてしまっていたことへの謝罪なのか、はたまたあの世での再会が遅くなってしまうことへの謝罪なのか。
――あるいは帝国的な教えと思想から脱し、王国民らしい泥臭い宗教観を受け入れ、真の意味で『モナ』として生き直すことに対する決意なのか。
ただひとつ、確実に言えることがあるとするならば、それは常々死んでしまっても良いと思うくせして、その実強く生きたいと願ってしまう愚かな自分を、モナは冷たく突き放すことが出来そうにないということだった。
(――――さて、どうしようかな。)
モナは今すぐに楽になりたいと叫ぶ身体に鞭打って、大地を踏み締める。軽く力を込める度に悲鳴を上げる身体の内側と、そこから際限なく溢れ出してくる液体の感覚につい弱気になりそうな思考に黙って喝を入れる。それからつい数分前に頭の中で呟いた言葉と全く同じそれを、改めて反芻する。モナはふと、不思議と同じ言葉にも関わらず、先程までとは向いている方角が真逆なことに気が付くとふっと鼻で笑った。
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