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15_ユミル洞窟(4)

ー/ー




(…………おかしい……。)

 松明の明かりと生物としての機能のひとつである暗順応、それから地図を駆使して2人は洞窟の奥深く――あくまでも体感ではあるものの、恐らくは地下2階に相当する程度は優に下っていた。だというのに浅層同様1匹も見当たらないモンスターの姿にモナは勿論、脳天気なルチアさえもいよいよ疑問を抱き始めていた。
 しかしながら、2人が注目している点には大きな相違があった。ルチアは時期的にそろそろ討伐しなければいけない筈のモンスターが少しも居ないことに対して強い疑問を抱いてこそいたものの、同時に「もしかしたら度重なる人間側の対応により、いよいよこの洞窟に住み着くことと危険とがイコールで結ばれたのではないか」と、若干の期待もしていた。要するに、ようやくモンスターとの不毛な争いに決着が着いたのではないかと前向きな思考だった。
 一方でモナは極めて楽観的、もとい前向きなルチアとは反対にモンスターの姿が見えないという現状そのものよりも、この洞窟が静かに物語る違和感――ここまでの道中や小部屋等に残されていた、殆ど夜逃げ同然のように散らかったまま放置された彼らの食事であろう野生動物の死骸や腰巻き、木を荒く削っただけの粗悪なハンマーといった残留品に目を向けていた。
 
 ――モナは考える。
 
 確かにモンスターの多くは人間に比べて知能が低い。とはいえ彼らには彼らなりに衣食住を整えようとする知能や本能があるはずだ。そしてルチアが言った通り、一度自分のものだと判断した物に対して凄まじい執着を発揮するのが本来の彼らの性質だとすれば、ここに存在する残留品の数々は先程のルチアの言葉が嘘だという証拠になってしまう。
 けれどモナは命の恩人であるルチアのことを疑いたくはなかったし、仮にそれが嘘だとしても彼女には何のメリットがないことに気が付いていた。最も今一緒に居る彼女が偽者だとすれば話は別だが、その場合はそれこそわざわざ自分を欺こうとする理由も動機も不明だ。敢えて発想を飛躍させるとするならばこの町全体が自分を騙そうとしている可能性もなくはないだろうが、それこそ陰謀論に違いないとモナは考える。
 少なくともモナの目にはイルクオーレの町はごく普通の田舎町だったし、自身に洞窟の調査を依頼してきたトーマスの真剣さも、決して演技ではなかったと思う。……と言うよりかは、そもそもとしてそんなことが現実に可能ならばこの町の住人は全員が超一流の役者に違いないなと、モナはあまりにも非現実的な思考に少しだけ苦笑した。
 それから自身のあまりにも突飛な発想にああ、日々ルチアに毒されている……とわざと余計なことを考えては、「これ以上は先に進むな」と警鐘を鳴らす動物的な本能を理性で抑え込む。理由も分からないままに額と背中を伝う冷や汗から、目を背ける。

「いやあ、トーマスさんにいい報告出来そうだね!良かったよかった!!」
「……………………。」
「…………モナ?」

 モナは理由もなく頭の中を占める不安を掻き消そうと、必死に思考を巡らせる。けれど半ば捨てられるように放置された食事に装備、入口付近に放置されている本来激しい執着の対象である筈の略奪物、恐ろしいほどの静寂――()()()()()()()()()()()()()()()と、モナはふとそんなことを思った。それから考えれば考える程に募っていく不安から目を逸らそうと、小刻みに首を振った。
 
「え?……ああ、ごめんなさい。聞いてませんでした……。」
「もー、わざとじゃないとはいえ無視しないでよね〜!?」
「すみません。……少し、考え事をしてまして…。」
「考え事〜?……それならサクッと1番奥の部屋見て、外に出てからにしようよ。ここらへん地下だからさ、ちょっと空気薄いんだ。考え事するには向かないよ。」
「あっ、ちょっと!」

 すっかり洞窟の安全が保証されたものだと思い込んでいるルチアはモナの前に立つと、最早毎日のルーティンをこなすかのような軽快なノリで最奥の部屋を目指す。ルチルは主人の相変わらずなお気楽振りに、呆れたような顔をしながらトボトボと着いて行った。
 モナはそんな1人と1匹の後を慌てて追いかけながら、万が一に備えて手元の地図に視線を落とす。そこには『地盤沈下の疑い有り』『壁に亀裂有り。長時間の滞在禁止』という書き込みがなされていた。当然ルチアは知っているだろうが、改めて最奥の部屋にはあまり長居しない方が良さそうだと伝えようとモナは顔を上げるも、なんとも軽快な足取りの彼女の背中ははるか先だった。

「ルチアさん。奥の部屋、あんまり長居しない方が――。」
 
 モナはほんの少し目を離した隙に空いた距離を埋めようと小走りでルチアに駆け寄る。が、最奥の部屋の直前の長い直線のほぼ終点に居たルチアと未だ道半ばの自身とでは、仮に全速力で駆け抜けたところで直ぐに追いつくことは不可能だった。
 故にモナは直線の終点で左に曲がる背中に向けて声を掛けると、足元に気を付けつつ走るスピードを上げる。そしてルチアが視界から消えた数秒後にようやく自身も角に到着すると、とっくに最奥の部屋に到着しているルチアと早く合流しなければと足を緩めないまま左に曲がった。

「――――わっ?!ル、ルチアさん!?もう、危ないじゃないですか……!」
「……………………。」
「…………ルチアさん……?」
 
 けれど自身の予想に反してそこには何故か遥か先に居るはずのルチアの背中があったものだから、モナはその小さな背中にほぼ最高速度のまま突っ込む羽目になってしまった。一応は直前に慌てて幾らかスピードを緩めることに成功したものの、それでも身体全体に走った大きな衝撃と曲がり角の先で突っ立っていたルチアとに、モナは思わず驚きの声を上げる。
 が、普段ならばあれこれ軽快に文句にも似た軽口を告げる筈のルチアの唇は、モナが彼女にしては珍しく少々の怒気を含んだ声を上げても尚動くことはなかった。それどころか石のように硬直しているものだから、モナはそんなにも痛かったのだろうかと慌ててルチアの顔を覗き込む。
 すると彼女の顔は今まで見たことがないくらいに真っ青だったものだから、モナは本格的に心配した。そんなにも痛かったのかと申し訳ない気持ちになった。

 けれどそんなモナの視界の端、自分たちの数歩先に居るルチルが低い唸り声を上げながら尻尾をぴんと立てていることに気が付くと、モナはおそるおそる目線を動かす。
 床からルチルへ、ルチルからルチアへ。そしてルチアから真っ青な顔をした彼女の視線の先――最奥の小部屋へと視線を向けた。

(……ウソ……。あれって、トロール……!?)

 モナはルチアの視線を辿った先の光景に、思わず言葉を無くした。それもそのはず、そこに広がっていたのは到底現実のものとは思えない惨状だった。小部屋前の通路から入口にかけて散乱したオークやゴブリンといった低級モンスターたちの死体とそれを手当り次第貪る巨人の背中、バリボリと響く骨が砕ける音。それに混じってびちゃり、ぼとりと発生する音は血が滴る音のようだった。
 おまけに巨人の周囲に散乱している死体はただそこに在るのではなく、頭部や四肢が欠けた上で積み重なるように散乱していた上に当然あたりは血の海だったものだから、モナは気分が悪くなるのを感じた。これは天真爛漫なルチアと言えども顔を真っ青にするはずだと、ある種混乱しすぎて冷静ですらいた。と同時に鼻腔を突き抜ける強烈な鉄の臭いに、もしや洞窟に入った時から感じていた表現しがたい悪臭はこれだったのかと納得すると、なるほど、これはある意味気が付けなくても当然だなと失笑した。
 加えてこれまでの道中で見掛けた半ば捨てるように放置されたモンスターたちの食事や装備、あるいは村からくすねてきた盗品の数々がそのままであったことにようやく合点がいくと本能が鳴らしていた警鐘、即ち自分がなんとなくではあるものの感じていた違和感とはまさにこの状況――『かつての自分のようにモンスターたちがこぞって亡命している』という事実に他ならないのだと悟ると、思わず背筋がぞくりと粟立つのを感じた。それは図らずとも再演されることとなった過去の恐怖、絶望あるいは失望からだった。

(――――あの時のわたしと、同じだ…。)
「…………モ、モナ。あれ……!」
「落ち着いて下さい、ルチアさん。――いいですか。声や物音を立てずに、ゆっくり。このまま後ろに下がりますよ。」
「う、うん、分かった。……ルチル!」

 但し不幸中の幸いとも言うべきか、巨人はこちらに背を向けている。このままゆっくりと後退し、すぐそこの角を曲がってしまえば取り敢えずの危険は回避出来そうだった。故にモナは素直な反応を示したがる唇を噛み締め、悲鳴を飲み込むと腕に爪を立てた。そして痛みで正常な意識を繋ぎ止めては冷静になれ、冷静になれと自身に言い聞かせる。その甲斐あってか悲鳴は喉の奥でくしゃりと潰れた後、粘膜に張り付いた。モナはそれを唾ごと飲み込むと、すかさず迫り来る過去と目の前の現実を振り切るべくルチルとルチアに退避を命じた。

「…………あっ……!」
 
 1歩、2歩、3歩――なるべく音を立てないように、後退りながら4歩目を踏み出そうとした瞬間だった。これまでなんとか必死に平静を保とうとしていたルチアだったが、許容範囲外の恐怖にとうとう足がもつれて転んでしまった。転倒自体はゆっくりと後退していた上に、尻もちを着くような形だったがために外傷は殆どない。但しその着いた際に上げてしまった声が問題だった。
 それまで夢中になって死肉を漁っていた巨人はルチアの声に一瞬ピタリと動きを止めた。洞窟内に静寂が訪れる。けれどそれも一瞬のことで、すぐさまトロールは両手に掴んでいた肉塊から手を離すと、新鮮な獲物の声にゆっくりと振り向いた。そして知能を感じない濁った瞳と、醜く肥大した身体とをこちらを向けると、その大きな口を血で染まった歯が見える程にニヤリと歪ませた。

(……………………やるしかない。)

 モナは巨人――トロールがこちらに狙いを定め、脇に置いていた巨大なハンマーを手に取るのを目にした瞬間、咄嗟に覚悟を決めた。出来れば決めたくはない覚悟だったが、それでもなんとか踏ん張って、なけなしの勇気を振り絞って、決めた。決めるや否や、モナは震える手のひらでワンドを必死に握り締めると、足を大きく踏み出してトロール目掛けて駆け出した。

「ルチル!ルチアさんを連れて逃げて!!」
「モナ!?」

 トロールはこちらへ駆け出してくるモナ目掛けて、手にしているハンマーを思い切り投げ付けて来た。モナは避けようとするも、今ここで自分が避けてしまうと背後に居るルチアとルチルに直撃してしまうことに気が付くと、咄嗟に壁とハンマーとを縫い付ける魔法(クチーレ)で縫い付けた。
 しかしながら半ば反射的に放った魔法では、到底人間の扱える重量ではないそれを縫い付けておけるのはほんの数秒だった。縫い付ける魔法(クチーレ)の効果時間が切れた瞬間、勢いを無くしたハンマーは壁にめり込む。そして天井や壁からポロポロと土埃と石との雨を降らせた。

「無理だよ、モナ!ねえ、一緒に逃げよう!?」
「――逃げて。」

 モナは土埃が目眩しになっているこの瞬間に、トロールの次の攻撃に備えて魔力を練る。恐らくではあるものの、次の一手は武器を取り返そうとこちらに向かってくると予想して、モナは反対の壁とトロールとを縫い付けるべく手元のワンドに魔力を集める。
 そんなモナにルチアはあまりの衝撃と恐怖に腰を抜かすと尻もちをついた体勢のまま、土埃の中へと向かって必死に声を上げた。モナは心の中でそんな無茶を言わないでよ、と呟く。ひとたび心の中で不満を口にすれば、いよいよ勝手なことばっかり言ってと実際に文句のひとつでも言いたくなってしまった。
 
 が、モナはそれをぐっと堪えると代わりに再度逃げるように命じる。それは恐らく直前のルチアの様子からして、自分で立つことがほぼ不可能であろう彼女を抱えながら逃げ切れるわけがないと踏んでのことだった。
 ……であれば、自分がここに残ってトロールを足止めして、なんとかルチアとルチルが逃げる時間を稼いだ方が現実的だとモナは考える。ルチルは小型犬かつ老犬ではあるものの、よく鍛えられている犬だ。時間を掛ければルチア1人であれば、安全な場所まで引き摺っていけるだろう。そして賢いルチルのことだから、主人を安全な場所まで避難させれば次は町の誰かを呼んできてくれるはずだ。
 モナはそう踏む、もといルチルの賢さに賭けることにすると、土埃が晴れるや否や案の定こちらへ向かって突進してきたトロールの背中と反対側の壁とを縫い付けた。

「モナ!!」

 背中を縫い付けられたトロールは狩りが上手くいかないことに苛立っているのか、はたまた手応えのある狩りを楽しんでいるのだろうか。その自由な長い両腕を、狭い通路で子供が駄々を捏ねるように思うがままに振り回す。拳が壁や天井に当たる度に大きな音が生まれ、壁がボロボロと崩れては小石が互いの身体に当たった。モナは思わず呻き声を零した。
 ルチアは壁が崩れる度に洞窟内に響く大きな音と、その度に聞こえてくるモナの悲痛な声に思わず何度も何度もその名前を呼ぶ。甲高い、鼓膜と脳に響く声で必死に叫ぶ。トロールはどうやらそうやってルチアがモナの身を案じるのも面白いようで、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべると次第に悪戯に両腕を振り回し始めた。加えてオークよりは知能があるのか、大きな足で地団駄を踏んではルチア自体の悲鳴も強請った。

「モナ!!」
「……逃げて。」
「でも……!」
「――――いいから!!」

 恐怖と混乱とに取り乱すルチアとは反対に、モナは再度冷静に通告する。けれど土埃の向こうから返ってくるのは相変わらずの返答で、モナは彼女にしては珍しく苛立ちながら声を上げた。それは自分を助けてくれた命の恩人だけは、自分と違って悲しむ人がいる彼女だけは、なんとしてでも生かして逃がしたいという感情だった。そしてそれはモナにとってルチアに対する優しさや憐れみではなく、もっと大きなもの――使命感と表現するに相応しい感情だった。
 とはいえ、常にどこか頭の中に冷静さを保つようにしているモナは、情に厚いルチアが直ぐに逃げるわけがないことも理解していた。故に天井目掛けて自身の足元に転がっていたオークの頭部を拾うと、トロールを縫い付けていた縫い付ける魔法(クチーレ)が切れたタイミングを狙ってそれを放り投げる。するとオークよりかは幾分か賢いとはいえ、基本的には本能のままに生きているトロールはモナの狙い通り彼女よりも眼前を過ぎった動くモノ目掛けて、天井目掛けて出鱈目に両腕を振り回してくれた。その結果、地図に記されていた通り脆くなっている最奥一帯の地盤は呆気なく崩れ、土砂の山が出来た。
 ――つまりは自分たちとルチアとの間に、物理的な壁が出来上がったのだった。

「…………さて、ここからどうしようかなぁ…。」

 モナはこれで一先ずは自分が殺されてしまったとしても、今すぐにルチアに危害が及ばなくなったことにほっと胸を撫で下ろす。次いで改めてワンドを握り締める右手に力を込めると、いよいよ撤退の術もなくなってしまったな、とぼやきながら眉を下げた。続けてどうしようもなくなってしまったなあと瞳を伏せた。
 けれど悲しげに下げられた眉と細められた瞳とは反対に、モナの口元は大切な人を守れたという事実に微笑んでいた。それから「こうなればやれるところまでやるしかない」と改めて覚悟を決めると、モナはどうにか逃げる方法はないかと足掻く思考を押し殺すかのように、震える唇で歪な弧を描いた。


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(…………おかしい……。)
 松明の明かりと生物としての機能のひとつである暗順応、それから地図を駆使して2人は洞窟の奥深く――あくまでも体感ではあるものの、恐らくは地下2階に相当する程度は優に下っていた。だというのに浅層同様1匹も見当たらないモンスターの姿にモナは勿論、脳天気なルチアさえもいよいよ疑問を抱き始めていた。
 しかしながら、2人が注目している点には大きな相違があった。ルチアは時期的にそろそろ討伐しなければいけない筈のモンスターが少しも居ないことに対して強い疑問を抱いてこそいたものの、同時に「もしかしたら度重なる人間側の対応により、いよいよこの洞窟に住み着くことと危険とがイコールで結ばれたのではないか」と、若干の期待もしていた。要するに、ようやくモンスターとの不毛な争いに決着が着いたのではないかと前向きな思考だった。
 一方でモナは極めて楽観的、もとい前向きなルチアとは反対にモンスターの姿が見えないという現状そのものよりも、この洞窟が静かに物語る違和感――ここまでの道中や小部屋等に残されていた、殆ど夜逃げ同然のように散らかったまま放置された彼らの食事であろう野生動物の死骸や腰巻き、木を荒く削っただけの粗悪なハンマーといった残留品に目を向けていた。
 ――モナは考える。
 確かにモンスターの多くは人間に比べて知能が低い。とはいえ彼らには彼らなりに衣食住を整えようとする知能や本能があるはずだ。そしてルチアが言った通り、一度自分のものだと判断した物に対して凄まじい執着を発揮するのが本来の彼らの性質だとすれば、ここに存在する残留品の数々は先程のルチアの言葉が嘘だという証拠になってしまう。
 けれどモナは命の恩人であるルチアのことを疑いたくはなかったし、仮にそれが嘘だとしても彼女には何のメリットがないことに気が付いていた。最も今一緒に居る彼女が偽者だとすれば話は別だが、その場合はそれこそわざわざ自分を欺こうとする理由も動機も不明だ。敢えて発想を飛躍させるとするならばこの町全体が自分を騙そうとしている可能性もなくはないだろうが、それこそ陰謀論に違いないとモナは考える。
 少なくともモナの目にはイルクオーレの町はごく普通の田舎町だったし、自身に洞窟の調査を依頼してきたトーマスの真剣さも、決して演技ではなかったと思う。……と言うよりかは、そもそもとしてそんなことが現実に可能ならばこの町の住人は全員が超一流の役者に違いないなと、モナはあまりにも非現実的な思考に少しだけ苦笑した。
 それから自身のあまりにも突飛な発想にああ、日々ルチアに毒されている……とわざと余計なことを考えては、「これ以上は先に進むな」と警鐘を鳴らす動物的な本能を理性で抑え込む。理由も分からないままに額と背中を伝う冷や汗から、目を背ける。
「いやあ、トーマスさんにいい報告出来そうだね!良かったよかった!!」
「……………………。」
「…………モナ?」
 モナは理由もなく頭の中を占める不安を掻き消そうと、必死に思考を巡らせる。けれど半ば捨てられるように放置された食事に装備、入口付近に放置されている本来激しい執着の対象である筈の略奪物、恐ろしいほどの静寂――|ま《・》|る《・》|で《・》|自《・》|分《・》|が《・》|亡《・》|命《・》|し《・》|た《・》|時《・》|の《・》|よ《・》|う《・》|だ《・》と、モナはふとそんなことを思った。それから考えれば考える程に募っていく不安から目を逸らそうと、小刻みに首を振った。
「え?……ああ、ごめんなさい。聞いてませんでした……。」
「もー、わざとじゃないとはいえ無視しないでよね〜!?」
「すみません。……少し、考え事をしてまして…。」
「考え事〜?……それならサクッと1番奥の部屋見て、外に出てからにしようよ。ここらへん地下だからさ、ちょっと空気薄いんだ。考え事するには向かないよ。」
「あっ、ちょっと!」
 すっかり洞窟の安全が保証されたものだと思い込んでいるルチアはモナの前に立つと、最早毎日のルーティンをこなすかのような軽快なノリで最奥の部屋を目指す。ルチルは主人の相変わらずなお気楽振りに、呆れたような顔をしながらトボトボと着いて行った。
 モナはそんな1人と1匹の後を慌てて追いかけながら、万が一に備えて手元の地図に視線を落とす。そこには『地盤沈下の疑い有り』『壁に亀裂有り。長時間の滞在禁止』という書き込みがなされていた。当然ルチアは知っているだろうが、改めて最奥の部屋にはあまり長居しない方が良さそうだと伝えようとモナは顔を上げるも、なんとも軽快な足取りの彼女の背中ははるか先だった。
「ルチアさん。奥の部屋、あんまり長居しない方が――。」
 モナはほんの少し目を離した隙に空いた距離を埋めようと小走りでルチアに駆け寄る。が、最奥の部屋の直前の長い直線のほぼ終点に居たルチアと未だ道半ばの自身とでは、仮に全速力で駆け抜けたところで直ぐに追いつくことは不可能だった。
 故にモナは直線の終点で左に曲がる背中に向けて声を掛けると、足元に気を付けつつ走るスピードを上げる。そしてルチアが視界から消えた数秒後にようやく自身も角に到着すると、とっくに最奥の部屋に到着しているルチアと早く合流しなければと足を緩めないまま左に曲がった。
「――――わっ?!ル、ルチアさん!?もう、危ないじゃないですか……!」
「……………………。」
「…………ルチアさん……?」
 けれど自身の予想に反してそこには何故か遥か先に居るはずのルチアの背中があったものだから、モナはその小さな背中にほぼ最高速度のまま突っ込む羽目になってしまった。一応は直前に慌てて幾らかスピードを緩めることに成功したものの、それでも身体全体に走った大きな衝撃と曲がり角の先で突っ立っていたルチアとに、モナは思わず驚きの声を上げる。
 が、普段ならばあれこれ軽快に文句にも似た軽口を告げる筈のルチアの唇は、モナが彼女にしては珍しく少々の怒気を含んだ声を上げても尚動くことはなかった。それどころか石のように硬直しているものだから、モナはそんなにも痛かったのだろうかと慌ててルチアの顔を覗き込む。
 すると彼女の顔は今まで見たことがないくらいに真っ青だったものだから、モナは本格的に心配した。そんなにも痛かったのかと申し訳ない気持ちになった。
 けれどそんなモナの視界の端、自分たちの数歩先に居るルチルが低い唸り声を上げながら尻尾をぴんと立てていることに気が付くと、モナはおそるおそる目線を動かす。
 床からルチルへ、ルチルからルチアへ。そしてルチアから真っ青な顔をした彼女の視線の先――最奥の小部屋へと視線を向けた。
(……ウソ……。あれって、トロール……!?)
 モナはルチアの視線を辿った先の光景に、思わず言葉を無くした。それもそのはず、そこに広がっていたのは到底現実のものとは思えない惨状だった。小部屋前の通路から入口にかけて散乱したオークやゴブリンといった低級モンスターたちの死体とそれを手当り次第貪る巨人の背中、バリボリと響く骨が砕ける音。それに混じってびちゃり、ぼとりと発生する音は血が滴る音のようだった。
 おまけに巨人の周囲に散乱している死体はただそこに在るのではなく、頭部や四肢が欠けた上で積み重なるように散乱していた上に当然あたりは血の海だったものだから、モナは気分が悪くなるのを感じた。これは天真爛漫なルチアと言えども顔を真っ青にするはずだと、ある種混乱しすぎて冷静ですらいた。と同時に鼻腔を突き抜ける強烈な鉄の臭いに、もしや洞窟に入った時から感じていた表現しがたい悪臭はこれだったのかと納得すると、なるほど、これはある意味気が付けなくても当然だなと失笑した。
 加えてこれまでの道中で見掛けた半ば捨てるように放置されたモンスターたちの食事や装備、あるいは村からくすねてきた盗品の数々がそのままであったことにようやく合点がいくと本能が鳴らしていた警鐘、即ち自分がなんとなくではあるものの感じていた違和感とはまさにこの状況――『かつての自分のようにモンスターたちがこぞって亡命している』という事実に他ならないのだと悟ると、思わず背筋がぞくりと粟立つのを感じた。それは図らずとも再演されることとなった過去の恐怖、絶望あるいは失望からだった。
(――――あの時のわたしと、同じだ…。)
「…………モ、モナ。あれ……!」
「落ち着いて下さい、ルチアさん。――いいですか。声や物音を立てずに、ゆっくり。このまま後ろに下がりますよ。」
「う、うん、分かった。……ルチル!」
 但し不幸中の幸いとも言うべきか、巨人はこちらに背を向けている。このままゆっくりと後退し、すぐそこの角を曲がってしまえば取り敢えずの危険は回避出来そうだった。故にモナは素直な反応を示したがる唇を噛み締め、悲鳴を飲み込むと腕に爪を立てた。そして痛みで正常な意識を繋ぎ止めては冷静になれ、冷静になれと自身に言い聞かせる。その甲斐あってか悲鳴は喉の奥でくしゃりと潰れた後、粘膜に張り付いた。モナはそれを唾ごと飲み込むと、すかさず迫り来る過去と目の前の現実を振り切るべくルチルとルチアに退避を命じた。
「…………あっ……!」
 1歩、2歩、3歩――なるべく音を立てないように、後退りながら4歩目を踏み出そうとした瞬間だった。これまでなんとか必死に平静を保とうとしていたルチアだったが、許容範囲外の恐怖にとうとう足がもつれて転んでしまった。転倒自体はゆっくりと後退していた上に、尻もちを着くような形だったがために外傷は殆どない。但しその着いた際に上げてしまった声が問題だった。
 それまで夢中になって死肉を漁っていた巨人はルチアの声に一瞬ピタリと動きを止めた。洞窟内に静寂が訪れる。けれどそれも一瞬のことで、すぐさまトロールは両手に掴んでいた肉塊から手を離すと、新鮮な獲物の声にゆっくりと振り向いた。そして知能を感じない濁った瞳と、醜く肥大した身体とをこちらを向けると、その大きな口を血で染まった歯が見える程にニヤリと歪ませた。
(……………………やるしかない。)
 モナは巨人――トロールがこちらに狙いを定め、脇に置いていた巨大なハンマーを手に取るのを目にした瞬間、咄嗟に覚悟を決めた。出来れば決めたくはない覚悟だったが、それでもなんとか踏ん張って、なけなしの勇気を振り絞って、決めた。決めるや否や、モナは震える手のひらでワンドを必死に握り締めると、足を大きく踏み出してトロール目掛けて駆け出した。
「ルチル!ルチアさんを連れて逃げて!!」
「モナ!?」
 トロールはこちらへ駆け出してくるモナ目掛けて、手にしているハンマーを思い切り投げ付けて来た。モナは避けようとするも、今ここで自分が避けてしまうと背後に居るルチアとルチルに直撃してしまうことに気が付くと、咄嗟に壁とハンマーとを|縫い付ける魔法《クチーレ》で縫い付けた。
 しかしながら半ば反射的に放った魔法では、到底人間の扱える重量ではないそれを縫い付けておけるのはほんの数秒だった。|縫い付ける魔法《クチーレ》の効果時間が切れた瞬間、勢いを無くしたハンマーは壁にめり込む。そして天井や壁からポロポロと土埃と石との雨を降らせた。
「無理だよ、モナ!ねえ、一緒に逃げよう!?」
「――逃げて。」
 モナは土埃が目眩しになっているこの瞬間に、トロールの次の攻撃に備えて魔力を練る。恐らくではあるものの、次の一手は武器を取り返そうとこちらに向かってくると予想して、モナは反対の壁とトロールとを縫い付けるべく手元のワンドに魔力を集める。
 そんなモナにルチアはあまりの衝撃と恐怖に腰を抜かすと尻もちをついた体勢のまま、土埃の中へと向かって必死に声を上げた。モナは心の中でそんな無茶を言わないでよ、と呟く。ひとたび心の中で不満を口にすれば、いよいよ勝手なことばっかり言ってと実際に文句のひとつでも言いたくなってしまった。
 が、モナはそれをぐっと堪えると代わりに再度逃げるように命じる。それは恐らく直前のルチアの様子からして、自分で立つことがほぼ不可能であろう彼女を抱えながら逃げ切れるわけがないと踏んでのことだった。
 ……であれば、自分がここに残ってトロールを足止めして、なんとかルチアとルチルが逃げる時間を稼いだ方が現実的だとモナは考える。ルチルは小型犬かつ老犬ではあるものの、よく鍛えられている犬だ。時間を掛ければルチア1人であれば、安全な場所まで引き摺っていけるだろう。そして賢いルチルのことだから、主人を安全な場所まで避難させれば次は町の誰かを呼んできてくれるはずだ。
 モナはそう踏む、もといルチルの賢さに賭けることにすると、土埃が晴れるや否や案の定こちらへ向かって突進してきたトロールの背中と反対側の壁とを縫い付けた。
「モナ!!」
 背中を縫い付けられたトロールは狩りが上手くいかないことに苛立っているのか、はたまた手応えのある狩りを楽しんでいるのだろうか。その自由な長い両腕を、狭い通路で子供が駄々を捏ねるように思うがままに振り回す。拳が壁や天井に当たる度に大きな音が生まれ、壁がボロボロと崩れては小石が互いの身体に当たった。モナは思わず呻き声を零した。
 ルチアは壁が崩れる度に洞窟内に響く大きな音と、その度に聞こえてくるモナの悲痛な声に思わず何度も何度もその名前を呼ぶ。甲高い、鼓膜と脳に響く声で必死に叫ぶ。トロールはどうやらそうやってルチアがモナの身を案じるのも面白いようで、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべると次第に悪戯に両腕を振り回し始めた。加えてオークよりは知能があるのか、大きな足で地団駄を踏んではルチア自体の悲鳴も強請った。
「モナ!!」
「……逃げて。」
「でも……!」
「――――いいから!!」
 恐怖と混乱とに取り乱すルチアとは反対に、モナは再度冷静に通告する。けれど土埃の向こうから返ってくるのは相変わらずの返答で、モナは彼女にしては珍しく苛立ちながら声を上げた。それは自分を助けてくれた命の恩人だけは、自分と違って悲しむ人がいる彼女だけは、なんとしてでも生かして逃がしたいという感情だった。そしてそれはモナにとってルチアに対する優しさや憐れみではなく、もっと大きなもの――使命感と表現するに相応しい感情だった。
 とはいえ、常にどこか頭の中に冷静さを保つようにしているモナは、情に厚いルチアが直ぐに逃げるわけがないことも理解していた。故に天井目掛けて自身の足元に転がっていたオークの頭部を拾うと、トロールを縫い付けていた|縫い付ける魔法《クチーレ》が切れたタイミングを狙ってそれを放り投げる。するとオークよりかは幾分か賢いとはいえ、基本的には本能のままに生きているトロールはモナの狙い通り彼女よりも眼前を過ぎった動くモノ目掛けて、天井目掛けて出鱈目に両腕を振り回してくれた。その結果、地図に記されていた通り脆くなっている最奥一帯の地盤は呆気なく崩れ、土砂の山が出来た。
 ――つまりは自分たちとルチアとの間に、物理的な壁が出来上がったのだった。
「…………さて、ここからどうしようかなぁ…。」
 モナはこれで一先ずは自分が殺されてしまったとしても、今すぐにルチアに危害が及ばなくなったことにほっと胸を撫で下ろす。次いで改めてワンドを握り締める右手に力を込めると、いよいよ撤退の術もなくなってしまったな、とぼやきながら眉を下げた。続けてどうしようもなくなってしまったなあと瞳を伏せた。
 けれど悲しげに下げられた眉と細められた瞳とは反対に、モナの口元は大切な人を守れたという事実に微笑んでいた。それから「こうなればやれるところまでやるしかない」と改めて覚悟を決めると、モナはどうにか逃げる方法はないかと足掻く思考を押し殺すかのように、震える唇で歪な弧を描いた。