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14_ユミル洞窟(3)

ー/ー




 ルチアの後を慎重に追いかけ続けること数分。特にモンスターに出会うこともなく、2人と1匹は第一の目的である三叉路手前に到着した。そして三又に分かれた道の先にモンスターが居ないか暫し注意深く目で、耳で、そして嗅覚で執拗と思えるくらいに観察した後に、まずはルチアが愛犬へ先に進むようにと指示を出した。
 ルチルは主人の命令を受け、いつでも飛びかかれるようにと姿勢を低くしながら先に進む。可愛らしい外見に反して、いつでも相手に致命傷を与えられるようにと剥き出しにされた牙は正しく猟犬のそれだった。その後ろでルチアは念の為にと、壁を背に弓と矢に手を掛けて万が一に備える。モナはさらにその後ろでワンドを握り締めては、どうか何事もありませんようにと必死に祈る。

 その祈りが通じたのかは分からないものの、数分前に先発隊として奥に進んだルチルは突き当たりにてルチアの調教通りに3回低く唸る。洞窟を抜ける風の音に酷似したその声は、ルチアとルチルの間においてのみ通じる『異常なし』の合図だった。

「……よし。大丈夫みたい。行こっか。」
「はい!……良かった…。」
 
 ルチアが弓矢から手を離したのを見届けてから、モナはゆっくりとワンドを握り締めていた手の力を抜いた。それから張り詰めていた緊張の糸を弛めるようにゆっくりと安堵の息を吐くと、そうっと未だ早鐘を打つ胸を撫でた。
 それは依然として気の抜けない状況ではあるもののモンスターとの戦闘にならなかったこと、ひいては町で会う度にこちらを上目遣いで見つめては遠慮がちに尻尾を振る、あの可愛らしいルチルが傷つくようなことがなくて良かったという一心だった。

 とはいえ危険な場所に身を置いていることに何ら変わりがないことを自覚しているモナは、決してワンドから手を離さない。加えて背後にも充分に気を配りつつ、ルチアに続いて三叉路のうちの1本の最奥へと進んでいった。

(……酷い臭い…。)
 
 入口から見て左手にあたるそこは、どうやら牧場を囲うように流れている小川から分かれた死水域のようだった。水の流れが全くないそこはどうやら排泄場所として使われているようで、モナは近付くにつれて強くなる鼻を刺すような不快な臭いに若干気分が悪くなる。肥料とはまた違う、不快指数の高い独特の刺激臭に殆ど反射的に鼻を覆いながらもモナは洞窟内に入った時から感じていた不快な臭いの正体が澱んだ水とモンスターの排泄物とが混じったものであることを悟った。
 と同時にモナはなるほど、これはモンスターがこの洞窟を巣穴にするのも頷けると納得する。

 時折隙間から吹き込む強烈な突風は出口のない洞窟内を彷徨った結果、意図せずともこの不快な臭いを洞窟内に満遍なく充満させる。人間にとっては不快極まりない臭いだが、彼らにとっては大した問題ではないのかもしれない。それどころか臭いのおかげで人間が滅多に近寄らないようになることを考えると、ここは彼らにとっては楽園なのだろう。
 
 ――太陽の光の届かない、カビと排泄物との臭いで満たされた暗く澱んだ洞窟が楽園とはなんたる皮肉だろうか。
 
 モナは別段哲学を好んでいるわけではない。かといって宗教家なわけでもない。それでも生き物にとっての幸せとは何なのか、生きるということはどういうことなのだろうかとふと考えられずにはいられなかったのは、この過酷な環境が故だった。

(……………………、分からない……。)
 
 片や記憶喪失と嘘をつき、町の人々の親切を受け、ぬくぬくと暮らすばかりか充実感や幸福さえも感じてしまっている自分と、この薄汚い世界の隅でコソコソと隠れるように生きる彼ら。
 どちらも生存戦略と言ってしまえばそれまでかもしれない。生き物には総じて生き残るためにより過酷な環境や状態を本能的に選択し、適応し、それに合わせて進化してきた歴史があるのだ。それを踏まえるとモンスターたちがこの洞窟に住み着くのも、ある種正当な進化といえば進化だった。それを外野がやれ可哀想だのやれ非効率的だの、どうこう言う権利などというものは最初から有していないのだ。言ってしまえば、お門違いなのだ。
 
 とはいえ、頭ではそう理解していてもモナは胸の奥が無性にモヤモヤするのを無視出来なかった。かといってどう言い表したら良いのかも、そもそもとして言い表すべきなのかも分からなかった。
 それから道理としてはおかしいと自覚しながらも、久々に両親の死も忘れては呑気に安寧というものを覚えてしまった自分を酷く気持ちが悪い存在だと心の底から感じると、思わず視線を伏せた。何も言えずに、ただ押し黙った。その行動に特別な理由なんてない。ただ口を噤んだに過ぎない。
 ただ強いて言うならば、モナはこうやって感傷に浸る自分さえもどうしようもなく気持ちが悪かった。自分はもうこの町の住人だと宣いながらも未だ抜けない、モンスターたちや昔からそうやってこの地で暮らしてきたルチアたちを無意識に見下しているような、お高くとまっている都会人としての意識がただひたすらに気持ち悪かった。恐ろしかった。

「モナ、どうかした?…………もしかして、暗いところや狭いところ、苦手だった?」
「――いえ。すみません、大丈夫です。……先に進みましょう。」

 微動だにしないモナを心配してか、ルチアはこの陰鬱とした洞窟には似つかわしい陽だまりのような優しさを言葉にするとそうっと差し出してきた。
 モナはそれを有難く思う反面、今の自分に彼女の感情に応える権利などないのだと眉を下げると、ガラスの埃を払うようにして押し退けた。それから曖昧に笑いながら再度大丈夫だと伝えると、ルチアはそこまで言うのならと引き下がった。代わりに三叉路のうちの次なる行き止まりへと向かうようにルチルに指示を出すと「無理しないでね?」とまるで母親のような、はたまたオレンジピールのような際限のない甘さを向けてくれるものだから、モナはますます困ってしまう。

 果肉の部分は柑橘特有の爽やかさとたっぷりの砂糖とで寧ろ心地が良い甘ったるさなのに、不意に齧り付いた皮はほんのり苦い。
 ――その苦さが大人の証だと他人はいうけれど。モナにとってはまだまだ避けるか、あるいはたっぷりのチョコレートでコーティングしなければ飲み込むことはおろか咀嚼すらも出来ない、なんとも厄介な子供の部分だった。

「ワウ!!」
「……よしよし。もう一方の突き当たりも大丈夫みたいだね。行こうか。」
「はい。」

 咀嚼することも、かといって丸呑みすることも出来ずに口の中に留まったままのオレンジピールは静かに苦味を主張する。モナはきっとこの苦味さえもいつかは慣れてしまえるから、と今にも吐き出したい気持ちに蓋をするとルチアに続いた。
 慣れる日が来るのかも、いつか飲み込める日が来るのかどうかも、モナは今は敢えて考えないことにした。代わりにルチアと共にルチルが切り開いてくれた道を、なるべく物音を立てずに進むことに意識を向けることにした。

「……あの、もし仮にですけど、盗品があった場合はどうするんですか?持てるだけ持って帰った方がいいんでしょうか?」
「うんうん。本当にいいところに気がつくねえ、君は!」

 その際にふっと湧いて出た疑問にモナは意識的に意識を向けると、ルチアに問い掛けた。するとルチアは相変わらず目の付け所が良いモナに何度か感動したように頷いてから、何故か誇らしげな表情を浮かべる。それからまだ直線距離にして数メートルしか進んでいないとはいえ、モンスターの姿がないことに幾らか警戒心を弛めたのか。あるいは表情の固いモナを安心させようと思ったのかは定かではないものの、ルチアはタコだらけの手のひらでモナの背中をバシバシと叩いてから軽快と豪快の間のような笑い声を零す。
 この陰鬱な場所に似つかわしくないほどに普段の調子で接してくれるルチアに、モナはこれじゃあルチルに先を見てきて貰った意味がないんじゃあ…と若干呆れる。そしてルチアの目論見通りかはさておき、まんまと彼女のペースに巻き込まれてしまうと苦笑を零す。それから困ったように眉を下げると、同じくいつもの通りに曖昧な笑みを浮かべた。

「そのギモン。ズバリ!お答えしましょう!
 つい自分の物やみんなの物を見つけたら持ち帰りたくなるのが人間の性だけど、今回は我慢。モンスターは知能も記憶力も低いけど、代わりに一度『自分の物』認定した物に対してはめちゃくちゃ執着するんだ。
 ――つまり、絶対に手を出しちゃダメだからね?!敵認定された上で、地の果てまで追い掛けられるから!!」
「へえ、そうなんですね。先に聞いておいて良かったです……!!」
「そうでしょう、そうでしょう!」

 果たして何度目の得意顔だろうか。モナはモンスターに対する教科書的な知識……それこそ帝国の掲げる領土拡大という目標に際して、モンスター討伐のために彼らの生態や危険度といったものは知っていた。しかし実生活に関連した生きた知識というものは、総じてからきしだった。
 故にモナは生活に根付いた彼らの特徴と特性を披露するルチアに素直に感すると共に、思わず感嘆の声を漏らした。ルチアはどこか品のあるモナの、恐らくは素の反応にますます鼻高々に胸を張ると「まあね?」と気取った風に格好つける。
 
(…………というか、そんなに危険なら先に教えてくれても良かったのでは…?)

 ルチアが「もっと尊敬してくれてもいいんだよ?」と意気揚々とモナの顔を覗き込んだまさにその瞬間だった。もう一方の突き当たりの先、確かに町から盗ってきたであろう文明を感じる品々を前に、モナはふとそんなことを思ってしまった。つまりは、図らずとも危険に片足を突っ込んでいたことに気がついてしまったのだ。
 ルチアの性格から推測するに、恐らくはモナが盗品の数々に手を出そうとする瞬間までにはどこかのタイミングで教えてくれる気ではあったとは思うものの、下手をすればそれこそ彼女の言う通り地の果てまで追いかけられかねない状況だったことに変わりはない。モナは今更ながらも肝が冷えるのを感じると、若干引きつった愛想笑いを浮かべた。なんとか唇から漏らした笑い声は、少々……否、かなり震えていた。

「……あの、ルチアさん。提案なんですが、もし良ければここからはわたしが先頭に立ってもいいですか?」
「え、なんで?危ないよ?」
「それは、まあ……百も承知なんですが…………。」
 
 モナは普段の生活においてはルチアの気楽で調子者な性格は重宝するものの、この一件でこと危険と隣合わせの状況においては自分が主導権を握るべきだという結論に達すると、ルチアに隊列の交換を持ちかけた。とはいえ、まさか「あなたに先頭を任せる方が怖い気がしたので」とは言えまい。故にモナは慎重に言葉を選ぶと口を開いた。

「あの。入口付近には、モンスターがまったく居なかったじゃありませんか。」
「うん、そうだね。普段、討伐隊の人に道案内する時はもううじゃうじゃいるんだけどね。今回は珍しいかも。」
「…………ということはですよ?もしかしたら、モンスターたちは奥の方に集まっているのかもしれません。その場合に備えて、一応は魔法が使えるわたしが先導する形にしたいんですが……構いませんか?」
「ああっ!た、確かに……!!」
 
 モナは慎重かつ大胆に、それでいて最もな適当な理由――入口付近の浅層にモンスターが居ないということは奥にそれだけの数のモンスターがひしめき合っている可能性を提示する。無論、その可能性とて少なくはない。事実ルチアは過去に何度か同じような経験をしていた。
 勿論モナはそんなことを知る由もないが、幸か不幸か。あるいは偶然か運命か、まるで狩人が獲物を狙い撃つように過去に存在した状況をピンポイントで指摘されたルチアは、モナの頭の良さ口の上手さ、なによりも彼女の単純さも相まってあっさり言いくるめられると先頭を譲った。

「……よし。それじゃあ、先に進みましょうか――。」

 隊列の交換と機動力を考慮し、役割を交換した2人は今度はモナを先頭に三叉路のうちのひとつ、奥に続く道を歩き始める。人間の建築基準に当て嵌めるのならば半地下か、あるいは地下かに相当するであろう傾斜の先には、モナでなくとも恐怖を覚えるほどの暗闇が広がっていた。


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 ルチルは主人の命令を受け、いつでも飛びかかれるようにと姿勢を低くしながら先に進む。可愛らしい外見に反して、いつでも相手に致命傷を与えられるようにと剥き出しにされた牙は正しく猟犬のそれだった。その後ろでルチアは念の為にと、壁を背に弓と矢に手を掛けて万が一に備える。モナはさらにその後ろでワンドを握り締めては、どうか何事もありませんようにと必死に祈る。
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「……よし。大丈夫みたい。行こっか。」
「はい!……良かった…。」
 ルチアが弓矢から手を離したのを見届けてから、モナはゆっくりとワンドを握り締めていた手の力を抜いた。それから張り詰めていた緊張の糸を弛めるようにゆっくりと安堵の息を吐くと、そうっと未だ早鐘を打つ胸を撫でた。
 それは依然として気の抜けない状況ではあるもののモンスターとの戦闘にならなかったこと、ひいては町で会う度にこちらを上目遣いで見つめては遠慮がちに尻尾を振る、あの可愛らしいルチルが傷つくようなことがなくて良かったという一心だった。
 とはいえ危険な場所に身を置いていることに何ら変わりがないことを自覚しているモナは、決してワンドから手を離さない。加えて背後にも充分に気を配りつつ、ルチアに続いて三叉路のうちの1本の最奥へと進んでいった。
(……酷い臭い…。)
 入口から見て左手にあたるそこは、どうやら牧場を囲うように流れている小川から分かれた死水域のようだった。水の流れが全くないそこはどうやら排泄場所として使われているようで、モナは近付くにつれて強くなる鼻を刺すような不快な臭いに若干気分が悪くなる。肥料とはまた違う、不快指数の高い独特の刺激臭に殆ど反射的に鼻を覆いながらもモナは洞窟内に入った時から感じていた不快な臭いの正体が澱んだ水とモンスターの排泄物とが混じったものであることを悟った。
 と同時にモナはなるほど、これはモンスターがこの洞窟を巣穴にするのも頷けると納得する。
 時折隙間から吹き込む強烈な突風は出口のない洞窟内を彷徨った結果、意図せずともこの不快な臭いを洞窟内に満遍なく充満させる。人間にとっては不快極まりない臭いだが、彼らにとっては大した問題ではないのかもしれない。それどころか臭いのおかげで人間が滅多に近寄らないようになることを考えると、ここは彼らにとっては楽園なのだろう。
 ――太陽の光の届かない、カビと排泄物との臭いで満たされた暗く澱んだ洞窟が楽園とはなんたる皮肉だろうか。
 モナは別段哲学を好んでいるわけではない。かといって宗教家なわけでもない。それでも生き物にとっての幸せとは何なのか、生きるということはどういうことなのだろうかとふと考えられずにはいられなかったのは、この過酷な環境が故だった。
(……………………、分からない……。)
 片や記憶喪失と嘘をつき、町の人々の親切を受け、ぬくぬくと暮らすばかりか充実感や幸福さえも感じてしまっている自分と、この薄汚い世界の隅でコソコソと隠れるように生きる彼ら。
 どちらも生存戦略と言ってしまえばそれまでかもしれない。生き物には総じて生き残るためにより過酷な環境や状態を本能的に選択し、適応し、それに合わせて進化してきた歴史があるのだ。それを踏まえるとモンスターたちがこの洞窟に住み着くのも、ある種正当な進化といえば進化だった。それを外野がやれ可哀想だのやれ非効率的だの、どうこう言う権利などというものは最初から有していないのだ。言ってしまえば、お門違いなのだ。
 とはいえ、頭ではそう理解していてもモナは胸の奥が無性にモヤモヤするのを無視出来なかった。かといってどう言い表したら良いのかも、そもそもとして言い表すべきなのかも分からなかった。
 それから道理としてはおかしいと自覚しながらも、久々に両親の死も忘れては呑気に安寧というものを覚えてしまった自分を酷く気持ちが悪い存在だと心の底から感じると、思わず視線を伏せた。何も言えずに、ただ押し黙った。その行動に特別な理由なんてない。ただ口を噤んだに過ぎない。
 ただ強いて言うならば、モナはこうやって感傷に浸る自分さえもどうしようもなく気持ちが悪かった。自分はもうこの町の住人だと宣いながらも未だ抜けない、モンスターたちや昔からそうやってこの地で暮らしてきたルチアたちを無意識に見下しているような、お高くとまっている都会人としての意識がただひたすらに気持ち悪かった。恐ろしかった。
「モナ、どうかした?…………もしかして、暗いところや狭いところ、苦手だった?」
「――いえ。すみません、大丈夫です。……先に進みましょう。」
 微動だにしないモナを心配してか、ルチアはこの陰鬱とした洞窟には似つかわしい陽だまりのような優しさを言葉にするとそうっと差し出してきた。
 モナはそれを有難く思う反面、今の自分に彼女の感情に応える権利などないのだと眉を下げると、ガラスの埃を払うようにして押し退けた。それから曖昧に笑いながら再度大丈夫だと伝えると、ルチアはそこまで言うのならと引き下がった。代わりに三叉路のうちの次なる行き止まりへと向かうようにルチルに指示を出すと「無理しないでね?」とまるで母親のような、はたまたオレンジピールのような際限のない甘さを向けてくれるものだから、モナはますます困ってしまう。
 果肉の部分は柑橘特有の爽やかさとたっぷりの砂糖とで寧ろ心地が良い甘ったるさなのに、不意に齧り付いた皮はほんのり苦い。
 ――その苦さが大人の証だと他人はいうけれど。モナにとってはまだまだ避けるか、あるいはたっぷりのチョコレートでコーティングしなければ飲み込むことはおろか咀嚼すらも出来ない、なんとも厄介な子供の部分だった。
「ワウ!!」
「……よしよし。もう一方の突き当たりも大丈夫みたいだね。行こうか。」
「はい。」
 咀嚼することも、かといって丸呑みすることも出来ずに口の中に留まったままのオレンジピールは静かに苦味を主張する。モナはきっとこの苦味さえもいつかは慣れてしまえるから、と今にも吐き出したい気持ちに蓋をするとルチアに続いた。
 慣れる日が来るのかも、いつか飲み込める日が来るのかどうかも、モナは今は敢えて考えないことにした。代わりにルチアと共にルチルが切り開いてくれた道を、なるべく物音を立てずに進むことに意識を向けることにした。
「……あの、もし仮にですけど、盗品があった場合はどうするんですか?持てるだけ持って帰った方がいいんでしょうか?」
「うんうん。本当にいいところに気がつくねえ、君は!」
 その際にふっと湧いて出た疑問にモナは意識的に意識を向けると、ルチアに問い掛けた。するとルチアは相変わらず目の付け所が良いモナに何度か感動したように頷いてから、何故か誇らしげな表情を浮かべる。それからまだ直線距離にして数メートルしか進んでいないとはいえ、モンスターの姿がないことに幾らか警戒心を弛めたのか。あるいは表情の固いモナを安心させようと思ったのかは定かではないものの、ルチアはタコだらけの手のひらでモナの背中をバシバシと叩いてから軽快と豪快の間のような笑い声を零す。
 この陰鬱な場所に似つかわしくないほどに普段の調子で接してくれるルチアに、モナはこれじゃあルチルに先を見てきて貰った意味がないんじゃあ…と若干呆れる。そしてルチアの目論見通りかはさておき、まんまと彼女のペースに巻き込まれてしまうと苦笑を零す。それから困ったように眉を下げると、同じくいつもの通りに曖昧な笑みを浮かべた。
「そのギモン。ズバリ!お答えしましょう!
 つい自分の物やみんなの物を見つけたら持ち帰りたくなるのが人間の性だけど、今回は我慢。モンスターは知能も記憶力も低いけど、代わりに一度『自分の物』認定した物に対してはめちゃくちゃ執着するんだ。
 ――つまり、絶対に手を出しちゃダメだからね?!敵認定された上で、地の果てまで追い掛けられるから!!」
「へえ、そうなんですね。先に聞いておいて良かったです……!!」
「そうでしょう、そうでしょう!」
 果たして何度目の得意顔だろうか。モナはモンスターに対する教科書的な知識……それこそ帝国の掲げる領土拡大という目標に際して、モンスター討伐のために彼らの生態や危険度といったものは知っていた。しかし実生活に関連した生きた知識というものは、総じてからきしだった。
 故にモナは生活に根付いた彼らの特徴と特性を披露するルチアに素直に感すると共に、思わず感嘆の声を漏らした。ルチアはどこか品のあるモナの、恐らくは素の反応にますます鼻高々に胸を張ると「まあね?」と気取った風に格好つける。
(…………というか、そんなに危険なら先に教えてくれても良かったのでは…?)
 ルチアが「もっと尊敬してくれてもいいんだよ?」と意気揚々とモナの顔を覗き込んだまさにその瞬間だった。もう一方の突き当たりの先、確かに町から盗ってきたであろう文明を感じる品々を前に、モナはふとそんなことを思ってしまった。つまりは、図らずとも危険に片足を突っ込んでいたことに気がついてしまったのだ。
 ルチアの性格から推測するに、恐らくはモナが盗品の数々に手を出そうとする瞬間までにはどこかのタイミングで教えてくれる気ではあったとは思うものの、下手をすればそれこそ彼女の言う通り地の果てまで追いかけられかねない状況だったことに変わりはない。モナは今更ながらも肝が冷えるのを感じると、若干引きつった愛想笑いを浮かべた。なんとか唇から漏らした笑い声は、少々……否、かなり震えていた。
「……あの、ルチアさん。提案なんですが、もし良ければここからはわたしが先頭に立ってもいいですか?」
「え、なんで?危ないよ?」
「それは、まあ……百も承知なんですが…………。」
 モナは普段の生活においてはルチアの気楽で調子者な性格は重宝するものの、この一件でこと危険と隣合わせの状況においては自分が主導権を握るべきだという結論に達すると、ルチアに隊列の交換を持ちかけた。とはいえ、まさか「あなたに先頭を任せる方が怖い気がしたので」とは言えまい。故にモナは慎重に言葉を選ぶと口を開いた。
「あの。入口付近には、モンスターがまったく居なかったじゃありませんか。」
「うん、そうだね。普段、討伐隊の人に道案内する時はもううじゃうじゃいるんだけどね。今回は珍しいかも。」
「…………ということはですよ?もしかしたら、モンスターたちは奥の方に集まっているのかもしれません。その場合に備えて、一応は魔法が使えるわたしが先導する形にしたいんですが……構いませんか?」
「ああっ!た、確かに……!!」
 モナは慎重かつ大胆に、それでいて最もな適当な理由――入口付近の浅層にモンスターが居ないということは奥にそれだけの数のモンスターがひしめき合っている可能性を提示する。無論、その可能性とて少なくはない。事実ルチアは過去に何度か同じような経験をしていた。
 勿論モナはそんなことを知る由もないが、幸か不幸か。あるいは偶然か運命か、まるで狩人が獲物を狙い撃つように過去に存在した状況をピンポイントで指摘されたルチアは、モナの頭の良さ口の上手さ、なによりも彼女の単純さも相まってあっさり言いくるめられると先頭を譲った。
「……よし。それじゃあ、先に進みましょうか――。」
 隊列の交換と機動力を考慮し、役割を交換した2人は今度はモナを先頭に三叉路のうちのひとつ、奥に続く道を歩き始める。人間の建築基準に当て嵌めるのならば半地下か、あるいは地下かに相当するであろう傾斜の先には、モナでなくとも恐怖を覚えるほどの暗闇が広がっていた。