表示設定
表示設定
目次 目次




10_食堂『ニーナ・ニーナ』

ー/ー




 図書館にて、先人たる亡霊との邂逅を果たしてから数日後。あの日の雨が嘘のように晴れ渡る空の下、モナは畑仕事の合間にふと手を止めて顔を上げると、いつの間にか太陽が頭上高く昇っていることに気がついて目を細めた。

(……たまには、食堂で食べようかな。)

 モナは畑のゴミを集めるためのレーキを出荷箱に立て掛けると、ふうと息をつく。それから普段節約のために自炊しているものの、なんとなく――それこそ作物で金銭を得るなんてまだまだ先とは分かっているものの、あまりにも切り詰めすぎた生活と、それとは反対に詰め込みすぎている仕事に『幾らバルナバとルチアに大いに世話になっているとはいえ、たまには贅沢したって許されるのでは?』と、一瞬でも思ってしまったのだ。
 無論、普段のモナなら「一瞬とはいえ、わたしはなんてことを……!」とすぐさま自制するだろうが、生憎ここ数日は身体はともかく、心が疲れ切っていた。それは言わずもがな、自身が帝国出身であることがロレンシオにバレた、もとい読み取られてしまったからだった。

 なんでもロレンシオ曰く相手の思考を明確に読み取れるのは自分のように何百年も生きた純血種のエルフぐらいで、現代のエルフの多くは何世代も掛けて少しずつ他種族の血が混じるようになったために、彼ほどの思考透視能力はないらしい。
 が、モナにとって問題なのはそういうことではなかった。今後ロレンシオの機嫌を損ねるようなことがあれば、いつ自分の語ってきたことが嘘だと暴露されてもおかしくない状況が問題なのであった。

(黙っててくれるとは約束してくれたけど、信じていいのかなあ…?)

 モナはふと、当然の不安に駆られる。しかしながら、頭の中では分かっているのだ。自身の秘密を暴露したところでロレンシオが得することなど何もないこと、寧ろ冷静になって思考すれば思考する程にロレンシオはモナが勝手に思い描いているような腹黒ではなく、逆にとても良いエルフだということ――だってそうでなければ「もしも今後、周囲に嘘をついていることが苦しくなった時は、是非いらっしゃってください。同じ帝国出身者だからこそ話せることも理解出来ることも、あると思います。」だなんて台詞が出てくるとは思えないのだ。
 しかしながらそれでも不安になってしまうのが心配性の自分の悪いところだなと、モナは快晴の空とは反対に重くじっとりとしたため息を吐く。それからルチアのように真っ直ぐで素直な子になりたいなあとボヤくと、土埃を払ってから財布の中に入っている金額を確認した。





「あ、モナちゃん。……ごはんたべにきたの?」
「うん。たまにはアンナさんのご飯が食べたくなっちゃって。」
「……みんな、おかあさんのごはんめあて。ニーナは?なんでみんな、ニーナとはあそんでくれないの?」

 イルクオーレのメインストリート、即ち町の中心部にある食堂『ニーナ・ニーナ』の店前にて、モナは店先で退屈そうにシャボン玉を飛ばしていたニーナ――この食堂の名前と同じ、まだ5歳になったばかりだという看板娘からなんとも不運なことに、常日頃の不満をぶつけられてしまった。
 まだまだ甘えたい盛りのニーナは、恐らく今日も今日とて忙しい母親に構って貰えなくて不貞腐れているのだろう。それでいて同世代のレックスのように思い切って川や山に遊びに行かずに店先から忙しそうに働く母親を時折心配そうに見ているのだから、なんとも可愛らしくていじらしい。拗ねながらも心はいつも母親にあるニーナに、モナはついくすくすと笑ってしまった。

「もう!なんでみんな、ニーナのことみてわらうの!!」

 そんなモナにニーナはますます不貞腐れてしまう。が、どうやらそんなニーナの言動から察するに、店内に居る客の殆どが自分と同じように母を思う彼女のひたむきさや愛らしさについ頬を緩めてしまったらしいと悟ったモナは、途端に胸の奥がポカポカとあたたかくなるのを感じると目を細めた。
 それからその場にしゃがみこみ、ニーナと同じ目線の高さになると頬を膨らませては怒っていることをアピールしているその小さな両肩に優しく触れた。
 
「ごめんごめん。……お詫びに、ご飯食べた後に遊ぼう?何がしたい?」
「ほんとう?」
「うん、本当。約束。」
「じゃあね、じゃあね〜…、てんいんさんごっこ!」
 
 拗ねた表情から一転、モナが自分と遊ぶ意思があると理解した途端に目を輝かせては満面の笑みを浮かべるニーナにモナは現金だなあと苦笑する。けれど同時に遊びの約束ひとつでこんなにも喜べる純粋さと、一瞬逡巡した後に選んだ『店員さんごっこ』からニーナが母親と母親の店をどれだけ大切に思っているのかが手に取るように理解出来てしまうと、意識とは関係なく再度頬が緩んだ。

「いちめいさま、ごあんないしま〜す!」
「…………あはは……。」

 食後と約束したものの早速始まる『ごっこ遊び』に、モナは苦笑しながらも快く付き合う。注意することも可能だったが、敢えてそれをせず付き合うことにしたのは遊びたいと口にするニーナの根底にある、母親の力になりたいという気持ちが透いて見えるからこそだった。

「おきゃくさま、あいせきでもよろしいですか〜?」
「うん、いいよ。」
「ありがとうございま〜す!それではこちらにど〜ぞ!」

 ニーナはモナの手を取ると、扉を押して開ける。そして先にモナの想像以上に盛況している店内を見渡すと、迷うことなく一丁前な台詞を口にした。モナはそれだけで如何にニーナが母親であるアンナの仕事をよく観察しているのかますます理解すると同時に、その様子が目に浮かんでしまうとふふっと小さな笑いを零した。次いでふたつ返事でそれを了承する。が、幸いなことに遊び相手が出来たことで上機嫌になったのか、ニーナはモナが幾ら笑みを零そうとも少しも怒らなかった。
 モナはそんなところも可愛いなあとつい笑ってしまう傍ら、視界の端に映るアンナが忙しそうに動き回りつつ送ってくる『ごめん!』と『ありがとう!』のジェスチャーに対し、軽く首を横に振る。それから笑顔で会釈すると、ニーナに案内された先の席の先客へと挨拶をした。

「ええっ、と……。…………こ、こんにちは……?」
「………………。」
「(無視かい!!)お、お邪魔しま〜す…。」

 モナは思わず心の中で突っ込むも、ニーナの手前気にしていない風を装うと椅子の背を引き座る。それから熱心に本日のおすすめを説明するニーナを尻目に、モナはメニュー越しに眼前の人をちらりと見遣った。
 基本的にはおおらかで親切、そして善人であることがデフォルトなイルクオーレの町の人々だが、時折ニコラスのようなバグとしか思えない住人が何人か居た。そしてそのうちの1人が相席相手の青年――町長の息子であるルーカスその人だった。
 彼はモナがルチアに連れられ、初めて町長宅まで挨拶に行った時も終始無言だった。一応こちらを見遣りはしたが、ただそれだけだった。ルチア曰く「まあ、色々あるんでしょ」、町長のトーマスに言わせてみれば「反抗期」らしい彼に、モナはせめて子供の前くらい普通に接して欲しいけどなあ…と苦笑する。
 別にモナ的にはルーカスが本当に反抗期だろうが、仮に自分のことが気に食わないからだろうが、とにかく無視される理由自体はなんでも良かった。けれど相手を無視しても良いという間違ったコミュニケーションがニーナにインプットされたら困る。故にモナは大人の対応をする。

「モナちゃん、ど〜しますか?」
「うーん……。それじゃあ、ルーカスさんが食べてるのと同じのにしようかな。凄く美味しそう!」
「……………………。」
「はあい!チキンのチーズやき、はいりま〜す!!」

 大人の対応――つまりは相手が無視してこようが話題を見つけては話し掛けることで、ニーナに『これはそういうコミュニケーションなんだろうな』と認識させる――を、モナは早速実践する。今回はルーカスの注文をダシに使わせて貰った。但しダシにしたとはいえ、実際彼の食べているチキンのチーズ焼きは忖度なしに美味しそうだった。
 飾り気のないシンプルな器だからこそ際立つ、トマトの色鮮やかさ。次いでその中央にデデンと鎮座する大きな鶏肉を覆い隠す、やりすぎなくらいにトッピングされたチーズ。ナイフで肉を切り分け、フォークに刺して口に運ぼうとする度にピアノ線の如く伸びる様子から察するにモッツァレラチーズだろうか。チーズと鶏肉の乳白色と、トマトの鮮烈な赤のコントラストが空腹にはなんとも眩しく神々しい。加えて熱々に熱されたトマトの酸味が、どうしようもない程に嗅覚を刺激するのだ。

「…………………………。」
「……………………………………。」
 
 モナは厨房に注文を伝えに行くニーナの背中と目の前のルーカス(の皿)とを交互に見遣る。その間の『店員さんになりきって可愛いなあ』と『美味しそうだなあ、お腹空いたなあ』とを素早く交互に行き来する感情の、なんと忙しないことか。無論、反復横跳びするふたつの感情の間にはルーカスの無愛想さに対する困惑も存在した。
 が、それ以上にここ数日、ロレンシオに秘密をバラされないかと悩みすぎたお陰でちっとも食事が喉を通らなかったことが大きすぎた。要するに、モナは精神のみならず肉体においても平時の状態ではなかったのだ。

「………………ご馳走様。」

 あまりジロジロ見てしまっては例え誰が相手でも気を悪くしてしまうとは分かっているものの、店内に溢れかえる食欲を唆る匂いにモナの視線は少し気を抜けばルーカスの手元の皿に向かってしまっていた。卑しい自覚はある。……あるのだが、どうにも止められない。モナは自身の卑しさに内心涙を流しつつも、この数日がいかに肉体にとって過酷だったかを悟ると大いに反省した。
 とはいえ、モナの事情などルーカスには関係ない。正確には仮にモナがルーカスと親密な関係だったとしても、現状モナは彼にとってみれば後から来た挙句に自分の皿をジロジロと見てくる無礼者だ。故に気を悪くしてしまったのか、あるいはこれ以上話し掛けられてはたまったものではないと思ったのか、ルーカスは口とカトラリーを動かすスピードをあげると食後の挨拶を口にした。それはモナが初めて聞いた、ルーカスの肉声だった。けれどルーカスはモナがそれに対して感想を抱く間もなく、食後の一服もそこそこに席を立つと会計を済ませて出て行ってしまった。

(……流石に悪かったかなぁ…。)

 モナは座る人の居なくなった椅子を眺めながら、ちょっとばかし品がなかったなとあらためて反省する。次いでこの調子じゃルーカスと仲良くなれるのはまだまだ先かなと軽くため息をついた。
 それから頬杖をつきながらピークの過ぎ去った店内をぼんやりと眺めていると、ようやく時間の出来たらしいアンナがニーナを伴ってやってきた。モナは再び会釈してからアンナに挨拶と、それから軽い世間話でも……と口を開きかける。しかし、その唇から子供にとっては退屈な他愛のない話が紡がれることはなかった。
 それはニーナがずいと差し出してきたトレーに載っている、注文した覚えのないカルボナーラのせいだった。

「モナちゃん、どーぞ!おまたせしました〜!」
「あ、ありがとう。…………アンナさん、あの……。」
「ああ、分かってるよ。注文が違うって言いたいんだろ?」

 ひとまずはニーナとの『ごっこ遊び』の最中のためにトレーを受け取ったモナだったが、直ぐに視線をアンナに向ける。そして幾らニーナがまだ子供とはいえ、きちんと復唱もしていたし間違えるはずがないと口にしようとするも、アンナはそれをやんわりも制した。それからつい10数分前にモナがニーナに対して浮かべていた、可愛らしいものや微笑ましいものを見つめるような笑顔を浮かべると、力いっぱいその狭い背中を叩いた。
 一方で明らかに慈愛に満ちた笑みをたたえるアンナと、彼女からの突然のシンプルな暴力のような、あるいはエールのような力強い1発を食らったモナは頭の上に星の数ほどの疑問符を浮かべる。それからトレーの上のカルボナーラと母娘とを交互に見つめては、わたしのチキンのチーズ焼きは一体どこへ…?と首を傾げた。

「良かったねえ、モナ。」
「は、はあ……?」
「さ、冷めないうちにおあがり。チキンのチーズ焼きも、すぐに出来るからね!」

 アンナはそんなモナを最初はニコニコと。次にニタニタ、ニヤニヤ。徐々にその笑顔を下卑た笑みに変化させながらも、肝心なところ――モナの食事代をルーカスが払って行ってくれたことは口にせずに、ただただ食事を勧める。
 結局のところ、ルーカスが何故モナの分の食事まで奢る気になったのかは彼以外の誰も分からない。勿論、アンナは会計の際、ルーカスがモナの分まで払うと言い出した時は驚きのあまり反射的に聞き返しはした。けれど彼はそれ以上何も語らず、ただただ無言で2人分の会計に加えてパスタひと皿分の金額を上乗せすると食堂を後にしたのだ。
 
 あまりにも目を輝かせながら自分の皿を凝視してくるモナに何か思うところがあったのか。それとも、これ以上自分に関わろうとしてくるなという牽制を込めた奢りなのか。真相はパスタの上に乗っている温泉卵の中にも、荒れ果てた耕作地の中にもない。でも、それでも確かに存在したのだ。
 
 アンナはわけも分からないままに食事を始めるモナの横顔を見つめながら、さて、いつ教えてやろうかとニシシと悪い顔で笑った。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 11_はじまりはいつも突然に


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…




 図書館にて、先人たる亡霊との邂逅を果たしてから数日後。あの日の雨が嘘のように晴れ渡る空の下、モナは畑仕事の合間にふと手を止めて顔を上げると、いつの間にか太陽が頭上高く昇っていることに気がついて目を細めた。
(……たまには、食堂で食べようかな。)
 モナは畑のゴミを集めるためのレーキを出荷箱に立て掛けると、ふうと息をつく。それから普段節約のために自炊しているものの、なんとなく――それこそ作物で金銭を得るなんてまだまだ先とは分かっているものの、あまりにも切り詰めすぎた生活と、それとは反対に詰め込みすぎている仕事に『幾らバルナバとルチアに大いに世話になっているとはいえ、たまには贅沢したって許されるのでは?』と、一瞬でも思ってしまったのだ。
 無論、普段のモナなら「一瞬とはいえ、わたしはなんてことを……!」とすぐさま自制するだろうが、生憎ここ数日は身体はともかく、心が疲れ切っていた。それは言わずもがな、自身が帝国出身であることがロレンシオにバレた、もとい読み取られてしまったからだった。
 なんでもロレンシオ曰く相手の思考を明確に読み取れるのは自分のように何百年も生きた純血種のエルフぐらいで、現代のエルフの多くは何世代も掛けて少しずつ他種族の血が混じるようになったために、彼ほどの思考透視能力はないらしい。
 が、モナにとって問題なのはそういうことではなかった。今後ロレンシオの機嫌を損ねるようなことがあれば、いつ自分の語ってきたことが嘘だと暴露されてもおかしくない状況が問題なのであった。
(黙っててくれるとは約束してくれたけど、信じていいのかなあ…?)
 モナはふと、当然の不安に駆られる。しかしながら、頭の中では分かっているのだ。自身の秘密を暴露したところでロレンシオが得することなど何もないこと、寧ろ冷静になって思考すれば思考する程にロレンシオはモナが勝手に思い描いているような腹黒ではなく、逆にとても良いエルフだということ――だってそうでなければ「もしも今後、周囲に嘘をついていることが苦しくなった時は、是非いらっしゃってください。同じ帝国出身者だからこそ話せることも理解出来ることも、あると思います。」だなんて台詞が出てくるとは思えないのだ。
 しかしながらそれでも不安になってしまうのが心配性の自分の悪いところだなと、モナは快晴の空とは反対に重くじっとりとしたため息を吐く。それからルチアのように真っ直ぐで素直な子になりたいなあとボヤくと、土埃を払ってから財布の中に入っている金額を確認した。
「あ、モナちゃん。……ごはんたべにきたの?」
「うん。たまにはアンナさんのご飯が食べたくなっちゃって。」
「……みんな、おかあさんのごはんめあて。ニーナは?なんでみんな、ニーナとはあそんでくれないの?」
 イルクオーレのメインストリート、即ち町の中心部にある食堂『ニーナ・ニーナ』の店前にて、モナは店先で退屈そうにシャボン玉を飛ばしていたニーナ――この食堂の名前と同じ、まだ5歳になったばかりだという看板娘からなんとも不運なことに、常日頃の不満をぶつけられてしまった。
 まだまだ甘えたい盛りのニーナは、恐らく今日も今日とて忙しい母親に構って貰えなくて不貞腐れているのだろう。それでいて同世代のレックスのように思い切って川や山に遊びに行かずに店先から忙しそうに働く母親を時折心配そうに見ているのだから、なんとも可愛らしくていじらしい。拗ねながらも心はいつも母親にあるニーナに、モナはついくすくすと笑ってしまった。
「もう!なんでみんな、ニーナのことみてわらうの!!」
 そんなモナにニーナはますます不貞腐れてしまう。が、どうやらそんなニーナの言動から察するに、店内に居る客の殆どが自分と同じように母を思う彼女のひたむきさや愛らしさについ頬を緩めてしまったらしいと悟ったモナは、途端に胸の奥がポカポカとあたたかくなるのを感じると目を細めた。
 それからその場にしゃがみこみ、ニーナと同じ目線の高さになると頬を膨らませては怒っていることをアピールしているその小さな両肩に優しく触れた。
「ごめんごめん。……お詫びに、ご飯食べた後に遊ぼう?何がしたい?」
「ほんとう?」
「うん、本当。約束。」
「じゃあね、じゃあね〜…、てんいんさんごっこ!」
 拗ねた表情から一転、モナが自分と遊ぶ意思があると理解した途端に目を輝かせては満面の笑みを浮かべるニーナにモナは現金だなあと苦笑する。けれど同時に遊びの約束ひとつでこんなにも喜べる純粋さと、一瞬逡巡した後に選んだ『店員さんごっこ』からニーナが母親と母親の店をどれだけ大切に思っているのかが手に取るように理解出来てしまうと、意識とは関係なく再度頬が緩んだ。
「いちめいさま、ごあんないしま〜す!」
「…………あはは……。」
 食後と約束したものの早速始まる『ごっこ遊び』に、モナは苦笑しながらも快く付き合う。注意することも可能だったが、敢えてそれをせず付き合うことにしたのは遊びたいと口にするニーナの根底にある、母親の力になりたいという気持ちが透いて見えるからこそだった。
「おきゃくさま、あいせきでもよろしいですか〜?」
「うん、いいよ。」
「ありがとうございま〜す!それではこちらにど〜ぞ!」
 ニーナはモナの手を取ると、扉を押して開ける。そして先にモナの想像以上に盛況している店内を見渡すと、迷うことなく一丁前な台詞を口にした。モナはそれだけで如何にニーナが母親であるアンナの仕事をよく観察しているのかますます理解すると同時に、その様子が目に浮かんでしまうとふふっと小さな笑いを零した。次いでふたつ返事でそれを了承する。が、幸いなことに遊び相手が出来たことで上機嫌になったのか、ニーナはモナが幾ら笑みを零そうとも少しも怒らなかった。
 モナはそんなところも可愛いなあとつい笑ってしまう傍ら、視界の端に映るアンナが忙しそうに動き回りつつ送ってくる『ごめん!』と『ありがとう!』のジェスチャーに対し、軽く首を横に振る。それから笑顔で会釈すると、ニーナに案内された先の席の先客へと挨拶をした。
「ええっ、と……。…………こ、こんにちは……?」
「………………。」
「(無視かい!!)お、お邪魔しま〜す…。」
 モナは思わず心の中で突っ込むも、ニーナの手前気にしていない風を装うと椅子の背を引き座る。それから熱心に本日のおすすめを説明するニーナを尻目に、モナはメニュー越しに眼前の人をちらりと見遣った。
 基本的にはおおらかで親切、そして善人であることがデフォルトなイルクオーレの町の人々だが、時折ニコラスのようなバグとしか思えない住人が何人か居た。そしてそのうちの1人が相席相手の青年――町長の息子であるルーカスその人だった。
 彼はモナがルチアに連れられ、初めて町長宅まで挨拶に行った時も終始無言だった。一応こちらを見遣りはしたが、ただそれだけだった。ルチア曰く「まあ、色々あるんでしょ」、町長のトーマスに言わせてみれば「反抗期」らしい彼に、モナはせめて子供の前くらい普通に接して欲しいけどなあ…と苦笑する。
 別にモナ的にはルーカスが本当に反抗期だろうが、仮に自分のことが気に食わないからだろうが、とにかく無視される理由自体はなんでも良かった。けれど相手を無視しても良いという間違ったコミュニケーションがニーナにインプットされたら困る。故にモナは大人の対応をする。
「モナちゃん、ど〜しますか?」
「うーん……。それじゃあ、ルーカスさんが食べてるのと同じのにしようかな。凄く美味しそう!」
「……………………。」
「はあい!チキンのチーズやき、はいりま〜す!!」
 大人の対応――つまりは相手が無視してこようが話題を見つけては話し掛けることで、ニーナに『これはそういうコミュニケーションなんだろうな』と認識させる――を、モナは早速実践する。今回はルーカスの注文をダシに使わせて貰った。但しダシにしたとはいえ、実際彼の食べているチキンのチーズ焼きは忖度なしに美味しそうだった。
 飾り気のないシンプルな器だからこそ際立つ、トマトの色鮮やかさ。次いでその中央にデデンと鎮座する大きな鶏肉を覆い隠す、やりすぎなくらいにトッピングされたチーズ。ナイフで肉を切り分け、フォークに刺して口に運ぼうとする度にピアノ線の如く伸びる様子から察するにモッツァレラチーズだろうか。チーズと鶏肉の乳白色と、トマトの鮮烈な赤のコントラストが空腹にはなんとも眩しく神々しい。加えて熱々に熱されたトマトの酸味が、どうしようもない程に嗅覚を刺激するのだ。
「…………………………。」
「……………………………………。」
 モナは厨房に注文を伝えに行くニーナの背中と目の前のルーカス(の皿)とを交互に見遣る。その間の『店員さんになりきって可愛いなあ』と『美味しそうだなあ、お腹空いたなあ』とを素早く交互に行き来する感情の、なんと忙しないことか。無論、反復横跳びするふたつの感情の間にはルーカスの無愛想さに対する困惑も存在した。
 が、それ以上にここ数日、ロレンシオに秘密をバラされないかと悩みすぎたお陰でちっとも食事が喉を通らなかったことが大きすぎた。要するに、モナは精神のみならず肉体においても平時の状態ではなかったのだ。
「………………ご馳走様。」
 あまりジロジロ見てしまっては例え誰が相手でも気を悪くしてしまうとは分かっているものの、店内に溢れかえる食欲を唆る匂いにモナの視線は少し気を抜けばルーカスの手元の皿に向かってしまっていた。卑しい自覚はある。……あるのだが、どうにも止められない。モナは自身の卑しさに内心涙を流しつつも、この数日がいかに肉体にとって過酷だったかを悟ると大いに反省した。
 とはいえ、モナの事情などルーカスには関係ない。正確には仮にモナがルーカスと親密な関係だったとしても、現状モナは彼にとってみれば後から来た挙句に自分の皿をジロジロと見てくる無礼者だ。故に気を悪くしてしまったのか、あるいはこれ以上話し掛けられてはたまったものではないと思ったのか、ルーカスは口とカトラリーを動かすスピードをあげると食後の挨拶を口にした。それはモナが初めて聞いた、ルーカスの肉声だった。けれどルーカスはモナがそれに対して感想を抱く間もなく、食後の一服もそこそこに席を立つと会計を済ませて出て行ってしまった。
(……流石に悪かったかなぁ…。)
 モナは座る人の居なくなった椅子を眺めながら、ちょっとばかし品がなかったなとあらためて反省する。次いでこの調子じゃルーカスと仲良くなれるのはまだまだ先かなと軽くため息をついた。
 それから頬杖をつきながらピークの過ぎ去った店内をぼんやりと眺めていると、ようやく時間の出来たらしいアンナがニーナを伴ってやってきた。モナは再び会釈してからアンナに挨拶と、それから軽い世間話でも……と口を開きかける。しかし、その唇から子供にとっては退屈な他愛のない話が紡がれることはなかった。
 それはニーナがずいと差し出してきたトレーに載っている、注文した覚えのないカルボナーラのせいだった。
「モナちゃん、どーぞ!おまたせしました〜!」
「あ、ありがとう。…………アンナさん、あの……。」
「ああ、分かってるよ。注文が違うって言いたいんだろ?」
 ひとまずはニーナとの『ごっこ遊び』の最中のためにトレーを受け取ったモナだったが、直ぐに視線をアンナに向ける。そして幾らニーナがまだ子供とはいえ、きちんと復唱もしていたし間違えるはずがないと口にしようとするも、アンナはそれをやんわりも制した。それからつい10数分前にモナがニーナに対して浮かべていた、可愛らしいものや微笑ましいものを見つめるような笑顔を浮かべると、力いっぱいその狭い背中を叩いた。
 一方で明らかに慈愛に満ちた笑みをたたえるアンナと、彼女からの突然のシンプルな暴力のような、あるいはエールのような力強い1発を食らったモナは頭の上に星の数ほどの疑問符を浮かべる。それからトレーの上のカルボナーラと母娘とを交互に見つめては、わたしのチキンのチーズ焼きは一体どこへ…?と首を傾げた。
「良かったねえ、モナ。」
「は、はあ……?」
「さ、冷めないうちにおあがり。チキンのチーズ焼きも、すぐに出来るからね!」
 アンナはそんなモナを最初はニコニコと。次にニタニタ、ニヤニヤ。徐々にその笑顔を下卑た笑みに変化させながらも、肝心なところ――モナの食事代をルーカスが払って行ってくれたことは口にせずに、ただただ食事を勧める。
 結局のところ、ルーカスが何故モナの分の食事まで奢る気になったのかは彼以外の誰も分からない。勿論、アンナは会計の際、ルーカスがモナの分まで払うと言い出した時は驚きのあまり反射的に聞き返しはした。けれど彼はそれ以上何も語らず、ただただ無言で2人分の会計に加えてパスタひと皿分の金額を上乗せすると食堂を後にしたのだ。
 あまりにも目を輝かせながら自分の皿を凝視してくるモナに何か思うところがあったのか。それとも、これ以上自分に関わろうとしてくるなという牽制を込めた奢りなのか。真相はパスタの上に乗っている温泉卵の中にも、荒れ果てた耕作地の中にもない。でも、それでも確かに存在したのだ。
 アンナはわけも分からないままに食事を始めるモナの横顔を見つめながら、さて、いつ教えてやろうかとニシシと悪い顔で笑った。