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11_はじまりはいつも突然に

ー/ー




 ルチアから貰った種が芽吹き、成長し、いよいよ蕾を付け始めた春の終わりのある日。モナは数日前に見つけた小さな小さな蕾が開き、紫色の可愛らしい花を朝露に濡らしていることに気が付くと思わず声を上げた。それは今まで土など弄ったことがなかった自分が、収穫まであと一歩のところまで漕ぎ着けることが出来た喜びが故だった。そして何よりも、ようやくルチアやバルナバの世話にならずに済むという安心感が一番だった。
 とはいえ、冷静なモナは眼前の人参に釣られて手を止めはしない。寧ろ収入を絶やさないためには順次畑を耕し、種を蒔いていく必要があることを素人ながらによく理解していた。そのためモナは穴だらけのジョウロで汲んだ水を耕作地に撒きながら未だ枝や石で塗れている畑をぐるりと見渡すと、今日は以前イサークから貰った種を撒いたさらに奥の区域を整地しようと心に決めた。
 
 ――そうやって、今日もまたいつもと変わらない一日が始まろうとしている時だった。

「洞窟の調査……ですか?」
「はい。どうにか、お願い出来ませんか?」

 そんなありふれた一日になるはずだった今日が指の隙間から零れ落ちてしまったのはモナが朝の水遣りを済ませ、これから出来るであろう実のためにと畑の周囲を予め作りしておいた柵でさらに手堅く囲い、さあ次はいよいよ荒れ果てた畑の整地だとレーキを手に取ろうとした瞬間だった。町の中心部――といっても、小さな広場を起点に東西南北に伸びるメインストリートがあるだけだ――に住む町長のトーマスが、モナの元を尋ねてきたのだ。
 モナは町長であるトーマスがわざわざ町はずれの牧場にまでやって来る意図が分からずに困惑したものの、たまにはそんなこともあるかと快く彼を迎え入れた。そして町の皆のおかげでなんとかなんとなくでも形になっていること、もうそろそろ最初に植えた作物が実りそうなこと、イルクオーレでの暮らしにもだいぶ慣れてきたことを口々に伝えた。
 
 そうして暫し近況報告にも似た世間話と雑談を交わすも次第に話題の種もつき、なんとなく気まずい沈黙が2人の間に流れた瞬間だった。モナはふと、トーマスが何か言いたげな様子であることに気がついた。
 が、半ば挙動不審にこちらを見遣ってくるトーマスにモナはもしかすると、もしかしなくても、知らないうちに何か町のルールを破ってしまっただろうかと肝を冷やす。次いで必死に頭を回転させた。
 しかしながら落ちているゴミはきちんとゴミ箱に捨てたし、すれ違う人には必ず挨拶しているし、まるで見当がつかない。……となると、トーマスに直接聞くしかないなとモナは内心心臓をバクバクさせながら「あの……」と声を掛けた。

 するとその瞬間、トーマスは覚悟を決めた様子で真っ直ぐにモナを見つめると徐に頭を下げた。
 そしてひと言――「モナさん。ユミル洞窟を調査していただけないでしょうか?」と、頭を下げたのだった。

「…………あ、あの。ユミル洞窟って……?」

 あまりにも真剣な声と顔で懇願してくるトーマスとは反対に、モナは困惑する。この町に洞窟があったことも、それの調査を頼まれたことも、そしてその調査がどのような意味を持つのかも、何もかも知らないからだった。故にモナは良いとか悪いとか以前に、困りきった表情を浮かべる。隠しきれない戸惑いを声に乗せ、眉を下げた。
 一方でトーマスといえば、すっかりこの町の一員になっているモナに対してまだ説明していない箇所があったことに今更気付かされると、反射的にしまったと目元を抑えた。それから何も知らないモナに、彼女にとっては半ば強襲のように頼み込んでしまったことを恥じると「やれやれ。……私ももう歳ですな。」とボヤいてから苦笑をひとつ零す。
 次いで気を取り直すかのようにゴホンと、ひとつ。わざとらしい咳払いをしてから牧場の周囲を囲うように流れる小川と、それに掛かっている橋を指差しながら説明を始めた。

「この小川を渡った先に小さな洞窟があるのですが、以前からモンスターの巣となっていまして。定期的に街の方の騎士団や自警団に頼んでいるのですが……。彼ら曰くここ最近忙しく、手が離せないらしいのです。」
「…………はあ……。」
「私としては町の安全のためにと頼み込んだのですが、向こうは『とにかく今は人手が足りない』『手が離せない』の一点張りでして。とはいえ、前回洞窟に巣食うモンスターを退治してから優に半年は経っています。そろそろ誰かがなんとかしなければ、それこそ町の安全が損なわれることになってしまいます。
 ――そこで、モナさん。私としては、是非あなたにお願い出来ないかと思いまして。」
「……………………へ?」

 それまでどこか他人事というか、遠い場所での出来事というか。やっぱり町長っていうのは大変なんだなだとか、あるいは兵隊ひとつとっても帝国と王国では制度が違うんだなだとか、ふんふんと静かに話を聞いていたモナは徐に自分の名前が出てくると素っ頓狂な声を上げた。それどころか、思わず自分を指さしてしまった。何しろモナは今までの話に魔法使いとはいえただの家庭魔法使い、それも両親と違って大した魔法が使えるわけでもない自分の名前が出てくる道理はないと思っているからである。
 しかしながらトーマスにとってはそうではないらしく、彼は期待に目を輝かせながらモナを見つめると、あろうことか半ば呆気に取られながら自身を指さすモナの手を取り固く握り締めた。そして心底追い詰められているのか、鼻息がかかるほどにずいと顔を寄せると至近で懇願する。
 
「あなたの活躍はルチアから聞きました。何もモンスターを退治しろとは言いません。ただ、洞窟内にどれほどモンスターが巣食っているか調査して下さるだけでいいんです。それを私の方で纏めて、改めて騎士団か自警団に討伐の依頼を出そうと思っておりまして。……どうか、お願い出来ませんか?」
「……い、いえ。あの、その……。わっ、わたしですね、そんな、調査だなんて…。それに魔法が使えるといっても、あの、そんな大層なものではなくって――!!」

 ――無理。無理すぎる。出来るわけがない。
 モナはそんな一心でトーマスの手を振り払うと、顔の前で必死に手を振る。そりゃあ、確かにあの時はオークと戦った。けれどそれはどういうわけか相手が既に興奮状態で、逃げるのが難しいと悟ったから仕方なく戦っただけであって。決して、決して自分から好き好んでそうしたわけではないのだ。
 モナは寧ろ自分がどちらかと言えば気弱で貧弱なことをよく分かっていたし、だからこそあの時も確実に仕留められる方法を考えて考えて、何とか答えを見つけただけであって、根っからの戦闘狂でもなければ一般魔法使いでもないことをよく自覚していた。あの時の自分はほんの少しだけ地の利だとか、相手が冷静じゃなかっただとか、そういう類い稀なる幸運に恵まれて、結果かろうじて勝利することが出来ただけの凡人だと痛いほど分かっていた。
 
 だというにトーマスは1歩も引くことなく――寧ろモナが拒否すれば拒否する程に遠慮や謙遜していると思っているのか、ズイズイと歩み寄ってくる。そして必死に拒絶をアピールしているモナの手を再びしっかりと掴んでは、とにかく如何に自分がモナを当てにしているのかを語り始めた。

「またまたご謙遜を。ルチアが言っていましたよ、あの時のモナさんは凄まじかったと。だからこそ私もあなたになら任せられると思って、こうしてお願いしているのです。」
「……………………ルチアさんが、ですか……?」

 モナは勘弁してくれと半ば泣きべそをかきながら、だから自分はそんな人間じゃないんだってば、と心の中で声にならない声で必死に叫ぶ。けれどどういうわけかやたらとトーマスから期待されてしまっている以上、断るのは難しいだろうなと冷静に考えている自分が居るのもまた事実で。何よりも行くあてのない自分を受け入れてくれた町のためならば多少の危険もまあ仕方がないかと、モナがなんとか割り切ろうとした時だった。
 一体何がどうやって根拠のない話が生まれたのか、その一端というか原因というか――をなんとなく悟ったモナは、おそるおそるその首謀者であろう彼女の名前を口にすると、トーマスに尋ねた。するとトーマスは待ってましたとばかりに首謀者及び黒幕の語った、町の人たちの大半が与太話だと聞き流した与太話を嬉々として語り始めた。

「ええ。鷹のように鋭い目つきに、百戦錬磨の大将の如く貫く不動。それでいて的確に相手を仕留め、屠る様は間違いなく実力と立場のある人物のそれだった、と。ルチアからそう伺っていますよ。」
「……………………。」
「……ああ、それから。あれは英雄の器だったとも――。」
「………………………………もう、いいです……。」

 モナは案の定と言うべき噂の出処と、彼女が語った壮大すぎる与太話にがっくりと肩を落とす。それから世の中には聞いているこっちの方が恥ずかしくなるほどに脚色された、明らかに現実味のない話を信じるなんとも単純な人もいるのだなあと呆れ半分、涙半分の乾いた曖昧な笑いを零した。
 
 ――とはいえ、モナはどうであれこの町のために何かが出来ること、ひいては役に立てるのを嬉しく感じている自分に気が付くと、自分も負けず劣らずの単細胞だと苦笑した。


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 ルチアから貰った種が芽吹き、成長し、いよいよ蕾を付け始めた春の終わりのある日。モナは数日前に見つけた小さな小さな蕾が開き、紫色の可愛らしい花を朝露に濡らしていることに気が付くと思わず声を上げた。それは今まで土など弄ったことがなかった自分が、収穫まであと一歩のところまで漕ぎ着けることが出来た喜びが故だった。そして何よりも、ようやくルチアやバルナバの世話にならずに済むという安心感が一番だった。
 とはいえ、冷静なモナは眼前の人参に釣られて手を止めはしない。寧ろ収入を絶やさないためには順次畑を耕し、種を蒔いていく必要があることを素人ながらによく理解していた。そのためモナは穴だらけのジョウロで汲んだ水を耕作地に撒きながら未だ枝や石で塗れている畑をぐるりと見渡すと、今日は以前イサークから貰った種を撒いたさらに奥の区域を整地しようと心に決めた。
 ――そうやって、今日もまたいつもと変わらない一日が始まろうとしている時だった。
「洞窟の調査……ですか?」
「はい。どうにか、お願い出来ませんか?」
 そんなありふれた一日になるはずだった今日が指の隙間から零れ落ちてしまったのはモナが朝の水遣りを済ませ、これから出来るであろう実のためにと畑の周囲を予め作りしておいた柵でさらに手堅く囲い、さあ次はいよいよ荒れ果てた畑の整地だとレーキを手に取ろうとした瞬間だった。町の中心部――といっても、小さな広場を起点に東西南北に伸びるメインストリートがあるだけだ――に住む町長のトーマスが、モナの元を尋ねてきたのだ。
 モナは町長であるトーマスがわざわざ町はずれの牧場にまでやって来る意図が分からずに困惑したものの、たまにはそんなこともあるかと快く彼を迎え入れた。そして町の皆のおかげでなんとかなんとなくでも形になっていること、もうそろそろ最初に植えた作物が実りそうなこと、イルクオーレでの暮らしにもだいぶ慣れてきたことを口々に伝えた。
 そうして暫し近況報告にも似た世間話と雑談を交わすも次第に話題の種もつき、なんとなく気まずい沈黙が2人の間に流れた瞬間だった。モナはふと、トーマスが何か言いたげな様子であることに気がついた。
 が、半ば挙動不審にこちらを見遣ってくるトーマスにモナはもしかすると、もしかしなくても、知らないうちに何か町のルールを破ってしまっただろうかと肝を冷やす。次いで必死に頭を回転させた。
 しかしながら落ちているゴミはきちんとゴミ箱に捨てたし、すれ違う人には必ず挨拶しているし、まるで見当がつかない。……となると、トーマスに直接聞くしかないなとモナは内心心臓をバクバクさせながら「あの……」と声を掛けた。
 するとその瞬間、トーマスは覚悟を決めた様子で真っ直ぐにモナを見つめると徐に頭を下げた。
 そしてひと言――「モナさん。ユミル洞窟を調査していただけないでしょうか?」と、頭を下げたのだった。
「…………あ、あの。ユミル洞窟って……?」
 あまりにも真剣な声と顔で懇願してくるトーマスとは反対に、モナは困惑する。この町に洞窟があったことも、それの調査を頼まれたことも、そしてその調査がどのような意味を持つのかも、何もかも知らないからだった。故にモナは良いとか悪いとか以前に、困りきった表情を浮かべる。隠しきれない戸惑いを声に乗せ、眉を下げた。
 一方でトーマスといえば、すっかりこの町の一員になっているモナに対してまだ説明していない箇所があったことに今更気付かされると、反射的にしまったと目元を抑えた。それから何も知らないモナに、彼女にとっては半ば強襲のように頼み込んでしまったことを恥じると「やれやれ。……私ももう歳ですな。」とボヤいてから苦笑をひとつ零す。
 次いで気を取り直すかのようにゴホンと、ひとつ。わざとらしい咳払いをしてから牧場の周囲を囲うように流れる小川と、それに掛かっている橋を指差しながら説明を始めた。
「この小川を渡った先に小さな洞窟があるのですが、以前からモンスターの巣となっていまして。定期的に街の方の騎士団や自警団に頼んでいるのですが……。彼ら曰くここ最近忙しく、手が離せないらしいのです。」
「…………はあ……。」
「私としては町の安全のためにと頼み込んだのですが、向こうは『とにかく今は人手が足りない』『手が離せない』の一点張りでして。とはいえ、前回洞窟に巣食うモンスターを退治してから優に半年は経っています。そろそろ誰かがなんとかしなければ、それこそ町の安全が損なわれることになってしまいます。
 ――そこで、モナさん。私としては、是非あなたにお願い出来ないかと思いまして。」
「……………………へ?」
 それまでどこか他人事というか、遠い場所での出来事というか。やっぱり町長っていうのは大変なんだなだとか、あるいは兵隊ひとつとっても帝国と王国では制度が違うんだなだとか、ふんふんと静かに話を聞いていたモナは徐に自分の名前が出てくると素っ頓狂な声を上げた。それどころか、思わず自分を指さしてしまった。何しろモナは今までの話に魔法使いとはいえただの家庭魔法使い、それも両親と違って大した魔法が使えるわけでもない自分の名前が出てくる道理はないと思っているからである。
 しかしながらトーマスにとってはそうではないらしく、彼は期待に目を輝かせながらモナを見つめると、あろうことか半ば呆気に取られながら自身を指さすモナの手を取り固く握り締めた。そして心底追い詰められているのか、鼻息がかかるほどにずいと顔を寄せると至近で懇願する。
「あなたの活躍はルチアから聞きました。何もモンスターを退治しろとは言いません。ただ、洞窟内にどれほどモンスターが巣食っているか調査して下さるだけでいいんです。それを私の方で纏めて、改めて騎士団か自警団に討伐の依頼を出そうと思っておりまして。……どうか、お願い出来ませんか?」
「……い、いえ。あの、その……。わっ、わたしですね、そんな、調査だなんて…。それに魔法が使えるといっても、あの、そんな大層なものではなくって――!!」
 ――無理。無理すぎる。出来るわけがない。
 モナはそんな一心でトーマスの手を振り払うと、顔の前で必死に手を振る。そりゃあ、確かにあの時はオークと戦った。けれどそれはどういうわけか相手が既に興奮状態で、逃げるのが難しいと悟ったから仕方なく戦っただけであって。決して、決して自分から好き好んでそうしたわけではないのだ。
 モナは寧ろ自分がどちらかと言えば気弱で貧弱なことをよく分かっていたし、だからこそあの時も確実に仕留められる方法を考えて考えて、何とか答えを見つけただけであって、根っからの戦闘狂でもなければ一般魔法使いでもないことをよく自覚していた。あの時の自分はほんの少しだけ地の利だとか、相手が冷静じゃなかっただとか、そういう類い稀なる幸運に恵まれて、結果かろうじて勝利することが出来ただけの凡人だと痛いほど分かっていた。
 だというにトーマスは1歩も引くことなく――寧ろモナが拒否すれば拒否する程に遠慮や謙遜していると思っているのか、ズイズイと歩み寄ってくる。そして必死に拒絶をアピールしているモナの手を再びしっかりと掴んでは、とにかく如何に自分がモナを当てにしているのかを語り始めた。
「またまたご謙遜を。ルチアが言っていましたよ、あの時のモナさんは凄まじかったと。だからこそ私もあなたになら任せられると思って、こうしてお願いしているのです。」
「……………………ルチアさんが、ですか……?」
 モナは勘弁してくれと半ば泣きべそをかきながら、だから自分はそんな人間じゃないんだってば、と心の中で声にならない声で必死に叫ぶ。けれどどういうわけかやたらとトーマスから期待されてしまっている以上、断るのは難しいだろうなと冷静に考えている自分が居るのもまた事実で。何よりも行くあてのない自分を受け入れてくれた町のためならば多少の危険もまあ仕方がないかと、モナがなんとか割り切ろうとした時だった。
 一体何がどうやって根拠のない話が生まれたのか、その一端というか原因というか――をなんとなく悟ったモナは、おそるおそるその首謀者であろう彼女の名前を口にすると、トーマスに尋ねた。するとトーマスは待ってましたとばかりに首謀者及び黒幕の語った、町の人たちの大半が与太話だと聞き流した与太話を嬉々として語り始めた。
「ええ。鷹のように鋭い目つきに、百戦錬磨の大将の如く貫く不動。それでいて的確に相手を仕留め、屠る様は間違いなく実力と立場のある人物のそれだった、と。ルチアからそう伺っていますよ。」
「……………………。」
「……ああ、それから。あれは英雄の器だったとも――。」
「………………………………もう、いいです……。」
 モナは案の定と言うべき噂の出処と、彼女が語った壮大すぎる与太話にがっくりと肩を落とす。それから世の中には聞いているこっちの方が恥ずかしくなるほどに脚色された、明らかに現実味のない話を信じるなんとも単純な人もいるのだなあと呆れ半分、涙半分の乾いた曖昧な笑いを零した。
 ――とはいえ、モナはどうであれこの町のために何かが出来ること、ひいては役に立てるのを嬉しく感じている自分に気が付くと、自分も負けず劣らずの単細胞だと苦笑した。