05_最初の一歩(2)
ー/ー「じゃっじゃじゃーん!ここがこれから、モナが耕すことになる畑でーす!!」
「…………お、おぉ…?」
ルチアに手を引かれるがままに導かれた先、モナは家屋の横に広がる広大な耕地を前にすると、あまりの荒廃っぷりに感嘆と困惑とか混じった声を漏らした。
それもそのはずで、ルチアから幾ら長い間放置されていたと聞かされていたとはいえ、その荒れっぷりというのは凄まじいものだった。何しろ見渡す限りに雑草に石ころ、木の枝はともかく『どうしてここに?』と言いたくなるようなゴミが我が物顔で居座っていたのだから、モナの反応は当たり前と言えば当たり前だった。 それどころか手配してくれたルチアを気遣って軽く困惑する程度で済ませたのだから、反応としては寧ろ上々だった。
(………耕せるところ、なくない?)
モナは繋がれていた手をそうっと離すと、クワを片手に耕作地とあぜ道との境目でしゃがみ込む。そして素人ながらに土に触れようと手を伸ばしてみるも、土に触れるよりも先に感じる青々と茂った雑草が手のひらを擽る感触だとか、袖に引っかかる小枝だとか、小石のフリをして地面からちょこんと顔を覗かせるそこそこの大きさの岩だとかに、乾いた笑いを零した。
「…………ルチアさん……?」
「あー、今日もいい天気だね〜!」
モナは思わず随分と過小した情報を教えてくれたものだなとルチアを見上げる。じとりとした視線を向けると、彼女はわざとらしく明後日の方向を向いては下手くな口笛を吹いた。モナはいっそ清々しい関係のない話を始めるルチアに、あ、騙されたなと思った。
……が、例え畑が綺麗に整えられていようがいまいが、どのみち自分にはこの町で生きていくという選択肢しかないのだ。そんな小細工をしなくたって逃げたりしないのにな、とモナは口の中で小さく呟いてから膝を伸ばすと、ルチアの隣に並んだ。
「……で、どうやるんですか?クワで耕せばいいんですか?」
「最終的にはね。でも、ご覧の通りめちゃくちゃだから、まずは掃除かな。」
ルチアはモナの手からクワを抜き取ると、代わりにカマを握らせる。その傍ら自分はレーキを手に取ると、家と牧場の周囲を流れる小川との中間地点のあたりを指差した。どうやらここを整地しながら畑作について教えてくれるらしい。けれど自分の体力を過信していないモナは自身の経験の少なさも考慮して、せっかくならもう少しゴミの少ない家畜小屋寄りの区画を耕した方がいいのでは首を傾げた。
ルチアはモナの何か言いたげな視線に気がつくと、バツが悪そうに頬を掻く。それから「あ〜」だの「う〜」だの、呻き声のような歯切れの悪い返答にもなっていない返答を繰り返す。が、最後には観念したように改めてボロボロになっている農具の中でも特に損傷の酷いジョウロを指差すと、「底。」とだけ言った。
(……底…?)
モナは底に何があるのだろうとジョウロの中を覗き込む。するとそこには『何もないのに何かある』という、哲学的な状況が広がっていた。
――とどのつまり長年きちんとした手入れを受けていなかったジョウロは劣化し、底面が穴だらけだったのだ。要するに『本来あるべきではない穴があるせいで水が零れ落ちていく』という、わけのわからない機構をしていたのだ。なるほど、これでは確かに小川から遠い家畜小屋前の耕作地は色々と厳しいかもしれないとモナは苦笑する。苦笑した後に頷くと、カマを片手にルチアに尋ねた。
「これで雑草を刈ればいいんですか?」
「うん。本当は根っこから抜いちゃった方がいいんだけどね。モナは初心者向けだし、カマで軽く刈る程度でもいいと思うよ。ここらへん、結構肥沃な土地だし。作物がダメになるってことはないと思う。」
「そうなんですね、わかりました。」
「あ、ご覧の通り結構刃こぼれしてるから、気を付けてね?」
「はい!」
早速『先生』らしいルチアの指示に従って、まずは雑草を刈ることよりも安全に農具を使うことを目標にモナがカマの柄をしっかりと握り直した時だった。牧場から森へと続くあぜ道の脇の茂みがガサゴソと不自然に揺れたかと思えば自分のものでもルチアのものでもない、第三者の荒い鼻息がモナの耳に届いた。
――何か、いる。
モナがそう感じ取った瞬間だった。木の葉が揺れ、枝同士が擦れ合う音と共にひときわ大きく揺れた茂みから明らかに興奮状態のオークが二人の眼前へと飛び出してきた。
「ルチアさん、危ない!!」
モナは咄嗟にそう叫ぶとルチアの腕を引き、自分の背後に庇った。一拍遅れて、ルチアが甲高い悲鳴を上げる。鼓膜を劈く悲鳴に、元より興奮状態だったオークはさらに鼻息を荒くする。落ち着かない気持ちに任せて、手にした棍棒をがむしゃらに振るう。
モナは咄嗟にルチアを庇ったものの、相手は低級とはいえ帝国の歴史上、戦い慣れていない新兵を数多く葬ってきた『新米殺し』のオークだ。モナはどう彼女を守るべきか必死に考える。しかしながら相手は言葉の通じない、理性なき生き物だ。モナがじっくりと思考する時間は無論、覚悟を決める時間さえも与えてはくれない。
――でも、それでも、やるしかないのだ。
モナは右手のカマをオークに向けて投げ付ける。が、細かく震える手では相手の毛先を散らす程度しか出来なかった。ルチアは結果として余計にオークを興奮させることになったモナの軽率にも思える行動にヒィ、となんとも情けない声を漏らすと反射的に目を瞑る。
しかしルチアとは反対に、モナは少しも悲観していなかった。カマを投げ付けたのは、オークにほんの少しでもダメージを与えるためではなかったからだ。本当の目的は自由になった右手で、懐からワンドを取り出して構えることだった。
(正面からやり合っても、わたしの魔法じゃ絶対に勝てない。…でも、もしかしたら、これなら――!)
モナはルチアを背後に庇ったまま、自身とオークの眼前にワンドを掲げた。そしてこちらへと向かってくるオークの足元に、二つの珊瑚色の瞳と全神経を集中させる。
――大丈夫、だいじょうぶ。いつも通りに。無理に一発で仕留めようだなんて思っちゃダメ。わたしは凡人、平均の人間、奇跡的な一発逆転なんて狙っちゃいけない。
モナは自らにそう言い聞かせると、まだ熟れきっていないリンゴのような薄い色の唇をゆっくりと開く。唱える呪文に迷いは無い。否、自分という人間が扱える魔法はただのひとつしかない。そしてその唯一で狙うは、帝国から亡命していた時に得た経験に基づく場所――相手の足元だ。
モナは朧気のような、その割にはハッキリと覚えているような、自分でも必死すぎて未だに曖昧な記憶の糸を辿る。偶然が齎した幸運を、今度は必然的に起こそうとタイミングを図る。
……近すぎてはダメ。自分たちの身に危険が及ぶから。
…………でも、遠すぎてもダメ。なんとも残念なことにわたしは魔法の才能に溢れている人間ではないから、精度が下がる。
――まずは一歩。
オークが手にした棍棒を大きく振りかぶりながら、大きな一歩を踏み出す。まだ遠い。もう少しだけ、引き付けたい。
――――続いて、さらにもう一歩。
オークが掲げた棍棒が天を指す。燦々と輝く太陽が、荒削りなそれに隠された。……あと、少し。
――――――そうして、三歩目。
モナの精度の低い魔法の射程圏内に、オークが入った。天を仰いでいた棍棒は、宛ら重力に任せて自由落下したあの時の自分のように、真っ直ぐにこちら目掛けて振り下ろされようとしている。
(…………今だ!)
モナは心の中でそう呟くと、素早く眼前に掲げていたワンドの先をオークの足元へ向けた。そして今となっては自身と両親とを繋ぐ、たったひとつの証左となってしまった魔法を口にする。
「――【縫い付ける魔法】!!」
モナが唱えた瞬間、地面からは無数の半透明の糸――モナの魔力と、この大地に元から蓄積されていた魔力とが反応し合って作られた――が、素早くオークの足の裏と地表とを縫い付ける。亡命に必死だったあの時とは反対にしっかりと目標を捉え、集中して放たれた魔法はがっちりとオークの脚を拘束してバランスを崩させるどころか、戦闘の主導権をモナへと移したのだ。
(……これなら、いける…!)
モンスターの中でも低級なオークは、当然知恵も低い。つまりは自分の足に絡みつく糸がモナの放った魔法であることも、それを解除する方法も、本能的に理解出来ない。
知識としてそれを知ってはいたものの、実際にモンスターと対峙するのが初めてのモナは、慎重深くそれを確認してから勝利の一手を決めにかかる。
家庭魔法というものに、本来殺傷能力はない。一流の魔法使いなら家庭魔法でも他者の命を奪うことも可能らしいが、そんなことは魔法使いとしてまだまだ成長過程のモナには到底無理な話だ。
けれどどんな剣よりも時に鋭いペンがあるように、状況と工夫次第では時に前提を覆すことが可能になる。そしてモナはそれを実現するだけの冷静さと慎重深さ、そして知識を有している人間だった。モナは視界の端で牧場を囲うように流れる小川と、その中に転がるひときわ大きな岩に着眼すると今度はそちらへとワンドを向けた。
「【縫い付ける魔法】!」
そうしてモナは再度同じ、もとい唯一使える魔法を唱える。けれど再び唱えられたその魔法の対象は、穏やかな水の流れを裂くように小川の中央に鎮座する大岩だ。モナは全身の魔力を糸に込める。そうやってより強度を増した糸で、オークと大岩とを強制的に結び付けた。するとオークはまるで何かに引き寄せられるように、凄まじい勢いで加速しながら大岩に磔にされた。
モナはそれを静かに見つめながら、頭の中で予測通りだと静かに呟く。【縫い付ける魔法】は物質と物質を繋ぐ魔法であり、そもそも魔法というもの自体が自然界の中のひとつのルールにしか過ぎない。即ち二者は【縫い付けられた瞬間】から互いの縫い目の収束点――つまりは同じ場所を目指してぶつかり合う。先の凄まじい衝撃やスピードは、その途中で生まれた副産物にしか過ぎない。
とはいえモナはこの結果自体は亡命中、無我夢中とはいえ魔法使いとしての大前提のルール――即ち【他人に向けて魔法を使わない】という不文律を破った時に、追っ手の兵士の重心を乱した時からなんとなく予想は出来ていた。とはいえそれはそれとして、現実に目にすると俄に恐ろしくなった。それから込み上げてくる再演された恐怖と、不相応の勇気と度胸を絞り出したことによる震えを抑えるように自身を抱きしめると、そうっと小川に近寄った。
――そういえば、これまた教科書で得た知識だが。曰く、生き物というのはたった10cmの水深でも溺死出来るものらしい。
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