04_最初の一歩(1)
ー/ー「ねえモナ。これ、ここに置いてもいーい?」
「はい。ありがとうございます、ルチアさん。」
「ん、どういたしまして!」
モナがこの町――イルクオーレにやって来てから、1週間と3日が経った。モナにとってこの10日間はまさしく激動の10日間と呼ぶに相応しい、まさしく言葉通り『人生が変わった瞬間』であった。そして今日はその激動の10日間を終えた後の、革新的な11日目……とどのつまりは新居となる古ぼけた牧場で一人暮らしをする算段が経ち、ようやく実行に移すことになった記念すべき日だった。
(……本当、色々あったなあ…。)
モナはせっせと昨日までお世話になっていたバルナバ医院の2階から、ごく小量とはいえ自分の荷物の運搬を手伝ってくれているルチアを視界の端で見遣りながら回想する。
――手始めにルチアとその叔父のバルナバに対し、恐らくは自分の名前は『モナ』であると主張したこと。
――傷が治るまではバルナバ医院の2階でお世話になっていたこと。
――バルナバが仕事の合間に、この町がモナの出身であるフェルマータ帝国と、それに対抗しているヴェルデ王国との国境境にある、小さなちいさな田舎町であること。
――ルチアは猟師をしていて、猟に行く途中に自分を見つけて助けてくれたこと。
モナはルチアとバルナバと他人ながらも家族同然に過ごした穏やかな時間と彼らから得た貴重な情報を回顧しながら、まずは新居に立ち込める埃っぽい空気を排除しようと大きく窓を開ける。吹き込む風は、もうすっかり春だった。
「いい風だね〜!」
「はい、本当に。」
モナはこまめに話しかけてくれるルチアに笑顔で応えると、住むところを手配してくれたばかりか文字通り無一文の自分に対し、もう着ていない服や古い家財道具などを譲ってくれたルチアとバルナバの二人の心からの親切に改めて感謝した。彼らなくしては新生活は始まらなかったことは明白だった。モナは二人は命の恩人であると同時に自分にとっての神様だなあ、と感じると小さく笑った。
と同時に、この美談はヴェルデ王国だからこそ成立した話であり、帝国ならばきっと違う結末が待っていたであろうことを想像しては小さく身震いした。
「荷物、これで全部かな?……ちょっと少なくない?もうちょっと、うちからなんか持ってく?」
「いえ。こんなにも親切にして貰っただけでもう充分です。ありがとうございます、ルチアさん。」
「そーお?……何か足りないものがあったら、すぐに言いなよ?」
「はい、ありがとうございます。」
ルチアの洋服とお古の調理器具、それから病室のベッド用にと買っておいたらしい真新しいベットシーツと布団一式を前に、モナはこんなにも親切にして貰えるだなんて自分は本当に幸運だとしみじみしてしまう。あまりの安寧に、あんなにも最低なことをした自分がこんなにも他人に親切にして貰ってもいいのだろうか、罰が当たってしまうかも…と要らぬ心配さえしてしまう。
が、ルチアにとっては年頃の女子が暮らすにはどうにもパッとしないというか、地味というか、華がないというか。仕方がないとはいえ些か映えない新生活の始まりに、何故かモナ以上に不満げだった。
「あ、そうそう。食器とか調理器具とか、モナが新しく気に入ったのがあったら、うちから持ってったのは遠慮なく捨てちゃっていいからね!」
「はい、分かりました。ありがとうございます。」
「それから昨日も言ったけどさ、とりあえず収入が安定するまでは、夕飯はうちに食べに来なよ。何回も言うけど、メイワクじゃないから。寧ろ叔父さんと二人きりだとお互いに息が詰まるからさ、モナみたいに可愛い子が来て場を和ませてくれたらめっちゃ助かる!」
「ありがとうございます。…可愛いかどうかは分かりませんが、お言葉に甘えさせて貰いますね。」
「…………なんて言うかさ、モナって真面目だね?」
「そうですか?」
「少なくとも、間違いなく、確実にあたしよりは真面目だね。」
何を言っても10日間寝食を共にしたとは思えないほどにガチガチに凝り固まっている返答しかしないモナに、最早これは習性なのだろうなとルチアは半ば呆れたように笑う。笑いながらも自分とも町の人々とも異なる性格のモナを、心底面白いと感じている彼女は夏の太陽のように明るくケタケタと笑うとモナの背中を叩いた。
モナは『ばしっ!』っと効果音が聞こえてきそうなほどに力強いものの、決して痛くは無い程度に力加減されたその手つきにルチアという人物の優しさと、それが齎す心地良さにほんの少し目を細める。それからなんと返答するのが適切か分からないが故に「ありがとうございます…?」と口にするや否や、「そーゆーところだぞ!」と軽妙な軽口が飛んできたものだから、思わず首を傾げてしまった。
「ま、あたしとしては、そんな真面目なモナだから、安心して託せるって感じなんだけどね。」
モナはなんとも意味深なルチアの言葉に、はてどういう意味なのだろうかとさらに首を傾げる。次いでその言葉の真意を聞いてもいいものなのか、それともやめておいた方が懸命なのか。モナがついつい深読みしては考えあぐねている間に、ルチアは元から備え付けてあった収納棚の引き出しを開けるとまるで勝手知ったようにゴゾゴゾと漁り出した。そして程なくして、随分と刃こぼれしては劣化した農具の数々――クワにジョウロ、カマといった農業に欠かせない道具から、荒れ果てた農地を開拓し、整備するには必要であろうハンマーやオノ――勿論こちらも随分と劣化しているようだ――を取り出すと、床に並べた。
(……すごい。初めて見た…!)
モナは生まれて初めて見る農機具の数々に感動すると同時に、それらが正しく使わなければ事故や怪我の元となりかねないものであることを痛感する。すると途端に自信というものは風船のように面白いほどにスルスルと萎み、あとには本当に自分に農業、それも牧場などという大それた仕事が勤まるのだろうかという不安だけが残る。残るだけならまだしも、ぐんぐんと肥大していった。
――どうしよう。やっぱり、無理かもしれない。
そんな弱気が、ふとモナに襲いかかっては表情を曇らせる。ルチアはそんなモナを見遣ると初めて言葉を交わした時のように優しい表情を浮かべつつ、静かにその傷ひとつない柔らかな肌をした手を取った。そして今度は痛いほどにぎゅうと握り締めると、ニコリと笑った。
「大丈夫、大丈夫!モナは新しい一歩を踏み出せたんだもん、絶対にもう一歩も踏み出せるよ!それにほら、あたしだってついてるんだから!」
「……ルチアさん…。」
「ほらほら、そんな暗い顔しないで?ちゃーんとルチア先生が初心者の君に、作物の育て方をレクチャーしてあげるから!!」
ルチアはそう告げると早速モナの手にクワを握らせるや否や、手を繋いだ。それからもう片方の空いている手にはジョウロを握ると、ルチアはモナの手をグイグイと引っ張っては玄関へと向かう。否、半ば引き摺るように引っ張っていく。
(…………なんていうか、勢いのある人だなあ…。)
そんなルチアに対してモナはと言えば、大人しく引き摺られていた。とどのつまり、されるがままだった。何しろルチアの行動といえば、親しい友達にするかのようなものなのだ。驚き、面食らわない方が無理だと言うものだろう。
と同時に、モナはこの10日間である程度理解したはずのルチアの性格――容赦なく照りつける真夏の太陽か、あるいは大嵐のような凄まじいパワーとエネルギーを持っていることを改めてまざまざと見せつけられると、何を言っても「いいんですよ。遠慮するものじゃありません。」とモナが何を言っても頑なに夕食に誘うことを諦めなかったバルナバの気持ちが少し分かるような気がして、笑ってしまった。……確かにこの人と24時間365日は、ちょっとしんどいかもしれない。
――でも、今はこの勢いが無性に有難くもあるのだ。
モナはつい零れそうになった笑い声を掻き消すかのように「はい、わかりました。よろしくお願いしますね、先生。」と口にすると、握らされたクワの柄をしっかりと握り締めた。
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