06_最初の一歩(3)
ー/ーモナが震える自身を抱き締めたまま、徐々に大地に還っていくオークを見つめ続けて一体どれくらいの時間が経っただろうか。もしかしたらほんの数十秒かもしれないし、あるいはもっと何分も見つめていたのかもしれない。それくらいに、モナは暫く呆けていた。
まずは既知の恐怖。何もかもを失ったあの日の感情がリフレインしていた。次いでルチアを守るためだったとはいえ、初めて他者を殺めてしまった罪悪感と、自分がこんなことが出来てしまう人間だったのだという失望感とがモナを襲った。それもただ襲うだけではなく波打ち際の小波のように何度も押し寄せては引き、押し寄せては引き、何度も何度も繰り返しモナを苦しめた。
――他者を害する理由は、幾らだってある。
モナは必死に自分に言い聞かせる。だってそうでしょう?事実として、自分が戦わなければルチアは死んでいたかもしれない。これは意味のない他害ではなく、正当な防衛だとモナは何度も何度も心の中で繰り返す。けれどそれが正当なものであれ不当なものであれ、結果として残ったものは帝国が自分に対して行ったこととなんら変わりないではないか。
モナはどうしようもなく込み上げてくる罪の意識と、結局は自分もあの兵士たちと同じに過ぎない存在だという意識に目眩さえ覚えた。どうしようもなく、吐き気がした。
「…………モナ。」
「………………ルチア、さん……。」
水面が映し出す自分の顔の、なんと情けないことか。誰かの命を背負う覚悟がないのなら、いっそうのことやはり自分など助からなければ良かったのだ――モナがそんなことをぼんやりと考えていると、不意にルチアが唇を開いた。モナは反射的に肩越しにルチアを見遣ろうとするも、もし彼女が自分を酷く侮蔑的な表情で見ていたらと思うと、顔を見れなかった。故にモナは俯いたまま、視線はルチアの足元に向けたまま彼女に向き直る。
どんな言葉で詰られても仕方がない。受け入れよう。それがどんな言葉でも、真摯に受け止めて咀嚼しよう。モナはそう心に決めると考えうる罵倒の言葉の中でも、特に今の自分にとってダメージが大きいであろうもの――『この町から出て行け』と言われる最低最悪の未来を、先に想像しておく。それはモナなりの、最近身につけたばかりのささやかな抵抗でもあった。誰かに傷付けられるくらいならば、せめて自分で自分を傷つけた方がいいという、極めて合理的なワンクッションの置き方だった。
けれどそのくせ平気な顔の裏に隠されたこの痛みを、誰かに気がついて欲しくて堪らない。大丈夫だと言って欲しい。認めて欲しい。もうこれ以上、自分から何も奪わないで欲しい――そんな感情があるのもまた、事実だった。
(………………、うん。大丈夫。)
さあ、覚悟は決めた。好きに料理すればいい。モナは先の戦闘とは反対に、たっぷりと時間をかけて心を鋼鉄でコーティングすると、ゆっくりと視線を上げる。ルチアの顔を、見る。果たして彼女はどんな顔をしているのだろうか。失望か、侮蔑か。あるいは軽蔑だろうか。いずれしろ、どんな感情でも受け入れるだけの覚悟がモナにはあった。それはもう何も失うものなんてないのだから、という半ば己の人生に対する失望だった。
「――――今の何!?すっごい!凄いすごい、スゴイ!!めちゃくちゃカッコ良かった〜!!」
「………………へ……?」
けれど。このルチアという少女は、一言で言い表すならばモナとは真反対の生き物なのだ。積み上げられた理論と根拠を元に感情を抑え、なるべく理性的に生きようと努めるモナとは反対なのだ。生来感情と衝動で生きている少女なのだ。とどのつまり、世間がノーを突きつけるような出来事に対しても、なんの根拠や確証もなくイエスと言えてしまう奇特な生き物なのだ。
例えるならばモナは大海をゆっくりと泳ぐクジラで、ルチアはこの大空を思いのままに飛び回る小鳥だ。本来ならば交わるはずのない、空と海の生き物だ。
――けれど、どういうわけかだか。こうして出会ってしまったのだ。
「モナって魔法使えるんだね、凄い!あたしね、魔法って初めて見たよ!うわ、なんかまだドキドキしてる〜……!!
……てかさ、モナ、良かったじゃん!何か思い出せたってわけじゃなさそうだけど、モナの特技がひとつ分かって良かったね!!何か手掛かりになるかも?」
「…………え、っと。その、ルチアさん?」
「ん?どった?」
「わたしを、その……、恐ろしい、とは、思わないんですか……?」
モナはちっとも予想通りの反応をしないルチアに、とうとう痺れを切らしたかのようにわざわざ自分を傷付ける言葉を口にした。それは心の中で思うだけならまだ耐えられたが、自ら口に出して相手に問うとなるとなかなかにエネルギーを削られる質問だった。こんな馬鹿らしい質問をしているという現実とあまりの情けなさと自己嫌悪から、モナの目には涙がじわりと滲んだ。
「どうして?だってモナは、あたしを守るために戦ってくれたんでしょ?」
ルチアは自分とは反対に、せっかくモンスターを退治したというのにいまいち晴れない顔をするばかりか、彼女にとっては理解不能としか言いようがない質問を前にキョトンとした表情を浮かべる。その顔の間抜けさときたら、リスが氷砂糖を齧ったかような妙なシュールさがあった。
けれど毎日感情に従って己が思うがままに起きているルチアとて、モナが現状何かを不安に思っていることは容易く想像出来た。果たしてその過剰なまでの自己評価の低さがどこから来るのかはさておき、ルチアは酷く動揺している様子のモナを窘めようとゆっくりと手を伸ばす。そして華奢な肩に触れ、優しく抱き寄せるとポンポン、と。母親が子供を励ますように軽く叩いた。
「……でもわたし、モンスターを殺したんですよ……?」
「そりゃあ、モナがモンスターを殺すことを楽しいとか気持ちいいとか思ってるサイコパスやカイラクシュギシャってやつなら、なら全力で引くけどさ。けど、モナはあたしとモナが生き残るために、仕方なくああいう手段を取ったんでしょ?ならあたしは感謝こそすれど、モナを怖いなんて思わない。」
「で、でも…!」
「……てかさ。そんなこと言ったら、モナこそあたしの方が怖いんじゃない?だってあたし、『猟師』だよ?バンバン野生動物、狩ってるよ?めっちゃ殺してるよ?」
「………………あ……。」
ルチアは幾つの励ましの言葉を並べ立てようとも、どうにも晴れないモナの表情に苦笑する。それから10日間同じ屋根の下で過ごしている間にたびたび感じていたこと――モナの言葉遣いや気遣い、あるいは身のこなし。そして医師である叔父のバルナバ曰く、人間とは例え記憶が欠落していようが、身についた習慣や根底にある思考まではそうそう変わらないであろうことを思い出すと、やはりモナは都市部の出身か、はたまた田舎の出だとしても裕福な家庭で育ったのだろうと改めて感じた。きっとモナは大切に大切に、大事にされて育ってきたのだろうなと、ルチアは微笑む。
けれどこれから自給自足を主としている自分たち田舎者に混じって暮らしていくには、世の中綺麗事だけじゃないことを知って貰わなければいけない。例え納得は出来なくとも、このイルクオーレという町は『そういう場所』なのだと承知して貰わなければならない。それは他の誰でもない、これからこの町の住人となるモナのためだと考えると、ルチアは改めて口を開いた。
「なんて言うかさ。あたし、叔父さんと違ってあんまり頭良くないから、上手く言えないけど。自分の命が危ない時とか、自分の大切にしてるものを守りたい時なんかは、仕方ないんだよ。
――もちろん、話し合いで解決出来るならそれが一番だけどさ。世の中にはモンスターとか野生動物とか、話が通じない相手もいるわけでしょう?あたしたちは時にはそういう相手に町の安全を脅かされたり、畑や家畜をめちゃくちゃにされることだってあるわけでさ。その時にちゃんと立ち向かわないと、後々大変なことになるのは自分自身なんだよ。」
それに、とルチアは言葉を続ける。
「あたしや町のみんなの場合はさ、ただ町を脅かす野生動物を害獣だって決めつけて狩って終わりじゃなくて。例えば肉は有難く頂くし、骨は砕いて肥料にする。毛皮は綺麗になめして現金にする。そうやって得た収入で、もう野生動物が入って来ないように町を囲う柵を直したり、新調したりする。そうやって普段はそれぞれ交わらないように上手く暮らせるようにお互いに工夫してるの。
――でも、こうやってあたしたちの生活圏に入ってきてしまったら、それは自然が上手く機能していない証でしょ?その場合は曖昧になってる境界を、ちゃんと正してあげないと。じゃないと、お互いに不幸になるだけだよ。」
「――――――――。」
モナはルチアの言葉のひとつひとつを、噛み締めるように受け止める。受け止めて、考えて、理解しようと必死に努める。
――確かに、ルチアの言葉は決して上手くはなかった。主観と客観とか入り交じっている上に感情がベースとなっているから、大いに散らかっていた。故に理解するのに少々時間がかかってしまったのも、また事実だった。けれど丁寧に投げ掛けられた言葉を咀嚼し、飲み込み、胃の中で分解するうちに、モナはルチアが言わんとしていること――『自然はお互い様で成り立っている』『殺したからといって、それが絶対的な悪では無い』――を、それとなく理解した。
(……ならわたし、もしかして、もしかしなくても――必ずしも悪いことをしたわけではない、の……?)
とはいえ、理解はしたものの納得にはまだ程遠かった。生まれてから17年間のうちに脳内にべったりと染み付いた帝国式の思考を簡単に切り捨てることも、アップデートすることも、まだまだ大人と子供の間の年齢であるモナには難しかった。
けれどともすればそこまで自分を嫌悪する必要はないのかもしれないと、ほんの少しだけでもそう思えたモナは真っ直ぐにルチアを見つめる。それから泣き笑いのような相変わらず情けない顔をぎこちなく歪ませると、下手くそな笑顔を浮かべる。そしてたどたどしくも唇を開くと、ルチアに今いちばん伝えたい言葉を紡いだ。
「…………ありがとうございます、ルチアさん。」
「ううん。こちらこそありがとうね、モナ。――本当に本当に、カッコ良かったよ。ヒーローみたいだった!」
(…………そこはヒロインじゃないんだ……。)
モナは無性に泣きそうになるのを誤魔化そうと、わざとどうでも良い場所にフォーカスしてはくだらないことを考えてみた。何故だか、今度は自然と笑えた。
――少しだけ、あの日から絶え間なく心を覆う曇天が、晴れた気がした。
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