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03_田舎町イルクオーレ(3)

ー/ー




「……記憶喪失、だと?」
「うん、そうみたいなの。叔父さん、診てあげて?医者でしょう?」

 階下からなんとも賑やかな音が響いた数分の後、少女は叔父にあたる人物を引き連れてくると慌ただしくモナの眼前に突き出した。モナは少女とどこか似た雰囲気のある中年の男性の鋭い視線を向けられると、彼女の発した言葉――『医者』という言葉に神経を張り詰める。それからなんとしてでもこの嘘を貫き通し、真にしなければとこくり、小さな音を喉から零すと緊張からカラカラに乾いた口内の中にかろうじて残った唾を飲み込んだ。
 モナはそうやって意味のあるような、はたまた意味のないような、どちらとも分からない行動を何度か反芻してからようやっと覚悟を決めると、そうっと顔を上げた。チラリと伺うように眼球を動かし、自身を見下ろす男性を見上げた。

「………………。」
「………………。」

 なるほど、こうして観察してみると確かにあの少女の面影を感じる男性だなと、モナは考える。彼女と同じくグレーアッシュの髪に青い瞳、医師らしく短く整えられた髪、短くほんの少しだけ鋭い顔つき――少女の言う叔父という言葉に、疑う余地がそれほどないことは確かそうだった。もしこれで親族でないと言う理論がまかり通るならそれは酷い暴論に違いないと、モナは努めて冷静に考える。そうでもしなければ極度の緊張でどうにかなってしまいそうだった。

「……………………ルチア。」
「んぁ?なあに?」
「……いつも言っているだろう?治すばかりが治療ではないんだよ、と。」
 
 さて。医師というプロ相手に一体どう人生をかけた虚栄を現実だと主張しようかと、モナが必死に思考を巡らせている時だった。先に男性が沈黙を破ったかと思えば、彼は深い深いため息を吐く。それから少女――どうやらルチアという名前らしい――に対して、呆れた様子で首を振った。続けてモナの被っている毛布に手を伸ばし、しっかりと肩まで引き上げると「ご覧、ルチア。お前がむやみやたらに騒ぎ立てるものだから、すっかり怯えて震えているじゃないか。」と、外見に反して優しい声を発した。
 
 ――その時だった。モナは初めて男性に指摘され、ベッドに横たわる自分の身体をそうっと見下ろして初めて、どうしようもなく震えていることに気がついた。さながら雨に濡れた子犬か子猫か、もしくは群れからはぐれた羊のようだと、モナはそんなことをぼんやりと思った。そして自らの身体が示している反応を他者から指摘されることで、やっとあの時の追われる恐怖やこれからどうすれば良いのかの目処すらついていない現状に、心細さと不安とを抱えていることを自覚した。
 ともすると、人間という生き物はなんとも分かりやすいもので。モナは今更ながらも天涯孤独になったという事実、ようやくこの場を切り抜けたとて自覚した自らの今後の保証がないこと等、山積みになっている問題に気がついてしまうときゅっと唇を結んだ。

(………そっか。わたし…。)
 
 モナは泣くな、泣くな、と自らに言い聞かせる。けれどそう言い聞かせるほどについ顔を覗かせる寂しさや絶望感がどうしようもなく喉の奥から込み上げてくると、ついに涙として顕現してしまった。モナは嫌でも漏れ出すしゃくれ声と、素性も知らない赤の他人に泣き顔を見られていることと、恐らくは親切な人間であろう彼らの困ったような、はたまた驚いたような顔にとことん自分が情けなくなると必死に身体を捩る。どうにも言うことを聞かない身体に横を向くよう命令して、肩までかかっている毛布を引き上げて、顔を隠した。

 ――見ないで欲しい。
 
 こんな情けない自分も、見知らずの他人を困らせている厄介な自分も、何もかも。

 ――聞かないで欲しい。

 嫌でも溢れ落ちる嗚咽も、涙の理由も、これからのことも。

 ――なのにそのくせ、放っておいても欲しくなくて。

 モナはいっそうそんな自分が嫌になった。どこの誰とも知らない少女とその保護者であろう男性に、一体何を高望みしているのか。自分でもわけのわからない感情と思考に、モナは呑まれる。

「…………ええっと、さ。君、キオクソウシツってことは、何にもないんだよね?住む場所も、仕事も。」
「――――――――。」

 直球すぎるくらいに直球な少女の言葉に、モナは嫌でも泣き声を大きくしてしまう。……ああ、言わないで欲しかった。こんなことなら目先の利益に釣られて、記憶喪失だなんて嘘をつかなければ良かった。例えここが帝国領内で、待つものが地獄だとしても、素直に素性を明かせば良かった。モナの頭の中を、そんな後悔がぐるぐると渦巻く。行き場を失った感情が、涙として際限なく溢れてくる。
 
「…………ルチア。言い方。」

 するとそんなモナを見兼ねたのか、あるいはあまりにも対局すぎる二人の少女に居た堪れたくなったのか。男性がごほんと大きく咳払いをしてから、ルチアを咎める。するとルチアはなんともバツの悪そうな顔をしながらも「仕方がないじゃん、あたしは叔父さんと違って学がないんだから……。」とブツクサ文句を口にしながらも、静かにモナが横たわるベッドのサイドまで歩み寄った。
 そしてルチアは無理にモナの顔を覗き込もうとはせず、代わりに毛布越しに震える背中に向かって、もう一度だけ何かを確かめるように男性の方を見遣ってから、彼女が持てる精一杯の気遣いを込めた言葉を発した。

「……あのさ。もし君さえ良ければだけど。牧場とか、やってみない?」
「……………………ぼく、じょう……?」
「そう、牧場!この町にね、使ってない牧場があるんだ。ちょっと諸事情あってもう10年くらい牧場主は居ないんだけどね。君さえ良ければ、そこに住んでこの土地と生きてみるのはどうかな、なんて思って!
 ……牧場ってね、すっごくやり甲斐あるし楽しいんだ。土を耕して、種を植えて。その種から芽が出て、茎が伸びて、花が咲いて、実が出来て。それを自分で食べた時の感動なんて、もう、最高なの!!あとは〜…家畜を飼えば可愛いし、収入も安定するし、――なにより、もう、一人じゃないよ。今泣いてることだって、笑い話に出来ちゃうくらいに、退屈しない。絶対!」
「――――――。」

 ルチアの言葉に、モナは戸惑う。それもそのはずだった。記憶喪失を自称する人間の素性も調べず、それどころか定住を勧めてくるお人好しがどこに居ようか。ここに居るのだから、モナは困惑すると同時に困り果ててしまった。動揺のあまり、一瞬で涙が引っ込んでしまう。

(………できっこない。できっこないよ、そんなの……。)

 モナは頭の中で弱音を呟く。それもそのはず、モナら帝国の中でも都市部に住んでいたし、整備された都市の中では土に触れる機会なんてただの一度もなかった。動物を飼ったこともなかったし、なにより一人で生活したことなんて当然なかった。料理や家事だって、決して得意なわけでもなければ経験豊富なわけでもなかった。不安要素が大きすぎる。

(……でも、生きるためには、やるしかない……よね。)

 モナは頭の中と胸の中に渦巻く不安と、今後の現実とを天秤にかける。無論そんなものは比べるまでもなく、実質選択肢などあってないようなものだった。

「それにそれに!町に新しい人が増えたら、きっとみんな喜ぶし!ね、叔父さん!」
「ああ、そうだね。その選択肢は医師としてもこの町の住人としても正しい。――記憶喪失は精神に大きな負荷が掛かることで発現する、いわば心の傷を具象化したものだ。この町はいいところだからね。ここでのんびり暮らすうちに傷が癒えて、いずれ何かを思い出せるようになる可能性は大きいと思うよ。」
「………………はい。」

 モナは目に残る涙をゴシゴシと乱暴に拭ってから、頭まですっぽりと被った毛布をそろりそろりと退かす。そうやってあたたかな陽に満ちた室内で改めてルチアを見つめると、小さくともしっかりと頷いたのだった。


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「うん、そうみたいなの。叔父さん、診てあげて?医者でしょう?」
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 モナはそうやって意味のあるような、はたまた意味のないような、どちらとも分からない行動を何度か反芻してからようやっと覚悟を決めると、そうっと顔を上げた。チラリと伺うように眼球を動かし、自身を見下ろす男性を見上げた。
「………………。」
「………………。」
 なるほど、こうして観察してみると確かにあの少女の面影を感じる男性だなと、モナは考える。彼女と同じくグレーアッシュの髪に青い瞳、医師らしく短く整えられた髪、短くほんの少しだけ鋭い顔つき――少女の言う叔父という言葉に、疑う余地がそれほどないことは確かそうだった。もしこれで親族でないと言う理論がまかり通るならそれは酷い暴論に違いないと、モナは努めて冷静に考える。そうでもしなければ極度の緊張でどうにかなってしまいそうだった。
「……………………ルチア。」
「んぁ?なあに?」
「……いつも言っているだろう?治すばかりが治療ではないんだよ、と。」
 さて。医師というプロ相手に一体どう人生をかけた虚栄を現実だと主張しようかと、モナが必死に思考を巡らせている時だった。先に男性が沈黙を破ったかと思えば、彼は深い深いため息を吐く。それから少女――どうやらルチアという名前らしい――に対して、呆れた様子で首を振った。続けてモナの被っている毛布に手を伸ばし、しっかりと肩まで引き上げると「ご覧、ルチア。お前がむやみやたらに騒ぎ立てるものだから、すっかり怯えて震えているじゃないか。」と、外見に反して優しい声を発した。
 ――その時だった。モナは初めて男性に指摘され、ベッドに横たわる自分の身体をそうっと見下ろして初めて、どうしようもなく震えていることに気がついた。さながら雨に濡れた子犬か子猫か、もしくは群れからはぐれた羊のようだと、モナはそんなことをぼんやりと思った。そして自らの身体が示している反応を他者から指摘されることで、やっとあの時の追われる恐怖やこれからどうすれば良いのかの目処すらついていない現状に、心細さと不安とを抱えていることを自覚した。
 ともすると、人間という生き物はなんとも分かりやすいもので。モナは今更ながらも天涯孤独になったという事実、ようやくこの場を切り抜けたとて自覚した自らの今後の保証がないこと等、山積みになっている問題に気がついてしまうときゅっと唇を結んだ。
(………そっか。わたし…。)
 モナは泣くな、泣くな、と自らに言い聞かせる。けれどそう言い聞かせるほどについ顔を覗かせる寂しさや絶望感がどうしようもなく喉の奥から込み上げてくると、ついに涙として顕現してしまった。モナは嫌でも漏れ出すしゃくれ声と、素性も知らない赤の他人に泣き顔を見られていることと、恐らくは親切な人間であろう彼らの困ったような、はたまた驚いたような顔にとことん自分が情けなくなると必死に身体を捩る。どうにも言うことを聞かない身体に横を向くよう命令して、肩までかかっている毛布を引き上げて、顔を隠した。
 ――見ないで欲しい。
 こんな情けない自分も、見知らずの他人を困らせている厄介な自分も、何もかも。
 ――聞かないで欲しい。
 嫌でも溢れ落ちる嗚咽も、涙の理由も、これからのことも。
 ――なのにそのくせ、放っておいても欲しくなくて。
 モナはいっそうそんな自分が嫌になった。どこの誰とも知らない少女とその保護者であろう男性に、一体何を高望みしているのか。自分でもわけのわからない感情と思考に、モナは呑まれる。
「…………ええっと、さ。君、キオクソウシツってことは、何にもないんだよね?住む場所も、仕事も。」
「――――――――。」
 直球すぎるくらいに直球な少女の言葉に、モナは嫌でも泣き声を大きくしてしまう。……ああ、言わないで欲しかった。こんなことなら目先の利益に釣られて、記憶喪失だなんて嘘をつかなければ良かった。例えここが帝国領内で、待つものが地獄だとしても、素直に素性を明かせば良かった。モナの頭の中を、そんな後悔がぐるぐると渦巻く。行き場を失った感情が、涙として際限なく溢れてくる。
「…………ルチア。言い方。」
 するとそんなモナを見兼ねたのか、あるいはあまりにも対局すぎる二人の少女に居た堪れたくなったのか。男性がごほんと大きく咳払いをしてから、ルチアを咎める。するとルチアはなんともバツの悪そうな顔をしながらも「仕方がないじゃん、あたしは叔父さんと違って学がないんだから……。」とブツクサ文句を口にしながらも、静かにモナが横たわるベッドのサイドまで歩み寄った。
 そしてルチアは無理にモナの顔を覗き込もうとはせず、代わりに毛布越しに震える背中に向かって、もう一度だけ何かを確かめるように男性の方を見遣ってから、彼女が持てる精一杯の気遣いを込めた言葉を発した。
「……あのさ。もし君さえ良ければだけど。牧場とか、やってみない?」
「……………………ぼく、じょう……?」
「そう、牧場!この町にね、使ってない牧場があるんだ。ちょっと諸事情あってもう10年くらい牧場主は居ないんだけどね。君さえ良ければ、そこに住んでこの土地と生きてみるのはどうかな、なんて思って!
 ……牧場ってね、すっごくやり甲斐あるし楽しいんだ。土を耕して、種を植えて。その種から芽が出て、茎が伸びて、花が咲いて、実が出来て。それを自分で食べた時の感動なんて、もう、最高なの!!あとは〜…家畜を飼えば可愛いし、収入も安定するし、――なにより、もう、一人じゃないよ。今泣いてることだって、笑い話に出来ちゃうくらいに、退屈しない。絶対!」
「――――――。」
 ルチアの言葉に、モナは戸惑う。それもそのはずだった。記憶喪失を自称する人間の素性も調べず、それどころか定住を勧めてくるお人好しがどこに居ようか。ここに居るのだから、モナは困惑すると同時に困り果ててしまった。動揺のあまり、一瞬で涙が引っ込んでしまう。
(………できっこない。できっこないよ、そんなの……。)
 モナは頭の中で弱音を呟く。それもそのはず、モナら帝国の中でも都市部に住んでいたし、整備された都市の中では土に触れる機会なんてただの一度もなかった。動物を飼ったこともなかったし、なにより一人で生活したことなんて当然なかった。料理や家事だって、決して得意なわけでもなければ経験豊富なわけでもなかった。不安要素が大きすぎる。
(……でも、生きるためには、やるしかない……よね。)
 モナは頭の中と胸の中に渦巻く不安と、今後の現実とを天秤にかける。無論そんなものは比べるまでもなく、実質選択肢などあってないようなものだった。
「それにそれに!町に新しい人が増えたら、きっとみんな喜ぶし!ね、叔父さん!」
「ああ、そうだね。その選択肢は医師としてもこの町の住人としても正しい。――記憶喪失は精神に大きな負荷が掛かることで発現する、いわば心の傷を具象化したものだ。この町はいいところだからね。ここでのんびり暮らすうちに傷が癒えて、いずれ何かを思い出せるようになる可能性は大きいと思うよ。」
「………………はい。」
 モナは目に残る涙をゴシゴシと乱暴に拭ってから、頭まですっぽりと被った毛布をそろりそろりと退かす。そうやってあたたかな陽に満ちた室内で改めてルチアを見つめると、小さくともしっかりと頷いたのだった。