◇◇◇静かな庭園◇◇◇

ー/ー





 国防軍の馬を借り、深夜の草原を駆ける。ユリウスとミラノの馬を先頭に、クレイとハーディス、アルヴァ、ソーマが騎乗していた。あとには炬火を掲げた国防隊員が続いている。
 眩暈がするほどの、満天の星空。
 なだらかな丘陵を越え、小高い丘を駆け登る。
 天然の地層を背に、荒廃した城塞跡が佇んでいた。寂れた城門。何の気配もない、静寂の空気。馬を置いて廃墟の奥へ入っていくと、地層の岩肌を抉るような巨大な門が目に入った。
 偵察隊の報告にあった通りの、『二つ蛇の門』だ。
 古い血の跡が飛び散り、まだ最近の血糊も、黒くこびりついている。
 『心臓の血を注いでみると良い。その熱きに応えよう』
 そう刻まれた文字。――300年間、ここで多くの魔女探しが犠牲になったのが窺える。
「……ここでゼロファが裏切ったんだ。あのときはメルド湖沼地帯の中から、どうやってここに辿り着いたのかよく分からなかったが……こんな位置関係だったんだな……」
 ぽつりと呟いたクレイの声が、つめたい廃墟に響いた。
「クレイさん……」
 魔女の手下が仲間に紛れ、魔女探し達を破滅に導く。それは多分、何度も繰り返されたきた事なのだろう。行動速度の速いクレイの回避力が、彼を生き延びさせた。
 情報共有を軸におく協会の情報網に載せることで、手下の存在が世間に知られるようになった。その根幹の舞台が、この『二つ蛇の門』の扉ということだ。
 
「とにかく。ここまで来て、改めて魔女罠が待ってた訳だ。仲間割れの為の文章にも見えるが、もしかして謎掛けか?」
「……そうかも知れません。あの人は、言葉遊びをするような面がありました」
「あ、そうそう! セト先生、古書の文章解釈とかにもすっごくこだわってました!」
 魔女に関する一番険悪な場所の筈だが、緊迫感が一気に和む。ミラノの嬉しそうな声が反響したせいだろう。
「う~ん、謎かけ? 言葉通りじゃないのか?」
 ソーマが平然と扉に近づき、血糊がこびりついた入口に触れる。
「言い換えれば『心血を注いだ情熱に応える』。つまり皆で力を合わせて、こじ開けろって事じゃね?」
「いや、それは流石に……」
 じっと様子を見ていたミラノが、突然、ぱっと飛び出してきた。
「ソーマさん、そのまま止まってください!」
「へっ?」
 扉に添えていたソーマの手に、ミラノの手が重なる。
 そこに(祝福)の白い輝きが溢れだした。
「な、聖女様?」
「動かないでください。魔女の師匠であるヒカゲと縁のあった貴方なら、私と一緒に鍵になるんじゃないかと……!」
 パアッと目映い光が廃墟中の石壁に反射する。
 ゴゴ……と扉の奥で何かが動いた音が響き、ズン、と落ち着いた。
 スウッと光が引くと、石の扉に刻まれていた2匹の蛇が、消えてしまっていた。
「「……え……」」
 全員が、呆然と扉を見上げる。
「――どうやら、罠を消滅させちまったみたいだな」
「えっ?! ご、ごめんなさい、大丈夫かな……?!」
「良かったんじゃねぇ? 謎掛けに間違って、さっきの蛇に襲われる危険が無くなった訳だ」
 聖女ミラノの肩を叩いたソーマは、くるりと踵を返してアルヴァとハーディスの後ろに回った。
「最初に扉開けるの怖いからさ~、あとは任せた!」
 ソーマの軽い調子はともあれ、確かに、ここで扉を開けるのは自分達の役割だろう。
 アルヴァは小さく息をついて、クレイとユリウスに許可をとる意味で視線を交わし、頷いた。
「聖女様は少し下がっていて下さい。突然魔物が飛び出してくるかも知れません」
「あ……わ、わかりました。気を付けてくださいね、アルヴァさん」
 聖女ミラノが護衛のユリウスに肩を取られたのを確認してから、彫刻の消えた扉に手をかける。
 ――ゴゴゴゴゴ……
 重い音を立てながら、巨大な岩の両扉が抵抗なく開いていく。魔物の気配も、何かの罠が作動するような気配もない。
 ドンと抵抗の感触があり、大人が2人並べる程の幅で扉が動かなくなった。
「何だ? 壊れたのか?」
「いえ、ここまでが扉の限界のようです。……内側の通路の幅に、ピッタリ合っていますし」
 派手な扉の巨大さに似合わぬ、細い入口。
 奥へと続く真夜中の寂れた城砦の地下通路には、外よりもつめたい空気が流れる。
 ――この奥に、魔女イオエルが――。
 小さく息をのみ、アルヴァはそっと通路の中へ足を踏み入れた。
 シュ、と何かが足元を払う。
「アルヴァ!!」
 一瞬で、クレイの声と炬火の光源が、消えた。


◇◇◇


 ――寒い。
 冷たい石畳の感触とは違う。
 全身が、無機質な冷たい風に晒されている。
「おはよう。手荒な真似をしてごめんね。アルヴァ」
 冷たい風にさらりとした茶髪が流れる。すぐ傍で、声の主が微笑んでいた。
「っ……イオ……!」
「動いちゃ駄目。危ないよ。アルヴァ」
 トン、と暖かい指先が口元に触れた。
 ――イオエル=リンクス。
 ふわっとした穏やかな笑顔と、深い、緑の瞳。
 はっと自分の状況を見下ろすと、四肢を無数の赤黒い蛇に拘束され、廃墟の上に晒されていた。眼下にひろがるのは、教会の中庭のように整備された、冬の庭園だ。
 いや、この廃墟となった砦に囲まれた構造はもしかすると、小規模な王城の庭園に近いかも知れない。 
「可愛い勇者さん達が、もうすぐここに辿り着く。素敵な人質として一緒に出迎えてくれるかしら」
「……イオエルさん……」
「この方がみんな、私と戦いやすいでしょ?」
「…………イオエル…………」
 ――こんな状況なのに、胸が痛いほど、嬉しい。
 人々に『世界を支配する魔女』の存在を知らしめるだけなら、手近なアーペの街を蹂躙するだけでも、良かった筈。
 どうしてわざわざ、各国の代表者に呪いを掛けたのか……わかった気がする。
「……貴女はもしかして、国家単位の勢力に倒される為に、皆の前に現れたんですか……?」
「――――……本当に、あなたはいつも、面白い事を言ってくれるわね」
 軽く笑ってみせながら、緑色の瞳が、ちいさく揺れたように見えたのは――。
 
 ゴゴゴゴ……と扉を開ける音が、遺跡の端から響いてくる。
 さっきまで一緒にいた顔触れが、辺りを警戒しつつ庭園に足を踏み入れるのが、よく見えた。
 ざあ、と庭園中にイオエルの風魔法が逆巻く。
「ようこそ。……可愛い勇者さん達」
 黒い外套を脱ぎ捨て、ほとんど白布一枚の衣装を纏った魔女が、満天の星空を背に、ふわりと浮いた。
「先生……! アルヴァさん!!」
「セト=リンクス! どうして俺達と一緒に、過ごしてきたんだ……どうして、いま、正体を現したんだ……!」
 ミラノとクレイの声が、冷たい空気に響いていく。
 ハーディスとユリウスがその傍を固め、そのうしろにソーマがついてきている。が、門まで一緒だった筈の国防隊員の姿はない。

「セトの人生は、ただの気紛れよ。私達が知り合ったのは、偶然……。いえ、あなた達が引き寄せた、強運かも知れないわね」
 いつもどおりの、穏やかな魔女の声。
 と同時に、すう、と緑の庭園が闇魔法の暗闇に包まれていく。
 中央議会が闇魔法に包まれた時と同じ。
 しかも今は実際、夜の闇が支配する、真夜中だ。
 また、蛇の毒が――
「皆、逃げろ……!」
「アルヴァさん、待ってて! いま、助けます!」
 ぱあっとミラノの白い《祝福》が即座に炸裂し、闇魔法を打ち消しながら、サアッと庭園のなかの闇の気配を塗り替えていく。手足を拘束していた黒蛇が、白く消滅していく。
 自由になった手足で、アルヴァは、廃墟の屋根を踏みしめた。
「――アルヴァさん、連携して!」
「いくぞ、アルヴァ!」
「アルヴァさん!」
 一斉に名前を呼ばれた。
 ハーディスの魔法に物理攻撃を合わせろというのも、クレイが双剣で踏み込む位置関係を計れというのも、聖女ミラノが切実な無事を願ってくれたのも、わかる。
 だが――。
 イオエルを傷付けるなんて、できない。
 

◇◇◇アルヴァの血濡れた剣◇◇◇


 魔女の師匠ヒカゲの影響をうけた『光明の聖女』ミラノの《祝福》と(真名を掌握)するソーマの助力。
 『王都リュセルの英雄』ハーディスの天才的な魔法。
 『魔女探し[[rb:協会 > ホライズン]]』の最強双剣士クレイ。
 それに、ユリウスを代表とする各国の後ろ盾。
 ――たしかに、『世界を支配する魔女』を倒す条件は、揃っている。逆にこれだけの環境がなかったら、いつ、魔女を倒せるというのだろう。
 英雄としての華々しい能力を持つ仲間達。だけど自分には、特別な力なんて何もない。せいぜい最近になって《双剣士》に適性があると判った程度。魔女にとっても人質として扱われる始末だ。
 アルヴァが踏みしめた足元の遺跡は、脆くて冷たい。
「……すみません。やっぱり俺には、この人を傷付ける事は、できない」
 ――聖女ミラノに冗談のように言った事が、現実になるとは。『最後に皆の敵になるのは、自分かも知れない』と――――。
 シュ、と背中に収まっていた双剣を抜き、構える。
 その相手は、ついさっきまで一緒にいた仲間だ。
 迷いも後悔も無い。
 何も言わず、自分の言動を認めるようにそっと佇んでいるのは《魔女》イオエル。
 だた、それだけが、心の底から、嬉しい。
 ――これだけはハッキリしている。
 洗脳でも、催眠術のせいでもない。
 イオエルを護るのは、この身体に宿る、魂の意思だ。

「アルヴァ、お前……!」
 想像どおりの、クレイの貌。でも、それでも、イオエルに剣を向けるよりもずっと、痛くはない。
 温かいぬくもりが、ふわっと頭の上を覆う。
「私を、庇ってくれるの? アルヴァ。ふふ、小さい頃と変わらない、優しい子ね」
「……俺は、絶対に、貴女を護ります」
 断言した、自分の声。
 目の前には、優しく微笑んだ緑色の瞳のイオエル。
 俺は……自分は……。
 この女性と、共に在るために、生まれてきたんだ――。
 ひとつに結んだ髪の白い髪留めを外す。これは魔女と再開したいという密かな願掛けだった。視界の端で自分の金髪が、サラッと軽く冷たい風に揺れる。
「…………その双剣、どうしたの?」
「俺の適性は《双剣士》だそうです。ソーマが用意してくれて……――!」
 話をしている間に、ザッとクレイの俊速剣が斬り込んできた。咄嗟にその太刀筋を防いだ足元を、イオエルの魔力が補助してくれる。
 ギリ、と金属音がクレイとの間に擦れるのは、本日これで2回目か。
「アルヴァ、目を醒ませ! いくらセトが友人でも、各国の代表者に呪いをかけた、討伐対象……『世界を支配する魔女』だ!」
「わかってます。でも、だったらクレイさんは、大事な人に剣を向けられるんですか?」
 すうっと、冷静に言葉をかえす。
 クレイを相手にしているのに、負ける気がしない。
「……お前……どうしてそこまで……」
 怯んだ隙に、ジャッと刀身を滑らせて重心を外し、足を払う。さっきやられた技法をそのまま返させて貰った。が、崩した姿勢からババッと距離をとったクレイの動きは、流石だ。
  [[rb:口風琴 > ハーモニカ]]の低音。圧縮した空気が身体を拘束してくる。同時にばあっと強烈な《祝福 》の輝きが炸裂し、視界が真っ白に染まる。
 ――さすが、英雄たちの連携。
 もし俺が魔女に操られているのなら、最善の対応だっただろう。
 だが――。

「――聖女様に、感謝を。……全部、想い出した……」
 小さな魔力で風魔法の圧縮方向を反転。
 僅かに乱れた拘束力の隙間を脱出。
 四肢にからみついた魔力を双剣の魔力で、斬り捨てる。
 そこに秒もかからない。
 人間を相手にした戦場では、風魔法で拘束されることは死に直結した。戦争が無く、魔物としか戦闘経験が無い剣士は、知らない技能だろう。
 キリ、と双剣を構え直した姿勢に、魔力を載せる。

 ――目の前に布陣する敵軍3万。背後に布陣する自国の軍勢3万。あの時の重責と壮絶さに比べれば、少数精鋭の英雄程度、脅威ではない。
 だが彼らと戦闘になれば、手加減はできない。

「……っ! ……アルヴァの気配が、変わった……!?」
「な、なんて威圧感……!」
 そうつぶやくハーディス達の位置まで後退したクレイは、ぐっと双剣を低く構える。
「……大切な人……お前にとっては、本当に、彼女が…………」
「…………」
 アルヴァは威圧感を残し、背後に立つ魔女イオエルに、そっと向き直った。
 
 ――今なら、ヒカゲが一言だけ残していった言葉の意味が、わかる。レトン王国『緑の戦士』の片割れ、双剣士『レイティア』――。
 それが、この身体に宿る魂の、ひとつ前の人生の名前。
 彼女はいつもイオエルと共にあった。
 今すぐ名乗って、抱き締めたい――……。けれど今、そんなことをしたら、余計な混乱を招くだけだ。ぎゅ、と手の中の双剣を、握り締める。

「イオエル。これからは戦争の抑止力には(ホライズン)が動きます。もう……やめましょう」
「……私は、引かないわ。共通の敵がいないと、国って本当に些細な事で、無駄な喧嘩をはじめるのよ」
 ポンとアルヴァの肩を叩いた魔女イオエルは、息をのんで見上げる勇者たちの前に出る。
「――各国代表者に呪いをかけて皆を集めたのは、私の脅威を改めて知らしめるため。ティユを倒したのは凄いけど……友人である[[rb:セト > わたし]]を、貴方達はほんとうに、殺せるの?」
 すう、と両手をひろげた魔女イオエルの足元から、再び無数の黒蛇と暗闇が立ち昇ってくる。それ自体は幾度仕掛けたとしても、聖女ミラノの《祝福》で対処できるだろう。が、皆の眼差しに迷いがあるのは、確かだ。
「先生! みんなの呪いを解いてください! 私は、先生と戦うつもりなんて――」
 ――蛇が魔女の足元にしか発生しないということは、ない。
 ミラノが祝福の光を炸裂させた足元で、ドオッと黒蛇が立ち昇る。
「っ!」
 即座に対応したユリウスの、風魔法を乗せた剣捌き。権力者の肩書に実力を甘くみていたが、長剣遣いとして天才の域だ。
「やれやれ。皆さん、ここは挑発に乗るのが、礼儀というものですよ」
 長剣を軽く構えたユリウスは、クレイとハーディスの前に歩をすすめた。
「『世界を支配する魔女』――。私とは、セト=リンクスの死体を運んだという縁がありますね。今度は、魔女の棺を、運んで差し上げましょう」
「ふふ、随分と格好良い護衛ね」
 小さく笑ったイオエルは、軽く右手を翳した。ザアッと出現した無数の大きな水球が高速で打ち出される。クレイとユリウスの素早い剣捌きが水塊を粉砕するも、急角度でハーディスに軌道が集中した。
「ハーディス!!」
「……!!」
 はっとした次の瞬間。
 水塊がハーディスの全身を包み、その音を、完封していた。
「魔法使いは詠唱を防がれたら、何も出来ない。楽器ごと封じさせて貰ったわ。さて、ハーディスの息は、どのくらい持つかしら?」
「……彼に死んで貰っては困りますね。シェリース王国と繋がる、貴重な人脈です。――クレイ! 貴方は元々魔女探しでしょう。迷いを捨てて下さい!」
「っ……! くそ、どいつもこいつも!!」
 ダッと攻勢に入った瞬速のクレイに、後発連携したユリウスの風魔法が載る。最強の域にある剣士が、ふたり。
 だが――。

 ガガガガガッ!
 速く重い2人の剣撃を、受け流し、撃ち返す。どんなに速くても、目標はひとり。その動きを見切るのは容易い。
 ――ソーマから貰った双剣が、人間の血脂を吸ったのは、残念だ。
 アルヴァはふたりの剣撃を払い退け、体勢を姿崩しつつも距離を取ったのをみて、ビッと刀身の血を払った。
「……彼女は、傷付けさせません」
「な……アルヴァ……その剣術、一体……」
「これは、見誤りましたね……」
 呻くように顔をあげたクレイとユリウスの右肩は、もう、あがらない筈だ。戦争を知らない人間なんて、相手にならない。
 ハーディスは……。
 やりようは色々あるが、このまま気絶したところでイオエルは魔法を解くだろう。すぐにソーマが治癒すれば――。
 ふと、息をのむ。
 さっきまでいたはずのソーマの姿がない。

 突然、後頭部にトッと衝撃が響いた。
 揺れた視界の隅で、サアッと薄紅色の回復魔法が前衛ふたりを包む。
「双剣の使い心地はどうだ? アルヴァ」
「ソーマ?! な、離し――」
 まったく、動きが見えなかった。
 ソーマに胴を抱えられている状況に、声をかけられてから気付くなんて――。
「――イオエル。こいつは貴女のものだ。お返しするぜ!!」



◇◇◇辿り着いたふたり◇◇◇


「??!?!!!」
 ゴオッと風魔法を纏い、物凄い勢いで、投げ飛ばされた。
 人を空から放り出したり投げ飛ばしたり――ソーマは本当に、適当すぎだ!
 咄嗟に受け身を取る着地点を確認するが――イオエルが、何をする気配もなく、突っ立っていた。
「な、イオ……避け……っ!!!!」
 ぶつかりながら咄嗟に彼女の身体を抱え、位置を反転する。ドオッと背中から廃墟の石畳に叩きつけられた衝撃に、息がとまった。
 巻き上げた土埃。
 イオエルの茶色い髪が、ぱら、と頬にかかる。
「……レイ……ティア……?」
 目をあけると、イオエルの、困惑したような顔が覗き込んでいた。
 同じ戦場を駆け抜けてきた、レトン王国『緑の戦士』の相方。おたがいの戦い方は、もちろんよくわかっている。

 そっと、冷えた白い頬に手を添えた。
「……そうだよ。傍にいられなくて、ごめんね……」
 イオエルのつめたい手が重なる。
 大粒の涙が零れて彼女の頬を流れ、俺の頬に落ち、伝っていく。いま自分の口から出てきた暖かい声は、自分だけど、自分じゃない。
 アルヴァという自分の奥にいる、レイティアのものだ。
「……イオエル。今の俺は、アルヴァです。……みんなの呪いを解いて、俺と一緒に、どこか遠くへ行きましょう。どこまでも一緒に行きます。……今度こそ」
 飛行機械を活用した将来的な《ホライズン》の活動で、説得をするつもりだった。でも、説得とか利害とか、そういう、理屈なんてものは、イオエルには届かない。
 彼女は、感覚で動いている。
 それはあの戦乱の時代に培われた、生きていくための手段だ。
 零れ落ちる涙と一緒に、長く、深い溜め息が、ゆっくり落ちてくる。
「……あなたを、ずっと……」
 突然、ぱあっと真昼のような輝きが頭上で炸裂した。高く響く、[[rb:口風琴 > ハーモニカ]]の魔力。ハーディスが、集中力の切れたイオエルの水魔法を破ったのか!
「どけ、アルヴァ!!」
 俊速のクレイが斬り込んできた――が、イオエルを庇う為にさっき双剣は手放してしまっていた。
 咄嗟に彼女を庇って、斬撃に背中を向ける。

『風よ』
 イオエルの一声で、強烈な風の斬撃がクレイに直撃する。
『水よ』
 継いだ水魔法の矢が、ユリウスを至近距離から襲う。
『炎よ』
 ずぶ濡れで咳き込むハーディスに、火炎弾が降り注ぐ。
 一気に放った攻撃魔法で煙った視界のなか、そっと地面に触れたイオエルの声が、高く、響く。
『盟約のもと 来たれ 《大蛇神ティユポーン》――!』
 ――ドドドォオオオッ――!!
 猛烈な地鳴りと共に足元から現れた、巨大な紫の羽根蛇。
 ただそれだけで、地面の上に載っていた石造りの砦が、おおきく崩れる。
「やっぱり眠らせただけじゃ、駄目か……!」
「くっ……退路に配置した隊員達は――」
「聖女様、僕達の傍に!」
 巨大な蛇のうねりで庭園を囲んでいた砦が崩れ、瓦礫が凶器となって飛び散る。イオエルの攻撃魔法をなんとか凌いだ仲間達の声が、倒壊の轟音にかき消されていく。
 
「……ティユ、もういいわ。私に戻りなさい」
 イオエルの落ち着いた声。
 羽根蛇の姿が解け、その重厚な存在感が彼女の胸元に吸い込まれる。黒い蝙蝠の翼が、ざあ、と彼女の背中に顕現していく。 
 ティユポーンと存在が重なった《世界を支配する魔女》の姿だ。
 アルヴァは必死に掴んでいた魔女イオエルと一緒に、庭園の空に浮かんでいた。大きく崩れた砦の瓦礫の砂埃で、足元が見えない。
「……これで、お終いにしましょう」
 彼女が翳した手の先に、ゴオッと水魔法が渦巻き、猛烈な速度で巨大化していく。
「っ! 待ってください、皆を消す必要なんて……!」
「……アルヴァ。あなたが私の味方をしたのが広まったら、危ないでしょ?」
 少し伏せた緑の瞳。
(ああ。まだ、迷ってる……優しいんだよな、昔から……)
 本当に殲滅するつもりだったら、火炎魔法を選んだ筈だ。
「ふたり一緒なら危ない事なんて無い。……英雄は、戦争の無い世界を続けるのにも、必要です」
 翳した手に手を重ね、そっと握り込む。
 つめたい指先が、手のひらに抵抗なく収まった。
 ざあ、と霧散した水魔法の雨が、たちこめた土埃を消していく。
「…………。レイ……アルヴァ。お願い。――私を、殺して」
「っ……! だから、そんなことしなくても、呪いを解いて立ち去れば……!」
「私、もう300年も生きてるんだよ? ずっとずっと、あなたを待ってた。師匠が、また出会えるからって……! そのために大地の神獣であるティユと盟約したの。でもだから、私は、歳をとって死んだりしない。またあなたを失うのに怯えながら生きるなんて、嫌……! だから――!!」
 小柄な身体がちいさく暴れる。それでも、握り込んだ手は、離れない。
 ずっと一緒にいるという、約束。
 果たせなかったのは、レイティアのほうだ。
 イオエルはずっと、約束を、守ろうとしてくれていた。
 世界中から憎まれる役割を負って、戦争という、レイティアが死んだ災厄を、押さえ込みながら――。

「――イオエル!」
 身体が勝手に動いた。
 ドッと、胴体を衝撃が貫く。
 抱き寄せた彼女の髪から香る新緑の匂いと、血の、味。
 ――イオエルの背中にまで通り抜けた剣先から、2人分の血が溢れだしていく。
「イオエル様。……僕は、あなたのお役に、立てましたか?」
 白い髪の男が、アルヴァの背中で、握った剣柄をグッと押し込んでくる。
 全く気配を感じなかった。
 まるで、ソーマと同じように――。
「ぐっ……ノー……リ……!」
「ゼロファ……?」
 ズザッ
 身体を突き抜けた剣が、容赦無く引き抜かれる音。
 ドッと、命が、零れていく。
「っ……! ……ありが、と…………」
 ぎゅっと抱きしめてきた彼女の身体が、淡い緑色に輝きはじめた。
 ――しまった。いまこの瞬間、イオエルはティユポーンと存在が重なっている。駄目だ! この人だけは――……!


「あぁっ……駄目!! イオエルさん! アルヴァさん!!」
 ぱあっと叩きつけるような白い輝きが、視界を染める。『光明の聖女』ミラノ=アート。だけどその《祝福》は、傷を治癒するものではない。
 イオエルの魔力が――命が、淡い光と共に失われていくのがわかる。それでも羽根蛇の最後の力のおかげか、瓦礫のうえにドサッと軟着陸できた。
 すぐに駆けつけてきたミラノが、悲鳴のような回復魔法を、何度も何度も詠唱する。
「嫌……いやあぁぁっ!! こんなことの為に、追いかけてきた訳じゃないです……!! 待って、おいていかないで! 先生!アルヴァさん! 私、わたし……、ふたりとも、大好きなのに……!!」
 瓦礫を乗り越え、皆が近付いてきた。
 ――そんな辛そうな顔をさせるつもりでは、なかったんだが――。
 少し離れた場所に着地した白い魔女の手下の傍には、ソーマがいた。もしかして二人は、こうなることを目論んでいたのか?
 腕の中で淡く輝くイオエルが、そっと、ミラノの手を握った。
「……[[rb:世界 > みんな]]を……よろしくね……」
「っ……やだ、先生……私、もっといっぱい教えて欲しいことがあるんです……また季節限定のお菓子一緒に食べたいしっ……ぅう、困ったことがあったらいつでも言ってって言ったの、先生ですよっ……!?」
「……周りの人に頼る力を、あなたは、持ってる。それが私には、出来なかった……。他人を信じる力、他人を揺り動かす力……。それが、あなたが願う、未来に繋がる。――大丈夫だよ。ミラノちゃんなら、乗り越えられる。傍にいる誰かと、一緒に……」
 淡く光る白い手が、ミラノの頬を伝う雫に触れる。
 イオエルの手を伝ってきらきらと零れる、新緑の輝き、
 ――薄れていく意識に、その色だけが、残った。


◇◇◇朝焼けを抱く◇◇◇


 新緑の森の奥。
 黒い木の幹の先に、薄紅色の花が幾重にも咲き誇る。
 艶やかな漆黒の髪の女性が、この木を探し求めていた。
 彼女が退魔師としての師匠になってから、私達は特別に強くなっていった。
 戦乱の時代、強さは、安全に繋がる。
 それが戦争に利用されるなんて想像する事もなく、私達は、無邪気に、強くなっていった――。

「……私、行かなくちゃ」
 深い黒――星の無い夜空のような闇に、イオエルの姿がぼうっと薄く浮かぶ。
 ふたりの距離が、いつのまにか、遠くなりかけていた。
「待ってください! 俺も…………っ?!」
 ――届かない。ぐっと胴体を掴むような力強い何かに、引き戻される。
「幾億の夜を越えて、ずっとずっと、待ってた。でも結局、一番大切な流れ星に、私は、気付けなくて……ごめんね…………」
「でもこうして、出会えた……!」
 だめだ、だめだ! 絶対に行かせない!!
 全速力で魔法拘束から脱するのと同じ要領で謎の拘束力から抜け出した。
 今度こそ絶対に、離さない……!
 伸ばした自分の腕で、薄く輝く彼女の身体を、強く、強く抱き締める。
「………………っ」
 腕の中でひとまわり小さな身体が、息をのんで、ふるえた。
 『ずっと一緒にいる』、約束。
 その言葉のまま、彼女は純粋に、真っ直ぐに、待っていてくれたんだ。
「生きることを、諦めないでください。たとえ限りある命が終わっても、また新しく出会い、新しい大好きなところをみつけるんです。一緒に、何度でも。――愛しています…………イオエル」


◇◇◇

「先生……アルヴァさん……っ……目を……目を開けて……」
 ミラノは夢中で、全力で、薄紅色の回復魔法を掛け続けていた。ユリウスとハーディスも手伝ってくれて、出血は止まっている。なのに、まるで治癒を拒絶するかのように、ふたりとも全然目を覚ます様子がない。
「聖女様……もう……」
「まだです! 回復魔法が散らないうちは――――」
 クレイの声に、強い想いで目をあげる――が、視界の端で起きた異変に、一瞬、息をのむ。
 ざあ、と魔女イオエルの背中にあった黒い蝙蝠の羽根がほどけるように形を失い、人の大きさ位の、紫の羽根蛇が顕現した。
『――――遂に、この時が来たか』
「!! 聖女様、退がってください!」
「っ……!」
 素早く身構えた剣士達を気に留めることなく、羽根蛇はぐるりと魔女のまわりを廻る。
『……この子が多くの人間に恨まれて築いた、戦争の無い世界。譲って貰った平和を守るのも壊すのも、お前達次第だ。我も自然に還る。あとは、好きにするがいい』
「…………ふっざけんな……。勝手に偉そうな事ばっかり、言うだけかよ! 神様的な何かだっていうなら、犠牲になった奴ら全員の命を返してみろ! まずはここに転がってる、ふたりからだ!!」
「クレイ……さん……」
 ――蛇と対峙したクレイの顔は、みえない。
『ふ……。意外だな、魔女探しの筆頭よ。……しかし…………。我は恨みの念をその身に返す。だが、人への愛には、幸いを返そう』
 羽根をひろげた紫の体躯が、ぱあっと青色に輝いた。
「……?!」

 羽根蛇が空高く翔んだ突風に青い雪が交じり、薄くなってきた夜空に、ひろく、舞い散る。
 ふわりと落ちてくる、あたたかい、青い光。
 青く輝く羽根蛇の姿は、空に溶けるように、消えていってしまった。
「……! ミラノちゃん、ふたりの様子をみてください」
「えっ……は、はい!」
 ユリウスの声に、ぱっとふたりの手を取った。
 冷たい手を暖めるように、強く、握り締める。
 ――ティユポーンは助けてくれそうな事を言ってた、けど、どうか本当に……
「…… ぅ……」
 薄く目を開いたアルヴァが、小さく、白い息を溢した。
「っ……!! アルヴァさん……!」
「……俺は…………。イオ……イオエル…………ッ!」
 はっと大きく目をひらいたアルヴァは、血溜まりのなかを這い、隣に横たわる女性を、必死に覗き込んだ。
 彼はそっと、その白い頬を、優しく撫でる。
「……もうすぐ、朝ですよ。起きて下さい。あいかわらずの、寝坊常習犯ですね……」
「……そんなこと、ない。わたし、結構、早起きなのよ。歳のせいかもしれないけど」
 暖かい声。
 すう、とひらいた緑色の瞳。
「ふふ……みんな、私を倒しに来た筈なのに。助けたら、駄目じゃない」
 そっとアルヴァに抱き起こされたイオエルは、少し困ったふうに笑った。
「セト――いや、イオエルってのが本当の名前か。……王様達の呪いは、どうなってる?」
 ミラノの背中で、クレイの静かな声が、低く、落ちる。
 ――そうだ。
 本当は、魔女を倒すことで、呪いが解けるはずだった。
「心配?」
「ああ。心配だな」
「……夜が明ければ、元気に目を覚ますわ。胸を張って凱旋なさい……。っ……」
 そっと胸元を抑えた手を、アルヴァが拾いあげるように、丁重に握った。
 
「アルヴァ」
「はい」
 ――ずっと前から一緒だったような、静かな、呼吸。
 支え合い、血溜まりに立つふたり。
 そのむこうから、朝焼けが赤く、空を染めいてく。
「あなたと一緒に、いくよ。……もう、見失わないように……」
 白い手が、アルヴァの頬をとらえる。
 ――けれど、その輪郭が、ほどけるように散りはじめた。
「っ……はい……。……待っています。今度は、俺が…………」

 ――傷は、治したのに――。
「先生……! ど、どうして……身体が……!」
「……この身体は、使い過ぎちゃったから。……追いかけてきてくれて、ありがとう……ミラノちゃん」
 さらりとした茶髪が肩に流れる、いつもの、優しい笑顔。
 その肩を、アルヴァの大きな手が、そっと抱きしめた。
 ほどけていく。
 赤い朝焼けが透けて、その姿が――消える。

 そのむこうから朝日が白く差しこんできた。
 どこまでも続くような、冬のはじまりの平原。
 草原の夜露の匂いが、ざあ、と風のなかに満ちていく。



「……俺達は、あいつに、勝たせて貰ったのか……」
「戦争の無い世界が残ったのは、確かですね」
 唇を噛んで眉を寄せたクレイの肩を叩いたユリウスは、抜身の剣をシャッと鞘に納めた。
「私にも、こんな結末が待っているとは予測出来ませんでした。――意外でしたよ。魔女の手下、ゼロファ=アーカイル」
 はっとして、少し離れたところに佇んだ人影をみる。
 すっかり忘れてしまっていたが、ふたりを背後から刺したのは、白い髪の、魔女の手下だ。
 彼は蒼白な顔で、握っていた剣を、ガランと落とした。
「…………僕、は…………」
「――ゼロファ! お前、今度こそ逃げるなよ! 消えるのも禁止だ! お前が殺した仲間達のぶん、きっちり働いて貰うからな!!」
「クレイさん。ちょっと国際犯罪者をあの事業に入れるのは私が見逃しませんよ? 私、国防院総帥ですからね?」
「ぐっ……そこは見逃せよ……!」
 そういうクレイとユリウスの後ろから、静かに、ハーディスが前に出てきた。いつのまにか、[[rb:手風琴 > アコーディオン]]と[[rb:口風琴 > ハーモニカ]]は、外している。
「……ゼロファお兄ちゃん。僕はずっと、ちゃんと話がしたくて、探してたんだ」
「……?」
 蒼白な顔が、明るい青年の声に、ゆっくり、あがる。
「僕に、すごい力を教えてくれた。それで沢山の人達を護れたし、すっごく楽しかった。色々あったけど、僕は、これだけは絶対、伝えたかったんだ。――ありがとう。ゼロファお兄ちゃん!」
「……ハーディス……」
 呆然としたゼロファの背中を、傍にいたソーマが、ポンと叩いた。
「ふふ、良い奴らだな。じゃあ今度は、俺が悪者になろうかな?」
「……ソーマ? う、わっ?!」
 軽々とゼロファを抱き上げたソーマは、背中に巨大な黒翼を出して、ばっと大きく宙に羽搏いた。
「クレイ=ファーガス。ゼロファは逃げてないぜ? 俺が、こいつを攫って行くだけだからな~!」
「な……?! ソーマ、お前……!!」
 ざあ、と巨大な黒翼の羽搏きが、旋風になる。
 明るくなった空に、艶やかな黒い羽根が数枚、散り残った。
「……どいつもこいつも、都合のいい事言いやがって……。まぁ、俺もだが……」
「さて……、退路の隊員達は生きてますかね……。ミラノちゃん、大丈夫ですか?」

「……ぁ……」
 ユリウスの声に、ミラノは座り込んでいたこと気付いた。
 なんだろう。
 からだがふわふわして、どこか、現実感が、ない。
 ユリウスの暖かい手をすり抜けて、ふらりとアルヴァの傍に寄り添う。
  ――ここで、あのひとは、消えていった。

 うずくまったアルヴァの肩を、そっと、抱き締める。
 
「…………ぅ…………あああああぁぁぁぁ…………!!」


◇◇◇繋いだ世界◇◇◇

 
「あ~~もう! ここのリーオレイス帝国への予算と実績が合わないの、なんでこう毎年同じなんですかっ! ここで4国協定の調整取れないと、全体の見直しが滅茶苦茶面倒臭いんですけど~~~!!!」
 すっかり事務職に染まり切ったアクアの絶叫が(ホライズン)本部の社屋に響き渡る。
「……うーん……リーオレイス帝国の国力の底上げが足りないんだ。交渉だけじゃ駄目だな……アキディスが仕込んだ世論操作の成果が出るのは……」
「ああぁぁ~やめて~汚い大人の事情が、いっぱいだわぁ……」
「お前も大人だ。アクア」

 フェルトリア連邦 中央都市フェリアの一等地に設立された、[[rb:飛行機械専門機関 > ホライズン]]。
 設立から3年で、第5の国家勢力と言われる世界情勢への影響力を持つようになっていた。
 世界を300年支配していた魔女を倒した、設立者。
 その周囲を、各国の権威者たちと、最強の英雄、聖女、聖者たちが後援している。
 まさになるべくして成った、多国籍勢力だ。

「リースさん、最新型に不具合が出てるらしいんですけど、確認して頂けませんか?」
 トン、と扉を叩きながら隣の部署の職員が申し訳なさそうに入ってきた。
「? 不具合って、仕様を確定したときには問題無かっただろう」
「それが、なにもしてないのにおかしくなったらしくて」
「……”なにもしてない”は、”何かしてる”んだぞ。……はぁ。仕方ないな。どの工房だ?」
「はは、それが、またアーペの工房でして……」
「……。すまない、アクア。3日ほど出張してくる」
「な……、も、もうっ……!! 不具合の、馬鹿あぁぁあ!!」
 ――それでも、馬車で片道7日かかっていた日程を、往復3日に短縮できている。
 それもすべて、飛行機械の発着が、安全に運用されているからだ。
 ばさ、と外套を羽織って外に出る。
 賑やかなフェリアの街並みの、中心地。
 本来は設立者の国で、商業国家であるリュディア王国に本部を作る筈だった。だが飛行機械を開発したのは、フェルトリア連邦の地方都市事業。
 設立経緯を含め色々な事情を汲んで、フェルトリア連邦の中央都市に本部を設立することになった。
 それにここには、フェリア中央教会がある。
 『光明の聖女』様は(ホライズン)の重要な後援者だ。

「リース! 今日はもう上がりなのか?」
 街並みに紛れている警護官が、気さくに声をかけてくる。
「いや、出張になったんだ。アーペに行ってくる。変わった情報があったら教えてくれ」
「ん~、特にないな。俺としては明日の『光明の聖女』の新曲発表をお勧めしたかったんだが、出張じゃ、しょうがないな~!」
 何故か胸を張る警護官の話に適当に頷きながら、冷えてきた夕方の街並みを歩く。
 ――敬意の視線。
 街の人達が自然と道を開けてくれている気がする。あまりこの時間帯に外に出ないから、不思議な感じだ。隣に警護官がいるからだろうか――?
「あ、自分はこっちの道の巡回だから、ここまでな。アーペの土産、期待してるよ!」
 勝手についてきて勝手にいなくなった警護官に適当に手を振り、入り組んだ路地に入る。
 ……警護官がこちらの家の位置まで把握しているのは、第5の国家勢力といわれる《ホライズン》の要人警護の為だろう。
 自分が要人かといわれると、首を傾げたくなるが――。
「……はぁ。人間になってから、なんだか、忙しいな……」

「はじめから、人間だったでしょ?」
 艶やかな黒髪。
 その毛先の赤色が、さらりと涼しい街風に揺れる。
 突然隣に出現した少女は、リースを覗き込み、にっこり笑った。
「……っ!! ヒカゲ=ディシール……!」
 おもわず距離を取り、ザッと膝をつく。
 魔女の師匠。
 この、人間の身体を準備してくれた人。
 ……数万年の時を生き、世界を見守ってきた存在。
 長い年月どれだけ捜しても見つからなかった重要人物が、どうしていきなり出現したのか。
「今まで、どこに――」
「ミラノのお部屋でお菓子食べてた。みんな忙しそうなんだもの」
「え? あの……」
「あはは。えっとね、今の世界を、みてきたよ。……私の愛弟子が作った、平和な世界。あなた達が、上手に受け取ってくれたんだね。航空機と武力を結びつけないように頑張ってくれて、ありがとう。……エイト」
「……わかっていますよ。……御影さん」

◇◇◇

 果てしない、広大な草原。
 ディールの丘を越えた土地の探索は、ホライズンの飛行機械を使った調査で、着実にすすんでいる。
 リュディア王国が呼び掛けた4国協定。
 そこに魔女討伐の足並みが揃い、多国籍集団の魔女探し達が奮闘し、多くの犠牲を払いながらも魔女を倒した。――そういうことに、なっている。

 リースはアーペの発着陸場に青い機体を安全に着陸させ、上空の冷たい空気を纏ったままザッと地面を踏んだ。出迎えてくれたアーペ常駐の《ホライズン》職員――かつての”魔女探し”が駆けつけ、機体を安全な場所へ搬送していく。
 アーペの発着陸場は、4国のなかでも一大技術拠点として、一番利用頻度が高い場所だ。
「リース! 度々すまんな。もういっそ、アーペに住んじゃどうだ?」
 作業服姿の聖者バルドに出迎えられ、小さく、息をつく。
「いえ……いや、実際それが良いかも知れませんね。本部の仕事を、代わりにやってくれる人がいれば……」
「そんなに気負うなよ。任せちまえば、案外何とかなるもんさ」
 高台の発着場を出ると眼下にひろがる、アーペの街並み。
 新天地への調査を名目に、各国から人が集い、明るい活気に満ちている。
「――それで、不具合というのは……?」
 バルドについて歩いているうちに、工房へ向かう筈が、馬の厩舎に辿り着いていた。
 聖者は、茶色の愛馬を撫で、そっと目を閉じる。
「…………アルヴァが、見つかった。迎えに行ってやれ。お前さんにしか、頼めない」
「……! いま、どこに――」
「この馬が導く。頼んだぞ」
 そういって一方的に見送ったバルドの様子に、どっと、不安になる。
 
 300年の魔物発生地帯が消滅し、魔女討伐の衝撃が世界中を駆け巡った、あのとき。
 アルヴァは凱旋のあと、ひとり、いなくなってしまっていた。
 ――10年以上。
 ずっと魔女にこだわり――まるで恋い慕うように追い続けていたのを、リースは、ずっと見てきた。だから、いなくなった時、無理に探し出すべきではないと思っていた。
 やるべきことは、山のようにあった。
 何の相談もせず消えたアルヴァに、怒りたくなる時もあった。だが。それは、どんな辛い状況でも、生きていると信じていたからだ。
 ”見つかった” ――。
 それは、生きている捜索対象に使う言葉ではない……ことが、多いのではないか……? きり、と締め付けられるような胸元を抑え、軽快に駆ける馬の手綱を握りしめる。
 
 新天地に連なる森の中。
 横道に逸れた茶色の馬は、ポクポクと速度を落とし、ぽつんと建つ家屋の前で停まった。
 周囲に人の気配はなく、時々手入れされた跡はあるものの、人が住んでいる気配はない。馬を降りて家の扉を叩いてみる。
「…………」
 鍵は、かかっていない。
 そっと扉を押すと、ほんのり甘い香りが溢れてくる。
「これは…………米麹……? いや、まさか……」
「お。知っているヤツがいるってのは、やっぱり嬉しいね」
「?!」
 人の気配は、なかった。
 なのに、声の主は、家の真ん中で大きな椅子に背を預け、優雅に古書を読んでいた。

「ソーマ……!? 魔女の手下を攫って、消えたと聞いていたが――」
「ああ。だからここに俺がいるのは、バルドにだけの秘密だ。あのじいさんは、ゼロファに借りがあるからな」
「……そうか……。でもどうしてすぐ近くに……?」
「本の、完成を待ってたんだ。フェイゼルの魂が解放されるのを見守るのも、俺の役割だったからな」
 のんびり椅子から立ち上がり、ソーマは手にしていた古書を丁寧に布で包む。
 ――フェイゼル=アーカイルの古書。
 作者の魂が宿り、魔女の歴史が綴られた、メルド湖沼地帯を破る最初のきっかけになった本。
「…………。それは、アルヴァが持っていた筈だ。聖者様に、アルヴァを迎えに行けと言われて来た訳だが…………」
 ぎゅ、と握りしめた拳。
 パリパリッと操作された魔力の電圧が、小さな火花を散らす。
 
「そう怖い顔すんなって。ふたりをちゃんと連れて帰って貰うために、呼んだんだからな」



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 国防軍の馬を借り、深夜の草原を駆ける。ユリウスとミラノの馬を先頭に、クレイとハーディス、アルヴァ、ソーマが騎乗していた。あとには炬火を掲げた国防隊員が続いている。
 眩暈がするほどの、満天の星空。
 なだらかな丘陵を越え、小高い丘を駆け登る。
 天然の地層を背に、荒廃した城塞跡が佇んでいた。寂れた城門。何の気配もない、静寂の空気。馬を置いて廃墟の奥へ入っていくと、地層の岩肌を抉るような巨大な門が目に入った。
 偵察隊の報告にあった通りの、『二つ蛇の門』だ。
 古い血の跡が飛び散り、まだ最近の血糊も、黒くこびりついている。
 『心臓の血を注いでみると良い。その熱きに応えよう』
 そう刻まれた文字。――300年間、ここで多くの魔女探しが犠牲になったのが窺える。
「……ここでゼロファが裏切ったんだ。あのときはメルド湖沼地帯の中から、どうやってここに辿り着いたのかよく分からなかったが……こんな位置関係だったんだな……」
 ぽつりと呟いたクレイの声が、つめたい廃墟に響いた。
「クレイさん……」
 魔女の手下が仲間に紛れ、魔女探し達を破滅に導く。それは多分、何度も繰り返されたきた事なのだろう。行動速度の速いクレイの回避力が、彼を生き延びさせた。
 情報共有を軸におく協会の情報網に載せることで、手下の存在が世間に知られるようになった。その根幹の舞台が、この『二つ蛇の門』の扉ということだ。
「とにかく。ここまで来て、改めて魔女罠が待ってた訳だ。仲間割れの為の文章にも見えるが、もしかして謎掛けか?」
「……そうかも知れません。あの人は、言葉遊びをするような面がありました」
「あ、そうそう! セト先生、古書の文章解釈とかにもすっごくこだわってました!」
 魔女に関する一番険悪な場所の筈だが、緊迫感が一気に和む。ミラノの嬉しそうな声が反響したせいだろう。
「う~ん、謎かけ? 言葉通りじゃないのか?」
 ソーマが平然と扉に近づき、血糊がこびりついた入口に触れる。
「言い換えれば『心血を注いだ情熱に応える』。つまり皆で力を合わせて、こじ開けろって事じゃね?」
「いや、それは流石に……」
 じっと様子を見ていたミラノが、突然、ぱっと飛び出してきた。
「ソーマさん、そのまま止まってください!」
「へっ?」
 扉に添えていたソーマの手に、ミラノの手が重なる。
 そこに、《祝福》の白い輝きが溢れだした。
「な、聖女様?」
「動かないでください。魔女の師匠であるヒカゲと縁のあった貴方なら、私と一緒に鍵になるんじゃないかと……!」
 パアッと目映い光が廃墟中の石壁に反射する。
 ゴゴ……と扉の奥で何かが動いた音が響き、ズン、と落ち着いた。
 スウッと光が引くと、石の扉に刻まれていた2匹の蛇が、消えてしまっていた。
「「……え……」」
 全員が、呆然と扉を見上げる。
「――どうやら、罠を消滅させちまったみたいだな」
「えっ?! ご、ごめんなさい、大丈夫かな……?!」
「良かったんじゃねぇ? 謎掛けに間違って、さっきの蛇に襲われる危険が無くなった訳だ」
 聖女ミラノの肩を叩いたソーマは、くるりと踵を返してアルヴァとハーディスの後ろに回った。
「最初に扉開けるの怖いからさ~、あとは任せた!」
 ソーマの軽い調子はともあれ、確かに、ここで扉を開けるのは自分達の役割だろう。
 アルヴァは小さく息をついて、クレイとユリウスに許可をとる意味で視線を交わし、頷いた。
「聖女様は少し下がっていて下さい。突然魔物が飛び出してくるかも知れません」
「あ……わ、わかりました。気を付けてくださいね、アルヴァさん」
 聖女ミラノが護衛のユリウスに肩を取られたのを確認してから、彫刻の消えた扉に手をかける。
 ――ゴゴゴゴゴ……
 重い音を立てながら、巨大な岩の両扉が抵抗なく開いていく。魔物の気配も、何かの罠が作動するような気配もない。
 ドンと抵抗の感触があり、大人が2人並べる程の幅で扉が動かなくなった。
「何だ? 壊れたのか?」
「いえ、ここまでが扉の限界のようです。……内側の通路の幅に、ピッタリ合っていますし」
 派手な扉の巨大さに似合わぬ、細い入口。
 奥へと続く真夜中の寂れた城砦の地下通路には、外よりもつめたい空気が流れる。
 ――この奥に、魔女イオエルが――。
 小さく息をのみ、アルヴァはそっと通路の中へ足を踏み入れた。
 シュ、と何かが足元を払う。
「アルヴァ!!」
 一瞬で、クレイの声と炬火の光源が、消えた。
◇◇◇
 ――寒い。
 冷たい石畳の感触とは違う。
 全身が、無機質な冷たい風に晒されている。
「おはよう。手荒な真似をしてごめんね。アルヴァ」
 冷たい風にさらりとした茶髪が流れる。すぐ傍で、声の主が微笑んでいた。
「っ……イオ……!」
「動いちゃ駄目。危ないよ。アルヴァ」
 トン、と暖かい指先が口元に触れた。
 ――イオエル=リンクス。
 ふわっとした穏やかな笑顔と、深い、緑の瞳。
 はっと自分の状況を見下ろすと、四肢を無数の赤黒い蛇に拘束され、廃墟の上に晒されていた。眼下にひろがるのは、教会の中庭のように整備された、冬の庭園だ。
 いや、この廃墟となった砦に囲まれた構造はもしかすると、小規模な王城の庭園に近いかも知れない。 
「可愛い勇者さん達が、もうすぐここに辿り着く。素敵な人質として一緒に出迎えてくれるかしら」
「……イオエルさん……」
「この方がみんな、私と戦いやすいでしょ?」
「…………イオエル…………」
 ――こんな状況なのに、胸が痛いほど、嬉しい。
 人々に『世界を支配する魔女』の存在を知らしめるだけなら、手近なアーペの街を蹂躙するだけでも、良かった筈。
 どうしてわざわざ、各国の代表者に呪いを掛けたのか……わかった気がする。
「……貴女はもしかして、国家単位の勢力に倒される為に、皆の前に現れたんですか……?」
「――――……本当に、あなたはいつも、面白い事を言ってくれるわね」
 軽く笑ってみせながら、緑色の瞳が、ちいさく揺れたように見えたのは――。
 ゴゴゴゴ……と扉を開ける音が、遺跡の端から響いてくる。
 さっきまで一緒にいた顔触れが、辺りを警戒しつつ庭園に足を踏み入れるのが、よく見えた。
 ざあ、と庭園中にイオエルの風魔法が逆巻く。
「ようこそ。……可愛い勇者さん達」
 黒い外套を脱ぎ捨て、ほとんど白布一枚の衣装を纏った魔女が、満天の星空を背に、ふわりと浮いた。
「先生……! アルヴァさん!!」
「セト=リンクス! どうして俺達と一緒に、過ごしてきたんだ……どうして、いま、正体を現したんだ……!」
 ミラノとクレイの声が、冷たい空気に響いていく。
 ハーディスとユリウスがその傍を固め、そのうしろにソーマがついてきている。が、門まで一緒だった筈の国防隊員の姿はない。
「セトの人生は、ただの気紛れよ。私達が知り合ったのは、偶然……。いえ、あなた達が引き寄せた、強運かも知れないわね」
 いつもどおりの、穏やかな魔女の声。
 と同時に、すう、と緑の庭園が闇魔法の暗闇に包まれていく。
 中央議会が闇魔法に包まれた時と同じ。
 しかも今は実際、夜の闇が支配する、真夜中だ。
 また、蛇の毒が――
「皆、逃げろ……!」
「アルヴァさん、待ってて! いま、助けます!」
 ぱあっとミラノの白い《祝福》が即座に炸裂し、闇魔法を打ち消しながら、サアッと庭園のなかの闇の気配を塗り替えていく。手足を拘束していた黒蛇が、白く消滅していく。
 自由になった手足で、アルヴァは、廃墟の屋根を踏みしめた。
「――アルヴァさん、連携して!」
「いくぞ、アルヴァ!」
「アルヴァさん!」
 一斉に名前を呼ばれた。
 ハーディスの魔法に物理攻撃を合わせろというのも、クレイが双剣で踏み込む位置関係を計れというのも、聖女ミラノが切実な無事を願ってくれたのも、わかる。
 だが――。
 イオエルを傷付けるなんて、できない。
◇◇◇アルヴァの血濡れた剣◇◇◇
 魔女の師匠ヒカゲの影響をうけた『光明の聖女』ミラノの《祝福》と、《真名を掌握》するソーマの助力。
 『王都リュセルの英雄』ハーディスの天才的な魔法。
 『魔女探し[[rb:協会 > ホライズン]]』の最強双剣士クレイ。
 それに、ユリウスを代表とする各国の後ろ盾。
 ――たしかに、『世界を支配する魔女』を倒す条件は、揃っている。逆にこれだけの環境がなかったら、いつ、魔女を倒せるというのだろう。
 英雄としての華々しい能力を持つ仲間達。だけど自分には、特別な力なんて何もない。せいぜい最近になって《双剣士》に適性があると判った程度。魔女にとっても人質として扱われる始末だ。
 アルヴァが踏みしめた足元の遺跡は、脆くて冷たい。
「……すみません。やっぱり俺には、この人を傷付ける事は、できない」
 ――聖女ミラノに冗談のように言った事が、現実になるとは。『最後に皆の敵になるのは、自分かも知れない』と――――。
 シュ、と背中に収まっていた双剣を抜き、構える。
 その相手は、ついさっきまで一緒にいた仲間だ。
 迷いも後悔も無い。
 何も言わず、自分の言動を認めるようにそっと佇んでいるのは《魔女》イオエル。
 だた、それだけが、心の底から、嬉しい。
 ――これだけはハッキリしている。
 洗脳でも、催眠術のせいでもない。
 イオエルを護るのは、この身体に宿る、魂の意思だ。
「アルヴァ、お前……!」
 想像どおりの、クレイの貌。でも、それでも、イオエルに剣を向けるよりもずっと、痛くはない。
 温かいぬくもりが、ふわっと頭の上を覆う。
「私を、庇ってくれるの? アルヴァ。ふふ、小さい頃と変わらない、優しい子ね」
「……俺は、絶対に、貴女を護ります」
 断言した、自分の声。
 目の前には、優しく微笑んだ緑色の瞳のイオエル。
 俺は……自分は……。
 この女性と、共に在るために、生まれてきたんだ――。
 ひとつに結んだ髪の白い髪留めを外す。これは魔女と再開したいという密かな願掛けだった。視界の端で自分の金髪が、サラッと軽く冷たい風に揺れる。
「…………その双剣、どうしたの?」
「俺の適性は《双剣士》だそうです。ソーマが用意してくれて……――!」
 話をしている間に、ザッとクレイの俊速剣が斬り込んできた。咄嗟にその太刀筋を防いだ足元を、イオエルの魔力が補助してくれる。
 ギリ、と金属音がクレイとの間に擦れるのは、本日これで2回目か。
「アルヴァ、目を醒ませ! いくらセトが友人でも、各国の代表者に呪いをかけた、討伐対象……『世界を支配する魔女』だ!」
「わかってます。でも、だったらクレイさんは、大事な人に剣を向けられるんですか?」
 すうっと、冷静に言葉をかえす。
 クレイを相手にしているのに、負ける気がしない。
「……お前……どうしてそこまで……」
 怯んだ隙に、ジャッと刀身を滑らせて重心を外し、足を払う。さっきやられた技法をそのまま返させて貰った。が、崩した姿勢からババッと距離をとったクレイの動きは、流石だ。
  [[rb:口風琴 > ハーモニカ]]の低音。圧縮した空気が身体を拘束してくる。同時にばあっと強烈な《祝福 》の輝きが炸裂し、視界が真っ白に染まる。
 ――さすが、英雄たちの連携。
 もし俺が魔女に操られているのなら、最善の対応だっただろう。
 だが――。
「――聖女様に、感謝を。……全部、想い出した……」
 小さな魔力で風魔法の圧縮方向を反転。
 僅かに乱れた拘束力の隙間を脱出。
 四肢にからみついた魔力を双剣の魔力で、斬り捨てる。
 そこに秒もかからない。
 人間を相手にした戦場では、風魔法で拘束されることは死に直結した。戦争が無く、魔物としか戦闘経験が無い剣士は、知らない技能だろう。
 キリ、と双剣を構え直した姿勢に、魔力を載せる。
 ――目の前に布陣する敵軍3万。背後に布陣する自国の軍勢3万。あの時の重責と壮絶さに比べれば、少数精鋭の英雄程度、脅威ではない。
 だが彼らと戦闘になれば、手加減はできない。
「……っ! ……アルヴァの気配が、変わった……!?」
「な、なんて威圧感……!」
 そうつぶやくハーディス達の位置まで後退したクレイは、ぐっと双剣を低く構える。
「……大切な人……お前にとっては、本当に、彼女が…………」
「…………」
 アルヴァは威圧感を残し、背後に立つ魔女イオエルに、そっと向き直った。
 ――今なら、ヒカゲが一言だけ残していった言葉の意味が、わかる。レトン王国『緑の戦士』の片割れ、双剣士『レイティア』――。
 それが、この身体に宿る魂の、ひとつ前の人生の名前。
 彼女はいつもイオエルと共にあった。
 今すぐ名乗って、抱き締めたい――……。けれど今、そんなことをしたら、余計な混乱を招くだけだ。ぎゅ、と手の中の双剣を、握り締める。
「イオエル。これからは戦争の抑止力には、《ホライズン》が動きます。もう……やめましょう」
「……私は、引かないわ。共通の敵がいないと、国って本当に些細な事で、無駄な喧嘩をはじめるのよ」
 ポンとアルヴァの肩を叩いた魔女イオエルは、息をのんで見上げる勇者たちの前に出る。
「――各国代表者に呪いをかけて皆を集めたのは、私の脅威を改めて知らしめるため。ティユを倒したのは凄いけど……友人である[[rb:セト > わたし]]を、貴方達はほんとうに、殺せるの?」
 すう、と両手をひろげた魔女イオエルの足元から、再び無数の黒蛇と暗闇が立ち昇ってくる。それ自体は幾度仕掛けたとしても、聖女ミラノの《祝福》で対処できるだろう。が、皆の眼差しに迷いがあるのは、確かだ。
「先生! みんなの呪いを解いてください! 私は、先生と戦うつもりなんて――」
 ――蛇が魔女の足元にしか発生しないということは、ない。
 ミラノが祝福の光を炸裂させた足元で、ドオッと黒蛇が立ち昇る。
「っ!」
 即座に対応したユリウスの、風魔法を乗せた剣捌き。権力者の肩書に実力を甘くみていたが、長剣遣いとして天才の域だ。
「やれやれ。皆さん、ここは挑発に乗るのが、礼儀というものですよ」
 長剣を軽く構えたユリウスは、クレイとハーディスの前に歩をすすめた。
「『世界を支配する魔女』――。私とは、セト=リンクスの死体を運んだという縁がありますね。今度は、魔女の棺を、運んで差し上げましょう」
「ふふ、随分と格好良い護衛ね」
 小さく笑ったイオエルは、軽く右手を翳した。ザアッと出現した無数の大きな水球が高速で打ち出される。クレイとユリウスの素早い剣捌きが水塊を粉砕するも、急角度でハーディスに軌道が集中した。
「ハーディス!!」
「……!!」
 はっとした次の瞬間。
 水塊がハーディスの全身を包み、その音を、完封していた。
「魔法使いは詠唱を防がれたら、何も出来ない。楽器ごと封じさせて貰ったわ。さて、ハーディスの息は、どのくらい持つかしら?」
「……彼に死んで貰っては困りますね。シェリース王国と繋がる、貴重な人脈です。――クレイ! 貴方は元々魔女探しでしょう。迷いを捨てて下さい!」
「っ……! くそ、どいつもこいつも!!」
 ダッと攻勢に入った瞬速のクレイに、後発連携したユリウスの風魔法が載る。最強の域にある剣士が、ふたり。
 だが――。
 ガガガガガッ!
 速く重い2人の剣撃を、受け流し、撃ち返す。どんなに速くても、目標はひとり。その動きを見切るのは容易い。
 ――ソーマから貰った双剣が、人間の血脂を吸ったのは、残念だ。
 アルヴァはふたりの剣撃を払い退け、体勢を姿崩しつつも距離を取ったのをみて、ビッと刀身の血を払った。
「……彼女は、傷付けさせません」
「な……アルヴァ……その剣術、一体……」
「これは、見誤りましたね……」
 呻くように顔をあげたクレイとユリウスの右肩は、もう、あがらない筈だ。戦争を知らない人間なんて、相手にならない。
 ハーディスは……。
 やりようは色々あるが、このまま気絶したところでイオエルは魔法を解くだろう。すぐにソーマが治癒すれば――。
 ふと、息をのむ。
 さっきまでいたはずのソーマの姿がない。
 突然、後頭部にトッと衝撃が響いた。
 揺れた視界の隅で、サアッと薄紅色の回復魔法が前衛ふたりを包む。
「双剣の使い心地はどうだ? アルヴァ」
「ソーマ?! な、離し――」
 まったく、動きが見えなかった。
 ソーマに胴を抱えられている状況に、声をかけられてから気付くなんて――。
「――イオエル。こいつは貴女のものだ。お返しするぜ!!」
◇◇◇辿り着いたふたり◇◇◇
「??!?!!!」
 ゴオッと風魔法を纏い、物凄い勢いで、投げ飛ばされた。
 人を空から放り出したり投げ飛ばしたり――ソーマは本当に、適当すぎだ!
 咄嗟に受け身を取る着地点を確認するが――イオエルが、何をする気配もなく、突っ立っていた。
「な、イオ……避け……っ!!!!」
 ぶつかりながら咄嗟に彼女の身体を抱え、位置を反転する。ドオッと背中から廃墟の石畳に叩きつけられた衝撃に、息がとまった。
 巻き上げた土埃。
 イオエルの茶色い髪が、ぱら、と頬にかかる。
「……レイ……ティア……?」
 目をあけると、イオエルの、困惑したような顔が覗き込んでいた。
 同じ戦場を駆け抜けてきた、レトン王国『緑の戦士』の相方。おたがいの戦い方は、もちろんよくわかっている。
 そっと、冷えた白い頬に手を添えた。
「……そうだよ。傍にいられなくて、ごめんね……」
 イオエルのつめたい手が重なる。
 大粒の涙が零れて彼女の頬を流れ、俺の頬に落ち、伝っていく。いま自分の口から出てきた暖かい声は、自分だけど、自分じゃない。
 アルヴァという自分の奥にいる、レイティアのものだ。
「……イオエル。今の俺は、アルヴァです。……みんなの呪いを解いて、俺と一緒に、どこか遠くへ行きましょう。どこまでも一緒に行きます。……今度こそ」
 飛行機械を活用した将来的な《ホライズン》の活動で、説得をするつもりだった。でも、説得とか利害とか、そういう、理屈なんてものは、イオエルには届かない。
 彼女は、感覚で動いている。
 それはあの戦乱の時代に培われた、生きていくための手段だ。
 零れ落ちる涙と一緒に、長く、深い溜め息が、ゆっくり落ちてくる。
「……あなたを、ずっと……」
 突然、ぱあっと真昼のような輝きが頭上で炸裂した。高く響く、[[rb:口風琴 > ハーモニカ]]の魔力。ハーディスが、集中力の切れたイオエルの水魔法を破ったのか!
「どけ、アルヴァ!!」
 俊速のクレイが斬り込んできた――が、イオエルを庇う為にさっき双剣は手放してしまっていた。
 咄嗟に彼女を庇って、斬撃に背中を向ける。
『風よ』
 イオエルの一声で、強烈な風の斬撃がクレイに直撃する。
『水よ』
 継いだ水魔法の矢が、ユリウスを至近距離から襲う。
『炎よ』
 ずぶ濡れで咳き込むハーディスに、火炎弾が降り注ぐ。
 一気に放った攻撃魔法で煙った視界のなか、そっと地面に触れたイオエルの声が、高く、響く。
『盟約のもと 来たれ 《大蛇神ティユポーン》――!』
 ――ドドドォオオオッ――!!
 猛烈な地鳴りと共に足元から現れた、巨大な紫の羽根蛇。
 ただそれだけで、地面の上に載っていた石造りの砦が、おおきく崩れる。
「やっぱり眠らせただけじゃ、駄目か……!」
「くっ……退路に配置した隊員達は――」
「聖女様、僕達の傍に!」
 巨大な蛇のうねりで庭園を囲んでいた砦が崩れ、瓦礫が凶器となって飛び散る。イオエルの攻撃魔法をなんとか凌いだ仲間達の声が、倒壊の轟音にかき消されていく。
「……ティユ、もういいわ。私に戻りなさい」
 イオエルの落ち着いた声。
 羽根蛇の姿が解け、その重厚な存在感が彼女の胸元に吸い込まれる。黒い蝙蝠の翼が、ざあ、と彼女の背中に顕現していく。 
 ティユポーンと存在が重なった《世界を支配する魔女》の姿だ。
 アルヴァは必死に掴んでいた魔女イオエルと一緒に、庭園の空に浮かんでいた。大きく崩れた砦の瓦礫の砂埃で、足元が見えない。
「……これで、お終いにしましょう」
 彼女が翳した手の先に、ゴオッと水魔法が渦巻き、猛烈な速度で巨大化していく。
「っ! 待ってください、皆を消す必要なんて……!」
「……アルヴァ。あなたが私の味方をしたのが広まったら、危ないでしょ?」
 少し伏せた緑の瞳。
(ああ。まだ、迷ってる……優しいんだよな、昔から……)
 本当に殲滅するつもりだったら、火炎魔法を選んだ筈だ。
「ふたり一緒なら危ない事なんて無い。……英雄は、戦争の無い世界を続けるのにも、必要です」
 翳した手に手を重ね、そっと握り込む。
 つめたい指先が、手のひらに抵抗なく収まった。
 ざあ、と霧散した水魔法の雨が、たちこめた土埃を消していく。
「…………。レイ……アルヴァ。お願い。――私を、殺して」
「っ……! だから、そんなことしなくても、呪いを解いて立ち去れば……!」
「私、もう300年も生きてるんだよ? ずっとずっと、あなたを待ってた。師匠が、また出会えるからって……! そのために大地の神獣であるティユと盟約したの。でもだから、私は、歳をとって死んだりしない。またあなたを失うのに怯えながら生きるなんて、嫌……! だから――!!」
 小柄な身体がちいさく暴れる。それでも、握り込んだ手は、離れない。
 ずっと一緒にいるという、約束。
 果たせなかったのは、レイティアのほうだ。
 イオエルはずっと、約束を、守ろうとしてくれていた。
 世界中から憎まれる役割を負って、戦争という、レイティアが死んだ災厄を、押さえ込みながら――。
「――イオエル!」
 身体が勝手に動いた。
 ドッと、胴体を衝撃が貫く。
 抱き寄せた彼女の髪から香る新緑の匂いと、血の、味。
 ――イオエルの背中にまで通り抜けた剣先から、2人分の血が溢れだしていく。
「イオエル様。……僕は、あなたのお役に、立てましたか?」
 白い髪の男が、アルヴァの背中で、握った剣柄をグッと押し込んでくる。
 全く気配を感じなかった。
 まるで、ソーマと同じように――。
「ぐっ……ノー……リ……!」
「ゼロファ……?」
 ズザッ
 身体を突き抜けた剣が、容赦無く引き抜かれる音。
 ドッと、命が、零れていく。
「っ……! ……ありが、と…………」
 ぎゅっと抱きしめてきた彼女の身体が、淡い緑色に輝きはじめた。
 ――しまった。いまこの瞬間、イオエルはティユポーンと存在が重なっている。駄目だ! この人だけは――……!
「あぁっ……駄目!! イオエルさん! アルヴァさん!!」
 ぱあっと叩きつけるような白い輝きが、視界を染める。『光明の聖女』ミラノ=アート。だけどその《祝福》は、傷を治癒するものではない。
 イオエルの魔力が――命が、淡い光と共に失われていくのがわかる。それでも羽根蛇の最後の力のおかげか、瓦礫のうえにドサッと軟着陸できた。
 すぐに駆けつけてきたミラノが、悲鳴のような回復魔法を、何度も何度も詠唱する。
「嫌……いやあぁぁっ!! こんなことの為に、追いかけてきた訳じゃないです……!! 待って、おいていかないで! 先生!アルヴァさん! 私、わたし……、ふたりとも、大好きなのに……!!」
 瓦礫を乗り越え、皆が近付いてきた。
 ――そんな辛そうな顔をさせるつもりでは、なかったんだが――。
 少し離れた場所に着地した白い魔女の手下の傍には、ソーマがいた。もしかして二人は、こうなることを目論んでいたのか?
 腕の中で淡く輝くイオエルが、そっと、ミラノの手を握った。
「……[[rb:世界 > みんな]]を……よろしくね……」
「っ……やだ、先生……私、もっといっぱい教えて欲しいことがあるんです……また季節限定のお菓子一緒に食べたいしっ……ぅう、困ったことがあったらいつでも言ってって言ったの、先生ですよっ……!?」
「……周りの人に頼る力を、あなたは、持ってる。それが私には、出来なかった……。他人を信じる力、他人を揺り動かす力……。それが、あなたが願う、未来に繋がる。――大丈夫だよ。ミラノちゃんなら、乗り越えられる。傍にいる誰かと、一緒に……」
 淡く光る白い手が、ミラノの頬を伝う雫に触れる。
 イオエルの手を伝ってきらきらと零れる、新緑の輝き、
 ――薄れていく意識に、その色だけが、残った。
◇◇◇朝焼けを抱く◇◇◇
 新緑の森の奥。
 黒い木の幹の先に、薄紅色の花が幾重にも咲き誇る。
 艶やかな漆黒の髪の女性が、この木を探し求めていた。
 彼女が退魔師としての師匠になってから、私達は特別に強くなっていった。
 戦乱の時代、強さは、安全に繋がる。
 それが戦争に利用されるなんて想像する事もなく、私達は、無邪気に、強くなっていった――。
「……私、行かなくちゃ」
 深い黒――星の無い夜空のような闇に、イオエルの姿がぼうっと薄く浮かぶ。
 ふたりの距離が、いつのまにか、遠くなりかけていた。
「待ってください! 俺も…………っ?!」
 ――届かない。ぐっと胴体を掴むような力強い何かに、引き戻される。
「幾億の夜を越えて、ずっとずっと、待ってた。でも結局、一番大切な流れ星に、私は、気付けなくて……ごめんね…………」
「でもこうして、出会えた……!」
 だめだ、だめだ! 絶対に行かせない!!
 全速力で魔法拘束から脱するのと同じ要領で謎の拘束力から抜け出した。
 今度こそ絶対に、離さない……!
 伸ばした自分の腕で、薄く輝く彼女の身体を、強く、強く抱き締める。
「………………っ」
 腕の中でひとまわり小さな身体が、息をのんで、ふるえた。
 『ずっと一緒にいる』、約束。
 その言葉のまま、彼女は純粋に、真っ直ぐに、待っていてくれたんだ。
「生きることを、諦めないでください。たとえ限りある命が終わっても、また新しく出会い、新しい大好きなところをみつけるんです。一緒に、何度でも。――愛しています…………イオエル」
◇◇◇
「先生……アルヴァさん……っ……目を……目を開けて……」
 ミラノは夢中で、全力で、薄紅色の回復魔法を掛け続けていた。ユリウスとハーディスも手伝ってくれて、出血は止まっている。なのに、まるで治癒を拒絶するかのように、ふたりとも全然目を覚ます様子がない。
「聖女様……もう……」
「まだです! 回復魔法が散らないうちは――――」
 クレイの声に、強い想いで目をあげる――が、視界の端で起きた異変に、一瞬、息をのむ。
 ざあ、と魔女イオエルの背中にあった黒い蝙蝠の羽根がほどけるように形を失い、人の大きさ位の、紫の羽根蛇が顕現した。
『――――遂に、この時が来たか』
「!! 聖女様、退がってください!」
「っ……!」
 素早く身構えた剣士達を気に留めることなく、羽根蛇はぐるりと魔女のまわりを廻る。
『……この子が多くの人間に恨まれて築いた、戦争の無い世界。譲って貰った平和を守るのも壊すのも、お前達次第だ。我も自然に還る。あとは、好きにするがいい』
「…………ふっざけんな……。勝手に偉そうな事ばっかり、言うだけかよ! 神様的な何かだっていうなら、犠牲になった奴ら全員の命を返してみろ! まずはここに転がってる、ふたりからだ!!」
「クレイ……さん……」
 ――蛇と対峙したクレイの顔は、みえない。
『ふ……。意外だな、魔女探しの筆頭よ。……しかし…………。我は恨みの念をその身に返す。だが、人への愛には、幸いを返そう』
 羽根をひろげた紫の体躯が、ぱあっと青色に輝いた。
「……?!」
 羽根蛇が空高く翔んだ突風に青い雪が交じり、薄くなってきた夜空に、ひろく、舞い散る。
 ふわりと落ちてくる、あたたかい、青い光。
 青く輝く羽根蛇の姿は、空に溶けるように、消えていってしまった。
「……! ミラノちゃん、ふたりの様子をみてください」
「えっ……は、はい!」
 ユリウスの声に、ぱっとふたりの手を取った。
 冷たい手を暖めるように、強く、握り締める。
 ――ティユポーンは助けてくれそうな事を言ってた、けど、どうか本当に……
「…… ぅ……」
 薄く目を開いたアルヴァが、小さく、白い息を溢した。
「っ……!! アルヴァさん……!」
「……俺は…………。イオ……イオエル…………ッ!」
 はっと大きく目をひらいたアルヴァは、血溜まりのなかを這い、隣に横たわる女性を、必死に覗き込んだ。
 彼はそっと、その白い頬を、優しく撫でる。
「……もうすぐ、朝ですよ。起きて下さい。あいかわらずの、寝坊常習犯ですね……」
「……そんなこと、ない。わたし、結構、早起きなのよ。歳のせいかもしれないけど」
 暖かい声。
 すう、とひらいた緑色の瞳。
「ふふ……みんな、私を倒しに来た筈なのに。助けたら、駄目じゃない」
 そっとアルヴァに抱き起こされたイオエルは、少し困ったふうに笑った。
「セト――いや、イオエルってのが本当の名前か。……王様達の呪いは、どうなってる?」
 ミラノの背中で、クレイの静かな声が、低く、落ちる。
 ――そうだ。
 本当は、魔女を倒すことで、呪いが解けるはずだった。
「心配?」
「ああ。心配だな」
「……夜が明ければ、元気に目を覚ますわ。胸を張って凱旋なさい……。っ……」
 そっと胸元を抑えた手を、アルヴァが拾いあげるように、丁重に握った。
「アルヴァ」
「はい」
 ――ずっと前から一緒だったような、静かな、呼吸。
 支え合い、血溜まりに立つふたり。
 そのむこうから、朝焼けが赤く、空を染めいてく。
「あなたと一緒に、いくよ。……もう、見失わないように……」
 白い手が、アルヴァの頬をとらえる。
 ――けれど、その輪郭が、ほどけるように散りはじめた。
「っ……はい……。……待っています。今度は、俺が…………」
 ――傷は、治したのに――。
「先生……! ど、どうして……身体が……!」
「……この身体は、使い過ぎちゃったから。……追いかけてきてくれて、ありがとう……ミラノちゃん」
 さらりとした茶髪が肩に流れる、いつもの、優しい笑顔。
 その肩を、アルヴァの大きな手が、そっと抱きしめた。
 ほどけていく。
 赤い朝焼けが透けて、その姿が――消える。
 そのむこうから朝日が白く差しこんできた。
 どこまでも続くような、冬のはじまりの平原。
 草原の夜露の匂いが、ざあ、と風のなかに満ちていく。
「……俺達は、あいつに、勝たせて貰ったのか……」
「戦争の無い世界が残ったのは、確かですね」
 唇を噛んで眉を寄せたクレイの肩を叩いたユリウスは、抜身の剣をシャッと鞘に納めた。
「私にも、こんな結末が待っているとは予測出来ませんでした。――意外でしたよ。魔女の手下、ゼロファ=アーカイル」
 はっとして、少し離れたところに佇んだ人影をみる。
 すっかり忘れてしまっていたが、ふたりを背後から刺したのは、白い髪の、魔女の手下だ。
 彼は蒼白な顔で、握っていた剣を、ガランと落とした。
「…………僕、は…………」
「――ゼロファ! お前、今度こそ逃げるなよ! 消えるのも禁止だ! お前が殺した仲間達のぶん、きっちり働いて貰うからな!!」
「クレイさん。ちょっと国際犯罪者をあの事業に入れるのは私が見逃しませんよ? 私、国防院総帥ですからね?」
「ぐっ……そこは見逃せよ……!」
 そういうクレイとユリウスの後ろから、静かに、ハーディスが前に出てきた。いつのまにか、[[rb:手風琴 > アコーディオン]]と[[rb:口風琴 > ハーモニカ]]は、外している。
「……ゼロファお兄ちゃん。僕はずっと、ちゃんと話がしたくて、探してたんだ」
「……?」
 蒼白な顔が、明るい青年の声に、ゆっくり、あがる。
「僕に、すごい力を教えてくれた。それで沢山の人達を護れたし、すっごく楽しかった。色々あったけど、僕は、これだけは絶対、伝えたかったんだ。――ありがとう。ゼロファお兄ちゃん!」
「……ハーディス……」
 呆然としたゼロファの背中を、傍にいたソーマが、ポンと叩いた。
「ふふ、良い奴らだな。じゃあ今度は、俺が悪者になろうかな?」
「……ソーマ? う、わっ?!」
 軽々とゼロファを抱き上げたソーマは、背中に巨大な黒翼を出して、ばっと大きく宙に羽搏いた。
「クレイ=ファーガス。ゼロファは逃げてないぜ? 俺が、こいつを攫って行くだけだからな~!」
「な……?! ソーマ、お前……!!」
 ざあ、と巨大な黒翼の羽搏きが、旋風になる。
 明るくなった空に、艶やかな黒い羽根が数枚、散り残った。
「……どいつもこいつも、都合のいい事言いやがって……。まぁ、俺もだが……」
「さて……、退路の隊員達は生きてますかね……。ミラノちゃん、大丈夫ですか?」
「……ぁ……」
 ユリウスの声に、ミラノは座り込んでいたこと気付いた。
 なんだろう。
 からだがふわふわして、どこか、現実感が、ない。
 ユリウスの暖かい手をすり抜けて、ふらりとアルヴァの傍に寄り添う。
  ――ここで、あのひとは、消えていった。
 うずくまったアルヴァの肩を、そっと、抱き締める。
「…………ぅ…………あああああぁぁぁぁ…………!!」
◇◇◇繋いだ世界◇◇◇
「あ~~もう! ここのリーオレイス帝国への予算と実績が合わないの、なんでこう毎年同じなんですかっ! ここで4国協定の調整取れないと、全体の見直しが滅茶苦茶面倒臭いんですけど~~~!!!」
 すっかり事務職に染まり切ったアクアの絶叫が、《ホライズン》本部の社屋に響き渡る。
「……うーん……リーオレイス帝国の国力の底上げが足りないんだ。交渉だけじゃ駄目だな……アキディスが仕込んだ世論操作の成果が出るのは……」
「ああぁぁ~やめて~汚い大人の事情が、いっぱいだわぁ……」
「お前も大人だ。アクア」
 フェルトリア連邦 中央都市フェリアの一等地に設立された、[[rb:飛行機械専門機関 > ホライズン]]。
 設立から3年で、第5の国家勢力と言われる世界情勢への影響力を持つようになっていた。
 世界を300年支配していた魔女を倒した、設立者。
 その周囲を、各国の権威者たちと、最強の英雄、聖女、聖者たちが後援している。
 まさになるべくして成った、多国籍勢力だ。
「リースさん、最新型に不具合が出てるらしいんですけど、確認して頂けませんか?」
 トン、と扉を叩きながら隣の部署の職員が申し訳なさそうに入ってきた。
「? 不具合って、仕様を確定したときには問題無かっただろう」
「それが、なにもしてないのにおかしくなったらしくて」
「……”なにもしてない”は、”何かしてる”んだぞ。……はぁ。仕方ないな。どの工房だ?」
「はは、それが、またアーペの工房でして……」
「……。すまない、アクア。3日ほど出張してくる」
「な……、も、もうっ……!! 不具合の、馬鹿あぁぁあ!!」
 ――それでも、馬車で片道7日かかっていた日程を、往復3日に短縮できている。
 それもすべて、飛行機械の発着が、安全に運用されているからだ。
 ばさ、と外套を羽織って外に出る。
 賑やかなフェリアの街並みの、中心地。
 本来は設立者の国で、商業国家であるリュディア王国に本部を作る筈だった。だが飛行機械を開発したのは、フェルトリア連邦の地方都市事業。
 設立経緯を含め色々な事情を汲んで、フェルトリア連邦の中央都市に本部を設立することになった。
 それにここには、フェリア中央教会がある。
 『光明の聖女』様は、《ホライズン》の重要な後援者だ。
「リース! 今日はもう上がりなのか?」
 街並みに紛れている警護官が、気さくに声をかけてくる。
「いや、出張になったんだ。アーペに行ってくる。変わった情報があったら教えてくれ」
「ん~、特にないな。俺としては明日の『光明の聖女』の新曲発表をお勧めしたかったんだが、出張じゃ、しょうがないな~!」
 何故か胸を張る警護官の話に適当に頷きながら、冷えてきた夕方の街並みを歩く。
 ――敬意の視線。
 街の人達が自然と道を開けてくれている気がする。あまりこの時間帯に外に出ないから、不思議な感じだ。隣に警護官がいるからだろうか――?
「あ、自分はこっちの道の巡回だから、ここまでな。アーペの土産、期待してるよ!」
 勝手についてきて勝手にいなくなった警護官に適当に手を振り、入り組んだ路地に入る。
 ……警護官がこちらの家の位置まで把握しているのは、第5の国家勢力といわれる《ホライズン》の要人警護の為だろう。
 自分が要人かといわれると、首を傾げたくなるが――。
「……はぁ。人間になってから、なんだか、忙しいな……」
「はじめから、人間だったでしょ?」
 艶やかな黒髪。
 その毛先の赤色が、さらりと涼しい街風に揺れる。
 突然隣に出現した少女は、リースを覗き込み、にっこり笑った。
「……っ!! ヒカゲ=ディシール……!」
 おもわず距離を取り、ザッと膝をつく。
 魔女の師匠。
 この、人間の身体を準備してくれた人。
 ……数万年の時を生き、世界を見守ってきた存在。
 長い年月どれだけ捜しても見つからなかった重要人物が、どうしていきなり出現したのか。
「今まで、どこに――」
「ミラノのお部屋でお菓子食べてた。みんな忙しそうなんだもの」
「え? あの……」
「あはは。えっとね、今の世界を、みてきたよ。……私の愛弟子が作った、平和な世界。あなた達が、上手に受け取ってくれたんだね。航空機と武力を結びつけないように頑張ってくれて、ありがとう。……エイト」
「……わかっていますよ。……御影さん」
◇◇◇
 果てしない、広大な草原。
 ディールの丘を越えた土地の探索は、ホライズンの飛行機械を使った調査で、着実にすすんでいる。
 リュディア王国が呼び掛けた4国協定。
 そこに魔女討伐の足並みが揃い、多国籍集団の魔女探し達が奮闘し、多くの犠牲を払いながらも魔女を倒した。――そういうことに、なっている。
 リースはアーペの発着陸場に青い機体を安全に着陸させ、上空の冷たい空気を纏ったままザッと地面を踏んだ。出迎えてくれたアーペ常駐の《ホライズン》職員――かつての”魔女探し”が駆けつけ、機体を安全な場所へ搬送していく。
 アーペの発着陸場は、4国のなかでも一大技術拠点として、一番利用頻度が高い場所だ。
「リース! 度々すまんな。もういっそ、アーペに住んじゃどうだ?」
 作業服姿の聖者バルドに出迎えられ、小さく、息をつく。
「いえ……いや、実際それが良いかも知れませんね。本部の仕事を、代わりにやってくれる人がいれば……」
「そんなに気負うなよ。任せちまえば、案外何とかなるもんさ」
 高台の発着場を出ると眼下にひろがる、アーペの街並み。
 新天地への調査を名目に、各国から人が集い、明るい活気に満ちている。
「――それで、不具合というのは……?」
 バルドについて歩いているうちに、工房へ向かう筈が、馬の厩舎に辿り着いていた。
 聖者は、茶色の愛馬を撫で、そっと目を閉じる。
「…………アルヴァが、見つかった。迎えに行ってやれ。お前さんにしか、頼めない」
「……! いま、どこに――」
「この馬が導く。頼んだぞ」
 そういって一方的に見送ったバルドの様子に、どっと、不安になる。
 300年の魔物発生地帯が消滅し、魔女討伐の衝撃が世界中を駆け巡った、あのとき。
 アルヴァは凱旋のあと、ひとり、いなくなってしまっていた。
 ――10年以上。
 ずっと魔女にこだわり――まるで恋い慕うように追い続けていたのを、リースは、ずっと見てきた。だから、いなくなった時、無理に探し出すべきではないと思っていた。
 やるべきことは、山のようにあった。
 何の相談もせず消えたアルヴァに、怒りたくなる時もあった。だが。それは、どんな辛い状況でも、生きていると信じていたからだ。
 ”見つかった” ――。
 それは、生きている捜索対象に使う言葉ではない……ことが、多いのではないか……? きり、と締め付けられるような胸元を抑え、軽快に駆ける馬の手綱を握りしめる。
 新天地に連なる森の中。
 横道に逸れた茶色の馬は、ポクポクと速度を落とし、ぽつんと建つ家屋の前で停まった。
 周囲に人の気配はなく、時々手入れされた跡はあるものの、人が住んでいる気配はない。馬を降りて家の扉を叩いてみる。
「…………」
 鍵は、かかっていない。
 そっと扉を押すと、ほんのり甘い香りが溢れてくる。
「これは…………米麹……? いや、まさか……」
「お。知っているヤツがいるってのは、やっぱり嬉しいね」
「?!」
 人の気配は、なかった。
 なのに、声の主は、家の真ん中で大きな椅子に背を預け、優雅に古書を読んでいた。
「ソーマ……!? 魔女の手下を攫って、消えたと聞いていたが――」
「ああ。だからここに俺がいるのは、バルドにだけの秘密だ。あのじいさんは、ゼロファに借りがあるからな」
「……そうか……。でもどうしてすぐ近くに……?」
「本の、完成を待ってたんだ。フェイゼルの魂が解放されるのを見守るのも、俺の役割だったからな」
 のんびり椅子から立ち上がり、ソーマは手にしていた古書を丁寧に布で包む。
 ――フェイゼル=アーカイルの古書。
 作者の魂が宿り、魔女の歴史が綴られた、メルド湖沼地帯を破る最初のきっかけになった本。
「…………。それは、アルヴァが持っていた筈だ。聖者様に、アルヴァを迎えに行けと言われて来た訳だが…………」
 ぎゅ、と握りしめた拳。
 パリパリッと操作された魔力の電圧が、小さな火花を散らす。
「そう怖い顔すんなって。ふたりをちゃんと連れて帰って貰うために、呼んだんだからな」