◇◇◇メルド湖沼地帯◇◇◇

ー/ー




 遠くの空を飛ぶ小鳥たちが、夕焼けのなか、遠ざかっていく。あと少し近ければ、鳥たちの視界に草原に佇む黒衣の魔女が見えただろう。――果てしない草原。このディールの丘は、300年前に2国が争った大戦の舞台だった。周辺にはかつて栄えた城塞都市や農村があった。しかしすべては、雨風と緑によって、大自然のなかに埋もれている。
 洪水と魔物に見舞われた人々の大半は、それぞれ大陸の東西にある安全な国に逃れた。人々が故郷を捨てて新しい国に定住したという歴史の記憶は、世代を重ね、ほとんど忘れられている。

 ……10年前に出会った、私と同じ緑の瞳を持つ少女も、おそらく彼らの子孫だろう。
 フェリアに置いてきた元盗賊団の仲間達のように、あの子もどこかで幸せに暮らしているだろうか。

「――流石に、ぜんぶの国の戦力は集められなかったか。魔女探し達の国籍がバラバラだと良いんだけど」
 ぽつりと水鏡に落とした声で、僅かに水面が揺れる。
『其方がそこまで心配する必要はない。これで充分であろうよ』
「ティユ。喋るなんて、久しぶりじゃない」
 するりと足元から出てきた紫の羽根蛇は、暖かく着込んだ袖の上に懐くように頭を載せてきた。
 そっと撫でると、細い舌がチロリと掌を舐める。
『決めたのだろう? 私は共にあるぞ、盟約者よ』
「そうね。奴隷はいなくなったけど、あなたがいるわね。……最後まで付き合ってくれる?」
『無論だ。其方の意思は伝わっている。イオエル=リンクス』
 羽根蛇は腕を離れ、スルスルと巨大化していく。
 蝙蝠のような羽根が、草原に雨雲のような影を落とす。
 
 この広大な大地自然、そのものの化身。
 大蛇神ティユポーン。
 これが、魔女として盟約を結んだ、命の伴侶だ。
 
 イオエルは仮面を付け、満天の大蛇に手を伸べた。
 ――求めていた流れ星は、300年の星空に、みつけられなかった。
 だから、もう、いい。
「さあ、始めよう。可愛い勇者さん達が待ってる」

◇◇◇


「アルヴァ! ここにいたか。ちょっと付き合ってくれんかね?」
 大勢の魔女探し達が集まっている教会の講堂。
 そこに突然顔を出した聖者バルドに、アルヴァは小さく溜め息をついた。
「また作業着姿なんですね……。ここでの《ホライズン》を代表してかなり手一杯なんですが、どうしたんですか?」
「なんだ、そんなの創設者のクレイにやらせろよ」
「森の中の柵の強化に出たきり、昨日から戻らないんです。おそらく国防軍の駐屯地にいるかと思います」
「あぁ。あいつは元々最前線で動く奴だからなー。苦労するなぁ、アルヴァ」
 喋りながら無理矢理腕を引かれ、講堂の外に連れ出される。
 わざわざ人混みを避けるとは、どんな重要な用事なのか――。
「ちょっとばかり思い切った改良型の飛行機械を、一台作ってみたんだ。試運転を頼みたい」
 どうやら重要な用事ではなかったようだ。
「それは誰でも良いのでは……ディアナさんあたりに頼んでみては?」
「いや~、かなり改良してあるからうまく飛ぶか分かんねぇし。アルヴァの身のこなしなら、万が一事故っても怪我するような事はねぇだろ?」
「事故前提でのお声がけですか……。光栄な任務のようですね」
「だろう? 飛行機械の安全名誉の為にも、頼むぜ!」
 いきおいよく腕を引かれ、教会宿舎の中庭に置かれた小型の機械の前にたどり着いた。鳥の翼を模した羽根の部分が今までと大きく違う。二重になった羽根の間の丸い機工。それに一人乗りではなく、二人まで乗れるようだ。
 詳しい事はわからないが、凄そうだというのは分かる。
「どうだ、すげぇだろ。魔女討伐に《ホライズン》経由で国からしっかり資金が出てるからな! 街の連中も滅茶苦茶張り切ってるし、心置きなく開発させて貰った訳よ!」
「ああ、なるほど……。って、街をあげて飛行機械作ってるんですか?」
「おうよ。大人数でディールの丘に乗り込むんなら、必要だろ?」
 当然の様子で頷いた聖者バルドの笑顔から、思わず目を背ける。
 …………聖女ミラノは、メルド湖沼地帯そのものを消すつもりだ。
 それが成功すれば、折角作った飛行機械は、すぐには要らないものになってしまうかも知れない。
 そっと黙ったまま試作機に乗り込み、操縦桿を握る。飛び立つには風魔法が必要だった筈だが――?
「属性に関係なく、操縦桿に魔力を流せば機能する。操作方法は前のと一緒だ。うまくいけばすげぇ速度が出るから、加減に気を付けろよ」
 それに頷き、魔力を少しずつ操縦桿に集中する。
 静かな駆動音とともに、風魔法で宙に浮いたかのようにフワリと機体が浮いた。
「……! 水平に上昇できるんですね」
「狭い場所からも飛べるようにしたくてな。どこまで飛べるか、適当に試してくれや」
「わかりました」
 そのままぐっと高度を上げ、一気に屋根の高さを越える。いっきに開けた視界いっぱいの夕空、アーペの街並みと、その奥にある東の空の森。
 
 ――森の向こうには、黒い瘴気に満ちたメルド湖沼地帯が見える筈だった。
 だが、あれは……!?
 ヒュウと冷たい突風に煽られた機体を慌てて制御し、大きく上空を旋回した。そしてすぐに聖者バルドのいる宿舎中庭に急いで降りる。
「どうした? 何か不具合が――」
「聖者様! メルド湖沼地帯の上に魔女の羽根蛇が……!!」
 ――瞬間、ドンと突き上げるように大きく地面が揺れる。
「……!」
 これはたぶん、魔物が出る。
「今すぐ退魔師達に魔物討伐を呼び掛けて下さい! できれば魔女探し達にも――」
「――! わかった、任せとけ」
 ダッと作業着の聖者が駆け出していったのを見送り、アルヴァはひそかに、大きく深呼吸した。
 最初の激震の次に来る、ぶり返すような揺れと魔物の出現。ソーマとリースは、地響きだと言っていたが……だとしたら、あの魔女の羽根蛇が関わっているんじゃないか?

「アルヴァさん!」
 目の醒めるような高い声が、いきなり飛び込んできた。
「せ……ミラノさん?!」
「アルヴァさん、その飛行機械って、二人乗れますか? 出来たら一緒に乗せてください!」
 言いながら、タッと後ろの席に乗り込んできた聖女ミラノに、あわてる。
「いえ、あの、これはまだ試作機で……」
「さっきキレイに飛んでたから大丈夫ですよね? メルド湖沼地帯の方から、沢山の魔物が溢れ出してきます! 速く行ければ、私の力で纏めて消せる筈ですっ!」
 聖女ミラノの真剣な顔に、アルヴァは動揺を鎮めて深く頷いた。
「……わかりました。座席の安全装置をしっかり着けて下さい」
「はいっ! おねがいしますっ!」
 一気に機体を上昇させ、夕闇色がかったメルド湖沼地帯にむけて、加速する。
「ふえっ?! わっ、ちょ、と、飛んでるぅぅ~~!」
 はじめて飛行機械に乗ったミラノの悲鳴が、広い空に響く。
 可愛い反応に和んでいる場合ではない。メルド湖沼地帯の上空にみえる、魔女の羽根蛇。以前飛行機械を使った時には、無かった光景だ。
 
「あ、あれは……!?」
「魔女が直接使役する、羽根蛇型の魔物です!」
「……っ! そこに、いるんですね……。先生……!」
 このままメルド湖沼地帯の上を通過して羽根蛇のいる場所まで行けそうだが、目的はあくまで、沸いて出てくる魔物とメルド湖沼地帯本体だ。
 すぐ視界に入ってきたメルド湖沼地帯手前の砂場に、続々と大小の魔物が出てきているのが見える。
「アルヴァさん、ここで止まって下さい!」
「っ……!? それはちょっと……! 手近な場所に降ります!」
 飛行機械に水平の浮力があるとはいえ、急停止はできない。旋回して下降しなくては。
 操縦桿を傾けたところで、ぱあっと背後から白い輝きが溢れた。
「……!」
 
「大丈夫だよ。みんな……この地に、この空に、この世界に――『おかえりなさい』」
 聖女ミラノから発生した眩しい力がサアッと湖沼地帯から出現した魔物達に降り注いだ。
 砂場を埋めつくすほどの魔物が、一瞬で、白く霧散していく。
 歴代の魔女探し達が、あそこで大量の魔物に苦戦し、力尽きてきただろう。それをこんな簡単に――。

「アルヴァさん、あの砂場に降りてくださいっ」
「えっ?! しかし、それはあまりに……」
「ちゃんと、向き合いたいんです。メルド湖沼地帯に……先生に……。安全な場所から一方的に私の願いを押し付けるなんて卑怯な事は、嫌だから」
 国の方針で派遣された聖女を、何の準備もなく敵地の最前線に置くなんて、普通に考えれば言語道断だ。
 ――しかし――。



◇◇◇展望の《祝福》がひらく未来◇◇◇

 メルド湖沼地帯と森の境界に広がる砂場。真っ白な砂が夕焼け色に染まり、さっきまでそこに魔物がいた形跡すらない。
 アルヴァは大きく砂を巻き上げ、そこに飛行機械を着陸させた。
「「『光明の聖女』様!」」「凄い、今のが魔物を消す力なんですね!」
 森の中から一斉に歓声がわきあがり、国防軍と魔女探し達の一部が雪崩のように飛び出してきた。
 どうやら守護の柵を砦として戦う構えを作っていたようだ。
「み、みなさん……ふぁ、わっ?!」
 いそいで飛行機械から降りようとしたミラノがふらついたのを、咄嗟に支える。
「気を付けて下さい。はじめて乗った訳ですし、足元の感覚がフワフワするでしょう」
「あ、はは……本当ですね」
 アルヴァに支えられながら、ミラノは飛行機械から降りる。
 魔女探しと国防団員と――大勢の男達が集まるなか、クレイとユリウスも駆けつけてきた。
「おいおい、しっかり戦闘準備してたってのに……凄いな、『光明の聖女』様は」
「議場でも拝見しましたが、以前とは比べ物にならないほどの力ですね(祝福)と呼ぶべきかでしょうか?」
 《祝福》――そう、ソーマもそう言っていた。
 そうしている間にも、また低い地鳴りが響いてくる。
「そ、それはともかく……! 魔物はまた出てきます。今度は、皆さんに対処をお願いしたいんですけど、いいですか?」
 ユリウスの発言に少し恥ずかしそうにしていたミラノは、息を吸って、強い顔をあげた。
「勿論だ。そのための守護の柵で、そのための国防軍だしな。聖女様のおかげで士気も充分! なっ?お前ら!」
「「「おお――っ!!」」」
 クレイの声に、周囲の魔女探しと国防隊員の大歓声が響き渡った。
 
 地鳴りとともに湖沼地帯から続々と魔物が出現し始めたのに、国防隊員が隊列を組んで構え、魔女探し達が我先にと突っ込んで行く。クレイまで先陣を切って魔物討伐に走っていったが、国防軍総帥として後衛の指揮を取ったユリウスは、すぐに聖女ミラノの傍に戻った。
「聖女様、日々訓練してきた国防軍の勇姿をみて頂けて光栄です。……さて。ミラノちゃんは、ここで何をしようとしているのかな?」
 優雅な礼をとったユリウスが、悪戯っぽい笑顔になった。
 流石、察しが良い……というべきだろうか。
「みなさんに出てくる魔物を止めてもらっているうちに……メルド湖沼地帯そのものを《祝福》します」
 真っ直ぐに言い切ったミラノの強い目が、黒い霧に覆われた沼地を見据えた。
 聖衣をなびかせる冷たい風の中に、ちいさく雪が混じりはじめる。
「ふふ、やっぱり大きく出ましたね。私はそんなあなたが好きですよ。アルヴァ、万が一の時は飛行機械でミラノちゃんを頼みます」
 あっさり頷いたユリウスは、吹き付けてきた風の流れを受け流すような風魔法を展開しはじめた。しかし、なんだか聞いてはいけない発言が聞こえた気がする。
「も、もう、何言って……わっ!?」
 ズン、と大きく地面が揺れた。
 湖沼地帯からの魔物が吐き出されるかのように突然ドッと増え、突出していた魔女探し達に一斉に襲い掛かる。しかしこちらから指示を出す間もなく、その一団は瞬時に切り刻まれて崩れ落ちた。――クレイ=ファーガスの戦闘能力は、噂より尋常ではないようだ。
「ミラノさん、あまり話をしている場合では無さそうです!」
「は、はい!」
 ぱあっとミラノが白い魔力を纏い、暗雲立ち込める湖沼地帯にむけて、足元を踏みしめる。
 
 《祝福》の白い輝き。
 湖沼地帯の黒い霧を、ジリジリと焼き切るように、逆に侵食していく。――すごい。でも、このままでは、ダメだ。そもそも、何故、この湖沼地帯はできたのか? 魔女の洪水がもたらした大地のぬかるみ。皆がそう思っている。しかしこの黒い霧を空から通過すると、ごく自然な平原が存在する。メルド湖沼地帯そのものが、土地として不自然な存在だ。
 ――つまりメルド湖沼地帯は、一種の魔物、ということになるんじゃないか。
 魔物は、もとは人。
 リースもそうだったように、過去亡くなった人の想いが、何かのきっかけで、魔物になる。ならば、メルド湖沼地帯という魔物の根源は、300年前に滅亡した国家単位の死者――ということになる。年季も、人数の規模も、いままでの比ではない。
 このままでは、魔力を消費するだけだ。
 アルヴァは飛行機械から離れて、集中しているミラノの肩を掴んだ。
「――ミラノさん! メルド湖沼地帯は、300年分の死霊が――……っ!!」
 ゴッと冷たい強風が吹きつけてくる。
 白くまばゆい輝きに、視界が消えた。
 
◇◇◇
 
「……!……!!」 (なんだ……? 聞こえない……)
 
 感覚がおかしい。
 いつのまにか黒い泥水に沈んだ戦場が眼下にひろがっていた。
(なっ……!?)
 声が、音にならない。 
 大量の死体が浮かぶ黒い泥水から瘴気が――いや、あれは、大量の、死霊だ。
 視界を埋め尽くす死霊は、何かを狙うように上空へ昇っていく。
 その先にいるのは――
 巨大な羽根蛇の上に立つ、まだ短い髪だった頃の、イオエルだ。
「……、……、……」
 大量の死霊に囲まれながら、彼女はつめたい笑みをうかべている。
(イオエル……! そこにいては、駄目だ……!!)
 伸ばした自分の腕が視界にはいる。だがその腕は、俺のものではなかった。
 擦り切れた軍服の袖。
 ひとまわり小柄な手。

 ――死霊の彼女は、手を伸ばす。
 纏わりつく黒い死霊達から、あの子を、守らなくては。
 あの子の傍に……ずっと一緒にいると約束したのに――。

 羽根蛇がイオエルに吸い込まれるように姿を消して、巨大な蝙蝠の翼が、彼女の背中に残った。 
「……なに? 戦争していたんだから、負けたら勝者に従いなさい。文句があるなら、その魂、粉々に潰してあげる。私に、出来ないとでも?」
 冷たい声。
 周囲に満ちた黒い死霊の集団が、一気に泥水のように溶けて、ザアッと地に落ちていく。
(ああ……そうか)
 視界は――彼女のものであった魂は、曇天を突き抜け、遥か空の彼方へ吸いあげられる。
 青い空が足元に輝く、夜の星空。 
 ふと気づくと、陽光のように暖かく輝く聖女ミラノが傍に浮かんでいた。
 いつのまにか自分の身体が、アルヴァがとしての姿形に戻っている。

「これが……イオエルさんが魔物を従えた切っ掛け……あの羽根蛇と一緒に……」
 ミラノの、きれいな声。
『果ての火は 時に留まれる 我が闇か
 重ね幾重も 縋る年月
 今こそは 数唄詠う 動き出す
 時の檻は朽ち 永久の終わり
 かえりみちは いまここにある 』
 教会の曲調のような歌声とともに、ひときわ白い魔力が視界を染めていく。
 
 ゴッと叩きつけるような冷たい風。
「……っ!」
 現実の感覚にそっと目を開けると、途方もない光景が、目の前にひろがっていた。
 暗雲を染め上げた《祝福》の輝き。
 ほどけるように、目の前の景色そのものだった湖沼が、消えていく。

(……あの向こうに……)
 伸ばした手が触れたのは、聖女ミラノだ。
「……!」
 ふらついたのを咄嗟に支えると、蒼白な顔色で、冷えきっているのに気付く。
「ミラノさん! 誰か、暖を取れるものを……!!」
 顔をあげて、はじめて気付いた。辺りはすっかり日が落ちて、後から駆けつけてきたらしい国防軍の篝火が周囲を照らしている。
 一瞬の事のように感じた、あの光景。
 現実にかかっていた時間はもっと長かったらしい。
 国防軍総帥の外套を外したユリウスが素早く駆け寄り、ミラノの肩を優しくくるんだ。
「『光明の聖女』様。感謝します。これで、未来の鍵が、開いた。――展望する未来を望むことができる」
「……ユ、リウス……さん?」
 いつもより柔らかな笑顔をうかべたユリウスが、さっと彼女を抱きあげた。
 白く消えていく湖沼地帯と魔物達。あまりの奇跡に呆然としている国防隊員と魔女探し達。

 ユリウスは聖女ミラノを抱き抱えたまま、ドンと飛行機械の機体の上に立つ。
「今、300年我々を悩ませてきた魔物の巣窟――メルド湖沼地帯は、消滅した! 残す脅威は『世界を支配する魔女』のみ。総員、気を引き締め、体制を整えよ!!」
 ドッと、地響きのような歓声があがる。
 国防院の隊員3000名が揃った訳ではないだろうが、一体、どれだけの人数がいるのだろう。
「総帥、聖女様は――」
 ユリウスがミラノに薄紅色の回復魔法をかけているのを見て、いいかけた言葉を飲み込む。
「この寒風のなか、3時間も立ち続けていたんです。あなたもですよ、アルヴァ。ふたりが微塵も動かなくなったので、魔物の襲撃から全勢力で死守しました。あとでクレイにお礼を言っておいて下さいね」
 3時間もの間、聖女ミラノの《祝福》に同調していたのか。
 言われて初めて、全身が強張っているのに気付く。自分は鍛えているからこの程度だろうが、ミラノが蒼白になるのも、当然だ。

「やっと起きたね、アルヴァ! いつの間にかこんな所で聖女様と一緒に凄い事になってるなんて、ズルいなぁ~」
 いきなり背中を叩かれて振り向くと、ハーディスが悪戯っぽい笑みをうかべていた。3時間もあれば、アーペの街中にいた戦力がここに結集するには充分だっただろう。
「ハーディス。すまない、急な事だったから……」
「いいよ、それより、あの向こうに『世界を支配する魔女』がいるんだよね。僕達も前線に行くよ!」
 ぎゅっと手を引かれて、駆け出したハーディスに続く。
 白くほどけていく光は寒風に吹かれて散りゆき、その向こうにある、草原の大地が見え始めた。


◇◇◇[[rb:羽根蛇 > 大蛇神ティユポーン]]◇◇◇

 白く解けるように消えていく、メルド湖沼地帯。
 そのむこうに、目がくらむほどに鮮やかな無数の星がきらめく広大な冬の草原が姿を現した。
 しかし――。
「う……うわぁぁっ?!」
「何だ、あれは!?」
 空を埋め尽くすほどの巨大な羽根蛇が、すぐ目の前で待ち構えていた。
 夕暮れ、上空に浮かんでいた魔女の羽根蛇だ。

 ――ずっと、そこにいたのか。

 強烈な風圧の風魔法が、ゴオッと逆巻く。
 キラキラと辺りを漂っていた白い光が一気に霧散し、湖沼地帯が消滅したあとの光景が拓けた。
「――待っていたわ。よく、辿り着いたわね」
 草原の中に佇む、茶色の髪をなびかせた仮面の魔女。
 ……本当に、ずっとそこで待っていたのだろう。それを知っているのは自分だけだ。

 アルヴァはハーディスの手を振りほどいて、魔女探し達をかき分け、彼らの前に飛び出た。
「……『光明の聖女』様からのお願いです! どうか、各国の統治者達にかけた呪いを、解いて下さい……! ここにはフェルトリア連邦の国防軍が来ています。シェリース王国やリュディア王国の討伐隊もすぐにやってくるでしょう。その前に……!」
 アルヴァの必死の訴えに、魔女探し達はざわめいた。
 それはそうだ。彼らは説得に来たのではなく、討伐に来たのだから。
「――アルヴァ、無茶はするな」
 いつのまにか傍に来ていたクレイは、双剣を構えながら小さく首を傾げた。
「仮面でわからんな。本当にあれが、セトだったのか」
「はい。間違いありません」
「……そうか……この状況じゃ、もう、庇えない。腹を括れ。アルヴァ」

 ――それは、出来ない。胸の奥から激しい想いが沸きあがってくる。
 幻覚の中で彼女の傍にいると約束した女性の記憶が、その想いと合流する。

「なにを喋ってるのかわからないけど、呪いを解きに来たんでしょう? 簡単な事よ。私を倒せば、呪いは解ける。……まぁ、それが出来ればの話だけど」
 そういって魔女が右手をあげると、空にいた巨大な羽根蛇が一直線に歯牙をむいて急下降してきた。
「全員、回避!!」
 クレイの一喝に、背後の魔女探し達があわてて逃げだす。
 アルヴァは真っ直ぐ向かってきた羽根蛇をギリギリで避け、光魔法を付与した双剣を突き立ててその身にとりついた。
「っ……!」
 猛烈な速度だ。だが飛行機械に掴まっていると思えば大したことではない。
 無規則にうねる蛇に、そのまま必死にしがみつく。

 悲鳴と怒号。攻撃魔法が飛び交い砂塵が巻き上がり、辺りは一瞬で混沌と化した。
 ――やはり、普通の戦力をどんなに寄せ集めたところで、魔女と羽根蛇に敵う筈がない――。
 羽根蛇はひとしきり暴れ回ると、再び羽根を広げ、上空へ飛び上がった。
 
「アルヴァ! 大丈夫?!」
 ザアッと風魔法が駆け抜け、ハーディスがすぐ近くに取り付いてきた。
「国防軍が何か用意してる。なんかやばそうだよ!」
「な……?!」
 あっというまに羽根蛇は相当な高さへ飛翔していた。
 地上の国防軍をみると、盾の隊列の奥から大掛かりな機工を積んだ馬車が数台現れている。
 巨大な機械仕掛けの弓と、そこにつがえられた矢の黒い鏃。
「……攻城機……!」
「えっ? なにそれ?」
 風魔法に弱い弓矢の弱点を重量と飛翔速度で補完したのが、攻城機だ。
 先端に仕込んだ火薬を爆発させて城塞を攻撃する。戦争の時代に存在した兵器だ。
 どうして今それがここにあるのだろうか?
 ――まるで巨大な敵と戦う事になるのを知っていたかのように、的確な用意だ。
 国防軍総帥ユリウス=ハーシェル。ここから彼の姿は見えないが、まさか、想定していたのか?
「あの機工は、次に蛇が降下するのを狙って撃ってくる筈だ。高度が下がったら離脱するぞ!」
「う、うん! アルヴァ、詳しいね!」
「……そうでもない」
 ハーディスの素直な尊敬の瞳に、一瞬、戸惑った。
 言われてみると、あれをどこで知ったのか、アルヴァ自身もわからない。

「ふたりとも、こんな所にくっついてたら、危ないわよ」
 ふわっとした、高い声。
 羽根蛇の背に乗った仮面の魔女が、いつのまにか近くにいた。
「……!!」
 すぐ横で[[rb:口風琴 > ハーモニカ]]の音が鳴り、ハーディスの的確な風魔法の刃が炸裂する。
 近距離でそれをまともに受けた魔女の外套が切り裂かれ、鈍い音と共に仮面が弾き飛んだ。
「なっ……?!」
 何故、防がない?!
 隣で攻撃したハーディスも、呆然と固まってしまった。

 魔女は仮面が取れた額を押さえて、小さく笑う。 
「戦闘技術と判断力……まさに純粋な英雄ね、ハーディス。敵である『人間』を殺せれば、もっと奥行きのある英雄になるでしょう」
 顔をあげた魔女の額から、血が滴っていく。
「……え……セトさん……?」
「久しぶり、ハーディス。私を殺しに来た英雄さん。私の命は、この《大蛇神ティユポーン》と一緒になってる。だから私とティユを一緒に倒さないと、勝てないわよ。まぁまずは、この子の相手をすることね」

 彼女がそういって羽根蛇からトッと離れた途端、滑らかな巨体が再び急下降をはじめたのにあわててしがみついた。
「……っ!!」
「な、なっ……聞いてないんだけど――!?」
「ハーディス! それより離脱を……!」
「あぁぁ~~わかってるよぉ~~!!」
 一気に迫った地面。
 草むらの暗がりに転がり落ちるようにして着地した一瞬後。巨大な蛇の胴に攻城機の巨大な矢が突き刺さり、爆発音が炸裂した。不快そうに身をよじり、低空で巨大な羽根をはばたかせた蛇は夜の草原の中にザアッと退がっていく。
「怖っ! 蛇よりあの攻城機とかいうやつのほうが怖い!」
「そうかもしれないな」
 発射地点では、素早い連携で次の矢を準備している。
 確かに、あれががすべて命中すれば、勝機が見えるかもしれない。
「と、とにかく陣地に戻ろう。あの蛇を倒さないと魔女を倒せないって、みんなに伝えないと」
「……魔女の正体が、知り合いでも……倒すのか?」
 アルヴァの手を引いて駆け出したハーディスは、そういうアルヴァの言葉に、すこしだけつうむいた。
「……だって、仕方ないじゃないか。魔女探しだけなら何とかなるかも知れないけど、いくつもの国が関わってるんだよ。僕達の私情で、みんなで決めたことを邪魔することは出来ないよ」

 クレイも腹を括れと言っていた。それが正しい判断なのは、わかる。
 でも、どうしてイオエルは、直接皆の前に姿を晒し、弱点ともいえる情報まで伝えてきたのだろう?
 メルド湖沼地帯が消滅したのも、当然のように受け入れているのは――。

 突然、ぱあっと白い輝きが目の前を駆け抜けた。
 聖女ミラノの《祝福》の光。
 草原へ退いた羽根蛇に向けて放たれた輝きは、羽根蛇を強烈に包み込む。
「うわっ! 聖女様凄い! メルド湖沼地帯を消したこの力なら……!」
「いや……何かおかしい……!」
 ゴゴゴゴゴ……と地面が大きく揺れ、羽根蛇の姿が消えた。
 ――いや、地面に、潜った。
 今まで以上の大きな地響きと、縦揺れの地震がつきあげてくる。
「えぇぇ?! もしかして今までの地震と魔物の出現って――」
「――あの蛇の仕業だったようだな。急ぐぞ、ここも危険だ」
「う、うん!」
 いまはここで悩んでいても仕方ない。揺れ続ける草むらの地面をふたりで静かに走り抜け、負傷者を回収して体制を立て直している砂場の喧噪の中に転がり込んだ。夜の暗がりの中、そこかしこに散らばる死体と、砂埃と、血の臭い。前に出ていた魔女探しの半数以上が、あの一瞬でやられたようだ。
「う……」
 真っ青になったハーディスを支えて、救護所を探す。
 魔物と戦う英雄は、これほどの数の人間の死体を目の当たりにした事はないのだろう。


◇◇◇報復~クレイとゼロファ~◇◇◇

 
「アルヴァ、ハーディス! 無事だったか」
 魔女探したちの動きを誘導していたクレイが、こちらを見つけて駆けてきた。
「はい。無傷ですが、ハーディスがちょっと死体を見て気持ち悪くなって……」
「あぁ……まぁそりゃ、仕方無いな。国防軍の機工と聖女様のおかげで、あの大蛇は一時的に引っ込んだ。この隙に体制を立て直してる。いまのうちに少し休め」 
 ポンとクレイに背中を叩かれたハーディスは、怠そうに顔を上げた。
「クレイさん……魔女とあの蛇は、命が一緒になってるって言ってました。だから、同時に倒さないと……」
「なんだって? それはどこで聞いたんだ」
「……さっき、ふたりともあの蛇に取り付いていたんです。その時に魔女が直接……」
「そうか……。くそ、なんだか余計難しい事になった気がするぜ」
 くしゃりと黒髪を掻いたクレイは、話をしながらハーディスを救護所へ導いてくれていた。
 後衛を固めていた国防軍の車列の奥、森の少し奥まった場所に、天幕がはられている。魔女探しの回復要員が詠唱する治癒魔法があちこちで薄紅色の灯をつくり、国防軍の隊員が軽傷者の手当に忙しく動き回っている――あわただしい熱気に包まれている。

「水を飲んで少し休んでな。俺は国防軍総帥にさっきの話を伝えてくるから。アルヴァも一緒に休んどけよ、さっき聖女様と一緒に3時間突っ立ってただろ」
「いえ、ご一緒します。実際に話を聞いた俺も同行した方が良いでしょう」
 アルヴァはハーディスの肩を叩いて、足早に天幕を出るクレイのあとを追った。
 地響きと揺れが不気味に続くなか、ここにいる魔女探しと国防軍は、協力して活動しているようだ。
 ――僕達の私情で、みんなで決めたことを邪魔することは出来ない。
 確かに、ハーディスとクレイは正しい。
(だけど――)
 ギリ、と強く拳を握ったところで誰かとぶつかった。
「わっ、すみません。急いでて……!」
 彼が抱えていた薬と包帯の箱を、落とさないよう咄嗟に手を添える。
「あれ、ノーリ? いや、すまない。周りを見てなくて……」
 医療用品を抱えていた青年が顔をあげた。
 あとから来ると言っていた、ノーリだ。
「なんだ、アルヴァでしたか。負傷者のなかにいないから、心配しました」
「身体の調子はもういいのか?」
「あはは、年齢のせいか魔力が貧弱になったみたいで。魔法を使わなければ元気です」
 辺りの篝火に照らされた顔色は、悪くはなさそうだ。

「おい」
 先に行ったかと思っていたクレイが、足をとめていた。
「…………アルヴァの知り合いか」
「あ、はい、前回一緒に行動して――」
 瞬間。
 クレイの剣が動いた。
 咄嗟に双剣でその剣檄を受け止め、刀身がギリリと鈍い音をたてる。明らかにノーリを狙った攻撃。咄嗟に防いだアルヴァにもなにが起こったのかわからない。
 クレイの異常な様子に、周囲の人間も驚いてさあっと避けていく。
「なっ……なにを……!?」
「俺の速度に反応するとは、腕をあげたな。アルヴァ。いい子だから、そこを退け」
 クレイから、濃厚な殺気が滲んでくる。
「――俺達がこれだけ魔女に迫って、近くにいない訳がないとは思っていた。会えて嬉しいぜ、ゼロファ」
「……おやおや。協会の連絡事項には、仲間同士の疑心暗鬼は避けるようにというお知らせもあった気がするんですが……」
 張りつめた空気のなか、ノーリは平然と笑う。
「ハーディスが、お前の力が感じられなくなったと言っていた。何を企んでいる?」
「協会の代表が突然善良な治癒師を攻撃する……。周囲の人達は、どう思うでしょうね? ふふ、組織っていうのも、大変ですよねぇ」
「また適当な事を。この二枚舌が」
 ――このふたりは、何を言っているんだ?
 戸惑った一瞬。
 ガンと双剣を跳ねあげて足を払ってきたクレイに姿勢を崩され、的確な斬撃がノーリを捉える。
 ――間に合わない――!
「……っ!!」
「なっ?!」
 音を立てて散らばる薬瓶の硝子と、鮮血。
 斬りつけたほうのクレイが驚愕に目をひらいた。ずるりとノーリの前で崩れ落ちたのは、黒髪の青年だ。
「ソーマ……!?」
 ノーリは咄嗟に、膝をついたソーマの身体を支えていた。
「馬鹿か……! そいつは、魔女の手下『ゼロファ=アーカイル』だぞ!!」
 緊張して見守っていた周囲に、ざわめきがひろがる。
「……それじゃ、捕まえて牢屋にでも入れときゃいいだろうに……斬りかかるとか、怨恨深すぎるっての……」
 血溜まりが、ひろがっていく。
 即死でもおかしくない失血量だ。
 すぐにノーリが詠唱した回復魔法がソーマを薄紅色に包む――と同時に、薄い金色に見えていたノーリの髪色が、すうっと綺麗な白に変化していく。
 髪色の変化を当然のように見下ろしたクレイは、俯いたままのノーリの首筋に、ピタリと剣をあてた。
 『白い髪の魔女の手下』だ。
 ――まさか、本当にノーリが――。
「……偽魔女も簒奪王も、利用した人間は見捨ててきたお前が……逃げもせず治癒してやるとは、どういう心境の変化だ?」
 張りつめた空気に、誰一人として身動きできない。
「……やめとけ、クレイ=ファーガス。ゼロファには、もう本当に何の力もない。すぐにこうして魔力切れになるくらいだ。――俺に、負けたからな」
 力強くて良い声が、沈黙を暖かく緩めた。
 重傷を負ったはずのソーマが悠然と立ち上がり、剣を持つクレイの腕を押し退けた。
「なっ……?!」
「無力化された仇に、構っている暇はねぇぜ。あんたはその人望でこの集団をまとめて、魔女討伐をやり遂げなきゃいけねーだろ」
 クレイは不自然に復活したソーマから、じり、と距離を取る。
「……そいつが、負けた……?」
「あんたの願いは、復讐じゃない。同じ目に遭う奴が、いないようにしたかったんだろう? だからこその協会。だからこそついてきた、人脈。……ここで死者を出すな。砂地ではもう充分、血が流れた」
 ソーマの温かくて優しい声が、殺気と緊張に満ちた空気のなかに沁みていく。彼がクレイの剣に斬られたのは、もしかして、このためだったのだろうか。
「……ソーマ……お前は……何者なんだ……」
 白髪の魔女の手下を倒し、致命傷から一瞬で回復し、この場の権威者を圧倒した。武器も持たない、出自不明の黒髪の男。
 存在全部が、魔女と同じくらい、異常だ。

「クレイ!」
「クレイさんっ!」
 周囲の人々をかきわけて、聖者バルドとハーディスが駆けつけてきた。
「お前ら……! 危ないから下がってろ!」
「いや、あぶねえのはお前だろ、クレイ。ちっと落ち着け。こんなとこで揉め事起こしてる場合じゃねえぞ」
「クレイさん~! 僕、ゼロファとちゃんと喋りたいって言ったじゃないですか。ずるいです!」
 冷静な指摘をしてくる年配と子供に挟まれ、クレイは何かを言いかけてから、肩を落とした。
「…………くそ、なんか俺が悪者じゃねぇか」
「クレイ。お前さんの衝動はわかるぜ。だが今は……」
「あー、わかったよ、聖者様。――俺じゃ落ち着いて対処できん。ハーディス、捕まえておくのは任せた」
 剣を納めて踵を返し、クレイは国防軍の方へ足早に歩いていってしまった。
「うむぅ……自分の組織をもって落ち着いたかと思ったが、やっぱりまだまだ、熱い奴だなぁ」
 聖者バルドがぽつりと落とした独り言。
 それだけが周囲の人間にクレイが決して悪者ではないように思わせるのだから、流石だ。
 
 ソーマが、白くなったノーリの髪を優しく梳いた。
「まったく、魔力使うなって言ったじゃねーか」
「………」
「ちょ、ソーマさん、すごい血だよ!!」
 ノーリに駆け寄ろうとしたハーディスが、ソーマの足元に広がる血溜まりの量に心配の声をあげた。
「ん? もう治したし、血も作ったから大丈夫だぜ!」
「ええー!?」
「おいおい、喋っとる場合じゃねえだろ。ソーマ、その魔女の手下ってのを、渡してくれんかね。周りの目もある」
 聖者バルドの冷静な言葉に、ソーマは少し首をかしげた。
「『ゼロファ=アーカイル』は、もう俺に捕まってるんだけどな」
「……ノーリ……」
 アルヴァは小さく探るように声をかけた。
 もう、目の前にいるのは回復役の仲間ではない。魔女の手下だ。
「…………はぁ……。力が無いなりに、出来ることをしたかったんですがねぇ……。……巻き込んですみません、アルヴァ。あなたに怪我が無くて良かった。ハーディス、借り物の力をよく体得しましたね。聖者様も、腹の穴を塞ぎはしましたが、無事に意識を取り戻していて、何よりです」
 そういって顔をあげたノーリは、暗い笑顔をうかべていた。
「僕自身に力がないからって、逃げられないとでも?」



スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む ◇◇◇激戦~亡国の神獣~◇◇◇


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…




 遠くの空を飛ぶ小鳥たちが、夕焼けのなか、遠ざかっていく。あと少し近ければ、鳥たちの視界に草原に佇む黒衣の魔女が見えただろう。――果てしない草原。このディールの丘は、300年前に2国が争った大戦の舞台だった。周辺にはかつて栄えた城塞都市や農村があった。しかしすべては、雨風と緑によって、大自然のなかに埋もれている。
 洪水と魔物に見舞われた人々の大半は、それぞれ大陸の東西にある安全な国に逃れた。人々が故郷を捨てて新しい国に定住したという歴史の記憶は、世代を重ね、ほとんど忘れられている。
 ……10年前に出会った、私と同じ緑の瞳を持つ少女も、おそらく彼らの子孫だろう。
 フェリアに置いてきた元盗賊団の仲間達のように、あの子もどこかで幸せに暮らしているだろうか。
「――流石に、ぜんぶの国の戦力は集められなかったか。魔女探し達の国籍がバラバラだと良いんだけど」
 ぽつりと水鏡に落とした声で、僅かに水面が揺れる。
『其方がそこまで心配する必要はない。これで充分であろうよ』
「ティユ。喋るなんて、久しぶりじゃない」
 するりと足元から出てきた紫の羽根蛇は、暖かく着込んだ袖の上に懐くように頭を載せてきた。
 そっと撫でると、細い舌がチロリと掌を舐める。
『決めたのだろう? 私は共にあるぞ、盟約者よ』
「そうね。奴隷はいなくなったけど、あなたがいるわね。……最後まで付き合ってくれる?」
『無論だ。其方の意思は伝わっている。イオエル=リンクス』
 羽根蛇は腕を離れ、スルスルと巨大化していく。
 蝙蝠のような羽根が、草原に雨雲のような影を落とす。
 この広大な大地自然、そのものの化身。
 大蛇神ティユポーン。
 これが、魔女として盟約を結んだ、命の伴侶だ。
 イオエルは仮面を付け、満天の大蛇に手を伸べた。
 ――求めていた流れ星は、300年の星空に、みつけられなかった。
 だから、もう、いい。
「さあ、始めよう。可愛い勇者さん達が待ってる」
◇◇◇
「アルヴァ! ここにいたか。ちょっと付き合ってくれんかね?」
 大勢の魔女探し達が集まっている教会の講堂。
 そこに突然顔を出した聖者バルドに、アルヴァは小さく溜め息をついた。
「また作業着姿なんですね……。ここでの《ホライズン》を代表してかなり手一杯なんですが、どうしたんですか?」
「なんだ、そんなの創設者のクレイにやらせろよ」
「森の中の柵の強化に出たきり、昨日から戻らないんです。おそらく国防軍の駐屯地にいるかと思います」
「あぁ。あいつは元々最前線で動く奴だからなー。苦労するなぁ、アルヴァ」
 喋りながら無理矢理腕を引かれ、講堂の外に連れ出される。
 わざわざ人混みを避けるとは、どんな重要な用事なのか――。
「ちょっとばかり思い切った改良型の飛行機械を、一台作ってみたんだ。試運転を頼みたい」
 どうやら重要な用事ではなかったようだ。
「それは誰でも良いのでは……ディアナさんあたりに頼んでみては?」
「いや~、かなり改良してあるからうまく飛ぶか分かんねぇし。アルヴァの身のこなしなら、万が一事故っても怪我するような事はねぇだろ?」
「事故前提でのお声がけですか……。光栄な任務のようですね」
「だろう? 飛行機械の安全名誉の為にも、頼むぜ!」
 いきおいよく腕を引かれ、教会宿舎の中庭に置かれた小型の機械の前にたどり着いた。鳥の翼を模した羽根の部分が今までと大きく違う。二重になった羽根の間の丸い機工。それに一人乗りではなく、二人まで乗れるようだ。
 詳しい事はわからないが、凄そうだというのは分かる。
「どうだ、すげぇだろ。魔女討伐に《ホライズン》経由で国からしっかり資金が出てるからな! 街の連中も滅茶苦茶張り切ってるし、心置きなく開発させて貰った訳よ!」
「ああ、なるほど……。って、街をあげて飛行機械作ってるんですか?」
「おうよ。大人数でディールの丘に乗り込むんなら、必要だろ?」
 当然の様子で頷いた聖者バルドの笑顔から、思わず目を背ける。
 …………聖女ミラノは、メルド湖沼地帯そのものを消すつもりだ。
 それが成功すれば、折角作った飛行機械は、すぐには要らないものになってしまうかも知れない。
 そっと黙ったまま試作機に乗り込み、操縦桿を握る。飛び立つには風魔法が必要だった筈だが――?
「属性に関係なく、操縦桿に魔力を流せば機能する。操作方法は前のと一緒だ。うまくいけばすげぇ速度が出るから、加減に気を付けろよ」
 それに頷き、魔力を少しずつ操縦桿に集中する。
 静かな駆動音とともに、風魔法で宙に浮いたかのようにフワリと機体が浮いた。
「……! 水平に上昇できるんですね」
「狭い場所からも飛べるようにしたくてな。どこまで飛べるか、適当に試してくれや」
「わかりました」
 そのままぐっと高度を上げ、一気に屋根の高さを越える。いっきに開けた視界いっぱいの夕空、アーペの街並みと、その奥にある東の空の森。
 ――森の向こうには、黒い瘴気に満ちたメルド湖沼地帯が見える筈だった。
 だが、あれは……!?
 ヒュウと冷たい突風に煽られた機体を慌てて制御し、大きく上空を旋回した。そしてすぐに聖者バルドのいる宿舎中庭に急いで降りる。
「どうした? 何か不具合が――」
「聖者様! メルド湖沼地帯の上に魔女の羽根蛇が……!!」
 ――瞬間、ドンと突き上げるように大きく地面が揺れる。
「……!」
 これはたぶん、魔物が出る。
「今すぐ退魔師達に魔物討伐を呼び掛けて下さい! できれば魔女探し達にも――」
「――! わかった、任せとけ」
 ダッと作業着の聖者が駆け出していったのを見送り、アルヴァはひそかに、大きく深呼吸した。
 最初の激震の次に来る、ぶり返すような揺れと魔物の出現。ソーマとリースは、地響きだと言っていたが……だとしたら、あの魔女の羽根蛇が関わっているんじゃないか?
「アルヴァさん!」
 目の醒めるような高い声が、いきなり飛び込んできた。
「せ……ミラノさん?!」
「アルヴァさん、その飛行機械って、二人乗れますか? 出来たら一緒に乗せてください!」
 言いながら、タッと後ろの席に乗り込んできた聖女ミラノに、あわてる。
「いえ、あの、これはまだ試作機で……」
「さっきキレイに飛んでたから大丈夫ですよね? メルド湖沼地帯の方から、沢山の魔物が溢れ出してきます! 速く行ければ、私の力で纏めて消せる筈ですっ!」
 聖女ミラノの真剣な顔に、アルヴァは動揺を鎮めて深く頷いた。
「……わかりました。座席の安全装置をしっかり着けて下さい」
「はいっ! おねがいしますっ!」
 一気に機体を上昇させ、夕闇色がかったメルド湖沼地帯にむけて、加速する。
「ふえっ?! わっ、ちょ、と、飛んでるぅぅ~~!」
 はじめて飛行機械に乗ったミラノの悲鳴が、広い空に響く。
 可愛い反応に和んでいる場合ではない。メルド湖沼地帯の上空にみえる、魔女の羽根蛇。以前飛行機械を使った時には、無かった光景だ。
「あ、あれは……!?」
「魔女が直接使役する、羽根蛇型の魔物です!」
「……っ! そこに、いるんですね……。先生……!」
 このままメルド湖沼地帯の上を通過して羽根蛇のいる場所まで行けそうだが、目的はあくまで、沸いて出てくる魔物とメルド湖沼地帯本体だ。
 すぐ視界に入ってきたメルド湖沼地帯手前の砂場に、続々と大小の魔物が出てきているのが見える。
「アルヴァさん、ここで止まって下さい!」
「っ……!? それはちょっと……! 手近な場所に降ります!」
 飛行機械に水平の浮力があるとはいえ、急停止はできない。旋回して下降しなくては。
 操縦桿を傾けたところで、ぱあっと背後から白い輝きが溢れた。
「……!」
「大丈夫だよ。みんな……この地に、この空に、この世界に――『おかえりなさい』」
 聖女ミラノから発生した眩しい力がサアッと湖沼地帯から出現した魔物達に降り注いだ。
 砂場を埋めつくすほどの魔物が、一瞬で、白く霧散していく。
 歴代の魔女探し達が、あそこで大量の魔物に苦戦し、力尽きてきただろう。それをこんな簡単に――。
「アルヴァさん、あの砂場に降りてくださいっ」
「えっ?! しかし、それはあまりに……」
「ちゃんと、向き合いたいんです。メルド湖沼地帯に……先生に……。安全な場所から一方的に私の願いを押し付けるなんて卑怯な事は、嫌だから」
 国の方針で派遣された聖女を、何の準備もなく敵地の最前線に置くなんて、普通に考えれば言語道断だ。
 ――しかし――。
◇◇◇展望の《祝福》がひらく未来◇◇◇
 メルド湖沼地帯と森の境界に広がる砂場。真っ白な砂が夕焼け色に染まり、さっきまでそこに魔物がいた形跡すらない。
 アルヴァは大きく砂を巻き上げ、そこに飛行機械を着陸させた。
「「『光明の聖女』様!」」「凄い、今のが魔物を消す力なんですね!」
 森の中から一斉に歓声がわきあがり、国防軍と魔女探し達の一部が雪崩のように飛び出してきた。
 どうやら守護の柵を砦として戦う構えを作っていたようだ。
「み、みなさん……ふぁ、わっ?!」
 いそいで飛行機械から降りようとしたミラノがふらついたのを、咄嗟に支える。
「気を付けて下さい。はじめて乗った訳ですし、足元の感覚がフワフワするでしょう」
「あ、はは……本当ですね」
 アルヴァに支えられながら、ミラノは飛行機械から降りる。
 魔女探しと国防団員と――大勢の男達が集まるなか、クレイとユリウスも駆けつけてきた。
「おいおい、しっかり戦闘準備してたってのに……凄いな、『光明の聖女』様は」
「議場でも拝見しましたが、以前とは比べ物にならないほどの力ですね。《祝福》と呼ぶべきかでしょうか?」
 《祝福》――そう、ソーマもそう言っていた。
 そうしている間にも、また低い地鳴りが響いてくる。
「そ、それはともかく……! 魔物はまた出てきます。今度は、皆さんに対処をお願いしたいんですけど、いいですか?」
 ユリウスの発言に少し恥ずかしそうにしていたミラノは、息を吸って、強い顔をあげた。
「勿論だ。そのための守護の柵で、そのための国防軍だしな。聖女様のおかげで士気も充分! なっ?お前ら!」
「「「おお――っ!!」」」
 クレイの声に、周囲の魔女探しと国防隊員の大歓声が響き渡った。
 地鳴りとともに湖沼地帯から続々と魔物が出現し始めたのに、国防隊員が隊列を組んで構え、魔女探し達が我先にと突っ込んで行く。クレイまで先陣を切って魔物討伐に走っていったが、国防軍総帥として後衛の指揮を取ったユリウスは、すぐに聖女ミラノの傍に戻った。
「聖女様、日々訓練してきた国防軍の勇姿をみて頂けて光栄です。……さて。ミラノちゃんは、ここで何をしようとしているのかな?」
 優雅な礼をとったユリウスが、悪戯っぽい笑顔になった。
 流石、察しが良い……というべきだろうか。
「みなさんに出てくる魔物を止めてもらっているうちに……メルド湖沼地帯そのものを《祝福》します」
 真っ直ぐに言い切ったミラノの強い目が、黒い霧に覆われた沼地を見据えた。
 聖衣をなびかせる冷たい風の中に、ちいさく雪が混じりはじめる。
「ふふ、やっぱり大きく出ましたね。私はそんなあなたが好きですよ。アルヴァ、万が一の時は飛行機械でミラノちゃんを頼みます」
 あっさり頷いたユリウスは、吹き付けてきた風の流れを受け流すような風魔法を展開しはじめた。しかし、なんだか聞いてはいけない発言が聞こえた気がする。
「も、もう、何言って……わっ!?」
 ズン、と大きく地面が揺れた。
 湖沼地帯からの魔物が吐き出されるかのように突然ドッと増え、突出していた魔女探し達に一斉に襲い掛かる。しかしこちらから指示を出す間もなく、その一団は瞬時に切り刻まれて崩れ落ちた。――クレイ=ファーガスの戦闘能力は、噂より尋常ではないようだ。
「ミラノさん、あまり話をしている場合では無さそうです!」
「は、はい!」
 ぱあっとミラノが白い魔力を纏い、暗雲立ち込める湖沼地帯にむけて、足元を踏みしめる。
 《祝福》の白い輝き。
 湖沼地帯の黒い霧を、ジリジリと焼き切るように、逆に侵食していく。――すごい。でも、このままでは、ダメだ。そもそも、何故、この湖沼地帯はできたのか? 魔女の洪水がもたらした大地のぬかるみ。皆がそう思っている。しかしこの黒い霧を空から通過すると、ごく自然な平原が存在する。メルド湖沼地帯そのものが、土地として不自然な存在だ。
 ――つまりメルド湖沼地帯は、一種の魔物、ということになるんじゃないか。
 魔物は、もとは人。
 リースもそうだったように、過去亡くなった人の想いが、何かのきっかけで、魔物になる。ならば、メルド湖沼地帯という魔物の根源は、300年前に滅亡した国家単位の死者――ということになる。年季も、人数の規模も、いままでの比ではない。
 このままでは、魔力を消費するだけだ。
 アルヴァは飛行機械から離れて、集中しているミラノの肩を掴んだ。
「――ミラノさん! メルド湖沼地帯は、300年分の死霊が――……っ!!」
 ゴッと冷たい強風が吹きつけてくる。
 白くまばゆい輝きに、視界が消えた。
◇◇◇
「……!……!!」 (なんだ……? 聞こえない……)
 感覚がおかしい。
 いつのまにか黒い泥水に沈んだ戦場が眼下にひろがっていた。
(なっ……!?)
 声が、音にならない。 
 大量の死体が浮かぶ黒い泥水から瘴気が――いや、あれは、大量の、死霊だ。
 視界を埋め尽くす死霊は、何かを狙うように上空へ昇っていく。
 その先にいるのは――
 巨大な羽根蛇の上に立つ、まだ短い髪だった頃の、イオエルだ。
「……、……、……」
 大量の死霊に囲まれながら、彼女はつめたい笑みをうかべている。
(イオエル……! そこにいては、駄目だ……!!)
 伸ばした自分の腕が視界にはいる。だがその腕は、俺のものではなかった。
 擦り切れた軍服の袖。
 ひとまわり小柄な手。
 ――死霊の彼女は、手を伸ばす。
 纏わりつく黒い死霊達から、あの子を、守らなくては。
 あの子の傍に……ずっと一緒にいると約束したのに――。
 羽根蛇がイオエルに吸い込まれるように姿を消して、巨大な蝙蝠の翼が、彼女の背中に残った。 
「……なに? 戦争していたんだから、負けたら勝者に従いなさい。文句があるなら、その魂、粉々に潰してあげる。私に、出来ないとでも?」
 冷たい声。
 周囲に満ちた黒い死霊の集団が、一気に泥水のように溶けて、ザアッと地に落ちていく。
(ああ……そうか)
 視界は――彼女のものであった魂は、曇天を突き抜け、遥か空の彼方へ吸いあげられる。
 青い空が足元に輝く、夜の星空。 
 ふと気づくと、陽光のように暖かく輝く聖女ミラノが傍に浮かんでいた。
 いつのまにか自分の身体が、アルヴァがとしての姿形に戻っている。
「これが……イオエルさんが魔物を従えた切っ掛け……あの羽根蛇と一緒に……」
 ミラノの、きれいな声。
『果ての火は 時に留まれる 我が闇か
 重ね幾重も 縋る年月
 今こそは 数唄詠う 動き出す
 時の檻は朽ち 永久の終わり
 かえりみちは いまここにある 』
 教会の曲調のような歌声とともに、ひときわ白い魔力が視界を染めていく。
 ゴッと叩きつけるような冷たい風。
「……っ!」
 現実の感覚にそっと目を開けると、途方もない光景が、目の前にひろがっていた。
 暗雲を染め上げた《祝福》の輝き。
 ほどけるように、目の前の景色そのものだった湖沼が、消えていく。
(……あの向こうに……)
 伸ばした手が触れたのは、聖女ミラノだ。
「……!」
 ふらついたのを咄嗟に支えると、蒼白な顔色で、冷えきっているのに気付く。
「ミラノさん! 誰か、暖を取れるものを……!!」
 顔をあげて、はじめて気付いた。辺りはすっかり日が落ちて、後から駆けつけてきたらしい国防軍の篝火が周囲を照らしている。
 一瞬の事のように感じた、あの光景。
 現実にかかっていた時間はもっと長かったらしい。
 国防軍総帥の外套を外したユリウスが素早く駆け寄り、ミラノの肩を優しくくるんだ。
「『光明の聖女』様。感謝します。これで、未来の鍵が、開いた。――展望する未来を望むことができる」
「……ユ、リウス……さん?」
 いつもより柔らかな笑顔をうかべたユリウスが、さっと彼女を抱きあげた。
 白く消えていく湖沼地帯と魔物達。あまりの奇跡に呆然としている国防隊員と魔女探し達。
 ユリウスは聖女ミラノを抱き抱えたまま、ドンと飛行機械の機体の上に立つ。
「今、300年我々を悩ませてきた魔物の巣窟――メルド湖沼地帯は、消滅した! 残す脅威は『世界を支配する魔女』のみ。総員、気を引き締め、体制を整えよ!!」
 ドッと、地響きのような歓声があがる。
 国防院の隊員3000名が揃った訳ではないだろうが、一体、どれだけの人数がいるのだろう。
「総帥、聖女様は――」
 ユリウスがミラノに薄紅色の回復魔法をかけているのを見て、いいかけた言葉を飲み込む。
「この寒風のなか、3時間も立ち続けていたんです。あなたもですよ、アルヴァ。ふたりが微塵も動かなくなったので、魔物の襲撃から全勢力で死守しました。あとでクレイにお礼を言っておいて下さいね」
 3時間もの間、聖女ミラノの《祝福》に同調していたのか。
 言われて初めて、全身が強張っているのに気付く。自分は鍛えているからこの程度だろうが、ミラノが蒼白になるのも、当然だ。
「やっと起きたね、アルヴァ! いつの間にかこんな所で聖女様と一緒に凄い事になってるなんて、ズルいなぁ~」
 いきなり背中を叩かれて振り向くと、ハーディスが悪戯っぽい笑みをうかべていた。3時間もあれば、アーペの街中にいた戦力がここに結集するには充分だっただろう。
「ハーディス。すまない、急な事だったから……」
「いいよ、それより、あの向こうに『世界を支配する魔女』がいるんだよね。僕達も前線に行くよ!」
 ぎゅっと手を引かれて、駆け出したハーディスに続く。
 白くほどけていく光は寒風に吹かれて散りゆき、その向こうにある、草原の大地が見え始めた。
◇◇◇[[rb:羽根蛇 > 大蛇神ティユポーン]]◇◇◇
 白く解けるように消えていく、メルド湖沼地帯。
 そのむこうに、目がくらむほどに鮮やかな無数の星がきらめく広大な冬の草原が姿を現した。
 しかし――。
「う……うわぁぁっ?!」
「何だ、あれは!?」
 空を埋め尽くすほどの巨大な羽根蛇が、すぐ目の前で待ち構えていた。
 夕暮れ、上空に浮かんでいた魔女の羽根蛇だ。
 ――ずっと、そこにいたのか。
 強烈な風圧の風魔法が、ゴオッと逆巻く。
 キラキラと辺りを漂っていた白い光が一気に霧散し、湖沼地帯が消滅したあとの光景が拓けた。
「――待っていたわ。よく、辿り着いたわね」
 草原の中に佇む、茶色の髪をなびかせた仮面の魔女。
 ……本当に、ずっとそこで待っていたのだろう。それを知っているのは自分だけだ。
 アルヴァはハーディスの手を振りほどいて、魔女探し達をかき分け、彼らの前に飛び出た。
「……『光明の聖女』様からのお願いです! どうか、各国の統治者達にかけた呪いを、解いて下さい……! ここにはフェルトリア連邦の国防軍が来ています。シェリース王国やリュディア王国の討伐隊もすぐにやってくるでしょう。その前に……!」
 アルヴァの必死の訴えに、魔女探し達はざわめいた。
 それはそうだ。彼らは説得に来たのではなく、討伐に来たのだから。
「――アルヴァ、無茶はするな」
 いつのまにか傍に来ていたクレイは、双剣を構えながら小さく首を傾げた。
「仮面でわからんな。本当にあれが、セトだったのか」
「はい。間違いありません」
「……そうか……この状況じゃ、もう、庇えない。腹を括れ。アルヴァ」
 ――それは、出来ない。胸の奥から激しい想いが沸きあがってくる。
 幻覚の中で彼女の傍にいると約束した女性の記憶が、その想いと合流する。
「なにを喋ってるのかわからないけど、呪いを解きに来たんでしょう? 簡単な事よ。私を倒せば、呪いは解ける。……まぁ、それが出来ればの話だけど」
 そういって魔女が右手をあげると、空にいた巨大な羽根蛇が一直線に歯牙をむいて急下降してきた。
「全員、回避!!」
 クレイの一喝に、背後の魔女探し達があわてて逃げだす。
 アルヴァは真っ直ぐ向かってきた羽根蛇をギリギリで避け、光魔法を付与した双剣を突き立ててその身にとりついた。
「っ……!」
 猛烈な速度だ。だが飛行機械に掴まっていると思えば大したことではない。
 無規則にうねる蛇に、そのまま必死にしがみつく。
 悲鳴と怒号。攻撃魔法が飛び交い砂塵が巻き上がり、辺りは一瞬で混沌と化した。
 ――やはり、普通の戦力をどんなに寄せ集めたところで、魔女と羽根蛇に敵う筈がない――。
 羽根蛇はひとしきり暴れ回ると、再び羽根を広げ、上空へ飛び上がった。
「アルヴァ! 大丈夫?!」
 ザアッと風魔法が駆け抜け、ハーディスがすぐ近くに取り付いてきた。
「国防軍が何か用意してる。なんかやばそうだよ!」
「な……?!」
 あっというまに羽根蛇は相当な高さへ飛翔していた。
 地上の国防軍をみると、盾の隊列の奥から大掛かりな機工を積んだ馬車が数台現れている。
 巨大な機械仕掛けの弓と、そこにつがえられた矢の黒い鏃。
「……攻城機……!」
「えっ? なにそれ?」
 風魔法に弱い弓矢の弱点を重量と飛翔速度で補完したのが、攻城機だ。
 先端に仕込んだ火薬を爆発させて城塞を攻撃する。戦争の時代に存在した兵器だ。
 どうして今それがここにあるのだろうか?
 ――まるで巨大な敵と戦う事になるのを知っていたかのように、的確な用意だ。
 国防軍総帥ユリウス=ハーシェル。ここから彼の姿は見えないが、まさか、想定していたのか?
「あの機工は、次に蛇が降下するのを狙って撃ってくる筈だ。高度が下がったら離脱するぞ!」
「う、うん! アルヴァ、詳しいね!」
「……そうでもない」
 ハーディスの素直な尊敬の瞳に、一瞬、戸惑った。
 言われてみると、あれをどこで知ったのか、アルヴァ自身もわからない。
「ふたりとも、こんな所にくっついてたら、危ないわよ」
 ふわっとした、高い声。
 羽根蛇の背に乗った仮面の魔女が、いつのまにか近くにいた。
「……!!」
 すぐ横で[[rb:口風琴 > ハーモニカ]]の音が鳴り、ハーディスの的確な風魔法の刃が炸裂する。
 近距離でそれをまともに受けた魔女の外套が切り裂かれ、鈍い音と共に仮面が弾き飛んだ。
「なっ……?!」
 何故、防がない?!
 隣で攻撃したハーディスも、呆然と固まってしまった。
 魔女は仮面が取れた額を押さえて、小さく笑う。 
「戦闘技術と判断力……まさに純粋な英雄ね、ハーディス。敵である『人間』を殺せれば、もっと奥行きのある英雄になるでしょう」
 顔をあげた魔女の額から、血が滴っていく。
「……え……セトさん……?」
「久しぶり、ハーディス。私を殺しに来た英雄さん。私の命は、この《大蛇神ティユポーン》と一緒になってる。だから私とティユを一緒に倒さないと、勝てないわよ。まぁまずは、この子の相手をすることね」
 彼女がそういって羽根蛇からトッと離れた途端、滑らかな巨体が再び急下降をはじめたのにあわててしがみついた。
「……っ!!」
「な、なっ……聞いてないんだけど――!?」
「ハーディス! それより離脱を……!」
「あぁぁ~~わかってるよぉ~~!!」
 一気に迫った地面。
 草むらの暗がりに転がり落ちるようにして着地した一瞬後。巨大な蛇の胴に攻城機の巨大な矢が突き刺さり、爆発音が炸裂した。不快そうに身をよじり、低空で巨大な羽根をはばたかせた蛇は夜の草原の中にザアッと退がっていく。
「怖っ! 蛇よりあの攻城機とかいうやつのほうが怖い!」
「そうかもしれないな」
 発射地点では、素早い連携で次の矢を準備している。
 確かに、あれががすべて命中すれば、勝機が見えるかもしれない。
「と、とにかく陣地に戻ろう。あの蛇を倒さないと魔女を倒せないって、みんなに伝えないと」
「……魔女の正体が、知り合いでも……倒すのか?」
 アルヴァの手を引いて駆け出したハーディスは、そういうアルヴァの言葉に、すこしだけつうむいた。
「……だって、仕方ないじゃないか。魔女探しだけなら何とかなるかも知れないけど、いくつもの国が関わってるんだよ。僕達の私情で、みんなで決めたことを邪魔することは出来ないよ」
 クレイも腹を括れと言っていた。それが正しい判断なのは、わかる。
 でも、どうしてイオエルは、直接皆の前に姿を晒し、弱点ともいえる情報まで伝えてきたのだろう?
 メルド湖沼地帯が消滅したのも、当然のように受け入れているのは――。
 突然、ぱあっと白い輝きが目の前を駆け抜けた。
 聖女ミラノの《祝福》の光。
 草原へ退いた羽根蛇に向けて放たれた輝きは、羽根蛇を強烈に包み込む。
「うわっ! 聖女様凄い! メルド湖沼地帯を消したこの力なら……!」
「いや……何かおかしい……!」
 ゴゴゴゴゴ……と地面が大きく揺れ、羽根蛇の姿が消えた。
 ――いや、地面に、潜った。
 今まで以上の大きな地響きと、縦揺れの地震がつきあげてくる。
「えぇぇ?! もしかして今までの地震と魔物の出現って――」
「――あの蛇の仕業だったようだな。急ぐぞ、ここも危険だ」
「う、うん!」
 いまはここで悩んでいても仕方ない。揺れ続ける草むらの地面をふたりで静かに走り抜け、負傷者を回収して体制を立て直している砂場の喧噪の中に転がり込んだ。夜の暗がりの中、そこかしこに散らばる死体と、砂埃と、血の臭い。前に出ていた魔女探しの半数以上が、あの一瞬でやられたようだ。
「う……」
 真っ青になったハーディスを支えて、救護所を探す。
 魔物と戦う英雄は、これほどの数の人間の死体を目の当たりにした事はないのだろう。
◇◇◇報復~クレイとゼロファ~◇◇◇
「アルヴァ、ハーディス! 無事だったか」
 魔女探したちの動きを誘導していたクレイが、こちらを見つけて駆けてきた。
「はい。無傷ですが、ハーディスがちょっと死体を見て気持ち悪くなって……」
「あぁ……まぁそりゃ、仕方無いな。国防軍の機工と聖女様のおかげで、あの大蛇は一時的に引っ込んだ。この隙に体制を立て直してる。いまのうちに少し休め」 
 ポンとクレイに背中を叩かれたハーディスは、怠そうに顔を上げた。
「クレイさん……魔女とあの蛇は、命が一緒になってるって言ってました。だから、同時に倒さないと……」
「なんだって? それはどこで聞いたんだ」
「……さっき、ふたりともあの蛇に取り付いていたんです。その時に魔女が直接……」
「そうか……。くそ、なんだか余計難しい事になった気がするぜ」
 くしゃりと黒髪を掻いたクレイは、話をしながらハーディスを救護所へ導いてくれていた。
 後衛を固めていた国防軍の車列の奥、森の少し奥まった場所に、天幕がはられている。魔女探しの回復要員が詠唱する治癒魔法があちこちで薄紅色の灯をつくり、国防軍の隊員が軽傷者の手当に忙しく動き回っている――あわただしい熱気に包まれている。
「水を飲んで少し休んでな。俺は国防軍総帥にさっきの話を伝えてくるから。アルヴァも一緒に休んどけよ、さっき聖女様と一緒に3時間突っ立ってただろ」
「いえ、ご一緒します。実際に話を聞いた俺も同行した方が良いでしょう」
 アルヴァはハーディスの肩を叩いて、足早に天幕を出るクレイのあとを追った。
 地響きと揺れが不気味に続くなか、ここにいる魔女探しと国防軍は、協力して活動しているようだ。
 ――僕達の私情で、みんなで決めたことを邪魔することは出来ない。
 確かに、ハーディスとクレイは正しい。
(だけど――)
 ギリ、と強く拳を握ったところで誰かとぶつかった。
「わっ、すみません。急いでて……!」
 彼が抱えていた薬と包帯の箱を、落とさないよう咄嗟に手を添える。
「あれ、ノーリ? いや、すまない。周りを見てなくて……」
 医療用品を抱えていた青年が顔をあげた。
 あとから来ると言っていた、ノーリだ。
「なんだ、アルヴァでしたか。負傷者のなかにいないから、心配しました」
「身体の調子はもういいのか?」
「あはは、年齢のせいか魔力が貧弱になったみたいで。魔法を使わなければ元気です」
 辺りの篝火に照らされた顔色は、悪くはなさそうだ。
「おい」
 先に行ったかと思っていたクレイが、足をとめていた。
「…………アルヴァの知り合いか」
「あ、はい、前回一緒に行動して――」
 瞬間。
 クレイの剣が動いた。
 咄嗟に双剣でその剣檄を受け止め、刀身がギリリと鈍い音をたてる。明らかにノーリを狙った攻撃。咄嗟に防いだアルヴァにもなにが起こったのかわからない。
 クレイの異常な様子に、周囲の人間も驚いてさあっと避けていく。
「なっ……なにを……!?」
「俺の速度に反応するとは、腕をあげたな。アルヴァ。いい子だから、そこを退け」
 クレイから、濃厚な殺気が滲んでくる。
「――俺達がこれだけ魔女に迫って、近くにいない訳がないとは思っていた。会えて嬉しいぜ、ゼロファ」
「……おやおや。協会の連絡事項には、仲間同士の疑心暗鬼は避けるようにというお知らせもあった気がするんですが……」
 張りつめた空気のなか、ノーリは平然と笑う。
「ハーディスが、お前の力が感じられなくなったと言っていた。何を企んでいる?」
「協会の代表が突然善良な治癒師を攻撃する……。周囲の人達は、どう思うでしょうね? ふふ、組織っていうのも、大変ですよねぇ」
「また適当な事を。この二枚舌が」
 ――このふたりは、何を言っているんだ?
 戸惑った一瞬。
 ガンと双剣を跳ねあげて足を払ってきたクレイに姿勢を崩され、的確な斬撃がノーリを捉える。
 ――間に合わない――!
「……っ!!」
「なっ?!」
 音を立てて散らばる薬瓶の硝子と、鮮血。
 斬りつけたほうのクレイが驚愕に目をひらいた。ずるりとノーリの前で崩れ落ちたのは、黒髪の青年だ。
「ソーマ……!?」
 ノーリは咄嗟に、膝をついたソーマの身体を支えていた。
「馬鹿か……! そいつは、魔女の手下『ゼロファ=アーカイル』だぞ!!」
 緊張して見守っていた周囲に、ざわめきがひろがる。
「……それじゃ、捕まえて牢屋にでも入れときゃいいだろうに……斬りかかるとか、怨恨深すぎるっての……」
 血溜まりが、ひろがっていく。
 即死でもおかしくない失血量だ。
 すぐにノーリが詠唱した回復魔法がソーマを薄紅色に包む――と同時に、薄い金色に見えていたノーリの髪色が、すうっと綺麗な白に変化していく。
 髪色の変化を当然のように見下ろしたクレイは、俯いたままのノーリの首筋に、ピタリと剣をあてた。
 『白い髪の魔女の手下』だ。
 ――まさか、本当にノーリが――。
「……偽魔女も簒奪王も、利用した人間は見捨ててきたお前が……逃げもせず治癒してやるとは、どういう心境の変化だ?」
 張りつめた空気に、誰一人として身動きできない。
「……やめとけ、クレイ=ファーガス。ゼロファには、もう本当に何の力もない。すぐにこうして魔力切れになるくらいだ。――俺に、負けたからな」
 力強くて良い声が、沈黙を暖かく緩めた。
 重傷を負ったはずのソーマが悠然と立ち上がり、剣を持つクレイの腕を押し退けた。
「なっ……?!」
「無力化された仇に、構っている暇はねぇぜ。あんたはその人望でこの集団をまとめて、魔女討伐をやり遂げなきゃいけねーだろ」
 クレイは不自然に復活したソーマから、じり、と距離を取る。
「……そいつが、負けた……?」
「あんたの願いは、復讐じゃない。同じ目に遭う奴が、いないようにしたかったんだろう? だからこその協会。だからこそついてきた、人脈。……ここで死者を出すな。砂地ではもう充分、血が流れた」
 ソーマの温かくて優しい声が、殺気と緊張に満ちた空気のなかに沁みていく。彼がクレイの剣に斬られたのは、もしかして、このためだったのだろうか。
「……ソーマ……お前は……何者なんだ……」
 白髪の魔女の手下を倒し、致命傷から一瞬で回復し、この場の権威者を圧倒した。武器も持たない、出自不明の黒髪の男。
 存在全部が、魔女と同じくらい、異常だ。
「クレイ!」
「クレイさんっ!」
 周囲の人々をかきわけて、聖者バルドとハーディスが駆けつけてきた。
「お前ら……! 危ないから下がってろ!」
「いや、あぶねえのはお前だろ、クレイ。ちっと落ち着け。こんなとこで揉め事起こしてる場合じゃねえぞ」
「クレイさん~! 僕、ゼロファとちゃんと喋りたいって言ったじゃないですか。ずるいです!」
 冷静な指摘をしてくる年配と子供に挟まれ、クレイは何かを言いかけてから、肩を落とした。
「…………くそ、なんか俺が悪者じゃねぇか」
「クレイ。お前さんの衝動はわかるぜ。だが今は……」
「あー、わかったよ、聖者様。――俺じゃ落ち着いて対処できん。ハーディス、捕まえておくのは任せた」
 剣を納めて踵を返し、クレイは国防軍の方へ足早に歩いていってしまった。
「うむぅ……自分の組織をもって落ち着いたかと思ったが、やっぱりまだまだ、熱い奴だなぁ」
 聖者バルドがぽつりと落とした独り言。
 それだけが周囲の人間にクレイが決して悪者ではないように思わせるのだから、流石だ。
 ソーマが、白くなったノーリの髪を優しく梳いた。
「まったく、魔力使うなって言ったじゃねーか」
「………」
「ちょ、ソーマさん、すごい血だよ!!」
 ノーリに駆け寄ろうとしたハーディスが、ソーマの足元に広がる血溜まりの量に心配の声をあげた。
「ん? もう治したし、血も作ったから大丈夫だぜ!」
「ええー!?」
「おいおい、喋っとる場合じゃねえだろ。ソーマ、その魔女の手下ってのを、渡してくれんかね。周りの目もある」
 聖者バルドの冷静な言葉に、ソーマは少し首をかしげた。
「『ゼロファ=アーカイル』は、もう俺に捕まってるんだけどな」
「……ノーリ……」
 アルヴァは小さく探るように声をかけた。
 もう、目の前にいるのは回復役の仲間ではない。魔女の手下だ。
「…………はぁ……。力が無いなりに、出来ることをしたかったんですがねぇ……。……巻き込んですみません、アルヴァ。あなたに怪我が無くて良かった。ハーディス、借り物の力をよく体得しましたね。聖者様も、腹の穴を塞ぎはしましたが、無事に意識を取り戻していて、何よりです」
 そういって顔をあげたノーリは、暗い笑顔をうかべていた。
「僕自身に力がないからって、逃げられないとでも?」