◇◇◇背中の双剣◇◇◇

ー/ー





 魔女の住まうメルド湖沼地帯へ向けて、馬車が街道をすすんでいく。
 この旅程に随行するのは、国防院が計画した遠征隊のほんの一部に過ぎない。フェルトリア連邦国の国防院約3000名という大人数が、1週間かかる距離を2週間かけ、分散して移動している。というのも、纏まった軍隊を動かせば、魔女の支配法則によって魔物や洪水に襲われる可能性があるからだ。

 結局、総議長リッド=ウインツの予想どおり、議員たちに呪いをかけた魔女に対する中央議会の議決は『討伐』となった。
 昔から『魔女に逆らう政治家は淘汰される』という話があった。が、今回のように緊急議会の満場一致の政策となれば、政治家が個人単位で恐れることはない。
 魔女探し[[rb:協会 > ホライズン]]への決議通知は、総議長が緊急議会を開催した翌日に行われた。
 そしてこの遠征に《魔物を消す》『光明の聖女』ミラノが赴くことは、中央議会の議員達が魔女討伐のために必要不可欠だと判断して決定された。
 中央議会の議員たちに呪いをかけ、世界を支配する魔女を退散させた光明の聖女。
 その劇的な登場と活躍から、役職ある上級貴族や実務を担う関係者すべてから、圧倒的支持を受けている。
 
 その『光明の聖女』ミラノは、馬車の中で向かい合わせに座った護衛に、眉を寄せていた。
「ユリウスさん? 目を背けないでください。いま、貴方が警護するのは私ですよ?」
「あー、私としてもミラノちゃんの可愛い顔を見ていたいんですが、凄く嫌な予感がするんですよね~」
 総議長専任の護衛隊長は、呪いに倒れた国防院院長の代わりに国防軍総帥を拝命していた。ついでに英雄視されつつある『光明の聖女』の護衛も兼ねている。
 ユリウスは馬で車列を警護していたが、ミラノが一緒の馬車に乗るようにと声をかけたのだった。
「……例えばセフィシスを情報源のひとつにしてたとか? 数代前の聖女様がユリウスさんのお母様だったとか? その能力を実は継承してて、『展望』っていう予知能力があるとかですかー?」
 笑顔のミラノに、ユリウスも悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「あーあ、やっぱり全部バレちゃってるじゃないですか」
「やっぱり……。最近小鳥さん達の情報だけじゃ説明がつかない先回りが多いと思ってたんです。でもそれなら本当は、ユリウスさんが教会の『聖者』になったほうが……」
「あはは、私には無理ですが……それなら名案がありますよ。ミラノちゃん、私と結婚すれば良いんです」
「……けっ……! そ、そんなに嫌なんですね!」
「ふふ、私とじゃ嫌ですか?」
「も、もう! からかわないでくださいよ~!!」

 ユリウスが聖女様の馬車に入ってから、車内は賑やかになった。アルヴァはユリウスの代わりにこの隊列全体を見ているが、他に誰か適任がいなかったのか、と思ってしまう。
 ――魔女の討伐という議決。
 フェルトリア連邦緊急議会は、魔女探し[[rb:協会 > ホライズン]]へ、魔女討伐を依頼した。ついでに総議長に預けていた飛行機械の販権許可も、全て承認された。

 世界を支配する魔女を倒す。それが国から依頼されたという事実は、また遠方から集ってきていた魔女探し達にとっては朗報だった。国の支援、明確にされた目的地、戦力の集中。どれも今まで彼らに足りなかったものだ。
 分散してメルド湖沼地帯へ向かう国防軍と同じく、魔女探し達もそれぞれに行動している。アルヴァが眺めているこの車列の人員は、ユリウス直下の少数の国防隊員達だ。
 《ホライズン》の代表者であるクレイは、アーペの街へ単身先行した。一緒に行動しているのは、魔女討伐に手を挙げて参加してきたハーディスだ。
 《ホライズン》の活動を維持するためにシヅキとアキディスはフェリアに残っている。
 療養していたノーリは薬を準備してから来る予定だし、魔法特訓中のリースとアクアは飛行機械の効率的な運搬方法を模索していて、まだ出発できそうにない。
 ソーマは少し遅れて後から追い付くと言っていたが、実際はノーリの体調次第だろう。

「アルヴァさん、聖女様、なんかちょっと変わったよね」
 馬を寄せて不意に話しかけてきたハーディスの話題に、少し戸惑う。
「そうだな、失踪中は修行していたらしいし……君はどんなふうに変わったと思うんだ?」
「うーん、僕は魔女の手下であるゼロファの影響受けてたんだけど……なんか魔力の空気感が一緒なんだよね。同じ先生に魔法を習ったみたいな感じかな?」
 ……この少年は、どこまで天才なのだろう。

 ハーディスと話をしていると、馬が突然戸惑うように足を止めてしまった。車列の馬すべてが、同じように緩やかに歩みを止め、動揺がひろがっていく。
 サッと馬車から降りてきたユリウスが、国防隊員にむけて声をあげた。
「総員、下馬! 魔物の襲撃に備えろ!!」
 ほとんど同時に、地面の下からドンと突き上げるような振動が響き、魔物の気配が立ち登る。
 ――総議長が魔物に狙われた時と、同じような現象だ。
「ハーディス!」
「うん、右斜め前方だよ!」
 天才少年の的確な察知能力どおり、赤黒い影がその街道の外れに収束し、巨大な一つ目の巨人のような魔物が形成された。
「うわ! なにあれ人型!? 鬼血鬼じゃなさそうだけどすっごい気持ち悪っ!!」
「強敵だ。油断するな!」
 普通の魔物は獣のように爪や牙で攻撃するが、剛力はそれほど高くない。
 しかし人型の魔物は剛力が高い上に武器を手に持つことができる。これが一番厄介なのだ。アーペに出現した吸血鬼の大惨事も、ほとんどの死因は剣で斬られたことによるものだった。
 目の前の巨人は、最初から棍棒のようなものを手にしている。
「弓矢隊、目を狙い打て!」
 ユリウスの的確な指示に、国防隊員数人が次々と矢をな放つ。が、巨人が振りかざした腕に難なく防がれる。
『グオォォォォ!!』
 大きいのは体だけではなかった。
 射掛けられた怒りの雄叫びがビリビリと空気を震わせ、真っ直ぐ突進してくる重量で地面が揺れる。
『大地よ 我が意に従え!』
 ユリウスが詠唱した土魔法で足元に出現した土壁につまづき、巨体がよろめく。
 アルヴァはその隙にダッと距離を詰め、黒く巨大な足の膝裏に斬撃を叩きつけた。弓矢をものともしなかった分厚い皮膚だか、流石に関節は薄い。
 ドンと膝を着けさせた、が、思わぬ反応速度で振り回した棍棒を咄嗟に剣で受ける。
「ぐっ……!」
 叩き跳ばされる……!
 高い音と共に横から叩きつけられた風圧に棍棒の威力が逸れる。ハーディスか。
 握った剣から嫌な音が響いた。
 地面を転がり、砂塵を巻き上げながらザっと臨戦態勢を確保する。
 が、手の中の重量がいつもより軽い。
 剣の半分から先が折れて、吹き飛ばされていた。
「アルヴァ!」
「アルヴァさん!!」
 一瞬で巨人の反対の手が迫る。
 アルヴァはあわてて飛びずさり、巨人の間合いから離脱した。
 次の瞬間、力強い手風琴の音と共に巨人の足元がドスンと大きく崩落する。
『ガアァァァッ!』
「アルヴァさん、一旦こっちへ!」
「弓矢隊、放て!!」
 離脱した一瞬後、ドッと矢の雨が降り注いだのに息をのむ。
 ――集団戦力というのは、攻撃力の格がちがう。
 ハーディスの口風琴で、氷の刃が巨人がはまって動けなくなった穴に降り注いでいく。
 深い落とし穴には、矢の雨と氷の雨が降り続いた。
 さすがに難敵の人型魔物も、不快な苦悶の声を響かせるので精一杯のようだ。
 
「くっ……剣が……」
「ごめん、もっと速く魔法撃ててれば」
 ハーディスのもとまで後退すると、すまなそうな顔をされてしまった。
「いや、俺の力不足だ。……このまま、倒せそうか?」
「皮膚が硬くて氷の刃が立ってない。これは足留めでしかないかな」
 ならば、あの1つ目を貫くしかないが、折れた剣では無理だ。

 ふと、暖かく甘い香りが耳元に触れた。
「ふふ、お困りのようだね。アルヴァ」
「うわっ! ソーマ!?」
 振り向くと、ソーマの端正な顔が至近距離にあった。
「いいところに追い付いたみたいだな。いやー俺って天才! はいこれ。鍛冶屋の在庫品がなくて、仕上げを手伝ってきたんだ。アルヴァの手に馴染む筈だぜ!」
 ぎゅっと手元に押し付けられた滑らかな質感。
 確かに後から追い付くとは言っていたが、鍛冶屋を手伝っていたとは。
 ――追い付きかたについては、もう黙っておこう。
「これは……」
 いままでアルヴァが使っていたのは標準的な両刃剣だ。
 しかし押し付けられたのは、細身の剣が、2振り。
 ソーマが鞘を握ったのをみて、差し出された柄を握り、シャッと両方の刀身を引き抜く。
「双剣……?」
「言っただろう? 俺は全ての魂の《真名を掌握》する(双剣使い)が、アルヴァの本来の姿だ」

 双剣は身体の一部のように、軽く両手に馴染んでくる。
 軽く振った刀身の、ヒュンと空気を切る感触。
 初めて握るのに、扱い方が、わかる。
「……ハーディス、氷を止めて強力な火魔法を一発入れてくれ」
「あ、なるほど。りょーかいっ!」
 手風琴の高い音が鳴り響き、ハーディスの頭上に強烈な火炎の塊が形成される。
『炎よ 我が意に従え!』
 珍しく詠唱したハーディスの声と同時に、巨大化した火炎がドッと巨人に炸裂し、瞬時にその場の氷が白い煙幕になる。
 そのなかに走り込み、巨きい目標の一つ目を一息に突き刺した。
『光よ 闇を焼き切れ!』
 刀身に魔力を流す。
『グアァァ……!!』
 咄嗟に迫った巨大な手を2振り目で切り払い、敵の頭の中を焼き切ったのをみて離脱する。
 白い蒸気が風に流れた後には、砂になった魔物の残骸がハーディスのつくった穴を埋めていく光景が残った。
 ――まだまだだ。こんな速度では複数の敵に囲まれた時に対処できない。剣を振りながら詠唱を短縮して――……

 ポンと肩を叩かれて振り向くと、ユリウスの困ったような笑顔があった。
「いやぁ、国防隊員の出る幕もありませんでしたね。彼らの実践訓練になると思ったんですけど」
 ……なるほど、だから《魔物を消す力》を持つ聖女様を出さなかったのか。
「いえ、ほとんどハーディスの力です。それにこの剣が無かったら、皆様にお任せしていました」
 手の中の双剣に目を落とす。
 魔法使いと連携した戦術は基本だが、さっきの感覚には、覚えが――。
「アルヴァ~! 俺の愛を込めた双剣の使い心地、どうだった?!」
 突然後ろから抱きついてきたソーマの距離感が、おかしい。
「ちょっ……」
「鞘はこうして背中に装備するんだ。両側の腰にぶらさげてたら邪魔だしな!」
 抱きついた隙に手際よく革紐装備を着せられ、ぎゅっと固定されると、文句も言えない。
 しかしなんだか、ソーマがアクア化していないか? まあ隠し事を誤魔化す手段としては、優れているのかもしれない。であれば、問い詰めるのは得策ではないだろう。害意は無い訳だし、アクアのように必要な機会があれば自ら話してくれるだろう。
「……確かに、初めて扱う筈なのに、手に馴染む。ありがとう、ソーマ」
「どういたしまして! 惚れ直して良いからなっ」
「だから、惚れてはいない」


◇◇◇聖女様の秘密の計画◇◇◇


 馬車がアーペの広場に着くと、前回来たときとは比較にならない程、国籍さまざまな旅装姿の人間で街中が大盛況を呈していた。
 先に到着していた寄せ集めの魔女探し達に、分散集合してきた国防隊員達。すべて揃うと3000名を越えるのだから、当然といえば当然だ。
「『光明の聖女』様が到着したぞ! お前ら、道をあけてお通ししろ!」
 情報を掴んだ魔女探しの一行がどこからともなく現れた。

 聖女ミラノはユリウスに手を取られて馬車を降りた。
 突然集まった視線に戸惑いながらも、なんとか笑顔で周囲に手を振る。ドッと歓声が湧き、周囲はあっというまにお祭り騒ぎだ。
 大騒ぎのなか、アルヴァにとって見慣れた顔が2人出てきた。
「待ってたぜ、アルヴァ。アーペの街の守備計画は順調だ」
「おー、アルヴァか。先日は見送りも出来ずにスマンな! 飛行機械の商流の件、感謝してるぜ」
 単独先行していた魔女探し[[rb:協会 > ホライズン]]の代表者クレイ=ファーガス。そして街を出た時には意識不明のままだった、アーペの『守護の聖者』バルド=レイフォンだ。
 大物年長者ふたりに、聖女様よりも先に名前を呼ばれた事に、妙な緊張にとらわれる。
「クレイさん、先行対応お疲れ様です。聖者様も。無事に回復されたようで、本当に良かった」
 アルヴァは左手を胸元に添え、簡易な敬礼を取った。
「いやぁ、まじで死んだと思ったんだけど生きてたぜ。おかげで久しぶりにクレイに会えた訳だ。ついでに魔女を倒すとかいうスゲェ宿題が皆で達成できたら、もっと旨い酒が飲めるな!」
 明るく豪快に笑った聖者バルドは、前回出会った時と同じ作業着姿だ。――胴体の真ん中を刺されて土気色の顔をしていた初老の男性の印象が、一気に吹き飛んだ。
 無事に元気を取り戻した姿に、安心する。
 ともあれ、いまこの場の主役は自分ではなく、代表たちと聖女様の筈だ。
「――聖者様、こちらが中央都市フェリアの『光明の聖女』様です」
 ユリウスに手を引かれた聖女ミラノに、聖者バルドの前に立ってもらう。衆目の注目を浴びているこの状況、あとは彼らに任せたい。
 ……そういえば、各地の教会の代表者である聖女・聖者同士が顔を合わせるのは、稀なのではないだろうか。

 目論見通り代表たちで話が始まったのをみて、そっと身を引きハーディスと並んだ。
「アルヴァさん、顔が広いんだね」
「いや、つい先日までアーペにいたからな。君は旅が好きなようだが、この街に来たことは無いのか?」
「いつもここはお兄ちゃんが通ってたから、僕が来るまでも無かったっていうか……機械ばっかりで音楽とか絵とか無さそうで、あんまり興味無かったのが本音かなー」
 少し周囲に申し訳なさそうに声をおとしたハーディスの気遣いも、才能のひとつだろう。
 つい先日までこの街に住んでいたソーマは、街に着いた途端、車列から離れてどこかへ行ってしまった。彼の行動を制限するようなものは無いが、自由もここまでくると、何もいえない。

 フェルトリア連邦東地区アーペは、メルド湖沼地帯に隣接する技巧の街だった。つい数週間前に飛行機械が開発され、その商流が魔女探し[[rb:協会 > ホライズン]]に委ねられたという情報が街中に広まってるようだ。
 アルヴァは、魔物の脅威と隣り合わせながらも逞しく生きている人々の街を見渡した。……色々な物事が濁流のように一気に進んでいる。
 馬車を降りた一行は、そのままアーペ教会の宿舎に向かった。特に[[rb:協会 > ホライズン]]要員は、教会宿舎に宿をとることになっている。

 急勾配の道をすすんでアーペ天使教会へたどり着くと、聖者様の指示で、聖女様の歓迎会が始まってしまった。
 前回の凄惨な殺戮現場は綺麗に清められ、魔物が湧きそうな気配もない。この、徹底して明るいところも、湖沼地帯と共にある街の知恵なのだろう。歓迎会という名の宴会は、繁盛している大衆居酒屋と大差ない光景だった。
 後から持ち込まれた酒と、肉や野菜の煮込みなどの大味の飯が、テーブルに山積みになる。用意してくれた現地の人間と魔女探し達があつまって、大宴会になってしまっていた。地域柄といえばそれまでだが、中央都市の整然とした雰囲気の天使教会にいた聖女ミラノには、きつい状況だろう。
 
 早く、聖女様を解放してあげなければ――。
 そう席を立とうとした隣で、いきなりハーディスが机の上に飛び乗った。
「こんにちは、お集りの皆さん! この『王都リュセルの英雄』より、元気の出る一曲をお贈りします!」
 少年は明るい声を響かせて、圧倒的音量の手風琴で、あっというまに衆目を惹きつけた。突然はじまった演奏に、居酒屋状態の広間からワッと歓声があがる。
 『王都リュセルの英雄』。
 数年前、シェリース王国の王都リュセルに、大規模な魔物の襲来があった。
 魔女探しも退魔師も出払っている中で、一晩中王都に侵入した魔物と戦い、ほぼ1人で殲滅した謎の青年……というのが、アルヴァのいたリュディア王国まで流れてきた噂話だ。
「ハーディス……まさか……」
 ぽかんと見上げてしまったが、ハーディスは演奏しながらちらりと聖女ミラノのほうを目配せした。
 角が立たないよう、離席の機会を作ったのか。
 アルヴァは小さく頷き、そっと聖女ミラノの後ろに立って、その袖を引いた。

「ふあぁ……疲れたぁ……」
 静かな教会の中庭に出たミラノの息が、白く、風に流れる。
「アルヴァさんにはまた助けて貰っちゃいましたね。それに、ハーディスにも。あの魔力と真心が綺麗に調和した旋律、本当に凄いですよね。私もまだまだ、歌、頑張らなきゃ」
 そう言って白い息を吐くミラノ。
 彼女の瞳は、よく晴れた冬の星空に、きらきらと光っていた。
 アルヴァはおもわずそれに、目を惹かれる。
 ……不思議だ。
 この聖女様は、誰にも為し得なかった『魔女討伐』という重責を負わされているのに、緊張している様子はない。
「……聖女様。メルド湖沼地帯は実際、危険です。怖くは無いですか?」
「あはは……フェリアを出る時にもみんなからすっごく言われました。……でも、私は独りで前に出る英雄とかじゃないです。沢山の人が動いて、協力してくれて、ユリウスさんが背中を押してくれて、ハーディスもアルヴァさんもいる。ヒカゲに教わった『世界の力』も……って、すみません! 私、なんか、お喋り過ぎですねっ……!」
 夜空を見上げたまま声をおとしていたミラノは、唐突に、恥ずかしそうに背中を向けてしまった。
「いえ……正直、俺が怖いんです。……メルド湖沼地帯を越えて、本当に魔女と戦うことになるかも知れない。魔女探し達はその気でしょうが、魔物と闘うのとは格が違います。それに俺は……あの人を攻撃するなんて……」
 車列では人の目があって、こういう話をする機会がなかった。魔女を討伐しろと言われて、それがこの聖女様に、やれるのだろうか?
「――ずっと、考えてたんです。今まで居場所を眩ませていた魔女が、どうして今になって、『メルド湖沼地帯で待ってる』って言ったのか。どうして空から入って辿り着く『ディールの丘』じゃないのか。……この前、リースさんの魔物の部分だけを消して、人間としての身体を取り戻せたでしょう? もしかすると湖沼地帯も、ディールの丘を覆う、魔物みたいなものなんじゃないかなって思うんです。だから実は私は、魔女を倒しにきたんじゃない。……メルド湖沼地帯を、消しに来たんです」
 思いがけないことを言った聖女ミラノが振り向いて見せた笑顔は、強く、眩しい。
「なぁんて、こんなお話ができるの、ユリウスさんとアルヴァさんぐらいです。聞いて貰えてよかったぁ……! 黙ってるってことには、結構ドキドキしてたんです!」
「……聖女様……」
 アルヴァはそっと左手を胸に添え、目の前の眩しい女性に、敬意の姿勢を取る。
「……俺は、自分の都合しか考えていなかったんですね……。魔女の目的が『戦争のない世界』なら(ホライズン)でそれを続けることで、代わりになる。あの人が全部悪いなんて世界を、終わらせることができる。……こんなのは、押し付けだ。魔女が……イオエルさんが何を望んで、何を求めているのか……それに、向き合わないといけなかったのに……」

 胸に添えた手に、そっとミラノの白い手が重なった。
 その小さな温もりに、どこか冷えていた胸の奥が、いきなりドッと熱くなる。
「アルヴァさんは、ちゃんと考えてますよ。私は皆にかけた呪いを解いてくださいってお願いすることくらいしか考えてなかったです。……イオエルさんに会えたら、一緒に、お話しましょう。まず、会えるかどうか、ですけどねっ」
「…………っ……は、はい。え、と、メルド湖沼地帯の事は、俺に何か出来ることはありますか……?」
「それなら、私を、支えていて下さい。イオエルさんの事を想う気持ちが一緒の貴方なら……って、だ、大丈夫ですか?」
 ――自分でもどんな表情になっているかわからない顔を、咄嗟に片腕で隠していた。
 温かい手を握り返したい。
 そういう衝動を、ぐっと抑える。
「だ、大丈夫です。あの、近くて……」
「え? あ、ごめんなさい! ……??」
 ぱっと手を離してくれたが、小さく首を傾げるところをみると、彼女自身に他意はないのだろう。しかし聖女様が可愛いというのは、心臓に悪い。
「いえ……長い馬車旅に宴会でお疲れでしょう。今日はもうお休みください、聖女様」
 おもわず顔を逸らしてしまったが、視界の端で、可愛い聖女様は何故か不満そうに腰に手をあてていた。

「アルヴァさん。みんなには言えない志を持つ仲間なんですから……名前で呼んで下さい。聖女様ってよばれると、なんだか距離感があるみたいで嫌です」
「え……いえ、それは流石に……」
 ユリウスや総議長様は重職にある立場だから良いだろうが、アルヴァ自身は、特に役職もない隣国の人間だ。
 まるで立場が違うのに、隣国の中央教会の聖女様を名前で呼ぶ訳にはいかない。
「こんな風に、ふたりだけの時でいいんです。それなら良いですよね?」
 そういわれると、逃げ場がない。
 アルヴァは、まだ燻っている胸の熱を落ち着けるように、深く息を吐いた。
「わかりました。……ミラノさん。よろしくお願いします」
「はい! よろしくおねがいします、アルヴァさんっ」


◇◇◇アルヴァの秘密の計画◇◇◇


「はあぁ…………」
 アルヴァは宿舎の部屋に入るなり、ボンと寝台に頭から倒れ込んだ。
 手強い魔物と闘った時より、心拍速度がおかしい。……アクアにからかわれた通り、聖女ミラノに惹かれてしまった。
 ――とはいえ、ここで悶々と倒れていても仕方ない。
 ゆっくり起き上がり、背中の双剣を外した。
 長年左腰に剣を装備していたから、妙な気分だ。
 無造作に投げ出した荷物の中身を点検し、フェイゼル=アーカイルの古書をトンと机に置いておく。
 ここ数日、古書の亡霊が突然喋りかけてくることはなかったが、いつまた魔女の秘密を喋りだすかもしれない。

 ……いや、今更だが実は、少し、寂しいのか。
 人間の身体になったリースとは、もう肩を並べて魔物と戦う機会は無いだろう。アクアと魔法の練習をしてはいるが、魔物と戦える程の力をつけるには、普通、幼少期からの訓練が必要だ。アクアも飛行機械の運搬を理由に、わざと出発を遅らせてる節がある。
 前回偵察隊が全滅した事を考えれば、正しい判断だ(ホライズン)での事務仕事はこれから膨大になるだろうし、リースの安全を考えれば、これで良かった。

 ガチャ、と、ひとまわり軽い二振りの両手剣を、手に取った。普通の両手剣をひとまわり小さくした構造。
 クレイが持っているような、刀身も柄の形も湾曲した双剣とは全く別のものだ。
 ……ソーマの《真名を掌握》をする力。
 名前を呼ぶだけで最強の魔物である吸血鬼を懐柔し、消えかけたリースを人間として留め、アルヴァ自身も気付かなかった、才能のある武器装備を見抜いた。
 ――本当に、ソーマは、何なのだろう。
 《吸血鬼退治屋》なんて初めて聞いた職種だし、最強の魔物の専門家ということは最強の退魔師だということだが、そんな人物がいるという噂は聞いたことがない。
 『日の昇る国』『地平線の向こうから来た』
 それが冗談ではないとしたら、メルド湖沼地帯の向こう側……300年も交流が途絶している、グラディウス大陸東側からきたことになる。しかしそれは、大陸中央部で東西を分断しているメルド湖沼地帯が存在している限り、不可能な旅だ。
 無意識に可能性の選択肢から外していたが、ディールの丘に上空から入れたということは――……

「あー! 疲れたあぁぁ~~!!」
「っ?!」
 部屋の扉をバンと開けたのは、手風琴を抱えたハーディスだ。静かに過ごしていたぶん、余計驚かされた。
「あれ? 僕もこの部屋で合ってるよね。あ、さっきは聖女様の事、ありがとう。あの場は一旦凄く盛り上げてから、曲調を落として雰囲気的に解散に持っていったよ」
「あ、ああ……。助かった」
 『王都リュディアの英雄』ハーディス=タイド。正しく最強の退魔師というのは、彼のことだろう。
 ハーディスはひとつ大きな欠伸をして、隣の寝台にぽんと横になった。
「……ハーディス。君が今回の遠征に入ってきたのは、総議長様の指示なのか?」
 ずっと、唐突に《ホライズン》に参加してきたことが気になっていた。
 フェルトリア連邦総議長にとって、アキディスとハーディスの兄弟は、私兵である専属の護衛官とは違った意味で重要な位置にいるような気がする。
「違うよ。僕が行きたかったんだ。シェリース王国で魔女の呪いを受けたのは、国の重役の人達。その中に、僕のお姉ちゃんもいるんだよ」
「……ハーディスのお姉さんは、シェリース王国の重役なのか」
「あ……あはは、ちょっと色々あったんだ。女王様にも補佐官にもお世話になってるし、今回は流石に僕も遊んる訳にはいかなくてね」
 愛される人柄と細やかな気配り、洗練された魔法の戦闘能力、国の統率者達との信頼関係。ここで少し恥ずかしそうに笑っている少年は、まさに、絵に描いたような英雄だろう。
「そうか……。呪いは、解いて貰わないとな」
「うん、そういえばアルヴァって、元々双剣使いだったの? そんな普通の剣みたいな双剣、初めて見たよ」
「あぁ……いや、俺も初めて扱う筈なんだが……」
 そう聞かれてはじめて、この手の中の武器に愛着が湧いていることに気付かされる。
「……僕、小さいときに初めて触った楽器、習ってないのに弾けたんだ。多分そういうのって、前世で身に付けた能力なんじゃないかなって思うんだよね。記憶は無くても、本当に習得したことは魂が覚えてる……。そう思うと、面白くない?」
「前世か……」
 リースも、ひとつ前の人生の話をしていた。
 自分の事は全く考えていなかったが、もし自分に前世があるとしたら、本当に双剣士だったのだろうか?
 
『あの子をよろしくね、レイティア』
 ふと、一瞬聞こえた魔女の師匠の声を思い出す。
 ……
 あれは、なんだったのか。
 すう、とハーディスの寝息がきこえてきた。
 考え込んでしまった少しの間に、少年は眠ってしまったようだ。
 「……おやすみ。ハーディス」
 アルヴァもそういって、布団を被って目を閉じた。
 ――魔女も聖女も、目指している到達地点は、同じだ。
 戦争の無い世界。
 今そのために築かれているのは、たった一人の、『世界を支配する魔女』が諸悪の根源だという価値観。
 魔女はどうしていまこの時期に、動いたのだろうか? 魔女の……イオエルの本当の願いは……?
 ――すうっと、涙が溢れ落ちていく。……もしこの涙が、前世の人間の想いだとしたら……自分は、いったい、誰なのだろうか……。

 机上の古書のうえに、ぼうっと薄く青白い男が現れた。
 魔女の歴史を記し続ける古書の亡霊。
 彼は寝台の傍に置かれたアルヴァの双剣をみて、触れようとした。が、するりと通り抜けてしまう。魂を載せている古書本体にしか、干渉できないようだ。
「この双剣が、どうかしたのか。フェイゼル=アーカイル」
『…………。起きていたのか』
 アルヴァは布団を退けて、そっと起き上がった。亡霊が出現すると相変わらず寒気がする。だが、それだけだ。
『…………あいつは、ずるい』
 無表情にそう呟いた亡霊は、改めてじっと見てみると、誰かに似ている気がする。
「狡い? ……ソーマか?」
『……しかし、これでやっと、本当に、終わるだろう』
 その言葉に、ドッと緊張する。
 この本が完成するのは、魔女の物語が終わるとき。
 それはつまり――
「まさか! 特別な力も何も無い、ただの人間の集まりだ。魔女を倒せるわけがない! それに、魔女探しには倒せないと言ったのは、貴方だろう……!」
『……。条件は揃った。彼女を倒すのは、国々の意志。そして、彼女自身が紡いだ、絆。――終わらせるのは、お前だ。双剣士』
「……な……」
 何を言っているんだ?
 そのままスウッと消えた亡霊の影に、なにも、言えなかった。いそいで古書を手に取ったが、やはり本の鍵は開かない。
 
「……もし、俺が魔女を倒す筋書の中にあるなら……」
 亡霊の描く筋書になど、従う謂れはない。
 たとえ、国々を敵にまわすことになるとしても
「……思いどおりには、させない」




◇◇◇期待という感情の裏表◇◇◇◇


「やっほー! ノーリぃ~! 会いたかったぜ~!」
「なんでここに現れるんですか」
 街道外れの夜営地で火の番をしていたノーリ=カークランドは、振り向きもせず、目の前の焚き火へ枝を放り込んだ。
 ノーリは国防軍の小集団に紛れてアーペへ向かい、あと1日の距離にいた。しかし、先に行った筈のソーマが、何故か背後から抱きついている。
「……アルヴァには会えましたか」
「ああ。ばっちり双剣使いこなしてたぜ。流石、レトン王国の《緑の戦士》だな!」
「……! はぁ……。どうしてそうなったんですか。僕の知ってる兄さんは、そんな軽い人ではなかった筈ですが」
「ノーリ……お兄ちゃんを見る目が可愛いすぎる……」
「本当に、軽いですね」
 背中から回された腕を剥がして、ノーリは盛大な溜め息をついた。
 前世が自分の兄だという、ソーマ=デュエッタ。
 殺しても死なず、ついには自分の主人である魔女に直接の対話を試みて、成功してしまった。……対話の結果として、ソーマは自分の主人である魔女と、協力関係にある。魔女探し達からの視点としては、魔女の手下が増えたことになるだろう。
 
「この小集団は、明日、アーペ入りします。到着している集団に問題は無いですか?」
「ああ。大人気の聖女様が話題の中心だよ。あと、シェリース王国の『王都リュディアの英雄』っていうのもいる。おもしろいな!」
「ああ、ハーディスですか。僕が複写して与えた《最強の退魔士》の力……。僕の影響が無くとも使いこなすなんて、あの子は本物の天才ですね」
 ハーディスの、英雄と呼ばれる人望と才能。そのうちまた利用するつもりだった。だが、主人である魔女が自ら動き始めたいま、その計画は不要だろう。
「ノーリ。ここまでの旅程で、無理に魔力使ったりしてないか? 以前の調子で気楽に使ってると、また倒れるからな」
「流石に行き倒れる訳にはいきませんからね。ちゃんと温存してます。調合した薬は沢山準備してきましたし、集団の回復役としても機能してますよ」
 隣に置いた大きな荷物は、移動の時は国防軍の積み荷に混ぜて貰っている。焚き火の隣に座ったソーマは、そっとノーリの耳元に息を寄せた。
「なぁんだ、また俺の魔力を補填してあげようと思ったんだけどな」
「っ! 耳元で囁かな……」
 そのままぎゅっと肩を掴んできた手を振り払おうとしたが、ソーマは低く声をおとした。
「――国防院総帥になったユリウス=ハーシェルは、野鳥から情報を集めてる。今お前が準備してる計画は、やめといたほうがいい」
「……なるほど、フェリアでアルヴァに居場所がばれたのも、そういうことですか」
「ああ。ずっと見張ってる訳じゃないだろうが、外での行動は筒抜けだと考えておけよ」
「面倒ですねぇ……」
 小さく溜め息をついた肩に、ソーマの暖かい魔力が沁みていく。
 ノーリはそれを、じっと黙って受け入れた。
 ――魔女イオエルとの盟約がほとんど切れかかっている今、本来寿命を迎えている筈の身体は、ソーマが与えてくれる魔力が無ければ、簡単に力尽きてしまう。これは、必要な医療措置のようなものだ。
 …………。
 こうして、静かに人のぬくもりに触れているなんて、記憶の限り、覚えの無い状況だ。
 魔女の奴隷として、魔女探し達を騙し、裏切り、殺し続けてきた。偽りの労りを振り撒くことはあっても、自分が受け取る事はなかった。――彼女の影響を受けない命なんて、考えたことも無かったのに――。
「ノーリ、明日はアーペに着くだろう。毒薬の計画はやめておくとして、クレイはどう対策する?」
 協会創立者のクレイには顔がバレているし、ユリウスには鳥の目がある。
 立ち回るにはあまりに不便な状況だ。
「そうですね……今クレイに攻撃されたら、即死でしょうね」
「あぶな! そんなに険悪なのか? わざわざ行かなくてもいいだろ。フェリアに戻って待ってれば……」
「300年も魔女の奴隷として生きてきたんです。主人が動いたこの大事な局面……僕だけ逃げ出す訳にはいかないですよ」
 ――なんとなく、いつか魔女探しの誰かに折り返しのつかない程惨敗して、断罪されるんじゃないかと思っていた。
 だけど、実際に惨敗させられたのは、魔女探とは関係ない遠方からの来訪者――。

 こんな敗北が、あっていいのだろうか。
 断罪されて当然の生き方が、こんな形で、許されて、良い訳がない。確かに、生きたいと願った。でもその願いは、もう十分、叶えられすぎている。
「……お前は、俺が守るよ。その為の力はある」
 ソーマの優しさが、耳朶に沁みる。
「今更……。貴方の立場がどうなっても、知りませんよ」
「まぁ俺、ここじゃ立場も何も無いから大丈夫だ!」
 ノーリは小さく笑って、トンと頭をソーマの肩に預けた。
「……期待しないでおきます。裏切りが、僕の仕事ですから」

◇◇◇

「こんな所で何してんだ? 国防軍総帥殿」
 森の中から声がした。
 がさ、と紅葉をかきわけてユリウスの足元に現れたのは、魔女探し協会代表のクレイ=ファーガスだ。
「しかし、リッドの護衛からいきなり昇進したな。緊急事態だったとはいえ、国防院で幅を利かせてた奴とかいなかったのか?」
 アーペを守るために、メルド湖沼地帯に対する防衛線が引かれていた。守護の聖者が張り巡らせていた柵を、オキニス鉱石で強化したものだ。キニス鉱石には退魔の力が付与されており、一定の距離ごとに柵に設置されている。その設置作業と保全のため、アーペに着いた国防軍人達は、森のなかに点在している状況だ。
 その国防軍総帥であるユリウスは、夕闇が深くなるなか、メルド湖沼地帯に接する森の端でひとり木に登っていたわけだ。
 
「やあ、クレイさん。これでも私は元上級貴族でね。組織や人脈を操作するのが、本来の領分なんですよ」
「うわ、聞かなきゃ良かった」
「ふふ、そういう貴方はどうなんですか? 顔が広いというだけで組織の代表を勤めるのは、大変では?」
 ユリウスは風魔法で軽々と木から滑り降り、狡猾な笑みを浮かべた。
「大変なのは想像の範囲内だな。そのうち後輩に任せるつもりだが……。で、何してたんだ?」
「あはは、誤魔化せませんでしたか。ちょっとした、実験ですよ。空から入れるディールの丘……。鳥なら普通に出入り出来るのでは?と思いまして」
 悪戯っぽく笑ったユリウスの肩に茶色の野鳥がとまる。
「……偵察隊の報告では、生き物は全くいなかったらしいが」
「まぁ、広い平原です。偶然小鳥を見掛ける機会がなかったのも知れませんからね」
「…………鳥は、出入り出来たのか」
 クレイの声が、低くなる。
 ユリウスと小鳥だけで偵察ができるなら、偵察の為に犠牲になった300人は、ただの無駄死にだ。
「怖いなぁ、私に当たらないで下さいよ。広大な平原はありましたが、見えた範囲では報告されていた城塞跡は見当たりませんでした。人間が探索する意味は、あったと思いますよ?」
「そうか……」
 クレイは考え込むふうに唇を噛んだ。
 ユリウスは彼の横で、そっと目を瞑っった。
 ……本当は、城塞跡は、あった。
 それも複数だ。
 国2つが滅んだという広大な土地に、何もない方がおかしいだろう。報告にあった魔女の罠である城塞がそのうちのどれなのかはわからないが、『見えた範囲で』見つからなかったという言葉は、ちょっとした気遣いだ。
 鳥の視野は万能ではない。
 そう思っていて貰ったほうが、後々便利たろう。

「はぁ、実験に気を張りすぎてクタクタですよ。お腹空いたなー。クレイさん、駐屯地で何か作ってくれません?」
「はぁ? なんで俺が」
「各国で顔が広いってことは、ご当地料理食べてるんじゃないですか~? 私はフェルトリア連邦から出たこと無いんですよね。国外でおすすめのやつ、お願いしますよ」
「いきなり無茶苦茶だな。しょーがねぇ、ご当地じゃないが、俺特製肉飯で我慢しろよ」
 名称から大胆だが、各地を巡ってきた魔女探しが作る料理は、たぶん、アーペの料理よりはマシだろう。
「期待していますよ。フェリアに帰ったら、おすすめの甘味屋さんを紹介します」
「元上級貴族様ご推薦とは、光栄だな」


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 魔女の住まうメルド湖沼地帯へ向けて、馬車が街道をすすんでいく。
 この旅程に随行するのは、国防院が計画した遠征隊のほんの一部に過ぎない。フェルトリア連邦国の国防院約3000名という大人数が、1週間かかる距離を2週間かけ、分散して移動している。というのも、纏まった軍隊を動かせば、魔女の支配法則によって魔物や洪水に襲われる可能性があるからだ。
 結局、総議長リッド=ウインツの予想どおり、議員たちに呪いをかけた魔女に対する中央議会の議決は『討伐』となった。
 昔から『魔女に逆らう政治家は淘汰される』という話があった。が、今回のように緊急議会の満場一致の政策となれば、政治家が個人単位で恐れることはない。
 魔女探し[[rb:協会 > ホライズン]]への決議通知は、総議長が緊急議会を開催した翌日に行われた。
 そしてこの遠征に《魔物を消す》『光明の聖女』ミラノが赴くことは、中央議会の議員達が魔女討伐のために必要不可欠だと判断して決定された。
 中央議会の議員たちに呪いをかけ、世界を支配する魔女を退散させた光明の聖女。
 その劇的な登場と活躍から、役職ある上級貴族や実務を担う関係者すべてから、圧倒的支持を受けている。
 その『光明の聖女』ミラノは、馬車の中で向かい合わせに座った護衛に、眉を寄せていた。
「ユリウスさん? 目を背けないでください。いま、貴方が警護するのは私ですよ?」
「あー、私としてもミラノちゃんの可愛い顔を見ていたいんですが、凄く嫌な予感がするんですよね~」
 総議長専任の護衛隊長は、呪いに倒れた国防院院長の代わりに国防軍総帥を拝命していた。ついでに英雄視されつつある『光明の聖女』の護衛も兼ねている。
 ユリウスは馬で車列を警護していたが、ミラノが一緒の馬車に乗るようにと声をかけたのだった。
「……例えばセフィシスを情報源のひとつにしてたとか? 数代前の聖女様がユリウスさんのお母様だったとか? その能力を実は継承してて、『展望』っていう予知能力があるとかですかー?」
 笑顔のミラノに、ユリウスも悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「あーあ、やっぱり全部バレちゃってるじゃないですか」
「やっぱり……。最近小鳥さん達の情報だけじゃ説明がつかない先回りが多いと思ってたんです。でもそれなら本当は、ユリウスさんが教会の『聖者』になったほうが……」
「あはは、私には無理ですが……それなら名案がありますよ。ミラノちゃん、私と結婚すれば良いんです」
「……けっ……! そ、そんなに嫌なんですね!」
「ふふ、私とじゃ嫌ですか?」
「も、もう! からかわないでくださいよ~!!」
 ユリウスが聖女様の馬車に入ってから、車内は賑やかになった。アルヴァはユリウスの代わりにこの隊列全体を見ているが、他に誰か適任がいなかったのか、と思ってしまう。
 ――魔女の討伐という議決。
 フェルトリア連邦緊急議会は、魔女探し[[rb:協会 > ホライズン]]へ、魔女討伐を依頼した。ついでに総議長に預けていた飛行機械の販権許可も、全て承認された。
 世界を支配する魔女を倒す。それが国から依頼されたという事実は、また遠方から集ってきていた魔女探し達にとっては朗報だった。国の支援、明確にされた目的地、戦力の集中。どれも今まで彼らに足りなかったものだ。
 分散してメルド湖沼地帯へ向かう国防軍と同じく、魔女探し達もそれぞれに行動している。アルヴァが眺めているこの車列の人員は、ユリウス直下の少数の国防隊員達だ。
 《ホライズン》の代表者であるクレイは、アーペの街へ単身先行した。一緒に行動しているのは、魔女討伐に手を挙げて参加してきたハーディスだ。
 《ホライズン》の活動を維持するためにシヅキとアキディスはフェリアに残っている。
 療養していたノーリは薬を準備してから来る予定だし、魔法特訓中のリースとアクアは飛行機械の効率的な運搬方法を模索していて、まだ出発できそうにない。
 ソーマは少し遅れて後から追い付くと言っていたが、実際はノーリの体調次第だろう。
「アルヴァさん、聖女様、なんかちょっと変わったよね」
 馬を寄せて不意に話しかけてきたハーディスの話題に、少し戸惑う。
「そうだな、失踪中は修行していたらしいし……君はどんなふうに変わったと思うんだ?」
「うーん、僕は魔女の手下であるゼロファの影響受けてたんだけど……なんか魔力の空気感が一緒なんだよね。同じ先生に魔法を習ったみたいな感じかな?」
 ……この少年は、どこまで天才なのだろう。
 ハーディスと話をしていると、馬が突然戸惑うように足を止めてしまった。車列の馬すべてが、同じように緩やかに歩みを止め、動揺がひろがっていく。
 サッと馬車から降りてきたユリウスが、国防隊員にむけて声をあげた。
「総員、下馬! 魔物の襲撃に備えろ!!」
 ほとんど同時に、地面の下からドンと突き上げるような振動が響き、魔物の気配が立ち登る。
 ――総議長が魔物に狙われた時と、同じような現象だ。
「ハーディス!」
「うん、右斜め前方だよ!」
 天才少年の的確な察知能力どおり、赤黒い影がその街道の外れに収束し、巨大な一つ目の巨人のような魔物が形成された。
「うわ! なにあれ人型!? 鬼血鬼じゃなさそうだけどすっごい気持ち悪っ!!」
「強敵だ。油断するな!」
 普通の魔物は獣のように爪や牙で攻撃するが、剛力はそれほど高くない。
 しかし人型の魔物は剛力が高い上に武器を手に持つことができる。これが一番厄介なのだ。アーペに出現した吸血鬼の大惨事も、ほとんどの死因は剣で斬られたことによるものだった。
 目の前の巨人は、最初から棍棒のようなものを手にしている。
「弓矢隊、目を狙い打て!」
 ユリウスの的確な指示に、国防隊員数人が次々と矢をな放つ。が、巨人が振りかざした腕に難なく防がれる。
『グオォォォォ!!』
 大きいのは体だけではなかった。
 射掛けられた怒りの雄叫びがビリビリと空気を震わせ、真っ直ぐ突進してくる重量で地面が揺れる。
『大地よ 我が意に従え!』
 ユリウスが詠唱した土魔法で足元に出現した土壁につまづき、巨体がよろめく。
 アルヴァはその隙にダッと距離を詰め、黒く巨大な足の膝裏に斬撃を叩きつけた。弓矢をものともしなかった分厚い皮膚だか、流石に関節は薄い。
 ドンと膝を着けさせた、が、思わぬ反応速度で振り回した棍棒を咄嗟に剣で受ける。
「ぐっ……!」
 叩き跳ばされる……!
 高い音と共に横から叩きつけられた風圧に棍棒の威力が逸れる。ハーディスか。
 握った剣から嫌な音が響いた。
 地面を転がり、砂塵を巻き上げながらザっと臨戦態勢を確保する。
 が、手の中の重量がいつもより軽い。
 剣の半分から先が折れて、吹き飛ばされていた。
「アルヴァ!」
「アルヴァさん!!」
 一瞬で巨人の反対の手が迫る。
 アルヴァはあわてて飛びずさり、巨人の間合いから離脱した。
 次の瞬間、力強い手風琴の音と共に巨人の足元がドスンと大きく崩落する。
『ガアァァァッ!』
「アルヴァさん、一旦こっちへ!」
「弓矢隊、放て!!」
 離脱した一瞬後、ドッと矢の雨が降り注いだのに息をのむ。
 ――集団戦力というのは、攻撃力の格がちがう。
 ハーディスの口風琴で、氷の刃が巨人がはまって動けなくなった穴に降り注いでいく。
 深い落とし穴には、矢の雨と氷の雨が降り続いた。
 さすがに難敵の人型魔物も、不快な苦悶の声を響かせるので精一杯のようだ。
「くっ……剣が……」
「ごめん、もっと速く魔法撃ててれば」
 ハーディスのもとまで後退すると、すまなそうな顔をされてしまった。
「いや、俺の力不足だ。……このまま、倒せそうか?」
「皮膚が硬くて氷の刃が立ってない。これは足留めでしかないかな」
 ならば、あの1つ目を貫くしかないが、折れた剣では無理だ。
 ふと、暖かく甘い香りが耳元に触れた。
「ふふ、お困りのようだね。アルヴァ」
「うわっ! ソーマ!?」
 振り向くと、ソーマの端正な顔が至近距離にあった。
「いいところに追い付いたみたいだな。いやー俺って天才! はいこれ。鍛冶屋の在庫品がなくて、仕上げを手伝ってきたんだ。アルヴァの手に馴染む筈だぜ!」
 ぎゅっと手元に押し付けられた滑らかな質感。
 確かに後から追い付くとは言っていたが、鍛冶屋を手伝っていたとは。
 ――追い付きかたについては、もう黙っておこう。
「これは……」
 いままでアルヴァが使っていたのは標準的な両刃剣だ。
 しかし押し付けられたのは、細身の剣が、2振り。
 ソーマが鞘を握ったのをみて、差し出された柄を握り、シャッと両方の刀身を引き抜く。
「双剣……?」
「言っただろう? 俺は全ての魂の《真名を掌握》する。《双剣使い》が、アルヴァの本来の姿だ」
 双剣は身体の一部のように、軽く両手に馴染んでくる。
 軽く振った刀身の、ヒュンと空気を切る感触。
 初めて握るのに、扱い方が、わかる。
「……ハーディス、氷を止めて強力な火魔法を一発入れてくれ」
「あ、なるほど。りょーかいっ!」
 手風琴の高い音が鳴り響き、ハーディスの頭上に強烈な火炎の塊が形成される。
『炎よ 我が意に従え!』
 珍しく詠唱したハーディスの声と同時に、巨大化した火炎がドッと巨人に炸裂し、瞬時にその場の氷が白い煙幕になる。
 そのなかに走り込み、巨きい目標の一つ目を一息に突き刺した。
『光よ 闇を焼き切れ!』
 刀身に魔力を流す。
『グアァァ……!!』
 咄嗟に迫った巨大な手を2振り目で切り払い、敵の頭の中を焼き切ったのをみて離脱する。
 白い蒸気が風に流れた後には、砂になった魔物の残骸がハーディスのつくった穴を埋めていく光景が残った。
 ――まだまだだ。こんな速度では複数の敵に囲まれた時に対処できない。剣を振りながら詠唱を短縮して――……
 ポンと肩を叩かれて振り向くと、ユリウスの困ったような笑顔があった。
「いやぁ、国防隊員の出る幕もありませんでしたね。彼らの実践訓練になると思ったんですけど」
 ……なるほど、だから《魔物を消す力》を持つ聖女様を出さなかったのか。
「いえ、ほとんどハーディスの力です。それにこの剣が無かったら、皆様にお任せしていました」
 手の中の双剣に目を落とす。
 魔法使いと連携した戦術は基本だが、さっきの感覚には、覚えが――。
「アルヴァ~! 俺の愛を込めた双剣の使い心地、どうだった?!」
 突然後ろから抱きついてきたソーマの距離感が、おかしい。
「ちょっ……」
「鞘はこうして背中に装備するんだ。両側の腰にぶらさげてたら邪魔だしな!」
 抱きついた隙に手際よく革紐装備を着せられ、ぎゅっと固定されると、文句も言えない。
 しかしなんだか、ソーマがアクア化していないか? まあ隠し事を誤魔化す手段としては、優れているのかもしれない。であれば、問い詰めるのは得策ではないだろう。害意は無い訳だし、アクアのように必要な機会があれば自ら話してくれるだろう。
「……確かに、初めて扱う筈なのに、手に馴染む。ありがとう、ソーマ」
「どういたしまして! 惚れ直して良いからなっ」
「だから、惚れてはいない」
◇◇◇聖女様の秘密の計画◇◇◇
 馬車がアーペの広場に着くと、前回来たときとは比較にならない程、国籍さまざまな旅装姿の人間で街中が大盛況を呈していた。
 先に到着していた寄せ集めの魔女探し達に、分散集合してきた国防隊員達。すべて揃うと3000名を越えるのだから、当然といえば当然だ。
「『光明の聖女』様が到着したぞ! お前ら、道をあけてお通ししろ!」
 情報を掴んだ魔女探しの一行がどこからともなく現れた。
 聖女ミラノはユリウスに手を取られて馬車を降りた。
 突然集まった視線に戸惑いながらも、なんとか笑顔で周囲に手を振る。ドッと歓声が湧き、周囲はあっというまにお祭り騒ぎだ。
 大騒ぎのなか、アルヴァにとって見慣れた顔が2人出てきた。
「待ってたぜ、アルヴァ。アーペの街の守備計画は順調だ」
「おー、アルヴァか。先日は見送りも出来ずにスマンな! 飛行機械の商流の件、感謝してるぜ」
 単独先行していた魔女探し[[rb:協会 > ホライズン]]の代表者クレイ=ファーガス。そして街を出た時には意識不明のままだった、アーペの『守護の聖者』バルド=レイフォンだ。
 大物年長者ふたりに、聖女様よりも先に名前を呼ばれた事に、妙な緊張にとらわれる。
「クレイさん、先行対応お疲れ様です。聖者様も。無事に回復されたようで、本当に良かった」
 アルヴァは左手を胸元に添え、簡易な敬礼を取った。
「いやぁ、まじで死んだと思ったんだけど生きてたぜ。おかげで久しぶりにクレイに会えた訳だ。ついでに魔女を倒すとかいうスゲェ宿題が皆で達成できたら、もっと旨い酒が飲めるな!」
 明るく豪快に笑った聖者バルドは、前回出会った時と同じ作業着姿だ。――胴体の真ん中を刺されて土気色の顔をしていた初老の男性の印象が、一気に吹き飛んだ。
 無事に元気を取り戻した姿に、安心する。
 ともあれ、いまこの場の主役は自分ではなく、代表たちと聖女様の筈だ。
「――聖者様、こちらが中央都市フェリアの『光明の聖女』様です」
 ユリウスに手を引かれた聖女ミラノに、聖者バルドの前に立ってもらう。衆目の注目を浴びているこの状況、あとは彼らに任せたい。
 ……そういえば、各地の教会の代表者である聖女・聖者同士が顔を合わせるのは、稀なのではないだろうか。
 目論見通り代表たちで話が始まったのをみて、そっと身を引きハーディスと並んだ。
「アルヴァさん、顔が広いんだね」
「いや、つい先日までアーペにいたからな。君は旅が好きなようだが、この街に来たことは無いのか?」
「いつもここはお兄ちゃんが通ってたから、僕が来るまでも無かったっていうか……機械ばっかりで音楽とか絵とか無さそうで、あんまり興味無かったのが本音かなー」
 少し周囲に申し訳なさそうに声をおとしたハーディスの気遣いも、才能のひとつだろう。
 つい先日までこの街に住んでいたソーマは、街に着いた途端、車列から離れてどこかへ行ってしまった。彼の行動を制限するようなものは無いが、自由もここまでくると、何もいえない。
 フェルトリア連邦東地区アーペは、メルド湖沼地帯に隣接する技巧の街だった。つい数週間前に飛行機械が開発され、その商流が魔女探し[[rb:協会 > ホライズン]]に委ねられたという情報が街中に広まってるようだ。
 アルヴァは、魔物の脅威と隣り合わせながらも逞しく生きている人々の街を見渡した。……色々な物事が濁流のように一気に進んでいる。
 馬車を降りた一行は、そのままアーペ教会の宿舎に向かった。特に[[rb:協会 > ホライズン]]要員は、教会宿舎に宿をとることになっている。
 急勾配の道をすすんでアーペ天使教会へたどり着くと、聖者様の指示で、聖女様の歓迎会が始まってしまった。
 前回の凄惨な殺戮現場は綺麗に清められ、魔物が湧きそうな気配もない。この、徹底して明るいところも、湖沼地帯と共にある街の知恵なのだろう。歓迎会という名の宴会は、繁盛している大衆居酒屋と大差ない光景だった。
 後から持ち込まれた酒と、肉や野菜の煮込みなどの大味の飯が、テーブルに山積みになる。用意してくれた現地の人間と魔女探し達があつまって、大宴会になってしまっていた。地域柄といえばそれまでだが、中央都市の整然とした雰囲気の天使教会にいた聖女ミラノには、きつい状況だろう。
 早く、聖女様を解放してあげなければ――。
 そう席を立とうとした隣で、いきなりハーディスが机の上に飛び乗った。
「こんにちは、お集りの皆さん! この『王都リュセルの英雄』より、元気の出る一曲をお贈りします!」
 少年は明るい声を響かせて、圧倒的音量の手風琴で、あっというまに衆目を惹きつけた。突然はじまった演奏に、居酒屋状態の広間からワッと歓声があがる。
 『王都リュセルの英雄』。
 数年前、シェリース王国の王都リュセルに、大規模な魔物の襲来があった。
 魔女探しも退魔師も出払っている中で、一晩中王都に侵入した魔物と戦い、ほぼ1人で殲滅した謎の青年……というのが、アルヴァのいたリュディア王国まで流れてきた噂話だ。
「ハーディス……まさか……」
 ぽかんと見上げてしまったが、ハーディスは演奏しながらちらりと聖女ミラノのほうを目配せした。
 角が立たないよう、離席の機会を作ったのか。
 アルヴァは小さく頷き、そっと聖女ミラノの後ろに立って、その袖を引いた。
「ふあぁ……疲れたぁ……」
 静かな教会の中庭に出たミラノの息が、白く、風に流れる。
「アルヴァさんにはまた助けて貰っちゃいましたね。それに、ハーディスにも。あの魔力と真心が綺麗に調和した旋律、本当に凄いですよね。私もまだまだ、歌、頑張らなきゃ」
 そう言って白い息を吐くミラノ。
 彼女の瞳は、よく晴れた冬の星空に、きらきらと光っていた。
 アルヴァはおもわずそれに、目を惹かれる。
 ……不思議だ。
 この聖女様は、誰にも為し得なかった『魔女討伐』という重責を負わされているのに、緊張している様子はない。
「……聖女様。メルド湖沼地帯は実際、危険です。怖くは無いですか?」
「あはは……フェリアを出る時にもみんなからすっごく言われました。……でも、私は独りで前に出る英雄とかじゃないです。沢山の人が動いて、協力してくれて、ユリウスさんが背中を押してくれて、ハーディスもアルヴァさんもいる。ヒカゲに教わった『世界の力』も……って、すみません! 私、なんか、お喋り過ぎですねっ……!」
 夜空を見上げたまま声をおとしていたミラノは、唐突に、恥ずかしそうに背中を向けてしまった。
「いえ……正直、俺が怖いんです。……メルド湖沼地帯を越えて、本当に魔女と戦うことになるかも知れない。魔女探し達はその気でしょうが、魔物と闘うのとは格が違います。それに俺は……あの人を攻撃するなんて……」
 車列では人の目があって、こういう話をする機会がなかった。魔女を討伐しろと言われて、それがこの聖女様に、やれるのだろうか?
「――ずっと、考えてたんです。今まで居場所を眩ませていた魔女が、どうして今になって、『メルド湖沼地帯で待ってる』って言ったのか。どうして空から入って辿り着く『ディールの丘』じゃないのか。……この前、リースさんの魔物の部分だけを消して、人間としての身体を取り戻せたでしょう? もしかすると湖沼地帯も、ディールの丘を覆う、魔物みたいなものなんじゃないかなって思うんです。だから実は私は、魔女を倒しにきたんじゃない。……メルド湖沼地帯を、消しに来たんです」
 思いがけないことを言った聖女ミラノが振り向いて見せた笑顔は、強く、眩しい。
「なぁんて、こんなお話ができるの、ユリウスさんとアルヴァさんぐらいです。聞いて貰えてよかったぁ……! 黙ってるってことには、結構ドキドキしてたんです!」
「……聖女様……」
 アルヴァはそっと左手を胸に添え、目の前の眩しい女性に、敬意の姿勢を取る。
「……俺は、自分の都合しか考えていなかったんですね……。魔女の目的が『戦争のない世界』なら、《ホライズン》でそれを続けることで、代わりになる。あの人が全部悪いなんて世界を、終わらせることができる。……こんなのは、押し付けだ。魔女が……イオエルさんが何を望んで、何を求めているのか……それに、向き合わないといけなかったのに……」
 胸に添えた手に、そっとミラノの白い手が重なった。
 その小さな温もりに、どこか冷えていた胸の奥が、いきなりドッと熱くなる。
「アルヴァさんは、ちゃんと考えてますよ。私は皆にかけた呪いを解いてくださいってお願いすることくらいしか考えてなかったです。……イオエルさんに会えたら、一緒に、お話しましょう。まず、会えるかどうか、ですけどねっ」
「…………っ……は、はい。え、と、メルド湖沼地帯の事は、俺に何か出来ることはありますか……?」
「それなら、私を、支えていて下さい。イオエルさんの事を想う気持ちが一緒の貴方なら……って、だ、大丈夫ですか?」
 ――自分でもどんな表情になっているかわからない顔を、咄嗟に片腕で隠していた。
 温かい手を握り返したい。
 そういう衝動を、ぐっと抑える。
「だ、大丈夫です。あの、近くて……」
「え? あ、ごめんなさい! ……??」
 ぱっと手を離してくれたが、小さく首を傾げるところをみると、彼女自身に他意はないのだろう。しかし聖女様が可愛いというのは、心臓に悪い。
「いえ……長い馬車旅に宴会でお疲れでしょう。今日はもうお休みください、聖女様」
 おもわず顔を逸らしてしまったが、視界の端で、可愛い聖女様は何故か不満そうに腰に手をあてていた。
「アルヴァさん。みんなには言えない志を持つ仲間なんですから……名前で呼んで下さい。聖女様ってよばれると、なんだか距離感があるみたいで嫌です」
「え……いえ、それは流石に……」
 ユリウスや総議長様は重職にある立場だから良いだろうが、アルヴァ自身は、特に役職もない隣国の人間だ。
 まるで立場が違うのに、隣国の中央教会の聖女様を名前で呼ぶ訳にはいかない。
「こんな風に、ふたりだけの時でいいんです。それなら良いですよね?」
 そういわれると、逃げ場がない。
 アルヴァは、まだ燻っている胸の熱を落ち着けるように、深く息を吐いた。
「わかりました。……ミラノさん。よろしくお願いします」
「はい! よろしくおねがいします、アルヴァさんっ」
◇◇◇アルヴァの秘密の計画◇◇◇
「はあぁ…………」
 アルヴァは宿舎の部屋に入るなり、ボンと寝台に頭から倒れ込んだ。
 手強い魔物と闘った時より、心拍速度がおかしい。……アクアにからかわれた通り、聖女ミラノに惹かれてしまった。
 ――とはいえ、ここで悶々と倒れていても仕方ない。
 ゆっくり起き上がり、背中の双剣を外した。
 長年左腰に剣を装備していたから、妙な気分だ。
 無造作に投げ出した荷物の中身を点検し、フェイゼル=アーカイルの古書をトンと机に置いておく。
 ここ数日、古書の亡霊が突然喋りかけてくることはなかったが、いつまた魔女の秘密を喋りだすかもしれない。
 ……いや、今更だが実は、少し、寂しいのか。
 人間の身体になったリースとは、もう肩を並べて魔物と戦う機会は無いだろう。アクアと魔法の練習をしてはいるが、魔物と戦える程の力をつけるには、普通、幼少期からの訓練が必要だ。アクアも飛行機械の運搬を理由に、わざと出発を遅らせてる節がある。
 前回偵察隊が全滅した事を考えれば、正しい判断だ。《ホライズン》での事務仕事はこれから膨大になるだろうし、リースの安全を考えれば、これで良かった。
 ガチャ、と、ひとまわり軽い二振りの両手剣を、手に取った。普通の両手剣をひとまわり小さくした構造。
 クレイが持っているような、刀身も柄の形も湾曲した双剣とは全く別のものだ。
 ……ソーマの《真名を掌握》をする力。
 名前を呼ぶだけで最強の魔物である吸血鬼を懐柔し、消えかけたリースを人間として留め、アルヴァ自身も気付かなかった、才能のある武器装備を見抜いた。
 ――本当に、ソーマは、何なのだろう。
 《吸血鬼退治屋》なんて初めて聞いた職種だし、最強の魔物の専門家ということは最強の退魔師だということだが、そんな人物がいるという噂は聞いたことがない。
 『日の昇る国』『地平線の向こうから来た』
 それが冗談ではないとしたら、メルド湖沼地帯の向こう側……300年も交流が途絶している、グラディウス大陸東側からきたことになる。しかしそれは、大陸中央部で東西を分断しているメルド湖沼地帯が存在している限り、不可能な旅だ。
 無意識に可能性の選択肢から外していたが、ディールの丘に上空から入れたということは――……
「あー! 疲れたあぁぁ~~!!」
「っ?!」
 部屋の扉をバンと開けたのは、手風琴を抱えたハーディスだ。静かに過ごしていたぶん、余計驚かされた。
「あれ? 僕もこの部屋で合ってるよね。あ、さっきは聖女様の事、ありがとう。あの場は一旦凄く盛り上げてから、曲調を落として雰囲気的に解散に持っていったよ」
「あ、ああ……。助かった」
 『王都リュディアの英雄』ハーディス=タイド。正しく最強の退魔師というのは、彼のことだろう。
 ハーディスはひとつ大きな欠伸をして、隣の寝台にぽんと横になった。
「……ハーディス。君が今回の遠征に入ってきたのは、総議長様の指示なのか?」
 ずっと、唐突に《ホライズン》に参加してきたことが気になっていた。
 フェルトリア連邦総議長にとって、アキディスとハーディスの兄弟は、私兵である専属の護衛官とは違った意味で重要な位置にいるような気がする。
「違うよ。僕が行きたかったんだ。シェリース王国で魔女の呪いを受けたのは、国の重役の人達。その中に、僕のお姉ちゃんもいるんだよ」
「……ハーディスのお姉さんは、シェリース王国の重役なのか」
「あ……あはは、ちょっと色々あったんだ。女王様にも補佐官にもお世話になってるし、今回は流石に僕も遊んる訳にはいかなくてね」
 愛される人柄と細やかな気配り、洗練された魔法の戦闘能力、国の統率者達との信頼関係。ここで少し恥ずかしそうに笑っている少年は、まさに、絵に描いたような英雄だろう。
「そうか……。呪いは、解いて貰わないとな」
「うん、そういえばアルヴァって、元々双剣使いだったの? そんな普通の剣みたいな双剣、初めて見たよ」
「あぁ……いや、俺も初めて扱う筈なんだが……」
 そう聞かれてはじめて、この手の中の武器に愛着が湧いていることに気付かされる。
「……僕、小さいときに初めて触った楽器、習ってないのに弾けたんだ。多分そういうのって、前世で身に付けた能力なんじゃないかなって思うんだよね。記憶は無くても、本当に習得したことは魂が覚えてる……。そう思うと、面白くない?」
「前世か……」
 リースも、ひとつ前の人生の話をしていた。
 自分の事は全く考えていなかったが、もし自分に前世があるとしたら、本当に双剣士だったのだろうか?
『あの子をよろしくね、レイティア』
 ふと、一瞬聞こえた魔女の師匠の声を思い出す。
 ……
 あれは、なんだったのか。
 すう、とハーディスの寝息がきこえてきた。
 考え込んでしまった少しの間に、少年は眠ってしまったようだ。
 「……おやすみ。ハーディス」
 アルヴァもそういって、布団を被って目を閉じた。
 ――魔女も聖女も、目指している到達地点は、同じだ。
 戦争の無い世界。
 今そのために築かれているのは、たった一人の、『世界を支配する魔女』が諸悪の根源だという価値観。
 魔女はどうしていまこの時期に、動いたのだろうか? 魔女の……イオエルの本当の願いは……?
 ――すうっと、涙が溢れ落ちていく。……もしこの涙が、前世の人間の想いだとしたら……自分は、いったい、誰なのだろうか……。
 机上の古書のうえに、ぼうっと薄く青白い男が現れた。
 魔女の歴史を記し続ける古書の亡霊。
 彼は寝台の傍に置かれたアルヴァの双剣をみて、触れようとした。が、するりと通り抜けてしまう。魂を載せている古書本体にしか、干渉できないようだ。
「この双剣が、どうかしたのか。フェイゼル=アーカイル」
『…………。起きていたのか』
 アルヴァは布団を退けて、そっと起き上がった。亡霊が出現すると相変わらず寒気がする。だが、それだけだ。
『…………あいつは、ずるい』
 無表情にそう呟いた亡霊は、改めてじっと見てみると、誰かに似ている気がする。
「狡い? ……ソーマか?」
『……しかし、これでやっと、本当に、終わるだろう』
 その言葉に、ドッと緊張する。
 この本が完成するのは、魔女の物語が終わるとき。
 それはつまり――
「まさか! 特別な力も何も無い、ただの人間の集まりだ。魔女を倒せるわけがない! それに、魔女探しには倒せないと言ったのは、貴方だろう……!」
『……。条件は揃った。彼女を倒すのは、国々の意志。そして、彼女自身が紡いだ、絆。――終わらせるのは、お前だ。双剣士』
「……な……」
 何を言っているんだ?
 そのままスウッと消えた亡霊の影に、なにも、言えなかった。いそいで古書を手に取ったが、やはり本の鍵は開かない。
「……もし、俺が魔女を倒す筋書の中にあるなら……」
 亡霊の描く筋書になど、従う謂れはない。
 たとえ、国々を敵にまわすことになるとしても
「……思いどおりには、させない」
◇◇◇期待という感情の裏表◇◇◇◇
「やっほー! ノーリぃ~! 会いたかったぜ~!」
「なんでここに現れるんですか」
 街道外れの夜営地で火の番をしていたノーリ=カークランドは、振り向きもせず、目の前の焚き火へ枝を放り込んだ。
 ノーリは国防軍の小集団に紛れてアーペへ向かい、あと1日の距離にいた。しかし、先に行った筈のソーマが、何故か背後から抱きついている。
「……アルヴァには会えましたか」
「ああ。ばっちり双剣使いこなしてたぜ。流石、レトン王国の《緑の戦士》だな!」
「……! はぁ……。どうしてそうなったんですか。僕の知ってる兄さんは、そんな軽い人ではなかった筈ですが」
「ノーリ……お兄ちゃんを見る目が可愛いすぎる……」
「本当に、軽いですね」
 背中から回された腕を剥がして、ノーリは盛大な溜め息をついた。
 前世が自分の兄だという、ソーマ=デュエッタ。
 殺しても死なず、ついには自分の主人である魔女に直接の対話を試みて、成功してしまった。……対話の結果として、ソーマは自分の主人である魔女と、協力関係にある。魔女探し達からの視点としては、魔女の手下が増えたことになるだろう。
「この小集団は、明日、アーペ入りします。到着している集団に問題は無いですか?」
「ああ。大人気の聖女様が話題の中心だよ。あと、シェリース王国の『王都リュディアの英雄』っていうのもいる。おもしろいな!」
「ああ、ハーディスですか。僕が複写して与えた《最強の退魔士》の力……。僕の影響が無くとも使いこなすなんて、あの子は本物の天才ですね」
 ハーディスの、英雄と呼ばれる人望と才能。そのうちまた利用するつもりだった。だが、主人である魔女が自ら動き始めたいま、その計画は不要だろう。
「ノーリ。ここまでの旅程で、無理に魔力使ったりしてないか? 以前の調子で気楽に使ってると、また倒れるからな」
「流石に行き倒れる訳にはいきませんからね。ちゃんと温存してます。調合した薬は沢山準備してきましたし、集団の回復役としても機能してますよ」
 隣に置いた大きな荷物は、移動の時は国防軍の積み荷に混ぜて貰っている。焚き火の隣に座ったソーマは、そっとノーリの耳元に息を寄せた。
「なぁんだ、また俺の魔力を補填してあげようと思ったんだけどな」
「っ! 耳元で囁かな……」
 そのままぎゅっと肩を掴んできた手を振り払おうとしたが、ソーマは低く声をおとした。
「――国防院総帥になったユリウス=ハーシェルは、野鳥から情報を集めてる。今お前が準備してる計画は、やめといたほうがいい」
「……なるほど、フェリアでアルヴァに居場所がばれたのも、そういうことですか」
「ああ。ずっと見張ってる訳じゃないだろうが、外での行動は筒抜けだと考えておけよ」
「面倒ですねぇ……」
 小さく溜め息をついた肩に、ソーマの暖かい魔力が沁みていく。
 ノーリはそれを、じっと黙って受け入れた。
 ――魔女イオエルとの盟約がほとんど切れかかっている今、本来寿命を迎えている筈の身体は、ソーマが与えてくれる魔力が無ければ、簡単に力尽きてしまう。これは、必要な医療措置のようなものだ。
 …………。
 こうして、静かに人のぬくもりに触れているなんて、記憶の限り、覚えの無い状況だ。
 魔女の奴隷として、魔女探し達を騙し、裏切り、殺し続けてきた。偽りの労りを振り撒くことはあっても、自分が受け取る事はなかった。――彼女の影響を受けない命なんて、考えたことも無かったのに――。
「ノーリ、明日はアーペに着くだろう。毒薬の計画はやめておくとして、クレイはどう対策する?」
 協会創立者のクレイには顔がバレているし、ユリウスには鳥の目がある。
 立ち回るにはあまりに不便な状況だ。
「そうですね……今クレイに攻撃されたら、即死でしょうね」
「あぶな! そんなに険悪なのか? わざわざ行かなくてもいいだろ。フェリアに戻って待ってれば……」
「300年も魔女の奴隷として生きてきたんです。主人が動いたこの大事な局面……僕だけ逃げ出す訳にはいかないですよ」
 ――なんとなく、いつか魔女探しの誰かに折り返しのつかない程惨敗して、断罪されるんじゃないかと思っていた。
 だけど、実際に惨敗させられたのは、魔女探とは関係ない遠方からの来訪者――。
 こんな敗北が、あっていいのだろうか。
 断罪されて当然の生き方が、こんな形で、許されて、良い訳がない。確かに、生きたいと願った。でもその願いは、もう十分、叶えられすぎている。
「……お前は、俺が守るよ。その為の力はある」
 ソーマの優しさが、耳朶に沁みる。
「今更……。貴方の立場がどうなっても、知りませんよ」
「まぁ俺、ここじゃ立場も何も無いから大丈夫だ!」
 ノーリは小さく笑って、トンと頭をソーマの肩に預けた。
「……期待しないでおきます。裏切りが、僕の仕事ですから」
◇◇◇
「こんな所で何してんだ? 国防軍総帥殿」
 森の中から声がした。
 がさ、と紅葉をかきわけてユリウスの足元に現れたのは、魔女探し協会代表のクレイ=ファーガスだ。
「しかし、リッドの護衛からいきなり昇進したな。緊急事態だったとはいえ、国防院で幅を利かせてた奴とかいなかったのか?」
 アーペを守るために、メルド湖沼地帯に対する防衛線が引かれていた。守護の聖者が張り巡らせていた柵を、オキニス鉱石で強化したものだ。キニス鉱石には退魔の力が付与されており、一定の距離ごとに柵に設置されている。その設置作業と保全のため、アーペに着いた国防軍人達は、森のなかに点在している状況だ。
 その国防軍総帥であるユリウスは、夕闇が深くなるなか、メルド湖沼地帯に接する森の端でひとり木に登っていたわけだ。
「やあ、クレイさん。これでも私は元上級貴族でね。組織や人脈を操作するのが、本来の領分なんですよ」
「うわ、聞かなきゃ良かった」
「ふふ、そういう貴方はどうなんですか? 顔が広いというだけで組織の代表を勤めるのは、大変では?」
 ユリウスは風魔法で軽々と木から滑り降り、狡猾な笑みを浮かべた。
「大変なのは想像の範囲内だな。そのうち後輩に任せるつもりだが……。で、何してたんだ?」
「あはは、誤魔化せませんでしたか。ちょっとした、実験ですよ。空から入れるディールの丘……。鳥なら普通に出入り出来るのでは?と思いまして」
 悪戯っぽく笑ったユリウスの肩に茶色の野鳥がとまる。
「……偵察隊の報告では、生き物は全くいなかったらしいが」
「まぁ、広い平原です。偶然小鳥を見掛ける機会がなかったのも知れませんからね」
「…………鳥は、出入り出来たのか」
 クレイの声が、低くなる。
 ユリウスと小鳥だけで偵察ができるなら、偵察の為に犠牲になった300人は、ただの無駄死にだ。
「怖いなぁ、私に当たらないで下さいよ。広大な平原はありましたが、見えた範囲では報告されていた城塞跡は見当たりませんでした。人間が探索する意味は、あったと思いますよ?」
「そうか……」
 クレイは考え込むふうに唇を噛んだ。
 ユリウスは彼の横で、そっと目を瞑っった。
 ……本当は、城塞跡は、あった。
 それも複数だ。
 国2つが滅んだという広大な土地に、何もない方がおかしいだろう。報告にあった魔女の罠である城塞がそのうちのどれなのかはわからないが、『見えた範囲で』見つからなかったという言葉は、ちょっとした気遣いだ。
 鳥の視野は万能ではない。
 そう思っていて貰ったほうが、後々便利たろう。
「はぁ、実験に気を張りすぎてクタクタですよ。お腹空いたなー。クレイさん、駐屯地で何か作ってくれません?」
「はぁ? なんで俺が」
「各国で顔が広いってことは、ご当地料理食べてるんじゃないですか~? 私はフェルトリア連邦から出たこと無いんですよね。国外でおすすめのやつ、お願いしますよ」
「いきなり無茶苦茶だな。しょーがねぇ、ご当地じゃないが、俺特製肉飯で我慢しろよ」
 名称から大胆だが、各地を巡ってきた魔女探しが作る料理は、たぶん、アーペの料理よりはマシだろう。
「期待していますよ。フェリアに帰ったら、おすすめの甘味屋さんを紹介します」
「元上級貴族様ご推薦とは、光栄だな」