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◇◇◇守護の聖者と魔除けの鉱石◇◇◇

ー/ー




 聖者の容態は深刻だ。吸血鬼の長剣は、胴の中心を貫いていた。心臓を避けていたのは、聖者本人の危機回避だったのか、吸血鬼が狙わなかったのかは、わからない。
 ノーリが駆けつけた時には、ほとんど心肺停止状態だった。
 そこから傷を完全に塞いで鼓動を回復させたノーリの治癒魔法は、相当のものだ。
 あとは本人次第――そういって退魔師達の治療に駆け付けていったノーリの姿を見て、ソーマも負傷者の救護を買って出た。
「ノーリ、俺は重症患者に内傷消毒を処置するから外傷対応を頼む。疲れたら交代しようぜ」
「わかりました。並行展開でも大丈夫ですよ。ともかく集中できるのは助かります。よろしくお願いしますね」
 ふたりとも相当治癒技術に精通しているようだ。
 腕利きの治癒魔法使いがふたりで連携する効率的な救護処置。その迅速な対応が、魔女探し達の全滅という暗い雰囲気を、少しだけ和らげてくれている。

 教会の聖使の急報をうけて駆けつけた領主は、聖者の寝台の傍で、大きく息をついた。
「――想像してみたことが無かった訳ではないが、聖者が襲撃されるとは……」
 泣きはらしたディアナが、寝台のふちで目を擦る。
「……聖者様ひとりに、頼り過ぎてたのよ。だから、こんな……」
「重要人物が狙われるのは当然のこと。問題はそういった事態に対応できる備えが無かった点だ。守護結界を構築する役割を分散化させるか……。しかし、車軸の分散となると……」
「お姉ちゃん、機巧の話じゃないのよ!」
 領主に向かって、ディアナが大きな声をあげた。
「お姉ちゃん?」
 アクアが二人を見比べる。
 アルヴァとアクアは、領主に事の顛末を報告すべく、聖者の見舞いについてきていた。
 男勝りの美人領主と、ふんわりとした優しげな聖使。似ているのは焦げ茶色の髪ぐらいだ。
「す、すまんディアナ。勿論私もバルドが目を覚ましてくれることを祈っているよ。しかし、今バルドが助かったとしても、将来的な事も考えないと……」
 ぐす、と、もう一度目を擦ったディアナが、小さく息をつく。
「いいよ。お姉ちゃんは、領主様だもんね。そういうのの、責任があるんだもんね。でもね、人を機巧に例えて考えるのは、やめて」
「……そうだな、肝に銘じるよ」
 領主は小さく笑んで、彼女の頭をポンと撫でた。
 アルヴァは突然始まった姉妹の会話の様子をみながら、そっと口をひらく。
「『守護の聖者』が街を守ってから、長年その守護は破られていないと聞いています。今回柵が破られたのは、初めてでしょうか?」
「ああ。そこに、この襲撃だ。私達が聖者に依存し過ぎていた」
 領主アンゼリカは、きゅ、と目を瞑った。
「えっと……ところで、『守護の聖者』様が街を守る前は、どうしてたんですか?」
 そうアクアが零した素朴な疑問は、アルヴァも感じていた。
 各協会の聖者や聖女は、特殊な能力を持つ人間が就く事が多い。メルド湖沼地帯は300年程存在しているが、このアーペの教会の代表者が『守護の聖者』であることは、継承されているようなものなのだろうか?――そもそも、その特殊な能力というのは継承できるものなのだろうか。
「バルドが『守護の聖者』として結界を構築する以前は、街の人間は魔除けの鉱石を必ず持ち歩いていた。原石よりも、聖別師が磨き上げた宝石のほうが効果が高い。私の先代は、それを技術の街としての特産品にしていたな。今では生活必需品というより、土産物として生産しているが」
「あ! 今リュディアで流行ってる魔除けですね! 古本屋さんで、アーペが発祥だって読みました。首飾りが多いですけど、指輪も素敵ですよね。私も可愛いの欲しかったんだけど、ちゃんと魔法効果が乗ってるのは、結構お値段がするんですよね~」
「ほう、リュディアではそう出回っているのか。必需品だった頃は魔法効果のあるものにしか価値が無かったのだが……」
「そっか、街を守る守護魔法がないのに、発動しない魔除けなんて意味ないですよね!」
 爽やかに安物を非難するアクアに、領主も頷く。
 つまり、『守護の聖者』の能力は、継承されてきたものではない、ということだろう。
 将来的な街の守護については、昔から魔除けを使ってきたような対策を取るしかない。
「街のまわりをかためている守護魔法はまだ機能しているが、修繕や補強は間に合っていない。退魔師も手負いだらけだ。昨夜のような規模で魔物が押し寄せてきたら、かなり厳しい状況にある。……昔使っていた魔除けを、あるだけ集めるしかないな……」
「聖者様の結界の構築方法に倣って魔除けを展開すると効果的では?」
「それは良い案だ。聖者の特殊能力を、恒久的なものにできるかも知れない。――――ゴホン。アルヴァは、設計士の才能がありそうだな」
 領主の目がぱっと輝いたが、小さく睨みつける妹に気付いて、あわてて少し話を逸らした。
「それに、吸血鬼退治屋のソーマ。もし今魔物がまた大量発生したら、彼にも参戦して貰えば助かる筈です。昨夜は俺がお世話になってしまっていましたが……」
「そうだな。しかし、ソーマは元々この街の住人ではない。聖者に頼ってしまったように、彼に魔物退治を任せ切りにする訳にもいかない。それに、強すぎる退魔師がいると、若手が育たたんのだ」
「遠くから来たというのは聞いていますが、ソーマはどこの出身なんですか?」
「太陽の昇る国だとか何とか言っていたが……東は湖沼地帯しかない。きちんと話を聞こうにも、あの調子ではぐらかされてな……」
「「ああ……」」
 おもわず納得した声が、アクアと被った。
 地平線の向こうから来たと言っていたのと、同じような話だろう。最強の魔物を一瞬で手懐けるような人間だ。嘘がないとしても、おそらく、話すつもりの無い事も多そうだ。
 
 ――そういえば、聖者は魔女探し達が湖沼に入る際に、あの砂地の辺りに街の退魔師を多めに手配しておく、という措置を取っていた。
「……領主様、普段よりも魔物が多く出現する一定の条件があるんですか?」
「魔女探し達が湖沼地帯に入ると、人数が多いほど魔物がこちら側に溢れてくる事が多い。満身創痍の魔女探し達を追うようにして。私達もそれに備えているんだが、今回は規模が大きすぎたな」
 そういうことは、聞いた事が無い。
 メルド湖沼地帯と共に生きている地元民にとっては、当たり前のように対応してきたのかも知れないが――。
「……そうなると、魔女探しがこの街に相当な迷惑をかけている。無計画に入らない為にも、協会へ共有させて頂きます」
「ああ。魔女探し達には何度も話しているんだが、なかなか彼らの間で周知されなくて、半ば諦めていたんだ。そこは協会の情報共有網に期待している。よろしく言っておいてくれ」
 街の守護が揺らいでいるなかで、これ以上の迷惑をかける訳にはいかない。
「それにしても、アルヴァは真面目だな。このオジサンにも、見習って欲しいものだ」
 アンゼリカは、少し寂しげに笑んだ。
 淡々と話してはいるが、やはり心配なのだろう。

 このまま予測通り魔物の出現もなく、怪我人が回復し、聖者の目が開いてくれれば、あとは領主から資料を預かって協会の代表者のもとへ向かう事になる。
 魔女の力の源の調査は、最強の吸血鬼からの情報以上に、これ以上探れるとは思えない。
 気掛かりな事はまだまだある。
 吸血鬼を目覚めさせた、白い髪の男の存在。
 それとなく退魔師達に訊いてみたが、誰も、そういう人間を見ていない。吸血鬼を放った犯人が近くにいるかも知れないという不確定な情報をばらまくのは、控えた。自分達が吸血鬼から犯人の存在を掴んでいるというのがひろまれば、逃げられる可能性がある。だが現状の主導者である領主には、正しく伝えておくべきだ。ディアナが同席していたから遠慮していたが、彼女がただの聖使ではなく領主の妹なら、この場で遠慮する必要はない。
「アンゼリカさん、実は――」
 話を切り出すのと同時に、街の方から、低く長い音が響いてきた。
 昨夜同じ、警報。
 さっと領主がきびしい貌で窓をあけた。
 聞き間違いではない。
「どうやら魔物も夜を待ち切れないらしい。守護が弱体化したことをわかっているのか……」
「お姉ちゃん、私も――」
 ディアナが椅子を立ったところで、唐突に警報音が止んだ。
 それはそれで、首を傾げる。昨日の激戦の時には、ずっと鳴りっぱなしだった筈だ。
「なんだ? 誤報か? それなら良いが……とにかく一度現地に向かう。アルヴァ、アクア。人手不足の今、貴方達にはこれ以上倒れられては困る。警報の真偽を鳥で知らせるから、ここで待って―――」
「私は行きます!」
 いきなりアクアが声をあげた。
「なんか難しい役割は、アルヴァ一人で充分だもん。こんな所で休んでる訳にはいかないわ」
 リースがいるかもしれないから、という言葉は、領主の手前、飲み込んだようだ。
「アクア、さっき傷を塞いで貰ったばかりだろう。俺の方が回復している。大人しくしていろ」
「いや。行くの。傷は塞がってるんだから、関係無いわ」
 強い声できっぱり言い放たれると、何故か反論できない。
「ふ。元気なようで何よりだ。……戦力は多くて困るということはない。ふたりとも問題無いのであれば、同行願おう。ディアナはここで聖者を看ていなさい。それも、聖使の役目だ」
「それはそうだけど……」
「では決まりだな。例の小型を持って来てあるから、それで一気に現地へ飛ぶぞ。もし魔物が沸いていたら、今回ばかりは本当にソーマに頼る事になるかも知れない」
 サッと部屋を出る領主に、ついていく。ディアナの不服そうな視線がみおくっていた。彼女は領主の妹だろうが、教会の運営を預かる普通の聖使の筈だ。何故、咄嗟に現場へ行こうとしたのだろう――?


◇◇◇人に紛れる魔物の優しさ◇◇◇


 トントンと木槌の音が響いている。作業着の男達が、新しい砂を敷いた地面を綺麗に均していく。
 まるで建築前の整地のような作業風景だ。昨夜の激戦地の痕跡は微塵もない。
 魔物が砂になって崩れた跡も、魔女探し達の血痕も、すべて綺麗に無くなっていて、魔物だらけの沼地の近くだというのに、どこか清浄な風さえ吹いてくる。
 ――あの『二つ蛇の門』で黒い床に沈んでいった魔女探し達は、結局、メルド湖沼地帯に落とされた。
 死者は魔物の世界に取り込まれ、生き残りはそれと闘いながら、運が良ければ湖沼から出た砂地に辿り着く。
 リースにとっては、魔女に水鏡に映して見せられたに過ぎず、それが本当の事なのかは、わからなかった。
 だが、少なくともこの地理状況は、水鏡で見た風景と同じだ。
 湖沼の近くに血の臭いがする場所があれば、簡単に魔物が寄り付くようになるだろう。さらにそれを放置しておけば、下手に魔物の出現する範囲を増やし、湖沼そのものが浸食してくることもあるかもしれない。アーぺの人間がこうして丁寧な清掃対処をとるのは、おそらく、長年の経験から出て来た知恵だろう。

 しかし、いつまでも森のふちでそんな様子を眺めている訳にもいかない。
 修繕中の街の守護柵の間を通って街に入りたいところだが、今更無傷な魔女探しが湖沼方面から出現すれば、質問攻めに遭うだろう。入る時は大勢の魔女探しに紛れてきたから良かったが、人の目につくことは避けたい。
 森の中にまで伸びている守護柵は、やはり二重に張り巡らされていて、森の木々と同じくらいの高さがある。もう何年も魔物を通さなかった守護の聖者による防護柵。昨夜は魔物の圧倒的数によって、魔力というより物理的な要素で破られた部分が大きかったようだが――。
 そっと触れてみると、小さな静電気の音を立て、指先が痺れる。大きく破損した場所があって、守護魔法が緩んでいるのだろうか。以前触れてみた時は、バンと弾き返されるほどの衝撃を受けたものだ。
 ――痺れる程度のことなら、強行突破できなくもない。

 周囲の木を利用して、トンと軽く柵の上を越える。びっくりするほど簡単に、ひとつめの柵を越えた。ふたつめの柵にも、念のため少し触れてみて、やはり静電気程度の反発しかないのを確認する。こうなると、普通の飛翔型の魔物の侵入も簡単に許してしまう状況だ。破損が原因ではないのだろうか――。
 同じようにふたつめの柵を越えた瞬間、低い警報音がどこか近くから突然鳴り出した。
 しまった、と思ってみても、遅い。
 急いで警報の音源を探す。
 清掃作業をしていた街の住人達も、騒然となる。魔物の侵入を目視の範囲で確認できないのに警報が鳴ったのだ。左右をみてから森に目を向けるのは当然のことだろう。
 警報を探して止めるべきか、見つからないうちに街へ脱出するべきか、迷う。
「お~い、誰だよこんな所に処理土置いた奴。そりゃ警報も鳴るわ。気をつけろよ!」
 誰かがそんなことを叫んで、すぐに警報は止められた。
 勘違いしてくれたのか、本当にそちらが原因だったのか、よく分らないが、とにかく助かった。
 あとは人目につかないように街を通って、街道に出れば良い。

 中央都市フェリアに戻るには馬車か馬がないと日数がかかる旅になる。
 が、痕跡を残さないように移動するためには、その程度の徒歩旅はやらなくてはならない。さっさと旅支度を整えて、不審がられる前に立ち去らなくては。いかにも魔女探しですと言っているような旅装の外套を外し、リュディア教会の聖使服を少し着崩してみる。これで、一般の観光客に見えなくもないだろう。
 昨日の激戦があったせいか、来た時よりも大通りを行き交う人が少ない。
 人ごみに紛れて行動しようというのは思惑が外れたが、いまのところ不審の目を向けてくる地元民はいない。
「兄ちゃん、どこから来たんだ? その服格好いいな! この機能性鞄の方が、そんな革袋抱えてるより断然似合うぜ! おまけしとくから、買っていきなよ!」
 アーペ独特の軽い口調に声を掛けられて、少し張りつめていた気分が軽くなる。
「流石に、いい鞄を作っている。だが、リュディアだともう少し安いな」
「お、リュディアからか。商売の国だねぇ。大量生産・大量消費でそりゃ安いだろう。このアーペの品物はどこに持っていっても一目おかれる逸品だぜ。ひとつ持っておいて損はねぇぞ~」
「なかなか商売上手だな。この革袋を下取りして、一割引いてみないか」
「あはは! 参ったね。じゃあそれでいいよ。ここ使って中身替えていきな。流石リュディアの人だね。見習わなきゃな~!」
 流石に観光地だなと思いながら、旅装が見えないようにサッと中身を入れ替える。
 持ち物を変えるというのは、下手に知っている人間に見つかりにくくなって、良いかもしれない。
 満面の笑顔の鞄屋に見送られ、あらためて大通りをゆっくり歩く。
 長旅前の準備。
 いつもはアルヴァ達と一緒だったから食糧を買い込んでいたが、単身であれば、その必要はない。
 通りを行き交う人間から、少しずつ、魔力を貰う。
 人通りのない道を一人で今日距離歩くとなれば、道中力尽きる事の無いよう、多めに魔力を食べておく必要がある。

 往来の人々が、ひとりふたりと空を見上げて歓声をあげたのに、つられて目をあげる。
 昨日の朝、魔女探し達が使用した新しい飛行機械を使った人影が、上空をすべっていく。
 まだ、使っていないものがあったのか。
 どうやら街をあげて開発したもののようで、その成功を住民皆が喜んでいるようだ。
 自分は大型の機械に便乗したから、あの小型のことは詳しくは知らないが、きっと、その爽快感は大型よりも素晴らしいものだろう。
 街の上層から飛んで来たのは1つではなかった。続けてもう2つ、上空を通過する。
 と、最後のひとつが、いきなり姿勢を崩して蛇行し、こっちに軌道を向けた。
 操作を失敗したのか、このままだと、大通りに落ちる――。
「ち……っ」
 咄嗟に、ぱっと通り沿いの屋根に跳び乗った。
 あっというまに迫って来た小型めがけて跳躍し、幅の広い機体の上に辛うじて掴まっている人間を引き離す。機体を蹴って、一瞬で間近にあった建物の屋根の上に着地――したかったが、抱えた人間が抱きついてきて、ドッと背中を打った。
 衝撃に、息が止まる。

「馬鹿馬鹿ばかばかばかばかぁ! リース様のバカ――――!!」
 なんとそれはアクアだった。胸元を激しく叩かれて声がでない。拳が止まって咳き込むと、真っ赤な顔をしたアクアの強いまなざしがおちてくる。そしてそのまま、がっしりと顔を掴まれた。
 ――右目が。
 そんなにはっきりと明るい所で瞳を見られたら、伸ばした前髪でごまかしていた魔物の目の色がよく見える筈だ。一瞬焦ったが、もう彼女には魔物だとバレているのを思い出して、今度は困惑する。
 魔物だという事実を確認したかったのか?
「アクア、俺は……」
「あのね、リース様。私、最初から知ってたの。沢山の魔物に追われてた私を、助けてくれた時。リース様の赤い瞳が、他の魔物を追い返してくれた」
 強い言葉がおちてくる。
 戸惑うリースに、遠慮なく馬乗りになったままのアクアは、少しだけ笑顔をみせた。
「……私は、私を魔物だと思ってた。仲間を殺してまで魔女のもとに辿り着こうとしたんだもの。だから、リース様が魔物だなって思ったとき、嬉しかった。……私だけじゃないんだなって」
「……アクア……記憶が……」
「あるよ。全部、覚えてる。私は仲間殺しで、嘘つきの、酷い魔物。でも、ずっと一緒にいて思ったの。リース様は、とっても優しい……人間だって」
「……優しくなどはない」
「でも、私をこうしてまた、助けてくれた。頭で考える時よりも、咄嗟の時の方が、本性が出るでしょ」
 アクアのひんやり冷えた掌に頬を包まれた。
 どうしたらいいのかわからないが、とにかくその手を掴み、起き上がる。
 自分は、人間だ。
 ――そう言い聞かせていないと、この姿は失われてしまう。
 だから自分では何度もそう言い続けてきたのに、正体を知られたうえで人から言われてみると、不思議な感じがする。
「それにしてもどうして俺を追いかけるんだ。折角あの湖沼地帯から生還したのに、またこんな所にきて、危険な真似まで……」
「好きですって、何度も言ってるじゃないですかっ!」
 怒ったように叫ばれて、ぽかんとする。
 理解が、できない。
 ただアクアの目に溢れた涙に、迸るような生命力を感じて、身動きが取れない。
 ――下手に動いたら、彼女の溢れるような魔力を、食べてしまいそうだ。

「リース!」
 大きな影がさして、風が吹き抜ける。
 小型の飛行機械が正しくふわりと屋根に降りた。そういえば蹴り落とした方は、被害を出さなかっただろうか、と、おもわず思考が現実逃避しようとする。
「……アルヴァ……」
 逃げたいのに、身体が動かない。
「捕まえましたよ。もう、逃がしませんからね」
 アクアの手を掴んでいた手を、掴まれる。
 それだけなのに、振り払えない。
「いや。物凄く逃げたいんだが、見逃してくれないか」
「「駄目です」」
 綺麗に息の揃った連携攻撃だ。
 ふたりの強い眼差しから逃れるように、空をあおいだ。――よく晴れた空は、流れる雲の形が、美しい。
「……正体なんて、なんでもいい。貴方の信頼は、貴方自信が築いてきたものだ。それを投げ出すなんて、貴方が育てた俺が、許しません」
 アルヴァの綺麗な金髪が、涼しい風に揺れる。その青い眼差しは、晴れた空より、眩しい。
 12歳で既にリュディア王国の退魔師だったアルヴァは、当時の王位継承の闘争で姉を亡くした。彼女からアルヴァを護衛するよう頼まれていたのもあり、同じ教会の退魔師として、行動を共にするようになった。怒涛のような日々だったが、気付けばもう10年。子供が大人になるのは、あたりまえか。
「――そんな熱血に育てた覚えは、ないのだがな」


◇◇◇リースの正体◇◇◇


 警報音は、倒した魔物の砂を柵の近くに置いた事で鳴った。現地の清掃担当者からはそう報告があった。
 倒した魔物の砂も、そこで流された人間の血も、新たな魔物を呼び寄せる傾向がある。昨日の湖沼地帯に接した砂地の戦場跡は綺麗に片付けられ、魔物が沸くような予兆も無いようだ。これで、柵を修繕する猶予ができた。修繕と一緒に、魔除けの鉱石を聖者の守護に沿って配置もできるだろう。
 聖者が倒れ、聖使達が忙しく働いている教会宿舎を借りるのは遠慮した。
 領主アンゼリカの厚意で、領主の館に泊まる事になった。
 中央都市の協会へ連絡鳥も飛ばさなくてはならないし、資料を預かるだけではなく、説明するために内容を理解することも必要だ。

 個々にあてられた部屋に落ち着いて早々、慌ただしく扉を叩いて、リースが入ってきた。
「アルヴァ、少し、ここにいていいか」
「……アクアに、惨敗ですか。悪いのは貴方ですよ」
 ――散々心配させておいて、リースは平然とアーペの街中を歩いていた。
 しかも話を聞けば、偵察の魔女探し達に混じってディールの丘に行って帰って来たというのだから、アクアが心配と安堵で怒ったのもわかる。彼女が感情を爆発させて怒らなければ、自分が怒っていたところだ。
 はぁ、と息をついて、部屋の長椅子に腰をおろしたリースをみていると、なんとなく、安心する。
 ――逃げられた時は、どうなるかと思ったが、こうしてまた、同じ空間にいる。
 掴まえた時には、もう逃がさないという思いしかなかった。
 が、こうして何気なく二人きりになってみると、改めて何を喋れば良いのか、わからない。
「……丁度、連絡鳥で飛ばす報告書ができた所です。一度目を通しておいて下さい」
 リースは小さく頷いて短く纏められた文書に目を通し、ふと、机上にひろがった資料のひとつを手に取る。
「これは……中央教会の聖女の文字だな」
「はい、創世記の写しだといって、頂いたんです。貴方が逃げた後の事でしたね。いわゆる禁書の一部ですし、何かの役に立つかも知れません」
 丁寧な聖女の文字に目を落としたリースが、黙ったまま、そっと目を擦る。
 疲れているのだろうか。
 その小さな沈黙が、どうしてか――重い。
「……リース、というのは、『借りて返さなければいけないもの』という意味なんだ」
 リースの低い声に、急に緊張させられる。
「俺の本当の名は、思い出せない。だがこの『月』を、俺は知っている。俺は[[rb:宇宙 > そら]]で死んだ筈だった。なのに気付いたら魔物としてこの地上を彷徨っていて……そんな俺を見つけ出した『あの人』に人の姿を創って貰った。……すまん。何、言ってるのか、わからないよな。聞き流してくれ……」
「……貴方から話してくれるのを、待っていました。何をどんなに質問しても、昔から自分の事は何も教えてくれなかった。俺の事は小さい頃からみていて、何でもわかっているのに。俺が、不公平を感じていないとでも思っていましたか。それとも、何とも思っていませんでしたか。……俺は、もう小さな子供じゃない。全部教えて欲しいなんて言いません。でも、わかっていれば、俺にも貴方を助けられることがあるかも知れない。……少なくとも、今は、一緒にその『人』を探すことが出来る」
 じわじわと怒りがこみあげてきた。
 既にアクアが怒ってくれていたから、自分は怒る必要は無いと思っていたのだが、感情は、そうはいかないらしい。
少し驚いた顔をあげたリースの、右目が、赤く揺れる。
 それが、ふわりと笑んだ。
「……それは失礼した。俺は、恐らく魔女に力を与えた『あの人』を探している。……魔物の身体から、人の身体になるためだ」
 それから、と言葉を継ぐリースから、目が離せない。
 ――こんな弱ったような表情は、はじめて見る。
「昨日は魔女にも訊ねてみた。『あの人』が何処にいるのか。……彼女にも、現在の行方は分からなかった。しかしフェリア中央教会の聖女の力が、俺のこの状況から人の身になる可能性を秘めている、と言っていた。先日はあやうく、消されそうになったものだが」
「――魔女に――」
 とんでもない発言に、言葉を失った。
 それを黙っていたから、そんなに弱々しい貌をしているのか。
 まるで、悪い事を隠していた、子供のようだ。
「……フェリアに戻ったら、素直に『光明の聖女』様に相談しましょう。彼女も突然力を使ってしまった事を、申し訳ないと言っていました。魔女にも、理解がある方です。――もっと、まわりを頼って下さい。リース」
 リースは、くしゃ、と唐突に頭を撫でてきた。
 もう子供ではないのに――こんな風に触れられたのは、いつ以来だろうか。
「……俺はお前から、魔物として、生命力を一方的に奪って逃げたんだぞ。怖くないのか?」
 予想もしていなかった言葉が、小さくおちてくる。
 そんなことは、すっかり忘れていた。
「『光明の聖女』様に消されそうになって力を取り戻す為だったというのは、理解しています。ずっと一緒にいたのに、今更、俺が貴方を怖がる訳も無いでしょう?」
 そっと金髪を撫でてくるリースの手は、いつもの籠手で、硬い。
 この素手が魔物として今まで魔物と戦ってきたことを思うと、なんだか、不思議だ。
「それにしてもリースはいいですね。魔女に会えて。俺は全然会えてないですよ? 例の本屋に連れて行って頂ければ、セトさんには会えた筈ですよね」
 おもわずこぼした愚痴に、リースが驚いたような顔になったのが、おかしい。
「……わかっていますよ。今、俺が会っても、どうしようもない。話をしようにも俺には彼女の何かを変えるような材料は揃っていない。……俺の、我侭です」
「……何か、少し変わったな。アルヴァ」
「貴方のせいです。今後も思った事は容赦無く言わせて頂きますので、覚悟して下さい」
「本当に……こんな熱血に育てた覚えは、ないのだがな……」
 


 領主の招きで同席させて貰った素朴な夕食の場でも、領主アンゼリカの情熱的な話題の種は、飛行技術と街の防衛に使う鉱石の加工についてだ。
 飛行技術の発想は昔からあったが、ソーマの助言で加速度的に完成に至ったこと。
 鉱石の加工者である聖別師は今は少数だが、育成に力を入れれば問題無く増やせること。
 魔法使いであれば、物体に魔法効果を付与する『聖別』は、難しいものではない。難しいのは、原石を磨いて均一な輝きを持たせる、加工技術だ。
 黒い鉱石、オニキス。加工せずとも自然の魔除けの恵みを与えるこの鉱石に、『聖別』の魔法付与を載せた魔除けは、実際、長年に渡って魔物の脅威から、このアーペの街の住人を護ってきた。その洗練された高級品は、実際、この城主の屋敷にも要所に配備されている。歴代の領主の、采配によるものだろう。
 黒は、夜の闇の色だ。その色が魔を祓うというのも、不思議な感じがする。

 そう思いながら、アルヴァは急に重要なことを思い出した。
 警報やリースの件で、領主に言いそびれてしまっている事が、ひとつ残っている。
「アンゼリカさん、この街に白い髪の男性はいますか?」
 いきなりの話に、領主は首を傾けた。
 リースも何の話が始まったのかと目をあげる。
「さあ……少なくとも領民にはいないな。どうした、突然」
「あ! そうだ、吸血鬼を昼間に起こして教会にけしかけた黒幕。すっかり忘れてた!」
 アクアも同じように忘れていたようだ。日中あまりに多くの事があったのだから、無理もない。
「なんだって? 吸血鬼の襲撃は、偶然ではなかったのか」
 領主の様相が、一気に険しくなる。
 言いそびれてしまっていた事を急いで詫びて、言葉を継ぐ。
「ソーマが吸血鬼を捕らえてくれたことで、大人しくなった所を聞き出したんです。白い髪の男だという事以外はわかりませんでしたが……。そんなに目立つ髪色なら、すぐに気付きそうなものですが、何か他の事を暗喩している可能性もないかと……」
 そのソーマは、いまだに診療所でノーリと一緒に働いている。
 連れてくればよかった。
「いや、暗喩、か……。ちょっと思い当たる事は無いな。侵入する時に髪を染めたのではないかな」
 確かにそう考えるのが自然だ。
 けれど何かが、ひっかかる。
 リースがいつのまにか新調していた鞄の中から、紙資料をひとつ取り出した。
「アルヴァ。確かこのフェイゼル=アーカイルの別記の中に、そんな人間が出て来た筈だ」
 ――亡霊であるフェイゼルが白い髪をしている所までは、思い出していた。しかし、その記述の中に、同じような髪の話があっただろうか。リースが差し出した紙をひろげて、亡霊の文章をあらためる。

――――――――――――――――――――――――――――
 魔女の住まいは、まさしくディールの丘――今はメルド湖沼地帯と呼ばれている所にある。
 歩いて入れば、何処までも続く沼地と魔物の出現。
 しかし、彼女の大蛇に乗って入ったそこは、水気の全く無い、もとのディールの丘だった。
 私は、暫くそこで彼女と会話をした。
 太古の歴史について、彼女は良い聞き手だった。
 そこで王子の弟もみつけた。
 顔も覚えていなかったが、王家独特の白い髪と名前で彼とわかった。
 彼は、魔女の忠実な奴隷になっていた。私が声をかけると、彼は私を外へ持ち出した。
 そのまま人々の手を転々として、現在に至る。
 私は記録者。介入することはしない。
 彼女の物語は、終わってはじめて、完成する。
――――――――――――――――――――――――――――

 ――最後のくだりの部分だ。
「例の、魔女の手下か!」
 魔女探しになりすまし、一行を破滅へ導く、という協会創立者からの情報。ということは、戻って来た魔女探し達の中に、そいつが紛れていたということか。そして吸血鬼がソーマの家に放置された隙を突いた――
 しかしそれなら、今現在、どこにいるのだろう?
 領主も身を乗り出して、亡霊の書いた文章をみつめた。
「アーカイル王家は、白髪だったのか。王族を奴隷にするとはな」
「魔女探し達に紛れて、破滅に導く魔女の手下……ってことは、そいつの仕事は、もう済んじゃったんじゃないの? 生き残った偵察隊は全滅だもの。あ、リース様は特別で!」
 ――確かに、昼間の吸血鬼の襲撃が片付いてからは何事も起きていない。警報の誤報に翻弄された程度だ。
 領主には言えないが、それもリースのせいだった。
「――少し、楽観すぎるかも知れないが、今夜何事も無ければ、魔女と同様にそのディールの丘に帰っていったと考えるのが妥当だろう。偵察の魔女探しは壊滅した。協会に及ぼす衝撃としては充分の筈だ」
 リースにも、心当たりはないらしい。
 しかし、連絡鳥で協会に通達すべき重要案件だ。特に協会創立者クレイ=ファーガスは、白髪の魔女の手下の情報を求めていると聞いている。この情報と一緒に販路の話を持っていくことは、かなり創立者の判断力に影響しそうだ。



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「――想像してみたことが無かった訳ではないが、聖者が襲撃されるとは……」
 泣きはらしたディアナが、寝台のふちで目を擦る。
「……聖者様ひとりに、頼り過ぎてたのよ。だから、こんな……」
「重要人物が狙われるのは当然のこと。問題はそういった事態に対応できる備えが無かった点だ。守護結界を構築する役割を分散化させるか……。しかし、車軸の分散となると……」
「お姉ちゃん、機巧の話じゃないのよ!」
 領主に向かって、ディアナが大きな声をあげた。
「お姉ちゃん?」
 アクアが二人を見比べる。
 アルヴァとアクアは、領主に事の顛末を報告すべく、聖者の見舞いについてきていた。
 男勝りの美人領主と、ふんわりとした優しげな聖使。似ているのは焦げ茶色の髪ぐらいだ。
「す、すまんディアナ。勿論私もバルドが目を覚ましてくれることを祈っているよ。しかし、今バルドが助かったとしても、将来的な事も考えないと……」
 ぐす、と、もう一度目を擦ったディアナが、小さく息をつく。
「いいよ。お姉ちゃんは、領主様だもんね。そういうのの、責任があるんだもんね。でもね、人を機巧に例えて考えるのは、やめて」
「……そうだな、肝に銘じるよ」
 領主は小さく笑んで、彼女の頭をポンと撫でた。
 アルヴァは突然始まった姉妹の会話の様子をみながら、そっと口をひらく。
「『守護の聖者』が街を守ってから、長年その守護は破られていないと聞いています。今回柵が破られたのは、初めてでしょうか?」
「ああ。そこに、この襲撃だ。私達が聖者に依存し過ぎていた」
 領主アンゼリカは、きゅ、と目を瞑った。
「えっと……ところで、『守護の聖者』様が街を守る前は、どうしてたんですか?」
 そうアクアが零した素朴な疑問は、アルヴァも感じていた。
 各協会の聖者や聖女は、特殊な能力を持つ人間が就く事が多い。メルド湖沼地帯は300年程存在しているが、このアーペの教会の代表者が『守護の聖者』であることは、継承されているようなものなのだろうか?――そもそも、その特殊な能力というのは継承できるものなのだろうか。
「バルドが『守護の聖者』として結界を構築する以前は、街の人間は魔除けの鉱石を必ず持ち歩いていた。原石よりも、聖別師が磨き上げた宝石のほうが効果が高い。私の先代は、それを技術の街としての特産品にしていたな。今では生活必需品というより、土産物として生産しているが」
「あ! 今リュディアで流行ってる魔除けですね! 古本屋さんで、アーペが発祥だって読みました。首飾りが多いですけど、指輪も素敵ですよね。私も可愛いの欲しかったんだけど、ちゃんと魔法効果が乗ってるのは、結構お値段がするんですよね~」
「ほう、リュディアではそう出回っているのか。必需品だった頃は魔法効果のあるものにしか価値が無かったのだが……」
「そっか、街を守る守護魔法がないのに、発動しない魔除けなんて意味ないですよね!」
 爽やかに安物を非難するアクアに、領主も頷く。
 つまり、『守護の聖者』の能力は、継承されてきたものではない、ということだろう。
 将来的な街の守護については、昔から魔除けを使ってきたような対策を取るしかない。
「街のまわりをかためている守護魔法はまだ機能しているが、修繕や補強は間に合っていない。退魔師も手負いだらけだ。昨夜のような規模で魔物が押し寄せてきたら、かなり厳しい状況にある。……昔使っていた魔除けを、あるだけ集めるしかないな……」
「聖者様の結界の構築方法に倣って魔除けを展開すると効果的では?」
「それは良い案だ。聖者の特殊能力を、恒久的なものにできるかも知れない。――――ゴホン。アルヴァは、設計士の才能がありそうだな」
 領主の目がぱっと輝いたが、小さく睨みつける妹に気付いて、あわてて少し話を逸らした。
「それに、吸血鬼退治屋のソーマ。もし今魔物がまた大量発生したら、彼にも参戦して貰えば助かる筈です。昨夜は俺がお世話になってしまっていましたが……」
「そうだな。しかし、ソーマは元々この街の住人ではない。聖者に頼ってしまったように、彼に魔物退治を任せ切りにする訳にもいかない。それに、強すぎる退魔師がいると、若手が育たたんのだ」
「遠くから来たというのは聞いていますが、ソーマはどこの出身なんですか?」
「太陽の昇る国だとか何とか言っていたが……東は湖沼地帯しかない。きちんと話を聞こうにも、あの調子ではぐらかされてな……」
「「ああ……」」
 おもわず納得した声が、アクアと被った。
 地平線の向こうから来たと言っていたのと、同じような話だろう。最強の魔物を一瞬で手懐けるような人間だ。嘘がないとしても、おそらく、話すつもりの無い事も多そうだ。
 ――そういえば、聖者は魔女探し達が湖沼に入る際に、あの砂地の辺りに街の退魔師を多めに手配しておく、という措置を取っていた。
「……領主様、普段よりも魔物が多く出現する一定の条件があるんですか?」
「魔女探し達が湖沼地帯に入ると、人数が多いほど魔物がこちら側に溢れてくる事が多い。満身創痍の魔女探し達を追うようにして。私達もそれに備えているんだが、今回は規模が大きすぎたな」
 そういうことは、聞いた事が無い。
 メルド湖沼地帯と共に生きている地元民にとっては、当たり前のように対応してきたのかも知れないが――。
「……そうなると、魔女探しがこの街に相当な迷惑をかけている。無計画に入らない為にも、協会へ共有させて頂きます」
「ああ。魔女探し達には何度も話しているんだが、なかなか彼らの間で周知されなくて、半ば諦めていたんだ。そこは協会の情報共有網に期待している。よろしく言っておいてくれ」
 街の守護が揺らいでいるなかで、これ以上の迷惑をかける訳にはいかない。
「それにしても、アルヴァは真面目だな。このオジサンにも、見習って欲しいものだ」
 アンゼリカは、少し寂しげに笑んだ。
 淡々と話してはいるが、やはり心配なのだろう。
 このまま予測通り魔物の出現もなく、怪我人が回復し、聖者の目が開いてくれれば、あとは領主から資料を預かって協会の代表者のもとへ向かう事になる。
 魔女の力の源の調査は、最強の吸血鬼からの情報以上に、これ以上探れるとは思えない。
 気掛かりな事はまだまだある。
 吸血鬼を目覚めさせた、白い髪の男の存在。
 それとなく退魔師達に訊いてみたが、誰も、そういう人間を見ていない。吸血鬼を放った犯人が近くにいるかも知れないという不確定な情報をばらまくのは、控えた。自分達が吸血鬼から犯人の存在を掴んでいるというのがひろまれば、逃げられる可能性がある。だが現状の主導者である領主には、正しく伝えておくべきだ。ディアナが同席していたから遠慮していたが、彼女がただの聖使ではなく領主の妹なら、この場で遠慮する必要はない。
「アンゼリカさん、実は――」
 話を切り出すのと同時に、街の方から、低く長い音が響いてきた。
 昨夜同じ、警報。
 さっと領主がきびしい貌で窓をあけた。
 聞き間違いではない。
「どうやら魔物も夜を待ち切れないらしい。守護が弱体化したことをわかっているのか……」
「お姉ちゃん、私も――」
 ディアナが椅子を立ったところで、唐突に警報音が止んだ。
 それはそれで、首を傾げる。昨日の激戦の時には、ずっと鳴りっぱなしだった筈だ。
「なんだ? 誤報か? それなら良いが……とにかく一度現地に向かう。アルヴァ、アクア。人手不足の今、貴方達にはこれ以上倒れられては困る。警報の真偽を鳥で知らせるから、ここで待って―――」
「私は行きます!」
 いきなりアクアが声をあげた。
「なんか難しい役割は、アルヴァ一人で充分だもん。こんな所で休んでる訳にはいかないわ」
 リースがいるかもしれないから、という言葉は、領主の手前、飲み込んだようだ。
「アクア、さっき傷を塞いで貰ったばかりだろう。俺の方が回復している。大人しくしていろ」
「いや。行くの。傷は塞がってるんだから、関係無いわ」
 強い声できっぱり言い放たれると、何故か反論できない。
「ふ。元気なようで何よりだ。……戦力は多くて困るということはない。ふたりとも問題無いのであれば、同行願おう。ディアナはここで聖者を看ていなさい。それも、聖使の役目だ」
「それはそうだけど……」
「では決まりだな。例の小型を持って来てあるから、それで一気に現地へ飛ぶぞ。もし魔物が沸いていたら、今回ばかりは本当にソーマに頼る事になるかも知れない」
 サッと部屋を出る領主に、ついていく。ディアナの不服そうな視線がみおくっていた。彼女は領主の妹だろうが、教会の運営を預かる普通の聖使の筈だ。何故、咄嗟に現場へ行こうとしたのだろう――?
◇◇◇人に紛れる魔物の優しさ◇◇◇
 トントンと木槌の音が響いている。作業着の男達が、新しい砂を敷いた地面を綺麗に均していく。
 まるで建築前の整地のような作業風景だ。昨夜の激戦地の痕跡は微塵もない。
 魔物が砂になって崩れた跡も、魔女探し達の血痕も、すべて綺麗に無くなっていて、魔物だらけの沼地の近くだというのに、どこか清浄な風さえ吹いてくる。
 ――あの『二つ蛇の門』で黒い床に沈んでいった魔女探し達は、結局、メルド湖沼地帯に落とされた。
 死者は魔物の世界に取り込まれ、生き残りはそれと闘いながら、運が良ければ湖沼から出た砂地に辿り着く。
 リースにとっては、魔女に水鏡に映して見せられたに過ぎず、それが本当の事なのかは、わからなかった。
 だが、少なくともこの地理状況は、水鏡で見た風景と同じだ。
 湖沼の近くに血の臭いがする場所があれば、簡単に魔物が寄り付くようになるだろう。さらにそれを放置しておけば、下手に魔物の出現する範囲を増やし、湖沼そのものが浸食してくることもあるかもしれない。アーぺの人間がこうして丁寧な清掃対処をとるのは、おそらく、長年の経験から出て来た知恵だろう。
 しかし、いつまでも森のふちでそんな様子を眺めている訳にもいかない。
 修繕中の街の守護柵の間を通って街に入りたいところだが、今更無傷な魔女探しが湖沼方面から出現すれば、質問攻めに遭うだろう。入る時は大勢の魔女探しに紛れてきたから良かったが、人の目につくことは避けたい。
 森の中にまで伸びている守護柵は、やはり二重に張り巡らされていて、森の木々と同じくらいの高さがある。もう何年も魔物を通さなかった守護の聖者による防護柵。昨夜は魔物の圧倒的数によって、魔力というより物理的な要素で破られた部分が大きかったようだが――。
 そっと触れてみると、小さな静電気の音を立て、指先が痺れる。大きく破損した場所があって、守護魔法が緩んでいるのだろうか。以前触れてみた時は、バンと弾き返されるほどの衝撃を受けたものだ。
 ――痺れる程度のことなら、強行突破できなくもない。
 周囲の木を利用して、トンと軽く柵の上を越える。びっくりするほど簡単に、ひとつめの柵を越えた。ふたつめの柵にも、念のため少し触れてみて、やはり静電気程度の反発しかないのを確認する。こうなると、普通の飛翔型の魔物の侵入も簡単に許してしまう状況だ。破損が原因ではないのだろうか――。
 同じようにふたつめの柵を越えた瞬間、低い警報音がどこか近くから突然鳴り出した。
 しまった、と思ってみても、遅い。
 急いで警報の音源を探す。
 清掃作業をしていた街の住人達も、騒然となる。魔物の侵入を目視の範囲で確認できないのに警報が鳴ったのだ。左右をみてから森に目を向けるのは当然のことだろう。
 警報を探して止めるべきか、見つからないうちに街へ脱出するべきか、迷う。
「お~い、誰だよこんな所に処理土置いた奴。そりゃ警報も鳴るわ。気をつけろよ!」
 誰かがそんなことを叫んで、すぐに警報は止められた。
 勘違いしてくれたのか、本当にそちらが原因だったのか、よく分らないが、とにかく助かった。
 あとは人目につかないように街を通って、街道に出れば良い。
 中央都市フェリアに戻るには馬車か馬がないと日数がかかる旅になる。
 が、痕跡を残さないように移動するためには、その程度の徒歩旅はやらなくてはならない。さっさと旅支度を整えて、不審がられる前に立ち去らなくては。いかにも魔女探しですと言っているような旅装の外套を外し、リュディア教会の聖使服を少し着崩してみる。これで、一般の観光客に見えなくもないだろう。
 昨日の激戦があったせいか、来た時よりも大通りを行き交う人が少ない。
 人ごみに紛れて行動しようというのは思惑が外れたが、いまのところ不審の目を向けてくる地元民はいない。
「兄ちゃん、どこから来たんだ? その服格好いいな! この機能性鞄の方が、そんな革袋抱えてるより断然似合うぜ! おまけしとくから、買っていきなよ!」
 アーペ独特の軽い口調に声を掛けられて、少し張りつめていた気分が軽くなる。
「流石に、いい鞄を作っている。だが、リュディアだともう少し安いな」
「お、リュディアからか。商売の国だねぇ。大量生産・大量消費でそりゃ安いだろう。このアーペの品物はどこに持っていっても一目おかれる逸品だぜ。ひとつ持っておいて損はねぇぞ~」
「なかなか商売上手だな。この革袋を下取りして、一割引いてみないか」
「あはは! 参ったね。じゃあそれでいいよ。ここ使って中身替えていきな。流石リュディアの人だね。見習わなきゃな~!」
 流石に観光地だなと思いながら、旅装が見えないようにサッと中身を入れ替える。
 持ち物を変えるというのは、下手に知っている人間に見つかりにくくなって、良いかもしれない。
 満面の笑顔の鞄屋に見送られ、あらためて大通りをゆっくり歩く。
 長旅前の準備。
 いつもはアルヴァ達と一緒だったから食糧を買い込んでいたが、単身であれば、その必要はない。
 通りを行き交う人間から、少しずつ、魔力を貰う。
 人通りのない道を一人で今日距離歩くとなれば、道中力尽きる事の無いよう、多めに魔力を食べておく必要がある。
 往来の人々が、ひとりふたりと空を見上げて歓声をあげたのに、つられて目をあげる。
 昨日の朝、魔女探し達が使用した新しい飛行機械を使った人影が、上空をすべっていく。
 まだ、使っていないものがあったのか。
 どうやら街をあげて開発したもののようで、その成功を住民皆が喜んでいるようだ。
 自分は大型の機械に便乗したから、あの小型のことは詳しくは知らないが、きっと、その爽快感は大型よりも素晴らしいものだろう。
 街の上層から飛んで来たのは1つではなかった。続けてもう2つ、上空を通過する。
 と、最後のひとつが、いきなり姿勢を崩して蛇行し、こっちに軌道を向けた。
 操作を失敗したのか、このままだと、大通りに落ちる――。
「ち……っ」
 咄嗟に、ぱっと通り沿いの屋根に跳び乗った。
 あっというまに迫って来た小型めがけて跳躍し、幅の広い機体の上に辛うじて掴まっている人間を引き離す。機体を蹴って、一瞬で間近にあった建物の屋根の上に着地――したかったが、抱えた人間が抱きついてきて、ドッと背中を打った。
 衝撃に、息が止まる。
「馬鹿馬鹿ばかばかばかばかぁ! リース様のバカ――――!!」
 なんとそれはアクアだった。胸元を激しく叩かれて声がでない。拳が止まって咳き込むと、真っ赤な顔をしたアクアの強いまなざしがおちてくる。そしてそのまま、がっしりと顔を掴まれた。
 ――右目が。
 そんなにはっきりと明るい所で瞳を見られたら、伸ばした前髪でごまかしていた魔物の目の色がよく見える筈だ。一瞬焦ったが、もう彼女には魔物だとバレているのを思い出して、今度は困惑する。
 魔物だという事実を確認したかったのか?
「アクア、俺は……」
「あのね、リース様。私、最初から知ってたの。沢山の魔物に追われてた私を、助けてくれた時。リース様の赤い瞳が、他の魔物を追い返してくれた」
 強い言葉がおちてくる。
 戸惑うリースに、遠慮なく馬乗りになったままのアクアは、少しだけ笑顔をみせた。
「……私は、私を魔物だと思ってた。仲間を殺してまで魔女のもとに辿り着こうとしたんだもの。だから、リース様が魔物だなって思ったとき、嬉しかった。……私だけじゃないんだなって」
「……アクア……記憶が……」
「あるよ。全部、覚えてる。私は仲間殺しで、嘘つきの、酷い魔物。でも、ずっと一緒にいて思ったの。リース様は、とっても優しい……人間だって」
「……優しくなどはない」
「でも、私をこうしてまた、助けてくれた。頭で考える時よりも、咄嗟の時の方が、本性が出るでしょ」
 アクアのひんやり冷えた掌に頬を包まれた。
 どうしたらいいのかわからないが、とにかくその手を掴み、起き上がる。
 自分は、人間だ。
 ――そう言い聞かせていないと、この姿は失われてしまう。
 だから自分では何度もそう言い続けてきたのに、正体を知られたうえで人から言われてみると、不思議な感じがする。
「それにしてもどうして俺を追いかけるんだ。折角あの湖沼地帯から生還したのに、またこんな所にきて、危険な真似まで……」
「好きですって、何度も言ってるじゃないですかっ!」
 怒ったように叫ばれて、ぽかんとする。
 理解が、できない。
 ただアクアの目に溢れた涙に、迸るような生命力を感じて、身動きが取れない。
 ――下手に動いたら、彼女の溢れるような魔力を、食べてしまいそうだ。
「リース!」
 大きな影がさして、風が吹き抜ける。
 小型の飛行機械が正しくふわりと屋根に降りた。そういえば蹴り落とした方は、被害を出さなかっただろうか、と、おもわず思考が現実逃避しようとする。
「……アルヴァ……」
 逃げたいのに、身体が動かない。
「捕まえましたよ。もう、逃がしませんからね」
 アクアの手を掴んでいた手を、掴まれる。
 それだけなのに、振り払えない。
「いや。物凄く逃げたいんだが、見逃してくれないか」
「「駄目です」」
 綺麗に息の揃った連携攻撃だ。
 ふたりの強い眼差しから逃れるように、空をあおいだ。――よく晴れた空は、流れる雲の形が、美しい。
「……正体なんて、なんでもいい。貴方の信頼は、貴方自信が築いてきたものだ。それを投げ出すなんて、貴方が育てた俺が、許しません」
 アルヴァの綺麗な金髪が、涼しい風に揺れる。その青い眼差しは、晴れた空より、眩しい。
 12歳で既にリュディア王国の退魔師だったアルヴァは、当時の王位継承の闘争で姉を亡くした。彼女からアルヴァを護衛するよう頼まれていたのもあり、同じ教会の退魔師として、行動を共にするようになった。怒涛のような日々だったが、気付けばもう10年。子供が大人になるのは、あたりまえか。
「――そんな熱血に育てた覚えは、ないのだがな」
◇◇◇リースの正体◇◇◇
 警報音は、倒した魔物の砂を柵の近くに置いた事で鳴った。現地の清掃担当者からはそう報告があった。
 倒した魔物の砂も、そこで流された人間の血も、新たな魔物を呼び寄せる傾向がある。昨日の湖沼地帯に接した砂地の戦場跡は綺麗に片付けられ、魔物が沸くような予兆も無いようだ。これで、柵を修繕する猶予ができた。修繕と一緒に、魔除けの鉱石を聖者の守護に沿って配置もできるだろう。
 聖者が倒れ、聖使達が忙しく働いている教会宿舎を借りるのは遠慮した。
 領主アンゼリカの厚意で、領主の館に泊まる事になった。
 中央都市の協会へ連絡鳥も飛ばさなくてはならないし、資料を預かるだけではなく、説明するために内容を理解することも必要だ。
 個々にあてられた部屋に落ち着いて早々、慌ただしく扉を叩いて、リースが入ってきた。
「アルヴァ、少し、ここにいていいか」
「……アクアに、惨敗ですか。悪いのは貴方ですよ」
 ――散々心配させておいて、リースは平然とアーペの街中を歩いていた。
 しかも話を聞けば、偵察の魔女探し達に混じってディールの丘に行って帰って来たというのだから、アクアが心配と安堵で怒ったのもわかる。彼女が感情を爆発させて怒らなければ、自分が怒っていたところだ。
 はぁ、と息をついて、部屋の長椅子に腰をおろしたリースをみていると、なんとなく、安心する。
 ――逃げられた時は、どうなるかと思ったが、こうしてまた、同じ空間にいる。
 掴まえた時には、もう逃がさないという思いしかなかった。
 が、こうして何気なく二人きりになってみると、改めて何を喋れば良いのか、わからない。
「……丁度、連絡鳥で飛ばす報告書ができた所です。一度目を通しておいて下さい」
 リースは小さく頷いて短く纏められた文書に目を通し、ふと、机上にひろがった資料のひとつを手に取る。
「これは……中央教会の聖女の文字だな」
「はい、創世記の写しだといって、頂いたんです。貴方が逃げた後の事でしたね。いわゆる禁書の一部ですし、何かの役に立つかも知れません」
 丁寧な聖女の文字に目を落としたリースが、黙ったまま、そっと目を擦る。
 疲れているのだろうか。
 その小さな沈黙が、どうしてか――重い。
「……リース、というのは、『借りて返さなければいけないもの』という意味なんだ」
 リースの低い声に、急に緊張させられる。
「俺の本当の名は、思い出せない。だがこの『月』を、俺は知っている。俺は[[rb:宇宙 > そら]]で死んだ筈だった。なのに気付いたら魔物としてこの地上を彷徨っていて……そんな俺を見つけ出した『あの人』に人の姿を創って貰った。……すまん。何、言ってるのか、わからないよな。聞き流してくれ……」
「……貴方から話してくれるのを、待っていました。何をどんなに質問しても、昔から自分の事は何も教えてくれなかった。俺の事は小さい頃からみていて、何でもわかっているのに。俺が、不公平を感じていないとでも思っていましたか。それとも、何とも思っていませんでしたか。……俺は、もう小さな子供じゃない。全部教えて欲しいなんて言いません。でも、わかっていれば、俺にも貴方を助けられることがあるかも知れない。……少なくとも、今は、一緒にその『人』を探すことが出来る」
 じわじわと怒りがこみあげてきた。
 既にアクアが怒ってくれていたから、自分は怒る必要は無いと思っていたのだが、感情は、そうはいかないらしい。
少し驚いた顔をあげたリースの、右目が、赤く揺れる。
 それが、ふわりと笑んだ。
「……それは失礼した。俺は、恐らく魔女に力を与えた『あの人』を探している。……魔物の身体から、人の身体になるためだ」
 それから、と言葉を継ぐリースから、目が離せない。
 ――こんな弱ったような表情は、はじめて見る。
「昨日は魔女にも訊ねてみた。『あの人』が何処にいるのか。……彼女にも、現在の行方は分からなかった。しかしフェリア中央教会の聖女の力が、俺のこの状況から人の身になる可能性を秘めている、と言っていた。先日はあやうく、消されそうになったものだが」
「――魔女に――」
 とんでもない発言に、言葉を失った。
 それを黙っていたから、そんなに弱々しい貌をしているのか。
 まるで、悪い事を隠していた、子供のようだ。
「……フェリアに戻ったら、素直に『光明の聖女』様に相談しましょう。彼女も突然力を使ってしまった事を、申し訳ないと言っていました。魔女にも、理解がある方です。――もっと、まわりを頼って下さい。リース」
 リースは、くしゃ、と唐突に頭を撫でてきた。
 もう子供ではないのに――こんな風に触れられたのは、いつ以来だろうか。
「……俺はお前から、魔物として、生命力を一方的に奪って逃げたんだぞ。怖くないのか?」
 予想もしていなかった言葉が、小さくおちてくる。
 そんなことは、すっかり忘れていた。
「『光明の聖女』様に消されそうになって力を取り戻す為だったというのは、理解しています。ずっと一緒にいたのに、今更、俺が貴方を怖がる訳も無いでしょう?」
 そっと金髪を撫でてくるリースの手は、いつもの籠手で、硬い。
 この素手が魔物として今まで魔物と戦ってきたことを思うと、なんだか、不思議だ。
「それにしてもリースはいいですね。魔女に会えて。俺は全然会えてないですよ? 例の本屋に連れて行って頂ければ、セトさんには会えた筈ですよね」
 おもわずこぼした愚痴に、リースが驚いたような顔になったのが、おかしい。
「……わかっていますよ。今、俺が会っても、どうしようもない。話をしようにも俺には彼女の何かを変えるような材料は揃っていない。……俺の、我侭です」
「……何か、少し変わったな。アルヴァ」
「貴方のせいです。今後も思った事は容赦無く言わせて頂きますので、覚悟して下さい」
「本当に……こんな熱血に育てた覚えは、ないのだがな……」
 領主の招きで同席させて貰った素朴な夕食の場でも、領主アンゼリカの情熱的な話題の種は、飛行技術と街の防衛に使う鉱石の加工についてだ。
 飛行技術の発想は昔からあったが、ソーマの助言で加速度的に完成に至ったこと。
 鉱石の加工者である聖別師は今は少数だが、育成に力を入れれば問題無く増やせること。
 魔法使いであれば、物体に魔法効果を付与する『聖別』は、難しいものではない。難しいのは、原石を磨いて均一な輝きを持たせる、加工技術だ。
 黒い鉱石、オニキス。加工せずとも自然の魔除けの恵みを与えるこの鉱石に、『聖別』の魔法付与を載せた魔除けは、実際、長年に渡って魔物の脅威から、このアーペの街の住人を護ってきた。その洗練された高級品は、実際、この城主の屋敷にも要所に配備されている。歴代の領主の、采配によるものだろう。
 黒は、夜の闇の色だ。その色が魔を祓うというのも、不思議な感じがする。
 そう思いながら、アルヴァは急に重要なことを思い出した。
 警報やリースの件で、領主に言いそびれてしまっている事が、ひとつ残っている。
「アンゼリカさん、この街に白い髪の男性はいますか?」
 いきなりの話に、領主は首を傾けた。
 リースも何の話が始まったのかと目をあげる。
「さあ……少なくとも領民にはいないな。どうした、突然」
「あ! そうだ、吸血鬼を昼間に起こして教会にけしかけた黒幕。すっかり忘れてた!」
 アクアも同じように忘れていたようだ。日中あまりに多くの事があったのだから、無理もない。
「なんだって? 吸血鬼の襲撃は、偶然ではなかったのか」
 領主の様相が、一気に険しくなる。
 言いそびれてしまっていた事を急いで詫びて、言葉を継ぐ。
「ソーマが吸血鬼を捕らえてくれたことで、大人しくなった所を聞き出したんです。白い髪の男だという事以外はわかりませんでしたが……。そんなに目立つ髪色なら、すぐに気付きそうなものですが、何か他の事を暗喩している可能性もないかと……」
 そのソーマは、いまだに診療所でノーリと一緒に働いている。
 連れてくればよかった。
「いや、暗喩、か……。ちょっと思い当たる事は無いな。侵入する時に髪を染めたのではないかな」
 確かにそう考えるのが自然だ。
 けれど何かが、ひっかかる。
 リースがいつのまにか新調していた鞄の中から、紙資料をひとつ取り出した。
「アルヴァ。確かこのフェイゼル=アーカイルの別記の中に、そんな人間が出て来た筈だ」
 ――亡霊であるフェイゼルが白い髪をしている所までは、思い出していた。しかし、その記述の中に、同じような髪の話があっただろうか。リースが差し出した紙をひろげて、亡霊の文章をあらためる。
――――――――――――――――――――――――――――
 魔女の住まいは、まさしくディールの丘――今はメルド湖沼地帯と呼ばれている所にある。
 歩いて入れば、何処までも続く沼地と魔物の出現。
 しかし、彼女の大蛇に乗って入ったそこは、水気の全く無い、もとのディールの丘だった。
 私は、暫くそこで彼女と会話をした。
 太古の歴史について、彼女は良い聞き手だった。
 そこで王子の弟もみつけた。
 顔も覚えていなかったが、王家独特の白い髪と名前で彼とわかった。
 彼は、魔女の忠実な奴隷になっていた。私が声をかけると、彼は私を外へ持ち出した。
 そのまま人々の手を転々として、現在に至る。
 私は記録者。介入することはしない。
 彼女の物語は、終わってはじめて、完成する。
――――――――――――――――――――――――――――
 ――最後のくだりの部分だ。
「例の、魔女の手下か!」
 魔女探しになりすまし、一行を破滅へ導く、という協会創立者からの情報。ということは、戻って来た魔女探し達の中に、そいつが紛れていたということか。そして吸血鬼がソーマの家に放置された隙を突いた――
 しかしそれなら、今現在、どこにいるのだろう?
 領主も身を乗り出して、亡霊の書いた文章をみつめた。
「アーカイル王家は、白髪だったのか。王族を奴隷にするとはな」
「魔女探し達に紛れて、破滅に導く魔女の手下……ってことは、そいつの仕事は、もう済んじゃったんじゃないの? 生き残った偵察隊は全滅だもの。あ、リース様は特別で!」
 ――確かに、昼間の吸血鬼の襲撃が片付いてからは何事も起きていない。警報の誤報に翻弄された程度だ。
 領主には言えないが、それもリースのせいだった。
「――少し、楽観すぎるかも知れないが、今夜何事も無ければ、魔女と同様にそのディールの丘に帰っていったと考えるのが妥当だろう。偵察の魔女探しは壊滅した。協会に及ぼす衝撃としては充分の筈だ」
 リースにも、心当たりはないらしい。
 しかし、連絡鳥で協会に通達すべき重要案件だ。特に協会創立者クレイ=ファーガスは、白髪の魔女の手下の情報を求めていると聞いている。この情報と一緒に販路の話を持っていくことは、かなり創立者の判断力に影響しそうだ。