◇◇◇ソーマの甘粥◇◇◇

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 人の歴史は何度でも繰り返す。ある時期に大きく進んだかと思えば、振り子のように逆行し、またもとの安定した均衡に立ち返り、何度も何度もそれを繰り返して、少しずつ進歩してきた。
 それは、誰かが意図的にやっている訳ではなく、人の歴史の自然の成り行きだ。
 そんな中でも、一人の魔女が支配し続ける社会構造は、今までの進化と逆行と安定の、どこに定義したら良いだろう。
 彼女は『生きて』いる。それがどういうことか。
 社会構造としての存在であるだけなら――何らかの組織や集団が魔女の役割であるならば、その中身は代謝し、変化を繰り返し、歴史の自然に馴染むものでしかないだろう。
 しかし、彼女は、『生きて』いる。
 それは、個の存在がいまだに成長・進化し続けているということだ。樹齢300年の大木と、30年の木を見比べてみるがいい。その成長の差が埋まるということはない。蓄えた生命の重さを、新しい木が凌ぐ事はない。いつか倒れる日が来た、その時、そのあまりの大きさに、寄りかかっていたものが被る影響は計り知れないだろう。
 それが進化となるのか、逆行となるのか。
 彼女がまわりに種を撒いてゆくのを、ただ見つめる。結果をつくるのは、その時に生きている命だけなのだから。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 耳に入ってくる静かな朗読をぼんやりと聴いて、何の本だろうと不思議に思う。
 ……読んでるのは、誰だろう。
 ノーリでも、聖者でもない。暖かく低い、優しく、甘ったるいような、男の声。

「おはようアルヴァ。起きられるかな?」
 ギシ、と音を立てて寝台が揺れた。朝の薄明かりが、見知らぬ黒髪の男の端正な顔立ちを柔らかに照らす。
 どういう状況なのか、よくわからない。確か、魔女を追いかけていた筈だ。
「……ど……」
 ひらいた唇が酷く重くて、思うように唇が動かない。
「あー、やっぱり貧血だな。無理して起き上がるなよ。今、甘粥持ってきてやるよ」
 彼は、感覚の鈍い口元を医者のように触れると、サッと視界から消えた。
 貧血?
 それよりも、魔女はどうしたんだろう。
 ぐっと腕に力を込めて、ゆっくり身体を起こす。
 身体が、重い。起き上がっただけで目眩がする。そっと息をついて、目をあげた。
 いつのまに、どのくらいの時間が経過してしまったのか。
 薄い明かりが差し込んでくる窓の外からは、小鳥の声が聞こえてくる。
 小さな部屋にはいくつかの干し草がぶら下げてあって、低い机の上に自分が持っていた荷物と装備が無造作に置かれていた。
 ――荷物――
 少し慌てて、手を伸ばす。思うように動かない身体が寝台から転がり落ちる。最小限の荷物の上に、雨に濡れないように包んであった小さな古書が、ぽんとそのまま置いてあった。とりあえずは紛失はしていないことにホッとする。
「おいおい、無理に起きるなって。かなり吸われたみたいだな」
 少し早足で戻ってきた男に抱えられて、もとの寝台に座らされる。あたたかい湯気の白い飲み物を、半ば強制的に、支えられながらそっと器を口に運ぶ。ドロリと甘く喉を撫でる香り高い粥に、目をひらいた。こんな粥は飲んだ事がない。
「ちょっと甘いが、しっかり飲めよ。俺の特製品だ。貧血には最高に効くからな」
 甘さは気にならない。香りの良さにぼうっとしながら、黙って全部飲み干した。もっと飲みたいくらいだ。
 水分を取れた事で、少し唇が滑らかになった。
 小さく呼吸を整えて、改めて顔をあげる。
「ありがとうございます。あの、魔女はどうなりましたか?」
「ん? 魔女……? 魔女は知らんが、吸血鬼なら捕まえておいたぜ。見るか?」
 さらっととんでもない言葉が出てきたのに驚きながら、少しだけ、頷いてみる。
 吸血鬼?
 というか、最強の魔物である吸血鬼を、捕まえておいた、とこの男はあっさり言ったが、何かの間違いじゃないのか?
 男に支えられながら出入口の幕をくぐると、涼しい居間に出た。自分の眠っていた部屋が暖かかったようだ。

 すぐに、大きな背もたれに沈んで眠る茶色の髪の女に、目を奪われる。
「この吸血鬼は、昨日出現したばっかりだな、俺が駆け付けなかったら吸い尽くされて死んでたぜ。アルヴァは運が良いな」
 これが、吸血鬼だという。
 捕まえたという割には、ただ深い椅子に眠らせているだけで、手足を拘束している訳ではない。何かの魔法をかけてあるのだろうか。――見れば見るほど、幼い頃に会った魔女の顔、そっくりだ。ただ、その格好は、北の国で着ていたような厚着ではなく、南方の短衣に近い。赤い生地にすすけたような汚れが目立つ短い服の下から、すらりと白い四肢がながれる。
 呆然としていると、隣の椅子に座らされる。
 男は2杯目の甘粥を目の前に置いてくれた。
「森の中ででかい声で名乗ってる奴がいて、驚いたぜ。おかげで間に合った訳だが……。この吸血鬼は、魔女の顔をしているのか? アルヴァは、魔女と知り合いなのか」
 なるほど、それで、名乗っていないのに名前を知っているのか。
「……昔、会った事があるんです。俺は小さかったから、彼女は今の俺が分らないだろうと思ったんですが……。何故この吸血鬼が、魔女の顔に……」
「吸血鬼の発生時に、見る者の恐怖心が、その姿形を固定させる。一番恐れているものの姿で、吸血鬼は人を襲う。こいつに初めて遭った奴が、姿を固定させたんだろう。アルヴァに恐怖が無いなら、他の誰かだろうなぁ」
 足元に倒れていた魔女探しが、魔女と叫んで悲鳴を上げていたのを思い出した。
 では、彼らは、魔女のもとに一度は辿り着いたことになる。ほぼ壊滅状態で戻ってきたが。
 激戦だった湖沼の境界地帯は、どうなっただろう。
 考える事がぐるぐると頭の中で錯綜して、何をどうするべきなのか、混乱する。
「しかし、これが魔女の顔だってのが本当なら、皆が思ってるよりも随分普通の女の子だよなぁ。ほら、皆色々勝手に創作するじゃねぇか。やたら怖いのとか、やたら妖艶なのとか。そもそも、想像よりも、少し若いよな」
 ――言われてみれば、そうかも知れない。
 魔女探しの協会の色々な場面で彼女の容姿を説明してきたが、いつのまにか自分が年齢を重ねると同時に、年上の印象が強かった彼女の思い出のせいで、大人の女性、といった伝え方をしていたような気がする。
 それにしてもこれだけ吸血鬼に詳しい人間には、初めて会った。
 改めて男を見上げてみると、20代半ばだろうか、端正でどこか自信に満ちた目元に、人を惹き付けるものがある。
 肩のあたりで跳ね返る黒髪の後ろに長い三つ編みを垂らしているのが、印象的だ。
「恩人に、名前を伺っていませんでした」
 じっと彼をみると、その瞳まで綺麗な黒であることに気付く。
 南方地方の黒髪の人達の瞳は深い茶色が多い。
 どこからきたのだろう?
「俺はソーマ=デュエッタ。ちょっと色々あって流れてきたんだけど、今はこの街で、吸血鬼専門の退魔師をやらせて貰ってんだ。なんか性に合ってたんでな。アルヴァはどっから来たんだ? 魔女に会ったとか、面白い魔女探しだよな」
 そんなに朗らかに声をあげては、吸血鬼が目を覚ますのではと少しハラハラしたが、専門家なのだから、多分大丈夫なのだろう。
 眠っている吸血鬼の様子を気にしながら、そう無理矢理納得する。
「リュディア王国中央教会に所属しています。……色々な所を巡りましたが、吸血鬼の専門家とは、初めてお会いしました」
「へぇ、リュディアから来る魔女探しは結構いるけど、なんかお堅そうな所属だな。楽しいか?」
 一瞬、ぽかんとする。
 そんなこと、考えたこともない。
「あはは、楽しめよ、折角やってんならさ。俺も専門家やってて結構楽しんでるぜ。吸血鬼にだって個性があるし、物語がある。今回のこいつも、魔女の姿で、何を思ってんだかな」
 ――そうだ。
 ここまで来た目的を、見失いかけていた。
 魔女の力の源について、魔物に訊ねる。そして魔女への対抗策を立てるのが、今の自分の役割だ。
「ソーマ、この吸血鬼と、話をさせて貰う事は出来ますか?」
「お、少し調子が戻ってきたな。いいよ。だけど夜になってからだな。吸血鬼は、日のあるうちは寝てるからな」
 そうだった。
 夜が吸血鬼の活動時間だという事は、専門家ではなくても、誰でも知っている。
「それより誰か心配してるんじゃねぇか? 昨日魔物が柵を破った騒ぎがあったからな」
 彼が窓を開けると、涼しい朝の空気と一緒に、小さな悲鳴がとびこんできた。
「び、びっくりしたぁ! 何よアルヴァ、無事ならさっさと戻って来なさいよ」
 驚いたのはこっちだ。
 何故窓の外に、アクアがこっそり隠れているんだ。
「お嬢さん、照れなくていいから、扉からどうぞ。森の中にあるからって、別に、あやしい家じゃないよ」
「ええ、ありがと。すっごく怪しかったけど。昨日の魔物っぽいのは椅子で寝てるし、思いっきり警戒しちゃったわ」
 くしゃりと長い金髪を整えて息を吐いたアクアは、家主が開いた扉から素直に入ってきた。

「もう、リース様を探すのに忙しいのに、やること増やさないでよ。アルヴァらしくないじゃない」
「確かに、浅慮だったな。済まない……ノーリはどうしてる?」
「診療所よ。魔女探し達の治療を手伝ってるわ。戻って来た魔女探し達の中にリース様はいないし、知り合いもいないし、話を聞こうとしても皆錯乱状態で会話にならないし。結局、空から入ってどういう経緯であんなに魔物を連れ帰ってきたんだか。ちゃんと報告ができるのかしら」
 アクアが、頼もしい。
 彼女は冷静に椅子に眠る吸血鬼に目をおとして、ふーん、と言いながら腕を組んだ。
「これが、アルヴァが言ってた魔女の顔なのね。何回も聞いたけど、確かにどこにでもいそうな感じね」
 どこから聞いていたのか、聞き耳も良いようだ。
「とにかく。一度教会に行くわよ。あのおじさん……聖者様も、心配してたんだから」
「ああ」
 いつもの感じで椅子を立って、ふっと目の前が暗くなる。
 ふわっと身体が軽くなったと思ったら、ソーマの腕に倒れ込んでいた。
「いきなり動けば、そりゃ倒れるって。お嬢さん、こいつは吸血鬼に吸われて結構な貧血なんだ。教会までの坂道はキツいんじゃねーかな。乗馬も危ないし、本当は一日は安静にしておきたいとこなんだが……」
 ソーマのあたたかい声が、直に耳に響く。
 幼い頃に、頭を撫でてくれた魔女の優しい声が、どうしてか胸に蘇る。
 全然似ていないのに、どこか、同じような感じがする――
「いや……戻ります。協会に報告もあるし……」
 ぐい、とソーマの胸元から頭を外して、椅子につかまる。
 ぼうっとした頭が醒める。
 無理するなよと言われながら荷物を取りに小さな部屋に戻って、ふと包みが解かれている本に、はっとした。歴史家フェイゼル=アーカイルの亡霊が宿り、今なお執筆中の、鍵が開かない古書。亡霊本人に濡らすなと怒られたから大切に包んでいたものが、ポンと置いてある。それ自体は起きた時に気付いたが、そういえば起きがけに、ソーマの声が、何かを朗読していなかったか。
 ぐるりと部屋の中を見回しても、この本以外に、部屋の中に書籍はない。
 あるのは寝台と、干し草。それに水差しぐらいだ。
 本の鍵はかかっている。急に緊張してきた。
 いそいで荷物をまとめて外されていた装備を身につけて、ふらつきながら居間に戻った。

「あ、その本。少し難解な表現が多いけど、面白かったぜ。完結してないのが残念だな」
 手にした本を見るなり、あっさりそう言ってみせたソーマに、自分もアクアも、凍り付いた。
「……え? 鍵かかってなかったの?」
 アクアが、ぽかんとしてソーマと本とを見比べる。
「鍵? そういやかかってたかな。開けたら開いたけど」
「作者の亡霊が出ませんでしたか?」
「ああ。丁寧に読むのを、大人しく聴いてた。内容の推敲でもしてたのかね。完結できればいなくなるだろ。……完結、させてやりたいもんだな」
 そういって、さらりと本を撫でる。
 彼のあっさりとした口調にかかると、当然の事のようにきこえてしまう。
 しかし、あれだけ頑に絶対開かせないと言っていたフェイゼルの亡霊が、初めて本を手にしたソーマに、何故あっさりと読ませたのだろうか。試しにもう一度鍵を開けようとしてみたが、びくともしない。
「ソーマ、この本の中身を全部読んだんですか?」
「ああ。俺このへんの出身じゃねーから、よく分からん所もあったけど、魔女の歴史の物語だよな。なんか、読んじゃ駄目な本だった?」
「いや――」
 おもわず声が大きくなりかけたのを、ひと呼吸おく。
「逆です。この本にはより多くの魔女の情報が書かれている筈なんです。今回、メルド湖沼地帯に上空から入るという方法を得たのも、この本の亡霊からでした。何かもっと――魔女の力の源についてとか、参考になるような記載はありませんでしたか?」
 一気に喋って、息が切れた。
 まぁ落ち着けよと差し出された甘粥の香りは、どこか、彼の余裕そのものだ。
 流石にアクアも黙って、彼が考え込むのを見守る。
「力の源かぁ……そんな記述は無かったかな。俺は、愛だと思うけど」
「愛?」
「……愛って、普通にあの愛?」
「愛は、愛だろ」
 ぽかんとして馬鹿みたいに繰り返した自分たちに、ソーマは真面目な顔で頷く。
 ふざけている訳ではないらしい。
「戦争の時代に魔女の元になった魔法使いが、相方を戦争で亡くして怒って魔女になって、洪水で戦争を無くしました。それが最初の部分だ。魔女の力の事だけ考えるとしたら、最初にあったのは、相方への強い愛情だろ?」
「いやいやいや、そんなのは戦争あった時代にはよくある事だったんじゃない。どうしてその魔法使いが魔女になるだけの力を手に入れたかを知りたかったんだけど。それは書いてなかったって訳なの?」
「えぇ~俺に怒るなよ~そんなの書いてなかったよ~」
 アクアに詰め寄られて、ソーマが唇を尖らせる。
 矛盾しているが、少し、安心した。
 はるばる旅をしながら危険を冒して魔物に訊こうとしていた中身が、実は手元の本に書いてあったとしたら、この旅は何だったのかということになる。
「……ソーマ。教会に、一緒に来て貰えませんか?」
 まだまだ本の内容を聞きたいし、軽い調子に反して博識な彼がいれば、怯え切っているという魔女探し達からも、何か情報を聞き出せるかも知れない。
「何だよ、俺と別れるのが寂しいのか? 仕方ないなぁ~アルヴァは」
 くしゃ、と頭を撫でられて、そうじゃなく、と慌ててその手を掴む。
 こういう彼の言動が、いちいち魔女の思い出と被って、変に緊張させられる。
「あはは、わかってるって。お嬢さんの手助けだけじゃ、坂道はきついだろ。抱っこしてやるさ」
「さっきからお嬢って……アクア=エルタスです。ソーマさん」
「やっと名前が聞けた。よろしくな、アクア」




◇◇◇アーペの飛行技術開発◇◇◇

 森の中からアーペの街に戻ると、昨日とは違い、どこか緊張した空気が流れていた。
 長年街の防衛になっている守護の聖者の柵が、一部とはいえ破られたのだ。住人の不安は当然のことだろう。
 丘陵につくられた街並の坂を、ソーマに支えられながら歩く。
 最初は過保護なまでに世話をやいてくるソーマの背中に揺られていたが、人目のあるところで降ろして貰った。
 正直、恥ずかしい。そしてアクアの視線が優しげなのが、何故か、怖い。
 しかしゆっくり歩いてみて気付いたが、この技巧の街の技術は、生活に溶け込んでいるようだ。石造りの道の中央は馬車用に舗装され、両端は歩行者用になだらかな階段になっている。一定間隔で休憩用の椅子が設置されている事に、街の運営者の配慮が感じられる。
 それが貧血で重い身体には、有難い。――貧血がこんなに辛いものだとは、知らなかった。


 やっと教会に辿り着くと、かなり日が昇っていた。
 年季の入った立派な木造の教会を見上げて大きく溜息をつく。死者の弔いの鐘が、何度も鳴り響いている。あれだけの混戦だ。死者が出ていて当然だが、やはりその数の鐘をきくと、取り返しのつかない現実を突き付けられる。
 聖堂は厳粛な空気に満ちていたが、魔女探しの姿はない。多くの棺の前に、聖使達が花を添えていた。
「生き残りは診療所よ。命に別状が無くても錯乱状態で、とてもここには連れて来れないの」
 アクアは聖堂をざっと見回して、聖使に声を掛けて聖者の所在をたずねる。
 無駄の無いアクアの行動に、アルヴァは、少し驚かされていた。
 いつも効率的なリースの後についてまわっていただけのことはある――とみて、いいのだろうか?
 なにか、違和感がある。
 自分の調子が悪くてそう感じるだけだろうか?

 聖者は執務室にいた。流石に昨日の作業着姿ではなく、きちんと聖者とわかる丈の長い聖衣を着ている。
 黙っていれば、年相応の風格をもった聖者なのだが――。
「おお、無事だったな。ソーマに助けられたのか。一晩一緒にいて、食われなかったかね?」
「やだなぁ聖者様。俺は手負いの人間をつまみ食いなんてズルい真似はしませんよ」
 ――この二人は、何を言っているのだろうか。
「……協会の人間を助けて頂き、ありがとうございました。街の退魔師の方は大丈夫でしたか?」
 話を本題に逸らす。
 軽口に長々と付き合うような気力はない。
「ああ。街の奴らは多少の怪我はしたが、死んじゃいねぇ。アルヴァといったか。お前さんの騎馬戦には驚かされたぜ。それで大分助かった。ありがとな」
 騎馬戦――。言われてみれば、そういうことになるのか。馬に乗ったまま戦ったのは初めてだったが。
 口は軽いが温かい言葉に、死者の数で冷えきっていた胸が少し温む。
「それにしても今回の飛行技術開発は、この技巧の街としても相当な技術成果だ。空を飛べる付加価値をみても、かなりやばい。街の奴らも職人魂に火が着いてどんどん改良を進めてる。問題は費用だ。いい取引先を探してるんだが、何処か心当たりとかあるか?」
 いきなり昨夜の話から、機工の話になった。
 この街全体の技術者の熱意はかなりのものだろう。
 そして多分、魔女探し達がこうして満身創痍で戻ってくるのは、想定済だったということか。
「……それは、各地を巡っている商人にお声がけしたほが良いと思いますが……」
「商人にはうまい商売になるだろうな。だが、でかすぎる利権は、争いの種だ。何かいい案ねぇかなと考えてんだよなー」
「教会で扱うのはダメなんですか? 天使を奉戴してる教会に、空を飛べる機工ってピッタリじゃねぇですか?」
 ソーマが首を傾ける。
「あー確かに、似合う話なんだが、教会の経済の大半は国とか地域の予算から出てる。アーペでだけ事業展開するとなると、別の教会からの反感を買ったりするだろ。面倒事にはしたくねぇんだよ」
 商人に依存せず、金銭的なしがらみが無い取引先――。
 アルヴァは、少し慎重に口をひらいた。
「――魔女探しの協会、はどうでしょう。今資金源のようなものはありませんが、各地の教会に広まり始めていますし、国の管轄下には無い組織です。各地を旅している魔女探し達であれば需要がありますし、売買の基盤を協会にすれば、地域間での利権問題にもならないのでは」
 情報共有を主軸にしている協会に金銭的な話を持ち込んで良いのかは、わからない。
 だが、協会の中心人物であるクレイ=ファーガスに話が通れば、難しい事ではないだろう。
「お、それ良いな! じゃあその方向でやっていくか!」
 慎重に話をしたつもりが、あっさり軽く重要な話が進んでしまった。
「ちょっ……これは俺の意見で、協会の代表者の承諾を頂く必要が……」
「ああ、クレイだな。あいつは面白い話には乗ってくる奴だし大丈夫だろう。俺からの手紙書いとくから、技術資料を領主のアンゼリカから貰ってきてくれんか」
 机上に散乱していた紙切れに、簡単な紹介を一筆したためて、渡される。
 流石に死傷者が多く出ている時に、聖者がここを留守にする訳にはいかないだろう。
「診療所で退魔師達の取り纏めをしてる筈だ。ソーマも知ってるよな」
「勿論。案内しますよ」


 教会をあとにして、ソーマの案内で隣接する診療所に向かうことになった。
 眠そうなアクアも、欠伸を噛み殺しながら黙ってついてくる。
 死者の弔いに厳粛な空気だった教会とは違い、こちらは、まだ戦場のような雰囲気に満ちている。簡易台の上で呻くようにうなされている魔女探し達は、話し掛けられるような状態ではない。
 診療所の外では天幕を張り、地元の退魔師達の炊き出しをしていた。
 そこだけ、少し温かい空気がながれている。
「ノーリがここを手伝ってたから、昨夜は私もここにいたの。ぐっすり寝るどころじゃなかったわ」
「そういえば、ノーリは……?」
 ざっと診療所の中を見て回ったが、それらしい姿はない。
「いないわね……一晩中働いてたみたいだから、どこかで休んでるのかもね」
 炊き出しを囲む集団に近付くと、こちらに気付いた退魔師の一人が立ち上がった。
「おぉ、あんた生きてたのか! まぁこっちに来いよ。凄い戦い方だったよな!」
 一斉に振り返った好奇の視線に晒されて、おもわず一歩引きたくなる。
「ん? 誰か来たのか? ああ、ソーマか。まぁ折角来たなら食っていけ」
 巨大な鍋を抱えた作業着の女性が、炊事場から平然と歩いてきて、ドスンと鍋を地面に置く。
「お、丁度良かった、アンゼリカさん。今日も美人ですね!」
「その顔に言われると腹が立つが、まぁいい。昨夜の騒ぎは知ってるだろうが、森に異常はなかったか? そっちの魔女探しっぽいのは無傷のようだが――」
 ちら、とこちらを見る彼女は、皮肉ではなく本当に美人の域に入る。
 短い焦げ茶色の髪に、塗料でまだらになった作業着姿。遠目で見るとただの技工士だが、間近に立つと、年齢不詳で、不思議な品がある。
「領主様、彼ですよ。彼が馬で戦ってくれて、俺達も大分助かったんですよ」
 退魔師が食べながら集まってくる。
 アンゼリカ――領主とは、この女性か。見た目と役職が合わないのは聖者と同類なのだろうか。
「私は今朝ここに来たから、その話は聞いていなかったが……活躍してくれた訳だな?」
 何故かまわりの退魔師達が、無傷でいるアルヴァを弁護するような格好になっていた。
「吸血鬼に襲われてたのを、俺が拾ったんですよ。それはそうと、飛行技術の資料を聖者様から貰ってくるように言われてます。このアルヴァが、いい取引先を思い付いたんでね」
 ソーマが、聖者から預かった一筆の紙切れを自分の手からスルリと取って、アンゼリカに渡す。
「そうか。では少し場所を変えよう。診察室が空いてた筈だ」
 サッと建物に足を向けた彼女のあとに続く。
 退魔師達の好奇の視線から逃れられるのは有難い。

 診察室の白い仕切りを端に寄せて、小さな部屋の中を出来るだけ広くする。
 雑多に散乱した机上の器具を端に寄せ、アンゼリカはそこに紙をひろげた。
「改めて、私はアンゼリカ=ケルン。この東地区アーペの領主だ」
 彼女の視線をうけて、アルヴァは背筋を伸ばして手を胸に添える。
「リュディア王国中央教会所属、アルヴァ=シルセックです。こちらは同僚のアクア=エルタス。今回は魔女探し協会の一員として行動しています」
「リュディアか。クレイもリュディア王国の出身だったな。あの前衛が、よく協会なんて始めたものだ。奴も年齢には勝てなかったという事かな」
 口調はどこまでも淡々としているが、そういう領主の表情が、どこか、あたたかいものになる。
 協会の代表者であるクレイ=ファーガス。彼の人脈は、一体どこまで広いのだろう。
「さて、協会との連絡は、私が引き受けている。この街に来る魔女探しは、あまり逗留しないからな。大勢の魔女探しが空からの突入に向かうという報せも、私に届いていた。だからこそ素早く飛行技術の開発に取り掛かることが出来た訳だ」
 論理的な語り口に、ようやく少しだけ安心する。
 聖者やソーマの軽口のままにダラダラと話をされては、たまらない。
「そうでしたか。ご協力、ありがとございます。飛行機工の取引を扱う基盤として、聖者様にはその魔女探しの協会を提案しました。クレイ=ファーガスに手紙を出して頂けるとのことで、技術資料のご提供をお願いしに来ました」
「ふむ、まぁそんなに堅苦しくなる必要はない。私も聖者も、クレイとは既知の仲だ。少し肩の力を抜くと良い。吸血鬼に襲われたと聞いたが、顔色が悪いぞ。無理せず、座りなさい」
 爽やかに笑んだ領主は、机上の紙に大きく何かの図面を描き始めた。
 先に適当な椅子で寛いでいたソーマが、にこやかに手をひろげてくる。
「アルヴァ、俺の膝に座ってもいいんだぜ?」
「い、いえ、こちらの椅子をお借りします」
 どうして彼は、そう、距離感を攻めてくるのだろう。
 しかも不思議と落ち着いた魅力を放ってくるのは、端正な顔のせいだろうか?
 領主が何かを描いているのが見える位置に、椅子を持ってきて座る。
「……ソーマさん、強いわね」
 隣に椅子を並べたアクアの独り言に、黙って頷く。
 一方で、領主がサラサラと紙面に描いていく図は、見た事の無い形ばかりだ。
 飛行機工。
 今までどこにも空を飛ぶような機工はなかったのだから、当然か。
 それにしても僅かな期間でそんな物を開発したこの街の開発力と技術力は、本当に凄い。
「まずは概要だけ説明しよう」
 あっというまに完成した綺麗な線の完成図。
 そこには、どうやら複数人が乗るものと、一人だけが乗るものの2種類が描かれている。
「見てわかる通り、2種類ある。簡単に『大型』と『小型』と呼んでいる。最初の動力に風魔法が必要だから、両方とも風魔法を使える人間が必要だ。今回のように集団利用であればそこは協力して補うことが出来るが、特に小型を売り出すならば改善の必要がある。改善点の計画書と見込み費用を纏めれば、話が通しやすくなる筈だ」
 空を滑空する鳥を連想させるような大型と、それを簡素に縮小したような小型。この図だけみても、魅力的な機工だ。実物を使った魔女探し達は、きっと興奮しただろう。
「しっかし、これ全部、魔女探し達があっち側に置いて来ちまったんだよな。勿体無ぇよなぁ。どうせ戻ってくるんなら、持って帰って来てほしかったよな」
「まぁ、仕方ないな。設計図はあるのだし、また作れば良い。小型は数台残っているから、アルヴァに進呈しよう。協会に話もしやすくなるだろう?」
 実物があるほうが、机上の空論ではないことがよくわかる。
 頷いてから、困ったな、と思う。この流れだと、自分たちが、クレイに手紙と実物を持っていく事になる。魔女の力の源についての情報収穫は、まだ、何もない。同じ目的を持って姿を眩ませたリースの消息も全く掴めていない。
「……どうした? 何か足りないものがあるか?」
「いえ、充分すぎるほどです。ただ、俺達が他の魔女探し達よりも遅れて到着したのは、空からの調査とは別の目的があったからで――。魔女の力の源について調査しているのですが、何かご存知の事はありませんか?」
 ――人間から得られる情報は、フェイゼルの古書以上に、詳しい本は無いような気もするが。
「ああ、前に連絡が来ていた件か。古本を少し調べてみたが、関連するような情報は無かったな。魔女の力といったら、魔力や魔法の技術という事になるかな? 力になれなくて済まないね」
「いえ、ありがとうございます。……少し、時間をください。この地での調査が終わったら、クレイ=ファーガスに話を持って行きます」
 まずはソーマの家に捕らえてある吸血鬼に話を聞きたいが、それは夜になる。
 日中は街の中で口伝を訊いたり、リースの手掛かりを探さなければならない。
「まぁ機工の話は急ぐものではない。朝飯はとったのか?」
 概要図を畳んで渡してくれた領主が笑んだのをみて、ほっと息をついた。
 ――少し、姿勢を正していた緊張が、緩む。
「あ。甘粥しか口にしてねぇよな。俺も腹減った! 炊き出し貰いに行こうぜ!」
 ソーマがぱっと立って、腕を支えてくれる。
 ふらつきそうになったのを察知したのだとしたら、彼の医者のような対応力は、頼もしい。


 もういちど診療所の外に出ると、天幕の片隅に座らされ、ソーマは炊出しを貰いに走っていった。
 領主は館に戻って資料を揃えておいてくれるらしい。
「ふあぁ……ねっむ~い……なんでやる事が増えていくの……私はリース様だけ探せればいいのに~」
 2人だけになったところで、アクアが大きな欠伸をする。
「どこに行っちゃったのかしら……まさか他の魔物と同じように柵の外で活動してるのかしら? ……それはそれで、素敵かも……」
 またいつもの調子で空を見上げてしまったアクアに、少し安心する。
 ここに来てからの彼女は、どこか、いつもと様子が違う気がしていた。
「まずは、街の中で口伝を調査する。魔物にものを訊くのは、ソーマの家に捕らえてある吸血鬼からが確実だからな。同じ情報に行き着くなら、リースを直接探すよりも会う可能性が高い筈だ」
 今のアクアに聞く耳があるのかは一寸分からないが、一応言っておく。
 放っておくと一人で街の外に探しに行ってしまいそうだ。

 ソーマが、3人分の皿を持って戻って来た。ほかほかの芋に、何か黄色いものと木匙が添えられている。
「汁物は品切れだってさ。戦場食みたいなのしか無かったけど、これはこれでまぁまぁだ」
「芋……?」
「ん? 食った事無いか? じゃがバター。まぁ食ってみろよ。熱いから気をつけろよー」
 ソーマの食べ方を見ながら、熱そうな部分に気をつけて食べてみる。
 熱い。そして、甘くてこってりとしている。確かに戦場食のような食べ物だ。
「アーペでは柵の外じゃ畑を拡げるのが大変だからな。作ってるのは根菜ばっかりで、葉ものとか果物は他所から買ってるんだ。畜産もだな。しかも皆機械の事しか考えてないから、はっきり言えば、美味い飯がない!」
 満面の笑顔で言い切ったソーマに、きこえたぞ、と遠くに座っていた退魔師から野次がとんでくる。
「……そういえばソーマはこの地域の出身じゃないと言っていましたが、どこから来たんですか?」
 結構旅をしたつもりでいたが、彼の黒い瞳は、どこからきたのだろうと思う。
「ふ。地平線の向こう側からやって来たのさ。凄いだろっ」
「私、まだ地平線って見た事無いのよね。本当に線なの?」
 アクアが、平然と芋を食べ始めていた。
 熱くないのか。
「そう。どこまでも、どこまでも、近付こうとしても決して近付けない線があるんだ。地面のはるか向こうで、それは天と地とを区切る。山があろうと森があろうと、見る事が出来なくても、その線はずっとそこにある。そうだな、もしかすると、飛行機工が発達すれば、見る機会があるかも知れないぜ」
 いつもの軽口かと思っていたものが、思いのほか詩人になったのに驚かされた。
「凄く遠くから来たってことね。リュディア王国も結構遠かったし、まだその先にリーオレイス帝国もあるし、本当、旅って大変。リース様と一緒じゃない旅なんて、楽しくもないし……」
「アクア、ノーリが色々和ませてくれていたのは、分っているか?」
 リースがいなくて文句ばかりの馬車旅に、ノーリがいなかったら、自分はそれを聞き流せていたか、わからない。
 少なくとも胃のあたりがおかしくなっていただろう。
「あ。そうだ、ノーリは結局どこで休んでるのかしら。診察室にもいなかったし、大部屋にもいないみたいだったし」
 確かに、見かけない。
 診療所にはそんなに隠れるような場所もない。
「ここで休んでいる訳ではないのか……」
「なぁ、そのノーリって、誰なんだ? 男?女?」
 そういえばソーマはまだノーリに会っていない。
「アルヴァと同じような金髪の男よ。私達と同じような旅装だし、他の魔女探し達は皆倒れてるからすぐに見分けがつくと思うんだけど」
 退魔師達に聞いてみても、皆首を傾げるばかりだ。
 昨夜、魔女探し達の手当をしていたのは皆覚えているが、いつのまにか、姿を見なくなったという。
「まぁいい。調査で街の中を巡っていれば、そのうち合流できるだろう。薬屋か宿屋かも知れない」
 やることが増えている以上、ノーリを探すのに時間を食っている訳にもいかない。熱すぎる芋をやっと飲み込んで、暖まった身体をのばす。まだ怠いが、街中を歩くぐらいならできる。
 ――坂道がなければ、もっと良いのだが。



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―――――――――――――――――――――――――――――――
 人の歴史は何度でも繰り返す。ある時期に大きく進んだかと思えば、振り子のように逆行し、またもとの安定した均衡に立ち返り、何度も何度もそれを繰り返して、少しずつ進歩してきた。
 それは、誰かが意図的にやっている訳ではなく、人の歴史の自然の成り行きだ。
 そんな中でも、一人の魔女が支配し続ける社会構造は、今までの進化と逆行と安定の、どこに定義したら良いだろう。
 彼女は『生きて』いる。それがどういうことか。
 社会構造としての存在であるだけなら――何らかの組織や集団が魔女の役割であるならば、その中身は代謝し、変化を繰り返し、歴史の自然に馴染むものでしかないだろう。
 しかし、彼女は、『生きて』いる。
 それは、個の存在がいまだに成長・進化し続けているということだ。樹齢300年の大木と、30年の木を見比べてみるがいい。その成長の差が埋まるということはない。蓄えた生命の重さを、新しい木が凌ぐ事はない。いつか倒れる日が来た、その時、そのあまりの大きさに、寄りかかっていたものが被る影響は計り知れないだろう。
 それが進化となるのか、逆行となるのか。
 彼女がまわりに種を撒いてゆくのを、ただ見つめる。結果をつくるのは、その時に生きている命だけなのだから。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 耳に入ってくる静かな朗読をぼんやりと聴いて、何の本だろうと不思議に思う。
 ……読んでるのは、誰だろう。
 ノーリでも、聖者でもない。暖かく低い、優しく、甘ったるいような、男の声。
「おはようアルヴァ。起きられるかな?」
 ギシ、と音を立てて寝台が揺れた。朝の薄明かりが、見知らぬ黒髪の男の端正な顔立ちを柔らかに照らす。
 どういう状況なのか、よくわからない。確か、魔女を追いかけていた筈だ。
「……ど……」
 ひらいた唇が酷く重くて、思うように唇が動かない。
「あー、やっぱり貧血だな。無理して起き上がるなよ。今、甘粥持ってきてやるよ」
 彼は、感覚の鈍い口元を医者のように触れると、サッと視界から消えた。
 貧血?
 それよりも、魔女はどうしたんだろう。
 ぐっと腕に力を込めて、ゆっくり身体を起こす。
 身体が、重い。起き上がっただけで目眩がする。そっと息をついて、目をあげた。
 いつのまに、どのくらいの時間が経過してしまったのか。
 薄い明かりが差し込んでくる窓の外からは、小鳥の声が聞こえてくる。
 小さな部屋にはいくつかの干し草がぶら下げてあって、低い机の上に自分が持っていた荷物と装備が無造作に置かれていた。
 ――荷物――
 少し慌てて、手を伸ばす。思うように動かない身体が寝台から転がり落ちる。最小限の荷物の上に、雨に濡れないように包んであった小さな古書が、ぽんとそのまま置いてあった。とりあえずは紛失はしていないことにホッとする。
「おいおい、無理に起きるなって。かなり吸われたみたいだな」
 少し早足で戻ってきた男に抱えられて、もとの寝台に座らされる。あたたかい湯気の白い飲み物を、半ば強制的に、支えられながらそっと器を口に運ぶ。ドロリと甘く喉を撫でる香り高い粥に、目をひらいた。こんな粥は飲んだ事がない。
「ちょっと甘いが、しっかり飲めよ。俺の特製品だ。貧血には最高に効くからな」
 甘さは気にならない。香りの良さにぼうっとしながら、黙って全部飲み干した。もっと飲みたいくらいだ。
 水分を取れた事で、少し唇が滑らかになった。
 小さく呼吸を整えて、改めて顔をあげる。
「ありがとうございます。あの、魔女はどうなりましたか?」
「ん? 魔女……? 魔女は知らんが、吸血鬼なら捕まえておいたぜ。見るか?」
 さらっととんでもない言葉が出てきたのに驚きながら、少しだけ、頷いてみる。
 吸血鬼?
 というか、最強の魔物である吸血鬼を、捕まえておいた、とこの男はあっさり言ったが、何かの間違いじゃないのか?
 男に支えられながら出入口の幕をくぐると、涼しい居間に出た。自分の眠っていた部屋が暖かかったようだ。
 すぐに、大きな背もたれに沈んで眠る茶色の髪の女に、目を奪われる。
「この吸血鬼は、昨日出現したばっかりだな、俺が駆け付けなかったら吸い尽くされて死んでたぜ。アルヴァは運が良いな」
 これが、吸血鬼だという。
 捕まえたという割には、ただ深い椅子に眠らせているだけで、手足を拘束している訳ではない。何かの魔法をかけてあるのだろうか。――見れば見るほど、幼い頃に会った魔女の顔、そっくりだ。ただ、その格好は、北の国で着ていたような厚着ではなく、南方の短衣に近い。赤い生地にすすけたような汚れが目立つ短い服の下から、すらりと白い四肢がながれる。
 呆然としていると、隣の椅子に座らされる。
 男は2杯目の甘粥を目の前に置いてくれた。
「森の中ででかい声で名乗ってる奴がいて、驚いたぜ。おかげで間に合った訳だが……。この吸血鬼は、魔女の顔をしているのか? アルヴァは、魔女と知り合いなのか」
 なるほど、それで、名乗っていないのに名前を知っているのか。
「……昔、会った事があるんです。俺は小さかったから、彼女は今の俺が分らないだろうと思ったんですが……。何故この吸血鬼が、魔女の顔に……」
「吸血鬼の発生時に、見る者の恐怖心が、その姿形を固定させる。一番恐れているものの姿で、吸血鬼は人を襲う。こいつに初めて遭った奴が、姿を固定させたんだろう。アルヴァに恐怖が無いなら、他の誰かだろうなぁ」
 足元に倒れていた魔女探しが、魔女と叫んで悲鳴を上げていたのを思い出した。
 では、彼らは、魔女のもとに一度は辿り着いたことになる。ほぼ壊滅状態で戻ってきたが。
 激戦だった湖沼の境界地帯は、どうなっただろう。
 考える事がぐるぐると頭の中で錯綜して、何をどうするべきなのか、混乱する。
「しかし、これが魔女の顔だってのが本当なら、皆が思ってるよりも随分普通の女の子だよなぁ。ほら、皆色々勝手に創作するじゃねぇか。やたら怖いのとか、やたら妖艶なのとか。そもそも、想像よりも、少し若いよな」
 ――言われてみれば、そうかも知れない。
 魔女探しの協会の色々な場面で彼女の容姿を説明してきたが、いつのまにか自分が年齢を重ねると同時に、年上の印象が強かった彼女の思い出のせいで、大人の女性、といった伝え方をしていたような気がする。
 それにしてもこれだけ吸血鬼に詳しい人間には、初めて会った。
 改めて男を見上げてみると、20代半ばだろうか、端正でどこか自信に満ちた目元に、人を惹き付けるものがある。
 肩のあたりで跳ね返る黒髪の後ろに長い三つ編みを垂らしているのが、印象的だ。
「恩人に、名前を伺っていませんでした」
 じっと彼をみると、その瞳まで綺麗な黒であることに気付く。
 南方地方の黒髪の人達の瞳は深い茶色が多い。
 どこからきたのだろう?
「俺はソーマ=デュエッタ。ちょっと色々あって流れてきたんだけど、今はこの街で、吸血鬼専門の退魔師をやらせて貰ってんだ。なんか性に合ってたんでな。アルヴァはどっから来たんだ? 魔女に会ったとか、面白い魔女探しだよな」
 そんなに朗らかに声をあげては、吸血鬼が目を覚ますのではと少しハラハラしたが、専門家なのだから、多分大丈夫なのだろう。
 眠っている吸血鬼の様子を気にしながら、そう無理矢理納得する。
「リュディア王国中央教会に所属しています。……色々な所を巡りましたが、吸血鬼の専門家とは、初めてお会いしました」
「へぇ、リュディアから来る魔女探しは結構いるけど、なんかお堅そうな所属だな。楽しいか?」
 一瞬、ぽかんとする。
 そんなこと、考えたこともない。
「あはは、楽しめよ、折角やってんならさ。俺も専門家やってて結構楽しんでるぜ。吸血鬼にだって個性があるし、物語がある。今回のこいつも、魔女の姿で、何を思ってんだかな」
 ――そうだ。
 ここまで来た目的を、見失いかけていた。
 魔女の力の源について、魔物に訊ねる。そして魔女への対抗策を立てるのが、今の自分の役割だ。
「ソーマ、この吸血鬼と、話をさせて貰う事は出来ますか?」
「お、少し調子が戻ってきたな。いいよ。だけど夜になってからだな。吸血鬼は、日のあるうちは寝てるからな」
 そうだった。
 夜が吸血鬼の活動時間だという事は、専門家ではなくても、誰でも知っている。
「それより誰か心配してるんじゃねぇか? 昨日魔物が柵を破った騒ぎがあったからな」
 彼が窓を開けると、涼しい朝の空気と一緒に、小さな悲鳴がとびこんできた。
「び、びっくりしたぁ! 何よアルヴァ、無事ならさっさと戻って来なさいよ」
 驚いたのはこっちだ。
 何故窓の外に、アクアがこっそり隠れているんだ。
「お嬢さん、照れなくていいから、扉からどうぞ。森の中にあるからって、別に、あやしい家じゃないよ」
「ええ、ありがと。すっごく怪しかったけど。昨日の魔物っぽいのは椅子で寝てるし、思いっきり警戒しちゃったわ」
 くしゃりと長い金髪を整えて息を吐いたアクアは、家主が開いた扉から素直に入ってきた。
「もう、リース様を探すのに忙しいのに、やること増やさないでよ。アルヴァらしくないじゃない」
「確かに、浅慮だったな。済まない……ノーリはどうしてる?」
「診療所よ。魔女探し達の治療を手伝ってるわ。戻って来た魔女探し達の中にリース様はいないし、知り合いもいないし、話を聞こうとしても皆錯乱状態で会話にならないし。結局、空から入ってどういう経緯であんなに魔物を連れ帰ってきたんだか。ちゃんと報告ができるのかしら」
 アクアが、頼もしい。
 彼女は冷静に椅子に眠る吸血鬼に目をおとして、ふーん、と言いながら腕を組んだ。
「これが、アルヴァが言ってた魔女の顔なのね。何回も聞いたけど、確かにどこにでもいそうな感じね」
 どこから聞いていたのか、聞き耳も良いようだ。
「とにかく。一度教会に行くわよ。あのおじさん……聖者様も、心配してたんだから」
「ああ」
 いつもの感じで椅子を立って、ふっと目の前が暗くなる。
 ふわっと身体が軽くなったと思ったら、ソーマの腕に倒れ込んでいた。
「いきなり動けば、そりゃ倒れるって。お嬢さん、こいつは吸血鬼に吸われて結構な貧血なんだ。教会までの坂道はキツいんじゃねーかな。乗馬も危ないし、本当は一日は安静にしておきたいとこなんだが……」
 ソーマのあたたかい声が、直に耳に響く。
 幼い頃に、頭を撫でてくれた魔女の優しい声が、どうしてか胸に蘇る。
 全然似ていないのに、どこか、同じような感じがする――
「いや……戻ります。協会に報告もあるし……」
 ぐい、とソーマの胸元から頭を外して、椅子につかまる。
 ぼうっとした頭が醒める。
 無理するなよと言われながら荷物を取りに小さな部屋に戻って、ふと包みが解かれている本に、はっとした。歴史家フェイゼル=アーカイルの亡霊が宿り、今なお執筆中の、鍵が開かない古書。亡霊本人に濡らすなと怒られたから大切に包んでいたものが、ポンと置いてある。それ自体は起きた時に気付いたが、そういえば起きがけに、ソーマの声が、何かを朗読していなかったか。
 ぐるりと部屋の中を見回しても、この本以外に、部屋の中に書籍はない。
 あるのは寝台と、干し草。それに水差しぐらいだ。
 本の鍵はかかっている。急に緊張してきた。
 いそいで荷物をまとめて外されていた装備を身につけて、ふらつきながら居間に戻った。
「あ、その本。少し難解な表現が多いけど、面白かったぜ。完結してないのが残念だな」
 手にした本を見るなり、あっさりそう言ってみせたソーマに、自分もアクアも、凍り付いた。
「……え? 鍵かかってなかったの?」
 アクアが、ぽかんとしてソーマと本とを見比べる。
「鍵? そういやかかってたかな。開けたら開いたけど」
「作者の亡霊が出ませんでしたか?」
「ああ。丁寧に読むのを、大人しく聴いてた。内容の推敲でもしてたのかね。完結できればいなくなるだろ。……完結、させてやりたいもんだな」
 そういって、さらりと本を撫でる。
 彼のあっさりとした口調にかかると、当然の事のようにきこえてしまう。
 しかし、あれだけ頑に絶対開かせないと言っていたフェイゼルの亡霊が、初めて本を手にしたソーマに、何故あっさりと読ませたのだろうか。試しにもう一度鍵を開けようとしてみたが、びくともしない。
「ソーマ、この本の中身を全部読んだんですか?」
「ああ。俺このへんの出身じゃねーから、よく分からん所もあったけど、魔女の歴史の物語だよな。なんか、読んじゃ駄目な本だった?」
「いや――」
 おもわず声が大きくなりかけたのを、ひと呼吸おく。
「逆です。この本にはより多くの魔女の情報が書かれている筈なんです。今回、メルド湖沼地帯に上空から入るという方法を得たのも、この本の亡霊からでした。何かもっと――魔女の力の源についてとか、参考になるような記載はありませんでしたか?」
 一気に喋って、息が切れた。
 まぁ落ち着けよと差し出された甘粥の香りは、どこか、彼の余裕そのものだ。
 流石にアクアも黙って、彼が考え込むのを見守る。
「力の源かぁ……そんな記述は無かったかな。俺は、愛だと思うけど」
「愛?」
「……愛って、普通にあの愛?」
「愛は、愛だろ」
 ぽかんとして馬鹿みたいに繰り返した自分たちに、ソーマは真面目な顔で頷く。
 ふざけている訳ではないらしい。
「戦争の時代に魔女の元になった魔法使いが、相方を戦争で亡くして怒って魔女になって、洪水で戦争を無くしました。それが最初の部分だ。魔女の力の事だけ考えるとしたら、最初にあったのは、相方への強い愛情だろ?」
「いやいやいや、そんなのは戦争あった時代にはよくある事だったんじゃない。どうしてその魔法使いが魔女になるだけの力を手に入れたかを知りたかったんだけど。それは書いてなかったって訳なの?」
「えぇ~俺に怒るなよ~そんなの書いてなかったよ~」
 アクアに詰め寄られて、ソーマが唇を尖らせる。
 矛盾しているが、少し、安心した。
 はるばる旅をしながら危険を冒して魔物に訊こうとしていた中身が、実は手元の本に書いてあったとしたら、この旅は何だったのかということになる。
「……ソーマ。教会に、一緒に来て貰えませんか?」
 まだまだ本の内容を聞きたいし、軽い調子に反して博識な彼がいれば、怯え切っているという魔女探し達からも、何か情報を聞き出せるかも知れない。
「何だよ、俺と別れるのが寂しいのか? 仕方ないなぁ~アルヴァは」
 くしゃ、と頭を撫でられて、そうじゃなく、と慌ててその手を掴む。
 こういう彼の言動が、いちいち魔女の思い出と被って、変に緊張させられる。
「あはは、わかってるって。お嬢さんの手助けだけじゃ、坂道はきついだろ。抱っこしてやるさ」
「さっきからお嬢って……アクア=エルタスです。ソーマさん」
「やっと名前が聞けた。よろしくな、アクア」
◇◇◇アーペの飛行技術開発◇◇◇
 森の中からアーペの街に戻ると、昨日とは違い、どこか緊張した空気が流れていた。
 長年街の防衛になっている守護の聖者の柵が、一部とはいえ破られたのだ。住人の不安は当然のことだろう。
 丘陵につくられた街並の坂を、ソーマに支えられながら歩く。
 最初は過保護なまでに世話をやいてくるソーマの背中に揺られていたが、人目のあるところで降ろして貰った。
 正直、恥ずかしい。そしてアクアの視線が優しげなのが、何故か、怖い。
 しかしゆっくり歩いてみて気付いたが、この技巧の街の技術は、生活に溶け込んでいるようだ。石造りの道の中央は馬車用に舗装され、両端は歩行者用になだらかな階段になっている。一定間隔で休憩用の椅子が設置されている事に、街の運営者の配慮が感じられる。
 それが貧血で重い身体には、有難い。――貧血がこんなに辛いものだとは、知らなかった。
 やっと教会に辿り着くと、かなり日が昇っていた。
 年季の入った立派な木造の教会を見上げて大きく溜息をつく。死者の弔いの鐘が、何度も鳴り響いている。あれだけの混戦だ。死者が出ていて当然だが、やはりその数の鐘をきくと、取り返しのつかない現実を突き付けられる。
 聖堂は厳粛な空気に満ちていたが、魔女探しの姿はない。多くの棺の前に、聖使達が花を添えていた。
「生き残りは診療所よ。命に別状が無くても錯乱状態で、とてもここには連れて来れないの」
 アクアは聖堂をざっと見回して、聖使に声を掛けて聖者の所在をたずねる。
 無駄の無いアクアの行動に、アルヴァは、少し驚かされていた。
 いつも効率的なリースの後についてまわっていただけのことはある――とみて、いいのだろうか?
 なにか、違和感がある。
 自分の調子が悪くてそう感じるだけだろうか?
 聖者は執務室にいた。流石に昨日の作業着姿ではなく、きちんと聖者とわかる丈の長い聖衣を着ている。
 黙っていれば、年相応の風格をもった聖者なのだが――。
「おお、無事だったな。ソーマに助けられたのか。一晩一緒にいて、食われなかったかね?」
「やだなぁ聖者様。俺は手負いの人間をつまみ食いなんてズルい真似はしませんよ」
 ――この二人は、何を言っているのだろうか。
「……協会の人間を助けて頂き、ありがとうございました。街の退魔師の方は大丈夫でしたか?」
 話を本題に逸らす。
 軽口に長々と付き合うような気力はない。
「ああ。街の奴らは多少の怪我はしたが、死んじゃいねぇ。アルヴァといったか。お前さんの騎馬戦には驚かされたぜ。それで大分助かった。ありがとな」
 騎馬戦――。言われてみれば、そういうことになるのか。馬に乗ったまま戦ったのは初めてだったが。
 口は軽いが温かい言葉に、死者の数で冷えきっていた胸が少し温む。
「それにしても今回の飛行技術開発は、この技巧の街としても相当な技術成果だ。空を飛べる付加価値をみても、かなりやばい。街の奴らも職人魂に火が着いてどんどん改良を進めてる。問題は費用だ。いい取引先を探してるんだが、何処か心当たりとかあるか?」
 いきなり昨夜の話から、機工の話になった。
 この街全体の技術者の熱意はかなりのものだろう。
 そして多分、魔女探し達がこうして満身創痍で戻ってくるのは、想定済だったということか。
「……それは、各地を巡っている商人にお声がけしたほが良いと思いますが……」
「商人にはうまい商売になるだろうな。だが、でかすぎる利権は、争いの種だ。何かいい案ねぇかなと考えてんだよなー」
「教会で扱うのはダメなんですか? 天使を奉戴してる教会に、空を飛べる機工ってピッタリじゃねぇですか?」
 ソーマが首を傾ける。
「あー確かに、似合う話なんだが、教会の経済の大半は国とか地域の予算から出てる。アーペでだけ事業展開するとなると、別の教会からの反感を買ったりするだろ。面倒事にはしたくねぇんだよ」
 商人に依存せず、金銭的なしがらみが無い取引先――。
 アルヴァは、少し慎重に口をひらいた。
「――魔女探しの協会、はどうでしょう。今資金源のようなものはありませんが、各地の教会に広まり始めていますし、国の管轄下には無い組織です。各地を旅している魔女探し達であれば需要がありますし、売買の基盤を協会にすれば、地域間での利権問題にもならないのでは」
 情報共有を主軸にしている協会に金銭的な話を持ち込んで良いのかは、わからない。
 だが、協会の中心人物であるクレイ=ファーガスに話が通れば、難しい事ではないだろう。
「お、それ良いな! じゃあその方向でやっていくか!」
 慎重に話をしたつもりが、あっさり軽く重要な話が進んでしまった。
「ちょっ……これは俺の意見で、協会の代表者の承諾を頂く必要が……」
「ああ、クレイだな。あいつは面白い話には乗ってくる奴だし大丈夫だろう。俺からの手紙書いとくから、技術資料を領主のアンゼリカから貰ってきてくれんか」
 机上に散乱していた紙切れに、簡単な紹介を一筆したためて、渡される。
 流石に死傷者が多く出ている時に、聖者がここを留守にする訳にはいかないだろう。
「診療所で退魔師達の取り纏めをしてる筈だ。ソーマも知ってるよな」
「勿論。案内しますよ」
 教会をあとにして、ソーマの案内で隣接する診療所に向かうことになった。
 眠そうなアクアも、欠伸を噛み殺しながら黙ってついてくる。
 死者の弔いに厳粛な空気だった教会とは違い、こちらは、まだ戦場のような雰囲気に満ちている。簡易台の上で呻くようにうなされている魔女探し達は、話し掛けられるような状態ではない。
 診療所の外では天幕を張り、地元の退魔師達の炊き出しをしていた。
 そこだけ、少し温かい空気がながれている。
「ノーリがここを手伝ってたから、昨夜は私もここにいたの。ぐっすり寝るどころじゃなかったわ」
「そういえば、ノーリは……?」
 ざっと診療所の中を見て回ったが、それらしい姿はない。
「いないわね……一晩中働いてたみたいだから、どこかで休んでるのかもね」
 炊き出しを囲む集団に近付くと、こちらに気付いた退魔師の一人が立ち上がった。
「おぉ、あんた生きてたのか! まぁこっちに来いよ。凄い戦い方だったよな!」
 一斉に振り返った好奇の視線に晒されて、おもわず一歩引きたくなる。
「ん? 誰か来たのか? ああ、ソーマか。まぁ折角来たなら食っていけ」
 巨大な鍋を抱えた作業着の女性が、炊事場から平然と歩いてきて、ドスンと鍋を地面に置く。
「お、丁度良かった、アンゼリカさん。今日も美人ですね!」
「その顔に言われると腹が立つが、まぁいい。昨夜の騒ぎは知ってるだろうが、森に異常はなかったか? そっちの魔女探しっぽいのは無傷のようだが――」
 ちら、とこちらを見る彼女は、皮肉ではなく本当に美人の域に入る。
 短い焦げ茶色の髪に、塗料でまだらになった作業着姿。遠目で見るとただの技工士だが、間近に立つと、年齢不詳で、不思議な品がある。
「領主様、彼ですよ。彼が馬で戦ってくれて、俺達も大分助かったんですよ」
 退魔師が食べながら集まってくる。
 アンゼリカ――領主とは、この女性か。見た目と役職が合わないのは聖者と同類なのだろうか。
「私は今朝ここに来たから、その話は聞いていなかったが……活躍してくれた訳だな?」
 何故かまわりの退魔師達が、無傷でいるアルヴァを弁護するような格好になっていた。
「吸血鬼に襲われてたのを、俺が拾ったんですよ。それはそうと、飛行技術の資料を聖者様から貰ってくるように言われてます。このアルヴァが、いい取引先を思い付いたんでね」
 ソーマが、聖者から預かった一筆の紙切れを自分の手からスルリと取って、アンゼリカに渡す。
「そうか。では少し場所を変えよう。診察室が空いてた筈だ」
 サッと建物に足を向けた彼女のあとに続く。
 退魔師達の好奇の視線から逃れられるのは有難い。
 診察室の白い仕切りを端に寄せて、小さな部屋の中を出来るだけ広くする。
 雑多に散乱した机上の器具を端に寄せ、アンゼリカはそこに紙をひろげた。
「改めて、私はアンゼリカ=ケルン。この東地区アーペの領主だ」
 彼女の視線をうけて、アルヴァは背筋を伸ばして手を胸に添える。
「リュディア王国中央教会所属、アルヴァ=シルセックです。こちらは同僚のアクア=エルタス。今回は魔女探し協会の一員として行動しています」
「リュディアか。クレイもリュディア王国の出身だったな。あの前衛が、よく協会なんて始めたものだ。奴も年齢には勝てなかったという事かな」
 口調はどこまでも淡々としているが、そういう領主の表情が、どこか、あたたかいものになる。
 協会の代表者であるクレイ=ファーガス。彼の人脈は、一体どこまで広いのだろう。
「さて、協会との連絡は、私が引き受けている。この街に来る魔女探しは、あまり逗留しないからな。大勢の魔女探しが空からの突入に向かうという報せも、私に届いていた。だからこそ素早く飛行技術の開発に取り掛かることが出来た訳だ」
 論理的な語り口に、ようやく少しだけ安心する。
 聖者やソーマの軽口のままにダラダラと話をされては、たまらない。
「そうでしたか。ご協力、ありがとございます。飛行機工の取引を扱う基盤として、聖者様にはその魔女探しの協会を提案しました。クレイ=ファーガスに手紙を出して頂けるとのことで、技術資料のご提供をお願いしに来ました」
「ふむ、まぁそんなに堅苦しくなる必要はない。私も聖者も、クレイとは既知の仲だ。少し肩の力を抜くと良い。吸血鬼に襲われたと聞いたが、顔色が悪いぞ。無理せず、座りなさい」
 爽やかに笑んだ領主は、机上の紙に大きく何かの図面を描き始めた。
 先に適当な椅子で寛いでいたソーマが、にこやかに手をひろげてくる。
「アルヴァ、俺の膝に座ってもいいんだぜ?」
「い、いえ、こちらの椅子をお借りします」
 どうして彼は、そう、距離感を攻めてくるのだろう。
 しかも不思議と落ち着いた魅力を放ってくるのは、端正な顔のせいだろうか?
 領主が何かを描いているのが見える位置に、椅子を持ってきて座る。
「……ソーマさん、強いわね」
 隣に椅子を並べたアクアの独り言に、黙って頷く。
 一方で、領主がサラサラと紙面に描いていく図は、見た事の無い形ばかりだ。
 飛行機工。
 今までどこにも空を飛ぶような機工はなかったのだから、当然か。
 それにしても僅かな期間でそんな物を開発したこの街の開発力と技術力は、本当に凄い。
「まずは概要だけ説明しよう」
 あっというまに完成した綺麗な線の完成図。
 そこには、どうやら複数人が乗るものと、一人だけが乗るものの2種類が描かれている。
「見てわかる通り、2種類ある。簡単に『大型』と『小型』と呼んでいる。最初の動力に風魔法が必要だから、両方とも風魔法を使える人間が必要だ。今回のように集団利用であればそこは協力して補うことが出来るが、特に小型を売り出すならば改善の必要がある。改善点の計画書と見込み費用を纏めれば、話が通しやすくなる筈だ」
 空を滑空する鳥を連想させるような大型と、それを簡素に縮小したような小型。この図だけみても、魅力的な機工だ。実物を使った魔女探し達は、きっと興奮しただろう。
「しっかし、これ全部、魔女探し達があっち側に置いて来ちまったんだよな。勿体無ぇよなぁ。どうせ戻ってくるんなら、持って帰って来てほしかったよな」
「まぁ、仕方ないな。設計図はあるのだし、また作れば良い。小型は数台残っているから、アルヴァに進呈しよう。協会に話もしやすくなるだろう?」
 実物があるほうが、机上の空論ではないことがよくわかる。
 頷いてから、困ったな、と思う。この流れだと、自分たちが、クレイに手紙と実物を持っていく事になる。魔女の力の源についての情報収穫は、まだ、何もない。同じ目的を持って姿を眩ませたリースの消息も全く掴めていない。
「……どうした? 何か足りないものがあるか?」
「いえ、充分すぎるほどです。ただ、俺達が他の魔女探し達よりも遅れて到着したのは、空からの調査とは別の目的があったからで――。魔女の力の源について調査しているのですが、何かご存知の事はありませんか?」
 ――人間から得られる情報は、フェイゼルの古書以上に、詳しい本は無いような気もするが。
「ああ、前に連絡が来ていた件か。古本を少し調べてみたが、関連するような情報は無かったな。魔女の力といったら、魔力や魔法の技術という事になるかな? 力になれなくて済まないね」
「いえ、ありがとうございます。……少し、時間をください。この地での調査が終わったら、クレイ=ファーガスに話を持って行きます」
 まずはソーマの家に捕らえてある吸血鬼に話を聞きたいが、それは夜になる。
 日中は街の中で口伝を訊いたり、リースの手掛かりを探さなければならない。
「まぁ機工の話は急ぐものではない。朝飯はとったのか?」
 概要図を畳んで渡してくれた領主が笑んだのをみて、ほっと息をついた。
 ――少し、姿勢を正していた緊張が、緩む。
「あ。甘粥しか口にしてねぇよな。俺も腹減った! 炊き出し貰いに行こうぜ!」
 ソーマがぱっと立って、腕を支えてくれる。
 ふらつきそうになったのを察知したのだとしたら、彼の医者のような対応力は、頼もしい。
 もういちど診療所の外に出ると、天幕の片隅に座らされ、ソーマは炊出しを貰いに走っていった。
 領主は館に戻って資料を揃えておいてくれるらしい。
「ふあぁ……ねっむ~い……なんでやる事が増えていくの……私はリース様だけ探せればいいのに~」
 2人だけになったところで、アクアが大きな欠伸をする。
「どこに行っちゃったのかしら……まさか他の魔物と同じように柵の外で活動してるのかしら? ……それはそれで、素敵かも……」
 またいつもの調子で空を見上げてしまったアクアに、少し安心する。
 ここに来てからの彼女は、どこか、いつもと様子が違う気がしていた。
「まずは、街の中で口伝を調査する。魔物にものを訊くのは、ソーマの家に捕らえてある吸血鬼からが確実だからな。同じ情報に行き着くなら、リースを直接探すよりも会う可能性が高い筈だ」
 今のアクアに聞く耳があるのかは一寸分からないが、一応言っておく。
 放っておくと一人で街の外に探しに行ってしまいそうだ。
 ソーマが、3人分の皿を持って戻って来た。ほかほかの芋に、何か黄色いものと木匙が添えられている。
「汁物は品切れだってさ。戦場食みたいなのしか無かったけど、これはこれでまぁまぁだ」
「芋……?」
「ん? 食った事無いか? じゃがバター。まぁ食ってみろよ。熱いから気をつけろよー」
 ソーマの食べ方を見ながら、熱そうな部分に気をつけて食べてみる。
 熱い。そして、甘くてこってりとしている。確かに戦場食のような食べ物だ。
「アーペでは柵の外じゃ畑を拡げるのが大変だからな。作ってるのは根菜ばっかりで、葉ものとか果物は他所から買ってるんだ。畜産もだな。しかも皆機械の事しか考えてないから、はっきり言えば、美味い飯がない!」
 満面の笑顔で言い切ったソーマに、きこえたぞ、と遠くに座っていた退魔師から野次がとんでくる。
「……そういえばソーマはこの地域の出身じゃないと言っていましたが、どこから来たんですか?」
 結構旅をしたつもりでいたが、彼の黒い瞳は、どこからきたのだろうと思う。
「ふ。地平線の向こう側からやって来たのさ。凄いだろっ」
「私、まだ地平線って見た事無いのよね。本当に線なの?」
 アクアが、平然と芋を食べ始めていた。
 熱くないのか。
「そう。どこまでも、どこまでも、近付こうとしても決して近付けない線があるんだ。地面のはるか向こうで、それは天と地とを区切る。山があろうと森があろうと、見る事が出来なくても、その線はずっとそこにある。そうだな、もしかすると、飛行機工が発達すれば、見る機会があるかも知れないぜ」
 いつもの軽口かと思っていたものが、思いのほか詩人になったのに驚かされた。
「凄く遠くから来たってことね。リュディア王国も結構遠かったし、まだその先にリーオレイス帝国もあるし、本当、旅って大変。リース様と一緒じゃない旅なんて、楽しくもないし……」
「アクア、ノーリが色々和ませてくれていたのは、分っているか?」
 リースがいなくて文句ばかりの馬車旅に、ノーリがいなかったら、自分はそれを聞き流せていたか、わからない。
 少なくとも胃のあたりがおかしくなっていただろう。
「あ。そうだ、ノーリは結局どこで休んでるのかしら。診察室にもいなかったし、大部屋にもいないみたいだったし」
 確かに、見かけない。
 診療所にはそんなに隠れるような場所もない。
「ここで休んでいる訳ではないのか……」
「なぁ、そのノーリって、誰なんだ? 男?女?」
 そういえばソーマはまだノーリに会っていない。
「アルヴァと同じような金髪の男よ。私達と同じような旅装だし、他の魔女探し達は皆倒れてるからすぐに見分けがつくと思うんだけど」
 退魔師達に聞いてみても、皆首を傾げるばかりだ。
 昨夜、魔女探し達の手当をしていたのは皆覚えているが、いつのまにか、姿を見なくなったという。
「まぁいい。調査で街の中を巡っていれば、そのうち合流できるだろう。薬屋か宿屋かも知れない」
 やることが増えている以上、ノーリを探すのに時間を食っている訳にもいかない。熱すぎる芋をやっと飲み込んで、暖まった身体をのばす。まだ怠いが、街中を歩くぐらいならできる。
 ――坂道がなければ、もっと良いのだが。