◇◇◇【幕間】世界の果てから◇◇◇

ー/ー




 地平線の彼方まで続く、砂。

 踏みしめる足元がざくざくと音を立て、少し沈み込む。ひたすら砂しか無い景色の中を、まっすぐに、西を目指して、歩く。
 少しずつ水筒の水で唇を濡らしてきたが、その水も、もう殆ど残っていない。
 最後に食べた物は何だったろう?
 ただひたすら西へ、足を動かす。止まってしまえば、俺は、この砂の一部になるだろう。
 まだこの足が動くうちは、砂になる訳にはいかない。

 沢山の人々を殺してきた。
 それは事実だ。
 世界の果ての砂漠で野垂れ死ぬというのは、似合いの最期だろう。
 だが、ここで死ぬつもりはない。
 西の砂漠の果てに何があるのか、俺は知らない。
 誰も、知らない。
 誰も、行って戻ってきた事がない。
 だから辿り着く。
 歩かなければ、辿り着けない。

 日が昇っては沈んで、星がきらめく。
 まっすぐ進んでいる事にだけ注意してきた。
 もう俺が生きているのを知っているのは、星ぐらいか。
 ぐるぐると斜めに巡る星の回転の中心に、ただひとつ動かない北の星。
 それを目印にしながら、ずっとずっと歩いてきた。
 
 いつもの星空に、不意に厚い雲がかかる。どうせなら水をくれ、と心の中で呟いていると、本当に水がおちてきた。久しぶりの水滴が、辺りに満ちていく。喉が潤ったのを喜んだのも束の間で、視界は暗く塞がり、足元はあっという間に泥水が溢れて、しかも流れ出した。
 歩くどころではない。流れに足を取られて、泥に流される――。雨水と泥水にもみくちゃにされて、今まで歩いてきた速度よりずっと速く、砂の大地の上を滑っていく。水に埋まらないように必死で息を確保するので精一杯だ。
 ただでさえ疲れきった状態で、これはまずい。
 何度か意識が飛びかけて、もう無理だと思った瞬間――
 いきなり尻から硬い地面に滑り落ちた。

「いって……!」
 暗くてよく見えないが、どうやら砂地の窪みにある岩に滑り落ちて、そこに引っかかったようだ。尻は激しく痛いが、そのかわり意識がはっきりして、ついでに泥水の奔流から少しばかり外れる事が出来たのは、幸運だった。
 左肩を打つ泥の滝からそっと離れ、口に入った砂利を吐き出して、呼吸を整える。
 疲れた。
 たっぷり泥水を吸った服が、もう動きそうにない四肢に重くのしかかって、気持ち悪い。
 ぼんやり目を開けていると、空が明るくなってきた。
 いつのまにか雨雲はどこかへ流れ去り、傍を流れる泥水も、小さくなってきている。こんな水に殺されかけたのか、と小さく笑って足元に目を落とし、一瞬、目を疑った。
 なんでここに、緑があるんだ。
 引っかかった岩場の下に、朝焼けにきらきら輝く、小さな緑の森が広がっていた。
 四肢の疲れも吹っ飛んで、転がるように緑の中へ駆け込む。
 木の匂い。
 生きているものの気配。
 ただそれだけを、これだけ有り難く感じた事はない。
 清流の音まで聞こえてくる。
 温かい木々につかまりながら、よろめく足を引きずって先へと進む。
 きれいな水が飲みたい。

 きらきら光る澄んだ湖面をみつけるなり、重い服を剥がし取って、突入した。
 やわらかく冷たい水に全身を包まれて、ひどく安心する。
 口をすすぐと甘くて、まさに生き返る心地がした。
 ひとしきり水を飲み、ずぶ濡れになった髪を搔き上げて、溜め息をつく。
 顔をあげると、木々の隙間から朝日がさしてきていた。

「ひとまず生き延びたか。流石に、人は住んでねぇよなぁ」
 久しぶりにまともな声を出してみたが、ああ、生きていたなと実感する。
 落ち着いてから改めて周りを見渡すと、この水場は、ちょっとした湖の淵のようだ。
 人の気配も、魔物の気配もない。
 さっき身に付けていたものを全部脱ぎ捨てたから丸腰だ。
 勢いで水に突っ込んだが、もし魔物がいたら危険な行動だった。

 湖の奥に、木々の森がある。
 脱ぎ捨てた服と装備を拾って泥汚れを洗い、手近な木の枝に掛けておく。
 乾いたら回収しよう。
 冷たくて気持ち良い湖をスウッと泳いで森に近づいてみる。
 針のように細い葉の常緑樹が生い茂り、人の手が入っている様子は無い。

 もう何日もつきあってきた砂の景色と、全く別次元の光景だ。
 湖から出て、森のなかにそっと足を踏み入れる。
 ふわりとした腐葉土の感触。
 広大な砂漠地帯がすぐそこにあるとは思えない地面と、空気。
 静けさの中に、鳥の囀りがきこえてきそうだ。

 ざあ、と木々を鳴らす風が吹く。
 針のような常緑樹の葉を踏んでいくと、すこし拓けた場所に出た。
 黒い幹の見事な緑の木が、涼しげな木陰をつくっている。

 ただの、木の筈だ。
 なのにどうして、胸が熱くなるのだろう?
 今必要なのは、食糧になる何かであって、実の無い木ではない。
 そういう理性的な考えを無視して、足が勝手に、その常緑樹にむかった。
 そっとその黒い幹に触れる。

 突然、ぱあっと回復魔法のような紅色の光が木から溢れた。
 緑の木が、一瞬で、薄紅色の満開の花を咲かせる。
 俺は、これを、知っている。
「……桜……」
 限界を迎えていた体力が急激に回復する。
 そして頭の中に、知らない筈の場所の記憶が差し込んでくる。

 吹雪のような桜の景色――何度も生まれ変わる前に、自分が、いた場所。
 ――やっと、また、出逢えた。
 さあ、と薄紅色の桜吹雪が目の前で渦巻く。
 それはあっというまに、小さな女の子の姿を象った。
 滑らかな黒髪の毛先は、まるで桜の精霊のように、紅色だ。

「また、あえたね。なんまんねんぶりかな?」
 幼い、涼やかな命の声。

「……ちょっ……どう、して……」
 ドッと落ちてきた豪雨のような、記憶の洪水。
 両手で頭を抱えても、こんな重さ、かかえきれない――――
「おもいでは、ひつようななところだけ、とりだしなさい。桜咲くJP自治区――日本にいきた、わたしの、おとうと」

 地球は、一度、壊滅した。月が砕けて降り注いだからだ。
 それから何万年もの歳月をかけて、氷河期を越え、緑の大地が戻ってきた。
 だから、この文明は、自然を尊ぶ教会を持つ。それがこの世界の夜空に、月がない、理由だ。

「……御影姉さん。姉さんと呼ぶには、縮み過ぎだぜ」
「ん?  たしかに。毛先も赤いし、じゃあ、緋影ちゃんってよんでくれる?」
「そういうのは似合わない」
 少しずつ抱えた頭が整理され、ようやく軽くなってきた。
 この世界は、人類の2回目の文明だ。
 だが俺は2回目どころではない。前の文明から、何度も何度も生まれ変わりを繰り返している。
 この、常軌を逸した存在である、姉のせいで。

「――この森の西側には、何があるんだ?」
「せんそうの無い、せかい。いっしょにいこう。ソーマ」



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 地平線の彼方まで続く、砂。
 踏みしめる足元がざくざくと音を立て、少し沈み込む。ひたすら砂しか無い景色の中を、まっすぐに、西を目指して、歩く。
 少しずつ水筒の水で唇を濡らしてきたが、その水も、もう殆ど残っていない。
 最後に食べた物は何だったろう?
 ただひたすら西へ、足を動かす。止まってしまえば、俺は、この砂の一部になるだろう。
 まだこの足が動くうちは、砂になる訳にはいかない。
 沢山の人々を殺してきた。
 それは事実だ。
 世界の果ての砂漠で野垂れ死ぬというのは、似合いの最期だろう。
 だが、ここで死ぬつもりはない。
 西の砂漠の果てに何があるのか、俺は知らない。
 誰も、知らない。
 誰も、行って戻ってきた事がない。
 だから辿り着く。
 歩かなければ、辿り着けない。
 日が昇っては沈んで、星がきらめく。
 まっすぐ進んでいる事にだけ注意してきた。
 もう俺が生きているのを知っているのは、星ぐらいか。
 ぐるぐると斜めに巡る星の回転の中心に、ただひとつ動かない北の星。
 それを目印にしながら、ずっとずっと歩いてきた。
 いつもの星空に、不意に厚い雲がかかる。どうせなら水をくれ、と心の中で呟いていると、本当に水がおちてきた。久しぶりの水滴が、辺りに満ちていく。喉が潤ったのを喜んだのも束の間で、視界は暗く塞がり、足元はあっという間に泥水が溢れて、しかも流れ出した。
 歩くどころではない。流れに足を取られて、泥に流される――。雨水と泥水にもみくちゃにされて、今まで歩いてきた速度よりずっと速く、砂の大地の上を滑っていく。水に埋まらないように必死で息を確保するので精一杯だ。
 ただでさえ疲れきった状態で、これはまずい。
 何度か意識が飛びかけて、もう無理だと思った瞬間――
 いきなり尻から硬い地面に滑り落ちた。
「いって……!」
 暗くてよく見えないが、どうやら砂地の窪みにある岩に滑り落ちて、そこに引っかかったようだ。尻は激しく痛いが、そのかわり意識がはっきりして、ついでに泥水の奔流から少しばかり外れる事が出来たのは、幸運だった。
 左肩を打つ泥の滝からそっと離れ、口に入った砂利を吐き出して、呼吸を整える。
 疲れた。
 たっぷり泥水を吸った服が、もう動きそうにない四肢に重くのしかかって、気持ち悪い。
 ぼんやり目を開けていると、空が明るくなってきた。
 いつのまにか雨雲はどこかへ流れ去り、傍を流れる泥水も、小さくなってきている。こんな水に殺されかけたのか、と小さく笑って足元に目を落とし、一瞬、目を疑った。
 なんでここに、緑があるんだ。
 引っかかった岩場の下に、朝焼けにきらきら輝く、小さな緑の森が広がっていた。
 四肢の疲れも吹っ飛んで、転がるように緑の中へ駆け込む。
 木の匂い。
 生きているものの気配。
 ただそれだけを、これだけ有り難く感じた事はない。
 清流の音まで聞こえてくる。
 温かい木々につかまりながら、よろめく足を引きずって先へと進む。
 きれいな水が飲みたい。
 きらきら光る澄んだ湖面をみつけるなり、重い服を剥がし取って、突入した。
 やわらかく冷たい水に全身を包まれて、ひどく安心する。
 口をすすぐと甘くて、まさに生き返る心地がした。
 ひとしきり水を飲み、ずぶ濡れになった髪を搔き上げて、溜め息をつく。
 顔をあげると、木々の隙間から朝日がさしてきていた。
「ひとまず生き延びたか。流石に、人は住んでねぇよなぁ」
 久しぶりにまともな声を出してみたが、ああ、生きていたなと実感する。
 落ち着いてから改めて周りを見渡すと、この水場は、ちょっとした湖の淵のようだ。
 人の気配も、魔物の気配もない。
 さっき身に付けていたものを全部脱ぎ捨てたから丸腰だ。
 勢いで水に突っ込んだが、もし魔物がいたら危険な行動だった。
 湖の奥に、木々の森がある。
 脱ぎ捨てた服と装備を拾って泥汚れを洗い、手近な木の枝に掛けておく。
 乾いたら回収しよう。
 冷たくて気持ち良い湖をスウッと泳いで森に近づいてみる。
 針のように細い葉の常緑樹が生い茂り、人の手が入っている様子は無い。
 もう何日もつきあってきた砂の景色と、全く別次元の光景だ。
 湖から出て、森のなかにそっと足を踏み入れる。
 ふわりとした腐葉土の感触。
 広大な砂漠地帯がすぐそこにあるとは思えない地面と、空気。
 静けさの中に、鳥の囀りがきこえてきそうだ。
 ざあ、と木々を鳴らす風が吹く。
 針のような常緑樹の葉を踏んでいくと、すこし拓けた場所に出た。
 黒い幹の見事な緑の木が、涼しげな木陰をつくっている。
 ただの、木の筈だ。
 なのにどうして、胸が熱くなるのだろう?
 今必要なのは、食糧になる何かであって、実の無い木ではない。
 そういう理性的な考えを無視して、足が勝手に、その常緑樹にむかった。
 そっとその黒い幹に触れる。
 突然、ぱあっと回復魔法のような紅色の光が木から溢れた。
 緑の木が、一瞬で、薄紅色の満開の花を咲かせる。
 俺は、これを、知っている。
「……桜……」
 限界を迎えていた体力が急激に回復する。
 そして頭の中に、知らない筈の場所の記憶が差し込んでくる。
 吹雪のような桜の景色――何度も生まれ変わる前に、自分が、いた場所。
 ――やっと、また、出逢えた。
 さあ、と薄紅色の桜吹雪が目の前で渦巻く。
 それはあっというまに、小さな女の子の姿を象った。
 滑らかな黒髪の毛先は、まるで桜の精霊のように、紅色だ。
「また、あえたね。なんまんねんぶりかな?」
 幼い、涼やかな命の声。
「……ちょっ……どう、して……」
 ドッと落ちてきた豪雨のような、記憶の洪水。
 両手で頭を抱えても、こんな重さ、かかえきれない――――
「おもいでは、ひつようななところだけ、とりだしなさい。桜咲くJP自治区――日本にいきた、わたしの、おとうと」
 地球は、一度、壊滅した。月が砕けて降り注いだからだ。
 それから何万年もの歳月をかけて、氷河期を越え、緑の大地が戻ってきた。
 だから、この文明は、自然を尊ぶ教会を持つ。それがこの世界の夜空に、月がない、理由だ。
「……御影姉さん。姉さんと呼ぶには、縮み過ぎだぜ」
「ん?  たしかに。毛先も赤いし、じゃあ、緋影ちゃんってよんでくれる?」
「そういうのは似合わない」
 少しずつ抱えた頭が整理され、ようやく軽くなってきた。
 この世界は、人類の2回目の文明だ。
 だが俺は2回目どころではない。前の文明から、何度も何度も生まれ変わりを繰り返している。
 この、常軌を逸した存在である、姉のせいで。
「――この森の西側には、何があるんだ?」
「せんそうの無い、せかい。いっしょにいこう。ソーマ」