◇◇◇思い出と記録◇◇◇
ー/ー夜の街の暖かい薄明りが、セトの店先に佇んだ黒い影をぼんやりと照らした。
「――僕をみていたのは、君だね?」
「気付いていましたか。さすが、ですね」
黒い影は組んでいた腕を解き、片手に小瓶を揺らしてみせる。
「昼間は良い本をご紹介頂きまして、ありがとうございました。――俺は、リース=レクト。記憶を失くす前の貴方に会っている。……こんな自己紹介で、思い出して頂けるとは思いませんが」
見た目が盗賊のような男に尾行されたうえに、この言葉だ。
セトは眉間に皺をよせて、首を傾けた。
「会っている? ……全然覚えてない」
「もう10年も前ですし。それに、完全に、別の人生を歩んでいるようですね」
リースの言葉の意図が、全然分からない。
掲げた小瓶をトンと渡されて、僅かに触れた指先から、静電気がはしる。
「リュディアの銘酒です。お酒は、飲みますか」
「それなりに。でも、酔わないよ」
リースが、それに小さく笑ったようにみえた。
「――差し上げます。それと、ひとつお願いがあるんですが……少しだけ、教会に来るのを、控えて貰えないでしょうか」
「なにそれ。僕がいると、何か都合が悪いって事?」
「……俺ではなくあなたにとって、都合が悪い事になりそうだからです」
「?? 意味分かんないんだけど。明日は行かないよ。面倒な仕事を片付けなきゃいけないし。明後日は聖女様との約束があるけど……まあ、気に留めてはおこうか」
小瓶を揺らして、薄明りの中で銘柄を確認する。
蒸留酒だ。たぶん、紅茶で割っても美味しい。
「あ、そうだ。日中言ってたフェイって人だけど、女の人だったりする?」
突然飛んだ話題に、今度はリースが首を傾げる。
「関係無いかも知れないけど、似た名前の本が出てきて。ちょっと待ってて。取って来るから」
扉の鍵をあけて、暗い店内に入る。
荷物を適当に置いて引き出しから古本を取り出した。書いてある文字を窓からこぼれてくる薄明りで確認する。
「これなんだけど――」
振り返って、リースが扉の中に入ってきているのをみて、ちょっと息を切る。
「……フェイゼル=アーカイルって書いてあるんだけど、違う人かな?」
足音もなく近付いてきて、リースは差し出した本を両手で受け取った。
静電気の火花が小さく散る。
「お尋ねはしましたが、わかっていない事が多くて。お借りしても良いですか?」
「本の鍵、僕は開けられなかったんだ。持ってても中身が分からないから、あげるよ。……それにしても、静電気すごいね。気にならない?」
暗い部屋の中で、ちら、と隠れた右目が光ったように見えた。
「――あなたに、触れた時だけですから」
本を片手に、そっと手を取られた。また小さな静電気が音を鳴らす。
彼はまるで主人に仕えるかのように、片膝を付く。
こういう扱いをされたのは、久しぶりだ。
盗賊団を率いていた時の皆の態度は、これと似たようなものだったけれど――
記憶を無くす前のリースとの関係が分からなくて、どう反応すればいいか、よくわからない。
「……俺は、人を探しています。魔女ではありません。魔女に、力を与えた存在。今の俺には、もう一度、あの人が必要なんです。魔女探し達と一緒にいるのは、目的が近いからです」
触れた掌から、自分の中の何かが、彼の冷たい手に、すう、と勝手に流れていく。
それが自分の魔力だという事に直観的に気付いて、慌ててぱっと手を離した。
「君は、魔力を食べるのか」
変な事を口走ったと思ったのに、リースは小さく頷いた。
「仲間は誰も知りません。この体質を治すために、魔女よりも、あの人を探しています。その為に、あなたにはまだ、ここにいて頂きたいんです」
膝をついたまま真っ直ぐに見つめてくる。
猫の瞳みたいな右目が、赤暗くぼうっと光る。
「魔女に力を与えた存在?と、記憶を無くす前の僕と……何の関係があるんだか全然分からないんだけど……君の事情が何か複雑なのは分かったよ。邪魔するつもりはない。明後日教会に行く予定は、このお酒に免じて、伸ばしておくよ」
どうしてか、心がざわつく。
さっさと話を終わらせたい。
「では、宜しくお願いします」
そう改めて一礼して出て行ったリースをみおくって、店の扉を内側からしっかり施錠する。
そのあとに、ふとミラノちゃんが心配になってきた。
魔力を食べるような人物が教会内にいて、大丈夫だろうか?
日中連れていた魔法使いの女の子が元気だった訳だし、本人も気にしていたから、多分、困った事にはならないんだろうけど――。
気にしても仕方ない。教会には魔女探しも退魔師もいる。
セトは小さく頭を振って、机上の荷物を簡単に片付けた。
酒瓶をひらいて、柔らかく鼻をつく蒸留酒の臭いを吸い込む。
お酒は好きだ。
尖った神経が落ち着いて、身体が温まる。
持ち帰った資料を端に押しやって、総議長から預かった仕事の山に手をつけた。
グラスに注いだ蒸留酒を嘗めながら、単純な古語記録を訳していく。
預かりものをいつまでも抱えておくのは好きじゃない。
それに、仕事に集中すれば、余計な事を考えなくて済む――。
「リース様! 私がお風呂に入ってる間に出掛けちゃうなんて、ずるいじゃないですか~!」
ほかほかに温まったアクアが、声をあげる。
彼女のリース大好きは、潔い。
「どこに行っていたんですか? 酒瓶が一本、消費されたようですが」
「……お前まで目くじらを立てるな。アルヴァ」
いつも通りアクアが熱烈に絡むのを気に留めずに、リースは鍵付きの古書を取り出した。
「古書店に行っていたんだ。フェイ=リンクスについて尋ねたら出てきた。フェイゼル=アーカイル。……聞いたことがあるだろう」
「アーカイル? ……協会が情報共有した、魔女の手下の名ですね」
アルヴァは差し出された古書をそっと受け取った。
「鍵が開けられなくて持て余していたのを、譲って貰った。酒瓶は代金代わりに置いてきた。開けられそうか?」
リースは、魔法が全く使えない。
開錠の魔法があるとはいっても、すぐに開けられるようなものは単純な物理的鍵の場合に限るという事も、よく知らないのだろう。
「――これは、条件が揃ってはじめて開錠魔法が効く型ですね。そう簡単には開けられませんよ」
アルヴァはそっと鍵穴に触れた。
光魔法の応用で、跳ね返ってくる印象の影の形から条件を探る。
リュディア中央教会で猛勉強してきたことが、活きている。
『――させない』
突然、声が聞こえた気がして、咄嗟に探るのを中止した。
急速に背筋が寒くなって、変な汗がふきだしそうになる。
アクアが首を傾げて覗き込んできた。
「……時間がかかりそうなので、明日、調べてみます。今日はこの後、魔女の容姿を協会の方々に共有する約束がありますから」
そうかと無表情に頷いたリースが、どこか機嫌が良さそうなのに気付く。
10年も一緒にいれば、その無表情の下にある感情ぐらい、わかる。
「何か、良い事がありましたか」
「魔女探し達が、こうも素直に協力的だという事は、凄い事だな」
「――そうでなければ困ります。協会なんですから」
とにかく魔女探しというものは、命を張って魔物と戦い続けてきたせいか、独自の自尊心を誇示する人間が多い。
王国でも魔女探し達を集めて団結を図ろうとした教会があったけれど、結局集まったところで、喧々囂々と意見がぶつかり合い、まとまらなかった。
それは一部の人間が彼らを統率しようとしたからだ。
この協会のように、情報共有という一点に命題を置いて個々のやり方に干渉しないというのは、的を射ている。
聖堂では、夜の礼拝が終わるところだった。
参加していた魔女探し達と聖女を交えて、時間をとってある。
「アルヴァ、そういえば出発前に頼まれてた仕事って何だったの?」
リュディアを出る直前になって、国から名指しで依頼の手紙があった事しか、アクアは知らない。
そのせいでアルヴァだけ一日出発が遅れた。
「王に、会って来た。戴冠式以来だったが、変わりない。俺達がフェリア教会に行こうとしている事をどこで知ったのか……。リーオレイス帝国の大使がこの国に入るのを、監視してきた。伝書鳥を飛ばして報告済だ。到着後の監視は怪しまれないように別の人間が当たっているから、あとは彼らの仕事だな」
リーオレイス帝国とリュディア王国は、昔から対立してきた。
魔女にとって戦場に水害と魔物の被害が出るようになってから、軍事的にぶつかるような事は無くなりはしたが、国交らしい国交は無い。
政変を片づけたリーオレイス帝国が、広くて豊かな国土を持つフェルトリア連邦と交流をもつということは、リュディア王国としては、看過できない変化だ。
「リーオレイス大使は誰だ?」
「帝王の妹、キリス=ウイガル。少数精鋭の護衛と共に来たようです。見覚えのある軍人もいました」
10年前も、リーオレイス帝国が魔女を自国に連れて行こうとするのを、監視した。
その時の軍人が、大使の傍に立っているのを、みつけてある。
「……『死神のジノヴィ』か」
「いえ、女性の相方の方です。レギナ=クッシュ。変わっていなくて、すぐにわかりました」
そうこうしているうちに、礼拝の終わった魔女探し達が早足に集まってきた。
埃臭い紙資料を隅によせて、大人数に講義できそうな環境を手分けしてつくる。
魔女の容姿について、気にならない魔女探しはいない。
聖女と、猫を抱えた退魔師の聖使が揃ってから、口をひらく。
「まず、皆の期待しているような面白い話ではない。しかもこれは10年前の事だ。リースから共有されていると思うが、魔女は小さな村の、占い師の青年として生活していた。どこにでもいる、茶髪の真っ直ぐな長髪。少し運動が苦手の室内派で、穏やかな話し方をする、どうみても無害そうな青年……。間近で女性にも変化したが、容姿に大きな変化はなかった。茶髪の長髪。柔らかい物腰と静かな喋り方。そもそも男の姿の時から、女装の似合いそうな女顔だった」
息を切ると、ザワザワと場が沸いた。
際立った特徴のあるような事は言っていない。
「……完全に姿をくらませてから経過した時間を考えると、あまり容姿はあてにならない。全く別の外見で大衆に紛れているか、本拠地にでも戻っているか――」
今でも、はっきりと覚えている。
優しげな貌。
丁寧な話し方。
けれどそれは説明しようと言葉にすると、どこにでもいる、ありきたりな容姿表現にしかならない。
実際に会えれば、一目でわかるのに。
あのとき、自分はまだ12歳の子供で、ついていくのが精一杯で。
――何も、出来なかった。
優しい青年が、ふんわりと顔を撫でてくれた、あの時間。
忘れようにも、忘れられない。
協会代表のシヅキが、話を次ぐ。
「どこにでもいる、一般的な人間になりすましている。これはクレイさんが共有している、魔女の手下にも同じ事がいえるわね。ごく普通の――手下の場合は、魔女探しの一人として。こういう内容だけを、ただ広く共有しても、私達が疑心暗鬼になるだけです。今は仲間を信頼して、対抗手段を探りましょう」
実際、口で説明したような外見の人間は沢山いる。
特に茶髪はこのフェルトリア連邦の人口のほとんどを占め、文化の街であるここフェリアには、外よりも室内で活動する職業が多い。疑ってかかれば、数えきれないほどの人数を疑うことになる。
ばらばらに盛り上がりながら解散していく魔女探し達の背中をみながら、小さく、息をつく。
皆をみおくったシヅキが、そっと傍に立った。
「私は偽魔女と戦った事があるの。赤い髪の女の子で、あとから調べてみたら、シェリース王国の辺境にある小さな教会の孤児だったと分かったわ。私の当時の仲間も、何百人もの魔女探しが偽物に殺された。それを仕立てた手下は許せないし、そもそもの原因の魔女も、許せない。……絶対に、対抗策を立てて、この長い魔女の歴史を終わらせましょう」
彼女の強い瞳が、小さく笑んだ。
何百人もの死者がでた偽魔女との戦いで生き残ってきたというのは、よく考えれば物凄い状況だ。
単に創立者不在の協会を取り仕切っているだけの、並の魔女探しではない。
「……シヅキさんは、魔女を恨んでいるんですね」
「あたりまえよ。直接じゃなくても、大事なものをなくした原因だもの――」
協会の人に呼ばれて、彼女は忙しく走っていった。
その背中が、どこか、遠い。
魔女探し協会をここで代表しているシヅキ=ユーラス。
彼女は人の扱いが巧い。
混乱を作らないように、共有した情報に必ず注釈をつけて、誰かが勝手に変な風に解釈しないようにしているし、協力という形で、魔女探し達をうまく使っている。
おそらく大多数の魔女探しが、説明した容姿に自分の想像を加えて、魔女を追い求める。
ほとんど、悪感情を抱いて――。
そういう空気が静かに流れている。
リュディア王国から長い距離を南下してきたから、日中は暖かく感じた空気が、急に冷えてきた。
ひらけた共同宿舎の窓の外で、小雨が落ちてきている。
――どこに行っても、同じか。
どこでも、魔女は恨まれる。
魔物の出現も、世の理不尽も、魔女が支配する世の中だからといわれる。
しかし、本当に、そうだろうか。
魔女の出現以前にも、魔物は存在していた。
認めたくないことを、すべて魔女に押し付けて、どこか諦めてはいないだろうか。
「――アルヴァ、今日はもう休め。この中央都市でするべき事は協会に任せて大丈夫だろう。これから出来るだけ早めに、東地区に向かおうと考えている。フェイ=リンクスが実在したかどうかは、誰かに任せる訳にはいかない」
リースがぽんと背中を叩いてきた。
気のせいか、その手がいつもより温かい。
「了解しました」
「浴場は宿舎の奥だ。以前の聖女が水魔法系統だったらしく立派なものだ。土産話にでも一度使ってみると良い」
「……どうかしたんですか? 機嫌も顔色も良いようですし。まさかアクアと何か進展でもあったんですか」
いつもより言葉数の多いリースの言動が、どこか不自然な気がするのは気のせいだろうか。それとも、この華やかな都市の雰囲気に少し染められているだけか。
「いや、クレイの誘いに乗って来て良かったと思っているだけだ。知らない情報も得ることができたしな」
「確かに手下の詳しい行動は、参考になりますね。少し視野をひろげて調査する必要もありそうです」
フェイ=リンクスは、占い師に扮していた魔女が口にした「身内」の名前だ。メルド湖沼地帯で死んだと言っていたが、もしかすると、その手下のことかも知れない。
魔女の手下として情報共有された『ゼロファ=アーカイル』。
そして昨日手に入れた古書に書かれた名は『フェイゼル=アーカイル』。
これは、貴重な情報の手掛かりだ。
アルヴァはリースの薦めに従って、浴場に足を向けてみた。木造の廊下は、雨のせいか木の良い匂いが立ち昇ってきていた。品のある旅館のような風情が滲む。今の時間帯は、皆夕食を取っているんだろう。
誰もいない浴場に、サーッと流れる水音が綺麗に響いていた。中心にあるのはお湯の噴水だ。白い湯気をあげながら惜しげもなく滔々と流れている。確かに、こんな贅沢な浴場を持つ教会は、他に知らない。
リーオレイス帝国の一団を監視しながら来たから、土埃と草木の臭いが全身に染み込んでいる。
外した外套からは土埃が落ちて、くたびれた服は洗うと別物になった。長い金髪はしっかり髪留めに収納していたから、それほど酷くはなっていない。それでもザッとお湯で流すと、すっきりする。
浴場の燭台に水面がきらきら揺れる。ここの聖使達は、幸せだろう。
このフェリアには平和な空気が流れている。
去年この国で奴隷制度が廃止されたのは、王国にとっても大きな出来事だった。自国でも解放を求める声が高まってきていて、フェルトリア連邦に脱走しようとする奴隷も後を絶たない。一般平民にとって、貴族の政治は悪政であることがほとんどだ。
それが、この300年間の傾向でもある。それをこの国の盟主は、変えようとしている。
多くの人々が魔女の世の中だからと諦めてきたことに、大きく手を加えている。そういう余計な事をすれば、魔女に消される――まことしやかに囁かれてきたその噂は、どこにいったのか。小国である隣のシェリース王国でも、新しい政策が続々と出されて、景気が上向いてきているらしい。
その点、リュディア王国は政策の改善からは立ち遅れている。
首都より賑やかな商業都市がもらたす豊かさが、ある程度行き渡っているからか、おもいきった政策の改善がなくとも、何とかなってしまっている部分がある。
このフェルトリア連邦の温い湯の中にいると、魔女をどうにかしようという気概が緩んでくるのではないかという気もしてくる。
それが、リースを急がせる理由ではないだろうけれど。
――お湯に入っていると、つい考え事に耽ってしまう。あれこれ考えても行動しなければ仕方ない。
ざっと上がって着替えに腕を通したところで、預かったさっきの古書を持ってきてしまった事に気付いた。
湿気ってしまっていないか、裏表を検める。
傷みそうな所が無いのを確認して、ひとまず温かくなった本をそのまま小物入れに仕舞おうとした。
『――殺す気か』
溜息のような微かな声に、一瞬、凍り付く。
誰かが気配を消して浴場にいたのかと周りを見回してみたが、そんな事をする意味もないし、やはり、誰もいない。
『まだ、書き上がっていない。絶対濡らすんじゃないよ』
もう一度同じ声が零れる。
手元の古書がぼんやり青白い光を纏っているのに、息をとめた。
「――本が喋る魔法なんて、きいたことがない」
作者がかけておいた魔法が、何かのきっかけで働いたんだろうか。
驚きを鎮めて、そっと乾いた所に光る古書を置いた。濡らすなと言われたから、それで不可解な現象が終わるかと思ったが、青白い光がそのまま膨らんで、人の形をとる。
白い髪。薄水色の東方風の衣装。
気怠い貌をした、若い男。
「……フェイゼル=アーカイルとは、貴方の事か」
湯から上がったばかりなのに、全身が物凄く寒くなる。
魔法というより魔物と向き合っているようだ。
『生きていた時は、その名前だった。魔女は私を勝手にフェイと呼んだ。失礼なことだ』
ぞく、と背筋を変な感覚が駆け抜ける。
こんなところで魔女に繋がった。
だが悪寒がとまらないのは、喋っている相手が、どうやら生きていないからだ。
「では、フェイ=リンクスとは、貴方の事か」
『魔女が勝手にそう呼んだ。私は、故レトン王国の王族、フェイゼル=アーカイル。書庫を司る歴史家。魔女の歴史を記録するもの。……この本は未完成だ。開けさせない』
故レトン王国。
300年前に滅亡した古王国。その末期には隣国と度々戦争を繰り返していた。
戦場に出現した魔女によって、戦場も王城も大水害に遭い、国そのものが水没してしまった。その跡地が、メルド湖沼地帯になっており、今でもなお多数の魔物に満たされている。アーカイル王家というのは、どうやら白い髪をしていたらしい。どの地方でも一般的には金・茶・黒の髪色が殆どだが、濃淡によって赤や銀があっても、若くして真っ白の綺麗な髪というのは、きかない。
フェイゼルの青白い姿を突き抜けて、そっと古書を手に取る。
「……魔女について書いてあるって事だな。どういう内容だ」
すりぬけた空間が、ひんやり冷たい。
悪寒がするのは変わらないが、ただそれだけで、実害はない。
『魔女がうまれた背景、やってきたこと、関わったこと、今に至るまで。彼女の歴史は彼女が死ぬまで終わらない。僕の役割も、終わらない』
背筋がぞくぞくする。悪寒と嬉しさが混ざり合って、変な感じだ。
「なら、本は開けなくても良い。貴方がその形で、魔女について書いた事を俺達に教えてくれないか」
『……人と話すのは、嫌いだ』
ぼそっと呟くと、するりと青白の姿が本の中に消えていった。
――嫌いだろうが何だろうが、内容を明らかにして貰わなければ。
急いで着替えを終わらせて、共同宿舎に戻る。
夕食を終えた聖使達とすれ違って、現実の感覚が戻ってくる。資料の中に埋もれているリースとシヅキをつかまえて、早口に事の顛末を説明すると、シヅキの目の色が変わった。
「それは、炙ってでもお伺いしなくてはね。それとも聖女様の魔物を消す能力でそれを消して、開く事も出来るのかしら」
いきなりやり方が物騒になりそうなシヅキの言葉を置いておき、リースの静かな貌をそっと見る。
「……まさか、本物だとはな。銘酒一本は、格安だった訳だ」
「もとの持ち主は気付かなかったのね」
「鍵が開かなくて仕舞って忘れていたそうですから。よくある事です。とにかく、聖女様に声をかけてみましょう。その青白いものを消すかどうかはともかく、お願いしていた国の文献は不要になるかも知れません」
ぱっと本を手にして歩き出したリースに、慌ててついていく。
アルヴァ自身も珍しく熱くなっているが、リースの行動も、いつもより速い。
「丁度、総議長様にお会いするための日程を調整するお手紙を書いていました」
執務室で、そういって筆記用品を端に寄せた聖女が、小さく笑んだ。
「お手数をおかけして、すみません。どうにかこの本から話を引き出す事は出来ないでしょうか」
「えっと……。その青白い方というのは、王族の方なんですよね。じゃあ、丁重に接して差し上げましょうか。早く内容を知りたいとは思いますけど、怒らせて鍵も言葉も閉ざされてしまったら、元も子も無いですから」
困ったように首を傾けた聖女の言葉に、はっとする。
内容にばかり気を取られ、相手が生きた人間ではない事もあって、そういう配慮をすっかり忘れていた。
「では一度、聖女様にお預けしても良いでしょうか。私達が持っていると、頭に血がのぼってしまって」
そういったシヅキは、確かに、持っていたら炙って試しかねない。
「わ……わかりました。明日、お返ししますね」
「悪寒がするかも知れませんが、害は無いかと思います。お願いします」
少し怯えたふうの聖女に、補足する。
余計に泣きそうな顔にさせてしまった。
◇◇◇本当は怖い昔話は未完結◇◇◇
――――――――――――――――――――――――――――――
東の辺境の町に、『緑の戦士』と呼ばれた退魔師がいた。
剣士と魔法使い。
ふたりで一組の凄腕の魔物退治屋として、その噂は王都にまで及んだ。
『緑の戦士』がふたりとも女だということを耳にした国王は、その腕を確かめるため、ふたりを王城に招いて、兵士20人と戦わせた。
結果は『緑の戦士』が圧勝。
ふたりの女が20人の訓練された男を叩きのめした光景は、王城内に衝撃を与えた。
時は、隣国オラミスとの長い戦争の只中。
慢性的な戦時状況に各階級からの不満が相次ぎ、退魔師として町を守っていた『緑の戦士』が、首都の反乱勢力に加担するのでは、とまことしやかな噂が流れた。
王はふたりを王都から離す為にも、戦場に向かわせた。
ディールの丘では、長く戦闘が続いており、戦争に使われた『緑の戦士』は一軍を崩すほどの大戦果をあげ続けた。
そこで王はふたりを別々の隊に組み入れ、戦果の分散をはかった。
結果は惨敗。
剣士が戦死し、軍は散々に乱れて潰走した。
生き残った魔法使いは、戦場から忽然と姿を消した。
兵を回収して軍を立て直し、両国とも徐々に疲弊しながら、激しい戦争は七日七晩に及んだ。
丘には死体があふれ、血の海を呈した。
8日目の夕暮れ。
翼をもつ大蛇に乗った魔法使いが、戦場の空に姿を現した。
そして突然の大洪水が戦場をのみこんだ。
死体も、生きた兵士も、両国の王も、水の中に沈んだ。
大量の水は王都にまで及び、一晩で2つの国を滅ぼした。
これが、魔女のはじまり。
この日以降、彼女は戦場に洪水と魔物を呼び寄せ、戦うもの全てを迫害した。
大きな戦場には洪水を。
小さな戦場には魔物を。
世界から戦争を奪う。
従わないものは、滅ぼす――。
各地で起きていた戦争は徐々に終息を余儀なくされ、ついには世界から戦争が消えた。
持て余された兵士は野党化し、食糧は枯渇し、多くの貧困が加速し、社会が闇に沈んだ。
そういった全ての元凶である魔女を倒す為、多くの人間が彼女を探し始めた。
これが、魔女探しのはじまり。
私、フェイゼル=アーカイルは、レトン王国王の甥であり、王子の参謀であり、歴史学者だった。
王子にはひとり弟がいた。
彼は幼少の頃にオラミス王国の人質となって、長く幽閉されていた。
ディールの丘の戦争の最中、王子は弟を助けにオラミスに潜入した。
大反対した私は、山に隠遁した。
そこで洪水の難を逃れ、伝え聞いた様々な話を後の世に記録する事を生涯の仕事とした。
しかし魔女は、どんなに時間が経過しても死なない。
私は最後まで彼女の歴史を綴る為、死の際に、本に魂を移した。
死んでからの方が記録が進んだ。
未知の事について、いつでもどこにでも、調べに行けた。
あるとき、魔女に見つかり、人知れず長く山小屋にあった本は、回収された。
魔女の住まいは、まさしくディールの丘――
今はメルド湖沼地帯と呼ばれている所にある。
歩いて入れば、何処までも続く沼地と魔物の出現。
しかし、彼女の大蛇に乗って入ったそこは、水気の全く無い、もとのディールの丘だった。
私は、暫くそこで彼女と会話をした。
太古の歴史について、彼女は良い聞き手だった。
そこで王子の弟もみつけた。
顔も覚えていなかったが、王家独特の白い髪と名前でわかった。
彼は、魔女の忠実な奴隷になっていた。
私が声をかけると、彼は私を外へ持ち出した。
そのまま人々の手を転々として、この本は現在に至る。
私は記録者。歴史について、評価も介入もしない。
彼女の物語は、終わってはじめて、完成する。
――――――――――――――――――――――――――――――
深夜の礼拝を終えて部屋に戻ったミラノが机上にみつけた、一枚の紙。
その文字は古い文章の癖もなく読みやすい。
300年も前の人の文章というと、ちょっと読み辛い表現が多いんだけど、フェイゼルは現在の文章表現を時代に合わせて学んでいるんだろう。実際に本に書いた内容は、多分、もっと詳しいんだろうけど――。
「ありがとうございます。とても、壮大なお話なんですね」
丁寧に、本に向かって頭を下げた。
アルヴァは悪寒がすると言っていたけれど、私は、ドキドキする。
まだ誰も知らない魔女の物語のひとかけらが目の前に展開して、胸が熱くなる。
ミラノはこの古書を託された後、全然どうしたらいいのかわからなくて、最初はただ困り果てていた。
でも、魔物を相手にしたとしても、人を相手にしたとしても、対する態度は同じ事。
――それが本の幽霊でも、そこにかわりはない筈だ。
人と話をするのが嫌い、と聞いていたから、新しく大事な所を紙に書いて貰えないか、そっとお願いしてみていた。
青白い人の姿っていうのは見なかったけれど、夜、ひとりきりの長い礼拝から部屋に戻ってみると、古書の上にこの新しい紙が載っているのをみつけた。ちょっと怖いのは確かだけれど、リースと向き合っている時と比べたら、全然平気だ。
内容をよく見てみれば、たぶん、魔女探しの皆が気にしそうな部分が沢山ある。
「――魔法使いは、七日間、どこで何をしてたのかな……?」
魔女の力の源。
今協会が一番知りたいのは、そこのはず。メルド湖沼地帯の話も凄いけど。
そもそもふたりで20人を倒したっていうのも凄い。
離れ離れになって駄目になったって事は、お互いに不可欠な相方だったんだろう。
それが、魔法使いだけ、七日経ってみたら、国を2つ滅ぼすほどの力を手に入れていた――。
卓上の古書を、あらためて乾いた布で丁寧に包む。
雨が降る冬の夜は、しっとり冷える。本に宿った魂が、寒くないように。
『――師匠がいる、と言っていた』
自分の寝台に入ってウトウトしている中に、若い男の声が聞こえたような気がした。
◇◇◇リーオレイス帝国の魔女探し◇◇◇
朝から街中の辻馬車が教会前に招集されているようだ。昨夜の雨で地面がぬかるんで、足元が轍と足跡とでぐちゃぐちゃだ。
ふと足をとめた厚着の旅装姿の貴人が、その喧噪をしずかにみつめる。
「……教会が騒々しいわね。ここは、魔女探しの溜まり場だったかしら?」
フェリア中央教会。魔物を消すという『光明の聖女』の名は、次第にきこえてきている。
同時に、最近国境を越えて連携しているという魔女探し達の『協会』の拠点となっていることも、報告はうけていた。
今回の外交交渉には関係無いし、立ち寄るつもりはなかったが……
小さな好奇心が、教会の門に足をむけた。
「皇女殿下。近付くのはお止め下さい。無秩序な魔女探し達は、危険です」
「皆が抜き身の剣をぶら下げている訳では無いでしょう。少し覗いてみるだけよ」
リーオレイス帝国第二皇女 キリス=ウイガル。
昨日この中央都市に着いたばかりの北国の外交大使。
彼女は旅装を解いたところで、自由に中央都市を歩いていた。街の様子に感嘆しながらも、殺伐とした帝国の王城で育ったキリス皇女にとっては、平和すぎる光景にみえた。それが良い事なのだろうとは思いつつ、どこか、居心地の悪さを感じはじめていたところだ。
そういう街の重要拠点である教会に魔女探し達が溢れて殺伐としている。
その空気は、キリス皇女をどこかほっとさせた。
多くの馬車が出発したばかりの轍を踏んで、教会の正門をくぐる。旅の重装備をした魔女探し達があふれていた。
「――まる―で、一軍の出発風景ね」
物々しい雰囲気に、ふと口許が弛む。
こういう緊張感の中にいる方が性に合っている、と皇女はひとり小さく頷いた。
渋面をつくりながらも傍についている護衛が、左右をみて首を傾げる。
「普段バラバラの魔女探しがこんな風に一斉に移動するなんて……魔女を見つけた訳じゃないでしょうに」
そう護衛が呟いたのをきいた訳ではないだろうが、魔女探し達の誰かが声をあげる。
「――メルド湖沼地帯! 初心に帰るっつうか、やっぱそこだよな。足は工作好きのアーペに着けば――」
それを少し聞いた護衛の目が、すう、と冷たくなった。
「……レギナ。顔に出てるわよ。あまり彼らを馬鹿にしちゃ、かわいそうよ」
「ふっ……。罵倒しなかっただけ、我慢しましたよ。一体、なにを寝惚けているのか。誰かが煽動しているんでしょうが」
嫌味を含んだ言葉をこの程度に収めたのは、この護衛にしては、上出来だ。
「メルド湖沼地帯は、魔物が出るだけ。それが今になってこれだけ大騒ぎをするのであれば、きっとそれなりの理由があるんでしょう」
さらに足を運んだ聖堂にも魔女探しが多くいて、一般礼拝者が入って来られる空気では無い。
リーオレイス帝国の第二皇女とその護衛は、少し高貴だが簡易な旅装姿でいることで、魔女探し達の中でも違和感はなかった。
聖堂の構造そのものは、どの国のどの地域の教会でも、変わりはない。年季の入った石造りのフェリア中央教会ではあるが、小奇麗に改装したばかりのようだ。檀上の天使像も、歴史ある中央教会にしては、最近制作したと思われる新しさがある。
――奴隷解放という大きな改革と共に、古きものを、生まれ変わらせたのだろうか。
天使像を見上げてそんな感想を持ったキリス皇女に、護衛がトンを肩を叩いた。
「……キリス様。私のうしろへ」
護衛の硬い声に、キリス皇女はこちらにむけられた視線に気付いた。
いつも誰かの目がある、というのは、入国前もそうだった気がする。
が、その視線がまっすぐに近付いてくる。
国交のなかったこのフェルトリア連邦には、既知の人間も、いない筈だが――。
「――お久しぶりです。レギナさん」
金髪の魔女探しの青年が、厳しい顔の護衛ににこやかな声をかけてきた。
レギナは、昔、帝王の命令で魔女探しをしていた時があった。そのときの人間だろうか。
「……誰かしら?」
声をかけられたのは、護衛だった。
護衛は咄嗟に心当たりが無いようで、眉間に皺を寄せたまま顔のまま首を傾げる。
「10年前、国境までご一緒しました、アルヴァ=シルセックです。ご存命で、何よりです」
レギナの顔からさっと険しさが引いて、驚きにかわる。
「……嘘、アルヴァ?! そうか……10年……。そりゃ、成長するわよね。びっくりしたわ」
「俺はまだ12歳でしたから。貴女は、お変わりありませんね」
彼の真顔が、ほんの少しだけやわらかくなる。礼儀正しい立ち姿は、まるで軍人のようだ。
10年前にレギナと行動を共にしたという事は、リュディア王国の人間だろう。
レギナは少し息をつくと、表情をあらためた。
「ところで、この騒ぎはどうしたの? メルド湖沼地帯なんて行っても魔女はいないわ。それは、貴方もよく知っているでしょう」
「魔女の所在はともあれ、入り方が違っていた、という情報が出てきたんです。その真偽を確かめる為に、皆が一斉に動いてしまった。教会の方々には、ご迷惑をかけています」
冷静沈着な低い声が、心地良い。
「入り方……? 裏口があるわけ?」
「歩いて地上から入るのではなく、上空から。それによって湿地帯ではない土地に入れるようです。皆が風魔法で長時間滞空できる訳もありませんが、行ってみてから、何とかするつもりでしょう」
――おもしろい。
それは確かに、試してみたくもなるだろう。
「その情報は、どこから?」
レギナの問いに、彼は、すぐには答えない。小さく笑んだように見えた。
「――俺からも、貴女にお会いできたら訊きたい事があったんです。……昔、魔女をみつけた時、どうやって探されたんですか」
これには、レギナも黙ってしまった。
魔女という共通の探求物があるとしても、多くの代償を払って得たものは、気安く扱えるものではない。
まして相手は、リュディア王国の人間だ。
リーオレイス帝国が取得した知識を簡単に渡すというのは、知り合いだからといって、簡単に考えて良い事ではない。
「……教えて差し上げなさい、レギナ。それで本当に魔女に迫れるのなら、それはそれで、面白いじゃない」
キリス皇女の言葉に、アルヴァは、はじめて護衛の後ろにいた貴人を直視した。
周囲に気付かれないよう、彼はそっと左胸に手を当てて礼を取る。
「感謝します。では、場所を変えましょう。ここは、目立つので」
たしかに、聖堂の真ん中で気安く喋って良い話題ではない。
共同宿舎に案内されると、人気の無い大部屋に、沢山の書類や本が散乱していた。
旅支度を終えた魔女探しが、片隅で打ち合わせをしている。
「魔女を探し出せたとしても、倒せなければ意味が無い。そこで、協会は打開策の糸口を探すべく、古い文献の調査をしていました。その中で、魔女について記録をつけている本が出てきたんです。概要しか判明していませんが、魔女と魔女探しの始まりと、メルド湖沼地帯について言及されています。――これが、その写しです」
旅支度を終えた荷物からアルヴァが取り出した紙を受け取って、レギナとキリス皇女は一緒に目を通した。
史実については、リーオレイス帝国の歴史書の記載と矛盾はないようだが――。
「真偽の程は、行って試してみないとわかりませんが」
「貴方も試しに行くの?」
「いえ、メルド湖沼地帯は彼らに任せて、俺達は魔女の力の源を捜しに出ます。戦場から七日の範囲に、何か鍵がないか。そこを調査します」
アルヴァの明快な回答に、キリス皇女は少々ざらついていた胸元がすっきりした。
彼も同じ行動を取るというなら、この概要文は、怪文書にしかみえなくなっていただろう。
「――魔女の力の源か……、それも、魔女を探し出したやり方が、役立つかもね」
ぽつ、と紙に視線を落としたままのレギナを、アルヴァは静かにみつめる。
「魔女が何処で何をしているのか、魔物に訊いてまわったの。喋るような魔物は、とにかく手強い。仲間が次々にやられた。だから、筆頭役をしていたアイツに、『死神のジノヴィ』なんて二つ名が付いたのよ。一緒に旅をすれば、生きて帰れないってね」
レギナにとっては苦い記憶だ。
だからといって胸が痛くなる年齢でもない。
10年、政変の中で軍人として生きてきた彼女にとって、身近な人間の死は茶飯事に近い。
「……そうでしたか。教えて頂きありがとうございます。お引止めして申し訳ない」
「いえ、おもしろい話を聞けたわ。協会というのは、今はここが本拠地なのかしら? 結果の情報共有は、ここに届くの?」
「一応そういう事になっています。協力的な聖使の方を含めて、連絡要員が常駐しています。魔女探しであれば、情報を共有できるように」
「キリス様。あまり首を突っ込むのは止めて下さい」
護衛に釘を刺されて、キリス皇女は小さく首を竦めた。
「結果の報せが届く頃に、また来るわ。結果が楽しみね」
「はい。その時に俺が戻っているかはわかりませんが、誰かに声をかけて頂ければ、報告は聞けるでしょう」
そういうアルヴァの折り目正しい姿勢。
彼は多分、レギナの呼ぶ「キリス様」が、リーオレイス帝国第2皇女だと気付いているのだろう。
アルヴァに簡単な礼を言ってから、教会をあとにした。出る時には、門前の魔女探し達はほとんどいなくなっていた。
「あの、アルヴァという青年は、軍人なの?」
「いえ、私が知っているのは、12歳の時には商業都市の教会で既に退魔師として認められていたという事です。魔女を連行する際に、リュディアからの監視役としてジノヴィと一緒に行動していました。私は後方支援でしたから、ジノヴィに次いで長く魔女と一緒にいた事のある人間ですね」
「それで、魔女探しの活動をしている、か……。魔女って凄いわね。これだけの時間が経過していて、もう社会の一部みたいになってるのに、誰も、忘れたりしない。反発か、許容か……。羨ましいわね」
「――そんなことより、はるばる南下してきた本来の仕事に集中して下さい。国交の開通を、全く無いところからつくるんですよ。互いに知らない事が多いんですから、確かな情報網をしっかり構築しなくては」
「わかってるわよ。魔女探しの協会に、負けていられないわね」
そのあとも、キリス皇女とレギナは一日かけてゆっくり街を視察してまわった。
豊かな色彩と、やわらかな活気。法改正によって奴隷の姿はなく、綺麗に保たれた道と公園。あちこちから聞こえてくる、歌と音楽。店先には豊富な食料が積み上がり、誰も、飢えていない。
リーオレイス帝国の首都は、巨大な貴族と豪族の邸宅が土地のほとんどを占める。それも、多くの貴族が解体された事で、厄介な遺構と化している。下級民が勝手に住み着いたりして治安は最悪だし、平民の暮らしも常にギリギリで、この街を見たら、こぞって移住を希望するだろう。
――末端の国交開始の前に、自国の足元をしっかりと固める必要がある。
日が暮れるまで無計画に街中を歩き回って、護衛を疲弊させた。
しかし、帝国の地固めの構想は、よく練る事ができた。
キリスとしては、このままどこかの酒場にフラリと入って食事でもしてみたかったが、それは、頑なに却下された。
夕食は、官公庁の貴賓室で、この国の上級貴族達と共にする日程になっていたのだ。
仕方なく、行政地区の官公庁に戻る。
繁華街との空気の違いがはっきりしていて、それはそれで興味深い現象だ。職員は平民も多くいて、行政地区だからといって貴族ばかりではないというのも、斬新な状況だ。濃赤の絨毯に、品のある燭台の明かり。昨日は気付かなかったが、賑やかな街とは違う上品な貴族の趣味に、息をつく。
外を廻っていた旅装から、大使としての正装に服をあらためる為に、用意されている部屋に戻った。
一日中連れ回したレギナの護衛の任務を、別の者に交替させる。疲れた状態ではいざという時に頼る事は出来ない。この国では、あまり心配いらないのかも知れないが――。
廊下で、悲鳴があがった。
重厚な扉に隔てられていても聞こえたという事は、相当な音量だ。
一瞬使用人がワインを絨毯にひっくり返しでもしたのかと思ったが、この警護官の慌ただしい足音はただごとではないだろう。街中ならともかく、この官公庁の中で一体何事だろうか。そっと扉を開けると、外を見張っていた護衛が、青い顔で立ち尽くしていた。
「どうしたの、何があったの?」
「いえ、あの、レギナさんが、いきなり平民を刺して――」
一瞬、この新米護衛が何を言い出したのか、よくわからなかった。
さっと扉から身を乗り出して、騒ぎの方を覗き込む。黒い制服の警護官が密集していて、何が起きているのかまるで分らない。
「――誰か、治癒魔法をっ!」
切迫した若い男の声が響く。
黒い集団が、誰かを捕まえてその場から引き離す。
それでやっと、状況がちらりと見えた。
レギナが警護官に取り押さえられた横で、上級貴族の青年がぐったりした男を抱えていた。
その服に、血。
――大量の。
みるみるうちに、高級な服の布地が、赤く染まる。
「――これは、どういうこと!?」
レギナが、刺した。だとしたら、とんでもない国際問題になる。
低い怒声をもって、廊下に飛び出した。
「皇女殿下! 私を斬り捨てて下さい! それで――っ」
レギナの烈しい声が、警護官の手刀で落ちる。
「一体、何だっていうの……いえ、それより、大丈夫ですか?!」
気絶させられたレギナが、この場で警護官に斬られるということは無さそうだ。後の外交の為にも、証言者として生きていて貰わなければいけない。
しかし、今は被害者に気を配るほうが優先だ。いそいで血塗れの青年の傍に駆け寄る。
刺された男を抱いているのは、昨日会ったばかりの、若い、この国の盟主だった。
「……わたしの部下が、とんでもないことを――」
血の溢れる傷口を見れば、大丈夫かという問いは、無意味であることがわかる。
正面から胸を一突き。ほとんど、即死だ。
せめてもは、レギナに殺されたのが総議長ではなくて、平民服の男だったという事だ。
「――追って事情はお伺いします。彼女の身柄はこちらで預からせて頂くが、問題ありませんか」
「勿論です。貴方にお怪我は?」
「ありません。大丈夫です。どうぞ、お部屋にお戻りください」
しっかりした、しかし硬い声がはっきり響く。平和な国の盟主としては、大した根性だ。
しかしそんな事に感心している場合ではない。これから国交を開こうという時に、とんでもない障害が出てしまった。素直に部屋に戻る訳にもいかず、そっとその場を離れて、壁に背を預ける。
部屋の前に立っていた護衛が、ようやくソロソロと近付いてきた。
今、出来る事は無い。黒い集団に連行されていくレギナを見送る。
男を抱えたまま身動き出来ずにいる総議長から、緑の制服の警備官が、さっと血塗れの遺体を取り上げる。
緑の警護官は、そのまま何処かへ歩き出した。
少しふらつきながら、それを追う総議長の背中が、痛々しい。
あとには大きな血溜まりと、立ち入り禁止の柵が残された。
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