◇◇◇光明の聖女様と歴史の先生◇◇◇
ー/ー――――――――――――――――――――――――――――――
遥か昔、地上を照らす光は、ふたつありました。
昼間の太陽。
そして、夜と海を支配する、もうひとつの夜の星。
ところがその星は、或る時バラバラに壊れ、沢山の欠片がこの大地に降り注ぎました。
――――――――――――――――――――――――――――――
「えっと……星の欠片って、沢山降ってきて大丈夫なんですか?」
「う~ん、隕石が大量に降ってきたら、かなり大丈夫じゃないだろうね」
古書の文字を辿る先生の白い指先が、古びた紙をそっと撫でる。
「普通に考えたら多くの人が大変な目に遭った筈だよね。でも、ここにはそんな描写はない。人間がいなかったのか、人間の被害がどうでもいい位の規模の大災害だったのか。どちらにしても、このお話は、すごく、興味深いよね」
「ほんと、すごい大きいお話ですよね。都市とか国の話じゃないし……でも、どうして星が砕けちゃったんでしょう?」
この古書は、一般人には公開されていない古代の伝承が載っている、大切な本らしい。
広大な版図を描く、フェルトリア連邦国。
この中央都市フェリアで連邦国家の代表である、総議長様に貸してもらったものだ。
「続きは……。難しい内容みたいだから、解説も整理して、明日持ってくるよ」
「はい。あと、私もちょっと古語が読めるようになりたいです」
「いいね。わかりやすい入門書を探しておくよ」
私がこの中央教会の聖女に就任して、もう1年が経つ。
『光明の聖女 ミラノ=アート』
光魔法と、一瞬で魔物を消す力。
衆目の前でこの能力を盛大に使ったことで、丁度空席になった中央教会の聖女の地位に就く事になった。
私を聖女に推した総議長様に細かいことを相談しているうちに紹介されたのが、この先生。
街外れで古書店をしている、丁寧で柔らかい物腰の20代半ばの男性。
セト=リンクス。
フェリアではありきたりな長い茶髪に、優しい顔と穏やかな声。幅広い知識教養を学ぶのに、総議長様が、古本屋さんを紹介してくれた。
「あ、そうだ。ミラノちゃん、お菓子屋さんで新商品が出ててね、可愛いから買って来たんだ。一緒に食べよう」
本以外に何か荷物があるなと思ったら、箱の中から丸くて可愛いお菓子が出てきた。
「わぁ、可愛い! 何ていうお菓子なんですか? あ、紅茶淹れますね」
「マカロンとかいってたかな。冬季限定だって」
先生はいつも突然、勉強と関係ないところに話題が飛ぶ。
私よりもずっと大人の男性なのに、時々、女の子同士のお喋りをしてるみたいだ。
温かい紅茶と可愛いお菓子をはさんで、和やかに時間が流れる。聖堂の方から、合唱の歌声がきこえてきた。もうすぐ夕方だ。
「解放奴隷達の歌、凄く上手になったね。歌と絵と、街の清掃活動……。最初の頃は元奴隷の人達に色々言う人も多かったけど、ちょっとずつ和らいできてる気がする。『光明の聖女』様の方針のおかげだよ。でも、もし何か問題が起きたらすぐに相談して。頑張り過ぎは、疲れちゃうよ」
先生がふと目を伏せて紅茶の湯気を揺らす仕草に、どこか頼もしさが滲んでくる。
総議長様が旅をしていた時に遭った、盗賊団の首領だった
――って話は、まだ、どこか信じられない。
けれど、こうしてふと漂う謎の力強い安心感は、そのあたりから来ているのかも知れない。
「はい、頼りにしてますね。セト先生。……あ、そうだ。リーオレイス帝国って行ったことありますか? 今度、外交大使みたいな人がいらっしゃるみたいで、もし立ち寄られた時の為に、全然知らないよりは少し知っておきたくて」
「リーオレイス帝国……北の大国だね。隣のリュディア王国に比べて物凄く厳格な国だって話はよく聞くよ。リュディア王国が自由気質過ぎるのかも知れないけど。それと、10年位前に政変があって、結構な数の貴族・富豪が潰れたとか。燃料資源には強いけど、いつも食糧は枯渇してる感じかな。でも、外交大使が来るって事は、内情が変わってきてるのかも。割と頑固に自己完結してた国だからね」
古本屋さんなのに、こういう情報がスラスラ出てくるから凄い。
「でも外国の事なら、僕よりもこの教会に集まってきてる魔女探しの人に訊いた方が、よく知ってるんじゃないかな? いろんな所に旅してるだろうし」
「そうですね、なんとなく訊きそびれてました。皆にも、訊いてみます」
扉を叩く音にどうぞと応えると、新人の聖使がそっと顔を覗かせた。
「あのー、魔女探し協会の人が新しく来たんですけど、今、シヅキさんが出掛けてて……」
「取り敢えず荷物を宿舎に置いて、休んで貰って。シヅキさんが戻ったらお報せしてあげて下さい。遅くとも夜には帰ってくるでしょう」
わかりましたと一礼して退出していった聖使をみおくって、自分が聖使だった頃の事を思い出す。
外部からの印象よりもずっと自由な聖使達の生活は、そのぶん、自分で考えて判断したり行動しなければいけない事が多い。
それでも新人のうちは、判断材料が少ないから、ひとつひとつ聞いてくれた方が良い。
――ずっと、前の聖女様の傍にいたからか、聖女としての役割や振る舞いに戸惑う事が少ない自分に、いまさらびっくりするけど。
「フェリア教会の『光明の聖女』様が魔物を消すっていうだけで、魔女探しの協会にも人材が随分集まって来るようになったね。今、何人位いるんだい?」
「あ……全部、協会のシヅキさん達にお任せしちゃってますけど……共同宿舎に寝起きしてるのは、30人位かな? 出入りしてる人は、もっと沢山いるみたいです。これだけ大勢の魔女探しがいれば、私がいなくても簡単に魔物退治できそうですけどね」
魔女探し。
この世界は、魔女に支配されている――といわれている。
300年にわたって、水害や魔物を操る事で人と国を恐怖支配している。
けれど魔女の土地とされているメルド湖沼地帯には、多くの魔物以外に人が住めるような場所は見つかっていない。
だから、魔女を倒そうとする有志の人間は、まずその所在を見つけなければいけない。
300年もの歳月のなか、魔女探しと呼ばれる人間達は、世界中を旅している。
彼らは魔物退治の報奨金で食いつないでいるのが現状で、かえってそれで満足してしまっている人間もいる。
そういった惰性で魔女探しそのものが慢性化している中、情報を共有して活動を効率化しようとする動きが出てきた。
それが、魔女探しの協会。
各地の天使教会を足掛かりにして、ひろく結集を呼び掛けている。
このフェリア中央教会で協会の代表をしているシヅキは、各地を旅して参加を呼び掛けている創立者に代わって、地元への協力や集まってきた魔女探し達の取り纏めに、忙しく活動している。
教会としては、地域に貢献してくれるのは助かるし、どれだけ人が集まっても、基本的に自給自足だから困る事はない。
揉め事にだけ気をつけて貰って、教会の場所を提供している。
彼らを取り仕切るのは、協会。
教会の聖女である私には、ほとんどすることはない。
「軽くて優しいお菓子でしたね。マカロン。冬だけなんて、勿体ないなぁ」
空っぽになってしまった箱を折り畳んで、甘い残り香を吸い込んだ。
「さて、そろそろ帰るよ。ミラノちゃんも夜の礼拝の準備があるよね」
腰をあげた先生に、門まで送りますと言って本の束の一部を持つ。
ずっしり埃臭いのが、心地良い。
執務室を出て聖堂に抜けると、合唱が終わる所だった。
長椅子で耳を傾けている聴衆の中に、ぽつりぽつりと旅装の魔女探しの姿がある。
邪魔にならないようにそっと端を通り抜けて外に出る。
薄暗くなりはじめた空の冷えた風に、先生の緩く纏めた長い茶髪がサラリと揺れた。
「今日も夜はよく星が見えそうだね。礼拝とか、暖かくして風邪をひかないようにね」
「はい。セト先生も、お気を付けて」
両手に本の束を抱えて歩いて行く背中を見送ると、少しだけ寂しくなる。
また明日、会えるんだけど。
ふと、背中に寒いものがはしった。
「――すみません、聖女様。お尋ねしたいのですが」
背後から掛けられた男の声に、何故か、鳥肌が立つ。
嫌な声じゃない。普通の低い声なのに……。
そっと振り返ると、魔女探しの男。
長い黒髪が顔の半分を隠していて、表情が見えにくい。
「な……何でしょうか?」
見た事のない顔だから、今日着いた人だろうか。
シヅキが戻るまで、聖堂で合唱を聴いていたんだろう。
私が少し緊張しているのを見て取ったのか、彼は、少し身を引いて門の外に視線を送った。
「今、本を持って行った方とは、お知り合いでしょうか? 彼はどういう人なんですか?」
……質問の意図が、よく、わからない。
聖女である私に能力の事を聞きたがる魔女探しは多いけれど、先生について聞かれたのは初めてだ。
「あ、あの。失礼ですけど、あなたは……?」
正体不明の人に、迂闊に色々喋るわけにはいかない。
彼は私が警戒しているのをみて、スッと姿勢を正して左手を胸元に添えた。
「リュディア王国、中央教会より参りました。リース=レクトといいます。クレイから協会の誘いを受け、本日こちらに到着しました。ご挨拶もせず失礼しました。『光明の聖女』ミラノ=アート。お噂は、伺っています」
突然、警護官みたいな態度に変わったのに、びっくりする。
怪しい人じゃないのは分かったけれど、謎の悪寒が消えない。
「怖がらせてしまって、申し訳ありません」
「い、いえ、とんでもないです。それであの、どうして先生のことを……」
「……先生?」
「本業は古書店をされていて、私、色々と勉強を教えて貰っているんです」
ふ、と彼の目がやわらかくなった気がして、少しだけほっとする。
「……なるほど。では、結構教会に出入りしているんですね」
「そう、ですね。毎日じゃないですけど。明日もまた来て貰う予定です」
それだけ教えると、リースはわかりましたと一礼して、あっさり聖堂に戻っていった。
彼が私の前からいなくなると、すっと悪寒が引いた。
――今までどんな人に会っても、こんな事はなかったのに。
夜の街の明かりが灯りはじめる。
いつもの繁華街の賑わいが聞こえてくる。
拍手を受けた解放奴隷達が、笑顔で教会を後にするのを、見送る。
なのに、どこかよくわからない不安が、足元にひろがっていく。
「聖女様? ……大丈夫ですか?」
シヅキに声をかけられて、門にもたれてぼうっとしていたのに気付く。
「あ……。大丈夫です。おかえりなさいシヅキさん。リュディア王国からの魔女探しの人が来てますよ」
ぼうっとした感覚が抜けきらない。
「ああ、クレイさんが言ってた人が来たのかしら。魔女に会った事があるって話だから、待ちかねてたんです。聖堂ですか?」
頷いてシヅキの背中を見送ってから、ぼうっとして頭が、ゆっくり醒める。
――魔女に、会った事がある人がいる。
あのリースっていう魔女探しが、そうなんだろうか。
当然、偽者の可能性も大きいだろうけど、そういう情報の共有は、確かに興味をそそられる。
「あ~、いたいた。ミラノ、夜の礼拝の準備よ~!」
ふんわりした聖使セフィシスの優しい声にほっと息をついて、一緒に来た灰色の猫が足元にすり寄るのを抱き上げた。
「ごめんなさい、今行きます」
猫の小さな体温は、絶大な癒し成分を含んでいる。
◇◇◇にゃんこの癒しと魔女探し協会◇◇◇
天使教会の根本的な教義は、自然への感謝。
すごく自然の事だと思っていたけれど、今日読んだあの貴重な本の内容を思うと、もっと深い歴史があるのかな?
聖女を任されたからには、せめて教会の事だけでも背筋を伸ばせる自分でありたい。
教会が天使の名を冠しているのは、昔話で天使が自然を尊重するように人々を導いたことからきている。
皆が字を習うときに読む、昔話。
あの簡単な物語にも、たぶん、沢山の秘密があるような気がする。
全部セト先生に翻訳して貰っても良いかも知れないけど、少しぐらいは自分でも読んでみたい。
――翻訳しているときの先生の、優しい仕草が、どうしてか印象に残ってる。今までも色々な事を教えて貰ったけど、流石に古本屋さんだからだろうか。
セト先生も、古いお話が好きなんだろう。
もっと沢山の本を一緒に読みたいな……
そんなことを思っている自分にふと気付いて、ぱんと自分の頬を両手で叩いた。
気を抜くとボーッとしてしまうのは、昔からの、悪い癖だ。
夜の礼拝のあとには、当番の聖使が作った夕食をとって、聖堂では聖使達が思い思いの時間を過ごす。
夜が更けて人がいなくなると、聖女一人の礼拝の時間だ。
ひとりで何を祈るかというと、実はかなり沢山ある。
解放奴隷の事、それに関わる周りの人達の事。
また貴族達も、変化を上手に越えていけるように。
この街が、より豊かに、まわりの地域や国とも良い関係を築いていけるように。
その他にも沢山の事があるし、身近な細かい事も全部祈ってると、すっかり夜が更けている。
聖使達が寝静まった宿舎の廊下を抜けて、聖女の離れに辿り着くと、いつもすぐ眠りにつく。
今日はその部屋の前で、シヅキが待ち構えていた。
「お疲れ様です聖女様。仲間から土産に良いお酒を貰ったので、寝酒にひとつお持ちしました」
小瓶を揺らして笑顔をみせた彼女に、ちょっと困った。
「私、お酒、飲んだことないですよ」
聖女っていう大役に、皆忘れているかも知れないけれど、私は今年でやっと18歳だ。
ずっと聖使として過ごしてきたし、お酒を勧められる事も、自分から飲む機会も無かった。
「あら、美味しいですよ。無理には薦めませんけど、気が向いたら是非あけてみて下さい」
ひんやりした小瓶を渡されて、そっと頷いてみる。
夜の繁華街で酔い潰れている人を見慣れてしまっていると、きっと美味しい飲み物なんだろうけど、なんとなく飲む気にはなれない。
「今日着いたリュディア王国からの魔女探しの話、明日、聖女様にも一緒に聞いて頂けないでしょうか。お忙しいですか?」
「あの、リース=レクトって人ですか?」
ふと、怖いなと思ったのを、どうにか疑問の言葉で鎮める。
「ご存じでしたか。これからの協会の動きに関わる話になります。もしお忙しければ、日を改めます」
これからの魔女探し達の協会の動き。
今までと違う活動を始めるのなら、内容を把握しておく必要があるだろう。好き嫌いの問題じゃなくて、聖女として聞いておかなくちゃいけない。
「わかりました。朝の礼拝の後なら時間がありますから、応接室を開けておきますね」
よろしくお願いします、と一礼したシヅキが廊下を歩いて行くのを少し見送ってから、自分の部屋にはいって、深い息をついた。
別に、あのリースって人が何かした訳じゃないし……
会いたくない、とか思うのは、失礼だっていうのは、よくわかってる。そのうえ私は聖女なんだから、人の好き嫌いは良くない。
でも、どうしてあの人だけ、嫌な感じがするんだろう。
捉えどころの無い、形の無い魔物と対峙した時みたいな、不安と焦りに似ている。
どんな魔物でも、姿形がはっきりしていれば、手をかざして消す事が出来る。
だけど霧みたいに姿がはっきりしない魔物には、どう向かい合ったらいいか迷ってしまって、焦った事があった。
人型の魔物――吸血鬼には、まだ遭った事がないけど、仮にも王国の中央教会から来た魔女探しが、吸血鬼な訳がない。
まわりが、すぐ気付く筈だ。
……じゃあ、全然別の種類の、人の形をした魔物が存在するとしたら――
ぞっと、寒気がはしる。
急いで聖衣から暖かい寝間着に着替えて、布団に潜り込んだ。
考え過ぎるのは、よくない。
明日、明るい時にもう一度会えば、きっと、普通の人間だって確認できるはずだ。
「セフィシス、ちょっと午前中、にゃんこ借りていいですか?」
朝の礼拝の片付けをして、忙しく動き回る古馴染みの聖使に、そっと声をかける。
「いいけど、ごはんあげ過ぎないでね。いつも、いつの間にか魔女探しの人達からオヤツ貰って来ちゃうから」
彼女の灰色の猫を抱いて、応接室をあける。
机上の花瓶を窓枠に移動させているところに、扉を叩いて協会の人達が入ってきた。
「お時間を頂き、ありがとうございます」
礼儀正しく挨拶してくれたリースに、やっぱり寒気がしてしまう。腕の中に抱えたにゃんこの体温で、昨日程の悪寒は抑えられたけど。
協会の顔ぶれはシヅキと、いつも出入りしている顔が3人。
そして新しい顔がもうひとり。
「はじめまして。リュディア王国中央教会から来ました。アクア=エルタスです」
ペコリと頭を下げてくれたのは、セフィシスみたいな魔導杖を持つ、同い年位の女の子だった。
リースと同じ所から来てるって事は、一緒に旅してきたんだろう。にゃんこも特に変わった様子はないし、やっぱりリースが苦手なのは、気にしすぎだ。
長椅子に皆が座ったところで、シヅキがいきなり本題を切り出した。
「今日の話は大きく分けて2つ。1つ目は、実際に魔女を一度見つけた事例。2つ目は魔女に対抗する手段について」
魔女を見つけた――。
ただそれだけの言葉が、執務室の空気を、ぴり、と引き締める。
「クレイさんが今まで皆に共有した情報は、今までの魔女の、魔女探しに対する行動。手下を仲間の中に紛れ込ませて全滅させてみたり、その手下が偽魔女を仕立てて活躍させたり。実質的に手下のへの注意喚起だったわ。でも、注意するだけじゃ、何も解決しない」
それはそうだ。
現に300年も、誰も魔女に辿り着けずにいるのだから。
シヅキの視線をうけて、リースが静かな声をおとす。
「まず、10年ほど前にリーオレイス帝国内に政変があった事を、ご存じでしょうか。表沙汰にはなっていませんが、内政に大打撃を及ぼしました。絶大な力を誇っていた帝王が、魔女と戦い、敗れたからです」
「魔女と戦った……?!」
協会の3人は疑うような険しい顔をした。
「どうやったら魔女を探し出し、そんな都合よく帝王と戦闘になるんだ。帝王が戦って敗れた相手を、面子を立てる為に、相手を魔女だとしたのなら、まだ、理解できるが」
難しい顔をした協会の男が、他の2人の発言を制して、きびしい声をおとした。
「そうですね。しかし、勝利を確信していた帝王は、わざわざリュディア王国の退魔師を証人として立ち会わせた。彼はリーオレイス帝国の軍人と一緒に、魔女と旅程を共にした。……リーオレイス軍人によって探し出された魔女は、当時、ごく普通の人間として過ごしていました。小さな村の、占い師の青年として」
物凄い話が、なめらかに流れていった。
リーオレイス帝国に政変があった話は昨日聞きかじったばかりだけど、まさかそんな背景があるとは思ってもみなかった。
「あ、証人になってた本人は、明日には着くと思います。ちょっと王様に呼ばれてて。詳しい容貌とかは、彼から直接お話させて頂きますね」
黙っている協会の顔ぶれに、アクアがにこやかに一言添えた。
「しかし……過去の顔が分かっていたとしても、今も同じとは限らないだろう? 重要なのは、その軍人が、どうやって探し当てたかじゃないか」
「残念ながら、彼はその後の政変に対応するために帝国に戻ってから、音沙汰がありません。帝王の惨敗を見た訳ですから、消されている可能性もあります」
消されてる――
厳しい言葉に、緊張する。
柔らかいにゃんこをぎゅっと抱いた。
「仰る通り、探し方も重要です。が、同じように探し出せたとして、勝算はありません。自然の龍を駆使する帝国最強の帝王が、あっさり敗れた訳ですから。そこで、シヅキさんが前置きしてくれた、ふたつ目の話になりますが……」
どうしてか、リースが私をちらりと見る。
「……実際に帝王の龍に対して魔女が使ったのは、大蛇でした。俺も大蛇には遭いましたが、蛇そのものは倒す事が出来るし、『光明の聖女』様の能力でも、恐らく消せるものだと思います。問題は、魔女自身の、謎の力……。300年以上生き続け、龍をものともしない、彼女自身が持っている能力。これを越えるか打ち消すような備えが無ければ、探し出した所で手も足も出ません」
だから日頃から体を鍛えているんだ、という声が、魔女探し全員から聞こえてきそうだ。
でもリースの話は、そういう問題じゃない。
「そもそも魔女は、いつ何処で、魔女に成り得る力を手に入れたのか。各地の聖者や聖女のように特殊な能力を持った方々でも、300年も生きたりして人としての常軌を逸している事は、まずありません。初めて魔女が出現したとされるメルド湖沼地帯。あれは彼女が最初に沈めた古戦場だというのは、魔女探しなら知っている事かと思いますが、そのあたりの歴史や記録、伝承に手掛かりが無いか、一度総浚いする必要があると考えています。……力の源が明らかになれば、対抗手段を具体的に探る事ができるようになる」
――あ。
だから、本――。
先生のことを訊いてきたんだろうかと思い当たって、ちょっとだけ、ほっとする。
考え込むふうに視線を落とした協会の3人をシヅキが見渡す。
「当然、メルド湖沼地帯に接している東地区には、今も昔も魔女探しが多く集まるし、そこに目をつけて調べた事がある人間もいると思う。ただ、そういう人達が何か掴んだとしても、魔女探し全体には全然そんな内容は聞こえてこない。『情報共有』。これが私達の強み。これを生かさない手はないわ。どうかしら」
シヅキの声に、真面目な顔した3人が頷いた。
特に欠点のある提案ではない。
軍人が魔女を探し出した手段も知りたいが、今ここでそんな贅沢をいっても仕方ない。
それが彼らの心境だろう。
「――聖女様、ひとつ、お願いがあります」
リースの静かな視線に、もういちど、緊張する。
咄嗟に先生の古書店の事かなと思って、どうしてか喉が渇いた。
「古い伝承……特に、創世記や古い国々の記録は、王国でも連邦でも、一般平民には禁書とされていて、為政者や一部の貴族にしか見る事が出来ないという伝統があります。フェルトリア連邦は、古戦場に接していますから、当時の記録があるはず。何とか、その辺りだけでも読ませて頂けるようにはできないでしょうか」
……総議長様に借りた古書。
昨日読んだあの本は、多分、創世記なんじゃないかと思う。
あれが、禁書だとは知らなかった。
総議長様も、私が聖女だから大丈夫だと思って貸し出してくれたんだろうか。
「相談、してみますね」
多分大丈夫だと思うっていうのは、飲み込んだ。
いつも総議長様の判断に頼りっぱなしになってちゃいけない気もする。
「東地区の調査は、今現地にいる協会の人間に伝書鳥を飛ばすわ。私達は当面、この中央都市で集められるだけの情報を集めるわよ。本屋も大事だけど、民謡とか、埋もれた話をご年配から聞き取るのも良いかも知れない。集まってきている魔女探しの手伝ってくれそうな面子にも声を掛けて、この機会に漏れなく確認しましょう」
シヅキの声は、明快だ。
昨日リースから話を聞いた時点で、だいたいの段取りを決めておいたのだろう。
協会の3人を先に退出させて、シヅキはふわりと私の腕の中のにゃんこを撫でた。
「国の記録のこと、お任せして大丈夫でしたか?」
「少し、心当たりがありますから。私も色々勉強したいですし、やってみます」
ほっと、笑みをみせたシヅキが、お願いします、と一礼して出て行く。
それに続いたアクアを見送って、ふとリースが足を止めた。
ぴり、と緊張してしまう。
「……こうしていても、俺が、怖いですか?」
飾らない、感情の見えない言葉に、息が詰まる。
同じ部屋の中で長話を聞いて、彼が信頼できる人だっていうのは、わかった筈なのに。
「い、いえ……あの、ごめんなさい……」
どうすればいいか、わからない。
顔を上げられなくて、にゃんこのフワフワの背中を撫でてみる。長い尻尾で、ぺし、と叩かれた。
「いえ、貴女が謝る事はありません。ところで、昨日の古書店の先生は、どこでお店をしているんですか?」
「あ……街の西側の外環通り沿いです。『洞窟古書店』っていう看板が出てれば、いらっしゃるかと思います」
ありがとう、と出て行ったリースの背中を見送ってから、急に、先生が心配になってくる。
私以外の人はリースに何も感じていないし、アクアっていう女の子なんかは、彼に懐いているふうだったから、悪い人じゃないし、きっと心配要らない――。
そう、頭ではわかっているのに。
◇◇◇古書店と総議長◇◇◇
古びた紙のにおい。
整頓された大小の古書が、上品に棚の中で眠っている。
セトは広い机上に古書をひろげて、難解な表現の古語の翻訳に頬杖をついていた。
本を読むと、筆者の呼吸が伝わってくる。
生きて、思考した痕跡がよくわかる。
だから本には相性がある。
人付き合いと一緒だ。
目を通してみて相性が悪ければ、扱わない。
なかでも相性の良い古語の本は、文字を越えて、筆者の意識に直接触れているような感覚になる。
文字は、そのときの時間と空間を切り取る、媒介だ。
――この貴重な古書は、文献上最も古い、創世記だろう。
新しい聖女様に教えて欲しいと託された、一般人には禁書の本。
創成記――世界の始まり。
初めて読んだ筈なのに、何故か、どこかで聞いたことかあるような気がする……。
トントン、と扉を叩く音に、目を擦った。
古語の解読に夢中になりすぎて、今朝いつものように外に看板を出した事を忘れていた。
「どうぞ、開いてるよ」
扉が開くと、よく晴れている外の日差しが眩しく差し込む。
見慣れた茶色の癖っ毛の青年が、書類の束を抱えて入ってきた。
それをみて椅子に根を生やしたように動かなかった腰が、浮いた。
「リッド! また持ってきたの。どれだけ国庫の中、大掃除してるんだい」
「いやー。書記官の手に負えなくて。記録をつけるのは一流でも、解読とか整理とかは日常業務外だからな。勿論謝礼は弾むから、もう少し頼むよ」
「それは良いんだけど……。誰かに持ってこさせれば良いじゃないか。総議長様が毎回直々に持ってくるなんて、政敵に狙われやすくなるよ」
広い机の端に書類の束をドサリと置いて一息ついた平服姿の優男は、呑気な顔で笑ってみせた。
「頼み事をするのに、人任せには出来ないだろ。セトは護衛官達と違って、部下じゃないんだから。これでも護衛はついてるから、そこまで心配はいらないさ」
――これだから、この男は。
盗賊団だった時の仲間のほとんどが、当時から上級貴族だったリッド=ウインツに、緑の制服を着て、個人的な護衛官として雇用されている。
盗賊団の首領だったセトは、ここでひとり、古書店を営んでいる。
理由はひとつ。
セト自身の戦闘能力は、ほとんど無い。
盗賊団の首領としての役割は、戦略家だったのだから。
セトは小さく息をついて、持ってきた書類をあらためる。
さっと見た感じ、ほとんどが古い行政記録のようだ。
「……これ、解読して何に使うの?」
「いや、解読しないと何に使えるか分からないから」
「こういう所で税金の無駄遣いって言われるんだよ。まぁ僕個人に割く数字なんて、全体からみればたかが知れてるだろうけど。もうちょっと部下を使えるように育てて、有効活用しなよ」
「はい。すみません、がんばります」
これで、フェルトリア連邦国の盟主である総議長が務まっているんだから、不思議だ。
茶色の癖ッ毛の頭を掻いてから、リッドはふと顔をあげる。
「ミラノさんは元気?」
「うん、元気にやってるよ。自分でも古語を習いたいっていうんだから、向上心のある子だね」
「そうか。良かった……。じゃあ、引き続きよろしく頼んだ」
そういって店を出て行った総議長をみおくって、書類の束を机の端に寄せる。
今解読にかかっている創成記のほうが、先だ。
少しも経たないうちに、また扉を叩いて日差しが入ってきた。
本が日焼けするから、もう少し季節に合わせて棚の位置を工夫した方がいいかも知れない。
「わっ、暗い」
女の子が、小さな声をあげた。
それを連れの男が小さく注意する。
「すみません、こちらに東地区の方の古書はありますか?」
右目を隠す黒い長髪に、機動性の良さそうな服装。
まるで単身の盗賊みたいだ。
だが、一緒にいる女の子は、どうみても魔法系の退魔師か魔女探しだろう。
「東地区……君達は魔女探しかな? あるのは巧芸品の本ばっかりで、地図とか、役に立ちそうなものはあんまり無いよ。一応、見てみるかい?」
男が頷いたのをみて、東地区の関連本を纏めた棚に案内する。
簡単に棚の内容を紹介して古書をひろげた机に戻ろうとしたとき、男の腕に肩が触れて、ビリ、と変な静電気がはしった。
それには気を留めずに本を開き始めた客をちらりと見てから、作業に戻る。
「リース様、ここに載ってる装身具、今リュディアで流行ってる魔除けですよ! 東地区の発祥だったんですね~」
「ああ、そうか。魔物が多いって事は、こういうものを作るのも必然だな」
この古書店に女の子の声が響くと、なんだか変な感じがする。昔からの馴染みを含めて、男ばかりが出入りするからかもしれない。
それにしても盗賊みたいな男の名前がリースって、随分可愛いなと思う。
ふたりが本を眺めているうちは、解読が終わった所までの訳文を整理する。
集中力が切れると、新しい文章をつくることはできない。
聖女ミラノ=アートに、理解しやすく文を組み立て直す。
本来の秘め置かれた文間の意図を壊さないようにするのは、結構な頭脳戦だ。
ふ、と顔をあげると、買う本をいくつか手にした男が、そっとこちらを見ていた。
「……古語の解読ですか」
「ああ。ちょっと頼まれててね。本は、それでいいの?」
「はい。それと、歴史家の『フェイ=リンクス』という人について、何か聞いたことはありませんか?」
「……リンクスは、僕だけど……。聞いたことないな」
「そうですか。もしかして、東地区出身ですか?」
「いや、わからないんだ。昔、川に落ちて記憶を無くしてね。知り合いに助けられて自分の名前はわかったんだけど、故郷とか身内とかは、さっぱり。リーオレイス帝国とリュディア王国の間にいたし、この国の東地区との関係は心当たりが無いな……」
喋りながら清算を済ませて、本を束ねる。
「帝国との間……というと、山間部ですね。あの辺りは寒いでしょう。よくお知り合いに助けて貰えましたね」
「僕は運が良いからね。――はい、できたよ。またどうぞ」
ポンと本の束を手渡すと、また小さく静電気がはしる。
この客は、どれだけ帯電しているのだろうか。
軽く頭を下げて帰っていった魔女探し達をみおくって、小さく息をついた。
――記憶のはじまりは、冷たい川岸。
田舎の小さな村で占い師をしていたらしいけど、その記憶はない。何かの事件に巻き込まれたらしくて、探し出してくれた村の男達も、故郷を焼かれていた。
犯人である魔女探し達を襲撃したのをきっかけに、そのまま彼らと一緒に盗賊をしていたことは、今は結構いい思い出だ。
昔は魔女探し達が嫌いだったけど、今は何とも思わない。
敵討ちは、終わっている。
手元の作業を一通り纏めて、窓から差し込む日差しの角度で昼過ぎになっているのに気付く。
そういえばお腹も空いてきた。
椅子の上でかたくなった手足を伸ばして、引き出しの店の鍵を手に取る。
引き出しに一緒に入っていた古本に、ふと目が留まった。
鍵がかかっていて、表題も無い本。
どの棚に収めていいのかもわからず、取り敢えずここに放り込んでおいていた。
いつ持ち込まれたのかも忘れてしまった。
ずっとこの引き出しの中で忘れられていたけれど、そういえば、筆者の名前だけが裏表紙に記載されている。
――フェイゼル=アーカイル――
さっき、フェイ=リンクスとかいう歴史家について訊かれたのを思い出す。
同じフェイではある。
本の著者が本名を使うとは限らないし、もし女性だとしたら、姓が変わる事もあるだろう。
「……まぁ、偶然……かな」
トン、と引き出しを閉めて立ち上がると、纏めた紙と古書を荷物に束ねて店を出た。
出していた看板を建物の隙間に片づけて、晴れ空の冷たい空気を、大きく吸い込む。
フェリアの賑やかな街並みは、最初の頃は盗賊暮らしに慣れた身には、ちょっと引け目があった。
でも暮らしてみれば慣れるもので、昔の仲間も快適に生活している。
「セトさん! お昼、これからですか」
「うん、教会に行く途中のどこかで取ろうと思って」
「じゃあ、うちで食べて行きませんか? 今嫁さんがパンを沢山焼いたとこなんですよ。多過ぎてどうしようかと思ってたんです」
「いいね。じゃあお邪魔するよ」
近所に住んでいる元盗賊仲間は、今でも家族みたいな感じだ。
いつでも身近に控えていたこの男が、最近やっと所帯を持って、仲間のほとんどがこの都市に完全に落ち着いた。
充満する幸せの匂いを沢山吸い込む。
大変な事が沢山あったけれど、こうして仲間が笑顔で暮らせるようになっていくのを見守るのは、嬉しい。
可愛いお嫁さんにお礼をいって、教会へ向かう。
余ったパンを持たされて古書が暖かい。
色彩豊かに旗がゆれる繁華街を通って、街の南側にある中央教会に向かって歩けば、お洒落なお店と音楽と、賑わいで溢れている。
最近は観光客も増えた気がする。
――ふと、足をとめて振り返ってみる。
誰かに見られているような気がしたけれど、人が多過ぎて、よく分からなかった。
◇◇◇魔女とあった人◇◇◇
フェリア中央教会。
賑やかな街並みの南側に位置するこの由緒ある教会は、火事や政変に巻き込まれながらも、街の人々の大きな支持を得ている。
それは新しく就任した『光明の聖女』の力だけじゃない。
歴代の聖女が、貴族にも平民にも奴隷にも、寛容な姿勢を貫いてきたからだ。
リッドが総議長に就任したのは、3年前だ。
前職の総議長であったリッドの父が、その職を息子に引き渡した。
どうしてそういう事になったのか?
リッドの護衛官になった元盗賊団の仲間達から、都度、色々な事情を聞かされた。
でも、あまり頭に入ってこなかった。
元盗賊団の仲間達に危険が及ぶような内容じゃなかったし。
政治なんて、自分には関係ない。
平民の身分で得難い情報に一喜一憂したところで、出来る事は何もないのだから。
灰色のにゃんこが、ぴょんとセト先生の荷物に飛びついた。
「あ、こら、駄目でしょ」
ミラノは荷物に引っ掛かった猫の爪を、いそいで外した。
忙しく動き回っているセフィシスが見当たらなくて、結局一日中、にゃんこと一緒にいる。
「あはは。目敏い仔だね。今日は、パンが入ってるんだよ」
古書の荷物から、ほんわり温かいパンが出てくる。
先生が小さく千切って私の腕の中のにゃんこにパンをあげると、ぱっと咥えて先生の肩に飛び乗った。
ふわふわの毛並みがさらりとした茶髪に纏わりついて、くすぐったそうに笑う先生。
なんだか物凄く癒される。
肩ににゃんこを載せたまま、先生は机の上で古書の荷をほどく。一緒に入ってたパンの紙袋から、ほんわり良い匂いがひろがる。
「友人のお嫁さんが作ってくれたんだ。ミラノちゃんも、どうぞ」
あったかくて、素朴なパン。
――なんだか、先生みたい。
「ありがとうございます。お昼を食べたばかりだから、あとでおやつに頂きますね」
にゃんこが勝手に食べないように、棚の上に置いておく。
友人のお嫁さんが作ってくれた……
ってことは、やっぱり先生も、結婚していてもおかしくない年代の筈だ。
「……先生は、結婚しないんですか?」
「僕は本と結婚してるんだよ。皆が幸せになるのを見てたら十分。――それに……」
ふと言葉を切った先生の顔を覗き込んでみると、ぱっと爽やかな笑顔がかえってくる。
「僕の事より、ミラノちゃんはどうなんだい? 聖女様でも、恋愛禁止な訳じゃないよね」
「わ、私は全然! 考えた事もないですっ!」
いきなりぶわっと顔が熱くなる。
聖女業で頭が一杯になっていたから、本当に、そういう気持ちは忘れてた。
「恋愛は、考えるものじゃないさ。僕が本を愛してるようにね」
「もう……本当に本が好きなんですね」
「古語を読めるようになれば、ミラノちゃんももっと本を好きになれると思うよ。さて、昨日の続きを始めようか。わかりやすくまとめてきたんだ」
そう笑いながら古書と解説文をならべた先生の隣に、少しだけため息をついて座る。
ちょっとドキッとする冗談だったけど、やっぱり、先生は先生だ。
―――――――――――――――――――――――――――
大地が火を噴き、海がめくれ上がり、すべての生き物が飲み込まれ
一面に燃え盛る大地と、真っ黒な海がひろがりました。
星の欠片は 大地に馴染み
新たな命の 夜の光に
謳えば星は 柔らに道を照らす――
―――――――――――――――――――――――――――
文章の途中に、唐突に詩のような表現が出てきた。
全然意味がわからない。
「たぶん、これは魔法の発祥を示唆していると思う。古い文献には、魔法の前身に呪術っていうのがあって……これは今も一部の地方でまだ存在してるけど。その前には、複数人で唄を唱える儀式みたいなのがあって、それで明かりを取ったり、怪我とか病気を治したりしたみたいだからね。今でも、『詠唱』っていうぐらいだし」
すっかり古典の世界に入り込んだ先生の、わかりやすい解説に、関心を奪われる。
そういう前知識がない私には、これを読んだだけじゃ、何の事だかさっぱり分からなかった。
―――――――――――――――――――――――――――
焼けた大地に、再び緑が蘇るまで、幾万年。
ひとつだけ現れた緑の大地に、人々が生きる場所ができました。それからの緑の大地は『グラディウス大陸』とよばれました。
世界は、そうして再び、始まったのです。
―――――――――――――――――――――――――――
「先生、これって時間軸的にも、本当に見た人はいない筈ですよね。どうして、こういうふうに古書に記録されてるんですか?」
「未来を見通す聖女様が存在していたように、過去を知る事が出来る人がいたんじゃないかな。でも、もしずっと生きていて見てた人がいたら、凄いよね」
真面目に話をしているかと思うと、突然話題が違う方向に飛んで行く。
だから、先生の話は面白い。
あとの時間は入門書をひらいて、古語の基礎を勉強した。
今日もまた合唱の声が聞こえてくる時間まで、勉強とお喋りとで、日が暮れる。
「そうだ。総議長様に相談があったんですけど、日中、官公庁にいらっしゃらなくて。今教えて貰ってる創世記って、政治をするような立場の人達しか見ちゃいけない伝統があるみたいなんですけど、今、魔女探しの人達が色々歴史を調べてて。一部だけでも、公開って出来るものでしょうか」
「う~ん、一般人の僕に解読を任せるぐらいだから、伝統ってだけで、具体的に罰則とかがある訳じゃないのかな? 一応聞いてみないと分からないね。何かマズい事が書かれてる訳じゃないし。……あの総議長、今日、僕の所に来たよ。最近ちゃんと護衛がいるからって、結構出歩くみたいだから、先に予定をおさえておいた方がいいかもね」
先生は膝の上でスヤスヤしている猫をそっと長椅子に寝かせて、ひろげた古書の資料を片付けた。
起きる気配がないにゃんこ。
そんなに先生の膝が気持ちよかったのかな?
「明日は、今日持ち込まれた総議長からの仕事を一気に片付けたいんだ。授業はお休みでいいかな。入門書は置いて行くから、時間があったら見ておいてね」
「わかりました。お仕事、頑張ってください」
「君も、頑張りすぎないようにね」
そう笑った先生を見送りに、いつものように門まで一緒についていく。
丁度門の前で、キリッとした姿の金髪の魔女探しが、辻馬車の代金を馭者に精算しているところだった。
「じゃあまたまた明後日。予定が変わったら、連絡するよ」
「はい。お待ちしてますね」
先生を人混みの中に見送る。
それからそっと正門の端に立って、金髪の魔女探しが教会に向かってくるのを、出迎えた。
「こちらが、フェリア中央教会ですね」
丈の長い聖女の聖衣を着ているから、私が聖女だというのは一目でわかるだろう。
彼は丁寧に一礼して、左手を胸元に当てた。
「リュディア王国中央教会より参りました、アルヴァ=シルセックです。先行したリースとアクアはこちらに到着していますか?」
折り目正しく、真面目そうな態度。
リュディア中央教会の魔女探しは、皆こういう軍人気質なのかな? でも、アクアは普通の感じだったし、リュデイア王国の人の性質は、色々なのかもしれない。
「はい、お話は少し伺っています。出掛けてるかも知れませんが、中にご案内しますね」
アルヴァ=シルセック。
前髪からもわかる、真っ直ぐな長い綺麗な金髪。
後ろ髪をひとつに結ったところから白い髪留めで覆っているのが、勿体ないくらいだ。
綺麗な立ち姿。
綺麗な顔立ち。
冷たく凍ったように真面目な顔が、この青年の、厳格な雰囲気をつくっている。
ふと彼が腰に帯びた長剣をみて、そういえば、リースは武器らしいものを持ってなかったかな? と今更気付く。
今日リースとアクアと合流するって事は、彼が、魔女と会ったことがある人だろうか。
……すごく、聞きたい。
でも、興味本位で聞いたら、失礼かな……?
「あ、あの……魔女ってやっぱり、美人さんですか?」
宿舎の廊下を歩きながら、ちら、とアルヴァを見上げる。
彼は少しだけ驚いたように目をひらいてから、ふ、と笑った。
「――悪役として描かれるような美人とは、違いましたね。素朴に綺麗……というのが、近いです。俺が持ってくる情報は、伝わっているようですね」
「はい。リュディア王国の証人さんとして、魔女と一緒にいたと聞いています。魔女はその時、占い師の男性に姿を変えていたって……アルヴァさんは、魔女としての女性の姿も――」
無表情だったアルヴァが意外に優しそうに笑んだのをみて、おもわず気が緩んでしまっていた。
私の口数が多くなった一瞬で、アルヴァの表情が、スッと冷静に戻る。
「――占い師の青年とも魔女とも、俺は、あの人と、言葉を交わしています。多くの魔女探しが求めるような、希少な事例です。でも、あの人は、見世物ではありません。――人なんです」
キンと冷えたようなアルヴァの蒼い瞳。
――魔女と会ったことがある人。
世界を支配する魔女。
それを倒すことで、世界は魔女の支配から自由になる。
……そう、皆が思ってる。
でも、アルヴァのいうとおりだ。
魔女は、人だ。
魔物でもなんでもない。
私があっさり魔物を消せるような、簡単な話じゃない。
どんな強い魔物でも、手をかざして簡単に消すことができる私だから、よくわかる。
倒して解決、というものじゃない。
魔物よりも怖いのは、生きている、人なんだ。
「――聖女様に、失礼を。申し訳ありません。つい感情的になりました」
私が硬直したのを見て取ったのか、アルヴァがさっと柔らかい声で優しく一礼する。
咄嗟にそういう態度が取れるなんて、尊敬するぐらい凄い事だと思うんだけど。
「い、いえ、興味本位な質問をしたのは私ですし」
「『光明の聖女』様。俺からも、質問をしても良いですか? ……魔物を一瞬で消すと聞き及んでいます。――魔物とは、何なんでしょう」
アルヴァの、真面目で真摯な蒼い瞳。
「……魔物は、人です。――苦しみや悲しみのままに、自分の姿を喪って迷った、人の心。本当は、皆が思うように、幸せに生きていく筈だった、魂の欠片……。私の力は、魔物としての殻を外してるだけなんです」
私が魔物を消す力を持っているのは、偶然でしかない。
魔物が、亡くなった人の心だと伝えるのは、簡単だ。
でも、だからといって誰も私と同じように魔物を消す事はできない。
魔女探しの人達が戦闘技術を鍛えて魔物退治に赴く姿勢には、いつも頭が下がる。
皆が魔物に対して最強と慕ってくれる私は、人には、無力だから。
魔女を相手にしたなら、私は、何もできないだろう。
「私より退魔師の方々や魔女探しの方々のほうが、すごいです。私にどうにかできるのは魔物だけ。みんなは魔物だけじゃなくて、人間関係とか組織的な事とかとも、戦っていますよね。私も少しずつ、そういう事にも対応できるように勉強はしてるんですけど……まだまだ、ですね」
なんだか静かになってしまった空気をかき消すように、小さく笑ってみせる。
アルヴァも、そういう私に合わせるように、少しだけ笑んでくれた。
――真面目で、いい人だ。
話ながら歩いているうちに、共同宿舎で魔女探し達が資料をひろげる広場に着いた。
人数がいるから、資料も結構な量になっている。
「これは……」
「リースさんが言ってた、伝承とかの調査に、皆が動いてくれたみたいですね。――あ、シヅキさんっ」
資料のなかに埋もれたようになっている協会の代表者をみつけて、声をかける。
こちらに気付いたシヅキが、顔を上げて、いそいで紙の山から脱出してきた。
「リースさんの言ってた方が着きましたよ。リュディアのおふたりは、どちらに?」
「わざわざ聖女様が――ありがとうございます。リースは出掛けてくるとかで……アクアは浴場に行っていますし、私がお引き受けします」
ちょっと埃臭いシヅキにアルヴァを任せて、聖堂のほうへ引き返す。
夜の礼拝の準備にまた遅れてしまう。
いつも私を補佐してくれてるセフィシスに、あまり余計な気苦労をかけたくない。
遥か昔、地上を照らす光は、ふたつありました。
昼間の太陽。
そして、夜と海を支配する、もうひとつの夜の星。
ところがその星は、或る時バラバラに壊れ、沢山の欠片がこの大地に降り注ぎました。
――――――――――――――――――――――――――――――
「えっと……星の欠片って、沢山降ってきて大丈夫なんですか?」
「う~ん、隕石が大量に降ってきたら、かなり大丈夫じゃないだろうね」
古書の文字を辿る先生の白い指先が、古びた紙をそっと撫でる。
「普通に考えたら多くの人が大変な目に遭った筈だよね。でも、ここにはそんな描写はない。人間がいなかったのか、人間の被害がどうでもいい位の規模の大災害だったのか。どちらにしても、このお話は、すごく、興味深いよね」
「ほんと、すごい大きいお話ですよね。都市とか国の話じゃないし……でも、どうして星が砕けちゃったんでしょう?」
この古書は、一般人には公開されていない古代の伝承が載っている、大切な本らしい。
広大な版図を描く、フェルトリア連邦国。
この中央都市フェリアで連邦国家の代表である、総議長様に貸してもらったものだ。
「続きは……。難しい内容みたいだから、解説も整理して、明日持ってくるよ」
「はい。あと、私もちょっと古語が読めるようになりたいです」
「いいね。わかりやすい入門書を探しておくよ」
私がこの中央教会の聖女に就任して、もう1年が経つ。
『光明の聖女 ミラノ=アート』
光魔法と、一瞬で魔物を消す力。
衆目の前でこの能力を盛大に使ったことで、丁度空席になった中央教会の聖女の地位に就く事になった。
私を聖女に推した総議長様に細かいことを相談しているうちに紹介されたのが、この先生。
街外れで古書店をしている、丁寧で柔らかい物腰の20代半ばの男性。
セト=リンクス。
フェリアではありきたりな長い茶髪に、優しい顔と穏やかな声。幅広い知識教養を学ぶのに、総議長様が、古本屋さんを紹介してくれた。
「あ、そうだ。ミラノちゃん、お菓子屋さんで新商品が出ててね、可愛いから買って来たんだ。一緒に食べよう」
本以外に何か荷物があるなと思ったら、箱の中から丸くて可愛いお菓子が出てきた。
「わぁ、可愛い! 何ていうお菓子なんですか? あ、紅茶淹れますね」
「マカロンとかいってたかな。冬季限定だって」
先生はいつも突然、勉強と関係ないところに話題が飛ぶ。
私よりもずっと大人の男性なのに、時々、女の子同士のお喋りをしてるみたいだ。
温かい紅茶と可愛いお菓子をはさんで、和やかに時間が流れる。聖堂の方から、合唱の歌声がきこえてきた。もうすぐ夕方だ。
「解放奴隷達の歌、凄く上手になったね。歌と絵と、街の清掃活動……。最初の頃は元奴隷の人達に色々言う人も多かったけど、ちょっとずつ和らいできてる気がする。『光明の聖女』様の方針のおかげだよ。でも、もし何か問題が起きたらすぐに相談して。頑張り過ぎは、疲れちゃうよ」
先生がふと目を伏せて紅茶の湯気を揺らす仕草に、どこか頼もしさが滲んでくる。
総議長様が旅をしていた時に遭った、盗賊団の首領だった
――って話は、まだ、どこか信じられない。
けれど、こうしてふと漂う謎の力強い安心感は、そのあたりから来ているのかも知れない。
「はい、頼りにしてますね。セト先生。……あ、そうだ。リーオレイス帝国って行ったことありますか? 今度、外交大使みたいな人がいらっしゃるみたいで、もし立ち寄られた時の為に、全然知らないよりは少し知っておきたくて」
「リーオレイス帝国……北の大国だね。隣のリュディア王国に比べて物凄く厳格な国だって話はよく聞くよ。リュディア王国が自由気質過ぎるのかも知れないけど。それと、10年位前に政変があって、結構な数の貴族・富豪が潰れたとか。燃料資源には強いけど、いつも食糧は枯渇してる感じかな。でも、外交大使が来るって事は、内情が変わってきてるのかも。割と頑固に自己完結してた国だからね」
古本屋さんなのに、こういう情報がスラスラ出てくるから凄い。
「でも外国の事なら、僕よりもこの教会に集まってきてる魔女探しの人に訊いた方が、よく知ってるんじゃないかな? いろんな所に旅してるだろうし」
「そうですね、なんとなく訊きそびれてました。皆にも、訊いてみます」
扉を叩く音にどうぞと応えると、新人の聖使がそっと顔を覗かせた。
「あのー、魔女探し協会の人が新しく来たんですけど、今、シヅキさんが出掛けてて……」
「取り敢えず荷物を宿舎に置いて、休んで貰って。シヅキさんが戻ったらお報せしてあげて下さい。遅くとも夜には帰ってくるでしょう」
わかりましたと一礼して退出していった聖使をみおくって、自分が聖使だった頃の事を思い出す。
外部からの印象よりもずっと自由な聖使達の生活は、そのぶん、自分で考えて判断したり行動しなければいけない事が多い。
それでも新人のうちは、判断材料が少ないから、ひとつひとつ聞いてくれた方が良い。
――ずっと、前の聖女様の傍にいたからか、聖女としての役割や振る舞いに戸惑う事が少ない自分に、いまさらびっくりするけど。
「フェリア教会の『光明の聖女』様が魔物を消すっていうだけで、魔女探しの協会にも人材が随分集まって来るようになったね。今、何人位いるんだい?」
「あ……全部、協会のシヅキさん達にお任せしちゃってますけど……共同宿舎に寝起きしてるのは、30人位かな? 出入りしてる人は、もっと沢山いるみたいです。これだけ大勢の魔女探しがいれば、私がいなくても簡単に魔物退治できそうですけどね」
魔女探し。
この世界は、魔女に支配されている――といわれている。
300年にわたって、水害や魔物を操る事で人と国を恐怖支配している。
けれど魔女の土地とされているメルド湖沼地帯には、多くの魔物以外に人が住めるような場所は見つかっていない。
だから、魔女を倒そうとする有志の人間は、まずその所在を見つけなければいけない。
300年もの歳月のなか、魔女探しと呼ばれる人間達は、世界中を旅している。
彼らは魔物退治の報奨金で食いつないでいるのが現状で、かえってそれで満足してしまっている人間もいる。
そういった惰性で魔女探しそのものが慢性化している中、情報を共有して活動を効率化しようとする動きが出てきた。
それが、魔女探しの協会。
各地の天使教会を足掛かりにして、ひろく結集を呼び掛けている。
このフェリア中央教会で協会の代表をしているシヅキは、各地を旅して参加を呼び掛けている創立者に代わって、地元への協力や集まってきた魔女探し達の取り纏めに、忙しく活動している。
教会としては、地域に貢献してくれるのは助かるし、どれだけ人が集まっても、基本的に自給自足だから困る事はない。
揉め事にだけ気をつけて貰って、教会の場所を提供している。
彼らを取り仕切るのは、協会。
教会の聖女である私には、ほとんどすることはない。
「軽くて優しいお菓子でしたね。マカロン。冬だけなんて、勿体ないなぁ」
空っぽになってしまった箱を折り畳んで、甘い残り香を吸い込んだ。
「さて、そろそろ帰るよ。ミラノちゃんも夜の礼拝の準備があるよね」
腰をあげた先生に、門まで送りますと言って本の束の一部を持つ。
ずっしり埃臭いのが、心地良い。
執務室を出て聖堂に抜けると、合唱が終わる所だった。
長椅子で耳を傾けている聴衆の中に、ぽつりぽつりと旅装の魔女探しの姿がある。
邪魔にならないようにそっと端を通り抜けて外に出る。
薄暗くなりはじめた空の冷えた風に、先生の緩く纏めた長い茶髪がサラリと揺れた。
「今日も夜はよく星が見えそうだね。礼拝とか、暖かくして風邪をひかないようにね」
「はい。セト先生も、お気を付けて」
両手に本の束を抱えて歩いて行く背中を見送ると、少しだけ寂しくなる。
また明日、会えるんだけど。
ふと、背中に寒いものがはしった。
「――すみません、聖女様。お尋ねしたいのですが」
背後から掛けられた男の声に、何故か、鳥肌が立つ。
嫌な声じゃない。普通の低い声なのに……。
そっと振り返ると、魔女探しの男。
長い黒髪が顔の半分を隠していて、表情が見えにくい。
「な……何でしょうか?」
見た事のない顔だから、今日着いた人だろうか。
シヅキが戻るまで、聖堂で合唱を聴いていたんだろう。
私が少し緊張しているのを見て取ったのか、彼は、少し身を引いて門の外に視線を送った。
「今、本を持って行った方とは、お知り合いでしょうか? 彼はどういう人なんですか?」
……質問の意図が、よく、わからない。
聖女である私に能力の事を聞きたがる魔女探しは多いけれど、先生について聞かれたのは初めてだ。
「あ、あの。失礼ですけど、あなたは……?」
正体不明の人に、迂闊に色々喋るわけにはいかない。
彼は私が警戒しているのをみて、スッと姿勢を正して左手を胸元に添えた。
「リュディア王国、中央教会より参りました。リース=レクトといいます。クレイから協会の誘いを受け、本日こちらに到着しました。ご挨拶もせず失礼しました。『光明の聖女』ミラノ=アート。お噂は、伺っています」
突然、警護官みたいな態度に変わったのに、びっくりする。
怪しい人じゃないのは分かったけれど、謎の悪寒が消えない。
「怖がらせてしまって、申し訳ありません」
「い、いえ、とんでもないです。それであの、どうして先生のことを……」
「……先生?」
「本業は古書店をされていて、私、色々と勉強を教えて貰っているんです」
ふ、と彼の目がやわらかくなった気がして、少しだけほっとする。
「……なるほど。では、結構教会に出入りしているんですね」
「そう、ですね。毎日じゃないですけど。明日もまた来て貰う予定です」
それだけ教えると、リースはわかりましたと一礼して、あっさり聖堂に戻っていった。
彼が私の前からいなくなると、すっと悪寒が引いた。
――今までどんな人に会っても、こんな事はなかったのに。
夜の街の明かりが灯りはじめる。
いつもの繁華街の賑わいが聞こえてくる。
拍手を受けた解放奴隷達が、笑顔で教会を後にするのを、見送る。
なのに、どこかよくわからない不安が、足元にひろがっていく。
「聖女様? ……大丈夫ですか?」
シヅキに声をかけられて、門にもたれてぼうっとしていたのに気付く。
「あ……。大丈夫です。おかえりなさいシヅキさん。リュディア王国からの魔女探しの人が来てますよ」
ぼうっとした感覚が抜けきらない。
「ああ、クレイさんが言ってた人が来たのかしら。魔女に会った事があるって話だから、待ちかねてたんです。聖堂ですか?」
頷いてシヅキの背中を見送ってから、ぼうっとして頭が、ゆっくり醒める。
――魔女に、会った事がある人がいる。
あのリースっていう魔女探しが、そうなんだろうか。
当然、偽者の可能性も大きいだろうけど、そういう情報の共有は、確かに興味をそそられる。
「あ~、いたいた。ミラノ、夜の礼拝の準備よ~!」
ふんわりした聖使セフィシスの優しい声にほっと息をついて、一緒に来た灰色の猫が足元にすり寄るのを抱き上げた。
「ごめんなさい、今行きます」
猫の小さな体温は、絶大な癒し成分を含んでいる。
◇◇◇にゃんこの癒しと魔女探し協会◇◇◇
天使教会の根本的な教義は、自然への感謝。
すごく自然の事だと思っていたけれど、今日読んだあの貴重な本の内容を思うと、もっと深い歴史があるのかな?
聖女を任されたからには、せめて教会の事だけでも背筋を伸ばせる自分でありたい。
教会が天使の名を冠しているのは、昔話で天使が自然を尊重するように人々を導いたことからきている。
皆が字を習うときに読む、昔話。
あの簡単な物語にも、たぶん、沢山の秘密があるような気がする。
全部セト先生に翻訳して貰っても良いかも知れないけど、少しぐらいは自分でも読んでみたい。
――翻訳しているときの先生の、優しい仕草が、どうしてか印象に残ってる。今までも色々な事を教えて貰ったけど、流石に古本屋さんだからだろうか。
セト先生も、古いお話が好きなんだろう。
もっと沢山の本を一緒に読みたいな……
そんなことを思っている自分にふと気付いて、ぱんと自分の頬を両手で叩いた。
気を抜くとボーッとしてしまうのは、昔からの、悪い癖だ。
夜の礼拝のあとには、当番の聖使が作った夕食をとって、聖堂では聖使達が思い思いの時間を過ごす。
夜が更けて人がいなくなると、聖女一人の礼拝の時間だ。
ひとりで何を祈るかというと、実はかなり沢山ある。
解放奴隷の事、それに関わる周りの人達の事。
また貴族達も、変化を上手に越えていけるように。
この街が、より豊かに、まわりの地域や国とも良い関係を築いていけるように。
その他にも沢山の事があるし、身近な細かい事も全部祈ってると、すっかり夜が更けている。
聖使達が寝静まった宿舎の廊下を抜けて、聖女の離れに辿り着くと、いつもすぐ眠りにつく。
今日はその部屋の前で、シヅキが待ち構えていた。
「お疲れ様です聖女様。仲間から土産に良いお酒を貰ったので、寝酒にひとつお持ちしました」
小瓶を揺らして笑顔をみせた彼女に、ちょっと困った。
「私、お酒、飲んだことないですよ」
聖女っていう大役に、皆忘れているかも知れないけれど、私は今年でやっと18歳だ。
ずっと聖使として過ごしてきたし、お酒を勧められる事も、自分から飲む機会も無かった。
「あら、美味しいですよ。無理には薦めませんけど、気が向いたら是非あけてみて下さい」
ひんやりした小瓶を渡されて、そっと頷いてみる。
夜の繁華街で酔い潰れている人を見慣れてしまっていると、きっと美味しい飲み物なんだろうけど、なんとなく飲む気にはなれない。
「今日着いたリュディア王国からの魔女探しの話、明日、聖女様にも一緒に聞いて頂けないでしょうか。お忙しいですか?」
「あの、リース=レクトって人ですか?」
ふと、怖いなと思ったのを、どうにか疑問の言葉で鎮める。
「ご存じでしたか。これからの協会の動きに関わる話になります。もしお忙しければ、日を改めます」
これからの魔女探し達の協会の動き。
今までと違う活動を始めるのなら、内容を把握しておく必要があるだろう。好き嫌いの問題じゃなくて、聖女として聞いておかなくちゃいけない。
「わかりました。朝の礼拝の後なら時間がありますから、応接室を開けておきますね」
よろしくお願いします、と一礼したシヅキが廊下を歩いて行くのを少し見送ってから、自分の部屋にはいって、深い息をついた。
別に、あのリースって人が何かした訳じゃないし……
会いたくない、とか思うのは、失礼だっていうのは、よくわかってる。そのうえ私は聖女なんだから、人の好き嫌いは良くない。
でも、どうしてあの人だけ、嫌な感じがするんだろう。
捉えどころの無い、形の無い魔物と対峙した時みたいな、不安と焦りに似ている。
どんな魔物でも、姿形がはっきりしていれば、手をかざして消す事が出来る。
だけど霧みたいに姿がはっきりしない魔物には、どう向かい合ったらいいか迷ってしまって、焦った事があった。
人型の魔物――吸血鬼には、まだ遭った事がないけど、仮にも王国の中央教会から来た魔女探しが、吸血鬼な訳がない。
まわりが、すぐ気付く筈だ。
……じゃあ、全然別の種類の、人の形をした魔物が存在するとしたら――
ぞっと、寒気がはしる。
急いで聖衣から暖かい寝間着に着替えて、布団に潜り込んだ。
考え過ぎるのは、よくない。
明日、明るい時にもう一度会えば、きっと、普通の人間だって確認できるはずだ。
「セフィシス、ちょっと午前中、にゃんこ借りていいですか?」
朝の礼拝の片付けをして、忙しく動き回る古馴染みの聖使に、そっと声をかける。
「いいけど、ごはんあげ過ぎないでね。いつも、いつの間にか魔女探しの人達からオヤツ貰って来ちゃうから」
彼女の灰色の猫を抱いて、応接室をあける。
机上の花瓶を窓枠に移動させているところに、扉を叩いて協会の人達が入ってきた。
「お時間を頂き、ありがとうございます」
礼儀正しく挨拶してくれたリースに、やっぱり寒気がしてしまう。腕の中に抱えたにゃんこの体温で、昨日程の悪寒は抑えられたけど。
協会の顔ぶれはシヅキと、いつも出入りしている顔が3人。
そして新しい顔がもうひとり。
「はじめまして。リュディア王国中央教会から来ました。アクア=エルタスです」
ペコリと頭を下げてくれたのは、セフィシスみたいな魔導杖を持つ、同い年位の女の子だった。
リースと同じ所から来てるって事は、一緒に旅してきたんだろう。にゃんこも特に変わった様子はないし、やっぱりリースが苦手なのは、気にしすぎだ。
長椅子に皆が座ったところで、シヅキがいきなり本題を切り出した。
「今日の話は大きく分けて2つ。1つ目は、実際に魔女を一度見つけた事例。2つ目は魔女に対抗する手段について」
魔女を見つけた――。
ただそれだけの言葉が、執務室の空気を、ぴり、と引き締める。
「クレイさんが今まで皆に共有した情報は、今までの魔女の、魔女探しに対する行動。手下を仲間の中に紛れ込ませて全滅させてみたり、その手下が偽魔女を仕立てて活躍させたり。実質的に手下のへの注意喚起だったわ。でも、注意するだけじゃ、何も解決しない」
それはそうだ。
現に300年も、誰も魔女に辿り着けずにいるのだから。
シヅキの視線をうけて、リースが静かな声をおとす。
「まず、10年ほど前にリーオレイス帝国内に政変があった事を、ご存じでしょうか。表沙汰にはなっていませんが、内政に大打撃を及ぼしました。絶大な力を誇っていた帝王が、魔女と戦い、敗れたからです」
「魔女と戦った……?!」
協会の3人は疑うような険しい顔をした。
「どうやったら魔女を探し出し、そんな都合よく帝王と戦闘になるんだ。帝王が戦って敗れた相手を、面子を立てる為に、相手を魔女だとしたのなら、まだ、理解できるが」
難しい顔をした協会の男が、他の2人の発言を制して、きびしい声をおとした。
「そうですね。しかし、勝利を確信していた帝王は、わざわざリュディア王国の退魔師を証人として立ち会わせた。彼はリーオレイス帝国の軍人と一緒に、魔女と旅程を共にした。……リーオレイス軍人によって探し出された魔女は、当時、ごく普通の人間として過ごしていました。小さな村の、占い師の青年として」
物凄い話が、なめらかに流れていった。
リーオレイス帝国に政変があった話は昨日聞きかじったばかりだけど、まさかそんな背景があるとは思ってもみなかった。
「あ、証人になってた本人は、明日には着くと思います。ちょっと王様に呼ばれてて。詳しい容貌とかは、彼から直接お話させて頂きますね」
黙っている協会の顔ぶれに、アクアがにこやかに一言添えた。
「しかし……過去の顔が分かっていたとしても、今も同じとは限らないだろう? 重要なのは、その軍人が、どうやって探し当てたかじゃないか」
「残念ながら、彼はその後の政変に対応するために帝国に戻ってから、音沙汰がありません。帝王の惨敗を見た訳ですから、消されている可能性もあります」
消されてる――
厳しい言葉に、緊張する。
柔らかいにゃんこをぎゅっと抱いた。
「仰る通り、探し方も重要です。が、同じように探し出せたとして、勝算はありません。自然の龍を駆使する帝国最強の帝王が、あっさり敗れた訳ですから。そこで、シヅキさんが前置きしてくれた、ふたつ目の話になりますが……」
どうしてか、リースが私をちらりと見る。
「……実際に帝王の龍に対して魔女が使ったのは、大蛇でした。俺も大蛇には遭いましたが、蛇そのものは倒す事が出来るし、『光明の聖女』様の能力でも、恐らく消せるものだと思います。問題は、魔女自身の、謎の力……。300年以上生き続け、龍をものともしない、彼女自身が持っている能力。これを越えるか打ち消すような備えが無ければ、探し出した所で手も足も出ません」
だから日頃から体を鍛えているんだ、という声が、魔女探し全員から聞こえてきそうだ。
でもリースの話は、そういう問題じゃない。
「そもそも魔女は、いつ何処で、魔女に成り得る力を手に入れたのか。各地の聖者や聖女のように特殊な能力を持った方々でも、300年も生きたりして人としての常軌を逸している事は、まずありません。初めて魔女が出現したとされるメルド湖沼地帯。あれは彼女が最初に沈めた古戦場だというのは、魔女探しなら知っている事かと思いますが、そのあたりの歴史や記録、伝承に手掛かりが無いか、一度総浚いする必要があると考えています。……力の源が明らかになれば、対抗手段を具体的に探る事ができるようになる」
――あ。
だから、本――。
先生のことを訊いてきたんだろうかと思い当たって、ちょっとだけ、ほっとする。
考え込むふうに視線を落とした協会の3人をシヅキが見渡す。
「当然、メルド湖沼地帯に接している東地区には、今も昔も魔女探しが多く集まるし、そこに目をつけて調べた事がある人間もいると思う。ただ、そういう人達が何か掴んだとしても、魔女探し全体には全然そんな内容は聞こえてこない。『情報共有』。これが私達の強み。これを生かさない手はないわ。どうかしら」
シヅキの声に、真面目な顔した3人が頷いた。
特に欠点のある提案ではない。
軍人が魔女を探し出した手段も知りたいが、今ここでそんな贅沢をいっても仕方ない。
それが彼らの心境だろう。
「――聖女様、ひとつ、お願いがあります」
リースの静かな視線に、もういちど、緊張する。
咄嗟に先生の古書店の事かなと思って、どうしてか喉が渇いた。
「古い伝承……特に、創世記や古い国々の記録は、王国でも連邦でも、一般平民には禁書とされていて、為政者や一部の貴族にしか見る事が出来ないという伝統があります。フェルトリア連邦は、古戦場に接していますから、当時の記録があるはず。何とか、その辺りだけでも読ませて頂けるようにはできないでしょうか」
……総議長様に借りた古書。
昨日読んだあの本は、多分、創世記なんじゃないかと思う。
あれが、禁書だとは知らなかった。
総議長様も、私が聖女だから大丈夫だと思って貸し出してくれたんだろうか。
「相談、してみますね」
多分大丈夫だと思うっていうのは、飲み込んだ。
いつも総議長様の判断に頼りっぱなしになってちゃいけない気もする。
「東地区の調査は、今現地にいる協会の人間に伝書鳥を飛ばすわ。私達は当面、この中央都市で集められるだけの情報を集めるわよ。本屋も大事だけど、民謡とか、埋もれた話をご年配から聞き取るのも良いかも知れない。集まってきている魔女探しの手伝ってくれそうな面子にも声を掛けて、この機会に漏れなく確認しましょう」
シヅキの声は、明快だ。
昨日リースから話を聞いた時点で、だいたいの段取りを決めておいたのだろう。
協会の3人を先に退出させて、シヅキはふわりと私の腕の中のにゃんこを撫でた。
「国の記録のこと、お任せして大丈夫でしたか?」
「少し、心当たりがありますから。私も色々勉強したいですし、やってみます」
ほっと、笑みをみせたシヅキが、お願いします、と一礼して出て行く。
それに続いたアクアを見送って、ふとリースが足を止めた。
ぴり、と緊張してしまう。
「……こうしていても、俺が、怖いですか?」
飾らない、感情の見えない言葉に、息が詰まる。
同じ部屋の中で長話を聞いて、彼が信頼できる人だっていうのは、わかった筈なのに。
「い、いえ……あの、ごめんなさい……」
どうすればいいか、わからない。
顔を上げられなくて、にゃんこのフワフワの背中を撫でてみる。長い尻尾で、ぺし、と叩かれた。
「いえ、貴女が謝る事はありません。ところで、昨日の古書店の先生は、どこでお店をしているんですか?」
「あ……街の西側の外環通り沿いです。『洞窟古書店』っていう看板が出てれば、いらっしゃるかと思います」
ありがとう、と出て行ったリースの背中を見送ってから、急に、先生が心配になってくる。
私以外の人はリースに何も感じていないし、アクアっていう女の子なんかは、彼に懐いているふうだったから、悪い人じゃないし、きっと心配要らない――。
そう、頭ではわかっているのに。
◇◇◇古書店と総議長◇◇◇
古びた紙のにおい。
整頓された大小の古書が、上品に棚の中で眠っている。
セトは広い机上に古書をひろげて、難解な表現の古語の翻訳に頬杖をついていた。
本を読むと、筆者の呼吸が伝わってくる。
生きて、思考した痕跡がよくわかる。
だから本には相性がある。
人付き合いと一緒だ。
目を通してみて相性が悪ければ、扱わない。
なかでも相性の良い古語の本は、文字を越えて、筆者の意識に直接触れているような感覚になる。
文字は、そのときの時間と空間を切り取る、媒介だ。
――この貴重な古書は、文献上最も古い、創世記だろう。
新しい聖女様に教えて欲しいと託された、一般人には禁書の本。
創成記――世界の始まり。
初めて読んだ筈なのに、何故か、どこかで聞いたことかあるような気がする……。
トントン、と扉を叩く音に、目を擦った。
古語の解読に夢中になりすぎて、今朝いつものように外に看板を出した事を忘れていた。
「どうぞ、開いてるよ」
扉が開くと、よく晴れている外の日差しが眩しく差し込む。
見慣れた茶色の癖っ毛の青年が、書類の束を抱えて入ってきた。
それをみて椅子に根を生やしたように動かなかった腰が、浮いた。
「リッド! また持ってきたの。どれだけ国庫の中、大掃除してるんだい」
「いやー。書記官の手に負えなくて。記録をつけるのは一流でも、解読とか整理とかは日常業務外だからな。勿論謝礼は弾むから、もう少し頼むよ」
「それは良いんだけど……。誰かに持ってこさせれば良いじゃないか。総議長様が毎回直々に持ってくるなんて、政敵に狙われやすくなるよ」
広い机の端に書類の束をドサリと置いて一息ついた平服姿の優男は、呑気な顔で笑ってみせた。
「頼み事をするのに、人任せには出来ないだろ。セトは護衛官達と違って、部下じゃないんだから。これでも護衛はついてるから、そこまで心配はいらないさ」
――これだから、この男は。
盗賊団だった時の仲間のほとんどが、当時から上級貴族だったリッド=ウインツに、緑の制服を着て、個人的な護衛官として雇用されている。
盗賊団の首領だったセトは、ここでひとり、古書店を営んでいる。
理由はひとつ。
セト自身の戦闘能力は、ほとんど無い。
盗賊団の首領としての役割は、戦略家だったのだから。
セトは小さく息をついて、持ってきた書類をあらためる。
さっと見た感じ、ほとんどが古い行政記録のようだ。
「……これ、解読して何に使うの?」
「いや、解読しないと何に使えるか分からないから」
「こういう所で税金の無駄遣いって言われるんだよ。まぁ僕個人に割く数字なんて、全体からみればたかが知れてるだろうけど。もうちょっと部下を使えるように育てて、有効活用しなよ」
「はい。すみません、がんばります」
これで、フェルトリア連邦国の盟主である総議長が務まっているんだから、不思議だ。
茶色の癖ッ毛の頭を掻いてから、リッドはふと顔をあげる。
「ミラノさんは元気?」
「うん、元気にやってるよ。自分でも古語を習いたいっていうんだから、向上心のある子だね」
「そうか。良かった……。じゃあ、引き続きよろしく頼んだ」
そういって店を出て行った総議長をみおくって、書類の束を机の端に寄せる。
今解読にかかっている創成記のほうが、先だ。
少しも経たないうちに、また扉を叩いて日差しが入ってきた。
本が日焼けするから、もう少し季節に合わせて棚の位置を工夫した方がいいかも知れない。
「わっ、暗い」
女の子が、小さな声をあげた。
それを連れの男が小さく注意する。
「すみません、こちらに東地区の方の古書はありますか?」
右目を隠す黒い長髪に、機動性の良さそうな服装。
まるで単身の盗賊みたいだ。
だが、一緒にいる女の子は、どうみても魔法系の退魔師か魔女探しだろう。
「東地区……君達は魔女探しかな? あるのは巧芸品の本ばっかりで、地図とか、役に立ちそうなものはあんまり無いよ。一応、見てみるかい?」
男が頷いたのをみて、東地区の関連本を纏めた棚に案内する。
簡単に棚の内容を紹介して古書をひろげた机に戻ろうとしたとき、男の腕に肩が触れて、ビリ、と変な静電気がはしった。
それには気を留めずに本を開き始めた客をちらりと見てから、作業に戻る。
「リース様、ここに載ってる装身具、今リュディアで流行ってる魔除けですよ! 東地区の発祥だったんですね~」
「ああ、そうか。魔物が多いって事は、こういうものを作るのも必然だな」
この古書店に女の子の声が響くと、なんだか変な感じがする。昔からの馴染みを含めて、男ばかりが出入りするからかもしれない。
それにしても盗賊みたいな男の名前がリースって、随分可愛いなと思う。
ふたりが本を眺めているうちは、解読が終わった所までの訳文を整理する。
集中力が切れると、新しい文章をつくることはできない。
聖女ミラノ=アートに、理解しやすく文を組み立て直す。
本来の秘め置かれた文間の意図を壊さないようにするのは、結構な頭脳戦だ。
ふ、と顔をあげると、買う本をいくつか手にした男が、そっとこちらを見ていた。
「……古語の解読ですか」
「ああ。ちょっと頼まれててね。本は、それでいいの?」
「はい。それと、歴史家の『フェイ=リンクス』という人について、何か聞いたことはありませんか?」
「……リンクスは、僕だけど……。聞いたことないな」
「そうですか。もしかして、東地区出身ですか?」
「いや、わからないんだ。昔、川に落ちて記憶を無くしてね。知り合いに助けられて自分の名前はわかったんだけど、故郷とか身内とかは、さっぱり。リーオレイス帝国とリュディア王国の間にいたし、この国の東地区との関係は心当たりが無いな……」
喋りながら清算を済ませて、本を束ねる。
「帝国との間……というと、山間部ですね。あの辺りは寒いでしょう。よくお知り合いに助けて貰えましたね」
「僕は運が良いからね。――はい、できたよ。またどうぞ」
ポンと本の束を手渡すと、また小さく静電気がはしる。
この客は、どれだけ帯電しているのだろうか。
軽く頭を下げて帰っていった魔女探し達をみおくって、小さく息をついた。
――記憶のはじまりは、冷たい川岸。
田舎の小さな村で占い師をしていたらしいけど、その記憶はない。何かの事件に巻き込まれたらしくて、探し出してくれた村の男達も、故郷を焼かれていた。
犯人である魔女探し達を襲撃したのをきっかけに、そのまま彼らと一緒に盗賊をしていたことは、今は結構いい思い出だ。
昔は魔女探し達が嫌いだったけど、今は何とも思わない。
敵討ちは、終わっている。
手元の作業を一通り纏めて、窓から差し込む日差しの角度で昼過ぎになっているのに気付く。
そういえばお腹も空いてきた。
椅子の上でかたくなった手足を伸ばして、引き出しの店の鍵を手に取る。
引き出しに一緒に入っていた古本に、ふと目が留まった。
鍵がかかっていて、表題も無い本。
どの棚に収めていいのかもわからず、取り敢えずここに放り込んでおいていた。
いつ持ち込まれたのかも忘れてしまった。
ずっとこの引き出しの中で忘れられていたけれど、そういえば、筆者の名前だけが裏表紙に記載されている。
――フェイゼル=アーカイル――
さっき、フェイ=リンクスとかいう歴史家について訊かれたのを思い出す。
同じフェイではある。
本の著者が本名を使うとは限らないし、もし女性だとしたら、姓が変わる事もあるだろう。
「……まぁ、偶然……かな」
トン、と引き出しを閉めて立ち上がると、纏めた紙と古書を荷物に束ねて店を出た。
出していた看板を建物の隙間に片づけて、晴れ空の冷たい空気を、大きく吸い込む。
フェリアの賑やかな街並みは、最初の頃は盗賊暮らしに慣れた身には、ちょっと引け目があった。
でも暮らしてみれば慣れるもので、昔の仲間も快適に生活している。
「セトさん! お昼、これからですか」
「うん、教会に行く途中のどこかで取ろうと思って」
「じゃあ、うちで食べて行きませんか? 今嫁さんがパンを沢山焼いたとこなんですよ。多過ぎてどうしようかと思ってたんです」
「いいね。じゃあお邪魔するよ」
近所に住んでいる元盗賊仲間は、今でも家族みたいな感じだ。
いつでも身近に控えていたこの男が、最近やっと所帯を持って、仲間のほとんどがこの都市に完全に落ち着いた。
充満する幸せの匂いを沢山吸い込む。
大変な事が沢山あったけれど、こうして仲間が笑顔で暮らせるようになっていくのを見守るのは、嬉しい。
可愛いお嫁さんにお礼をいって、教会へ向かう。
余ったパンを持たされて古書が暖かい。
色彩豊かに旗がゆれる繁華街を通って、街の南側にある中央教会に向かって歩けば、お洒落なお店と音楽と、賑わいで溢れている。
最近は観光客も増えた気がする。
――ふと、足をとめて振り返ってみる。
誰かに見られているような気がしたけれど、人が多過ぎて、よく分からなかった。
◇◇◇魔女とあった人◇◇◇
フェリア中央教会。
賑やかな街並みの南側に位置するこの由緒ある教会は、火事や政変に巻き込まれながらも、街の人々の大きな支持を得ている。
それは新しく就任した『光明の聖女』の力だけじゃない。
歴代の聖女が、貴族にも平民にも奴隷にも、寛容な姿勢を貫いてきたからだ。
リッドが総議長に就任したのは、3年前だ。
前職の総議長であったリッドの父が、その職を息子に引き渡した。
どうしてそういう事になったのか?
リッドの護衛官になった元盗賊団の仲間達から、都度、色々な事情を聞かされた。
でも、あまり頭に入ってこなかった。
元盗賊団の仲間達に危険が及ぶような内容じゃなかったし。
政治なんて、自分には関係ない。
平民の身分で得難い情報に一喜一憂したところで、出来る事は何もないのだから。
灰色のにゃんこが、ぴょんとセト先生の荷物に飛びついた。
「あ、こら、駄目でしょ」
ミラノは荷物に引っ掛かった猫の爪を、いそいで外した。
忙しく動き回っているセフィシスが見当たらなくて、結局一日中、にゃんこと一緒にいる。
「あはは。目敏い仔だね。今日は、パンが入ってるんだよ」
古書の荷物から、ほんわり温かいパンが出てくる。
先生が小さく千切って私の腕の中のにゃんこにパンをあげると、ぱっと咥えて先生の肩に飛び乗った。
ふわふわの毛並みがさらりとした茶髪に纏わりついて、くすぐったそうに笑う先生。
なんだか物凄く癒される。
肩ににゃんこを載せたまま、先生は机の上で古書の荷をほどく。一緒に入ってたパンの紙袋から、ほんわり良い匂いがひろがる。
「友人のお嫁さんが作ってくれたんだ。ミラノちゃんも、どうぞ」
あったかくて、素朴なパン。
――なんだか、先生みたい。
「ありがとうございます。お昼を食べたばかりだから、あとでおやつに頂きますね」
にゃんこが勝手に食べないように、棚の上に置いておく。
友人のお嫁さんが作ってくれた……
ってことは、やっぱり先生も、結婚していてもおかしくない年代の筈だ。
「……先生は、結婚しないんですか?」
「僕は本と結婚してるんだよ。皆が幸せになるのを見てたら十分。――それに……」
ふと言葉を切った先生の顔を覗き込んでみると、ぱっと爽やかな笑顔がかえってくる。
「僕の事より、ミラノちゃんはどうなんだい? 聖女様でも、恋愛禁止な訳じゃないよね」
「わ、私は全然! 考えた事もないですっ!」
いきなりぶわっと顔が熱くなる。
聖女業で頭が一杯になっていたから、本当に、そういう気持ちは忘れてた。
「恋愛は、考えるものじゃないさ。僕が本を愛してるようにね」
「もう……本当に本が好きなんですね」
「古語を読めるようになれば、ミラノちゃんももっと本を好きになれると思うよ。さて、昨日の続きを始めようか。わかりやすくまとめてきたんだ」
そう笑いながら古書と解説文をならべた先生の隣に、少しだけため息をついて座る。
ちょっとドキッとする冗談だったけど、やっぱり、先生は先生だ。
―――――――――――――――――――――――――――
大地が火を噴き、海がめくれ上がり、すべての生き物が飲み込まれ
一面に燃え盛る大地と、真っ黒な海がひろがりました。
星の欠片は 大地に馴染み
新たな命の 夜の光に
謳えば星は 柔らに道を照らす――
―――――――――――――――――――――――――――
文章の途中に、唐突に詩のような表現が出てきた。
全然意味がわからない。
「たぶん、これは魔法の発祥を示唆していると思う。古い文献には、魔法の前身に呪術っていうのがあって……これは今も一部の地方でまだ存在してるけど。その前には、複数人で唄を唱える儀式みたいなのがあって、それで明かりを取ったり、怪我とか病気を治したりしたみたいだからね。今でも、『詠唱』っていうぐらいだし」
すっかり古典の世界に入り込んだ先生の、わかりやすい解説に、関心を奪われる。
そういう前知識がない私には、これを読んだだけじゃ、何の事だかさっぱり分からなかった。
―――――――――――――――――――――――――――
焼けた大地に、再び緑が蘇るまで、幾万年。
ひとつだけ現れた緑の大地に、人々が生きる場所ができました。それからの緑の大地は『グラディウス大陸』とよばれました。
世界は、そうして再び、始まったのです。
―――――――――――――――――――――――――――
「先生、これって時間軸的にも、本当に見た人はいない筈ですよね。どうして、こういうふうに古書に記録されてるんですか?」
「未来を見通す聖女様が存在していたように、過去を知る事が出来る人がいたんじゃないかな。でも、もしずっと生きていて見てた人がいたら、凄いよね」
真面目に話をしているかと思うと、突然話題が違う方向に飛んで行く。
だから、先生の話は面白い。
あとの時間は入門書をひらいて、古語の基礎を勉強した。
今日もまた合唱の声が聞こえてくる時間まで、勉強とお喋りとで、日が暮れる。
「そうだ。総議長様に相談があったんですけど、日中、官公庁にいらっしゃらなくて。今教えて貰ってる創世記って、政治をするような立場の人達しか見ちゃいけない伝統があるみたいなんですけど、今、魔女探しの人達が色々歴史を調べてて。一部だけでも、公開って出来るものでしょうか」
「う~ん、一般人の僕に解読を任せるぐらいだから、伝統ってだけで、具体的に罰則とかがある訳じゃないのかな? 一応聞いてみないと分からないね。何かマズい事が書かれてる訳じゃないし。……あの総議長、今日、僕の所に来たよ。最近ちゃんと護衛がいるからって、結構出歩くみたいだから、先に予定をおさえておいた方がいいかもね」
先生は膝の上でスヤスヤしている猫をそっと長椅子に寝かせて、ひろげた古書の資料を片付けた。
起きる気配がないにゃんこ。
そんなに先生の膝が気持ちよかったのかな?
「明日は、今日持ち込まれた総議長からの仕事を一気に片付けたいんだ。授業はお休みでいいかな。入門書は置いて行くから、時間があったら見ておいてね」
「わかりました。お仕事、頑張ってください」
「君も、頑張りすぎないようにね」
そう笑った先生を見送りに、いつものように門まで一緒についていく。
丁度門の前で、キリッとした姿の金髪の魔女探しが、辻馬車の代金を馭者に精算しているところだった。
「じゃあまたまた明後日。予定が変わったら、連絡するよ」
「はい。お待ちしてますね」
先生を人混みの中に見送る。
それからそっと正門の端に立って、金髪の魔女探しが教会に向かってくるのを、出迎えた。
「こちらが、フェリア中央教会ですね」
丈の長い聖女の聖衣を着ているから、私が聖女だというのは一目でわかるだろう。
彼は丁寧に一礼して、左手を胸元に当てた。
「リュディア王国中央教会より参りました、アルヴァ=シルセックです。先行したリースとアクアはこちらに到着していますか?」
折り目正しく、真面目そうな態度。
リュディア中央教会の魔女探しは、皆こういう軍人気質なのかな? でも、アクアは普通の感じだったし、リュデイア王国の人の性質は、色々なのかもしれない。
「はい、お話は少し伺っています。出掛けてるかも知れませんが、中にご案内しますね」
アルヴァ=シルセック。
前髪からもわかる、真っ直ぐな長い綺麗な金髪。
後ろ髪をひとつに結ったところから白い髪留めで覆っているのが、勿体ないくらいだ。
綺麗な立ち姿。
綺麗な顔立ち。
冷たく凍ったように真面目な顔が、この青年の、厳格な雰囲気をつくっている。
ふと彼が腰に帯びた長剣をみて、そういえば、リースは武器らしいものを持ってなかったかな? と今更気付く。
今日リースとアクアと合流するって事は、彼が、魔女と会ったことがある人だろうか。
……すごく、聞きたい。
でも、興味本位で聞いたら、失礼かな……?
「あ、あの……魔女ってやっぱり、美人さんですか?」
宿舎の廊下を歩きながら、ちら、とアルヴァを見上げる。
彼は少しだけ驚いたように目をひらいてから、ふ、と笑った。
「――悪役として描かれるような美人とは、違いましたね。素朴に綺麗……というのが、近いです。俺が持ってくる情報は、伝わっているようですね」
「はい。リュディア王国の証人さんとして、魔女と一緒にいたと聞いています。魔女はその時、占い師の男性に姿を変えていたって……アルヴァさんは、魔女としての女性の姿も――」
無表情だったアルヴァが意外に優しそうに笑んだのをみて、おもわず気が緩んでしまっていた。
私の口数が多くなった一瞬で、アルヴァの表情が、スッと冷静に戻る。
「――占い師の青年とも魔女とも、俺は、あの人と、言葉を交わしています。多くの魔女探しが求めるような、希少な事例です。でも、あの人は、見世物ではありません。――人なんです」
キンと冷えたようなアルヴァの蒼い瞳。
――魔女と会ったことがある人。
世界を支配する魔女。
それを倒すことで、世界は魔女の支配から自由になる。
……そう、皆が思ってる。
でも、アルヴァのいうとおりだ。
魔女は、人だ。
魔物でもなんでもない。
私があっさり魔物を消せるような、簡単な話じゃない。
どんな強い魔物でも、手をかざして簡単に消すことができる私だから、よくわかる。
倒して解決、というものじゃない。
魔物よりも怖いのは、生きている、人なんだ。
「――聖女様に、失礼を。申し訳ありません。つい感情的になりました」
私が硬直したのを見て取ったのか、アルヴァがさっと柔らかい声で優しく一礼する。
咄嗟にそういう態度が取れるなんて、尊敬するぐらい凄い事だと思うんだけど。
「い、いえ、興味本位な質問をしたのは私ですし」
「『光明の聖女』様。俺からも、質問をしても良いですか? ……魔物を一瞬で消すと聞き及んでいます。――魔物とは、何なんでしょう」
アルヴァの、真面目で真摯な蒼い瞳。
「……魔物は、人です。――苦しみや悲しみのままに、自分の姿を喪って迷った、人の心。本当は、皆が思うように、幸せに生きていく筈だった、魂の欠片……。私の力は、魔物としての殻を外してるだけなんです」
私が魔物を消す力を持っているのは、偶然でしかない。
魔物が、亡くなった人の心だと伝えるのは、簡単だ。
でも、だからといって誰も私と同じように魔物を消す事はできない。
魔女探しの人達が戦闘技術を鍛えて魔物退治に赴く姿勢には、いつも頭が下がる。
皆が魔物に対して最強と慕ってくれる私は、人には、無力だから。
魔女を相手にしたなら、私は、何もできないだろう。
「私より退魔師の方々や魔女探しの方々のほうが、すごいです。私にどうにかできるのは魔物だけ。みんなは魔物だけじゃなくて、人間関係とか組織的な事とかとも、戦っていますよね。私も少しずつ、そういう事にも対応できるように勉強はしてるんですけど……まだまだ、ですね」
なんだか静かになってしまった空気をかき消すように、小さく笑ってみせる。
アルヴァも、そういう私に合わせるように、少しだけ笑んでくれた。
――真面目で、いい人だ。
話ながら歩いているうちに、共同宿舎で魔女探し達が資料をひろげる広場に着いた。
人数がいるから、資料も結構な量になっている。
「これは……」
「リースさんが言ってた、伝承とかの調査に、皆が動いてくれたみたいですね。――あ、シヅキさんっ」
資料のなかに埋もれたようになっている協会の代表者をみつけて、声をかける。
こちらに気付いたシヅキが、顔を上げて、いそいで紙の山から脱出してきた。
「リースさんの言ってた方が着きましたよ。リュディアのおふたりは、どちらに?」
「わざわざ聖女様が――ありがとうございます。リースは出掛けてくるとかで……アクアは浴場に行っていますし、私がお引き受けします」
ちょっと埃臭いシヅキにアルヴァを任せて、聖堂のほうへ引き返す。
夜の礼拝の準備にまた遅れてしまう。
いつも私を補佐してくれてるセフィシスに、あまり余計な気苦労をかけたくない。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
作者の他の作品
この作者の他作品はありません。
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。