◇◇◇シェナとセト◇◇◇

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 シェナは自分の拠点に明かりが灯っているのをみて、少しだけため息をついた。
 身を隠す必要があるっていうのに、自分からみつかる可能性を上げてどうするんだ。近所の人間にも目立たないようにそっと扉をあけて中に入る。
「おかえり。ジノヴィ達はみつかった?」
 セトは、どうしてか調理台に向かっていた。
「片付けておなか空いたから、勝手に色々使っちゃったよ。あとで埋め合わせするね。シェナもおなか空いてない? 丁度出来たところだから、食事にしようよ」
「ちょ……まぁ、いいか」
 セトの緊張感の無いのんびりした様子に、シェナはもう一度溜め息をついた。
 それにしても部屋が明るく感じるのは、ごちゃごちゃした品物の山がきちんと整理整頓されて部屋の端に並べられているからだ。椅子も床も輝き、寝台の布団まで整えられている。
「ちょっと。ボクの部屋こんなに綺麗だっけ? 家事的な魔法?」
「いや、散らかし過ぎ。このくらいは普通だと思うよ。部屋は綺麗にしようね」
 そう笑うセトは、どこか家庭的で、くすぐったいような気持ちにさせる。
 セトにしてみれば、いい気分転換だった。
 拘束されながらの山登りを強行してきたうえに、魔女探し達に攻撃されたりいつのまにかジノヴィ達とはぐれてしまったりして疲れ切っている筈だが、一度眠っていたせいか、頭はすっきりしている。片付けを始めると止まらなくなり、つい片っ端から目に付く場所全部を掃除してしまった。食材を見つけて空腹に気付き、勝手で申し訳なく思いつつ調理を始めていたという訳だ。今までも、独りで暮らしていたのだから、そういう事は別に苦にはならない。
「それで、ジノヴィ達は見つかったのかい?」
 セトは適当な器に2人分のスープをよそって、シェナが誰も連れていない事に首を傾げた。
 出掛けてから結構な時間が経っているから、簡単に捜し出せずに見つけるまで駆け回っているのかと思っていた。それとも、この街に辿り着いていなかったのだろうか。
「みつけたよ。でも、今は機嫌が悪いから会わないほうが良い。下手すると殺されるかも。……これ、毒入ってないよね?」
 スープを口に運んでから、彼女はぱっと目をひらいてスープをみる。毒が入っていたら、手遅れな質問だが。
「入ってないよ。君の家の中にあるもので作ったんだから。僕も食べるし――」
「あるもので?! どういう魔法? ありえない位美味いんですけど! 凄い旨い!」
「酒場料理の真似だけど、口に合ったなら良かったよ。まだおかわりあるからね」
 立ったまま2杯目までしっかり平らげて、やっとシェナは椅子に腰をおろした。セトが一人前を食べ終わるのと同時位だったから、結構な早食いだ。
「ごちそうさまでした! お腹空いてたのに気付いてなかったみたい。食べ過ぎたー。あー。しあわせ~」
 ぺたりと机に突っ伏して、気持ちよさそうにダラダラし始めた。あちこち走り回っていたようだし、疲れているのだろう。それにしてもシェナがいきなり脱力したような動作に、セトはもういちど首を傾げた。
「ジノヴィは、そんなに機嫌が悪かったのかい? 早く合流した方が、逆に薬になるような気がするけど」
「今日は駄目だね。1回休んで冷静になって貰わないと。お腹すいてて疲れてて機嫌も悪いとか、危なすぎるでしょ」
「そうか……。あ、アルヴァは無事だった?」
 シェナは突っ伏した頭をもたげて、少し首をひねる。
「アルヴァ? ……もしかして金髪の子ども?」
「そうだよ。彼がリュディア王国の、教会代表の立場にあるんだ。魔女探し達と戦ってもきりがない。アルヴァの立場を使って、魔女探し達を止められないかな……と、なんとなく、片付けながら思ってたんだ」
「……時間稼ぎには、なるかもね」
 シェナはふらりと立って、片付いた寝台に頭から突っ込んだ。
 そんなに疲れているようには見えなかったが。そういえば炭鉱の酒場の女店主が、時々似たような動きをしていた。
「……もしかして君、お酒飲んできた?」
「む、そういえば。その後、けっこー、走ったかな。それより、さっき酒場に行って状況を掴んできたよ。纏まらない集団だけど、一目置かれてる奴がいるんだ。交渉するなら奴がいいかも」
 セトは卓上の食器を片付けながら、さっきの考えをすすめる。
「――アルヴァには、その人物と対話する形で、足止めをして貰う。リュディア王国の教会の代表としての立場がどのくらいの力を持っているかは分からないけど、そうして貰っているうちに、先に進む。それである程度は時間稼ぎができそうだよね。理想は、魔女探し達に撤退して貰うことだけど」
 シェナがころがる寝台の隣に腰掛けて、考えていたことを少しずつ話す。
「それは良いけど。……リーオレイス人だけに囲まれる事になるよ。アンタの危険度が上がるんじゃない?」
 眠気に負けそうな顔をあげたシェナは、話相手の顔が意外と近いことに、目をひらいた。
「それは、君がいれば大丈夫だよね」


 朝はやはり冷える。シェナの拠点の寝台のなかで、セトは薄い毛布を掻き抱いて小さくくしゃみをした。
 一人分の寝具しかない中、女の子の家主の毛布を分けて貰う訳にはいかなかったし、寝台の端で横になる許可を貰えただけでもありがたく思うべきなのだけど。
 遠く、教会の低い鐘の響きが鳴り渡ってくる。高い音で時刻を知らせる教会の鐘には、低く打ち鳴らして葬儀があることを告げる役目がある。誰でも立ち寄る教会にとって、葬儀がある場合は立ち入りを遠慮して貰う必要があるからだ。
 死者の人数分だけ鳴る低い音は、10回以上は響き渡っていた。
「魔女探しかな……ジノヴィが殺ったのかな?」
「うーん、否定できない状況がちょっと嫌だね」
 シェナは眉をひそめながら荷物の紐を締めた。いつ耳にしても気持ちの良い音ではない。手足に仕込んだ装備の点検も忘れない。曖昧な返事をしたセトの手の中には、石がある。すっかり存在を忘れていたが、シルヴィス王子から貰った三角の小さな宝石だ。最初に貰った時はただの濃い青色で特別な特色は無かったと思うのだけれど、いつのまにか青の透明度が増して、内側に掘られた文様が現れてきていた。
 後ろから顔を出して覗き込んだシェナが、おもわず明るい声をあげた。
「なに、凄いの持ってんの? 魔法の威力が上がる紋だよね。内側に彫ってあるのなんて初めて見た! どうやって彫ったんだろ? てか、これ使ってれば昨日、もっと楽に魔法使いこなせたんじゃないの?」
「――ああ、そうか」
 意識していなかったけれど、昨日の時点で、その効果に頼っていたのかも知れない。
 ただ、シルヴィス王子は『護身用の魔法を増幅して使える』と言っていた。その本来機能に沿って使えれば、もっと威力が上がるのだろう。
 セトはひとりで納得してから、あらためて手元の装備を確認する。旅装のままだと、街の中を徘徊する魔女探し達にみつかりやすい。この土地の普段着をシェナから借りているのだが、買ってみたけれど趣味に合わなかったという暖かな襟巻きが気に入っていた。首まわりがふんわり暖かいと、寒々とした気持ちが温む気がする。
 一旦首に巻いたその襟巻を解いて、その布地の隅に魔法の威力を上げる石の紋と同じものを書き込んだ。勿論、これだけでは機能しない。魔法道具にするには、目的の作用をするように、その物品に魔力が入った時の働きを覚えさせる必要がある。模様は、媒介の役割をもっている。占術書にそのやり方の記載があった。
 占いに使っていた絵札も一種の魔法道具としての機能を自分で与えたものを使っていた。だから、簡単な魔法の機能を物品に与える魔法は、実はわりとまともに使える。
「何してんの? もしかして、同じもの作れるの??」
 すぐそばで好奇心いっぱいに喋られると、この集中力がいる魔法作業はできそうにない。
「そうだね。この襟巻きが、ちゃんと魔法道具になったら、買値の五倍で売れると思うよ。集中するから、少しだけ静かに待ってて貰えるかい?」
 期待通り。そわそわした室内の空気が、すっと落ち着いた。きちんと膝をそろえて座ったシェナが可愛いなと小さく笑ってから、改めて模様を書き込んだ襟巻に体を向ける。
 青い宝石を左手に持ち、襟巻きを右手に持ち、息を整える。これは宝石の機能の複製だ。まずは宝石に魔力を与える。それに反応して作用しようとしている魔法機能を、左手の襟巻に、写し込む。
『天と地の間に於いて、汝、人の手による造形物に役目を与える。これより後、我等が呼びかけに応え、数多の災難より、我等を護る。汝、一介の造形物に非ず。我等と共にある護りとなれ』
 薄い水色の宝石と同じ色の魔力。それが襟巻きの布地に浮かび上がる。
 すう、とすぐに光は消えたが、部屋の中に心地よい余韻が満ちた。護身用の働きをするからだろう。
「――これでおしまい。護身に使う魔法の威力を底上げできる」
「それ、色々買ってきて全部魔法道具にしたら、凄い儲かりそうなんですけど!」
「そうだね、発掘品にやったら、元手は無料だね。この宝石があれば同じものは結構作れるよ。そういう商売もアリだねぇ」
「裏流通を使えば発掘品本体も質の良いヤツ手に入るから、超儲かるよ! 一緒にその商売やろうよ!」
 そんなことを叫ぶシェナの目が、きらきらと輝いている。
「――このまま、逃げちゃおうか?」
 一瞬思っただけだが、言葉にすると、思いがけず本気になってきた。
 ジノヴィには逃げないと最初に約束したけれど、彼のほうは縛らない約束を破っている。セトだけが約束を守っているなんて、不公平だ。
「今日合流してもジノヴィが危険だったら逃げて良いと思う。……マジで。黙って殺されてあげる程、お人好しな人間はいないって。ボク、先に合流して様子みてくるよ。セトは先に昨日通った裏道から壁の外に出て待ってて」
 颯爽と出掛けて行こうと動いた腕を捕まえる。
 素早い彼女の動作も、癖を見抜いてしまえば腕を取るぐらいは簡単だ。
 胸の奥が、あたたかい。
「これは、僕の意思だ。……シェナ。君と逃げたい。もう十分他人の都合に振り回された」
 シェナは目をひらいて、外に出ていこうとした勢いを失った。
 セトが掴んだ腕は、大した強さではない。シェナの頬が、一気に紅く染まる。
「ちょ、あの、でも、え、なにこれ」
 セトとしても、面白い言葉が出てきたものだと思う。
 暫く占いをしていないから、この言動がどう転ぶか分からない。けれど。
「先が分からないっていうのは、全然怖くなんか無い……凄く、わくわくするね」
「何言ってんの。占い師がそんなこと言ってたら、商売、上がったりだね」
「もう、それは廃業だ。楽しい方が良い」
 口にしてしまうと、体の底から活力が湧きあがってくる。
 不思議と身体が熱くなる。意志の力というものがどれほど心を支えているかが、わかる。
 それを感じるほど、今まで淡々とした時間のなかで生きてきたということだ。
 そのままシェナを抱き締めてみる。小柄な体が、胸の中にあたたかくおさまった。
 昨夜は寝台で接近したところで蹴り落とされたから、またその調子で拳がとんでくるかなと思ったけれど、こうして大人しく抱きしめられてくれるとは、意外だ。
 背中を掴んでくる腕にも、武器はない。
「……みんなが、セトを魔女だって追ってる。命、狙われてんだよ? ホント危機感無いよね……。そういうとこが、妙に嫌いじゃないけどさ……」
 口を尖らせて声を落とす彼女の額に唇を落とす。
 あたたかい気持ちが、触れ合う処から染みるように拡がる。
 今まで、気づけば、ずっとひとりだった。
 そしてすれ違う人間たちと心を通わせる事もなかった。人に合わせるというのは、面倒だし、生業にしている仕事には邪魔だった。
 だけど実は、ものすごく損をしていたようだ。


 朝霧が街全体の景観を染めている。
 セトとシェナは白い息を吐いて、視界の悪い住宅地を歩く。姿を隠すには好都合の状況だ。
 住宅地をまばらに行き交う人影に紛れて街の北側の出口に足を向けた。南側はリュディア王国に戻る一本道しか無く、北側の道はリーオレイス帝国に接する湖へと続くが、湖は帝国だけに繋がっている訳ではない。船を調達して南東に向かって流れる川を辿っていくと、リュディア王国の淵を通ってフェルトリア連邦の端に続いている。フェルトリア連邦まで辿り着く事が出来れば、一連の騒動から身を眩ませることが出来るだろう。地元民と似た格好をしているのは正解だった。
 にわかに増えた旅装の魔女探し達が、道すがら同類と探索の首尾を情報交換して歩いているのが、どこに行っても目に入ってきた。大通りを抜けて北門にたどり着くと、魔女探し達にすっかり占拠されていた。一般人すら通さず、追い返してしまっている。門兵の姿もみあたらない。
「どうしよう? 入って来たところから出る?」
「もう明るいし、雑貨屋に近いからあんまり行きたくないんだよね……」
 声をひそめたシェナの隣に、ふと旅装の人間が近づいた。
 思わず逃げ出そうとセトの手を取って小さく身構えたが、思いがけず明るい声をかけられる。
「やぁ、昨日はどうも。酒場の姉ちゃん」
 茶系の色調で装備を纏めた若い剣士が、掌を挙げて笑顔をみせる。
「何だ、昨日のお客さんか! びっくりさせないでよね」
 一瞬誰だと聞き返しそうになったが、リースの隣にあった顔だと思い出した。
「雑貨屋とか言ってたかい? 今はやめといた方が良いぜ。魔女探しの一団がピリピリしてるから、どんな巻き添えを食うか、わかんねーよ」
「……何かあったの?」
 シェナの瞳が底光りした事に、彼は気付いていない。セトはそっと彼女の背中で様子をみる。サルディスの教会では魔女探し達に顔をみられている。地元民の姿をしているからといって、ばれない保証はない。
「リーオレイスの軍人がいるって噂でね。鍛冶屋の奴が言ってただけなんで本当かはどうかは分かんねーけど。見張っとくに越した事は無いだろ? まぁ、乗り込む馬鹿もいるかも知んねーけどな。昨日君と飲んでたリースも、そっちに行ってるよ。案外、乗せられやすいんだよなぁ」
 ぼりぼりと頭を掻いて笑う目前の剣士の存在が頭の隅に追いやられる。
 実際、間違いなくジノヴィ達は昨日の夜には雑貨屋の中にいた。怪我をして寝込んでいたレギナがいたから、あのあとすぐに移動したとは考えにくい。この魔女探しの感じからしても、他の場所に目撃例もなさそうだ。
 シェナはセトをちらりと見る。
「……彼と話があるって言ってなかったっけ?」
 ここで知り合いの危機を放っておくことは、シェナにとって後味が悪いだろう。
 シェナは少し驚いたように目をひらいて、取った手を強く握った。
「……別行動したら、心配なんだけど」
 手のひらが熱い。いま彼女の頬を触ったら、もっと熱いだろう。
 助けに行かなきゃという自然な衝動に気付かれたのが、嬉しいのか、悔しいのか。
「僕も一緒に行く。それなら心配無いよね」
 ジノヴィには散々振り回されたけれど、こんな所で殺されて良いとは思わない。
 逃げようと決めた時点で彼との約束に未練は無かったが、また会うのなら、言いたいことがある。
 冷やかす剣士をあとに、シェナと一緒に駆け出した。


「――連絡鳥が一羽もいないって、何か、やばいんじゃないか?」
「何弱気になってんだ。こうやって追い詰めたんだから、倒しちまえばいいだろ」
 ぐるりと雑貨屋のまわりを包囲した魔女探し達だが、どこか及び腰な空気が漂っている。
 彼らは途中の山頂で、あの黒い羽蛇に食い千切られた多くの死体を目撃している。その羽根蛇は倒した筈だが、それが今追いかけている魔女の仕業だとしたら、また同じような強さの魔物に襲われるかもしれないという不安がある。
 魔女探し達がまるで警団のように周囲を占拠している状況に、地元住人も雑貨屋に入れなくなっていた。正面からも裏口からも、出入りは出来そうにない。住人を装ってその様子をみて素通りし、人目のつかない物陰に入る。
 そういうシェナとセトに声をかけるような魔女探しはいなかった。シェナがざっと見た感じ、リースの姿も見当たらない。
「この集団を他の場所に引きつけないと、確認もできないや」
 シェナは小さく言って、難しい顔をした。セトが囮になれば簡単に引き離せられるだろう。けれど、逃げきれなければ意味がない。運動能力も魔法も、今のセトの機動力は人並みでしかないのだから、その手段は危険でしかない。
「ところで、リースって、誰なんだい?」
 さっきの剣士が言っていた、一緒に酒を飲んでいた人間としか、セトには話が見えていない。
「この一団と一緒に来た魔女探しのひとり。山で蛇の魔物を倒して、一目置かれてるらしいよ。全身黒づくめで、片目だけ見せてる奴。気配からして強そうだったんだけど、得物が分からないんだよね。弓も剣も持ってなかったし、魔法使いっぽくも無いし」

 真剣な顔をつき合わせて、もういちど包囲網を覗き込もうとしたふたりの背後から声がかかる。
「何、危険な事をしているの? 2人とも」
 驚いて振り返ると、腕を包帯で吊り下げたレギナが立っていた。
 シェナと同じような地元民の服装が、その口調に似合わない。
「うわ、びっくりした。なんでここにいる訳? 似合ってないし!」
 シェナの口から正直な感想が飛び出す。
「一箇所でぼーっとしてる訳無いじゃない。無能だと思われちゃ困るわね。怪我だって、胴体じゃないんだから問題無いわよ」
 蒼白な顔でそう言いながら、彼女はセトをみて、歩を進めた。その足取りに、シェナはぱっと二人の間に割って入る。
「元気そうでなにより。囲まれてるから助けに来てあげたのに、心配して損したよ」
 足を止めたレギナが、視線をセトからシェナにうつす。
 空気が、凍りついた。
「それは、どうも。それじゃあ行きましょうか。ずっと待っていたわ」
 ちらりとセトをみる目が、凍るほど冷たい。
 どこかに連れ込まれて殺されるんじゃないかと思う程だが、彼女の感情を殺したような目は、ジノヴィがセトを見る目にそっくりだ。任務に忠実な帝国人の、目。
「ちょっと待ってよ。行くって、どこに? まだ昨日みたいに、セトを殺す気じゃないよね」
 警戒を解かないシェナの姿勢に、レギナは不快な色を隠さない。
「それは私達じゃなくて帝国が決める事。どうして情報屋の貴女がそれにこだわるの? 一緒に連れて来て貰えれば、帝国から大金が貰えるようにしてあげるから、うるさく言わないでくれる?」
 シェナの扱いは心得ているのだろう。嫌味ではなくサラリと金で釣ろうとする所が、合理的なリーオレイス人らしい。
「……ボクは守銭奴だけど、人間のクズになったつもりはないよ。こんな無害な人間を、連れまわして、挙句目的地の帝国に着いてからしか、処遇がわからない? ほんと、改めてだけど、意味わかんないね」
 小さく本気で怒りを見せたシェナに、レギナの苛立ちが爆発しそうになる。
 セトはいそいで二人の間にはいった。
「シェナ。とにかく今は大丈夫だと思うよ。まずはここから離れよう」
 肩を掴むと、緊張した身体が小さく震えて、ゆっくり手中に馴染んでくる。
 リーオレイス帝国の軍人に喧嘩を売るなんて自殺行為だ。流石に彼女もそれは分かっていたらしい。
「……セト=リンクス。面と向かって話すのは初めてね。私がジノヴィの相方、レギナ=クッシュよ。リーオレイス帝国へ……帝王のもとへ、何が何でも同行して貰うわ。生き延びたいのなら逃げるんじゃなくて、帝王に直接嘆願することね」
 思っていたより温度のある言葉がレギナの口からでてきた事も驚きだが、『帝王』の単語が出てきた事も、心に留めておく。
「わかってるよ。ジノヴィとアルヴァはどこにいるんだい?」
「…………行くわよ。ついてきて」
 迷いなく踵を返したレギナを一瞬呆然と見送りかけて、シェナの手を引いて慌てて後を追った。


◇◇◇連絡鳥◇◇◇

 鳥が1羽、街の上空を大きく旋回している。
 ひとりふたりと、その鳥に気付いた魔女探し達が口笛で呼んでみるが、降りてくる気配がない。遠目のきく人間がその脚に手紙がある事に気付いたが、降りて来ない事には中身の確認が出来ない。矢や魔法で撃ち落とすのは、連絡鳥が貴重な現状、皆が躊躇している。
 黒い魔女探しが、商店街の屋根に登って鳥を見据えていた。
「丸腰じゃ捕まえられないだろ、リース。やるなら網か何か持ってこようぜ」
 真似して一緒に屋根に登りかけた格好で、仲間が声をあげる。本気というより面白半分だ。
「いや、大丈夫だ」
 何かを探しているのか、戸惑ったような鳥の動線をじっとみつめる。
 つと頭上を通過する機会を見計らって、リースは身を屈めてから、トンと屋根を蹴った。体重を感じさせない跳躍に、それを目撃した人間は、呆然と口を開いた。相当な高さを飛んでいる飛行中の鳥をぱっと掴んで、空中でくるりと一回転し、通りを挟んだ商店の屋根に軽やかに着地する。
 リースを知らない魔女探し達は、そういう風魔法の使い方があったのかと、先を越された事を悔みながらも納得した。
 が、彼と一緒に来た人間達は、逆に驚くだけだった。
 ――リースは、魔法を使えない。
 普通の人間でも学習すればごく簡単なものは使えるのだが、彼にはその素養が全く無い。
「すっげー! お前は、猫か?!」
 鳥の羽を両手で包み込んだリースは、小さく笑んでみせる。
「俺は人間のつもりだ。猫なら、まだ可愛いだろうがな……。それより、北門の方へ急ぐぞ。今跳んだ時、路地を向こうに走る怪しい人影を見た」
「何だそれ? 雑貨屋はどうするんだ」
「リーオレイス人が長時間無駄に立て篭るなんて、らしくないだろう?」
 手際よく連絡鳥を袋に詰め込んで、見上げる仲間に放り投げる。彼が慌ててその荷物を受け取って再び目を上げると、リースが屋根伝いに北門の方向へ軽々と跳び移っていくのがちらりと見えた。
 そのとき突然、爆発音が街を震わせた。一気に黒い煙が南から立ち上る。
 動揺のなかで聞こえた南門が破壊されたという声に、魔女探し達は走り出した。北のリーオレイス帝国に向かう筈なのだからと北門に集結していたのに、南門から逃げられたのではたまらない。北門を占拠していた魔女探し達が南門へと殺到する。
 もうもうと立ち昇る黒い煙が、山地から吹き降ろす風で街に流れ込んできて、住人たちは迷惑そうに家屋に避難した。
 やっと職場を取り戻した北門の門番が、ため息をつきながら門を開ける。
 その直後に門の外へ駆け抜けた男女には、声をかける隙も無かった。


◇◇◇忍耐の限界値◇◇◇

 馬車も馬もない。
 うまく街を出て走り出したのは良いけれど、明け方の冷たい空気に、喉と肺が痛む。朝霧の田舎道は左右の低木のほかに、道の先がどのくらい続いているのかも見通せない。そんな中を軍人基準の速さで走らされるのには、無理がある。
 セトはあのあとすぐに合流したジノヴィに腕を引かれていたが、引きずられるようにして無理矢理足をとめた。
 息が上がってお腹が痛い。ジノヴィが何か怒鳴っているけれど、耳に入らない。
「このまま走り続けるなんて、無茶だよ、ジノヴィ」
 軍人に挟まれたセトを庇って、シェナも息をあげながら不機嫌な声を上げる。
 ほんの少し遅れて追いついたアルヴァが、そのままの勢いでセトの胸に飛び込んだ。
「アルヴァ? ……なに……どう……」
「良かった…………セトさんで」
 泣きそうな少年の小さな笑顔に、つられて、小さく笑む。セトは息を整えながら、アルヴァの金髪を撫でた。
 リーオレイス人二人は酷い態度だし、味方になってくれそうなのはシェナとアルヴァだ。何か喋りたいところだが、息を整えるので精いっぱいだった。
「魔女の姿でいれば、湖まで走り抜ける事くらい、造作も無いだろう。何故その姿に戻った」
 ジノヴィはそういって冷たく見下ろしてくる。
 その隣で、レギナが腕を抱えて膝をついた。リーオレイス人のレギナでさえ、堪えるほどの強行軍だ。
 空気が、痛い。もう走りたくない。

 ――些細なきっかけで、小さなこだわりで、自分で自分を苦しめるもの。
 占い師だったから、よく知っている。他人事として、よく知っていた――。
「僕は、魔女じゃない」
 強い声に驚いたのは、ジノヴィだけではない。自分の声に自分で驚いた。
 けれど、息を整えながら、そのまま言葉を続ける。
「君達がどういう理屈で僕が魔女だと決めつけるのかなんて知らないけど、僕は魔女になった覚えは無いし、男だよ。それを散々関係ない人も巻き込んで迷惑かけて……村ひとつ滅ぼして。最初から人違いだって言ってるのに、どうしてそう、石頭なんだい。……その石頭を作っているのが帝国っていう場所なら、そんなものは、世界に、必要ない」
 低い音が口から溢れてくる。これが、物凄く怒っている、という事だろうなと思う。怒りの矛先は目の前の人間ではなくて、帝国だ。ジノヴィは帝国に従っているに過ぎない。
 ジノヴィは大きくため息をついて頭を掻きむしった。
「お前は、魔女だ。自分でそれを認めなくても、俺とアルヴァは魔女になったお前と会っている。覚えが無いと言うのなら、手前の山の上で自分が何をしたか、どうやって山を降りたか言ってみろ」
「そんな理屈なんて知らないよ。君達の解釈はどうでも良い。僕は、僕だ」
 セトは疲れきった身体を奮い立たせて、脚を踏み締める。
 だが次の瞬間、後頭部の近くで金属の鈍い摩擦音がした。首に巻いた魔法装具が、青白い反応を浮かばせて視界に入る。シェナの手元から伸びた鋼糸が、頭の後ろで剣頭を停止させていた。レギナの小さな舌打ちが間近に響く。
「どうして邪魔するのシェナ。貴女も、魔女が支配する世界が、嫌いだって、言ってたわよね」
 そういってレギナは鋼糸に絡み取られた短剣を強く引いた。
 レギナの体調が万全ならばシェナぐらいは引き倒せたのだろうが、片腕の激痛がそれを阻む。
「そうかもね。だけど、さっき言ったよ。ボクは今のセトを……これから一緒に大儲けする予定の、大事な相棒を、黙って殺させるつもりは無いよ」
 レギナが言葉の意味をとりかねた一瞬、シェナは少しだけ鋼糸を緩める。サッと間合いに入って拳を入れ、この手負いの軍人を無力化した。
「裏切るのか、シェナ!」
 大きく威嚇するように剣を抜いたジノヴィの声に、苦しさが滲む。
「裏切るも何も、味方だとは言ってないね。ちょっと一緒に行動した事がある位で、アンタ達に飼い馴らされたような覚えは無いな」
 憎まれ口を叩きながら、シェナはじりじりと後退る。レギナは手負いだったから良かったものの、ジノヴィは怪我ひとつしていない。奇襲ならシェナの得意分野だが、この帝国軍人と手合わせをして勝った人間の話は、聞いた事が無い。
 ふわりと、青白い光が満ちる。
『風よ 我が意に従え!』
 セトの魔法で突然巻き上げた砂塵がジノヴィの視界を一瞬奪った。
 その隙にシェナの短剣が膝に突き刺さる。素早さは削った筈、とシェナの鋼糸がジノヴィを巻き取ろうするも、ザっと低い姿勢から長剣を繰り出してきたジノヴィに、一瞬息をのんだ。
 避けられない。
「ぐっ……!!」
 ドッと背中が地面に押し付けられる。なぜか、迫っていた筈の長剣が、宙を舞い、ガランと地面に落ちるのが見えた。黒い、人間の形をしたものが、シェナの立っていた場所にまっすぐに立っている。

「……危険な事をする」
 髪も服も黒で統一された、背中。だがどうやって剣を叩き落したのか分からないのは、単に角度の問題ではない。彼は腕をかばったジノヴィを前に、何の武器も持っていなかった。
「い、いたた……?」
 どういう状況かと冷静にみてみると、セトとアルヴァがシェナの上に覆い被さっている。
 シェナを庇おうとしたセトを、アルヴァが庇った状態のようだ。
「間に合って良かった。シェナか。遺跡発掘家……いや、情報屋が当事者になるとはな。しかも無謀な挑発だった」
「……何で、アンタが」
 リース。この魔女探しは、他の人間と一緒に魔女を倒しに来た筈だ。
 それにこの状況に割り込んでくるなんて、動きが速過ぎる。
「黒い魔女探し……君が、リースか」
 セトの声に振り返ったリースの隠れた右眼が、赤くゆれたように見えた。それから、彼は、ゆるやかに頷く。
「私は、リース=レクト。シルヴィス王子とスティア嬢の命により、アルヴァ=シルセックを保護監督する任を承っている。リーオレイス帝国に仇なす意思は無いし、魔女をどうこうせよという指示も受けていない。アルヴァを護衛する事が私の仕事だ」
 いきなり名前を出されて、アルヴァはぽかんとした顔になった。
 シェナとジノヴィも、想定していなかった言葉に、思案するように動きを止める。
「スティアの差し金か。……なるほど、お前が本当の、お目付け役といった所か」
「いや、私は本当に単純に、護衛だ。こんなふうに介入する事になるとは思わなかった。何事も無く往復できれば、表立って姿を現す事も無かった。しかし、緊急事態だ」
「連れてきた魔女の反発が、か?」
「いいや、この機に居合わせたのは偶然だ。……リュディア王国で継承戦争が発生している事は、知っているか?」
 緊張した空気の内容とはまるで違う話が出てきたことに、全員が戸惑う。
 だが、アルヴァが声をあげた。
「聞きました。姉さんが、参戦したって――」
「連絡鳥で報せがあった。アルヴァはすぐに引き返し、王都に行くように。……生死は分からないが、スティアが深手を負ったそうだ」

 一瞬の静寂の後、セトがひとり、小さく笑った。
「……スティアさんも心配だけど。どうして、継承『戦争』なのに、そっちのほうで魔女が出てこないで、こんな場所で言い争いになってるのかな?」
「お前が魔女だからだろう。セト」
 間髪入れずにジノヴィがあげた声に、力がこもっている。リースに叩き落とされた長剣を拾うが、右腕に力が入らないのか、左手で柄を握り締めて土を削りながら強い目をあげた。
「僕が何事も無くあの村で占い師をやってたとしても、王都に魔女が現れない事に変わりは無かったんじゃない? さっきも言ったけど、僕は僕だよ。何者にもされるつもりは無いよ」
 セトはそう言いながら、シェナの手を握った。困惑する彼女を立たせて、ジノヴィの攻撃からすぐに逃げられるように、背中で庇う。
 ジノヴィは強い。魔法道具を駆使して防御した程度で凌げるような半端な強さではないだろう。さっき助けてくれたリースも、アルヴァの安全を確保している今、味方だと思ってはいけない。
 つめたい空気を貫いて、ジノヴィの苛立ちが、殺気に変わった。
 ここは誰がどう見ても修羅場。お互いに臨戦態勢になるところだ。
 でも、どうしてだろう。視界が霞んで、怒りがこぼれ落ちていく。
「――何を、泣く」
 セトの落とす涙に、ジノヴィの殺意が揺らぐ。
「君は泣かないのか」
「そんな暇があれば、もっと有用に時間を使える。精神疲労の汗と大差無いものだ」
「今まで、仲間を失ったときも、そうしてきたの?」
「――馬鹿にするのは、やめろ!!」
 アルヴァとシェナの悲痛な叫びが聞こえた気がした。激しく背中を地面に叩きつけられる。全力で長剣を向けて肉薄してきたのを見た瞬間に、死んだなと思った。
 しかし、ドッと背中に土を感じたあとに目を開くと、土埃にまみれた軍人の分厚い筋肉質の体重に、押さえ込まれていた。
 剣の切っ先が堅い地面に突き刺さり、音を立てて倒れる。
「……何故、防御も何もしない。魔女になってしまえば俺一人程度、魔法でも魔物を使ってでも、簡単に倒せるだろう」
「僕には、そんな力は無いよ。そんな気も無い。……だけど、自由にしたいと思ったんだ」
 あまりに苦しく言葉を吐き出すようなジノヴィの姿に、地面に押し付けられている事も忘れる。
 彼の苛立ちと殺意が薄れて、表情が出てきたのが、どうしてか、少しだけ嬉しいと感じる。
「自分が好きなようにしたいってだけじゃないよ。……そうだ。君に、言いたかったんだ。君に合う言葉をずっとどこか探してた。それを、やっとみつけた」
 ジノヴィが苦吟に満ちた顔をあげて、目が合う。
 セトの目に涙が浮かびっ放しなのは、たぶん、仰向けに倒れているせいだ。
「自分をもっと大切に……帝国を笠に生きるのではなくて、自分個人を、もっと大切にしたら良い。帝国から離れたとしても、そのまま立派であるような人間でいてほしい――」
 動かした右手が、ジノヴィの薄銀髪の頭をポンと撫でる。
「……おまえは……」
 固唾をのんで硬直していたその場の全員が、魔女探し達の喧騒の気配が近付く気配を感じて、はっと顔をあげた。
 「仲間割れしている場合じゃないぞ。魔女探し達に追い付かれる。前に進むか戦うのか引き返すか、どうするつもりだ?」
 冷静にアルヴァの腕を掴んで、リースが声をかけてくる。
 はじかれるように身を起したジノヴィは、膝の痛みに顔をしかめた。それでも、動けないレギナを担ぎあげる。
 セトはシェナに助け起こされながら、リースをみた。黒で統一された立ち姿。腕に巻いた籠手の変形が主力武器だろうか。
 それでも、どこか、雰囲気が人と違う。
「……リース=レクト。……君は、人間かい?」
 地理に目を配っていたリースが、ゆっくり振り返る。
「……人間だ」
 状況にそぐわない静かな会話に、アルヴァが首を傾げる。
「じゃあ、リース。君に頼みがあるんだ。アルヴァと一緒に、魔女探し達にお退き取り頂けるよう話をつけてきて貰えないかな」
「何だ。自分を護れとは言わないのか」
「怪我人を出せなんて言わないよ。それにその方が、君も、アルヴァを連れて帰れるよね」
「……なるほど。だが、あなたはどうする? このまま逃げるにしても、退路は無い」
「あ、うん……とにかく、湖までは行くよ。一本道だし」
「では、ここで別れだ」
 リースはセトの言葉に淡々と頷いて、嫌がるアルヴァを抱えて背中を向けた。どうしようもなく、セトとシェナもリーオレイス人の後に続いて歩き出す。
 しかし、リースは少し歩いたところで、ぱっと踵を返した。歩き始めていたセトの冷えた手を取り、素早く、恭しく、口づける。シェナが違和感を感じて振り向いた時には、もう手を離して地面を蹴っていた。
「リース、嫌だ、下ろしてよ! 僕は役目を、最後まで――」
 全力で嫌がるアルヴァの声が遠くなる。アルヴァを抱えた黒い影は、人間の移動速度とは思えない早さで低木の林の中に消えていった。
「え? 今、何かあった?」
 わけがわからないのはセトも同じだが、冷えた手が少し温かくなった事だけは、確かだった。



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 シェナは自分の拠点に明かりが灯っているのをみて、少しだけため息をついた。
 身を隠す必要があるっていうのに、自分からみつかる可能性を上げてどうするんだ。近所の人間にも目立たないようにそっと扉をあけて中に入る。
「おかえり。ジノヴィ達はみつかった?」
 セトは、どうしてか調理台に向かっていた。
「片付けておなか空いたから、勝手に色々使っちゃったよ。あとで埋め合わせするね。シェナもおなか空いてない? 丁度出来たところだから、食事にしようよ」
「ちょ……まぁ、いいか」
 セトの緊張感の無いのんびりした様子に、シェナはもう一度溜め息をついた。
 それにしても部屋が明るく感じるのは、ごちゃごちゃした品物の山がきちんと整理整頓されて部屋の端に並べられているからだ。椅子も床も輝き、寝台の布団まで整えられている。
「ちょっと。ボクの部屋こんなに綺麗だっけ? 家事的な魔法?」
「いや、散らかし過ぎ。このくらいは普通だと思うよ。部屋は綺麗にしようね」
 そう笑うセトは、どこか家庭的で、くすぐったいような気持ちにさせる。
 セトにしてみれば、いい気分転換だった。
 拘束されながらの山登りを強行してきたうえに、魔女探し達に攻撃されたりいつのまにかジノヴィ達とはぐれてしまったりして疲れ切っている筈だが、一度眠っていたせいか、頭はすっきりしている。片付けを始めると止まらなくなり、つい片っ端から目に付く場所全部を掃除してしまった。食材を見つけて空腹に気付き、勝手で申し訳なく思いつつ調理を始めていたという訳だ。今までも、独りで暮らしていたのだから、そういう事は別に苦にはならない。
「それで、ジノヴィ達は見つかったのかい?」
 セトは適当な器に2人分のスープをよそって、シェナが誰も連れていない事に首を傾げた。
 出掛けてから結構な時間が経っているから、簡単に捜し出せずに見つけるまで駆け回っているのかと思っていた。それとも、この街に辿り着いていなかったのだろうか。
「みつけたよ。でも、今は機嫌が悪いから会わないほうが良い。下手すると殺されるかも。……これ、毒入ってないよね?」
 スープを口に運んでから、彼女はぱっと目をひらいてスープをみる。毒が入っていたら、手遅れな質問だが。
「入ってないよ。君の家の中にあるもので作ったんだから。僕も食べるし――」
「あるもので?! どういう魔法? ありえない位美味いんですけど! 凄い旨い!」
「酒場料理の真似だけど、口に合ったなら良かったよ。まだおかわりあるからね」
 立ったまま2杯目までしっかり平らげて、やっとシェナは椅子に腰をおろした。セトが一人前を食べ終わるのと同時位だったから、結構な早食いだ。
「ごちそうさまでした! お腹空いてたのに気付いてなかったみたい。食べ過ぎたー。あー。しあわせ~」
 ぺたりと机に突っ伏して、気持ちよさそうにダラダラし始めた。あちこち走り回っていたようだし、疲れているのだろう。それにしてもシェナがいきなり脱力したような動作に、セトはもういちど首を傾げた。
「ジノヴィは、そんなに機嫌が悪かったのかい? 早く合流した方が、逆に薬になるような気がするけど」
「今日は駄目だね。1回休んで冷静になって貰わないと。お腹すいてて疲れてて機嫌も悪いとか、危なすぎるでしょ」
「そうか……。あ、アルヴァは無事だった?」
 シェナは突っ伏した頭をもたげて、少し首をひねる。
「アルヴァ? ……もしかして金髪の子ども?」
「そうだよ。彼がリュディア王国の、教会代表の立場にあるんだ。魔女探し達と戦ってもきりがない。アルヴァの立場を使って、魔女探し達を止められないかな……と、なんとなく、片付けながら思ってたんだ」
「……時間稼ぎには、なるかもね」
 シェナはふらりと立って、片付いた寝台に頭から突っ込んだ。
 そんなに疲れているようには見えなかったが。そういえば炭鉱の酒場の女店主が、時々似たような動きをしていた。
「……もしかして君、お酒飲んできた?」
「む、そういえば。その後、けっこー、走ったかな。それより、さっき酒場に行って状況を掴んできたよ。纏まらない集団だけど、一目置かれてる奴がいるんだ。交渉するなら奴がいいかも」
 セトは卓上の食器を片付けながら、さっきの考えをすすめる。
「――アルヴァには、その人物と対話する形で、足止めをして貰う。リュディア王国の教会の代表としての立場がどのくらいの力を持っているかは分からないけど、そうして貰っているうちに、先に進む。それである程度は時間稼ぎができそうだよね。理想は、魔女探し達に撤退して貰うことだけど」
 シェナがころがる寝台の隣に腰掛けて、考えていたことを少しずつ話す。
「それは良いけど。……リーオレイス人だけに囲まれる事になるよ。アンタの危険度が上がるんじゃない?」
 眠気に負けそうな顔をあげたシェナは、話相手の顔が意外と近いことに、目をひらいた。
「それは、君がいれば大丈夫だよね」
 朝はやはり冷える。シェナの拠点の寝台のなかで、セトは薄い毛布を掻き抱いて小さくくしゃみをした。
 一人分の寝具しかない中、女の子の家主の毛布を分けて貰う訳にはいかなかったし、寝台の端で横になる許可を貰えただけでもありがたく思うべきなのだけど。
 遠く、教会の低い鐘の響きが鳴り渡ってくる。高い音で時刻を知らせる教会の鐘には、低く打ち鳴らして葬儀があることを告げる役目がある。誰でも立ち寄る教会にとって、葬儀がある場合は立ち入りを遠慮して貰う必要があるからだ。
 死者の人数分だけ鳴る低い音は、10回以上は響き渡っていた。
「魔女探しかな……ジノヴィが殺ったのかな?」
「うーん、否定できない状況がちょっと嫌だね」
 シェナは眉をひそめながら荷物の紐を締めた。いつ耳にしても気持ちの良い音ではない。手足に仕込んだ装備の点検も忘れない。曖昧な返事をしたセトの手の中には、石がある。すっかり存在を忘れていたが、シルヴィス王子から貰った三角の小さな宝石だ。最初に貰った時はただの濃い青色で特別な特色は無かったと思うのだけれど、いつのまにか青の透明度が増して、内側に掘られた文様が現れてきていた。
 後ろから顔を出して覗き込んだシェナが、おもわず明るい声をあげた。
「なに、凄いの持ってんの? 魔法の威力が上がる紋だよね。内側に彫ってあるのなんて初めて見た! どうやって彫ったんだろ? てか、これ使ってれば昨日、もっと楽に魔法使いこなせたんじゃないの?」
「――ああ、そうか」
 意識していなかったけれど、昨日の時点で、その効果に頼っていたのかも知れない。
 ただ、シルヴィス王子は『護身用の魔法を増幅して使える』と言っていた。その本来機能に沿って使えれば、もっと威力が上がるのだろう。
 セトはひとりで納得してから、あらためて手元の装備を確認する。旅装のままだと、街の中を徘徊する魔女探し達にみつかりやすい。この土地の普段着をシェナから借りているのだが、買ってみたけれど趣味に合わなかったという暖かな襟巻きが気に入っていた。首まわりがふんわり暖かいと、寒々とした気持ちが温む気がする。
 一旦首に巻いたその襟巻を解いて、その布地の隅に魔法の威力を上げる石の紋と同じものを書き込んだ。勿論、これだけでは機能しない。魔法道具にするには、目的の作用をするように、その物品に魔力が入った時の働きを覚えさせる必要がある。模様は、媒介の役割をもっている。占術書にそのやり方の記載があった。
 占いに使っていた絵札も一種の魔法道具としての機能を自分で与えたものを使っていた。だから、簡単な魔法の機能を物品に与える魔法は、実はわりとまともに使える。
「何してんの? もしかして、同じもの作れるの??」
 すぐそばで好奇心いっぱいに喋られると、この集中力がいる魔法作業はできそうにない。
「そうだね。この襟巻きが、ちゃんと魔法道具になったら、買値の五倍で売れると思うよ。集中するから、少しだけ静かに待ってて貰えるかい?」
 期待通り。そわそわした室内の空気が、すっと落ち着いた。きちんと膝をそろえて座ったシェナが可愛いなと小さく笑ってから、改めて模様を書き込んだ襟巻に体を向ける。
 青い宝石を左手に持ち、襟巻きを右手に持ち、息を整える。これは宝石の機能の複製だ。まずは宝石に魔力を与える。それに反応して作用しようとしている魔法機能を、左手の襟巻に、写し込む。
『天と地の間に於いて、汝、人の手による造形物に役目を与える。これより後、我等が呼びかけに応え、数多の災難より、我等を護る。汝、一介の造形物に非ず。我等と共にある護りとなれ』
 薄い水色の宝石と同じ色の魔力。それが襟巻きの布地に浮かび上がる。
 すう、とすぐに光は消えたが、部屋の中に心地よい余韻が満ちた。護身用の働きをするからだろう。
「――これでおしまい。護身に使う魔法の威力を底上げできる」
「それ、色々買ってきて全部魔法道具にしたら、凄い儲かりそうなんですけど!」
「そうだね、発掘品にやったら、元手は無料だね。この宝石があれば同じものは結構作れるよ。そういう商売もアリだねぇ」
「裏流通を使えば発掘品本体も質の良いヤツ手に入るから、超儲かるよ! 一緒にその商売やろうよ!」
 そんなことを叫ぶシェナの目が、きらきらと輝いている。
「――このまま、逃げちゃおうか?」
 一瞬思っただけだが、言葉にすると、思いがけず本気になってきた。
 ジノヴィには逃げないと最初に約束したけれど、彼のほうは縛らない約束を破っている。セトだけが約束を守っているなんて、不公平だ。
「今日合流してもジノヴィが危険だったら逃げて良いと思う。……マジで。黙って殺されてあげる程、お人好しな人間はいないって。ボク、先に合流して様子みてくるよ。セトは先に昨日通った裏道から壁の外に出て待ってて」
 颯爽と出掛けて行こうと動いた腕を捕まえる。
 素早い彼女の動作も、癖を見抜いてしまえば腕を取るぐらいは簡単だ。
 胸の奥が、あたたかい。
「これは、僕の意思だ。……シェナ。君と逃げたい。もう十分他人の都合に振り回された」
 シェナは目をひらいて、外に出ていこうとした勢いを失った。
 セトが掴んだ腕は、大した強さではない。シェナの頬が、一気に紅く染まる。
「ちょ、あの、でも、え、なにこれ」
 セトとしても、面白い言葉が出てきたものだと思う。
 暫く占いをしていないから、この言動がどう転ぶか分からない。けれど。
「先が分からないっていうのは、全然怖くなんか無い……凄く、わくわくするね」
「何言ってんの。占い師がそんなこと言ってたら、商売、上がったりだね」
「もう、それは廃業だ。楽しい方が良い」
 口にしてしまうと、体の底から活力が湧きあがってくる。
 不思議と身体が熱くなる。意志の力というものがどれほど心を支えているかが、わかる。
 それを感じるほど、今まで淡々とした時間のなかで生きてきたということだ。
 そのままシェナを抱き締めてみる。小柄な体が、胸の中にあたたかくおさまった。
 昨夜は寝台で接近したところで蹴り落とされたから、またその調子で拳がとんでくるかなと思ったけれど、こうして大人しく抱きしめられてくれるとは、意外だ。
 背中を掴んでくる腕にも、武器はない。
「……みんなが、セトを魔女だって追ってる。命、狙われてんだよ? ホント危機感無いよね……。そういうとこが、妙に嫌いじゃないけどさ……」
 口を尖らせて声を落とす彼女の額に唇を落とす。
 あたたかい気持ちが、触れ合う処から染みるように拡がる。
 今まで、気づけば、ずっとひとりだった。
 そしてすれ違う人間たちと心を通わせる事もなかった。人に合わせるというのは、面倒だし、生業にしている仕事には邪魔だった。
 だけど実は、ものすごく損をしていたようだ。
 朝霧が街全体の景観を染めている。
 セトとシェナは白い息を吐いて、視界の悪い住宅地を歩く。姿を隠すには好都合の状況だ。
 住宅地をまばらに行き交う人影に紛れて街の北側の出口に足を向けた。南側はリュディア王国に戻る一本道しか無く、北側の道はリーオレイス帝国に接する湖へと続くが、湖は帝国だけに繋がっている訳ではない。船を調達して南東に向かって流れる川を辿っていくと、リュディア王国の淵を通ってフェルトリア連邦の端に続いている。フェルトリア連邦まで辿り着く事が出来れば、一連の騒動から身を眩ませることが出来るだろう。地元民と似た格好をしているのは正解だった。
 にわかに増えた旅装の魔女探し達が、道すがら同類と探索の首尾を情報交換して歩いているのが、どこに行っても目に入ってきた。大通りを抜けて北門にたどり着くと、魔女探し達にすっかり占拠されていた。一般人すら通さず、追い返してしまっている。門兵の姿もみあたらない。
「どうしよう? 入って来たところから出る?」
「もう明るいし、雑貨屋に近いからあんまり行きたくないんだよね……」
 声をひそめたシェナの隣に、ふと旅装の人間が近づいた。
 思わず逃げ出そうとセトの手を取って小さく身構えたが、思いがけず明るい声をかけられる。
「やぁ、昨日はどうも。酒場の姉ちゃん」
 茶系の色調で装備を纏めた若い剣士が、掌を挙げて笑顔をみせる。
「何だ、昨日のお客さんか! びっくりさせないでよね」
 一瞬誰だと聞き返しそうになったが、リースの隣にあった顔だと思い出した。
「雑貨屋とか言ってたかい? 今はやめといた方が良いぜ。魔女探しの一団がピリピリしてるから、どんな巻き添えを食うか、わかんねーよ」
「……何かあったの?」
 シェナの瞳が底光りした事に、彼は気付いていない。セトはそっと彼女の背中で様子をみる。サルディスの教会では魔女探し達に顔をみられている。地元民の姿をしているからといって、ばれない保証はない。
「リーオレイスの軍人がいるって噂でね。鍛冶屋の奴が言ってただけなんで本当かはどうかは分かんねーけど。見張っとくに越した事は無いだろ? まぁ、乗り込む馬鹿もいるかも知んねーけどな。昨日君と飲んでたリースも、そっちに行ってるよ。案外、乗せられやすいんだよなぁ」
 ぼりぼりと頭を掻いて笑う目前の剣士の存在が頭の隅に追いやられる。
 実際、間違いなくジノヴィ達は昨日の夜には雑貨屋の中にいた。怪我をして寝込んでいたレギナがいたから、あのあとすぐに移動したとは考えにくい。この魔女探しの感じからしても、他の場所に目撃例もなさそうだ。
 シェナはセトをちらりと見る。
「……彼と話があるって言ってなかったっけ?」
 ここで知り合いの危機を放っておくことは、シェナにとって後味が悪いだろう。
 シェナは少し驚いたように目をひらいて、取った手を強く握った。
「……別行動したら、心配なんだけど」
 手のひらが熱い。いま彼女の頬を触ったら、もっと熱いだろう。
 助けに行かなきゃという自然な衝動に気付かれたのが、嬉しいのか、悔しいのか。
「僕も一緒に行く。それなら心配無いよね」
 ジノヴィには散々振り回されたけれど、こんな所で殺されて良いとは思わない。
 逃げようと決めた時点で彼との約束に未練は無かったが、また会うのなら、言いたいことがある。
 冷やかす剣士をあとに、シェナと一緒に駆け出した。
「――連絡鳥が一羽もいないって、何か、やばいんじゃないか?」
「何弱気になってんだ。こうやって追い詰めたんだから、倒しちまえばいいだろ」
 ぐるりと雑貨屋のまわりを包囲した魔女探し達だが、どこか及び腰な空気が漂っている。
 彼らは途中の山頂で、あの黒い羽蛇に食い千切られた多くの死体を目撃している。その羽根蛇は倒した筈だが、それが今追いかけている魔女の仕業だとしたら、また同じような強さの魔物に襲われるかもしれないという不安がある。
 魔女探し達がまるで警団のように周囲を占拠している状況に、地元住人も雑貨屋に入れなくなっていた。正面からも裏口からも、出入りは出来そうにない。住人を装ってその様子をみて素通りし、人目のつかない物陰に入る。
 そういうシェナとセトに声をかけるような魔女探しはいなかった。シェナがざっと見た感じ、リースの姿も見当たらない。
「この集団を他の場所に引きつけないと、確認もできないや」
 シェナは小さく言って、難しい顔をした。セトが囮になれば簡単に引き離せられるだろう。けれど、逃げきれなければ意味がない。運動能力も魔法も、今のセトの機動力は人並みでしかないのだから、その手段は危険でしかない。
「ところで、リースって、誰なんだい?」
 さっきの剣士が言っていた、一緒に酒を飲んでいた人間としか、セトには話が見えていない。
「この一団と一緒に来た魔女探しのひとり。山で蛇の魔物を倒して、一目置かれてるらしいよ。全身黒づくめで、片目だけ見せてる奴。気配からして強そうだったんだけど、得物が分からないんだよね。弓も剣も持ってなかったし、魔法使いっぽくも無いし」
 真剣な顔をつき合わせて、もういちど包囲網を覗き込もうとしたふたりの背後から声がかかる。
「何、危険な事をしているの? 2人とも」
 驚いて振り返ると、腕を包帯で吊り下げたレギナが立っていた。
 シェナと同じような地元民の服装が、その口調に似合わない。
「うわ、びっくりした。なんでここにいる訳? 似合ってないし!」
 シェナの口から正直な感想が飛び出す。
「一箇所でぼーっとしてる訳無いじゃない。無能だと思われちゃ困るわね。怪我だって、胴体じゃないんだから問題無いわよ」
 蒼白な顔でそう言いながら、彼女はセトをみて、歩を進めた。その足取りに、シェナはぱっと二人の間に割って入る。
「元気そうでなにより。囲まれてるから助けに来てあげたのに、心配して損したよ」
 足を止めたレギナが、視線をセトからシェナにうつす。
 空気が、凍りついた。
「それは、どうも。それじゃあ行きましょうか。ずっと待っていたわ」
 ちらりとセトをみる目が、凍るほど冷たい。
 どこかに連れ込まれて殺されるんじゃないかと思う程だが、彼女の感情を殺したような目は、ジノヴィがセトを見る目にそっくりだ。任務に忠実な帝国人の、目。
「ちょっと待ってよ。行くって、どこに? まだ昨日みたいに、セトを殺す気じゃないよね」
 警戒を解かないシェナの姿勢に、レギナは不快な色を隠さない。
「それは私達じゃなくて帝国が決める事。どうして情報屋の貴女がそれにこだわるの? 一緒に連れて来て貰えれば、帝国から大金が貰えるようにしてあげるから、うるさく言わないでくれる?」
 シェナの扱いは心得ているのだろう。嫌味ではなくサラリと金で釣ろうとする所が、合理的なリーオレイス人らしい。
「……ボクは守銭奴だけど、人間のクズになったつもりはないよ。こんな無害な人間を、連れまわして、挙句目的地の帝国に着いてからしか、処遇がわからない? ほんと、改めてだけど、意味わかんないね」
 小さく本気で怒りを見せたシェナに、レギナの苛立ちが爆発しそうになる。
 セトはいそいで二人の間にはいった。
「シェナ。とにかく今は大丈夫だと思うよ。まずはここから離れよう」
 肩を掴むと、緊張した身体が小さく震えて、ゆっくり手中に馴染んでくる。
 リーオレイス帝国の軍人に喧嘩を売るなんて自殺行為だ。流石に彼女もそれは分かっていたらしい。
「……セト=リンクス。面と向かって話すのは初めてね。私がジノヴィの相方、レギナ=クッシュよ。リーオレイス帝国へ……帝王のもとへ、何が何でも同行して貰うわ。生き延びたいのなら逃げるんじゃなくて、帝王に直接嘆願することね」
 思っていたより温度のある言葉がレギナの口からでてきた事も驚きだが、『帝王』の単語が出てきた事も、心に留めておく。
「わかってるよ。ジノヴィとアルヴァはどこにいるんだい?」
「…………行くわよ。ついてきて」
 迷いなく踵を返したレギナを一瞬呆然と見送りかけて、シェナの手を引いて慌てて後を追った。
◇◇◇連絡鳥◇◇◇
 鳥が1羽、街の上空を大きく旋回している。
 ひとりふたりと、その鳥に気付いた魔女探し達が口笛で呼んでみるが、降りてくる気配がない。遠目のきく人間がその脚に手紙がある事に気付いたが、降りて来ない事には中身の確認が出来ない。矢や魔法で撃ち落とすのは、連絡鳥が貴重な現状、皆が躊躇している。
 黒い魔女探しが、商店街の屋根に登って鳥を見据えていた。
「丸腰じゃ捕まえられないだろ、リース。やるなら網か何か持ってこようぜ」
 真似して一緒に屋根に登りかけた格好で、仲間が声をあげる。本気というより面白半分だ。
「いや、大丈夫だ」
 何かを探しているのか、戸惑ったような鳥の動線をじっとみつめる。
 つと頭上を通過する機会を見計らって、リースは身を屈めてから、トンと屋根を蹴った。体重を感じさせない跳躍に、それを目撃した人間は、呆然と口を開いた。相当な高さを飛んでいる飛行中の鳥をぱっと掴んで、空中でくるりと一回転し、通りを挟んだ商店の屋根に軽やかに着地する。
 リースを知らない魔女探し達は、そういう風魔法の使い方があったのかと、先を越された事を悔みながらも納得した。
 が、彼と一緒に来た人間達は、逆に驚くだけだった。
 ――リースは、魔法を使えない。
 普通の人間でも学習すればごく簡単なものは使えるのだが、彼にはその素養が全く無い。
「すっげー! お前は、猫か?!」
 鳥の羽を両手で包み込んだリースは、小さく笑んでみせる。
「俺は人間のつもりだ。猫なら、まだ可愛いだろうがな……。それより、北門の方へ急ぐぞ。今跳んだ時、路地を向こうに走る怪しい人影を見た」
「何だそれ? 雑貨屋はどうするんだ」
「リーオレイス人が長時間無駄に立て篭るなんて、らしくないだろう?」
 手際よく連絡鳥を袋に詰め込んで、見上げる仲間に放り投げる。彼が慌ててその荷物を受け取って再び目を上げると、リースが屋根伝いに北門の方向へ軽々と跳び移っていくのがちらりと見えた。
 そのとき突然、爆発音が街を震わせた。一気に黒い煙が南から立ち上る。
 動揺のなかで聞こえた南門が破壊されたという声に、魔女探し達は走り出した。北のリーオレイス帝国に向かう筈なのだからと北門に集結していたのに、南門から逃げられたのではたまらない。北門を占拠していた魔女探し達が南門へと殺到する。
 もうもうと立ち昇る黒い煙が、山地から吹き降ろす風で街に流れ込んできて、住人たちは迷惑そうに家屋に避難した。
 やっと職場を取り戻した北門の門番が、ため息をつきながら門を開ける。
 その直後に門の外へ駆け抜けた男女には、声をかける隙も無かった。
◇◇◇忍耐の限界値◇◇◇
 馬車も馬もない。
 うまく街を出て走り出したのは良いけれど、明け方の冷たい空気に、喉と肺が痛む。朝霧の田舎道は左右の低木のほかに、道の先がどのくらい続いているのかも見通せない。そんな中を軍人基準の速さで走らされるのには、無理がある。
 セトはあのあとすぐに合流したジノヴィに腕を引かれていたが、引きずられるようにして無理矢理足をとめた。
 息が上がってお腹が痛い。ジノヴィが何か怒鳴っているけれど、耳に入らない。
「このまま走り続けるなんて、無茶だよ、ジノヴィ」
 軍人に挟まれたセトを庇って、シェナも息をあげながら不機嫌な声を上げる。
 ほんの少し遅れて追いついたアルヴァが、そのままの勢いでセトの胸に飛び込んだ。
「アルヴァ? ……なに……どう……」
「良かった…………セトさんで」
 泣きそうな少年の小さな笑顔に、つられて、小さく笑む。セトは息を整えながら、アルヴァの金髪を撫でた。
 リーオレイス人二人は酷い態度だし、味方になってくれそうなのはシェナとアルヴァだ。何か喋りたいところだが、息を整えるので精いっぱいだった。
「魔女の姿でいれば、湖まで走り抜ける事くらい、造作も無いだろう。何故その姿に戻った」
 ジノヴィはそういって冷たく見下ろしてくる。
 その隣で、レギナが腕を抱えて膝をついた。リーオレイス人のレギナでさえ、堪えるほどの強行軍だ。
 空気が、痛い。もう走りたくない。
 ――些細なきっかけで、小さなこだわりで、自分で自分を苦しめるもの。
 占い師だったから、よく知っている。他人事として、よく知っていた――。
「僕は、魔女じゃない」
 強い声に驚いたのは、ジノヴィだけではない。自分の声に自分で驚いた。
 けれど、息を整えながら、そのまま言葉を続ける。
「君達がどういう理屈で僕が魔女だと決めつけるのかなんて知らないけど、僕は魔女になった覚えは無いし、男だよ。それを散々関係ない人も巻き込んで迷惑かけて……村ひとつ滅ぼして。最初から人違いだって言ってるのに、どうしてそう、石頭なんだい。……その石頭を作っているのが帝国っていう場所なら、そんなものは、世界に、必要ない」
 低い音が口から溢れてくる。これが、物凄く怒っている、という事だろうなと思う。怒りの矛先は目の前の人間ではなくて、帝国だ。ジノヴィは帝国に従っているに過ぎない。
 ジノヴィは大きくため息をついて頭を掻きむしった。
「お前は、魔女だ。自分でそれを認めなくても、俺とアルヴァは魔女になったお前と会っている。覚えが無いと言うのなら、手前の山の上で自分が何をしたか、どうやって山を降りたか言ってみろ」
「そんな理屈なんて知らないよ。君達の解釈はどうでも良い。僕は、僕だ」
 セトは疲れきった身体を奮い立たせて、脚を踏み締める。
 だが次の瞬間、後頭部の近くで金属の鈍い摩擦音がした。首に巻いた魔法装具が、青白い反応を浮かばせて視界に入る。シェナの手元から伸びた鋼糸が、頭の後ろで剣頭を停止させていた。レギナの小さな舌打ちが間近に響く。
「どうして邪魔するのシェナ。貴女も、魔女が支配する世界が、嫌いだって、言ってたわよね」
 そういってレギナは鋼糸に絡み取られた短剣を強く引いた。
 レギナの体調が万全ならばシェナぐらいは引き倒せたのだろうが、片腕の激痛がそれを阻む。
「そうかもね。だけど、さっき言ったよ。ボクは今のセトを……これから一緒に大儲けする予定の、大事な相棒を、黙って殺させるつもりは無いよ」
 レギナが言葉の意味をとりかねた一瞬、シェナは少しだけ鋼糸を緩める。サッと間合いに入って拳を入れ、この手負いの軍人を無力化した。
「裏切るのか、シェナ!」
 大きく威嚇するように剣を抜いたジノヴィの声に、苦しさが滲む。
「裏切るも何も、味方だとは言ってないね。ちょっと一緒に行動した事がある位で、アンタ達に飼い馴らされたような覚えは無いな」
 憎まれ口を叩きながら、シェナはじりじりと後退る。レギナは手負いだったから良かったものの、ジノヴィは怪我ひとつしていない。奇襲ならシェナの得意分野だが、この帝国軍人と手合わせをして勝った人間の話は、聞いた事が無い。
 ふわりと、青白い光が満ちる。
『風よ 我が意に従え!』
 セトの魔法で突然巻き上げた砂塵がジノヴィの視界を一瞬奪った。
 その隙にシェナの短剣が膝に突き刺さる。素早さは削った筈、とシェナの鋼糸がジノヴィを巻き取ろうするも、ザっと低い姿勢から長剣を繰り出してきたジノヴィに、一瞬息をのんだ。
 避けられない。
「ぐっ……!!」
 ドッと背中が地面に押し付けられる。なぜか、迫っていた筈の長剣が、宙を舞い、ガランと地面に落ちるのが見えた。黒い、人間の形をしたものが、シェナの立っていた場所にまっすぐに立っている。
「……危険な事をする」
 髪も服も黒で統一された、背中。だがどうやって剣を叩き落したのか分からないのは、単に角度の問題ではない。彼は腕をかばったジノヴィを前に、何の武器も持っていなかった。
「い、いたた……?」
 どういう状況かと冷静にみてみると、セトとアルヴァがシェナの上に覆い被さっている。
 シェナを庇おうとしたセトを、アルヴァが庇った状態のようだ。
「間に合って良かった。シェナか。遺跡発掘家……いや、情報屋が当事者になるとはな。しかも無謀な挑発だった」
「……何で、アンタが」
 リース。この魔女探しは、他の人間と一緒に魔女を倒しに来た筈だ。
 それにこの状況に割り込んでくるなんて、動きが速過ぎる。
「黒い魔女探し……君が、リースか」
 セトの声に振り返ったリースの隠れた右眼が、赤くゆれたように見えた。それから、彼は、ゆるやかに頷く。
「私は、リース=レクト。シルヴィス王子とスティア嬢の命により、アルヴァ=シルセックを保護監督する任を承っている。リーオレイス帝国に仇なす意思は無いし、魔女をどうこうせよという指示も受けていない。アルヴァを護衛する事が私の仕事だ」
 いきなり名前を出されて、アルヴァはぽかんとした顔になった。
 シェナとジノヴィも、想定していなかった言葉に、思案するように動きを止める。
「スティアの差し金か。……なるほど、お前が本当の、お目付け役といった所か」
「いや、私は本当に単純に、護衛だ。こんなふうに介入する事になるとは思わなかった。何事も無く往復できれば、表立って姿を現す事も無かった。しかし、緊急事態だ」
「連れてきた魔女の反発が、か?」
「いいや、この機に居合わせたのは偶然だ。……リュディア王国で継承戦争が発生している事は、知っているか?」
 緊張した空気の内容とはまるで違う話が出てきたことに、全員が戸惑う。
 だが、アルヴァが声をあげた。
「聞きました。姉さんが、参戦したって――」
「連絡鳥で報せがあった。アルヴァはすぐに引き返し、王都に行くように。……生死は分からないが、スティアが深手を負ったそうだ」
 一瞬の静寂の後、セトがひとり、小さく笑った。
「……スティアさんも心配だけど。どうして、継承『戦争』なのに、そっちのほうで魔女が出てこないで、こんな場所で言い争いになってるのかな?」
「お前が魔女だからだろう。セト」
 間髪入れずにジノヴィがあげた声に、力がこもっている。リースに叩き落とされた長剣を拾うが、右腕に力が入らないのか、左手で柄を握り締めて土を削りながら強い目をあげた。
「僕が何事も無くあの村で占い師をやってたとしても、王都に魔女が現れない事に変わりは無かったんじゃない? さっきも言ったけど、僕は僕だよ。何者にもされるつもりは無いよ」
 セトはそう言いながら、シェナの手を握った。困惑する彼女を立たせて、ジノヴィの攻撃からすぐに逃げられるように、背中で庇う。
 ジノヴィは強い。魔法道具を駆使して防御した程度で凌げるような半端な強さではないだろう。さっき助けてくれたリースも、アルヴァの安全を確保している今、味方だと思ってはいけない。
 つめたい空気を貫いて、ジノヴィの苛立ちが、殺気に変わった。
 ここは誰がどう見ても修羅場。お互いに臨戦態勢になるところだ。
 でも、どうしてだろう。視界が霞んで、怒りがこぼれ落ちていく。
「――何を、泣く」
 セトの落とす涙に、ジノヴィの殺意が揺らぐ。
「君は泣かないのか」
「そんな暇があれば、もっと有用に時間を使える。精神疲労の汗と大差無いものだ」
「今まで、仲間を失ったときも、そうしてきたの?」
「――馬鹿にするのは、やめろ!!」
 アルヴァとシェナの悲痛な叫びが聞こえた気がした。激しく背中を地面に叩きつけられる。全力で長剣を向けて肉薄してきたのを見た瞬間に、死んだなと思った。
 しかし、ドッと背中に土を感じたあとに目を開くと、土埃にまみれた軍人の分厚い筋肉質の体重に、押さえ込まれていた。
 剣の切っ先が堅い地面に突き刺さり、音を立てて倒れる。
「……何故、防御も何もしない。魔女になってしまえば俺一人程度、魔法でも魔物を使ってでも、簡単に倒せるだろう」
「僕には、そんな力は無いよ。そんな気も無い。……だけど、自由にしたいと思ったんだ」
 あまりに苦しく言葉を吐き出すようなジノヴィの姿に、地面に押し付けられている事も忘れる。
 彼の苛立ちと殺意が薄れて、表情が出てきたのが、どうしてか、少しだけ嬉しいと感じる。
「自分が好きなようにしたいってだけじゃないよ。……そうだ。君に、言いたかったんだ。君に合う言葉をずっとどこか探してた。それを、やっとみつけた」
 ジノヴィが苦吟に満ちた顔をあげて、目が合う。
 セトの目に涙が浮かびっ放しなのは、たぶん、仰向けに倒れているせいだ。
「自分をもっと大切に……帝国を笠に生きるのではなくて、自分個人を、もっと大切にしたら良い。帝国から離れたとしても、そのまま立派であるような人間でいてほしい――」
 動かした右手が、ジノヴィの薄銀髪の頭をポンと撫でる。
「……おまえは……」
 固唾をのんで硬直していたその場の全員が、魔女探し達の喧騒の気配が近付く気配を感じて、はっと顔をあげた。
 「仲間割れしている場合じゃないぞ。魔女探し達に追い付かれる。前に進むか戦うのか引き返すか、どうするつもりだ?」
 冷静にアルヴァの腕を掴んで、リースが声をかけてくる。
 はじかれるように身を起したジノヴィは、膝の痛みに顔をしかめた。それでも、動けないレギナを担ぎあげる。
 セトはシェナに助け起こされながら、リースをみた。黒で統一された立ち姿。腕に巻いた籠手の変形が主力武器だろうか。
 それでも、どこか、雰囲気が人と違う。
「……リース=レクト。……君は、人間かい?」
 地理に目を配っていたリースが、ゆっくり振り返る。
「……人間だ」
 状況にそぐわない静かな会話に、アルヴァが首を傾げる。
「じゃあ、リース。君に頼みがあるんだ。アルヴァと一緒に、魔女探し達にお退き取り頂けるよう話をつけてきて貰えないかな」
「何だ。自分を護れとは言わないのか」
「怪我人を出せなんて言わないよ。それにその方が、君も、アルヴァを連れて帰れるよね」
「……なるほど。だが、あなたはどうする? このまま逃げるにしても、退路は無い」
「あ、うん……とにかく、湖までは行くよ。一本道だし」
「では、ここで別れだ」
 リースはセトの言葉に淡々と頷いて、嫌がるアルヴァを抱えて背中を向けた。どうしようもなく、セトとシェナもリーオレイス人の後に続いて歩き出す。
 しかし、リースは少し歩いたところで、ぱっと踵を返した。歩き始めていたセトの冷えた手を取り、素早く、恭しく、口づける。シェナが違和感を感じて振り向いた時には、もう手を離して地面を蹴っていた。
「リース、嫌だ、下ろしてよ! 僕は役目を、最後まで――」
 全力で嫌がるアルヴァの声が遠くなる。アルヴァを抱えた黒い影は、人間の移動速度とは思えない早さで低木の林の中に消えていった。
「え? 今、何かあった?」
 わけがわからないのはセトも同じだが、冷えた手が少し温かくなった事だけは、確かだった。