◇◇◇山登り強行軍◇◇◇

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 山道を歩くというより、これはほとんど登山というべきだ。足元に注意しながら必死にジノヴィの速さに合わせても、荒縄で擦れた手首が痛い。時間の経過と共に白い霧が薄れ、ふと背後をみると灰色の岩の荒涼とした景色が広がる。冷えた手を温めようと白い息を吐く。足が痛いのは随分前に訴えているが、軍人感覚の登山には休憩というものが無いらしい。
 ぐったりしながら漫然と歩いているうちに目の前の斜面が途切れ、少し平らになった地面を踏んだ。
 平然と背筋を伸ばすジノヴィに続いて、セトとアルヴァは地面に手をついてから目を上げた。登るべき斜面が見当たらない。どうやら山の頂上のような場所に辿り着いたようだ。上がった息を整えて、セトは手近な岩に座り込んだ。脚が重くてとても立っていられない。アルヴァは2人の傍をすり抜けて、少し先の高い岩に飛び乗って辺りを見渡した。
 霧のような雲が景色の切れ目から立ち昇って流れていく。
 麓の宿で冬仕様の防寒着を着込んだ時は少し暑いと思ったが、本当にこれを着てきてよかった。アルヴァは小さくくしゃみをしてから、来た方に向けて細身の剣を抜いた。 
 『光よ 影と幻に姿を移せ』
 一瞬、振った刀身が虹色の光沢の残像を描いてもときた坂道に満ちる。見たことのない魔法に驚いたのはジノヴィのほうだった。
「アルヴァ。今の魔法は?」
 剣を鞘に収めて岩から飛び降り、アルヴァは笑顔をみせた。
「幻覚魔法です。弓矢とか魔法の初撃をごまかせますよ。ちょっと休憩にしませんか?」
「いいね……僕はもう降り坂でも動けないよ。どうしても今行くなら、最初みたいに気絶させて運んで貰える?」
「そんな面倒は断る」
 セトに対してはずっと押し黙っていたジノヴィがようやく不機嫌な顔で即答し、手近な岩に腰をおろした。セトも繋がれた縄のせいで、その隣に一緒に座り直す。息ひとつ乱さずにここまで登ってきたジノヴィの体力は、いったいどうなっているのだろう。
 セトは少しだけ本気で気絶したくなってきた。
 今までは馬車での移動だったし、もと1日中座って仕事するような生活だったのだから、軍人や退魔士とは基礎体力に差がありすぎる。一切休憩も取らずここまで歩けた自分に驚いたくらいだ。アルヴァに手渡された水筒で喉を潤して、ささくれた気持ちが少し癒される。彼がいてくれて良かった。ジノヴィとの二人旅だったらと想像してみただけで、ぐったり疲れそうだ。
 ここまでの馬車旅で3人ともずっと黙っていた訳ではない。
 リーオレイス帝国がどんな国なのか、最近の辺境の治安、魔女探し達の動きの傾向。そういう旅人らしい話を色々と聞けたし、その話を通じてジノヴィが相当に硬い忠義で帝国に尽くしている事も感じ取る事ができた。

 セトからは他人の占いの内容を語る訳にもいかず、叔父が語っていた歴史の話をした。魔女が現れる前、この世界は戦争に満ちた戦乱の世の中だった。政治的な情報の遮断による地方の孤立と困窮。無規律に魔物が跋扈する中で、必要な時に必要な場所に物資と情報が行き届かないことは、悲惨な状況を招いていた。それに対して、現在は魔女が魔物を支配し、ある程度魔物の行動原理が明らかになっている状況だ。戦乱には魔物が発生し、戦争には魔女が洪水をもたらす。だからどの国家も軍事行動ができなくなっている。そんな状況が長期間続いている事で、国家間の情報確執が薄くなり、今や物資と情報が比較的自由に往来している。この話は叔父の主観が大きく入ってはいるけれど、大体史実どおりだ。
 アルヴァが好奇心いっぱいの目を輝かせていたおかげで、話題としては結構良かったのかなと思う。
 シルヴィス王子が言っていたように魔女は国や社会に繁栄をもたらしている。ただし自分への今の扱いを考えると、魔女を好きになれそうにはない。
 ゆるやかな馬車旅で沢山話をして、少しは打ち解けたように思ったのに。
 不機嫌なジノヴィを、片目でみる。レギナという仲間と合流できたのは良かったとは思う。けれどそれでまたセトへの態度がより冷えたものに変わるということは、リーオレイス帝国に辿り着いた後の状況が思いやられる。
 ふと視界の端で景色が揺れた。ヒュ、と空気を貫く音と共に、ほんの数歩先の地面にドドッと音を立てて矢が突き立った。驚いている暇もなく、グッとジノヴィに腕を掴まれ引き寄せられた。
「よくやったアルヴァ。逃げるぞ」
 ジノヴィが素早く大剣を抜き、セトの荒縄を離して背中を押す。突然の動きに転びかけたセトをアルヴァが支えて、急いで山頂の向こうへ駆け出した。――強烈な殺気が、もときた斜面から登ってきていた。
 魔女探し達がばらばらと山頂に姿を現す。
 さらに大人数が登ってくる喧噪が風に乗って流れてきた。よく今まで気配を消してものだと感心している場合ではない。
 ――戦場には魔物が出現するという原則がある。だがこんな小さな状況では、どうなのだろう?
 一瞬ジノヴィはそんな事を考えた。
 この世界の魔女の支配原則に従い、戦闘が発生した場所にはほぼ必ず魔物が現れ、その場をかき乱す。何度か小規模な戦闘でそれを見てきた感覚としては、魔物の出現は無さそうな気もする。が、どちらにしても、魔物が出現するような事態をあてにしてはいけない。
 アルヴァとセトが山頂のなだらかな斜面を降り始めたあたりで、追手がもといた場所まで迫ってきた。再び飛んできた矢をジノヴィが刀身で叩き落す。
「我がリーオレイス帝国を敵にまわすか!」
ジノヴィの怒号に、追手ばかりでなくアルヴァも一瞬身を竦ませた。空気が震える。朝からずっと抑え付けていた怒気を爆発させたのだろうか。しかし、相手の士気も負けてはいない。それはそうだろう。おそらくは何年も探し続けてきた魔女が、ほんの少しの距離に存在しているのだ。
「リーオレイスが魔女に味方する方がおかしいじゃないか! あんただって、魔女探しだろ?!」
 正義感に目を光らせた剣士が、一度は立ち止まった位置から再び距離を詰める。同時に弓士が射掛けてくる。剣士に続いて迫ってくる人間はざっと見て5人。ジノヴィとしてはこの人数でも負ける気はしない。が、それは守る人間がいなければの話だ。
 次々と飛んでくる矢を刀身で叩き落し、続いて剣士の渾身の一撃を止める。ブン、と相手の剣を弾き返す。
 しかし相手も負けてはいない。粘り強く受け身をとり、砂埃の中からダッと攻め込んでくる。
 思わぬ粘り強さに戸惑っている隙に、山頂に登ってきた魔女探しの数が増えた。
 ――殺さなくてはここを脱することはできないか。
 熱くなりかけた頭が、スッと冷えた。まずはこの剣士を切って捨てる。魔物と同じだ。相手を殺すのは簡単だ。生かしておこうとするから、苦戦するのだ。シュ、と剣士の首に刀身をすべらせる。確実にとらえた。
 ――が、鈍い衝撃とともに、手がとまる。
 黒い鱗。刃毀れするような嫌な感触が、手の中に響く。
 咄嗟に背後へ飛びずさり、距離を取って何が起きたのかを確認する。
 魔女探し達も足を止め、あわてて距離を取った。黒い鱗を纏ったその物体は、ザザアッと大きな身を豪快にうねらせる。
 蝙蝠のような羽のある、大蛇だ。
「魔物だ…………! こっちが先だっ!」
 魔女探し達も素早く標的を変更する。どう見ても人間同士で争っている場合ではない。
 うねるだけで黒の鱗がザザッと砂利を擦り、土埃を撒き散らす。土埃が目に入って涙で視力が妨害される。
 そのあまりの巨大さに、最初の一手となることに誰もが怯んだ。

「……戦争の火種となるなら、消えなさい」

 その場に、聞き覚えの無い、女の声が響いた。油断無く魔物と対峙していた男達が、吸い込まれるように、山岳の降り道へのほうへ視線を奪われる。
 おもわずジノヴィの口許が緩んだ。先に行かせたセトの居るべき場所に立つ、女の声の主。セトの面影を残した女性。その茶髪の奥から、緑色の瞳がつめたくきらめく。
 だがすぐに、彼女の前で力無く膝をついたアルヴァの背に矢が刺さっているのをみて、眉を顰めた。
「魔女…………!!」
 一気に、魔女探し達が、殺到した。
 突然の動きに、ジノヴィはばっと横に転がって突進を避けた。彼らの目にジノヴィはもう映っていない。手負いのアルヴァを助けることができない事態に唇を噛む。流石にリュディア王国が公認した人間を、こんな事で死なせる訳にはいかない。
 だが、ザアッという轟音とともに、空気が赤くなった。
 巨大な羽根蛇の歯牙がアルヴァの背後に迫っていた剣士の胴体を捕らえ、噛み千切ったのだ。そのまま後続の人間にも高速で牙をむく。黒い蛇の胴に、新鮮な赤い模様が描かれていく。闘志の声は、ほとんど一瞬のうちに食い千切られた。
 土埃の中に鮮血の臭いが充満する。
 流石にジノヴィも呆然と眺めているしかなかったが、羽根蛇と目が合って、はっと我に返る。持てる最速で後方に逃れる。次の瞬間もといた場所が大きく削れ、その石礫が肩を打った。
「ティユ。お終いで良いわ」
 茶髪の女の声に、ティユと呼ばれた羽蛇はシューと喉を鳴らして主の足元へ向かう。それから主人に懐くようにくるくる廻り、普通の蛇の大きさまで小さくなる。
 しんと静かになった山頂には、無残な死体が散乱している状況が残った。強大な魔物が好きなだけ暴れた景色は幾度も見てきたが、それでもこれは、ひどい。
「酷い? 自分の想いが自分に降り掛かった結果。他人をこうしたいと思う事は、全部自分にかえってくる。そうやって自分で身体を滅ぼしただけのこと。酷くない」
 思った事を見透かすような静かな声が、風の中でも、際立って耳に届いた。
 荒縄の痕をつけた右手が、アルヴァの背の矢尻に触れて白く輝く。軽く引く動作で食い込んだ矢が抜けて、アルヴァはそのまま崩れるように彼女の膝元に倒れこんだ。駆け寄り助けてやりたいが、その手前の累々たる死体を越えて行くには、脚が竦む。
 死体が恐ろしいのではない。体が動かない。
 …………彼女に斬りかかる事なら、できそうなのだが。
 躊躇っていられる時間はない。もときた山道から聞こえる音。レギナの魔法が第二陣の敵と交戦しながら近付いている。追ってきている魔女探しの規模はわからないが、いちいち相手をしている訳にはいかない。
 魔女もその物音に気付いて、右手を上げた。小さな大きさの羽蛇が頭上をすり抜けてその戦地へと飛び去る。
 ジノヴィは思い切ってアルヴァのもとへ駆け寄り、気絶している小さな身体の無事を確認して肩に担いだ。
 ふわりと、茶色の髪が視界の横で風になびく。
 ここ数日見慣れたセトの髪であることに変わりは無いが、その女性らしい容姿に、体が強張る。
「逃げようか? それとも、追いかけてきた邪魔者を、片付けてあげようか?」
 セトのように軽く首を傾げる仕草に、ぞっとする。
 馬車の中でも少し言葉遊びをするようなところがあった。ここで、下手な回答を出す訳にはいかない。
「前へ進む。目的地へ行く。それだけだ!」
 思い切り断言した自らの声に励まされて、その細い腕を引いた。
 彼女は特に抵抗する様子もなく、薄い笑みのまま急勾配の下り道を一緒に駆ける。

 セトと違って旅慣れた速度に難なく付いてくるその息遣いが、必要以上に、胸中のくすぶった感情をかき乱す。
 降り道は急勾配の階段のようになっていた。追ってくる魔女探しの視界から消えるには、もう少し先にある山林の中に入るのが良いだろう。だが、そこまでにはまだ少し距離がある。
「アルヴァの、外傷は治したけど」
 息を整えながら、傍らの女性が口を開く。
「お姉さんの安否とか国での立場とか、今までと変わった環境の不安は魔法じゃ治せないわ」
「今心配する事ではないだろう」
「今現在の事を後回しにすると、手遅れになるかもよ」
「その話は追われながらすることか」
「死ぬ気が無いのなら、考える事じゃない?」
「…………ふん、もっともだ」
 言葉遊びは煩わしいが、狭まっていた視野が拓けたような気がした。今の会話はリーオレイス帝国軍人としても認める合理性がある。
 軽口を叩きながらも、かなり速い速度で駆け降りてきた。
 枯草色の林の中に突入してしばらく走ったところで、ようやく道が枝分かれしはじめた。ジノヴィにとっては帝国からはじめて南下してきた時に通った道だ。一切の迷いなく分岐を選んで進む。吹き上げる冷たい風が、俄かに霧のような雨に変わった。
「おい、雨を止ませることは出来ないか」
 ジノヴィは魔女が洪水を起こす話を思い出して、口をひらいた。黙って走っていると緊張する。
「え? ……ああ、そうね。アルヴァが冷えちゃうわね」
 彼女はジノヴィの背中で目を閉じたままのアルヴァをちらりとみた。ジノヴィはそこまで考えた訳では無かったが、そういわれれば、その通りだ。セトは運動が苦手のようだったが、この女性は軍人と遜色無い野外行動の慣れがあるようだ。
「ちょっと時間を貰うわ。すぐ合流するから構わずに先に進んでいて」
 涼しい声でそう言うと、彼女は風魔法を使ってあっというまに木々の向こうに飛び去ってしまった。
 ジノヴィはしまったと唇を噛んだ。あの女性はどうみても間違いなく、魔女だ。その気になれば、いつでも簡単にこの状況から姿を眩ますことができるということを見せつけられた。
 余計な口を叩いたなと後悔しても仕方ないが、アルヴァを担いだまま彼女を追うのは不可能だ。言葉通り、みずから合流してくれることを祈るしかない。




◇◇◇雨を降らせるなら、止ませることも出来る◇◇◇

 山林の上空から見晴らしの良い場所を探す。肌に触れる冷たい山風を感じつつ、じっとりと重くなってきた外套を傘にして左右を見回した。雨を止ませるなら雨雲を吹き飛ばしてしまえば一瞬だが、そんな派手は事をするつもりはない。
 枝道から少し東に外れた林の中に石柱群をみつけて、その上に降り立った。
 倒れかかった柱の表面は雨風にさらされて風化が進んでいる。
 ざっとその周辺を見渡すと、荒廃しているものの、ちょっとした規模の建物があったことを窺わせる。どういう遺跡なのか、この地域のことはよく知らない。おそらくリーオレイス帝国とリュディア帝国の狭間で滅んでいったものだろう。
「フェイって、本当に――。 あぁ。私の方が長く生きすぎてるものね……」
 声が小さく零れ落ちる。すうっと空に翳した手は細く、雨水が滴っていく。
 ――世界を洪水と魔物を使って縛り上げはしたけれど、最初からそれを望んだ訳じゃなかった。ただ待っていた。幾億もの夜を越えて、星が、降るのを――。
『―――天と地の間に白龍はあり 恵みの土地はうるおい満たされた。空の水。いのちの水。陽光と共にこの地に芽吹く。 ―――白龍よ。法則のもと 啓晴をもたらさんことを』
 翳した手の彼方から、霧のような雨が消え始めていく。
 山肌を流れていた雨雲が一気に風に流れ、頭上を中心にして太陽の白い輝きが差してきた。雨上がりの空気の中で、一気に差し込んでくる暖かい光。山林の果ての方まで晴れ間が広がっていくのを見つめてから、大きく息を吸って、吐く。
 初冬の雨に冷えた身体の芯には、嬉しい暖かさだ。ついでに濡れて重くなった外套も水魔法で水気を切った。
「――――っ」
 突然、左胸の奥が掴まれたような痛みにおそわれた。思い当たる事はひとつ。
「ティユ。適当なところで、戻っておいで……。魔女探しも、案外馬鹿にできないわね」 
 すっと痛みが引いていく。羽根蛇の実体が空中に掻き消えて、風に乗って身体のまわりに帰ってきた。おそらく戦っていた人間からは、倒して霧散したように見えただろう。
 それにしても、と目を上げた。冬枯れ色の森林のなかで石柱がいくつも横たわる遺跡。
 すべてが雨上がりの白い光にきらめいて、芸術的な風景を作り出している。
「あー、綺麗」
 トンと立っていた柱の下の方に降りて、そこに背を預けた。
 ……もうちょっとだけ、のんびりと眠りたい。少しくらい眠ったって、なんとかなるだろう。ぼうっと気持ちを泳がせて、ゆるやかな寝息を立て始めた。



 ジノヴィは迅速に砦町へ辿り着くことが出来た。あのあとすぐに雨が上がり、アルヴァも目を覚ましたおかげだ。
 少し警戒しつつ門番の兵に通過を申し出たが、特に咎められる事もなく町に入る事ができた。魔女探し達の影響力がここにまでは行き渡っていない事に感謝しつつ、改めて追手の先鋒があの羽根蛇に足止めされたであろうことを実感する。レギナは心配だが、今それを気にしても仕方無い。
「アルヴァ、大丈夫か」
「…………ジノヴィさんこそ」
 ふたりとも、大きく疲弊していた。 
 取り敢えず砦町に入ったまではいいが、宿屋など旅人が身を寄せる場所は魔女探しにすぐ発見されるだろう。そっと覗いた武器屋には使えそうな剣が無く、鍛冶屋に入って修理を依頼した。さっさと通り過ぎてこのまま先へ進みたい状況だが、魔女をおいていく訳にもいかない。それに山頂でのあの羽根蛇の硬さに、ジノヴィの剣の刀身が大きく毀れていた。多めのルデスを掴ませて依頼した刃毀れの修理を鍛冶屋の隅で待つ。いつ魔女探し達がここに来るか分からない状況で、剣が手元に無い状態でいる訳にはいかない。
「あの状況だと、魔女を庇って矢を受けたんだな。逃げるように言った筈なんだが」
 確かめるように慎重に問いかけたジノヴィの重苦しい迫力に、アルヴァは身を竦ませる。それをみて、ジノヴィは少し声を和らげた。
「責めているのではない。ただ、魔女の身が危険に晒された時、どうして体を張って庇おうとする? 最初に会った時もそうだっただろう」
「えっと………何か、すごく大切な感じがするんです。特に危険な時には絶対に守らなきゃ駄目だって……」
「……催眠術に掛かっているんじゃないかと俺は思うんだが。そもそも雰囲気とやらが、魔法やら術やらの類とはいえないか? には魔法の才能が無いから判断出来ないんだが」
「強い魔力と大切な感じは、全然別ですよ。………あ、痛くてそれどころじゃなかったけど、本当に女の人になったときは、気絶するほどびっくりしました」
「気絶して俺に担がれていただろう」
 何故か少し嬉しそうなアルヴァに、ジノヴィもつられて小さく笑った。
 実際、思ってみれば狂喜しても良いだろう。今まで三百年も世の魔女探し達が探し出せなかったその本人を、掴んで引っ張って来たのだ。ここまでの経緯だけを語ってみても、感嘆に値する。
「それにしてもこんな状況じゃ、セトさんが見つけてくれるより先に、追手に見つかりそうです…………」
 笑顔に涙を滲ませて、アルヴァは急いで目を擦った。やはり小さな少年の肩には、この任務は重すぎるか。
 ……いや、どうして俺がそんな心配をする必要がある。
 ジノヴィは首を振った。いままで他人の心情を想定して利用することはあっても、心配して解決策を考えるということはしてこなかった。それは、他の誰かがすることだ。
「彼女と追っ手のどちらと先に接触するにしても、合流後の動線は押さえておこう」
「どうするんですか?」
「リーオレイス帝国側へ緊急の連絡鳥を飛ばす。無事に湖へ着いても船に乗れなければ追い詰められるだけだ。剣が直ったら次に行くのは雑貨屋だな」
 この町の教会も連絡鳥は所有しているだろうが、魔女探しと鉢合わせになる可能性が高い。となれば、連絡鳥は民間人が利用する雑貨屋で借りるしかない。
 二人は鍛冶屋から研ぎ直した剣を受け取って、周囲を窺いながらそっと通りへ出た。
 大通りを避けて細い路地を移動する。冬枯れたように殺風景な町だ。砦町として造られたものの、戦いが無ければそこに町がある意義はない。国交が活発であれば栄えるだろうが、停戦したというだけで友好的な条約を結んだ訳でもなく、商業交流もほとんど無い。むしろ、300年間よく残っていた町だ。
「――雑貨屋に、パンあるかな」
 アルヴァの顔が白い事に、その小さな呟きでようやく気付いた。
 大人の軍人ですら疲れを感じているのだ。山道も平気な顔で歩いていると思って油断していた。
「早く言え。我慢と忍耐は違う」



「うーん…………」
 完全装備の遺跡発掘家は、しばらく石柱の前をうろうろしながら頭を掻いていた。
 やがて大きく白い息をついてから、石柱にもたれて眠る占い師の無防備な寝顔を軽く叩く。ゆっくりと目を開けた茶色の瞳に、緑の瞳をもつ精悍な顔が映った。
「あれ……シェナ?」
 遺跡発掘家としての装備に身をかためた彼女は、精悍な顔で真剣な表情を浮かべていると一寸した迫力がある。それより、さっきまで山頂にいた筈なのだが……。あの混乱の中で気絶したのだろうか。
「セト、あんたは今からボクの拾得物だからね。先に言っておくけど」
「…………は、えっ?」
 謎しかない言葉に、声が裏返った。裏返った自分の声なんて初めて聞いた気がする。
「魔女探し達が躍起になってあんた達を追いかけたのは耳に入ってるけど、どーしてこんな場所で昼寝してるの? ジノヴィといいセトといい、もうちょっと寝る場所くらい選びなよ」
 怒っているのか困っているのか。シェナは軽口を叩きながらぐしゃぐしゃと短い金髪をかきまわした。
「大体、あんな凄い魔法が使えるんだったら、もう全然別のところに逃げちゃえば良いじゃない。ジノヴィの仕事に付き合ってくれって言ったのはボクだけど、まさか魔女探し達が本気で追いかけてくるなんて思わなかったし……。あ。それで、今、あんたはボクの拾得物なんだからね?」
 シェナの言葉がなんだかよくわからない。少し混乱しながら言葉を探しているようにも感じる。まくしたてるような謎発言に、首を傾けながらとりあえず適当に頷いてみる。
 それにしても、記憶が抜けている間にどうやら魔法を使った事になったらしい。
 ぼうっとしているセトをみて、シェナは少し息を整えてから笑顔を浮かべた。
「ジノヴィに高値で引き取って貰うまで、魔女探しに捕まっちゃ駄目だよ」
 拾得物というのは、そういうことか。彼女はすがすがしいまでに嬉しそうだ。……そういえばここ数日ずっと女性と会話をしていない。
「シェナ、色々聞きたい事があるんだけど、まず、ひとついいかな」
「お、何? 喋り方がジノヴィに似てきたね」
 シェナが興味深そうに顔を覗き込んでくる。そういえば、少し理詰めっぽい言い回しかも知れない。
 少しだけ悔しい気もするが、自分が変わるのも面白そうだと思っていたのだから、嫌ではない。
 でも、次の言葉で、あの軍人の印象を吹き飛ばす。
「シェナってさ、かなり可愛いよね」
 ふわりと笑ってみせる。
 不意を突かれたシェナは、目を開いて言葉を失った。
「なっ……何言ってんの?」
「思った事を」
 ジノヴィとの類似点は吹き飛んだだろう。
「それで、君はどうしてここにいるんだい? サルディスの街からは結構遠いし。それと、ここは何処だろう。さっき僕が魔法を使ったって言ってたけど、山頂からここまで、何も覚えてないんだよね。ジノヴィ達は、何処に行ったんだろう?」
「……山頂から記憶がないって?」
「魔女探しに攻撃された所までは覚えてるんだけど。あの状況からどうやって逃げたのかな。やっぱり疲れすぎて気絶してジノヴィに運ばれてきたのかな? でも、それにしても二人ともいないし……。君は、ジノヴィとアルヴァがどこに行ったか知ってる?」
 シェナも首を傾けて難しい顔になる。
「ボクがここにいるのは、遺跡発掘の為だよ。サルディスの近隣は荒らし……じゃなくて掘り尽くしたから場所を変えようと思ってね。サルディスでジノヴィの顔を久しぶりに見て、この地方の遺跡なら未掘が多そうだなって思いついたんだ。そんで昼間からこの辺りで活動してたんだけど……雨降ってきたから休んでたら、人が飛んで来てこの柱にとまったんだよ。遠かったからよく見えなかったんだけど、魔法っぽいので雨が上がって、近づいてみたら、アンタが昼寝してたの。他の誰かはいなかったよ」
「え? 僕が自分で飛んで来て魔法で雨を止ませたって事かい? 確かに使えるのは風魔法だけど……」
「実は本当に魔女なんじゃない?」
「僕は男だし、そんな魔法使えないよ。別の人じゃないかな。……っていうことは、その人に助けられた、とか? それにしても、どうして一人で……」
「ジノヴィが魔女探し相手にやられるとは思えないなぁ。無事なら次の砦町に行く筈だよね。どっちにしても今のボクの拠点もそこだから、一緒に町に向かおうか」
 この時期は日が傾き始めると夕方になっていくのが早い。移動するなら早くした方が良いだろう。冷たい風に寝冷えでもしたか、急に身体の芯が冷えているのに気付いて外套を掻き抱いた。小さくくしゃみをして、シェナに笑われる。
「かなり可愛気があるのは、セトだなっ」
 彼女の小気味よさは、今まで出会った誰よりも爽やかだ。

 シェナの迷いない道案内により、朽ちた道の跡を掻き分けて歩いていくと、砦町の横に辿り着いた。
 砦町の門では無くて壁沿いに辿り着いた訳だが、彼女は当然のように袖の中から出した細い鋼鉄の糸を外壁に引っ掛けて、ポンと地面を蹴り、壁を軽々と登っていく。
「えっと、ちょっと待って。僕はそういう曲芸は出来ないよ」
「風の魔法使……あ、そんなに使えないのか。んー、やってみたら意外と出来たりして?」
 確かに自分に使える魔法は風系統だが、ごく簡単の詠唱しか成功したことがない。ここまで来る途中、馬車の中では練習できるような空気ではなかった。でも確かに、試してみるに越したことはない。ひとつ息を整えて、スティアの詠唱を真似てみる。
『風よ 我が足となり 意に従え』
 詠唱が重いと感じるのは、修練不足だからだろう。
 今まで成功したものは簡易魔法程度だったから、魔力を使う神経が急に疲れる。なんとか小さく風が集まって足と地面の間に隙間ができた。が、上昇するとか動くとか高度な操作までは続かない。と、スルッと降りてきたシェナに腕を掴まれて、引き上げられる。心地良い浮遊感とともに、軽くなった身体が壁の上にポンと到着した。
「ふふ、浮いてるってだけで、色々応用がきくもんだね」
「――そうだね。ありがとう」
 素直に笑って、シェナの顔を覗き込む。夕焼けの色が精悍な顔立ちに華を添えて、間近にあった。
 彼女は少し何かを言いかけたが、きゅ、と口をむすんだ。かわりに眼下の屋根に顔を向ける。
「この辺りは寂れているけど住宅地の裏だよ。とりあえずセトはボクの拠点に隠れてな。顔が割れているなら見付かると面倒くさいし」
 壁の内側は外よりも地面が近い。シェナは道具も使わずぽんと飛び降りた。
 それを真似したついでに、もう一度魔法を詠唱してみると、少しだけ軽やかに着地が出来る。
「はは、ボクについてくると、魔法が上手になりそうだね。でも身体がなまるよ」
「君の運動能力が高いと思うんだけど……。遺跡発掘家って、皆あんな鋼糸で身軽に動けるのかい? もっと地味な仕事かと思ってた」
「ま、発掘は一面だから。魔物が出る遺跡もあるし、収入的に忍びこむのは現役の豪邸だったりもする訳よ。そのときの獲物はモノじゃなくて、情報だけどね」
 シェナはさらりと犯罪色をにおわせながら、こだわるふうでもなく路地の先を急ぐ。夕焼けの褐色に包まれた石壁が美しい。目の前を走るシェナの切れのある動作も、見ていて気持ち良いと感じる。

 路地の隙間のような空間の奥に、彼女の拠点があった。拠点にしてまだ日が浅い筈なのに、足の踏み場が無いほど散らかった部屋は、どこか男っぽさをおもわせる。適当に寛げと言われても、身の置き所がない。
「じゃあ、ボクはジノヴィを探してくる。大人しく待っててよね」
 すぐにでも出て行こうとしたシェナの背中に思わず手を伸ばす。しかしセトが口を開くより彼女の喋る速度は速い。
「あ、いない隙にボクの私物とらないでよね」
「え? いや、そんなことしないよ。でも少し整理整頓してもいいかな。どこに座ったら良いかもわからないし」
「あー、座る所は適当に作って。じゃあ行ってくる」
 改めて慌しく走って行ったシェナを見送って、セトは走ってきた息を整えてから、腕を捲った。
 部屋中至る所にがらくたなのか収集物なのか分からないものが散らかっている。とにかくどこかに座る為にも、足元から片付けよう。


◇◇◇遺跡発掘家の本領◇◇◇

 閑散とした砦町の雑貨屋。積みあがった日用品の商品棚には埃が舞い、あまり流行っているふうでもない。それでもこの街に住んでいる人間にとっては必要な店らしく、よく売れるものだけが埃を被らず店先に並んでいる。
 その奥に飼われていた連絡鳥の数は、少なかった。閉店の札がかかっているこの店に無理矢理入って見つけたのは、レギナだった。店員に金を掴ませて少ない連絡鳥を独占し、雑貨屋の奥に息を潜めていた周到さは流石というべきだろう。ジノヴィにとっては、後方支援しつつ先手を打つ相棒がこのうえなく頼もしい。
 だが、彼女は左腕を負傷して、蒼白な顔色で買収した店主の手当をうけていた。
「無事で何より。ジノヴィ。教会の連絡鳥も先に全部押さえておいたわ。魔女探し連中に状況報告とかされて、面倒な事になるのは、少なくとも後回しにできた筈よ」
「レギナ。助かった…………後の事は任せて、ゆっくり休んでくれ」
 ジノヴィの気遣いに、レギナは考えこむように黙ってから、小さく頷いた。
 彼女はこの状況で自分が休むことを想定していなかったようだが、無理をしすぎていざというときに動けなくなっては困るという意図だと受け取ったようだ。雑貨屋の店主も、手当が終わるとレギナに簡易な寝床を用意してくれた。
「一体、どういう旅をしているんだね、リーオレイスの軍人さんと、退魔師の子どもとは…………」
「あの、突然押しかけて、迷惑をかけてごめんなさい」
 平謝りのアルヴァの腹が、ぐう、と音をたてる。 
「入るよ、おじさん――」
 突然裏口から声がかかり、店主の許可を待たずに扉をバン開けてきた人間がいる。
 店の表からは分からないように座っていたアルヴァ達だったが、裏口からは丸見えだ。遠慮なく踏み込んできた人間の足が、その異色の光景にぴたりと止まる。
「シェナ! ちょっと今は困るよ、お前さんは本当に遠慮が無いな」
「店主、いつも悪いね。でも今回はそれでよかったみたいだ」
 あわてた店主を無視して、彼女はまっすぐにジノヴィにむかった。
「探すまでもなくこんな所にいるとは、都合の良い奴だね、アンタも」
「お前……。今度は、何を目論んで来たんだ? エセ発掘家が。裏に誰がいる。お前がこんな金の臭いのしない場所に無計画にいるわけが無いぞ」
 突然の顔見知りの乱入に、静かに驚いたジノヴィの口が滑らかになった。皮肉な言葉とは逆に、少しほっとした息だ。
「失礼な奴だな。そりゃ街にはないけど郊外は未掘の宝庫だよ。…………それよりアンタ達、凄い顔色なんですケド。特にそこの少年、大丈夫?」
 シェナにそう言われてペタリと床に座り込んだアルヴァの口から、小さく声が零れる。
「おなかすいた…………」
「なんだよかった、怪我してる訳じゃないんだね。ちょっと店主、こんな小さい子にお茶菓子も何も出さないとか、そんなことないよね? 商売は信頼が一番だもんね」
「お、おう。ちょっと待ってろ」
 店主が棚に保存していた乾燥果実の焼き菓子をいそいで出してくる。アルヴァはそれを貰うと、食べながらレギナの横で眠ってしまった。相当に疲れていたのだろう。店主には追加で口止めの金を掴ませて、店の営業に戻って貰う。雑貨屋が閉まっていると、シェナのように魔女探し達が裏口からでも入ってくる可能性があるかもしれない。
「どんな情報がどこまで広がっているのか分らないが、シェナは魔女探し達の暴走を知らないのか?」
「情報屋をなめんじゃないよ。勿論知ってるさ。一般人には何が起こってるか分らないだろうね。魔女探しがいきなり特定の村を焼き払って、北上してるんだから。…………いちいち教会に魔女見つけたとか知らせずに帝国に向かっていれば良かったかもね。決まり事をきちんと守ることが良い結果になるとは限らないよ……って、リーオレイス人のアンタに言っても仕方ないけどさ」
「決まり事か。ああ、そうだな。別に……死体を持ち帰っても、良かったのかもな」
「…………なに、それ」
「そうだろう。それなら魔女探し達だって納得だろうし、魔女を逃がす事もなくなる。それで俺の任務も完了だ」
「セトが魔女じゃなかったらどうすんだよ、結局改めて魔女が出てきたときまずい事になるのはアンタじゃないか」
「…………珍しく優しい事を言うな。俺もそんなに顔色が悪いのか。気持ち悪いぞ」
 話を逸らすジノヴィの方が珍しいと思いつつも、シェナは言葉を飲み込んだ。実際、ここにいる全員、冗談抜きで顔色も機嫌も悪い。おそらくセトとはぐれている状況が精神的に堪えているのだろう。
 シェナは不安気な顔で店先を守っていた店主に追加で小金を掴ませて、緘口を念押しした。
 ――今は、セトと合流させないほうが良い。人は追い詰められた状況ではロクな事をしない。相手は帝国軍人だ。シェナの手にはあまる。

 外へ出て街の様子を窺うと、魔女探し達も村を焼いた時の勢いが落ち、広場に集合した後はそれぞれ自由に休んでいるようだ。再び見失った目標物に、どこか疲労の色が滲んでいる。
 ばらばらに行動されると、ジノヴィ達が発見される可能性が上がるんじゃないかと心配になる。この集団を誰が指揮しているのか知らないが、意図しての事だとしたら、結構な戦略家だ。
 ここ数日で馴染んだ酒場にも、珍しく活気のある喧騒が聞こえてきていた。シェナはその裏口を叩いて戦場と化している厨房に顔を出す。
「こんばんわ、珍しく忙しそうだね」
「シェナか。今日はゆっくり遺跡の話は出来ないよ。すまんね」
 のんびりとした口調だが、効率を極めた素早さで注文を捌く店長の動作には、職人技を感じる。
 シェナはその隣にひょいと入り込んで、腕をまくった。
「洗い物くらい手伝うよ。厨房一人じゃ追いつかないでしょ」
「本当かい。助かるよ。今度飲むときにお礼するから、よろしくな」
 食器と流水と調理の音を意識から切り離して、客席に耳を澄ませる。追手の魔女探し達は、もともと自由奔放なリュディア王国の人間が多いし、酒場では口が軽い。どうやら中央の円卓に話題の中心があるのをみて、空になった食器を取りに出る。カウンターの中から出てきたシェナを制止する者はない。
 いつもは閑散とした酒場を賑わせているのは、ほとんど剣を帯びた魔女探しの男達だ。
 どんな大所帯でも、飲食に集まればある程度の少人数での会話になる。全体的な様子からみると、集結はしているが、盗賊のように陰険な気配はなくて話題にもばらつきがあり、来ている旅装も統一感がない。もしかしたら本当に指揮系統がなくて、街に着くやバラバラに散ったのかも知れない。さりげなく一人一人の様子を観たが、縦の繋がりを感じ取る事はなかった。
 シェナは少しほっとして回収した食器を抱えてカウンターに戻る。途中で声をかけられた。手の中に積み上げた食器をぐらつかせながら、声の主に目をむける。
「ボクは注文取りじゃないんで。あの子に言ってくれます?」
「水が欲しいだけなんだが」
 細身の青年と目が合って、一瞬、背筋が寒くなった。
 全身黒色の旅装で。人数の少ない集団の端にいたので気付かなかったが、切れのある片目の視線は、まるで、シェナの行動目的を看破しているようだ。
「水だけ? お客さん、あんま飲んでなくないですかぁ?」
 わざとふざけた声をあげる。彼の手元には大して食べる気の無さそうなスープがひとつ殆ど残した状態であるだけだ。
「なら、君に一杯。皿を置いて来るといい」
「マジッすか! いただきます! 店長! ちょっと売り上げに貢献してくるよ!」
 タダ酒に迷わず乗って、山と積まれた食器をカウンターの中に放置する。店主のゆるやかな笑顔を尻目に、自分でワインの瓶とグラスを掴んで客席にすとんと座った。誘った彼の周囲の驚きを無視して、グラスになみなみと2人分のワインを注いで黒い青年に片方を持たせる。自分も片方を持ち強引に乾杯させた。
「旨い一杯、ありがたくいただきま~す!」
 一口飲むと、仕方無さそうに小さく笑った彼より周囲の人間のほうが、わっと笑う。
「リース、お前こういう子が好みだったのか?!」
「道理で浮いた話題のひとつもしない奴だと思った。まぁ、アリだよな。可愛いじゃん!」
「ちがう。頼むから静かにしてろ」
 物静かそうな青年が周囲を睨みつける。周囲もはいはいと冷やかしつつ話題の中心から外してくれた。最初から端にいたから、うまくふたりだけになる。
「ふーん、皆アンタの言う事素直に聞くんだね。てか剣持って無くない? 強いの?」
「お前もだ。仕込み武器を装備したまま客席をうろつく店員があるか。何が狙いだ」
 まわりの魔女探しと違う、熱っぽさを感じさせない静かな問いは、逆に、凄みがある。
「そりゃ遺跡発掘家だからね。馴染みの店だから手伝ってんのさ。それより、これ皆魔女探しの連中だよね。ここ田舎町だからさ、いきなり町に押し寄せてきたみたいだけど、なんなの? どうやって纏まってるわけ?」
 喋りつつ相手をじっと見る。長く伸ばした前髪で右目を隠しているのは戦闘にも何をするにしても邪魔じゃないだろうかと思う。そのかわり左目の鋭利な輝きは、油断できない。
「見ての通り纏まりの無い集団だ。子供が一番を狙って宝探しをしているようなものだな。互いが得た情報共有すら、駆け引き状態だ。あきれたものだろう」
「でも皆、アンタには少し遠慮してるよね。普通、リュディア人なら、さっきみたいに大人しく引き下がらないよ。リースっていったっけ。アンタが何となく纏めてんじゃない?」
「買いかぶりだな。さっき偶然でかい蛇の魔物を倒した所を見られたから、多少持ち上げられてるだけだ。こんな奴ら、纏めようったって纏まるか」
 小さく息をついて渡したグラスを口に運ぶ彼は、どこかジノヴィと似た真面目さをにおわせる。彼の黒い髪と瞳は南の国に多い色だが、育ちはもしかするとリーオレイス帝国なのかもしれないなと思った。
 それにしても、指揮系統の整った集団ではなくてよかった。そう思って改めてグラスを空ける。新しく机に積み上がった空き皿を持って席を立った。
「ごちそーさま。店長が死んじゃうから手伝いに戻るよっ」
 背を向けた途端、上着の端を捕まえたリースの言葉に、ひやりとした。
「情報は、交換するものだぞ。何を隠している? ……酒一杯では足りないか」
 ……皆が必死で探している人間を隠しているなんて言える訳が無い。大金を貰っても自分の拠点においてきたセトを売り渡す気にはなれなかった。拠点が荒らされるのも嫌だし、あの無害の塊みたいなヤツが殺されるのも、見たくない。
 しかし、一瞬思考を巡らせたのを、リースは見逃してはいない。情報屋業も見抜かれているところをみると、下手な嘘は命取りだ。
「ボク、耳が良いからさ。君達が村ひとつ焼いたって聞いてたから心配で様子を見に来たんだ。拠点がちゃんと無いと、発掘って結構大変なんだよね。荷物が沢山出るから。ボクにとっては君達が町を壊さなけりゃ良いさ」
 さっとリースの手をすり抜けて、調理場の中へ退避する。背に冷や汗を感じたのは、ちょっと久しぶりだ。
「何だい、もう飲まなくていいのかい」
「うん。このゴミまとめて外に出しとくよ」
 大袋にあふれた生ゴミを足で押し潰して袋の口を閉じて裏口から持ち出す。シェナはそのまま店の活気と扉一枚でお別れし、ゴミを放置して、暗闇となった路地を静かに走り出した。
 街に溢れていた魔女探し達も、どこか宿をみつけるか教会に身を寄せるかしたのだろう、外は夜の冷たい空気に包まれ、想定していたよりは静かだ。ふと教会にも様子を探りに行こうかと思ったが、リースに目を付けられた以上、あちこち下手に顔を出すのは危険だ。
 特に誰かが後をつけてくる様子がないのを何度も確認して、やっと帰路についた。


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 山道を歩くというより、これはほとんど登山というべきだ。足元に注意しながら必死にジノヴィの速さに合わせても、荒縄で擦れた手首が痛い。時間の経過と共に白い霧が薄れ、ふと背後をみると灰色の岩の荒涼とした景色が広がる。冷えた手を温めようと白い息を吐く。足が痛いのは随分前に訴えているが、軍人感覚の登山には休憩というものが無いらしい。
 ぐったりしながら漫然と歩いているうちに目の前の斜面が途切れ、少し平らになった地面を踏んだ。
 平然と背筋を伸ばすジノヴィに続いて、セトとアルヴァは地面に手をついてから目を上げた。登るべき斜面が見当たらない。どうやら山の頂上のような場所に辿り着いたようだ。上がった息を整えて、セトは手近な岩に座り込んだ。脚が重くてとても立っていられない。アルヴァは2人の傍をすり抜けて、少し先の高い岩に飛び乗って辺りを見渡した。
 霧のような雲が景色の切れ目から立ち昇って流れていく。
 麓の宿で冬仕様の防寒着を着込んだ時は少し暑いと思ったが、本当にこれを着てきてよかった。アルヴァは小さくくしゃみをしてから、来た方に向けて細身の剣を抜いた。 
 『光よ 影と幻に姿を移せ』
 一瞬、振った刀身が虹色の光沢の残像を描いてもときた坂道に満ちる。見たことのない魔法に驚いたのはジノヴィのほうだった。
「アルヴァ。今の魔法は?」
 剣を鞘に収めて岩から飛び降り、アルヴァは笑顔をみせた。
「幻覚魔法です。弓矢とか魔法の初撃をごまかせますよ。ちょっと休憩にしませんか?」
「いいね……僕はもう降り坂でも動けないよ。どうしても今行くなら、最初みたいに気絶させて運んで貰える?」
「そんな面倒は断る」
 セトに対してはずっと押し黙っていたジノヴィがようやく不機嫌な顔で即答し、手近な岩に腰をおろした。セトも繋がれた縄のせいで、その隣に一緒に座り直す。息ひとつ乱さずにここまで登ってきたジノヴィの体力は、いったいどうなっているのだろう。
 セトは少しだけ本気で気絶したくなってきた。
 今までは馬車での移動だったし、もと1日中座って仕事するような生活だったのだから、軍人や退魔士とは基礎体力に差がありすぎる。一切休憩も取らずここまで歩けた自分に驚いたくらいだ。アルヴァに手渡された水筒で喉を潤して、ささくれた気持ちが少し癒される。彼がいてくれて良かった。ジノヴィとの二人旅だったらと想像してみただけで、ぐったり疲れそうだ。
 ここまでの馬車旅で3人ともずっと黙っていた訳ではない。
 リーオレイス帝国がどんな国なのか、最近の辺境の治安、魔女探し達の動きの傾向。そういう旅人らしい話を色々と聞けたし、その話を通じてジノヴィが相当に硬い忠義で帝国に尽くしている事も感じ取る事ができた。
 セトからは他人の占いの内容を語る訳にもいかず、叔父が語っていた歴史の話をした。魔女が現れる前、この世界は戦争に満ちた戦乱の世の中だった。政治的な情報の遮断による地方の孤立と困窮。無規律に魔物が跋扈する中で、必要な時に必要な場所に物資と情報が行き届かないことは、悲惨な状況を招いていた。それに対して、現在は魔女が魔物を支配し、ある程度魔物の行動原理が明らかになっている状況だ。戦乱には魔物が発生し、戦争には魔女が洪水をもたらす。だからどの国家も軍事行動ができなくなっている。そんな状況が長期間続いている事で、国家間の情報確執が薄くなり、今や物資と情報が比較的自由に往来している。この話は叔父の主観が大きく入ってはいるけれど、大体史実どおりだ。
 アルヴァが好奇心いっぱいの目を輝かせていたおかげで、話題としては結構良かったのかなと思う。
 シルヴィス王子が言っていたように魔女は国や社会に繁栄をもたらしている。ただし自分への今の扱いを考えると、魔女を好きになれそうにはない。
 ゆるやかな馬車旅で沢山話をして、少しは打ち解けたように思ったのに。
 不機嫌なジノヴィを、片目でみる。レギナという仲間と合流できたのは良かったとは思う。けれどそれでまたセトへの態度がより冷えたものに変わるということは、リーオレイス帝国に辿り着いた後の状況が思いやられる。
 ふと視界の端で景色が揺れた。ヒュ、と空気を貫く音と共に、ほんの数歩先の地面にドドッと音を立てて矢が突き立った。驚いている暇もなく、グッとジノヴィに腕を掴まれ引き寄せられた。
「よくやったアルヴァ。逃げるぞ」
 ジノヴィが素早く大剣を抜き、セトの荒縄を離して背中を押す。突然の動きに転びかけたセトをアルヴァが支えて、急いで山頂の向こうへ駆け出した。――強烈な殺気が、もときた斜面から登ってきていた。
 魔女探し達がばらばらと山頂に姿を現す。
 さらに大人数が登ってくる喧噪が風に乗って流れてきた。よく今まで気配を消してものだと感心している場合ではない。
 ――戦場には魔物が出現するという原則がある。だがこんな小さな状況では、どうなのだろう?
 一瞬ジノヴィはそんな事を考えた。
 この世界の魔女の支配原則に従い、戦闘が発生した場所にはほぼ必ず魔物が現れ、その場をかき乱す。何度か小規模な戦闘でそれを見てきた感覚としては、魔物の出現は無さそうな気もする。が、どちらにしても、魔物が出現するような事態をあてにしてはいけない。
 アルヴァとセトが山頂のなだらかな斜面を降り始めたあたりで、追手がもといた場所まで迫ってきた。再び飛んできた矢をジノヴィが刀身で叩き落す。
「我がリーオレイス帝国を敵にまわすか!」
ジノヴィの怒号に、追手ばかりでなくアルヴァも一瞬身を竦ませた。空気が震える。朝からずっと抑え付けていた怒気を爆発させたのだろうか。しかし、相手の士気も負けてはいない。それはそうだろう。おそらくは何年も探し続けてきた魔女が、ほんの少しの距離に存在しているのだ。
「リーオレイスが魔女に味方する方がおかしいじゃないか! あんただって、魔女探しだろ?!」
 正義感に目を光らせた剣士が、一度は立ち止まった位置から再び距離を詰める。同時に弓士が射掛けてくる。剣士に続いて迫ってくる人間はざっと見て5人。ジノヴィとしてはこの人数でも負ける気はしない。が、それは守る人間がいなければの話だ。
 次々と飛んでくる矢を刀身で叩き落し、続いて剣士の渾身の一撃を止める。ブン、と相手の剣を弾き返す。
 しかし相手も負けてはいない。粘り強く受け身をとり、砂埃の中からダッと攻め込んでくる。
 思わぬ粘り強さに戸惑っている隙に、山頂に登ってきた魔女探しの数が増えた。
 ――殺さなくてはここを脱することはできないか。
 熱くなりかけた頭が、スッと冷えた。まずはこの剣士を切って捨てる。魔物と同じだ。相手を殺すのは簡単だ。生かしておこうとするから、苦戦するのだ。シュ、と剣士の首に刀身をすべらせる。確実にとらえた。
 ――が、鈍い衝撃とともに、手がとまる。
 黒い鱗。刃毀れするような嫌な感触が、手の中に響く。
 咄嗟に背後へ飛びずさり、距離を取って何が起きたのかを確認する。
 魔女探し達も足を止め、あわてて距離を取った。黒い鱗を纏ったその物体は、ザザアッと大きな身を豪快にうねらせる。
 蝙蝠のような羽のある、大蛇だ。
「魔物だ…………! こっちが先だっ!」
 魔女探し達も素早く標的を変更する。どう見ても人間同士で争っている場合ではない。
 うねるだけで黒の鱗がザザッと砂利を擦り、土埃を撒き散らす。土埃が目に入って涙で視力が妨害される。
 そのあまりの巨大さに、最初の一手となることに誰もが怯んだ。
「……戦争の火種となるなら、消えなさい」
 その場に、聞き覚えの無い、女の声が響いた。油断無く魔物と対峙していた男達が、吸い込まれるように、山岳の降り道へのほうへ視線を奪われる。
 おもわずジノヴィの口許が緩んだ。先に行かせたセトの居るべき場所に立つ、女の声の主。セトの面影を残した女性。その茶髪の奥から、緑色の瞳がつめたくきらめく。
 だがすぐに、彼女の前で力無く膝をついたアルヴァの背に矢が刺さっているのをみて、眉を顰めた。
「魔女…………!!」
 一気に、魔女探し達が、殺到した。
 突然の動きに、ジノヴィはばっと横に転がって突進を避けた。彼らの目にジノヴィはもう映っていない。手負いのアルヴァを助けることができない事態に唇を噛む。流石にリュディア王国が公認した人間を、こんな事で死なせる訳にはいかない。
 だが、ザアッという轟音とともに、空気が赤くなった。
 巨大な羽根蛇の歯牙がアルヴァの背後に迫っていた剣士の胴体を捕らえ、噛み千切ったのだ。そのまま後続の人間にも高速で牙をむく。黒い蛇の胴に、新鮮な赤い模様が描かれていく。闘志の声は、ほとんど一瞬のうちに食い千切られた。
 土埃の中に鮮血の臭いが充満する。
 流石にジノヴィも呆然と眺めているしかなかったが、羽根蛇と目が合って、はっと我に返る。持てる最速で後方に逃れる。次の瞬間もといた場所が大きく削れ、その石礫が肩を打った。
「ティユ。お終いで良いわ」
 茶髪の女の声に、ティユと呼ばれた羽蛇はシューと喉を鳴らして主の足元へ向かう。それから主人に懐くようにくるくる廻り、普通の蛇の大きさまで小さくなる。
 しんと静かになった山頂には、無残な死体が散乱している状況が残った。強大な魔物が好きなだけ暴れた景色は幾度も見てきたが、それでもこれは、ひどい。
「酷い? 自分の想いが自分に降り掛かった結果。他人をこうしたいと思う事は、全部自分にかえってくる。そうやって自分で身体を滅ぼしただけのこと。酷くない」
 思った事を見透かすような静かな声が、風の中でも、際立って耳に届いた。
 荒縄の痕をつけた右手が、アルヴァの背の矢尻に触れて白く輝く。軽く引く動作で食い込んだ矢が抜けて、アルヴァはそのまま崩れるように彼女の膝元に倒れこんだ。駆け寄り助けてやりたいが、その手前の累々たる死体を越えて行くには、脚が竦む。
 死体が恐ろしいのではない。体が動かない。
 …………彼女に斬りかかる事なら、できそうなのだが。
 躊躇っていられる時間はない。もときた山道から聞こえる音。レギナの魔法が第二陣の敵と交戦しながら近付いている。追ってきている魔女探しの規模はわからないが、いちいち相手をしている訳にはいかない。
 魔女もその物音に気付いて、右手を上げた。小さな大きさの羽蛇が頭上をすり抜けてその戦地へと飛び去る。
 ジノヴィは思い切ってアルヴァのもとへ駆け寄り、気絶している小さな身体の無事を確認して肩に担いだ。
 ふわりと、茶色の髪が視界の横で風になびく。
 ここ数日見慣れたセトの髪であることに変わりは無いが、その女性らしい容姿に、体が強張る。
「逃げようか? それとも、追いかけてきた邪魔者を、片付けてあげようか?」
 セトのように軽く首を傾げる仕草に、ぞっとする。
 馬車の中でも少し言葉遊びをするようなところがあった。ここで、下手な回答を出す訳にはいかない。
「前へ進む。目的地へ行く。それだけだ!」
 思い切り断言した自らの声に励まされて、その細い腕を引いた。
 彼女は特に抵抗する様子もなく、薄い笑みのまま急勾配の下り道を一緒に駆ける。
 セトと違って旅慣れた速度に難なく付いてくるその息遣いが、必要以上に、胸中のくすぶった感情をかき乱す。
 降り道は急勾配の階段のようになっていた。追ってくる魔女探しの視界から消えるには、もう少し先にある山林の中に入るのが良いだろう。だが、そこまでにはまだ少し距離がある。
「アルヴァの、外傷は治したけど」
 息を整えながら、傍らの女性が口を開く。
「お姉さんの安否とか国での立場とか、今までと変わった環境の不安は魔法じゃ治せないわ」
「今心配する事ではないだろう」
「今現在の事を後回しにすると、手遅れになるかもよ」
「その話は追われながらすることか」
「死ぬ気が無いのなら、考える事じゃない?」
「…………ふん、もっともだ」
 言葉遊びは煩わしいが、狭まっていた視野が拓けたような気がした。今の会話はリーオレイス帝国軍人としても認める合理性がある。
 軽口を叩きながらも、かなり速い速度で駆け降りてきた。
 枯草色の林の中に突入してしばらく走ったところで、ようやく道が枝分かれしはじめた。ジノヴィにとっては帝国からはじめて南下してきた時に通った道だ。一切の迷いなく分岐を選んで進む。吹き上げる冷たい風が、俄かに霧のような雨に変わった。
「おい、雨を止ませることは出来ないか」
 ジノヴィは魔女が洪水を起こす話を思い出して、口をひらいた。黙って走っていると緊張する。
「え? ……ああ、そうね。アルヴァが冷えちゃうわね」
 彼女はジノヴィの背中で目を閉じたままのアルヴァをちらりとみた。ジノヴィはそこまで考えた訳では無かったが、そういわれれば、その通りだ。セトは運動が苦手のようだったが、この女性は軍人と遜色無い野外行動の慣れがあるようだ。
「ちょっと時間を貰うわ。すぐ合流するから構わずに先に進んでいて」
 涼しい声でそう言うと、彼女は風魔法を使ってあっというまに木々の向こうに飛び去ってしまった。
 ジノヴィはしまったと唇を噛んだ。あの女性はどうみても間違いなく、魔女だ。その気になれば、いつでも簡単にこの状況から姿を眩ますことができるということを見せつけられた。
 余計な口を叩いたなと後悔しても仕方ないが、アルヴァを担いだまま彼女を追うのは不可能だ。言葉通り、みずから合流してくれることを祈るしかない。
◇◇◇雨を降らせるなら、止ませることも出来る◇◇◇
 山林の上空から見晴らしの良い場所を探す。肌に触れる冷たい山風を感じつつ、じっとりと重くなってきた外套を傘にして左右を見回した。雨を止ませるなら雨雲を吹き飛ばしてしまえば一瞬だが、そんな派手は事をするつもりはない。
 枝道から少し東に外れた林の中に石柱群をみつけて、その上に降り立った。
 倒れかかった柱の表面は雨風にさらされて風化が進んでいる。
 ざっとその周辺を見渡すと、荒廃しているものの、ちょっとした規模の建物があったことを窺わせる。どういう遺跡なのか、この地域のことはよく知らない。おそらくリーオレイス帝国とリュディア帝国の狭間で滅んでいったものだろう。
「フェイって、本当に――。 あぁ。私の方が長く生きすぎてるものね……」
 声が小さく零れ落ちる。すうっと空に翳した手は細く、雨水が滴っていく。
 ――世界を洪水と魔物を使って縛り上げはしたけれど、最初からそれを望んだ訳じゃなかった。ただ待っていた。幾億もの夜を越えて、星が、降るのを――。
『―――天と地の間に白龍はあり 恵みの土地はうるおい満たされた。空の水。いのちの水。陽光と共にこの地に芽吹く。 ―――白龍よ。法則のもと 啓晴をもたらさんことを』
 翳した手の彼方から、霧のような雨が消え始めていく。
 山肌を流れていた雨雲が一気に風に流れ、頭上を中心にして太陽の白い輝きが差してきた。雨上がりの空気の中で、一気に差し込んでくる暖かい光。山林の果ての方まで晴れ間が広がっていくのを見つめてから、大きく息を吸って、吐く。
 初冬の雨に冷えた身体の芯には、嬉しい暖かさだ。ついでに濡れて重くなった外套も水魔法で水気を切った。
「――――っ」
 突然、左胸の奥が掴まれたような痛みにおそわれた。思い当たる事はひとつ。
「ティユ。適当なところで、戻っておいで……。魔女探しも、案外馬鹿にできないわね」 
 すっと痛みが引いていく。羽根蛇の実体が空中に掻き消えて、風に乗って身体のまわりに帰ってきた。おそらく戦っていた人間からは、倒して霧散したように見えただろう。
 それにしても、と目を上げた。冬枯れ色の森林のなかで石柱がいくつも横たわる遺跡。
 すべてが雨上がりの白い光にきらめいて、芸術的な風景を作り出している。
「あー、綺麗」
 トンと立っていた柱の下の方に降りて、そこに背を預けた。
 ……もうちょっとだけ、のんびりと眠りたい。少しくらい眠ったって、なんとかなるだろう。ぼうっと気持ちを泳がせて、ゆるやかな寝息を立て始めた。
 ジノヴィは迅速に砦町へ辿り着くことが出来た。あのあとすぐに雨が上がり、アルヴァも目を覚ましたおかげだ。
 少し警戒しつつ門番の兵に通過を申し出たが、特に咎められる事もなく町に入る事ができた。魔女探し達の影響力がここにまでは行き渡っていない事に感謝しつつ、改めて追手の先鋒があの羽根蛇に足止めされたであろうことを実感する。レギナは心配だが、今それを気にしても仕方無い。
「アルヴァ、大丈夫か」
「…………ジノヴィさんこそ」
 ふたりとも、大きく疲弊していた。 
 取り敢えず砦町に入ったまではいいが、宿屋など旅人が身を寄せる場所は魔女探しにすぐ発見されるだろう。そっと覗いた武器屋には使えそうな剣が無く、鍛冶屋に入って修理を依頼した。さっさと通り過ぎてこのまま先へ進みたい状況だが、魔女をおいていく訳にもいかない。それに山頂でのあの羽根蛇の硬さに、ジノヴィの剣の刀身が大きく毀れていた。多めのルデスを掴ませて依頼した刃毀れの修理を鍛冶屋の隅で待つ。いつ魔女探し達がここに来るか分からない状況で、剣が手元に無い状態でいる訳にはいかない。
「あの状況だと、魔女を庇って矢を受けたんだな。逃げるように言った筈なんだが」
 確かめるように慎重に問いかけたジノヴィの重苦しい迫力に、アルヴァは身を竦ませる。それをみて、ジノヴィは少し声を和らげた。
「責めているのではない。ただ、魔女の身が危険に晒された時、どうして体を張って庇おうとする? 最初に会った時もそうだっただろう」
「えっと………何か、すごく大切な感じがするんです。特に危険な時には絶対に守らなきゃ駄目だって……」
「……催眠術に掛かっているんじゃないかと俺は思うんだが。そもそも雰囲気とやらが、魔法やら術やらの類とはいえないか? には魔法の才能が無いから判断出来ないんだが」
「強い魔力と大切な感じは、全然別ですよ。………あ、痛くてそれどころじゃなかったけど、本当に女の人になったときは、気絶するほどびっくりしました」
「気絶して俺に担がれていただろう」
 何故か少し嬉しそうなアルヴァに、ジノヴィもつられて小さく笑った。
 実際、思ってみれば狂喜しても良いだろう。今まで三百年も世の魔女探し達が探し出せなかったその本人を、掴んで引っ張って来たのだ。ここまでの経緯だけを語ってみても、感嘆に値する。
「それにしてもこんな状況じゃ、セトさんが見つけてくれるより先に、追手に見つかりそうです…………」
 笑顔に涙を滲ませて、アルヴァは急いで目を擦った。やはり小さな少年の肩には、この任務は重すぎるか。
 ……いや、どうして俺がそんな心配をする必要がある。
 ジノヴィは首を振った。いままで他人の心情を想定して利用することはあっても、心配して解決策を考えるということはしてこなかった。それは、他の誰かがすることだ。
「彼女と追っ手のどちらと先に接触するにしても、合流後の動線は押さえておこう」
「どうするんですか?」
「リーオレイス帝国側へ緊急の連絡鳥を飛ばす。無事に湖へ着いても船に乗れなければ追い詰められるだけだ。剣が直ったら次に行くのは雑貨屋だな」
 この町の教会も連絡鳥は所有しているだろうが、魔女探しと鉢合わせになる可能性が高い。となれば、連絡鳥は民間人が利用する雑貨屋で借りるしかない。
 二人は鍛冶屋から研ぎ直した剣を受け取って、周囲を窺いながらそっと通りへ出た。
 大通りを避けて細い路地を移動する。冬枯れたように殺風景な町だ。砦町として造られたものの、戦いが無ければそこに町がある意義はない。国交が活発であれば栄えるだろうが、停戦したというだけで友好的な条約を結んだ訳でもなく、商業交流もほとんど無い。むしろ、300年間よく残っていた町だ。
「――雑貨屋に、パンあるかな」
 アルヴァの顔が白い事に、その小さな呟きでようやく気付いた。
 大人の軍人ですら疲れを感じているのだ。山道も平気な顔で歩いていると思って油断していた。
「早く言え。我慢と忍耐は違う」
「うーん…………」
 完全装備の遺跡発掘家は、しばらく石柱の前をうろうろしながら頭を掻いていた。
 やがて大きく白い息をついてから、石柱にもたれて眠る占い師の無防備な寝顔を軽く叩く。ゆっくりと目を開けた茶色の瞳に、緑の瞳をもつ精悍な顔が映った。
「あれ……シェナ?」
 遺跡発掘家としての装備に身をかためた彼女は、精悍な顔で真剣な表情を浮かべていると一寸した迫力がある。それより、さっきまで山頂にいた筈なのだが……。あの混乱の中で気絶したのだろうか。
「セト、あんたは今からボクの拾得物だからね。先に言っておくけど」
「…………は、えっ?」
 謎しかない言葉に、声が裏返った。裏返った自分の声なんて初めて聞いた気がする。
「魔女探し達が躍起になってあんた達を追いかけたのは耳に入ってるけど、どーしてこんな場所で昼寝してるの? ジノヴィといいセトといい、もうちょっと寝る場所くらい選びなよ」
 怒っているのか困っているのか。シェナは軽口を叩きながらぐしゃぐしゃと短い金髪をかきまわした。
「大体、あんな凄い魔法が使えるんだったら、もう全然別のところに逃げちゃえば良いじゃない。ジノヴィの仕事に付き合ってくれって言ったのはボクだけど、まさか魔女探し達が本気で追いかけてくるなんて思わなかったし……。あ。それで、今、あんたはボクの拾得物なんだからね?」
 シェナの言葉がなんだかよくわからない。少し混乱しながら言葉を探しているようにも感じる。まくしたてるような謎発言に、首を傾けながらとりあえず適当に頷いてみる。
 それにしても、記憶が抜けている間にどうやら魔法を使った事になったらしい。
 ぼうっとしているセトをみて、シェナは少し息を整えてから笑顔を浮かべた。
「ジノヴィに高値で引き取って貰うまで、魔女探しに捕まっちゃ駄目だよ」
 拾得物というのは、そういうことか。彼女はすがすがしいまでに嬉しそうだ。……そういえばここ数日ずっと女性と会話をしていない。
「シェナ、色々聞きたい事があるんだけど、まず、ひとついいかな」
「お、何? 喋り方がジノヴィに似てきたね」
 シェナが興味深そうに顔を覗き込んでくる。そういえば、少し理詰めっぽい言い回しかも知れない。
 少しだけ悔しい気もするが、自分が変わるのも面白そうだと思っていたのだから、嫌ではない。
 でも、次の言葉で、あの軍人の印象を吹き飛ばす。
「シェナってさ、かなり可愛いよね」
 ふわりと笑ってみせる。
 不意を突かれたシェナは、目を開いて言葉を失った。
「なっ……何言ってんの?」
「思った事を」
 ジノヴィとの類似点は吹き飛んだだろう。
「それで、君はどうしてここにいるんだい? サルディスの街からは結構遠いし。それと、ここは何処だろう。さっき僕が魔法を使ったって言ってたけど、山頂からここまで、何も覚えてないんだよね。ジノヴィ達は、何処に行ったんだろう?」
「……山頂から記憶がないって?」
「魔女探しに攻撃された所までは覚えてるんだけど。あの状況からどうやって逃げたのかな。やっぱり疲れすぎて気絶してジノヴィに運ばれてきたのかな? でも、それにしても二人ともいないし……。君は、ジノヴィとアルヴァがどこに行ったか知ってる?」
 シェナも首を傾けて難しい顔になる。
「ボクがここにいるのは、遺跡発掘の為だよ。サルディスの近隣は荒らし……じゃなくて掘り尽くしたから場所を変えようと思ってね。サルディスでジノヴィの顔を久しぶりに見て、この地方の遺跡なら未掘が多そうだなって思いついたんだ。そんで昼間からこの辺りで活動してたんだけど……雨降ってきたから休んでたら、人が飛んで来てこの柱にとまったんだよ。遠かったからよく見えなかったんだけど、魔法っぽいので雨が上がって、近づいてみたら、アンタが昼寝してたの。他の誰かはいなかったよ」
「え? 僕が自分で飛んで来て魔法で雨を止ませたって事かい? 確かに使えるのは風魔法だけど……」
「実は本当に魔女なんじゃない?」
「僕は男だし、そんな魔法使えないよ。別の人じゃないかな。……っていうことは、その人に助けられた、とか? それにしても、どうして一人で……」
「ジノヴィが魔女探し相手にやられるとは思えないなぁ。無事なら次の砦町に行く筈だよね。どっちにしても今のボクの拠点もそこだから、一緒に町に向かおうか」
 この時期は日が傾き始めると夕方になっていくのが早い。移動するなら早くした方が良いだろう。冷たい風に寝冷えでもしたか、急に身体の芯が冷えているのに気付いて外套を掻き抱いた。小さくくしゃみをして、シェナに笑われる。
「かなり可愛気があるのは、セトだなっ」
 彼女の小気味よさは、今まで出会った誰よりも爽やかだ。
 シェナの迷いない道案内により、朽ちた道の跡を掻き分けて歩いていくと、砦町の横に辿り着いた。
 砦町の門では無くて壁沿いに辿り着いた訳だが、彼女は当然のように袖の中から出した細い鋼鉄の糸を外壁に引っ掛けて、ポンと地面を蹴り、壁を軽々と登っていく。
「えっと、ちょっと待って。僕はそういう曲芸は出来ないよ」
「風の魔法使……あ、そんなに使えないのか。んー、やってみたら意外と出来たりして?」
 確かに自分に使える魔法は風系統だが、ごく簡単の詠唱しか成功したことがない。ここまで来る途中、馬車の中では練習できるような空気ではなかった。でも確かに、試してみるに越したことはない。ひとつ息を整えて、スティアの詠唱を真似てみる。
『風よ 我が足となり 意に従え』
 詠唱が重いと感じるのは、修練不足だからだろう。
 今まで成功したものは簡易魔法程度だったから、魔力を使う神経が急に疲れる。なんとか小さく風が集まって足と地面の間に隙間ができた。が、上昇するとか動くとか高度な操作までは続かない。と、スルッと降りてきたシェナに腕を掴まれて、引き上げられる。心地良い浮遊感とともに、軽くなった身体が壁の上にポンと到着した。
「ふふ、浮いてるってだけで、色々応用がきくもんだね」
「――そうだね。ありがとう」
 素直に笑って、シェナの顔を覗き込む。夕焼けの色が精悍な顔立ちに華を添えて、間近にあった。
 彼女は少し何かを言いかけたが、きゅ、と口をむすんだ。かわりに眼下の屋根に顔を向ける。
「この辺りは寂れているけど住宅地の裏だよ。とりあえずセトはボクの拠点に隠れてな。顔が割れているなら見付かると面倒くさいし」
 壁の内側は外よりも地面が近い。シェナは道具も使わずぽんと飛び降りた。
 それを真似したついでに、もう一度魔法を詠唱してみると、少しだけ軽やかに着地が出来る。
「はは、ボクについてくると、魔法が上手になりそうだね。でも身体がなまるよ」
「君の運動能力が高いと思うんだけど……。遺跡発掘家って、皆あんな鋼糸で身軽に動けるのかい? もっと地味な仕事かと思ってた」
「ま、発掘は一面だから。魔物が出る遺跡もあるし、収入的に忍びこむのは現役の豪邸だったりもする訳よ。そのときの獲物はモノじゃなくて、情報だけどね」
 シェナはさらりと犯罪色をにおわせながら、こだわるふうでもなく路地の先を急ぐ。夕焼けの褐色に包まれた石壁が美しい。目の前を走るシェナの切れのある動作も、見ていて気持ち良いと感じる。
 路地の隙間のような空間の奥に、彼女の拠点があった。拠点にしてまだ日が浅い筈なのに、足の踏み場が無いほど散らかった部屋は、どこか男っぽさをおもわせる。適当に寛げと言われても、身の置き所がない。
「じゃあ、ボクはジノヴィを探してくる。大人しく待っててよね」
 すぐにでも出て行こうとしたシェナの背中に思わず手を伸ばす。しかしセトが口を開くより彼女の喋る速度は速い。
「あ、いない隙にボクの私物とらないでよね」
「え? いや、そんなことしないよ。でも少し整理整頓してもいいかな。どこに座ったら良いかもわからないし」
「あー、座る所は適当に作って。じゃあ行ってくる」
 改めて慌しく走って行ったシェナを見送って、セトは走ってきた息を整えてから、腕を捲った。
 部屋中至る所にがらくたなのか収集物なのか分からないものが散らかっている。とにかくどこかに座る為にも、足元から片付けよう。
◇◇◇遺跡発掘家の本領◇◇◇
 閑散とした砦町の雑貨屋。積みあがった日用品の商品棚には埃が舞い、あまり流行っているふうでもない。それでもこの街に住んでいる人間にとっては必要な店らしく、よく売れるものだけが埃を被らず店先に並んでいる。
 その奥に飼われていた連絡鳥の数は、少なかった。閉店の札がかかっているこの店に無理矢理入って見つけたのは、レギナだった。店員に金を掴ませて少ない連絡鳥を独占し、雑貨屋の奥に息を潜めていた周到さは流石というべきだろう。ジノヴィにとっては、後方支援しつつ先手を打つ相棒がこのうえなく頼もしい。
 だが、彼女は左腕を負傷して、蒼白な顔色で買収した店主の手当をうけていた。
「無事で何より。ジノヴィ。教会の連絡鳥も先に全部押さえておいたわ。魔女探し連中に状況報告とかされて、面倒な事になるのは、少なくとも後回しにできた筈よ」
「レギナ。助かった…………後の事は任せて、ゆっくり休んでくれ」
 ジノヴィの気遣いに、レギナは考えこむように黙ってから、小さく頷いた。
 彼女はこの状況で自分が休むことを想定していなかったようだが、無理をしすぎていざというときに動けなくなっては困るという意図だと受け取ったようだ。雑貨屋の店主も、手当が終わるとレギナに簡易な寝床を用意してくれた。
「一体、どういう旅をしているんだね、リーオレイスの軍人さんと、退魔師の子どもとは…………」
「あの、突然押しかけて、迷惑をかけてごめんなさい」
 平謝りのアルヴァの腹が、ぐう、と音をたてる。 
「入るよ、おじさん――」
 突然裏口から声がかかり、店主の許可を待たずに扉をバン開けてきた人間がいる。
 店の表からは分からないように座っていたアルヴァ達だったが、裏口からは丸見えだ。遠慮なく踏み込んできた人間の足が、その異色の光景にぴたりと止まる。
「シェナ! ちょっと今は困るよ、お前さんは本当に遠慮が無いな」
「店主、いつも悪いね。でも今回はそれでよかったみたいだ」
 あわてた店主を無視して、彼女はまっすぐにジノヴィにむかった。
「探すまでもなくこんな所にいるとは、都合の良い奴だね、アンタも」
「お前……。今度は、何を目論んで来たんだ? エセ発掘家が。裏に誰がいる。お前がこんな金の臭いのしない場所に無計画にいるわけが無いぞ」
 突然の顔見知りの乱入に、静かに驚いたジノヴィの口が滑らかになった。皮肉な言葉とは逆に、少しほっとした息だ。
「失礼な奴だな。そりゃ街にはないけど郊外は未掘の宝庫だよ。…………それよりアンタ達、凄い顔色なんですケド。特にそこの少年、大丈夫?」
 シェナにそう言われてペタリと床に座り込んだアルヴァの口から、小さく声が零れる。
「おなかすいた…………」
「なんだよかった、怪我してる訳じゃないんだね。ちょっと店主、こんな小さい子にお茶菓子も何も出さないとか、そんなことないよね? 商売は信頼が一番だもんね」
「お、おう。ちょっと待ってろ」
 店主が棚に保存していた乾燥果実の焼き菓子をいそいで出してくる。アルヴァはそれを貰うと、食べながらレギナの横で眠ってしまった。相当に疲れていたのだろう。店主には追加で口止めの金を掴ませて、店の営業に戻って貰う。雑貨屋が閉まっていると、シェナのように魔女探し達が裏口からでも入ってくる可能性があるかもしれない。
「どんな情報がどこまで広がっているのか分らないが、シェナは魔女探し達の暴走を知らないのか?」
「情報屋をなめんじゃないよ。勿論知ってるさ。一般人には何が起こってるか分らないだろうね。魔女探しがいきなり特定の村を焼き払って、北上してるんだから。…………いちいち教会に魔女見つけたとか知らせずに帝国に向かっていれば良かったかもね。決まり事をきちんと守ることが良い結果になるとは限らないよ……って、リーオレイス人のアンタに言っても仕方ないけどさ」
「決まり事か。ああ、そうだな。別に……死体を持ち帰っても、良かったのかもな」
「…………なに、それ」
「そうだろう。それなら魔女探し達だって納得だろうし、魔女を逃がす事もなくなる。それで俺の任務も完了だ」
「セトが魔女じゃなかったらどうすんだよ、結局改めて魔女が出てきたときまずい事になるのはアンタじゃないか」
「…………珍しく優しい事を言うな。俺もそんなに顔色が悪いのか。気持ち悪いぞ」
 話を逸らすジノヴィの方が珍しいと思いつつも、シェナは言葉を飲み込んだ。実際、ここにいる全員、冗談抜きで顔色も機嫌も悪い。おそらくセトとはぐれている状況が精神的に堪えているのだろう。
 シェナは不安気な顔で店先を守っていた店主に追加で小金を掴ませて、緘口を念押しした。
 ――今は、セトと合流させないほうが良い。人は追い詰められた状況ではロクな事をしない。相手は帝国軍人だ。シェナの手にはあまる。
 外へ出て街の様子を窺うと、魔女探し達も村を焼いた時の勢いが落ち、広場に集合した後はそれぞれ自由に休んでいるようだ。再び見失った目標物に、どこか疲労の色が滲んでいる。
 ばらばらに行動されると、ジノヴィ達が発見される可能性が上がるんじゃないかと心配になる。この集団を誰が指揮しているのか知らないが、意図しての事だとしたら、結構な戦略家だ。
 ここ数日で馴染んだ酒場にも、珍しく活気のある喧騒が聞こえてきていた。シェナはその裏口を叩いて戦場と化している厨房に顔を出す。
「こんばんわ、珍しく忙しそうだね」
「シェナか。今日はゆっくり遺跡の話は出来ないよ。すまんね」
 のんびりとした口調だが、効率を極めた素早さで注文を捌く店長の動作には、職人技を感じる。
 シェナはその隣にひょいと入り込んで、腕をまくった。
「洗い物くらい手伝うよ。厨房一人じゃ追いつかないでしょ」
「本当かい。助かるよ。今度飲むときにお礼するから、よろしくな」
 食器と流水と調理の音を意識から切り離して、客席に耳を澄ませる。追手の魔女探し達は、もともと自由奔放なリュディア王国の人間が多いし、酒場では口が軽い。どうやら中央の円卓に話題の中心があるのをみて、空になった食器を取りに出る。カウンターの中から出てきたシェナを制止する者はない。
 いつもは閑散とした酒場を賑わせているのは、ほとんど剣を帯びた魔女探しの男達だ。
 どんな大所帯でも、飲食に集まればある程度の少人数での会話になる。全体的な様子からみると、集結はしているが、盗賊のように陰険な気配はなくて話題にもばらつきがあり、来ている旅装も統一感がない。もしかしたら本当に指揮系統がなくて、街に着くやバラバラに散ったのかも知れない。さりげなく一人一人の様子を観たが、縦の繋がりを感じ取る事はなかった。
 シェナは少しほっとして回収した食器を抱えてカウンターに戻る。途中で声をかけられた。手の中に積み上げた食器をぐらつかせながら、声の主に目をむける。
「ボクは注文取りじゃないんで。あの子に言ってくれます?」
「水が欲しいだけなんだが」
 細身の青年と目が合って、一瞬、背筋が寒くなった。
 全身黒色の旅装で。人数の少ない集団の端にいたので気付かなかったが、切れのある片目の視線は、まるで、シェナの行動目的を看破しているようだ。
「水だけ? お客さん、あんま飲んでなくないですかぁ?」
 わざとふざけた声をあげる。彼の手元には大して食べる気の無さそうなスープがひとつ殆ど残した状態であるだけだ。
「なら、君に一杯。皿を置いて来るといい」
「マジッすか! いただきます! 店長! ちょっと売り上げに貢献してくるよ!」
 タダ酒に迷わず乗って、山と積まれた食器をカウンターの中に放置する。店主のゆるやかな笑顔を尻目に、自分でワインの瓶とグラスを掴んで客席にすとんと座った。誘った彼の周囲の驚きを無視して、グラスになみなみと2人分のワインを注いで黒い青年に片方を持たせる。自分も片方を持ち強引に乾杯させた。
「旨い一杯、ありがたくいただきま~す!」
 一口飲むと、仕方無さそうに小さく笑った彼より周囲の人間のほうが、わっと笑う。
「リース、お前こういう子が好みだったのか?!」
「道理で浮いた話題のひとつもしない奴だと思った。まぁ、アリだよな。可愛いじゃん!」
「ちがう。頼むから静かにしてろ」
 物静かそうな青年が周囲を睨みつける。周囲もはいはいと冷やかしつつ話題の中心から外してくれた。最初から端にいたから、うまくふたりだけになる。
「ふーん、皆アンタの言う事素直に聞くんだね。てか剣持って無くない? 強いの?」
「お前もだ。仕込み武器を装備したまま客席をうろつく店員があるか。何が狙いだ」
 まわりの魔女探しと違う、熱っぽさを感じさせない静かな問いは、逆に、凄みがある。
「そりゃ遺跡発掘家だからね。馴染みの店だから手伝ってんのさ。それより、これ皆魔女探しの連中だよね。ここ田舎町だからさ、いきなり町に押し寄せてきたみたいだけど、なんなの? どうやって纏まってるわけ?」
 喋りつつ相手をじっと見る。長く伸ばした前髪で右目を隠しているのは戦闘にも何をするにしても邪魔じゃないだろうかと思う。そのかわり左目の鋭利な輝きは、油断できない。
「見ての通り纏まりの無い集団だ。子供が一番を狙って宝探しをしているようなものだな。互いが得た情報共有すら、駆け引き状態だ。あきれたものだろう」
「でも皆、アンタには少し遠慮してるよね。普通、リュディア人なら、さっきみたいに大人しく引き下がらないよ。リースっていったっけ。アンタが何となく纏めてんじゃない?」
「買いかぶりだな。さっき偶然でかい蛇の魔物を倒した所を見られたから、多少持ち上げられてるだけだ。こんな奴ら、纏めようったって纏まるか」
 小さく息をついて渡したグラスを口に運ぶ彼は、どこかジノヴィと似た真面目さをにおわせる。彼の黒い髪と瞳は南の国に多い色だが、育ちはもしかするとリーオレイス帝国なのかもしれないなと思った。
 それにしても、指揮系統の整った集団ではなくてよかった。そう思って改めてグラスを空ける。新しく机に積み上がった空き皿を持って席を立った。
「ごちそーさま。店長が死んじゃうから手伝いに戻るよっ」
 背を向けた途端、上着の端を捕まえたリースの言葉に、ひやりとした。
「情報は、交換するものだぞ。何を隠している? ……酒一杯では足りないか」
 ……皆が必死で探している人間を隠しているなんて言える訳が無い。大金を貰っても自分の拠点においてきたセトを売り渡す気にはなれなかった。拠点が荒らされるのも嫌だし、あの無害の塊みたいなヤツが殺されるのも、見たくない。
 しかし、一瞬思考を巡らせたのを、リースは見逃してはいない。情報屋業も見抜かれているところをみると、下手な嘘は命取りだ。
「ボク、耳が良いからさ。君達が村ひとつ焼いたって聞いてたから心配で様子を見に来たんだ。拠点がちゃんと無いと、発掘って結構大変なんだよね。荷物が沢山出るから。ボクにとっては君達が町を壊さなけりゃ良いさ」
 さっとリースの手をすり抜けて、調理場の中へ退避する。背に冷や汗を感じたのは、ちょっと久しぶりだ。
「何だい、もう飲まなくていいのかい」
「うん。このゴミまとめて外に出しとくよ」
 大袋にあふれた生ゴミを足で押し潰して袋の口を閉じて裏口から持ち出す。シェナはそのまま店の活気と扉一枚でお別れし、ゴミを放置して、暗闇となった路地を静かに走り出した。
 街に溢れていた魔女探し達も、どこか宿をみつけるか教会に身を寄せるかしたのだろう、外は夜の冷たい空気に包まれ、想定していたよりは静かだ。ふと教会にも様子を探りに行こうかと思ったが、リースに目を付けられた以上、あちこち下手に顔を出すのは危険だ。
 特に誰かが後をつけてくる様子がないのを何度も確認して、やっと帰路についた。