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14話 蝶の英雄

ー/ー






 Amaryllis(アマリリス)はリーレニカに使役される高位生命体だ。使われている身でありながら、初めはこの小娘を支配してやろうとも思っていたが、今や持ちえる力のほとんどを彼女に与えている。
 初めは人間の心――〝マシーナウイルス〟を吸収できれば他は望まなかった。強い感情で変質するこれらは、Amaryllis(アマリリス)にとって快楽物質でもありエネルギー源にもなり得たからだ。
 言ってしまえば、いつまでも食事を提供してくれる家畜を飼い慣らしている感覚に近かった。
 だがある時、更に面白い感覚を覚えた。
 人間の葛藤(かっとう)だ。
 過去の罪悪感に浸された感情よりも、圧倒的に甘露な食事。これを味わってしまうと、作業のように繰り返していた無用な感情の摂取が無味乾燥なものに思えてしまう。
 リーレニカが迷い、憂い、時に喜び、そういう人間の感情の起伏を浴びて、ストレスから得るものより強烈な快楽物質が流れ込む仕組みを知ってしまった。
 ならば、無感情な人形よりも感情が溢れ、勝手に流れ込んだ時の食事の方が美味ではないのか。
 きっと、こいつに使われている方がもっと気持ち良くなれる。
 そう考えたAmaryllis(アマリリス)は、いつしかリーレニカの乗っ取りをやめた。
 こいつのやりたい事を思うようにさせれば、もっと良い事が待っているに違いない。
 だから、くだらない古代獣たちのプライドを鼻で笑い。
 人間の――リーレニカの背中を押してやることにした。


     ****


 蝶と白龍が空を飛び交う様子を見上げる市民は、この世の終わりを感じ始めていた。
 御伽噺で語り継がれた太古の龍が頭上にいるのだから無理はない。
 しかし、誰もが疑問に思う。
 ――あの紫の蝶は何だ。
 誰もが口々に意見を交わす。
 周りは機人で、巨大な花の化け物と龍に蝶。
 いくら騎士団が束になろうと敵うはずがない。
 造花屋のミゲルが起死回生の対抗策を講じたおかげで、弱体化した〈マネキン〉は騎士団が討伐していくが、まだ屋内にもいるはずだ。
 逃げ場などない。
 民衆の口からは弱音しか聞こえなかった。

「なんで今日なんだよ……来週には式を挙げる予定だったのに」
「俺の嫁なんかもう少しでガキが産まれるんだぞ」
「今更なに言ったって変わらねえよ。みんなあの化け物共に、蟻みてえに潰されて死ぬんだ」
「やめてよ。子供も居るのよ」

 どの避難所でも似たような声があがる。
 騎士団でさえ、この戦いに意味があるのか疑問に思う者すら出始めた。

「マネキンを殺したって、最後にはアレを片付けないとなんだよな」
「今考えるな。士気が下がる」
「なあ逃げようぜ。誰も文句言わねえよ」
「あの空飛ぶ奴らとデカいのからどうやって逃げるんだ? 俺たちが街を抜けるまでに一息で追いつかれるぞ」

 剣鬼がいようと、空の生物には何もできない。一方的な虐殺しか待っていない。
 国中の誰もがそう言葉を交わしていると。

「おい」

 誰かが異変を感じたようで、空を指差した。

「あいつ、機人じゃなくて――人じゃないか?」

 虚空を差し示した先。
 紫陽花(あじさい)色の髪をした少女らしき影が、生えるはずのない蝶の翅で飛んでいるのを認識したらしい。
 それを人だと言うのは何故だろうか。

「戦ってる……のか?」

 白龍の従えている機人かと誰かが憶測したその影を。
 自分たちを殺すために品定めしているとばかり思われていた影を。
 目を凝らし、彼ら自身が認識を改めた。

「人……人間だ!」
「なんだあのデバイス⁉︎ いや……デバイスなのか⁉︎」
「じゃああいつ龍と戦ってるってのか⁉︎」
「もしかして騎士団?」
「ありえない。空挺部隊だって飛空挺が要るだろ」
「部隊だとしても一人じゃないか」
「じゃあアイツ誰なんだよ!」

 死を覚悟していた人々が動揺で騒ぎ始める。
 淡い希望に似た空気が流れていたところで、白龍が騒いでいる民衆目掛けて急降下した。
 巨大生物の空中遊泳は想像を絶する速度で距離を詰め、視界一杯にその大口を披露した。
 目を閉じる者、顔を背ける者、逃げようとする者、子供を抱き締める者。諦めて見上げた者。
 ズドン、と。
 それらの絶望を、真一文字に走る紫電(しでん)が横から掻っ攫っていった。
 蝶の人影が亜音速で白龍の横面を蹴り抜いたのだ。

「な……なんだ?」
「助か……った?」
「いまのは」
「見た――よな?」

 白龍を蹴るインパクトの瞬間、人影が肉眼で捉えられる距離になると、何人かはその正体に気づいたらしい。

「やっぱり人だ!」
「あいつ見た事あるぞ」
「あの子って、たしか花屋の」
「高濃度マシーナ売りの奴……だよな」

 遥か先の建物を倒壊させた白龍の体がだらしなく道を占有している。
 土煙の上がる地点を見て口々に交わす者達は、逃げるどころか期待にも似た声の力強さを取り戻していた。
 その中で、商業区の人間が思い出したように指さす。

「ほら、あれだよあの――リーレニカ?」

 誰かがその名を口にした瞬間。
 白龍の体が真上に飛び上がった。
 蝶の影――リーレニカが、白龍の巨体を蹴り上げたのだ。
 すぐに紫の軌跡が尾を引いて飛翔する。
 もう彼らは気付いている。
 蝶が――リーレニカが戦っている。
 この国を。自分たちを守るために。



     ****



『にひ。これじゃこれじゃ。たまらん。超美味い』
「その気持ち悪い笑いやめてくれない?」

 飛翔の感覚を完全に掌握したリーレニカは、Amaryllis(アマリリス)へ軽口を叩いた。
 上空に吹き飛ばされたラグナは、体を大きく旋回させるとリーレニカを見下ろして笑った。

「認めてやろう。人間――いや、リーレニカ。俺はお前を過小評価していた」

 決して手を抜いたわけではないのだが、巨体を吹き飛ばすほどの蹴りを浴びせても一切ダメージがないようだった。
 どころか、楽しむように、

「遊んでやろう」

 龍の意識が完全にこちらへ向いたのを感じた。
 皆を殺す事を諦めたのか? 自分を殺した後でもできるのだと考えたなら都合が良い。
 ――いや。

『マシーナ汚染エリア表示』

 自動音声と共に白銀の世界が変質する。
 赤い影と、黒く濁ったエリアが建物内に密集していた。
 黒いエリアは何かに怯え、ストレスで汚染された人々だろう。
 赤い影の反応は、見覚えがある。

「まさか」

 ミゲルの造花は屋外に溢れた機人モドキを無力化したに過ぎない。
 ――まだラグナに手駒が居るのだとすれば。

「本当は直々に皆殺しにしてやるところだが、雑魚は俺の眷属で殺せばいい」

 白銀の世界が解析を進める。
 赤い影――蛇の眷属が、そこら中の建物内に出現していた。


     ****


 建物の中で子供達を匿っている修道女が、怯えた様子で停止した機人を見ている。
 いきなり外が夜のように暗くなり、雷鳴が激しく鳴り響くようになった。
 子供達を連れて騎士団まで逃げるのはとてもじゃないが守りきれるわけがなかった。
 学舎は多くの教室が並んでいる。子供達を一室に集め、教卓でバリケードを作ったものの、機人の発達した爪なら腐った木箱を叩き割るように容易く侵入するだろう。

「……神様」

 それよりも、もっと恐ろしい何かが蠢いている気配があった。
 波状運動で床を舐めるように動き回る生き物。
 外の争う音にも目もくれず、自分たちのような弱い生き物を丸呑みにしようと探し回っているような音。
 全身黒塗りの大蛇だ。

「先生……」

 子供が修道服を握る。当然震えていた。
 卵の殻が一人手に割れ、無我夢中になって子供達を教室へ連れて逃げた先がここだった。
 年若い修道服の女も、今すぐにでも逃げ出したい気持ちはある。
 どこに逃げたところで、もはや安全な場所などないのではないか。
 もはや、この悪夢が終わることを神に祈るしかなかった。
 雷鳴が瞬くと、大蛇の影が教室に差した。

「――――」

 本当に恐ろしい時は声が出ないのか。息を呑んだ修道女が、せめてと子供達の前に身を差し出した時だった。
 暗闇が雷鳴と異なる、マシーナ性の光で煌々と照らされる。
 廊下の窓を破ったコウモリスカートが、細い通路を駆け抜けた。
 踏み締める度、花畑が咲き広がる。

「――え?」
「目標、三体」

 修道女の呆気に取られた声に蝶の侵入者は応えない。
 凛とした声音が報告すると同時に、三体の大蛇が弾け飛んだ。
 少女の残影が過ぎ去る頃には、追従するように大蛇の原型が崩れ去ったのだ。
 通路先の窓を破ると、闇を照らす火の塊を不思議な力で八つ裂きにし、突風に攫われて通路の花畑が消失した。

「神……様?」

 修道女は手を結んだまま、ありえない奇跡に固まっていた。



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 |Amaryllis《アマリリス》はリーレニカに使役される高位生命体だ。使われている身でありながら、初めはこの小娘を支配してやろうとも思っていたが、今や持ちえる力のほとんどを彼女に与えている。
 初めは人間の心――〝マシーナウイルス〟を吸収できれば他は望まなかった。強い感情で変質するこれらは、|Amaryllis《アマリリス》にとって快楽物質でもありエネルギー源にもなり得たからだ。
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 過去の罪悪感に浸された感情よりも、圧倒的に甘露な食事。これを味わってしまうと、作業のように繰り返していた無用な感情の摂取が無味乾燥なものに思えてしまう。
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 きっと、こいつに使われている方がもっと気持ち良くなれる。
 そう考えた|Amaryllis《アマリリス》は、いつしかリーレニカの乗っ取りをやめた。
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 だから、くだらない古代獣たちのプライドを鼻で笑い。
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     ****
 蝶と白龍が空を飛び交う様子を見上げる市民は、この世の終わりを感じ始めていた。
 御伽噺で語り継がれた太古の龍が頭上にいるのだから無理はない。
 しかし、誰もが疑問に思う。
 ――あの紫の蝶は何だ。
 誰もが口々に意見を交わす。
 周りは機人で、巨大な花の化け物と龍に蝶。
 いくら騎士団が束になろうと敵うはずがない。
 造花屋のミゲルが起死回生の対抗策を講じたおかげで、弱体化した〈マネキン〉は騎士団が討伐していくが、まだ屋内にもいるはずだ。
 逃げ場などない。
 民衆の口からは弱音しか聞こえなかった。
「なんで今日なんだよ……来週には式を挙げる予定だったのに」
「俺の嫁なんかもう少しでガキが産まれるんだぞ」
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「やめてよ。子供も居るのよ」
 どの避難所でも似たような声があがる。
 騎士団でさえ、この戦いに意味があるのか疑問に思う者すら出始めた。
「マネキンを殺したって、最後にはアレを片付けないとなんだよな」
「今考えるな。士気が下がる」
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 剣鬼がいようと、空の生物には何もできない。一方的な虐殺しか待っていない。
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「おい」
 誰かが異変を感じたようで、空を指差した。
「あいつ、機人じゃなくて――人じゃないか?」
 虚空を差し示した先。
 |紫陽花《あじさい》色の髪をした少女らしき影が、生えるはずのない蝶の翅で飛んでいるのを認識したらしい。
 それを人だと言うのは何故だろうか。
「戦ってる……のか?」
 白龍の従えている機人かと誰かが憶測したその影を。
 自分たちを殺すために品定めしているとばかり思われていた影を。
 目を凝らし、彼ら自身が認識を改めた。
「人……人間だ!」
「なんだあのデバイス⁉︎ いや……デバイスなのか⁉︎」
「じゃああいつ龍と戦ってるってのか⁉︎」
「もしかして騎士団?」
「ありえない。空挺部隊だって飛空挺が要るだろ」
「部隊だとしても一人じゃないか」
「じゃあアイツ誰なんだよ!」
 死を覚悟していた人々が動揺で騒ぎ始める。
 淡い希望に似た空気が流れていたところで、白龍が騒いでいる民衆目掛けて急降下した。
 巨大生物の空中遊泳は想像を絶する速度で距離を詰め、視界一杯にその大口を披露した。
 目を閉じる者、顔を背ける者、逃げようとする者、子供を抱き締める者。諦めて見上げた者。
 ズドン、と。
 それらの絶望を、真一文字に走る|紫電《しでん》が横から掻っ攫っていった。
 蝶の人影が亜音速で白龍の横面を蹴り抜いたのだ。
「な……なんだ?」
「助か……った?」
「いまのは」
「見た――よな?」
 白龍を蹴るインパクトの瞬間、人影が肉眼で捉えられる距離になると、何人かはその正体に気づいたらしい。
「やっぱり人だ!」
「あいつ見た事あるぞ」
「あの子って、たしか花屋の」
「高濃度マシーナ売りの奴……だよな」
 遥か先の建物を倒壊させた白龍の体がだらしなく道を占有している。
 土煙の上がる地点を見て口々に交わす者達は、逃げるどころか期待にも似た声の力強さを取り戻していた。
 その中で、商業区の人間が思い出したように指さす。
「ほら、あれだよあの――リーレニカ?」
 誰かがその名を口にした瞬間。
 白龍の体が真上に飛び上がった。
 蝶の影――リーレニカが、白龍の巨体を蹴り上げたのだ。
 すぐに紫の軌跡が尾を引いて飛翔する。
 もう彼らは気付いている。
 蝶が――リーレニカが戦っている。
 この国を。自分たちを守るために。
     ****
『にひ。これじゃこれじゃ。たまらん。超美味い』
「その気持ち悪い笑いやめてくれない?」
 飛翔の感覚を完全に掌握したリーレニカは、|Amaryllis《アマリリス》へ軽口を叩いた。
 上空に吹き飛ばされたラグナは、体を大きく旋回させるとリーレニカを見下ろして笑った。
「認めてやろう。人間――いや、リーレニカ。俺はお前を過小評価していた」
 決して手を抜いたわけではないのだが、巨体を吹き飛ばすほどの蹴りを浴びせても一切ダメージがないようだった。
 どころか、楽しむように、
「遊んでやろう」
 龍の意識が完全にこちらへ向いたのを感じた。
 皆を殺す事を諦めたのか? 自分を殺した後でもできるのだと考えたなら都合が良い。
 ――いや。
『マシーナ汚染エリア表示』
 自動音声と共に白銀の世界が変質する。
 赤い影と、黒く濁ったエリアが建物内に密集していた。
 黒いエリアは何かに怯え、ストレスで汚染された人々だろう。
 赤い影の反応は、見覚えがある。
「まさか」
 ミゲルの造花は屋外に溢れた機人モドキを無力化したに過ぎない。
 ――まだラグナに手駒が居るのだとすれば。
「本当は直々に皆殺しにしてやるところだが、雑魚は俺の眷属で殺せばいい」
 白銀の世界が解析を進める。
 赤い影――蛇の眷属が、そこら中の建物内に出現していた。
     ****
 建物の中で子供達を匿っている修道女が、怯えた様子で停止した機人を見ている。
 いきなり外が夜のように暗くなり、雷鳴が激しく鳴り響くようになった。
 子供達を連れて騎士団まで逃げるのはとてもじゃないが守りきれるわけがなかった。
 学舎は多くの教室が並んでいる。子供達を一室に集め、教卓でバリケードを作ったものの、機人の発達した爪なら腐った木箱を叩き割るように容易く侵入するだろう。
「……神様」
 それよりも、もっと恐ろしい何かが蠢いている気配があった。
 波状運動で床を舐めるように動き回る生き物。
 外の争う音にも目もくれず、自分たちのような弱い生き物を丸呑みにしようと探し回っているような音。
 全身黒塗りの大蛇だ。
「先生……」
 子供が修道服を握る。当然震えていた。
 卵の殻が一人手に割れ、無我夢中になって子供達を教室へ連れて逃げた先がここだった。
 年若い修道服の女も、今すぐにでも逃げ出したい気持ちはある。
 どこに逃げたところで、もはや安全な場所などないのではないか。
 もはや、この悪夢が終わることを神に祈るしかなかった。
 雷鳴が瞬くと、大蛇の影が教室に差した。
「――――」
 本当に恐ろしい時は声が出ないのか。息を呑んだ修道女が、せめてと子供達の前に身を差し出した時だった。
 暗闇が雷鳴と異なる、マシーナ性の光で煌々と照らされる。
 廊下の窓を破ったコウモリスカートが、細い通路を駆け抜けた。
 踏み締める度、花畑が咲き広がる。
「――え?」
「目標、三体」
 修道女の呆気に取られた声に蝶の侵入者は応えない。
 凛とした声音が報告すると同時に、三体の大蛇が弾け飛んだ。
 少女の残影が過ぎ去る頃には、追従するように大蛇の原型が崩れ去ったのだ。
 通路先の窓を破ると、闇を照らす火の塊を不思議な力で八つ裂きにし、突風に攫われて通路の花畑が消失した。
「神……様?」
 修道女は手を結んだまま、ありえない奇跡に固まっていた。