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52.告げられた真実、心とは裏腹に

ー/ー



 宿の一室、そのドアを叩き、入室の許可を問う。
 拒まれることはなく、静かに開く。そこに立っていてのは、アダルヘルムが恋い慕う、美しい女性だ。

「あら……寝所のお誘いかしら?」
「いや、違う……ぬ……クロエ嬢、その肌の――」

 絹のショールを肩にかけ、目隠し布もしていない素顔のクロエ。薄着であることはいつものことなのだが、弱いランプの明かりのなかでも青白い肌に付けられた無数の赤い痕が鮮やかに目立ち、アダルヘルムの目に強く印象づけていた。

「少々気の荒い……獣に噛みつかれてしまっただけですよ。さ、お入りになって」

 口元に手を当て、少し頬を染めながら部屋に案内される。

「な……ゼンもいるのか……」
「なにか、問題でも?」
「いや……まぁ、そういうことなのだとは思ってはいたが……眠っているのなら問題無い、か」

 裸で、すーすーと寝息を立てるゼン。アダルヘルムが入室しても気付かない程、その眠りは深いらしい。

「なにか飲みますか?」
「いや、いい……」
「そう言わず……あなたがゼンのために購入した美味しいお酒……まだ、残りがあるのよ?」

 ハーフェンで購入した銘酒をグラスに注ぎ、テーブルに用意し、クロエは向かいに座った。

「それで?アダル……味見をしにきたわけではないのなら、なにをしにきたの?」
「もてなしをしたというのに、とぼけるなんて貴女らしくないな」
「あら、ふふ……たまにはいいじゃない?」

 コクリとひと口……喉を潤したところで本題にはいる。

「話してもらいたい」

 窓から月を眺めていたクロエに掛けられる、アダルヘルムの重たい声。
 アダルヘルムの目を、クロエの赤い瞳が支配する。

「ゼンの大切にしまい込んでいる思いまで欲しがるなんて、欲張りな人」
「……この世界と神の『破壊』だけがゼンの目的だと思っていた。だが、元いた世界までも『破壊』したというのは、どういう事なのだ?帰る場所を、なぜ……」

 真剣なアダルヘルム、対比するように笑うクロエ。

「元いた世界が、ゼンの帰る場所だと思っていたの?ふふ……それは間違いね」

 アダルヘルムの手に、自分の手を添えてゆっくりと話すクロエ。

「ゼンが1番に憎しみを持っているのは元の世界……彼が彼として成ってしまった悲しくも美しかった世界」
「ゼン……を?」
「大切なものを奪われ、救われることなく、ただ孤独に自分を傷付け続け……心は壊されていった」

 アダルヘルムの手の甲から血が滲むほど、強く爪を立てるクロエ。

「残されたのは呪いのように彼を蝕む、愛しいものが残した残酷な遺言……『私の思い描いた世界……いつかそこで楽しく過ごして』」

 事あるごとに、ゼンは『楽しめ』と言っていた。
 それは、ただ単に異世界に飛ばされた事を惜しむ事なく、その日々を楽しむようにと縛る言葉ではなかった。縛るという意味では、正しいのかもしれない。

「思い描いた……?」
「気になるわよね?この世界の存在を、ゼンはここに来る前から認知していたこと……誰が誰を通してゼンにその重荷を課したのかしら?」
「神がその、ゼンが大切に思っていた人物を通して……だが、それが重荷になるとはどういう……」

 アダルヘルムの手の傷を『作り』治しながら、クロエは静かに伝えた。

「その願いのために、神が彼女を殺したから」

 この世界を創る為に。

「彼女はゼンに幸せを教えたかったのかもしれないけれど……結局、与えてしまったのは神への憎しみと憎悪だけ……虐げられ、傷付けられるだけの生活でも、彼女さえいればゼンはそれで幸せだったというのに」

 黙り、俯くアダルヘルム。

「思いのすれ違いが生んだ悲しい現実、ゼンの歪んでしまった彼女への思いがあなた達を巻き込んだだけのここは……とても退屈な世界でしょう?」

 満足そうに笑うクロエを、悲しい瞳で見つめるアダルヘルム。

「この世界の果てを見たからな、この世界の存在理由の理解はしよう……だが……それがすべてを『破壊』する理由なのか?その人物が言った、楽しむことだけではダメだったのか?」
「ダメ……良いか悪いかなんて、もう、そんなこと、わかると思うの?力を得る前に、心を『破壊』された人間が……素直に真っ当な楽しみを見つけると思って?」

 喜びも悲しみも、苦しみも楽しみも……ゼンを保っていた存在が消されたことで、ひとつの感情にだけ支配されてしまった。
 そう告げられたアダルヘルムだったが、それでも、共に歩み、笑い合った思い出があること……それは嘘ではないと、信じようとしていた。

「ゼンは、楽しむ事を忘れなかったのだろう?なら、楽しいと感じた時に見せた表情も言動も、それは嘘では無いはずだ」
「……あら」
「本当に、わずかに見せた心の表情を、私は信じたいな……ゼンの大切に思う人物の思いの上に私は立っているのなら――」

 背後にあるベッドから物音がし、ドキッとして振り返る。ただゼンが、寝返りをうっただけの様だった。ふうっと息を吐き、アダルヘルムは続けた。

「ゼンの死後……まぁこれは偽りではあったのだが……自分以外の異物、勇者や聖女の存在……先日のあの行動は、それをさらに増やそうとした神に対して我慢ならなかったのだと……」
「それらの存在を認知する前からではあるけれど……元にしたとはいえ、この世界で生きる人間にも感情はありますから、少しずつ理想の世界からズレてしまったの」

 最初は僅かな亀裂でも、時間が経てば大きく裂けていくもの……彼女の描いた世界に楽しさを求めながらも、神だけはかならず消し去るとだけ思っていただろう。だが、小さな亀裂も生まれ、それをも目にした事で……ゼンの『破壊』の対象は、神が支配し見守る全てのものへと。

「あなた達を巻き込んだ事に関して言うと、後ろめたさを持ってしまったみたい……自分勝手で、本当に滑稽……ねぇアダル、少しでも、楽しめている?幸せを感じているかしら?」
「……その答えは、本人にだけ伝えさせてもらう……すまない、クロエ嬢」

 グラスの酒を飲み干し、アダルヘルムは立ち上がった。ドアノブに手をかけたところで、振り向く。

「その酒、まだ残しておいてほしい。今度は、ゼンと楽しみたいのでな」
「ふふ……わかったわアダル、おやすみなさい」
「おやすみ、クロエ嬢……ゼン」

 パタンと静かにドアは閉じられ、静けさが部屋を包む。

「彼が強いのか、彼もまた心を『破壊』されているのか……どうなのかしら……ね?ゼン」

 ベッドに近づき、ゼンの耳元で囁くクロエ。

「ただの、アホだろ」
「ふふ……親友に対してそんなこと言って」

 背中を向けていたゼンは起き上がり、ベットに引き込み、クロエを組み敷いた。

「ベラベラ喋って、いい気分か?」
「あら、怖い……起きていたくせに、嫌なら止めたら良かったでしょう?」

 クロエの細い首を締め上げるゼン。グッと指が食い込み、クロエは口の端からよだれを垂らすが、苦しむ素振りは見せない。

「ひど言い方をして突き放そうとしても無駄だったわね、ゼン……なぜ自分の力で自分の無用な感情を『破壊』しないの?」
「……」
「そんなに残しておきたいの?友情?親愛?愛着?……彼女が望んだ楽しさから得たものだから?」

 パッと手を離すと、さすがに咳き込むクロエ。光のない目で、静かに言葉を刺す。

「私を壊した時のように」

 ドンッと……ゼンは、クロエの顔の真横に拳を叩きつけた。

「お前じゃない」
「ふふ……そうね、そうだったわね……ごめんなさいゼン……」

 そっと腕を回し、ゼンを抱きしめるクロエ。耳たぶを噛み、舌を首筋に這わせなめ取り、味わい始める。

「いじめて?」
「……性悪女が」

 クロエの望み通り、ゼンは彼女を抱いた。
 だが、その抱き方は数時間前の乱暴に貪る営みとは違い、心までも満たすような、優し抱き方だった。


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 宿の一室、そのドアを叩き、入室の許可を問う。 拒まれることはなく、静かに開く。そこに立っていてのは、アダルヘルムが恋い慕う、美しい女性だ。
「あら……寝所のお誘いかしら?」
「いや、違う……ぬ……クロエ嬢、その肌の――」
 絹のショールを肩にかけ、目隠し布もしていない素顔のクロエ。薄着であることはいつものことなのだが、弱いランプの明かりのなかでも青白い肌に付けられた無数の赤い痕が鮮やかに目立ち、アダルヘルムの目に強く印象づけていた。
「少々気の荒い……獣に噛みつかれてしまっただけですよ。さ、お入りになって」
 口元に手を当て、少し頬を染めながら部屋に案内される。
「な……ゼンもいるのか……」
「なにか、問題でも?」
「いや……まぁ、そういうことなのだとは思ってはいたが……眠っているのなら問題無い、か」
 裸で、すーすーと寝息を立てるゼン。アダルヘルムが入室しても気付かない程、その眠りは深いらしい。
「なにか飲みますか?」
「いや、いい……」
「そう言わず……あなたがゼンのために購入した美味しいお酒……まだ、残りがあるのよ?」
 ハーフェンで購入した銘酒をグラスに注ぎ、テーブルに用意し、クロエは向かいに座った。
「それで?アダル……味見をしにきたわけではないのなら、なにをしにきたの?」
「もてなしをしたというのに、とぼけるなんて貴女らしくないな」
「あら、ふふ……たまにはいいじゃない?」
 コクリとひと口……喉を潤したところで本題にはいる。
「話してもらいたい」
 窓から月を眺めていたクロエに掛けられる、アダルヘルムの重たい声。
 アダルヘルムの目を、クロエの赤い瞳が支配する。
「ゼンの大切にしまい込んでいる思いまで欲しがるなんて、欲張りな人」
「……この世界と神の『破壊』だけがゼンの目的だと思っていた。だが、元いた世界までも『破壊』したというのは、どういう事なのだ?帰る場所を、なぜ……」
 真剣なアダルヘルム、対比するように笑うクロエ。
「元いた世界が、ゼンの帰る場所だと思っていたの?ふふ……それは間違いね」
 アダルヘルムの手に、自分の手を添えてゆっくりと話すクロエ。
「ゼンが1番に憎しみを持っているのは元の世界……彼が彼として成ってしまった悲しくも美しかった世界」
「ゼン……を?」
「大切なものを奪われ、救われることなく、ただ孤独に自分を傷付け続け……心は壊されていった」
 アダルヘルムの手の甲から血が滲むほど、強く爪を立てるクロエ。
「残されたのは呪いのように彼を蝕む、愛しいものが残した残酷な遺言……『私の思い描いた世界……いつかそこで楽しく過ごして』」
 事あるごとに、ゼンは『楽しめ』と言っていた。
 それは、ただ単に異世界に飛ばされた事を惜しむ事なく、その日々を楽しむようにと縛る言葉ではなかった。縛るという意味では、正しいのかもしれない。
「思い描いた……?」
「気になるわよね?この世界の存在を、ゼンはここに来る前から認知していたこと……誰が誰を通してゼンにその重荷を課したのかしら?」
「神がその、ゼンが大切に思っていた人物を通して……だが、それが重荷になるとはどういう……」
 アダルヘルムの手の傷を『作り』治しながら、クロエは静かに伝えた。
「その願いのために、神が彼女を殺したから」
 この世界を創る為に。
「彼女はゼンに幸せを教えたかったのかもしれないけれど……結局、与えてしまったのは神への憎しみと憎悪だけ……虐げられ、傷付けられるだけの生活でも、彼女さえいればゼンはそれで幸せだったというのに」
 黙り、俯くアダルヘルム。
「思いのすれ違いが生んだ悲しい現実、ゼンの歪んでしまった彼女への思いがあなた達を巻き込んだだけのここは……とても退屈な世界でしょう?」
 満足そうに笑うクロエを、悲しい瞳で見つめるアダルヘルム。
「この世界の果てを見たからな、この世界の存在理由の理解はしよう……だが……それがすべてを『破壊』する理由なのか?その人物が言った、楽しむことだけではダメだったのか?」
「ダメ……良いか悪いかなんて、もう、そんなこと、わかると思うの?力を得る前に、心を『破壊』された人間が……素直に真っ当な楽しみを見つけると思って?」
 喜びも悲しみも、苦しみも楽しみも……ゼンを保っていた存在が消されたことで、ひとつの感情にだけ支配されてしまった。
 そう告げられたアダルヘルムだったが、それでも、共に歩み、笑い合った思い出があること……それは嘘ではないと、信じようとしていた。
「ゼンは、楽しむ事を忘れなかったのだろう?なら、楽しいと感じた時に見せた表情も言動も、それは嘘では無いはずだ」
「……あら」
「本当に、わずかに見せた心の表情を、私は信じたいな……ゼンの大切に思う人物の思いの上に私は立っているのなら――」
 背後にあるベッドから物音がし、ドキッとして振り返る。ただゼンが、寝返りをうっただけの様だった。ふうっと息を吐き、アダルヘルムは続けた。
「ゼンの死後……まぁこれは偽りではあったのだが……自分以外の異物、勇者や聖女の存在……先日のあの行動は、それをさらに増やそうとした神に対して我慢ならなかったのだと……」
「それらの存在を認知する前からではあるけれど……元にしたとはいえ、この世界で生きる人間にも感情はありますから、少しずつ理想の世界からズレてしまったの」
 最初は僅かな亀裂でも、時間が経てば大きく裂けていくもの……彼女の描いた世界に楽しさを求めながらも、神だけはかならず消し去るとだけ思っていただろう。だが、小さな亀裂も生まれ、それをも目にした事で……ゼンの『破壊』の対象は、神が支配し見守る全てのものへと。
「あなた達を巻き込んだ事に関して言うと、後ろめたさを持ってしまったみたい……自分勝手で、本当に滑稽……ねぇアダル、少しでも、楽しめている?幸せを感じているかしら?」
「……その答えは、本人にだけ伝えさせてもらう……すまない、クロエ嬢」
 グラスの酒を飲み干し、アダルヘルムは立ち上がった。ドアノブに手をかけたところで、振り向く。
「その酒、まだ残しておいてほしい。今度は、ゼンと楽しみたいのでな」
「ふふ……わかったわアダル、おやすみなさい」
「おやすみ、クロエ嬢……ゼン」
 パタンと静かにドアは閉じられ、静けさが部屋を包む。
「彼が強いのか、彼もまた心を『破壊』されているのか……どうなのかしら……ね?ゼン」
 ベッドに近づき、ゼンの耳元で囁くクロエ。
「ただの、アホだろ」
「ふふ……親友に対してそんなこと言って」
 背中を向けていたゼンは起き上がり、ベットに引き込み、クロエを組み敷いた。
「ベラベラ喋って、いい気分か?」
「あら、怖い……起きていたくせに、嫌なら止めたら良かったでしょう?」
 クロエの細い首を締め上げるゼン。グッと指が食い込み、クロエは口の端からよだれを垂らすが、苦しむ素振りは見せない。
「ひど言い方をして突き放そうとしても無駄だったわね、ゼン……なぜ自分の力で自分の無用な感情を『破壊』しないの?」
「……」
「そんなに残しておきたいの?友情?親愛?愛着?……彼女が望んだ楽しさから得たものだから?」
 パッと手を離すと、さすがに咳き込むクロエ。光のない目で、静かに言葉を刺す。
「私を壊した時のように」
 ドンッと……ゼンは、クロエの顔の真横に拳を叩きつけた。
「お前じゃない」
「ふふ……そうね、そうだったわね……ごめんなさいゼン……」
 そっと腕を回し、ゼンを抱きしめるクロエ。耳たぶを噛み、舌を首筋に這わせなめ取り、味わい始める。
「いじめて?」
「……性悪女が」
 クロエの望み通り、ゼンは彼女を抱いた。
 だが、その抱き方は数時間前の乱暴に貪る営みとは違い、心までも満たすような、優し抱き方だった。