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ep.86 雑学とお嬢様

ー/ー



「ねえ、クラマ。私に何か聞きたいことがある?」

「いえ、私からは何も」

 ドキリと心臓が掴まれたような気がした。表情は平静を保てているだろうか。
 直感で分かる。これは触れるべきではない疑問。触れてはいけない開かずの扉。
 今はテーブルについて朝食をとっている。食後にはヨーグルトのフルーツ添えを用意した。旬のトロピカルフルーツを切り分けたものだ。
 フルーツの雑学はちょっとした自信がある。下らない小ネタも含めてなら三時間ほどなら途切れずに提供できるだろう。まあ、その辺りはお嬢様も博識なので知っていると返される恐れもあるかもしれないが。

(よしっ)

 さりげなく話題を変えてみよう。

「お嬢様、どうですか? 今日の朝食のお味は」

「ええ、美味しい。エッグベネディクトはシンプルながらに、作り手の“遊び心”と“繊細さ”が試される料理よ。あなたはそれをよく理解している。それにこのトロピカルフルーツを添えた酸味のあるヨーグルト。食後に食べても併せて食べても良い、あなたらしいチョイスだわ」

 お嬢様の会話がデザートであるヨーグルトに移ったのを見計らい、会話を滑り込ませる。

「ありがとうございます! マンゴスチンが果物の女王と呼ばれていることは知っていますよね? その由来についてはご存じでしょうか?」

「形もあるけどヴィクトリア女王に愛されていた、っていう話でしょ? けれど彼女はイギリス人。南国でしか採れないマンゴスチンをなかなか食すことが出来ず、歯がゆい思いをしたっていう話なら知ってるわよ」

「さすがです、お嬢様! よくご存じでしたね」

 そう言ってお嬢様の瞳に目を向ける。少し呆れたような表情をされたところを見ると、さっきの話題についてはお互い不干渉でと、暗に語られているような気がした。

 朝食を食べ終わり、私が厨房で後片づけをしている最中、お嬢様は席についたままコーヒーをじっくりと味わうように嗜まれていた。

「ご馳走様、クラマ。これも洗っておいてくれるかしら」

 そう言って私にティーカップを渡す。

「お嬢様、その、さきほどの件とは別件で相談なのですが、千寿流ちゃんが訪れた時のお茶うけはどういったものが良いでしょうかね?」

「そうね、ガレットにフルーツとチーズを添えたものなんか、あの子は喜びそうじゃない? ちょっと気取り過ぎかしら?」

 お嬢様は嗜好品には拘りを持っている。長年生きているお嬢様にとって、食というのはいつの時代も変わらず、人生に彩りを与えてくれる最も気を遣うべき要素だと昔教えていただいた。お金に自由があるならまずは食を豊かにしろといつも仰っている。
 そして、同時にお嬢様は食事を大切な時間として捉え、家族や友人、そして来客、外交でのコミュニケーションを図るうえでこの上なく素晴らしいものと考えられている。
 それはその通りだと納得をせざるを得ない。なんと言ったってこの言葉には三百年を超える重みがあるのだから。
 ワインが雑学一つでいくらでも美味しく味わい深くなるのと同じだろう。ワインは一人では開けられない。大切な人といっしょに嗜む、それこそ嗜好品のお手本のようなものだから。

「そういえば、結九里(ゆうくり)で外部から取り寄せた珍しいものを取り扱っているみたいです。まあ、あそこは漁業が盛んなので新鮮な魚が占めているとは思いますが」

「へえ、いいじゃない。じゃあ注文でも取る?」

「いえ、久しぶりに覗いてみたいので、結九里まで行こうかなと思ってます。お嬢様が好みそうな物も見て回りたいですし」

「ああ、じゃあついでに千寿流も迎えに行ってあげたらどう? そのほうがきっとあの子も喜んでくれるでしょ」

 そう言ったお嬢様の顔は今朝の思いつめた様な表情ではなく、今日の楽しい日々を待ち遠しくしている小さな女の子のようだった。


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「ねえ、クラマ。私に何か聞きたいことがある?」
「いえ、私からは何も」
 ドキリと心臓が掴まれたような気がした。表情は平静を保てているだろうか。
 直感で分かる。これは触れるべきではない疑問。触れてはいけない開かずの扉。
 今はテーブルについて朝食をとっている。食後にはヨーグルトのフルーツ添えを用意した。旬のトロピカルフルーツを切り分けたものだ。
 フルーツの雑学はちょっとした自信がある。下らない小ネタも含めてなら三時間ほどなら途切れずに提供できるだろう。まあ、その辺りはお嬢様も博識なので知っていると返される恐れもあるかもしれないが。
(よしっ)
 さりげなく話題を変えてみよう。
「お嬢様、どうですか? 今日の朝食のお味は」
「ええ、美味しい。エッグベネディクトはシンプルながらに、作り手の“遊び心”と“繊細さ”が試される料理よ。あなたはそれをよく理解している。それにこのトロピカルフルーツを添えた酸味のあるヨーグルト。食後に食べても併せて食べても良い、あなたらしいチョイスだわ」
 お嬢様の会話がデザートであるヨーグルトに移ったのを見計らい、会話を滑り込ませる。
「ありがとうございます! マンゴスチンが果物の女王と呼ばれていることは知っていますよね? その由来についてはご存じでしょうか?」
「形もあるけどヴィクトリア女王に愛されていた、っていう話でしょ? けれど彼女はイギリス人。南国でしか採れないマンゴスチンをなかなか食すことが出来ず、歯がゆい思いをしたっていう話なら知ってるわよ」
「さすがです、お嬢様! よくご存じでしたね」
 そう言ってお嬢様の瞳に目を向ける。少し呆れたような表情をされたところを見ると、さっきの話題についてはお互い不干渉でと、暗に語られているような気がした。
 朝食を食べ終わり、私が厨房で後片づけをしている最中、お嬢様は席についたままコーヒーをじっくりと味わうように嗜まれていた。
「ご馳走様、クラマ。これも洗っておいてくれるかしら」
 そう言って私にティーカップを渡す。
「お嬢様、その、さきほどの件とは別件で相談なのですが、千寿流ちゃんが訪れた時のお茶うけはどういったものが良いでしょうかね?」
「そうね、ガレットにフルーツとチーズを添えたものなんか、あの子は喜びそうじゃない? ちょっと気取り過ぎかしら?」
 お嬢様は嗜好品には拘りを持っている。長年生きているお嬢様にとって、食というのはいつの時代も変わらず、人生に彩りを与えてくれる最も気を遣うべき要素だと昔教えていただいた。お金に自由があるならまずは食を豊かにしろといつも仰っている。
 そして、同時にお嬢様は食事を大切な時間として捉え、家族や友人、そして来客、外交でのコミュニケーションを図るうえでこの上なく素晴らしいものと考えられている。
 それはその通りだと納得をせざるを得ない。なんと言ったってこの言葉には三百年を超える重みがあるのだから。
 ワインが雑学一つでいくらでも美味しく味わい深くなるのと同じだろう。ワインは一人では開けられない。大切な人といっしょに嗜む、それこそ嗜好品のお手本のようなものだから。
「そういえば、|結九里《ゆうくり》で外部から取り寄せた珍しいものを取り扱っているみたいです。まあ、あそこは漁業が盛んなので新鮮な魚が占めているとは思いますが」
「へえ、いいじゃない。じゃあ注文でも取る?」
「いえ、久しぶりに覗いてみたいので、結九里まで行こうかなと思ってます。お嬢様が好みそうな物も見て回りたいですし」
「ああ、じゃあついでに千寿流も迎えに行ってあげたらどう? そのほうがきっとあの子も喜んでくれるでしょ」
 そう言ったお嬢様の顔は今朝の思いつめた様な表情ではなく、今日の楽しい日々を待ち遠しくしている小さな女の子のようだった。